マルコの福音書 2章1−17節
同労の人々との祈りの時間を、オンラインで持ちました。日本、イギリス、ベルギー、そしてドイツからと、この時代ならではの集まりだと改めて思います。
イエスの「人気」は高まり、大勢の人々がイエスがいる家に押し寄せました。その中に四人の人に担がれた中風の人がいたのです。彼が頼んだのか、あるいは親しい人々が彼を説得したのかはわかりませんが、自分ではイエスのところに来ることができないので、担がれたのです。しかも、イエスの前に出るためにあっと驚くような手段を用いました。この、乱暴にも見える行動から、この人たちの熱心を見ることができます。大勢の人々に阻まれても、あきらめなかったのです。
5節に「イエスは彼らの信仰を見て」とあります。この方のところに行けば…、この方に頼るしかない…という思い、そこから出てくる大胆な行動に、イエスは彼らの信仰を見たのです。自分の(自分たちの)力ではどうにもならないから、彼らはイエスの前に出たのです。
「あなたの罪は赦された」とのイエスのことばは、そこに居合わせた人々に衝撃を与えました。なぜイエスは、この人に「あなたの罪は赦された」と言われたのだろうかと、読んでいる私たちも立ち止まることです。この時のこの人に最も必要なことばだったのではないでしょうか。
しかし、このイエスのことばに引っかかりを覚える人々もいました。律法学者です。確かに、彼らが心で思うように、罪を赦すことができるのは神お一人だけで、イエスにはそのような権威はないと決めつけたのです。しかし、彼らはイエスについて大切なことを見逃していました。
けれども、イエスのことばに心が引っかかる時こそが、自分の本当の姿を見せられる機会でもあるのです。