ヨブ記 31章1−15節
霧の一日でした。毎日小さな出会いや発見があるのはありがたいこと。昨日は訪ねたお店で,なんと,カレーパンをいただきました! 往復6キロを歩いての買い物でしたので,帰り道に歩きながら「懐かしい味だ」と何度も言いつつ食べました。
本章でヨブのことばは終わります。ここで彼は改めて自分が潔白だということを主張しています。それは,三人の友人がヨブを罪ありと決めつけて罪を悔い改めよと迫ったことに対しての,改めての反論として位置されています。
その中で,1節のことばは「新約聖書的」だと思います。それはヨブは,おとめに目を留めることはできない,なぜなら自分の目と契約を結んだからだと言っています。その意味は,ヨブはおとめを情欲を持って見ることはしないということです。イエス・キリストが「情欲を抱いて女を見るものはだれでも,心の中ですでに姦淫を犯したのです」と言われたマタイの福音書5章28節を思いました。
このようなヨブの姿勢は,神との契約の中に生きている彼が,見えない神の前に潔白とはどのようなことなのかを知っていたことに基づいています。多くの人は,自分の心で何を考えているか他人には分からない,行わなければ問題なしと考えます。もしも,人の心をまで見通して「罪あり」とするならば,警察や裁判所はごった返すでしょう。人の心の中まで裁くことはできないのです。
ですから,潔白の主張をするヨブがどのような人物なのかが,このことからも分かります。ヨブのことばが終わるに際して思うのは,神がヨブについて言っておられることばです。「彼のように,誠実で直ぐな心を持ち,神を恐れて悪から遠ざかっているものは,地上には一人もいない。」1章8節,2章3節