あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道からの海(4)

2007-06-30 18:28:48 | 四国遍路あれこれ
 今日で、今年も半分経過してしまいました。最近は1週間が
すぐに来て、ひと月があっという間に過ぎてしまいます。

========================


 2006年11月25日(土)朝、高知県土佐市の浦ノ内湾東端
に面した民宿土佐を出て、宇佐大橋を渡って36番青龍寺(しょ
うりゅうじ)へ向かいました。

 青龍寺でのお参りを済ませ、預けた荷を受け取るため民宿に
戻ります。

 行くときは薄暗かった宇佐大橋もすっかり明るくなっていま
した。橋の上から見る浦ノ内湾には、釣り船らしい小舟がたく
さん浮かんでいます。


 戻り終えて西側から見る宇佐大橋。この橋は欄干が低くて、
何だか海に落ちそうに感じましたが、お遍路をされた方、いか
がでしたか。
 

 民宿で、預けたザックを受け取り、今回は初めての浦ノ内湾
北岸沿いの県道23号を西に向かいます。

 高知県水産試験場の先、灰方崎を回ると、小さい港に漁船が
数隻並んでいました。

 県道はこの先、コの字形の湾を下から右へ回るようにして、
対岸へと進みます。

 コの字形の湾の最奥部、浦ノ内灰方からは、対岸の山が波
間に影を落としているノが見られます。


 湾の一番北側にある浦の内小の近くには、何の養殖か分かり
ませんが、いかだが浮かんでいました。


 浦ノ内湾の西端に出て、さらに仏坂を越えて洲崎港に下り、
須崎市の市街地を抜けました。

 道の駅「かわうその里すさき」の先から高みに上がり、2つ
のトンネルを抜けると、南側の湾が見下ろせます。 

 この日の宿は、ここを下って間もない、JR土讃線安和(あわ)
駅に近い民宿あわでした。

 翌日は集中豪雨の中、国道56号を走るトラックにさんざん水
しぶきを浴びながら37番岩本寺宿坊にたどりつきました。

 次の11月27日(月)、岩本寺を出て半日余り、伊予木川沿い
を下って黒潮町(旧大方町)に入りました。

 佐賀の町並みを抜けると、「鹿島が浦」と呼ぶ湾を半円形に
上がって行きます。 

 このあたり一帯は、「幡多十景」と呼ぶ景勝地で、土佐佐賀
大規模公園佐賀地区。この先に、湾を見下ろす遊歩道もついて
います。

 すぐ近くからは北に、いま通過してきた佐賀の町並みが見下
ろせました。


 眼下に見えるのは、幡多十景の気持ちよい展望。


 波洗う岩礁の上には、釣り人もいるようです。


 国道56号を進むのですが、歩道もあり、天気も回復し、
このあたりは、気持ちよい展望を楽しみました。


 この日は黒潮町の民宿日の出泊。翌11月28日(火)も、
好天の朝を迎えました。

 その名のとおり、民宿日の出から見る太平洋の日の出です。


 日の出から10分ほどの6時58分に、民宿日の出を出発
しました。民宿から間もない、浮鞭(うきぶち)海岸です。

 この日は四万十川を渡り、人気の民宿・久百々(くもも)を
目指しました。                    (続く)
コメント (2)
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四国遍路道からの海(3)

2007-06-29 22:57:16 | 四国遍路あれこれ


 2006年11月20日(日)、朝1番で室戸岬にある24番最御崎
寺(ほつみさきじ)への参拝をを終え、北側の県道203号から
ヘヤピンカーブを下ります。

 下りカーブの途中から見下ろす、室戸の町並みと室戸港方面。

 最御崎寺から6.5kmで25番津照寺(しんしょうじ)。急な石段
を本堂まで上がりました。

 本堂前からの北側の室津の町並みなど。この先、この湾に沿っ
て進みました。 

 次の26番金剛頂寺は、標高165mの山上。林間の遍路道を
汗をかきながら上がって行くと、ベンチがありました。

 ベンチ付近から振り返る室戸岬方面の展望です。

 金剛頂寺から西へ、広葉樹林の林間を下り、道の駅キララメッセ
で昼食。

 キララメッセから見る、行く手の海岸です。

 翌11月21日(月)は、奈半利の山本旅館を出て、まず27番
神峰寺(こうのみねじ)へ。

 「真っ縦」と呼ぶ急なへんろ道を標高430mの寺まで上がり
ました。

 途中の東屋付近から振り返る、奈半利方面の展望。
 
 神峰寺から下って、国道55号を西へ向かいます。安芸市に
入り、小さい岬・大山岬の周辺だけ遊歩道がついていました。

 岬の周辺には岩礁が現れています。

 すぐ近くの道の駅大山の先から、防波堤上の歩道が2km
余り続いていました。

 その後半、伊尾木近くからの行く手の浜。左端のあたりが
安芸市の中心街になり、この日はここの旅館泊まりでした。

 11月22日(火)は、安芸市の市街地を抜け、堤防に沿っ
た高知安芸自転車道をしばらく進みます。

 安芸市の西端に近い御殿の浜まで来ると、前方に長く弧を
描く「琴ヶ浜」が見下ろせます。

 ここには自転車道の赤野休憩所があり、地元出身の作曲家・
弘田龍太郎の「雨」の歌碑が立っていました。

 翌日は午前中から雨になりましたが、高知市内に入りました。

 高知市内の2つの霊場を回り、いったん南国市に戻って32番
禅師峰寺(ぜんじぶじ)へ。

 標高は82mですが、海に近いので展望はよく、南西に桂浜の
ある浦戸方面が一望。

 雨であまり見通しはよくありませんが、正面に浦戸大橋も見え
ています。

 雨が本降りの中、県道14号の浦戸大橋を渡り、宿に向かい
ます。

 トラックに水しぶきをたっぷりかけられながら渡った、浦戸
大橋から見下ろす西側の浦戸湾の展望。

 この日は、桂浜の民宿まさごに泊まりました。
 
 雨も上がった11月24日(金)、民宿を出てまず、桂浜を少
しだけ眺めて先へ向かいます。


 すぐ近くの浦戸城跡付近から、北側の浦戸湾内の眺望。

 湾の北側が高知市の市街地です。 

 桂浜の集落から浦戸大橋の南詰近くまで上がると、西側に
進む県道14号沿いの浜が見えてきました。


 浦戸大橋の南詰際から西へ下り、浦戸湾の南側を湾沿いに
33番雪蹊寺(せっけいじ)を目指します。

 橋の西側の湾沿いから見上げる浦戸大橋は、写真で見るより
ズーッと高かったように感じられました。          (続く) 
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四国遍路道からの海(2)

2007-06-28 22:01:05 | 四国遍路あれこれ
 2度目の四国遍路、8日目の2006年11月18日(金)、
徳島県牟岐(むぎ)町のJR牟岐駅前の民宿あづまを出発、
高知県に入って室戸岬を目指します。



 牟岐の町外れから、大坂峠越えの遍路道に入りました。
峠の先を急降下して行くと、行く手の内妻湾が見下ろせ
ます。


 右手の車道はこれから進む国道55号。このあと右下の
八坂トンネル出口付近に下り、国道を湾に沿って進みました。


 番外霊場・鯖大師にお参りして間もなく、ソテツの茂る大瀬
海水浴場を見下ろしながら国道55号を進みます。


 浅川港を過ぎ、海部(かいふ)川を渡り、海部駅前を通過し、
2km余りも細い湾が続く那佐湾沿いとなりました。

 左手前が太平洋につながっています。

 那佐湾が終わり、徳島県最後の町・海陽町(旧宍喰町)に入り、
湾に沿って高知県との県境に向かいます。


 水床トンネル(683m)を抜けて、高知県東洋町に入りました。
甲浦(かんのうら)新橋付近からの湾の眺めです。


 甲浦トンネルを抜けると、サーファーがたくさん泳ぐ生見海岸
が見えてきました。

 この日の宿は、生見海岸に近い民宿谷口でした。

 翌11月19日(土)は、朝から雨模様。この日は、室戸岬の
東岸を走る国道55号を、ひたすら岬を目指して進みます。

 番外霊場・東洋大師を過ぎ、野根川を渡ると人家が途絶え、
波高い浜が見えてきました。

 4つの岬が見えています。この岬を次々に回って行くのですが、
30km先になる最南端の室戸岬は見えません。

 雨は小降りになりましたが、怒濤のうねりを上げて、波は海岸
に次々と押し寄せます。


 東洋町から室戸市に入りました。2つ前の写真の3番目の岬が
近づきましたが、相変わらず高波が押し寄せています。


 この室戸岬への道、「単調な海岸の道が続く」といったような遍路
記を記す人もいますが、次々に現れる岬の形や、海の様相は時々
刻々と変化してゆくので、私は飽きることはありませんでした。


 室戸岬まで20kmを切った佐喜浜の家並みを過ぎると、4つの
切り立つ岩が現れました。


 夫婦岩と呼ばれ、そばまで進むと、この中の2つの岩にしめ縄
がかかっていました。


 室戸岬まで10km足らずの椎名を通過します。上部にアンテナ
の見えるのが、目指す室戸岬です。


 この日は、岬まで2km余りのロッジ室戸岬に泊まりました。(続く)
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四国遍路道からの海(1)

2007-06-27 23:00:00 | 四国遍路あれこれ
 「四国遍路あれこれ」の次のシリーズは、遍路道から見える
海の風景を紹介することにしました。

 海のない埼玉県から遍路に行き、広々とした海があちこちで
眺められることは、大きな楽しみでした。

 1番霊山寺からの順路に従い、順次紹介して行きます。

==========================

 2度目の遍路は、昨2006年11月11日(土)からはじめ
ました。



 しばらくは、吉野川、鮎喰川、勝浦川などの川沿い。山間部
を抜け、7日目の11月17日(水)、22番平等寺そばの民宿
を出発して、23番薬王寺に向かいました。

 国道55号に出て、初回は国道沿い薬王寺まで行ったので
すが、今回は県道25号で海沿いの由岐(ゆき)に出て、木岐
(きき)の湾や日和佐(ひわさ)湾沿いに進みます。

 この地には、由岐、木岐、そして少し離れて、この日の宿の
ある牟岐(むぎ)と「岐」の着く地名がいくつかあります。

 「岐」とは何のことだろうかと広辞苑を引いてみたら、「わか
れみち」と記されていました。

 JR牟岐線の由岐駅近くを通過し、隣の田井ノ浜駅に近い
あたりで、太平洋に面した田井ノ浜に出ました。

 きれいなカーブの砂浜で、夏は海水浴場として賑わうようです。

 10時過ぎなので、東を振り返ると逆光の田井ノ浜が輝いていま
した。


 田井ノ浜の西南端まで進みました。


 湾の西南から振り返る田井ノ浜です。

 最初の写真の、湾の終わる上り坂のあたりから見下ろした眺めです。

 木岐トンネルを抜け、木岐漁港の横を通過して、次の湾、木岐湾
を回ります。

 こちらは石ころの多い、やや複雑な湾です。

 木岐湾の先は、山座峠を越え、田井港に向かって下ります。
 
 峠付近の高みから見下ろす太平洋の展望。

 田井港沿いに回り、恵比寿洞と呼ぶ岬に向かいます。

 この辺りからも、逆光のきらめきがきれいでした。

 県道25号が右へ急カーブする地点に「恵比寿洞」の説明板が
ありました。

 そばの遊歩道を下って行くと、岩山の下部が幅、高さとも30m
ほどえぐられて空洞になっています。

 これが恵比寿洞、太平洋の荒波に侵食されてできたもので、
徳島県内最大とのことでした。

 恵比寿洞の遊歩道から上がり、日和佐に向かって進みます。
 

 振り返ると、恵比寿洞が何かの動物の目のように見えていま
した。

 
 日和佐湾の東側から、湾に沿って日和佐の町並みに向かいます。 


 少し進むと景色も違ってくるので、その変化が楽しみでした。


 ここは海ではありませんが、日和佐湾に近い日和佐川の橋から
見る、徳島県最後の札所、23番薬王寺。

 1番上、右手の朱塗りの変わった塔は、瑜木塔(ゆぎとう)です。

 23番薬王寺の最上部、瑜木塔付近から見下ろす日和佐川と日和
佐湾。

 瑜木塔を撮った橋が見えています。        (続く)
コメント (7)
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四国遍路道の道しるべ(6)

2007-06-26 23:23:57 | 四国遍路あれこれ
 四国遍路道も終盤になってきました。

 2月28日(水)、65番三角寺から66番雲辺寺へ向かう途中、
1日回り道して別格霊場15番箸蔵寺へ参拝しました。

 寺は標高540mの山上にあり、下の橋蔵の町外れからの
ロープウェイもありますが、東側をたどるへんろ道を上がり下り
しました。そのへんろ道には1丁ごとの町石が残っています。

 これは2丁目の町石です。
 
 この日は、歩き遍路に人気の宿・雲辺寺への上り口にある
民宿岡田に泊まりました。

 翌朝、四国遍路で最高地、標高910mにある66番雲辺
寺を目指します。

 民宿岡田を出て、徳島自動車道下をくぐって、急登のへんろ
道にかかるあたりにあった標識です。 

 雲辺寺から北に下って、別格霊場16番萩原寺を回り、67番
大興寺へ向かいました。

 大興寺の門前に立つお地蔵さんの台座に、「へんろ道」と記さ
れています。

 3月2日(金)朝、70番本山寺にお参りし、11km先の71番
弥谷寺へ向かいます。弥谷寺へ2kmあまりに近づき、県道
220号から分かれて間もなくの交差点にあった古い標石です。


 3月4日(日)、連泊した75番善通寺の宿坊を出て、76番
金倉寺へ向かう道筋、電柱に貼られたへんろ道の標識です。


 翌日、高松市内に入り、前日参拝した80番国分寺を抜け、
81番白峰寺への山道を上がり、標高380mほどの稜線上
を走る県道に上がりました。

 県道への上がり口に立つ「四国のみち」の道標と、へんろみち
保存協力会のへんろ道標識。

 81番白峰寺まで8丁のところに、古い標石が立っていました。


 白峰寺から82番根香寺へは約5km。林間の気持ちよい
へんろ道が続き、道中には町石が幾つも残っていました。

 二つ並んだ町石は、白峰寺と根香寺への距離を示し、24丁
と29丁石です。 

  3月7日(水)、いよいよ88番大窪寺への結願(けちがん)
の日。

 87番長尾寺を経て、前山ダム南岸にある「前山おへんろ交流
サロン」に寄り、最後の難所、女体山(774m)に向かいます。

 簡易舗装の車道に分かれ、山道へかかるところに立つ「四国
のみち」の標柱。

 一度車道に出て少し進み、女体山への最後の上り道にかかり
ます。

 その山道への上り口に立つ標識です。

 女体山へ上がり、北方の展望を楽しんだ後、88番大窪寺
への最後の下り道には、何か所か「結願」を祝う札が下がっ
ていました。


 結願の翌日、出発した1番霊山寺へ向かいます。湊川沿いの
車道を下り、黒川温泉の先で、さらに川沿いに進む国道377号
経由の近道と、初回に回った総奥の院與田寺への分岐になる
池のそばに立つ標識です。


 その日(3月8日)の午後、香川県と徳島県境の大坂峠(380m)
を越えました。

 峠の近くに立つ「四国のみち」の標識です。

 この日は、3番金泉寺に近いJR高徳線・板野駅前にある
旅館に泊まり、翌日午前、1番霊山寺に戻り、四国遍路一周
の輪を結びました。

 というわけで、「四国遍路道の道しるべ」は終わりました。
引き続き、カテゴリー「四国遍路あれこれ」を続けたいと思い
ますが、次のテーマは未定です。
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四国遍路道の道しるべ(5)

2007-06-25 23:33:35 | 四国遍路あれこれ
 45番岩屋寺と44番大宝寺のお参りを済ませ、国道33号を
緩やかに上がり、久万高原町の北端、三坂峠に向かいます。

 国道の三坂峠バス停横にある、46番浄瑠璃寺や47番八坂寺
に向かってのへんろ道である旧道の土佐街道への案内板です。

 少し先、三坂峠から土佐街道への下り口付近にある標識。

 この先、杉木立などの林間を、幅広い土の道で下ります。
途中、木立が途切れたところからは、はるかに松山市街が望見
できます。 

 松山市内に入って47番八坂寺を過ぎ、松山自動車道下を通
過します。県道40号から48番西林寺への遍路道の分岐にある
番外霊場つるべ井戸の横に、中務(なかつかさ)茂兵衛133度
目の遍路で奉納した標石が立っていました。


 51番石手寺を参拝し、県道40号を進みます。県道184号との
交差点には、中務茂兵衛が100度目の遍路で奉納した遍路石が
ありました。


 2月23日(金)朝、前日朝の53番円明寺(えんみょうじ)
から1日がかりで歩き、4km余り先の54番延命寺(えんめい
じ)へ向かいます。

 今治市のJR大西駅に近い三差路にある標識。ここを右折して
間もなく国道196号に入ります。朝の通勤時間で、車の交通量
の多いところでした。

 その日の正午過ぎ、56番泰山寺で昼食を済ませ、57番永福
寺へ向かいます。泰山寺近く、車道から民家の間の狭い遍路道
への入口に立つ古い道しるべ。


 57番永福寺の参拝を済ませ、犬塚池の横を58番仙遊寺に
向かって上がって行きます。山間の遍路道に下がる遍路標識
の幾つか。


 62番宝寿寺のそばに、60番横峰寺、61番香園寺、63番
吉祥寺など、周辺にある札所への標石が並んでいました。


 2月25日(日)、62番近くの旅館を出て、標高745mの
山上にある60番横峰寺へ向かいます。

 61番香園寺奥の院からのへんろ道に上がり、さらに続く上り
坂に下がる遍路札。

 少し上の標高450m付近、杉木立の下に並ぶ標識。


 さらに10分ほど上がると、60番横峰寺まで3kmの標識
が立っています。標高差は200mほどあり、あと1時間余り
かかりました。


 山道を上がり、ようやく下り道とした東側の黒瀬湖への林道に
出ました。60番横峰寺へは左へ、参拝後、黒瀬湖方面へは右
の舗装した林道を下りました。


 2月27日(火)朝、伊予三島市街のビジネス旅館を出発し、
愛媛県最後の札所、65番三角寺へ向かいました。

 松山自動車道の南側側道沿いに立つ、石屋根付きの古い遍路
標石。なかなか趣がありますが、こういうのは余り見かけません
でした。                 (続く)
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日本ウオーキング学会研究発表会

2007-06-24 23:16:28 | ウオーキング
 今日午前、東京・早稲田大学の国際会議場第1会議室で行わ
れた、日本ウオーキング学会の一般研究発表会に出かけました。

 昨年、一昨年、私も一緒に英国・コッツウオルド・ウェイのウオ
ーキングに参加した、大阪市のHさんと千葉県船橋市のSさんが、
発表されたからです。

 Hさんは、昨年、一昨年もコッツウオルズ地方をテーマにして
発表をされており、今年で3回目です。

 今回は、「英国で一番美しい街や村々-コッツウオルズを歩く
スタデイツアー-Part3」でした。

 Sさんは、2つのテーマで発表されました。

 最初は、「コッツウオルドウェイの魅力の分析」で、下のスライド
で示した4つの魅力などについての報告。


 次ぎは、昨年春、中山道を歩いたウオーカーを対照に調査した
「長距離歩行における歩行環境の好みに関する調査」でした。

 ほかに、日本ウオーキング協会会員で毎年発表されている水戸
市のKさんや金沢市のOさん、早稲田大や筑波大、東京学芸大
などの学生や教授の方々の発表がありました。

 金沢市のOさんは、加賀藩がかつて金沢と江戸を往復した参勤
交代の道のり約480kmを、図書館の資料などで調べ、なるべく
忠実に再現して歩こうと、4月5日から6月2日まで、自宅や宿まで
戻っては歩き、29日間で東京・日本橋へ到着したことなどを発表
されました。

 お年は85歳とのことですが、とてもそうは見えない若々しいお顔
や体型です。自分が同じ歳になってもこのような歩きが出来るだろ
うかと、考えさせられるとともに、目標にしたいと思いました。

 最後に発表された、神戸常盤短大のY教授の、兵庫県明石市で
行われている元気高齢者いきいき大学の取り組みも、なかなか
興味ある内容でした。


 この研究発表会には、コッツウオルド・ウェイのウオーキングの
隊長・やまさんと、同じく参加者である茅ヶ崎市のIさんもかけつけ、
昨年、一昨年のメンバーが1年ぶりに揃い、昼食をともにした後、
散会しました。




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四国遍路道の道しるべ(4)

2007-06-23 19:41:48 | 四国遍路あれこれ
 愛媛県に入った四国遍路2回目の旅、前半の行程も残り少
なくなってきました。

 2006年12月5日(火)、41番龍光寺へ向かいます。
1710mある国道56号の松尾トンネル経由は避け、旧道の
松尾トンネルを抜けました。

 真珠貝砕石工場の先から、復元された新しいへんろ道を下
ります。その復元に尽力されたのが、この、「てんやわんや
王国へんろみち保存協力会」の方々のようです。

 同じ日、宇和島市の中心街を抜け、JR予讃線に並行する県
道57号を、42番仏木寺へ向かいました。

 JR務田駅まで1.5km足らずのところに立つ、中務(なかつ
かさ)茂兵衛が229度目の遍路で奉納した石の道標。
 
 中務茂兵衛は、明治、大正時代に四国遍路を280回もして、
高松市で亡くなりました。

 茂兵衛は、88回目の遍路を機に、自ら発願主となって施主を
募る方法で、石の道標の建立を進め、現在も230余基残って
いるということです。

 翌12月6日、42番仏木寺近くの民宿から葉長峠(480m)を
超えて、43番明石寺へ向かいます。

 県道31号から土道の遍路道への入り口に立つ標識です。

 葉長峠へ向かう道の最も急坂にはくさりがついていて、この
ような標識がありました。


 宇和高方面からの遍路道から、43番明石寺の長い参道へ
の入り口に立つ、中務茂兵衛奉納の256度石。

 「明石寺2丁」と記されています。

 43番明石寺の参拝を終え、西予市と大洲市の市境の鳥坂峠
(とさかとうげ)(470m)越えの道に上がります。

 峠の先に、日天社という小さい社があります。峠付近に立つ
少し先の日天社への標識。

 この日、JR大洲駅に近い旅館に泊まり、翌12月7日、内子
駅まで歩いて、前半の区切りとしました。

 後半の遍路は今春2007年2月18日(日)から。初日、内子
町突合の国道379号と380号との分岐にある車遍路用標識。

 初回は、橋の先を左へ、国道379号経由だったので、今回は
右の国道380号に入り、農祖峠(のうそのとう)経由のルートを
選びました。

 2月19日(月)朝、国道380号を内子町最後の集落、大平に
進みます。三島神社付近に立つ、平成遍路石とへんろ道保存
協力会の標識。


 国道380号を離れ、県道42号経由、農祖峠へ向かいます。
国道から、県道へ向かう旧道の分岐にあったもの。


 県道から分かれ、農祖峠へのへんろ道に入り、しばらくは車も
通れる幅広い道。この先、農祖峠への最後の上りは山道です。


 峠を下った下野尻の集落の先で、44番大宝寺と45番岩屋寺
との最後の分岐点に立つ平成遍路石。

 右の道を岩屋寺へ向かいました。 

 45番岩屋寺への最後の集落・槙谷の素鵞神社の先から、八丁
坂へ向かって上がります。

 標高730mのこの八丁坂上の分岐には、小さいベンチがあり
ました。この先、気持ちよい稜線を進んで、岩屋寺へ下ります。 
                  (続く)
 
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四国遍路道の道しるべ(3)

2007-06-22 22:29:33 | 四国遍路あれこれ
 今日は夏至で一番昼間の時間が長いはずなのに、戻り梅雨
のため17時前に薄暗くなってしまいました。

 でも、梅雨入りの14日以降、首都圏では全然降雨がなかっ
たので、畑の作物や庭の木々には、よいおしめりとなりました。

 中断していた、「四国遍路道の道しるべ」の続きです。

==========================

 2006年11月29日(水)、足摺岬の38番金剛福寺に近い
へんろ道の、木の枝に下がっていた「遍路道」の札。


 12月1日(金)、38番金剛福寺から39番延光寺への複数
ルートの中で、一番遠い大月経由の道に向かいました。

 大月町大浦の集落外れから、月山神社への遍路道に上が
って行きます。その上がり口にあった標識です。


 同じ場所にあった、月山神社までの距離を示した標識。
この道すじには、多くの遍路標識がつけられていました。


 同じ遍路道の途中にあった、月山神社への道標。

 これらは、地元の大月へんろみち保存会が設置したもの。

 上がり口にも記されていましたが、この道すじには、1丁
(約109m)ごとに、古くからの町石(ちょういし)も残って
います。

 これは4丁目を示す町石です。

 番外霊場の月山(つきやま)神社を過ぎ、車道から分かれて
上がる大月へんろ道は、初回の遍路の際に40番観自在寺で
お会いし、現在奈良県在住の山下さんが、地元の古い資料から
見つけだし、地元の方々のご尽力で復元したもの。

 そのへんろ道の復元に努めた、大月へんろみち保存会の
標識です。

 大月へんろ道を上がり、太平洋を眺める展望台を過ぎ、
暖帯林を石ころの多い浜辺に向かって下って行きます。

 下り道に下がっていた標識です。

 浜へ出るところにある標識。正面の明るいところが石ころ
のごろごろした浜辺です。

 ごろごろした石の累積する浜辺を少しだけ歩いて、上の
車道に上がります。


 寒かった12月3日(日)、高知最西端の宿毛(すくも)市
郊外から県境の松尾峠に向かいました。

 宿毛市最後の集落、大深浦集落に立つ、40番観自在寺への
道筋を示す平成遍路石と、へんろみち保存協力会のへんろ札。 

 松尾峠への上り道の途中に立つ、宿毛警察署で立てた、峠ま
で900mを示す道標です。

 車の通らぬへんろ道ですが、「交通ルールを守りましょう」とも
記されています。

 松尾峠に上って愛媛県に入りました。気持ちよい下り道のカー
ブ点に立つ「四国のみち」の道標。

 左にあるのは、上り口で借用して上がってきたが、不要になっ
て返された杖を保管する「杖立て」です。

 40番観自在寺にお参りした翌日の12月4日(月)、次の峠越
えとなる柏坂遍路道の上部にある、番外霊場・清水大師近くに
あった標識。

 「時と金かけて歩くは遍路道」と記されています。(続く)
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府中市郷土の森博物館「宮本常一の足跡」へ

2007-06-21 12:34:45 | Weblog
 おととい、6月19日(火)、東京・府中市にある「府中市郷土
の森博物館」へ行ってきました。



 JR武蔵野線の始発駅・府中本町駅で下車し、下川原緑道と
呼ぶ自転車と歩行者の専用道で、博物館に向かいます。

 「府中市の木」はケヤキ、緑道にもケヤキが並んでいます。

 中央自動車道下を過ぎると住宅が少なくなり、あぜにタチアオ
イの咲く田んぼも現れ、左手にはサントリー武蔵野ビール工場
の大きな建物が見えてきます。

 ビールシーズンも近づきました。郷土の森博物館入り口から
も、サントリービール工場行きの無料バス乗り場があり、2人
以上で申し込めば見学出来るようです。

 突き当たりの広大な緑の一角が「府中市郷土の森」で、その
南側は多摩川左岸に面しています。

 今日の目的は、この一角にある博物館で開催中の、特別展
「宮本常一の足跡」の観覧です。

 宮本常一(みやもとつねいち)は、明治40年(1907)に山口
県周防大島(すおうおおしま)に生まれ、昭和初期から全国を
歩きながら民族調査をしたばかりでなく、山村や離島の振興、
民族芸能の復興などに尽力し、数多くの著作を残しました。

 彼の歩いた距離は、地球4周分の約16万㎞に及ぶとのこと
です。

 昭和36年(1961)年から1981年に亡くなるまでの20年間、
この府中市に住み、市史編さんなどの調査も主導したようです。

 今年は、宮本生誕100年の節目であることから、彼の生涯の
業績を紹介することになり、この特別展が開催されました。

 会場には、膨大な宮本の出版物や原稿、交流した人たちとの
手紙、自身で撮影した、いまとなっては貴重な写真の数々など
が展示されていました。

 また、50分に及ぶ彼の生涯を紹介した映像が上映されてい
て、日本のすみずみまで歩いた「旅する民俗学者の」の、多方
面にわたる業績を知ることが出来ました。

 前述したように、民俗学者としての調査だけでなく、日本の
農林業振興、離島振興、芸能振興などにも務めたことが特筆
され、佐渡の鬼太鼓座(おんでこざ)の結成にも、宮本の力が
大きかったようです。

 この特別展は、7月1日(日)まで開催されていますので、
宮本常一に興味のある方は、ぜひお越しください(月曜休館)。

 観覧料は常設会場を含め、大人200円です。

 常設展示室も観覧しましたが、武蔵国府、甲州街道、宿場
町、くらやみ祭りなど、府中の歴史や民族をはじめ、多摩川
や雑木林などの自然を含め、ゆったりとした空間で紹介され
ていて、なかなか見応えがありました。

 ゆっくり観覧して13時半を過ぎてしまったので、館内の食堂
で昼食を済ませました。

 その後は、郷土の森で開催中の「あじさいまつり」も見ること
にしました。

 緑が豊富な郷土の森には、府中市にあった古い民家や公共
施設などが何棟か移築されています。

 これは、明治5年(1872)から22年まで、府中郵便取扱所
だった旧矢島家の居宅の一部を復元したもの。

  
 隣は、東京都有形文化財に指定されている旧府中町役場
庁舎。大正10年(1921)完成の洋風の町役場です。


 これらの建物の間に、たくさんのアジサイが花を競っています。


 こちらは明治21年(1888)完成の蔵造りの商家・旧島田家
住宅。

 屋根下を含め、すべてが厚い土壁で覆われた、厳重な防火
建築です。

 かやぶき屋根のこの家は、「ハケ」と呼ぶ立川段丘の上にあ
った旧河内家住宅。

 河地家は、麦などの畑作や養蚕をいとなんでいたようです。

 このかやぶき屋根の家は、「ハケ下」にあった農家、旧越智
(おち)家住宅。

 立川段丘下に広がっていた水田地帯の農家で、稲作を中心
に、畑作や養蚕を営んでいた越智家の母屋(おもや)でした。

 かつて武蔵野地方に広く見られた水車を復元したもの。

 小屋の内部には、石臼(いしうす)1基、堅杵(かたぎね)3基
が備えられています。


 園内一帯には約30種、1万株のあじさいが、ほぼ見ごろで
した。


 北向きの斜面にはこんな滝もあり、近くの低地には昔の風情
のままの田んぼも見られました。


 蒸し暑くなったもとの道を府中本町駅まで戻り、駅前でアイス
クリームを買ってのどを潤し、帰路につきました。


 
 
 
 

 



 

コメント (1)
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