あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

開業100年記念「東京駅100年の記憶」展を見る

2014-12-26 17:56:39 | 鉄道
 2014年12月25日(木)

 東京駅開業100年から5日目の今日は、東京駅丸の内北口にある「東京ステーション
ギャラリー」で開催中の「東京駅100年の記憶」という展覧会を鑑賞しました。

 この入場券は、JR東日本の「大人の休日倶楽部」で募集した招待券が当選して送られ
てきたたもの。通常の入場料は900円です。
    

    
 こちら↑は、この展覧会のリーフレット。上の写真は、1911年の宮内幸太郎氏作品
「東京駅中央停車場建築」と呼ぶ写真の部分です。


 東京ステーションギャラリーの入口。東京駅丸の内北口改札を出て、右手すぐのところ。



 入口を入った1階は受付のあるエントランス部分とロッカールーム、それに化粧室だけ
で、展示室はエレベーターで上がった3階と2階です。

 まず3階の展示室へ。展示室内は撮影禁止ですが、3階の展示室の中の木製のジオラマ
だけは撮影可能でした。これは、開業当時の1914年の東京駅とその周辺の模様。

 駅周辺にはまだなんの建物も無く、北東の所に幾つかの官公庁の建物があるだけだった
ようです。

 50年後の1964年の東京駅と丸の内側ビル群の模様。

 東京オリンピック開催当時ですが、周辺の建物の高さは31m以内に制限されていた頃
でした。南口(左)すぐは東京中央郵便局、北口(右)を出たところは国鉄本社ビル、正
面は丸ビル(左)と新丸ビル(右)です。年配の方は記憶に残っておられることでしょう。

 そして2014年、現在の超高層ビル群と、2年前に開業当時の姿に復元された東京駅。


 30分ごとだったかに室内照明が暗くなり、1914年と1964年のジオラマに照明
が点灯されます。こちらは1964年当時のジオラマ。


 3階の展示室ではほかに、設計した辰野金吾博士の作品集図絵、年代により変わる丸の
内の空中写真、関東大震災直後の東京駅周辺や戦後の東京駅周辺の空中写真、画家による
東京駅や周辺の建物の絵、中央停車場(東京駅)建物建築図、東京駅のトピックを告げる
新聞紙面、戦後の復旧工事中の東京駅周辺の写真などが展示され、映像上映もありました。

 3階の展示を観覧後、階段を下りて2階に向かいます。天井から吊された優雅な照明。
     

 3階から2階への階段周辺のレンガ壁はむき出しになっていて、国の重要文化財になっ
ているレンガ壁の一部が間近に見られます。

 レンガが白っぽく感じられるのは、もともとは漆喰(しっくい)が塗られていたようで、
漆喰が食いつきやすいようにするため、レンガの表面には傷(削り跡)がついていました。
    
 鉄骨も見えますが、丸の内駅舎は鉄骨煉瓦造りで、約3100トンの鉄骨が使用されて
いるとか。また、黒く見えるのは「木(もく)レンガ」で、腰壁などを固定するために、
そのネジやクギを受ける木製のレンガが1945年5月25日の空襲で焼けて、炭化した
ため黒くなっているとのことです。

 途中の窓からは駅前広場が望まれます。こちらは超高層化された丸ビル周辺。
     

 南側の、やはり超高層化された「きって」と呼ぶビルなど。左下の部分の東京中央郵便
局は、以前の姿で外壁などが残されています。


 2階の展示室でも、画家による東京駅の絵画とか、ラッシュアワーの写真、東京駅を描
いた図書などの原画や雑誌の付録、東京駅で狙撃された原首相、濱口首相や新幹線開業を
告げる新聞紙面など、東京駅100年にちなむ興味ある展示がたくさんありました。

 冒頭の展覧会のリーフレットの裏面にあった絵画の一部を以下に幾つか。

 吉田初三郎の描いた東京駅(「東京旅行案内」1924年)

    
     「東京駅と美人」(山川秀峰1942年)


 林唯一の「少年帝都復興双六」(「日本少年」1924年1月号)

     
      恩地孝四郎「東京駅」(「新東京百景」より、1931年)

 1時間あまり観覧して2階の展示室を出ると、丸の内北口ドームを一巡できる回廊にな
っていました。


 回廊から見下ろす丸の内北口1階の床面など。床にこんな模様があったとは…。


 少し上、目の高さくらいにカメラを向けてみます。


 見下ろした丸の内北口改札口。


 大手町方面出口。大手町に職場があった頃は、現在の東京メトロ丸ノ内線の大手町駅か
ら通勤していましたが、市内出張の行き帰りなどの際にはよくこの出口を利用しました。


 皇居方面への出口。


 回廊を回り、1階の受付ギャララリー上部にあるミュージアムショップを通過します。
        

 東京駅にちなむ図書や、関連の品物がたくさん並んでいました。


 ギャラリーからまた階段を下って、1階に下りて行きます。この壁面も煉瓦がむき出し
になっていました。




    

 
 東京ステーションギャラリーを出て、もう一度見上げる丸の内北口ドーム。
     

 2年前復元を終えた、穏やかな彩りのドーム天井の彩り。


 この後、八重洲地下街で昼食を済ませ、次の予定の銀座の伊東屋と小川町の東京都ウ
オーキング協会に歩いて回り、東京メトロ御茶ノ水駅から帰路につきました。

 なお、この展覧会は2015年3月1日(日)まで開催されています。




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続カタツムリ歩行で南浦和駅の南西側を歩く(埼玉)

2014-12-22 17:02:53 | カタツムリ歩行
 2014年12月21日(日)

 武蔵野線とその周辺を歩き続けている「続カタツムリ歩行」の、20回目の例会に参加
した。

 集合はJR武蔵野線と京浜東北線が交差する南浦和駅。今年最後ということからか、参
加者はいつもより多い。私は今回は一人で歩くことにして、10時ちょうどに駅を出た。


 武蔵野線の北側に出て最初に、京浜東北線のホームからいつも見ていた南本町二丁目の
宝性寺へ。線路際のT字路に、移設してまとめららしい4基の庚申塔が並んでいる。
    
 年号を見ると、享保20年(1735)、文政8年(1825)など、何れも江戸時代
のもの。

 墓地はかなり広いが本堂はそう大きくはない。足立観音霊場の第74番、足立坂東三十
三か所第10番などの札所である。


 本堂前に、7つのお地蔵さんを祭る地蔵堂があった。


 寺の背後の通りを少し西進すると民家の庭に大きなキンカンがあり、たくさん実がつい
ていた。
     

 神明一丁目から段丘を下って二丁目へと進み、少しの斜面にある阿弥陀堂に入る。


 本堂の左手前、斜面を背にして元文5年(1740)と寛文8年(1668)銘の地蔵
さんが並んでいた。
        

 南下してJR武蔵野線の下を抜けて根岸四丁目に回ると、根岸薬師堂がある。

 堂内では法事が行われていた。

 薬師堂の背後には、江戸時代の年号が刻まれた石仏がたくさん集められていた。

 年号を幾つか拾ってみると、明和6年(1769)、安永7年(1778)、享保18
年(1733)、元文2年(1737)、宝暦10年(1760)、寛政6年(1794)
などと刻まれている。

 左は享保16年(1731)、右は延享5年(1748)と読める。

 270年~280年位前のものだが、現在住宅地になっているこの辺りは、当時どんな
農村だったのだろうか…。

 薬師堂の右手には、9体のお地蔵さんの並ぶ地蔵堂がある。

 今日巡っているお寺には、どこも複数のお地蔵さんが並んでいることに気付いた。この
先の寺院はどうなんだろう…。

 道路を挟んだ東側は神明神社。


 社殿左手には小さい社殿が3つあり、稲荷神社や八幡神社、天満宮などの摂社が祭られ、
背後や境内西側には10数本のカシが高く伸びていた。
     

     
 南側の通りに出ると「おせんべいやさん本舗」というせんべい店があり、先に来た女性
数人のメンバーが、それぞれお気入りのせんべいを買っていた。
    

 少し先、通りの南側の常生寺は、一見寺院とは見られぬ近代的な造り。写真を撮ってい
たら寺の人がそばに来て、「13時からご住職の講話があるからどうぞ」と誘われた。



 県道213号を横断して根岸五丁目へ。次の交差点際の和菓子の「きくや」には、なぜ
かキリンのおもちゃが客を待っていた。
     

 さらに2つ目の交差点を左折して、旧中山道の国道17号を歩道橋で越える。歩道橋か
らの江戸(東京)方面の眺め。
     

 南側には、眼下に白幡観音堂が見下ろせる。


 開放的な境内の一角に、「朧夜(おぼろよ)や 花盗る陰の 人は誰」という句碑が立ち、
横にその解説碑文もあった。
     

 句碑に並んで、7地蔵が立っている。


 中山道の南側住宅地を白幡四丁目から辻三丁目へと進み、和光院の山門を入る。

 今日回った寺院では、境内が一番広く本堂も一番大きかった。


 山門を入った右手には、6地蔵が並んでいた。



 辻三丁目と東側の辻二丁目の境を走る通りに接して萬蔵寺があり、ここにも地蔵堂に6
地蔵が祭られている。



 萬蔵寺の背後には「六辻水辺公園」と呼ぶ小さい流れに沿った遊歩道が走り、道路際に
は平成3年(1991)2月に描いた、当時の浦和市辻小学校5年生のタイルが画埋め込
まれていた。
     

 遊歩道を少しで東側の通りに入り、南東に進んで通りの東側に回り込み、今日最後の寺
院、吉祥院へ。本堂は民家風で小さめ。


 ここにもやはり地蔵堂があり、6地蔵が祭られていた。

 今日巡ったすべての寺院に6地蔵など複数のお地蔵さんが祭られていたことが分かり、
この地に残る古くからの地蔵信仰の厚いことが知れる。


 通りの西側に今日のゴール、辻熊野神社がある。12時ちょうどに入ると、社殿の手前
の辻公会堂の広場では餅つきが行われていて、近くの子どもたちがたくさん集まり、高学
年の児童も交代できねを握ってついていた。


 広場の奥に祭られていた熊野神社の社殿は小さめ。でも、「辻のおくまんさま」と呼ば
れ、昔から地元の人々の信仰が厚かったという。


 餅つきに支障の無い奥の広場で昼食後、今年最後の記念写真の撮影とミーティング。


 その後は12月例会恒例、事務局のDさんが用意してくれた景品を、今年の参加回数順
に希望の品物がもらえる。シートに広げられた景品の山。


 今年10回開催されたの例会にパーフェクト参加されたのは、東所沢のOさんただひと
り。私は1回休んで9回の参加だった。

 13時過ぎに散会となり、私は寄り道もせずに西北に進み、JR武蔵野線と埼京線との
交差駅、武蔵浦和駅に13時28分に着き、3分後の武蔵野線府中本町行きに乗る。

(天気 晴、距離 4㎞(武蔵浦和まで6㎞)、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地
 さいたま市南区、歩数(武蔵浦和まで) 12,100)





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西武鉄道の「さよなら銀河鉄道999デザイン電車イベント」と記念乗車券

2014-12-21 18:49:01 | 鉄道
 2014年12月20日(土)午後

 東京駅開業100周年の今日は、首都圏の鉄道ではもう一つ、記念イベントがありま
した。

 私のいつも利用している西武鉄道で、2009年5月から運行していた「銀河鉄道
999デザイン電車」(3000系車両3011編成)が、この12月で終了すること
に伴う催しです。

 そのひとつ「さよなら銀河鉄道999デザイン電車イベント」が、西武狭山線の終点、
西球場前駅で11時から15時まで開催され、あわせて記念乗車券も発売されるという
ので、東京駅からの帰路、13時30分頃西武球場前駅に行きました。

 まずは、改札口を出てすぐのところでの「さよなら銀河鉄道999デザイン電車記念
乗車券」の限定販売をしていたので、少しだけ並んで購入しました(1組1,000円)


 この記念乗車券は、西武球場前駅での「通常版」と、原作者松本零士さんがお住まい
の最寄り駅大泉学園駅で発売の「大泉学園版」の2種類で、発売枚数はこの電車の編成
である3011編成にちなんで、それぞれ3,011枚セットの限定発売です。

 入手した通常版の台紙


 台紙の中は3つ折りになっていて、最初に松本零士さんのメッセージが。


 その下に4枚の記念きっぷが挿入されています。きっぷの文字は、松本零士さんのデ
ザイン。


 最後の折り込みにはデザイン電車の写真が。


 記念乗車券はゲットできたので、西武球場駅構内の3番線から6番線までで行われて
いる「さよなら銀河鉄道999デザイン電車イベント」コーナーに回ります。

 ここに入るには、改札より北側の臨時改札口から、下のような記念カードをもらって
入場しました。
      

 ここでは、銀河鉄道999デザイン電車(8両編成)と、西武多摩川線で運用されて
いる白塗りの101系1253編成(4両編成)が14時30分まで展示されていて、
記念撮影が出来るようになっているのです。


 銀河鉄道999デザイン電車の改札口側(下り方向)の先頭車。




 この編成では、パンタグラフは6個使用しています。


 西所沢側(上り方向)の先頭車に向かって撮って行きました。






 途中の車両内には、銀河鉄道の車掌さんも。




 西所沢側の先頭車と101系(右)とが並んでいます。


 撮っているうちに1番線ホームに、今日から運行を開始した「映画 妖怪ウオッチ誕生
の秘密だニャン!」公開記念の妖怪ウオッチラッピング電車が到着しました。


 このラッピング電車は20000系20158編成(8両)で、2015年2月15日
(日)まで運行されるようです。

 また、これにちなんだ西武線親子1日ふりーきっぷセット(1,500円)も、池袋、
練馬、所沢、西武新宿、田無、本川越、国分寺の各駅から発売されています。

 そちらの車両も撮ってみます。






 妖怪ウオッチ電車の下り側先頭車。


 次に、多摩川線の101系電車のホームに回ります。下り側先頭車。


 上り側先頭車。




 銀河鉄道999デザイン電車の、ホーム側でない方の塗色。




 イベント会場入り口付近には西武鉄道のグッズ売り場もあり、売り切れになった物も何
品か見られました。
    

 14時30分から15時まで、松本零士さんと久野加美さんの司会による「さよならセ
レモニー」が開催されるようですが、待っているのも寒いので、14時過ぎの西所沢行き
上り電車に乗りました。




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「東京駅開業100周年記念Suica」を買いに行ったが…

2014-12-20 18:46:17 | 鉄道
 2014年12月20日(土)

 今日は、大正3年(1914年)12月20日に東京駅が開業してから、100周年の
記念日です。

 東京駅開業100周年を記念して、東京駅では今月に入りいろいろなイベントが開催さ
れていますが、今日は「東京駅開業100周年記念Suica」を発売するというので、出かける
ことにしました。

 発売枚数は15,000枚もあるというので、今日中には売り切れないだろうと思い、
12時半頃に東京駅に着き、発売所の丸の内南口に向かいました。

 ところがすでに発売中止のアナウンスが流れていて、混雑のため9時40分に発売を中
止したとのこと。

 それではあわてても仕方ないと、丸の内中央口付近にある開業100周年記念のパネル
などを眺めて回りました。


    

    

 東京駅100年の年表


 ほぼ1か月前の11月21日にも見た、『「東京駅100年」思い出の写真展』も続い
ています。




 近くに中央線の1,2番線に上がるエスカレーターがあったので思い出し、1番線ホー
ムの中ほどにある0㎞ポストを見に行きました。
    
    ここが中央本線の距離の基準点です。

 東京駅にはほかに、東海道線や東海道新幹線、東北上越新幹線などの0㎞ポストもある
ようですが、今日はこの一つだけにしました。

 再び丸の内口のコンコースに戻ると、昨日1日だけ記念運行したブルートレイン寝台特
急「富士」の出発式に使用したプレートも展示されていました。


 この臨時列車は伊東駅まででしたから、寝台で寝る時間はなかったことでしょう。
    

 近くに残る100年前のレンガ積みの壁面。


    

 さて、肝心の記念Suicaが発売された丸の内南口に行ってみたら、まだかなりの人がい
て、駅員に尋ねたり苦情を言ったりしている人もいました。


 そんな騒ぎは知らぬように、いつものように人々の上を覆う丸の内南口の天井ドーム。


 帰宅してから見た「NHKオンライン」のニュースによれば、「午前8時から発売しよ
うとしたところ、少なくとも9000人が殺到したため、発売開始をおよそ1時間繰り上
げたが構内の混雑が続き、JRが安全が確保できないなどとして、Suicaの発売を午
前9時40分に中止したところ、これに納得がいかない人たちがJRの職員に詰め寄るな
ど、一時、大混乱になった」ようです。

 構内放送では、おわびとともに近くいずれかの方法で再発売すると伝えていたので、そ
の機会には購入したいものです。

 混乱の続きで、丸の内南口改札は12時近くになってもフリーパスになっていたので、
一度改札を出てドームを見上げたりした後、再び改札を入って中央口に向かいました。

 コンコースには、記念撮影コーナーも。


 別の記念パネルも幾つか。


    

 丸の内中央口改札付近の新幹線発車時刻の表示パネル。時間通り発車しているよう。


 丸の内中央口から駅前広場に出て見た駅舎。




 記念撮影によく使われる駅名標。


 中央口そばの駅長室の玄関前には人だかりが。記念Suicaを買えなかった人が、駅長の
説明を聞こうと訪ねたのでしょうか…


 とにかく今日は記念Suicaは買えないので、丸の内北口から山手線で帰ることにしました。




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東京駅開業100周年記念「東京駅~日本橋 百年散策」へ

2014-12-18 22:26:10 | Weblog
 2014年12月18日(木)

 一昨日夜とれた奥歯の金冠の治療に品川の歯科医院まで出かけ、その帰路に、東京駅開
業100周年記念の催しの一つである『あるこう!東京駅~日本橋 百年散策』に参加する
ことにしました。

 スタート地は、JR東日本東京駅の八重洲中央みどりの窓口に設けられた「100周年
おもてなしカウンター」。
    

    
 ここで散策用のマップ↑と、散策先でもらえる記念レプリカ硬券を入れる、東京駅丸の
内駅舎の形をし記念台紙、それに入れる最初の東京駅分のレプリカ硬券をもらいます。


    
 マップの中には、現在の東京駅から日本橋までのルートマップと、100年前の同じエ
リアのマップが織り込まれていました。
        

 最初のポイントは、歩いて1分ほどの東京駅八重洲北口際の大丸東京店。


 1階の店内ご案内所に行き、2つ目のレプリカ硬券をもらいました。


 どこかで昼食をと思い、地下1階へ。いつも賑わう大丸の地下売り場。


 地下街の各商店は、クリスマス飾りがつけられていました。


 八重洲地下街中央部のクリスマス飾り。


 地下街北端の飾り付け。


 北端から地上に出て、今はすっかり葉の落ちたソメイヨシノの並木が続くさくら通りへ。


 さくら通りの東端で中央通に出て、次のポイント日本橋高島屋に入ります。

 この建物は、国の登録有権文化財です。

 正面玄関から入ると、東京駅開業100周年記念の駅名パネルが。
    

 高島屋でも、クリスマスの飾り付けが施されていました。
  

 そしてミニメリーゴーランドもあり、12月25日まで利用できるよう。
     

 1階の正面インフォメーションで記念レプリカ硬券をもらい、中央通を日本橋に向かい
ます。

 近くで、日本橋二丁目地区北地区再開発により35階建ての超高層ビルを建設中。その
工事用壁面に、古い日本橋の風景画が幾つか並んでいました。




 お江戸日本橋で知られる日本橋の南西側橋際には、国指定重要文化財になっている日本
橋の説明板などが設けられています。


 首都高速道路に覆われた日本橋中央部の塔。景観上などで評判の悪い首都高の地下化も
噂されているようですが、実現できるのでしょうか。
    

 日本橋を渡った北西側には、日本の道路距離の基準となる道路元標が立っています。
    

         

 ここが道路距離測定の基準点のよう。
 

 3つめのポイント、日本橋三越本店の本館1階、ライオン口に入りました。


 1階のきらびやかな売り場。


 ここ1階ライオン口案内所で、4つめの記念レプリカ硬券を入手しました。
  

 最後は、中央通を挟んですぐのコレド室町1ビルへ。

 
  
  地下1階の日本橋案内所で、最後の記念硬券レプリカをもらいました。
     

         

 東京駅に戻ることにして、中央通よりひとつ西側の通りから向かいます。本石町一丁目
交差点付近に残る黄葉のイチョウ並木。


 東京駅に戻り、八重洲中央口からJR山手線で池袋に向かいました。


 集めて来た記念レプリカを記念台紙に保管したもの


  

        

 なお、この催しは、東京駅開業100周年当日の12月20日(土)までです。




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印西市郊外の集落や田園地帯をカントリーウオーク(千葉)

2014-12-15 21:29:05 | カントリーウオーク
 2014年12月14日(日)

 衆議院議員選挙投票日ながら、日本海側や西日本などは大雪という今日、カントリーウ
オークグループの第219回例会の開催地、印西市(いんざいし)周辺は、風も無く穏や
かな快晴に恵まれた。


 集合は北総鉄道の終点、印旛(いんば)日本医大駅(線路はさらに成田スカイアクセス
線として成田空港まで伸びている)。参加者は3組に分かれて10時5分にスタートした。

 == 小集落と谷地田を抜けて本埜スポーツプラザへ ==

 堀割を走る北総鉄道の南側側道を少し進み、国道464号を横断して角田集落に向かう。
畑の先の針葉樹林の路傍に、庚申塔を主とする10数体の石塔が並んでいた。


 今朝の冷え込みで、日影の畑は真っ白な霜がいっぱい。その先の角田集落には、かやぶ
き屋根にトタンを被せて広い敷地の民家が幾つか残る。


 まずは集落にある永福寺へ。かやぶき屋根の薬師堂は室町時代中期の文明4年(1472)
の建立。県下でも最古の建立時代の明確な木造建築物のようで、国の重要文化財である。


 傍らの小さい祠(ほこら)には、左甚五郎(ひだりじんごろう)が一夜で作ったといわ
れるビンズル大師が祭られている。
        

     
 境内にはほかに、鐘楼や神仏混交の遺構を残す熊野神社が祭られ、神社の傍らには、根
元がくっついた大カヤとカシの古木が立っていた。


 北に進んで少しの針葉樹林を抜ける、霜で真っ白な谷地田(やちだ)が広がり、日影の
水たまりには氷が張ったまま溶けない。
    

 谷間を高架で走る国道464号と北総鉄道の下を北側に出て、大方落葉した広葉樹林を
眺めながら谷地田と林を抜けて荒野集落に入る。


 県道65号と斜めに交差し、その先の小さな三差路際には地図にない朱塗りの社殿があ
ったが、名前は分からない。


 左手の寺、安楽院は入口が見つからずに通過し、北側の広い谷地田の手前に下り、辺田
前集落や山林などを眺めながら小休止した。


 少し西進して田んぼの間を北側の台地下に回り、林と田んぼの間の農道を進む。農道が
なくなり西側に迂回してから学校への通学路になっている林間の階段を上がり、本埜(も
との)第一小学校の西側に上がった。


 学校の北側を回って藤方集落を東進すると、鳥見神社の森がある。朱塗りの鳥居をくぐ
り、杉木立の参道を進んで拝殿に参拝した。


 拝殿前には、文安年間(1444~8)から始まると伝えられ、県の無形民俗文化財に
なっている「鳥見神社の神樂」を舞う、屋根掛けの簡素な神楽殿がある。


    
 真っ白いサザンカの咲く民家のすぐ先、製材の岩井製作所の手前の三差路を入り、その
背後を抜けて、広いエリアの本埜スポーツプラザの野球場の上に出た。

 東側はるかに広々とした展望が開け、右手下には「本埜ふれあいプラザ」と「本埜公民
館」の入るりっぱな建物がある。

 小学校のそばで合流して一緒になった2グループが11時50分に着き、建物の北の芝
生広場にあったベンチ付近で、暖かい日射しを浴びながら昼食にした。

 近くの中根まで来ていると携帯電話で分かった残り4人が、1時間近くになっても着か
ない。何度かの連絡で南側の荒野集落にいると分かり、迎えに出て合流し、再度本埜スポ
ーツプラザに戻る。全員が食事を済ませて、13時50分に午後のコースに向かう。

 
 == 田んぼの中の白鳥の郷へ ==

 スポーツプラザの北側から出て谷地田に沿って東北へ。右手の森の下部は「本埜の森公
園」になっているが、看板は倒れ、遊歩道の池の橋も通行止めで渡れない。



 その先、県道291号際に「軽井沢暖炉成田店」など、大きな看板の並ぶ建物があった。
道路側壁面には薪がたくさん積まれて、屋根にも細い丸太が並んでいる。


    

 薪(まき)ストーブや薪などの販売・施行、住まいのリフォームなどをする店のようだ
が、代表のIさんは車で出かけるところ。ゆっくりのぞいて見て下さいとのことで、暖炉
に火の入った内部や作業場を少しだけ拝見した。


 県道を越えて原集落に入ると、北に筑波山が望まれる。家並みの続く根古屋と船戸の集
落の間には、蘓波鷹神社という珍しい神社があった(最初の字、魚の下は点でなくて大の
字)。
    


 船戸から東へ、広々とした田園地帯に出て潅漑用水路沿いを次の橋まで進み、和泉屋集
落へ。りっぱな長屋門のある荒井家は、周囲の田んぼより一段と高い。

 「押付(おしつけ)の水塚(みづか)」と呼ばれ、利根川の洪水から住宅や生活用品を
守るために高く土を盛り上げて建てた住宅地で、県の有形文化財に指定されていた。

 さらに田んぼの中を東北に800mほどのところに、「白鳥の郷」がある。1992年
に6羽の白鳥が来たのを見た近くの出山光男さんが餌づけを始め、3年後には「本埜白鳥
を守る会」が発足して現在にいたっているという。



 当地の増田さんが提供しているという水田に、この日は200羽近い白鳥が足を休めて
いて、車で来た人などがカメラを構えたり、鳥の動きを眺めたりしていた。


        

    
 白鳥の郷で記念撮影をして、さらに田園地帯を2㎞ほど進んで小林の町並に入り、15
時40分にJR成田線の小林駅にゴールした。駅は改築中で真新しい。


 真冬並みの寒気到来が告げられていたが、当地は穏やかな晴天に恵まれ、寒さを感じる
ことなく、静かな里道や田園地帯のカントリーウオークを楽しんだ。

(参加 11人、天気 快晴後晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 小林、歩行地
 印西市、歩数 21,800)




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市川真間のスケッチ画展から葛飾の「ふらっと」へ(千葉・東京)

2014-12-08 17:31:01 | ウオーキング
 2014年12月7日(日)

 好天にはなりましたが、気温が上がらず真冬並みの寒さです。今日は2か所を回ること
にして、まずは京成本線の市川真間駅に12時32分に下車しました。


 車の通れぬ細い道路を北東に抜け、県道264号に出てすぐ北側、国府台女子学院と相
対する「サロン・ド・グランパ」というパン屋さんに入ります。


 店内の一角に「相田みつをギャラリー」があり、正面を入った奥の展示コーナーが、最
初の目的地である『放浪のお絵描きおじさん「百田稔」第5回作品展』の会場です。
    

 市川市在住の「お絵描きおじさん」こと百田稔さんは、毎年この時期に作品展を開催し
ていて、私が訪ねるのは今年で3年目です。


 今回は、『月刊いちかわ』に連載した「いちかわお絵描き散歩」のはがき大の原画が、
展示されていて、普通の人では見落としてしまいそうなところも、百田さんはしっかりと
捉えて描かれ、ほのぼのとした作品に仕上げられていました。

 
 過去に描かれた中山道のスケッチ画のファイルや、地元市川市内の高校、橋、駅などを
テーマに作られたカレンダーなども見せていただき、百田さんから色々とお話を伺うこと
も出来ました(この原画展は12月15日まで開催)。

 ちなみに今年は、あの暑い8月に20日ほどかけて、千葉県内全市町村を一筆書きで回
るスケッチ旅もされていて、その体力と意欲にも敬服しました。

    
 記念写真も撮らせていただき、相田みつをギャラリーも少しのぞいて「相田みつを・心
の誌 3 大事なこと」という本を求めて店を出ました。

 店の北側の交差点から、「文学の道」と呼ぶ桜並木の遊歩道に入ります。
     
 市川市は、万葉集の時代から近年まで多くの文学者に縁のある地で、文学の道沿いには、
それらゆかりの文学者などの説明板が幾つも掲示されていました。
  

      

 遊歩道のタイルにも。
 

 文学の道から真間川沿いに出ました。川沿いを少し上流(西)に進むと、流れを挟んだ
真間小の南側に、浮島弁財天が祭られています。
     

 浮島弁財天は、天保12年(1841)以前の創建で、以前は真間小の斜め右の「弁天
様の森」にあったものをここに移設したようです。

 対岸の真間小校庭の木々が最後の彩りを見せていました。


 次の橋まで西進して南に延びる大門通りに入り、看板の見える右手のそば屋さんで昼食
をしました。


 この通りにも、民家の塀などに万葉集歌などが掲示されています。
 

      


 最寄りの国府台(こうのだい)駅まで歩き、江戸川を越えてひと駅先の江戸川駅で下車
します。

 高架になっている線路下から、北西に伸びる通りを進みます。間もなくのところに光ヶ
嶽観音堂がありました。

 祭られているのは約6㎝という小さな観音像のよう。室町時代末期の武将、里見義豊、
義俊の守本尊だったとのことです。境内は児童遊園地になっていました。

 北小岩4丁目をさらに進み、江戸川が左にカーブする右岸近くには、切妻屋根の本堂の
真光院が。

 慶長7年(1602)の開山で、現在の本堂は昭和47年(1972)にそれまでかや
ぶきだった本堂を改築したようです。


 すぐ先左手は天祖神社。境内のイチョウとケヤキの葉も、間もなく落ちそう。
    
    ここも境内に、児童遊具がありました。

 神社のすぐ先から江戸川右岸堤防に上がります。対岸は市川市の里見公園の森。


 その下流には、和洋女子大などの校舎が望まれました。


 上流に見える北総鉄道の鉄橋を目指して、少し向い風が冷たい堤防上を1.4㎞ほど進
みます。


 堤防を下りて柴又6丁目を西北へ、途中からは細い遊歩道を。


 都道307号・柴又街道を横断した先のせせらぎに、新しい3猿の像がありました。
    
    なぜここで、見ざる、聞かざる、言わざるなんでしょうか…。

 柴又帝釈天は近くですが寄らず、すぐ先で京成金町線の柴又駅そばの踏切を渡ります。


 さらに進んで15時45分頃、やまさんと敬子さんご夫妻が毎月初めの日曜日に開催し
ていた、旅と音のアートスペース「ふらっと」会場に着きました。
            

 
 会場の外壁には、やまさんがスケッチした葛飾区内の店の絵がたくさん。
    

 「ふらっと」の集まりはもう終了間際で、皆さんの自己紹介が終わったところで、今
日も休んでいたやまさんが加わりました。
    

 やまさんからは短時間ながらも、ユースホステルの活動などを通して歩き旅の普及活
動を続けてきたことや、現在の衆議院選の地元候補者への批判など、以前と変わらぬよ
うな話しぶりで、体調不調も少しずつ回復に向かっているのではないかと期待できる様
子で、少し安心しました。
        

 16時半近くにお開きとなり、京成高砂駅から帰路につきました。

(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 船橋、松戸、草加、歩行地 市川市、
 江戸川区、葛飾区、歩数 13,200)




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師走初頭の所沢航空記念公園、名残の彩り(埼玉)

2014-12-02 16:26:25 | 所沢だより
 2014年12月2日(火)

 昨日前線が通過して今日は冬型の気圧配置となり、風があるものの快晴となりました。
わが家の近くの雑木林も、まもなく葉を皆落としそうです。


 近くの西武鉄道池袋線の線路際からは、冠雪した富士山が遠望できます。


 少し離れた跨道橋からは、丹沢山塊の左(東)に大山(1254m)も望まれました。


 今日も、市内ウオーキングは所沢航空記念公園へ。公園の南側を走る国道463号沿い
の、日本一長いケヤキ並木の最西端の木も、間もなくみな落葉しそう。


 公園に入ると、西側のテニスコートの保管庫か何かの建物の屋根は、落葉したイチョウ
で色が変わっていました。
     

 近くのクヌギなども最後の彩り。


    

 茶室などに使われる彩翔亭(さいしょうてい)と日本庭園のエリアには、まだモミジな
どが残っていました。


     

        

            

    

        

     

            

 たくさん実をつけていたゴンズイも、もう残る実はわずかです。
 

 日本庭園の池の周辺も、最後の彩りか…。


     

         


 公園の中心部、放送塔周辺のモミジは、盛りを過ぎていましたが彩りは見事。
   

       

 近くのドウダンツツジ。


 放送塔下のロータリーのハゼ。


 寒波到来であと2~3日すると、これらの彩りもすっかり変わってしまいそうです。




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