ローマ人への手紙 10章14−21節
昨日、日が短くなりどんよりと日が続いていると書きましたが、こんなことばに出会いました。「夜は深い。心は囚われてしまう。暗い道に迷い込んだ時には、あなたが私たちを導き、新たに始まったあなたの一日があなたの光で満たされるようにしてください。」(ヨルグ・ジンク)
10章の後半でパウロは、旧約聖書を6箇所も引用して、同胞イスラエルが福音を聞いてはいながらもそれを信じなかったことについて書いています。
イスラエル人は福音を信じたのでしょうか。信じませんでした。それでは、彼らには神のことばが聞こえなかったのでしょうか。聞こえていました。使徒の働き13章13―15節には、福音がまずユダヤ人たちに届けられたことが書いてあります。それでは、彼らには神のことばが難しすぎて理解できなかったのでしょうか。いいえ、彼らは福音を拒んだのです。その結果、福音は異邦人に伝えられ、異邦人で福音を信じイエスを主と告白した者はみな救われたと続けるのです。
この章の終わりの部分でパウロは、そのようなイスラエルに神がどのようになさったのかをイザヤ書65章2節を引用して書いています。神がずっと彼らに手を差し伸べ続けられたのです。それでは神はイスラエルのことをあきらめてしまわれたのかという問いかけが次の章へと続きます。
ここでの同胞へのパウロの悲しみと嘆きは、神の悲しみでもあり嘆きでもありました。けれどもパウロはあきらめません。それは、神がイスラエル人をあきらめておられないからです。少しの反対や少しの無視で、すぐにあきらめてしまいやすいと、自分を省みています。それとともに、15節のことばから勇気を得ます。