霜後桃源記  

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田村剛一先生を偲ぶ会

2018-07-01 21:08:20 | 仲間
車で片道三時間をかけ、山田町で開催された高校時代の恩師の「偲ぶ会」に参列した。
恩義有る方の葬儀には「弔辞を奉読する」と決めているが、昨年の七月の急逝を知ったのは葬儀後一ヶ月も
経過した後だった。



「偲ぶ会」の案内を頂戴した際、直ぐに「参列する」と決めたのは、その時の「残念な思い」があったからだった。
また、私が知っているのは先生の「教師という側面」だけだったので、人間田村剛一が、町会議員として、
また、「三陸の豊か
な海を守る会会長」や津波の語りべとして自費で立ち上げた「山田伝津館」の館長等の功績が、周囲から「どんな
評価をされていたのか」についても、「知りたい」という気持ちが強かった。

参列者は山田町町長、各種運動仲間、町議、教員時代の同僚、教え子、等40名だった。



私の知っている先生は、生徒達との交流を重視し、生徒の「やる気を引き出す天才」ではあったが、教頭や校長職に
就くことには全く無関心な先生だった。
そんな先生が退職後に町議になったのは「意外」だったが、「郷土をこよなく愛する気持ち」が出発点となっていた
ことを今回初めて知ることが出来た。



六ケ所村の核燃料再処理施設から太平洋に放出される放射能で三陸の海が汚染されるのを防ぐため、仲間には「原発
反対とまでは言わせなかった」というエピソードを誰かが紹介していた。
それは、「三陸の豊かな海を守る」という大義のため、政治信条等を異にする人たちにも「門戸を開く」必要がある
ためだったようだ。

蛇足ながら、会場となった中央公民館の中庭に地元出身の鈴木善幸総理大臣の立派な銅像が立っていたが、それは田村
先生の尽力で、「主に町外からの協力金で建立したもの」と聞いて驚いた。
コメント
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