ヨブ記 28章
日曜日はデュッセルドルフの日本語教会で礼拝の時を持ちました。往復に列車を利用しましたが、予想どおり行きも帰りも遅れました。想定はしていたのですが、やはりね! となりました。
ここでヨブは知恵のありかを求めています。なぜ彼は…? と考えてみました。大切なものを矢継ぎ早に失い、自身も大きな苦しみを負わされた彼は、それでも神との結びつきを失ったとは考えていませんでした。
そんな彼を友人たちは、悪を行った結果の災難だと決めつけ、神に自分の罪を告白して赦しを得よ、そうすれば元どおりになるというように説得、いや、強制しました。それはヨブにとっては到底うなずくことのできないものでした。
そのような中でヨブは、神が自分を正しいと保証してくださることを願っていたのですが、そのようなことばはなかったのです。彼は必死になって思考する中で、自分と神との間に立ってくださる仲裁者の存在を思い描くのですが、それとて、この時の彼には確証を持つには至りませんでした。
彼は行き詰まっていたのではないか、と私は考えました。今の苦境を乗り切ることのできる知恵が必要でした。しかし、貴金属は地中を深く掘れば見つけることができますが、知恵はこの世のどこを探しても見つからないというのが彼の結論でした。
知恵の探究に行き詰まったかのように見えるヨブでしたが、そうではありませんでした。神にこそ知恵がある、だから「主を恐れること、これが知恵である」と発見することができたのではないかと、ここを読んで思いました。苦しい思考の先にあったこの結論は、神がヨブに与えられたものです。