みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

恩を仇で…

2017年03月02日 | 申命記

申命記 32章1−18節

 人はいろいろなときに歌を歌い、作ります。「カラオケ」ということばは、今や世界で通用します。嬉しいときや辛いときに自然に口から歌が出てくるという人もいるかもしれません。そして、クリスチャンは歌う人、神を賛美する人です。

 32章1−43節は「モーセの歌」と呼ばれています。そして、きょうの箇所では神が真実なお方であることと、それに引き換えご自分の民が主なる神からの恩を仇で返すような不真実な者であることを歌っています。

 10−14節を、声を出して繰り返し読みました。神がどれほど彼らを愛し、導き、最良のものをもって養ってくださったのかを思うとともに、このお方は私にもこのような真実をもって導いておられることに感謝があふれます。15−18節には、ご自分の民が神を捨てたこと、そして神ではないものに心を寄せる様子が歌われています。「自分を生んだ岩をおろそかにし、産みの苦しみをした神を忘れてしまった」ということばに目が留まります。

 もうすぐ、3.11がやって来ます。あの時から6年が経とうとしています。原発事故後の対応はまだまだであり、むしろこれからが正念場というところでしょう。けれども、「過ぎ去ったことだから前に、前に」「嫌なことは忘れて…」というような調子で世の中が動いているように思います。

 モーセの前に立つ人々の後代の者たちが、「自分たちは大切なこと、最も大切にすべきお方を忘れてしまった」ということを思い起こすために、この歌があり続けるのです。聖書を読むとは、忘れてはならないものがあることに気づくことでもあるのです。


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