ゼカリヤ書 1章
月に二度の「ドイツ語で聖書を読む会」、きのうはヨハネの福音書7章1−18節を読みました。予習をするとやはりよくわかりますね。ちょっとずつでも進歩している…らしいです。
きょうから「ゼカリヤ書」を読みます。
この書は「ダリヨスの第二年の八月に」ということばで始まります。ダリヨスとはバビロンの後に台頭した大国ペルシヤの王、その治世の第二年というのは紀元前520年のことです。
バビロンから帰還したイスラエルの民は、エルサレムの神殿再建工事にかかります。けれども、妨害によって工事は中断され、長い間ほったらかしになっていました。
道路や大きな建物を建築する際に、何かの事情で工事が中断すると、最初は「どうしたのだろう」「何があったのだろう」と心配になります。けれども、中断が長く続くとその景色に慣れてしまって、なんとも思わなくなるということが今でもあります。大きな志を抱いて働きを始めたけれども、途中で頓挫していますと自分の身の回りのことで頭がいっぱいになってしまうなどと言うことがあります。ゼカリヤ書の1章には、そのような宙ぶらりんの状態を神が放っておかれずに、大きく動かされるということが書いてあります。
心に留めたのは「わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る」という16節のことば。神が民をあわれみ、エルサレムに戻って来られるので、宮は建て直されるという約束です。「神が私たちとともにおられる」という約束がどんなにありがたいものかを、教えられる恵みのことばです。