申命記 34章
2015年から「みことばの光」を発行している聖書同盟の「60周年記念誌」の版下がようやく完成し、きょう印刷会社に送ります。非売品ですが、資料的な価値も大きな冊子になりました。日本の聖書同盟は世界の「スクリプチュア・ユニオン」の働きの1つですが、ドイツでは Bibellesebund として働きが進められています。いくつかの聖書日課が出ていますが、興味深いのは女性のための聖書日課が出ているところです。
申命記はモーセの死によって終わります。モーセは、ネボ山、ピスガの頂に登り、神が約束された地を眺めます。聖書は、主がモーセにお見せになったと書きます。主は顔と顔とを合せてモーセをお選びになったように、モーセほどの預言者は再び現れなかったとも書きます。
それでいながら、モーセは見ることができたのですが、カナンに入ることはできませんでした。特別に神がお選びになったのならば、せめてヨルダン川を渡らせたら…とも思うのですが、モーセは約束の地を眺めてから主の命令によって死ぬのです。
人の選びと使命について考えました。力や才能を持つ人は、自分であれもこれも…と考え、手を伸ばすかもしれません。しかし、どのような人にも神がお定めになった終わりがあるのだと知らされます。そして、主の命令によって死ぬのです。人間の貪欲や高慢にくさびを打つような出来事が、ここに記されていると思うのです。