詩篇 116、117篇
隔週の木曜日に聖書をいっしょに読んでいる方が、イエスを主と心に迎えました。神の子どもが誕生した喜びをその方といっしょに分かち合いました。これほどの感動はありません。
詩篇116篇を読み、作者はどのような中でこの詩を詠んだのだろうかと想像してみました。作者は、死の綱が自分を取り巻き、よみの恐怖が襲い、苦しみと悲しみの中にあった時に「私のいのちを助け出してください」と主の御名を呼び求めました。主は作者の願いに耳を傾けて、助けてくださったのです。それゆえ作者は、「生きる限り主を呼び求めよう」と心を定めます。
この詩には、自分に良くしてくださった作者が自分の決意を神の前に述べることばがいくつかあります。「私は主を愛する」という1節のことば、「私は生きる限り主を呼び求めよう」という2節のことば、「私は、生ける者の地で、主の御前を歩き進もう」という9節のことば、「私は救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めよう」という13節のことば、そして、「私は自分の誓いを果たそう」という14,18節のことばです。
詩篇103篇に、「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とありますが、それはただ覚えているということでとどまるのでなくて、主を愛する、主を呼び求めるなどという姿勢、生き方を左右するほどのものだということに気づきます。
あえて117篇を結びつけるとしたら、作者の決意が世界大に広がっていくという素晴らしさをも覚えます。