みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

油注ぎ

2019年03月08日 | 出エジプト記

出エジプト記 29章1−21節

 日本に送るために前日投函した封書が、家のポストに入っていました。きちんと宛先国は書いてあり、AIR MAIL と大きく書かれているのに、何が不備なのでしょうか? 手順を外したわけではないのに…。きょうは郵便局で理由を確かめてきたいと思います。

 ここには、アロンを大祭司に、子どもたちを祭司に任職するための手順が細かく記されています。今回は、それをノートに書き写し(打ち写し)てみました。大まかに見て、きょうの箇所だけで20の手順があります。しかも、さらに続くのです。神に仕えるためには、これほどの「関門」を通らなければならないのだと言い換えることもできるでしょうか。

 7節に油注ぎをするとあります。そのための油は特別なもので、特別に調合したものを用い、それ以外には用いません。そしてこの箇所では、大祭司であるアロンだけに油を注ぐとあります(30章30節では「アロンとその子らに油注ぎを行い」とあります)。油注ぎは、特別な働きのために、神が人を選び、召されたことを意味しました。

 アロンもその子どもたちも聖い神に仕えるためには、彼ら自身の罪をきよめられる必要がありました。手順の多さは、罪ある者が聖められるのがどれほど困難かということを示しているとも言えます。ヘブル人への手紙7章27節には、「イエスは、他の大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でその事を成し遂げられたからです」とあります。

 しかも、イエスを油注がれたお方(キリスト)と信じた者には、祭司としての務めが与えられているというのは、なんと驚くようなことなのでしょう!

(写真は「閉ざされた東の門」エルサレム)


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