昨日は、神奈川県箱根町(姥子)のホテルでの1泊の集まり
に出かけ、投稿できなかったので、26日のカントリーウオーク
の模様を報告します。
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2007年5月26日(土)
埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの例会で、
埼玉県中部に広がる比企丘陵の一角を歩いた。
毎年11月上旬に開催される日本最大のウオーキング大会、
日本スリーデーマーチの30kmコースで通過するエリアである。
今日の熊谷の予想最高気温は29℃、かなり暑くなりそう。
10時7分に東武東上線高坂駅西口をスタート。元宿2丁目の
住宅街を抜け、関越自動車道を跨線橋で渡り、すぐ西の常安
寺に行く。
境内はアカマツ、モミジ、桜など緑が豊富。 本堂のほか、赤い
のぼりの並ぶ米山薬師堂がある。
寺の背後に抜けて、高坂ゴルフ場沿いに出る。道が途切れた
ので畑のあぜを下の道に下り、さらにキビタキの鳴く森に沿っ
てゴルフ場沿いを南に回ったが、再び道が途切れる。
竹やぶなどの間をかき分けて田んぼ沿いの車道に出て、ゴル
フ場の南側を西に向かう。
足利基氏館跡の標識を過ぎ、弁天沼際へ。東屋があったので
休憩した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/5b/539b96faca16267c46984064103cad59.jpg)
沼の東側にスイレンが咲く。かつて阿弥陀堂があったという
東屋の背後に、板石塔婆や古いお地蔵さんが数体並んでいた。
車道を横切り岩殿集落へ。正面の岩殿観音に向かう真っ直ぐ
な参道の両側に民家が並び、商店などは残っていないが門前町
の面影を残している。
参道の突き当たりで急な石段を上がると、坂東三十三観音第
10番札所の岩殿(いわどの)観音。
元禄15年(1702)再建の鐘楼はかやぶき。銅鍾は元亨2年
(1322)年に鋳造されたもので、県文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/9f/8752ae128614f3206726891bd7c3abab.jpg)
本堂は精巧な木彫が施され、坂東札所らしい落ち着いたたた
ずまい。本堂西側に、数十本の枝とからみ合った複雑な根を見
せる大イチョウが立つている。
南側の新しい石段を上がって県道343号を横切り、11時
43分、標高135mの三角点のある物見山に上がり、展望台
の下で昼食とする。展望台の周囲は、桜や広葉樹が茂り、肝
心の展望は得られない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/19/90ef581e75e48bbd6e4f373ff1a3c3b4.jpg)
12時42分に出発、県道を西に少しで、アカマツなどの混交
林下をたどる東松山市民の森の遊歩道を進む。かなり気温が
上がってきたが、豊富な木陰が暑さを和らげ、さわやかな風も
抜けてくれる。
遊歩道に分かれて車道をさらに西に進み、宇宙航空研究
開発機構の地球観測センターに寄り、30分ほど見学する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/ad/19fa425cd8f8cea00e16c307017488c0.jpg)
緑豊富な構内には、大きなパラボラアンテナが4基、空を向き、
地球観測展示室に入ると、観測用アンテナの模型や、観測され
た宇宙からの東北日本の画像、観測の仕組みの解説などが見
られるようになっていた。館内は涼しいので、暑くなった外に出
るのがためらわれる。
センターからさらに西へ、稜線沿いの林間を進み、県道41号
を横断、ウグイスの鳴く林を進んで笛吹峠に出た。
ここにも東屋があったので休憩。のどが渇き、水分補給が欠
かせない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/62/c8a15717222f37a3f4068cca8d12fe7a.jpg)
笛吹峠は、嵐山町と鳩山町の境にあり、坂東十番札所岩殿
観音と九番慈光寺を東西に結ぶ巡礼街道と、峠を南北に貫く
鎌倉街道の交わるところ。かつて、数多くの武蔵武士が往来
したという。
その鎌倉街道を北に下る道筋にも桜並木が続き、ウグイス
があちこちで鳴く。将軍沢集落の北端付近の民家の入口に
大きなクワの木があり、桑の実がいっぱい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/f4/5b155a8509bc5d22c88c9097f330c74a.jpg)
黒く熟した実を口に含んで幼い頃の味を思い出す。
森を出たので午後の日差しが厳しい、次の大蔵集落に入り、
天保10年(1839)造営という重厚な山門のある安養寺で再び
休憩。山門横の梅の古木が、大きくなった実をたくさんつけて
いた。
大蔵集落に入り、車の多い県道172号を横断し、大蔵神社の
森に入る。木曾義仲の父、源義賢が築いた大蔵館跡で、四隅に
残る土塁や空堀から、東西170~200m、南北220mと推定
され、大蔵神社付近が館の中核だったと考えられるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/24/3c627bd123c08416b2fd5b9a714f1831.jpg)
この辺りは南北朝から室町、戦国時代にかけて戦乱の絶え
なかった地域で、その時代の重要拠点として利用されていた
ようだ。
大蔵集落の北端に近い向徳寺にも回る。山門横の屋根掛け
の建物に、古いのは1259年頃、大きいのは康永3年(1344)
のものなど、10数体の板碑が保存されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/c2/de7d1afce4d966335d89b8054f9bf1bb.jpg)
本堂内部には、国重文の銅造本尊阿弥陀如来及び両脇侍
立像があるという。
上流に奥武蔵の山並みを見ながら、都幾川にかかる学校橋
を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/02/3c9f0939a476c40c2b1099c2f70fa6cb.jpg)
国道254号バイパスと交差して嵐山町の町並みに入り、16時
18分に東武東上線武蔵嵐山駅に着いた。
(天気 快晴後晴、距離 13km、地図(1/2.5万) 東松山、越生、
武蔵小川、歩行地 東松山市、鳩山町、嵐山町)