あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

梅雨の晴れ間に日比谷公園へ(東京)

2018-06-23 17:56:00 | Weblog
 2018年6月22日(金)

 梅雨の晴れ間で28℃前後まで気温の上がった今日は、2日後から出かける予定の北東
北3県の資料収集と地形図購入のため、東京駅八重洲口から銀座方面に出かけました。

 ひととおり用事が済んだので、JR有楽町駅横を通過して久しぶりに日比谷公園に行っ
てみました。公園の北東端の有楽門から入園すると江戸時代の名残、日比谷見附跡の石垣
が残っています。

 この石垣は江戸城外郭城門の一つである日比谷御門の一部とか。

 そばに咲くボタンクサギ


        

 日比谷見附跡の南側は心字池(しんじいけ)ですが、池の東側斜面を上がって心字池を
見下ろすことにしました。上がる斜面の石段横に咲くアジサイ。






 斜面を下り、心字池の北側からもう一度池を眺めます。心字池は公園ができる前は濠
(ほり)だったようです。


 池の北西端近くにはアガパンサスが咲き出しました。


 そばには「仙台藩祖 伊達政宗 終焉の地」の説明板があり、ここには伊達政宗から3代
綱宗の時代、仙台藩の外桜田上屋敷があり、政宗は江戸参勤の折、寛永13(1636)
年5月、ここで70年の生涯を閉じたことなどが記されていました。

    

 池の西側を中ほどまで回ってみたら、対岸にアオサギがじっと立っています。つくりも
のではないでしょうね?。
       

 心字池の西側は第一花壇と呼ぶエリア、その一隅に咲く花。


 池側入口にあったアメリカデイゴも咲き出しました。
    

 第一花壇北側にある、対のペリカンの噴水の一つ。
     

 第一花壇の北に残る日比谷公園の旧管理事務所だった建物。

 明治13(1880)年に竣工したドイツ・バンガロー風の建物で、明治期の数少ない
近代洋風建築の一つとして、東京都有形文化財に指定されているようです。

 そばには、「松石」という化石が展示されていました。
    
 いまから3~5千万年前の植物が、水底に運ばれ埋没後、珪酸質の液がしみこんだもの
を珪化木と呼び、北九州の炭田では炭層中に含まれた珪化木を松石または松炭と呼んでい
るようで、これは昭和初期に福岡市外亀山炭鉱の地下300mから発見されたものの一部
とのことです。 


 第一花壇の西側に立つクスノキの間を南に進みます。花壇のベンチで憩う人。


 ルーパロマーナ(ローマの牝狼)という動物の母子像、昭和13(1938)年にイタ
リアから贈呈されたとか。
    
 ローマ建国の大業を成し遂げたロムルス、レムス兄弟の有名な伝説に基づく像のよう。

 第一花壇は、開園当時から現在まで同じデザインのままに保たれているそうです。


 第一花壇の南西側にある草地広場は、幼児などに良い遊び場のよう。




 公園の中央部にあるレストラン松本楼。何年か前、地図愛好グループのNさんと名物の
カレーライスを食べに入ったことを思い出しました。


 松本楼の入口近くに咲くアジサイ。


 松本楼の南東側にある第二花壇へ。南側正面のレンガ造りは日比谷公会堂。


 第二花壇の北側の大噴水は、確か現在の天皇陛下の皇太子時代、ご成婚記念に造られた
と記憶しています。私が職種転換した年なので昭和34(1959)年のはず。


       

 大噴水の北にあった小音楽堂は使われなくなったのか、入口のゲートがみすぼらしく見
えました。近くに職場があった頃、昼休みに警視庁音楽隊の水曜コンサート?などを聴き
によく通ったのでしたが…。

 第二花壇に咲き残るバラ。


 第二花壇の西側には新緑のプロムナードが。


 その一角に埴輪が並んでいました。

 昭和40(1965)年8月、都立日比谷公園と宮崎県立平和台公園が姉妹公園となっ
たとき、特別史跡 西都原(さいとばる)古墳群を始め多数の古墳のある宮崎県から贈ら
れたものです。

 もう一度、松本楼の南側を進むと大きなイチョウが目につきます。
       
 「首賭けイチョウ」と呼ばれる木で、公園開設までは日比谷見附(現在の日比谷交差点)
にあり、明治32(1899)年頃、道路拡張で伐採されようとしたのを、驚いた日比谷
公園生みの親、本多静六博士が東京市に進言してここに移植されたとのこと。

 移植不可能とされたものを、博士が「首にかけても移植させる」と言って実行されたの
で、この呼び名があるようです。

 その南側は少し盛り上がり、ツツジ山と呼ばれています。


 西側にあるのが豊富な緑に囲まれた雲形池(くもがたいけ)です。




 池の中央では「鶴の噴水」が水煙を見せていました。
     

          

 ちなみに、私が近くに通勤していた頃、真冬の朝撮った噴水がこれ。多分昭和40年代
半ば(1971~2)頃だったと思われます。

 寒かったこの冬も、このようなつららの下がった写真が新聞に掲載されたような気がし
ます。

 池の南側は、デモやウオーキングで何度か入った大音楽堂ですが、コンサートに来た記
憶は残っていません。


    
 池の南側に回り、もう一度鶴の噴水を眺めました。


       
 この噴水は、明治38(1905)年頃、東京美術学校(現在の東京芸大)の津田信夫、
岡崎雪声氏が制作したもので、公園などの装飾用噴水では日本で3番目に古いとのこと。

 15時頃に近くの霞門を出て、東京メトロ丸ノ内線で帰ることにして池袋行きに乗りま
した。
 






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アジサイが見頃な所沢航空記念公園の日本庭園(埼玉・所沢)

2018-06-13 21:58:50 | 所沢だより
 2018年6月13日(水)

 今日の市内ウオーキングでは、いつもよく巡るコースの一つである所沢航空記念公園に
正午過ぎに入りました。

 そろそろアジサイが見頃ではないかと思い、公園の中ほどにある日本庭園に回ってみた
ら、やはりたくさん咲いています。最初は茶室「彩翔亭(さいしょうてい)」周辺のアジ
サイ。







 ところどころにガクアジサイも。




       






 彩翔邸の南西にある東屋からさらに南側斜面を回ります。



 ところどころにあるビオウヤナギも見ごろです。






         





 花の色もいろいろと。






    

         

 日本庭園の一番南東側あたり。








    

       
 
    





    



 池の北東側に回り、池とその周辺の花も眺めました。






 ハナショウブは見頃を少し過ぎたよう。
     

          

       

          

    



 日本庭園を東側出口から抜けて、さらに航空記念公園を南口から出て、所沢駅方面に向
かいました。





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妻沼郊外の田園地帯と国宝建造物のある妻沼聖天山などを巡る(埼玉・熊谷)

2018-06-11 23:07:10 | カントリーウオーク
 2018年6月10日(日)

 梅雨入り後4日目、埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの第254回例
会に参加した。


 集合はJR高崎線・秩父鉄道の熊谷駅。10時15分発妻沼(めぬま)行バスに乗り、
10時40分に道の駅めぬまバス停で下りた。

 道の駅には「めぬま物産センター」と「めぬまアグリパーク」の建物、そしてバラ園な
どがある。

 物産センター↑には近在の新鮮な野菜などが並び、アグリパーク↓にも地元物産品などが
豊富である。




 外で販売していた植木類



 バラ園のバラは盛りを過ぎていた。それらを一巡後、小雨模様なので雨具を付けて11
時にスタートした。
 
== 田園地帯にある集落の寺社を巡る ==

 国道407号を横断して西へ、周辺の田んぼはまだ水入り前で、遮るもの無い展望が広
がる。



 まずは、最初の集落八木田の観音寺に行く。本堂前に鉢植えのハスがたくさん並び、1
輪だけが花を開いていた。芝生にはネジバナがたくさん咲いている。


    
 
       


 集落を抜けてさらに西へと田園地帯を進む。田のあぜにピンクの小さな花が目につき、
すっかり熟した小麦色の田んぼも残る。



 次の飯塚集落に入り、太田小の南西にある太田神社へ。旧太田村の総鎮守として、大正
4(1915)年に周辺21の郷社を合祀してこの地に鎮座したという。



 境内では、アジサイやガクアジサイが雨に濡れて咲き、キャラブキの葉には何匹かのア
マガエルが目につく。
    

 
 大田小の東まで戻って北へ、田んぼの間やネギ畑の横などを進んで福正寺集落に入る。


 無住の安養院横を通過して流れ豊富な備前渠用水路を越える。


 12時25分に昼食地の妻沼運動公園に着く。体育館↓の屋根下を借りて昼食にした。


 == 妻沼市街の近代化遺産を見て国宝建造物のある妻沼聖天堂へ ==
 
 昼食後にミーティングをして、13時10分に運動公園を出た。幅広い歩道のある車道
を東進し、国道407号を横断する。

 北側の妻沼行政センター交差点から東に進んで商工会館の駐車場に入り、二つの近代化
遺産の建物を見る。


 手前の井田記念館は、メヌマポマードの創始者で元衆議院議員の井田友平氏の旧宅。昭
和31年(1956)に旧妻沼町に寄贈され移築したもの。建物前には井田友平氏の胸像
もあった。
         

 建物のそばに咲くアジサイ
 

 東側交差点際には、国登録有形文化財の坂田医院旧診療所の建物がある。昭和6(1931)
年に建てられた産科医院で、鉄筋コンクリート平屋の洋風近代建物。

 昭和50年代(1975~)前半まで使われたが、改造せずに建設当初の状態を残して
おり、この地方の近代建築の貴重な遺構だという。

 建物横に、2006~7年のテレビドラマで映画化もされた「映画 東京タワー、オカ
ンとボクと、時々、オカン 撮影地」の標柱が立っていた。

 バス通りより一つ西の通りに回って北に500mほど進み、山門をくぐって妻沼聖天山
歓喜院(めぬましょうでんざんかんぎいん)の本坊本堂の境内に入る。


 日本三大聖天の一つで、平家物語にも登場する武将・斉藤別当実盛(さねもり)が治承
3(1179)年に本尊の聖天を祭ったのが始まりとか。

 本坊は、斎藤実盛の子・良応僧都が、本尊に仕える行者の修行の場として開創されたと
いう。
       
 雨に濡れしっとりした境内にはマキなど大きな樹木が多く、静かなたたずまい。本坊の
屋根下で休憩後、記念撮影をした。


 山門前から東側の御本殿などのある広い境内に向かう。山門近くの道路際に、埼玉県指
定文化財で鎌倉時代のものと推定される、高さ1.78m、幅59㎝の板石塔婆(いたい
しとうば)が保存されていた。
         

 商店などの並ぶ「聖天様南通り」を横断して広い境内に入り、中心部の仁王門↓に30
分後の14時50分集合としてフリータイムとする。



 正面が埼玉県内唯一の国宝木造建造物の御本殿で、安永8(1779)年の完成のよう。
拝殿と相の間、奥殿からなり、建物の各部材や壁面は全て彫刻で装飾された江戸中期の貴
重な文化遺構。8年前に8年間の修理工事の完成により、創建当時の華麗な色彩が復元さ
れている。



 左手受付から入り(拝観料700円)、「埼玉日光」とも呼ばれる、相の間と奥殿の精
彩で華麗な彫刻の数々を拝観した。










 境内にはほかに、ケヤキとエノキの寄り添う「夫婦の木」↓、平和の塔、鐘楼、大師堂、
中門、護摩堂、貴惣門(国指定重要文化財)など見るべきものが多い。
       

 大師堂


 護摩堂


 中門
 

 14時50分に仁王門を去り、正面の貴惣門方面へ。中門の東側は工事中。貴惣門の手
前には斎藤実盛公像がある。



 側面に破風を3つ重ねた独特の貴惣門↑を出て、そばのゴール、妻沼聖天前バス停に14
時56分に着いた。バス停広場には「めぬま夏祭り」の大きなタイルが画がある。


 妻沼聖天山の周辺には聖天山にちなむ土産店など多いが、バス停前にも和洋菓子の店頭
製造販売する梅月堂があり、聖天太鼓や縁結びあげまんじゅうなど販売している。


 15時5分(7分遅れ)発バスで熊谷駅に15時40分に着き、15時56分発上り小
田原行特別快速電車に乗る。

 前日の熊谷の最高気温は33.2℃の暑さだったが、今日日中は18℃前後で雨も小降
り、この時期の歩きとしてはまずまずのコンディションだった。

(参加 12人、天気 小雨、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 深谷、妻沼、歩行地
 熊谷市、歩数 15,400)






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「旅のスケッチ展」を観て「 あげお花しょうぶ祭り」へ(埼玉・上尾)

2018-06-08 22:37:14 | ウオーキング
 2018年6月8日(金)

 カントリーウオークの仲間のMさんから、旅のスケッチ展の案内をいただいたので、出
かけました。


 会場はJR高崎線の上尾駅東口↑を出てすぐ、アリコベールサロン館2階の上尾市民ギ
ャラリーです。正午近くに到着しました。


 スケッチグループ”風”の「第17回旅のスケッチ展」で、Mさんはこの代表として皆さ
んを指導しておられます。
       


 会場では、Mさんをはじめメンバー18人の方々が各々4点ほど描かれた、旅のスケッ
チ作品74点が展示されていました。






 描かれた作品の多くは関東周辺の知られた場所で、新宿御苑など都内や横浜、鎌倉、埼
玉県内、さらに信州安曇野や上高地などでした。








 会場に飾られていたきれいな生花
    

         

 30分ほどで会場を後にして上尾駅に戻ったら、構内に市内の上尾丸山公園で6月2日
~10日の間、「あげお花しょうぶ祭り」を開催中のポスターが目に入りました。

 では行ってみようかと思い、西口にあった市役所の出張所で観光地図をもらい、近くの
飲食店で昼食をして、13時頃西口からほぼ西南西方向に延びる広い市道を進みます。

 駅近くのマンホール


 気温が上がり28℃前後かと思われる暑さですが、通りには遮るような街路樹が無いの
でちょっときつい道のりです。

 上尾道路を横断した先辺りで、畑にたくさんのユリが咲いていました。


    

 平方北小の先で北に向かったのですが、使い慣れた2万5千分の1地形図で無い観光地
図だったので少し迂回して遠回りしてしまい、14時11分に上尾丸山公園の南口から公
園内へ。

 まずは、春先には「さくらまつり」が開催されるというソメイヨシノの下を進みます。



 その先で、右手に修景池が現れ、左手には園内を長く右カーブしながら伸びる池に沿っ
て進みます。







 途中右手は芝生広場となり、その先には斜面から落ちる滝も望まれます。




 さらに右カーブしながら進み、池の北端に達するとその先がショウブ田でした。



 ショウブ田の面積は約2,800㎡で、約50種1万株の花ショウブがあるとか。



 ショウブ田の南側にはたくさんのアジサイも植えられ、それらの花も見頃です。




 花のピークは越えた感じですが、まだたくさん花が残っていました。




 アジサイとハナショウブを見ながら進みます。


    



 ハス池のスイレンも咲き出していました。
    

        





   



       

    

       



 ショウブ田を一巡したので戻ることにします。


 メタセコイアの林になっているところ。
    

 公園の南口に14時56分に戻り、南側を回って往路に戻ります。上尾道路に近い「ま
まがみ」バス停に15時21分に着いたところでバスが来たので乗りました。

 上尾駅前に15時31分に着き、15時40分発上り電車で帰路につきました。

 (天気 晴、距離 9㎞、地図 「あげおの観光 2018」、歩行地 上尾市、歩数 
  15,900) 
 



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菖蒲まつり開催中の北山公園菖蒲園へ(東京・東村山)

2018-06-05 16:19:45 | Weblog
 2018年6月4日(月)

 今年もハナショウブの季節となり、ネットで調べたら見ごろになったという東村山市の
北山公園へ、ハナショウブを見にウオーキングを兼ねて出かけました。

 会場でもらった「東村山 菖蒲まつり」のリーフレット
     

 わが家からはほぼ南の方向にありますが、真っ直ぐ行ける道はないので、地形図を拡大
コピーしてなるべく近そうな道を選び、いくつかのアップダウンを越えて1時間15分ほ
どの行程で、北山公園の西北端から公園に入ります。




 5月12日(土)のカントリーウオークグループの例会で来たときには、ほとんど咲い
ていなかったのですが、今日はちょうど見ごろ。平日でもかなりの人出です。


       

     

    



    

        



       









 北側の、西武鉄道 西武園線の線路際にはアジサイも植えられていて、やはりほぼ見ごろ。










 近くにある、この時期だけ設けられる小さな展望台に上がり、一望しました。








 展望台を下りて、さらに周辺の菖蒲田を回ってみることに。


    

        

    

       




    







     

 東側の東屋(あずまや)の周辺が、一番見ごろで花も多いように思われました。








     

         

     

         


 菖蒲園内を一巡して、表口ともいえる東南側に出て帰路につきました。

 帰りは、往路より東側の斜面を幾つか上がり折りして戻り、往復9㎞、観覧時間を含め
て3時間余りのウオーキングとなりました。

 なお、菖蒲まつりは6月17日(日)まで開催されますが、今週前半がいちばん見ごろ
ではないかと思われます。






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坂田ケ池総合公園から房総風土記の丘へ(千葉・成田、栄)

2018-06-04 17:10:31 | カントリーウオーク
 2018年5月27日(日)
 == 坂田ヶ池総合公園から房総風土記の丘や龍角寺へ ==

 今日は、TさんとYさんは歩かず帰るとのことで、成田山表参道で唯一の酒造店・長命
泉の前で記念撮影し、駅前で分かれた。


 JR成田線成田駅9時15分発我孫子行きに乗り、次の下総松崎(しもうさまんざき)
駅で9時21分に下りた。昨日の大佐倉駅同様、駅周辺に商店は無く、民家も少ない。




 駅前には、古い「関東ふれあいの道」のコースガイドが2二コースある。9時30分に
スタートする。線路沿いを北西にすぐ、田んぼのあぜにハナショウブが花開いていた。
       

 線路に平行する大竹集落の旧道を進む。この道は成田山へ向かう「旧成田みち」らしい。
沿道には梅の木が多く、たくさん実った木もある。ムラサキシキブやモチノキも花を見せ
ていた。
    

         


 1㎞近く進み、坂田ケ池からの流れ沿いの緑道へ。気持ちよい緑陰の道を上がり、ほど
なく坂田ケ池の西端に出た。大きなハナミズキにたくさんの花が咲き残る。






 上がってきた緑道を含め、池の周辺一帯は「坂田ケ池総合公園」になっている。池の南
側斜面を上がると広い芝生広場だが、人影は見えない。



 さらに進んでキャンプ場の横へ。たくさんのテントが並び、宿泊したグループも多そう。


 キャンプ場東端付近から南側の谷をまたぐ釣り橋があるが渡らず、林間を進んで池の東
端の堰堤(えんてい)付近に下り、駐車場で小休止した。



 堰堤に沿って西北に回り込み、車道に出てすぐ先で北東に延びる谷地田沿いに進む。
       

 龍角寺一丁目の戸建て住宅地の南西端に上がると、大きなヤマボウシに花がいっぱい。


 西に少しで岩屋古墳の南側に出た。岩屋古墳は国史跡・龍角寺古墳群のひとつで、7世
紀中頃の方墳(ほうふん・正方形の古墳)。

 一辺は78m、高さ13.2mで3段築成になっていて、古墳時代終末期の方墳として
は全国第1位の規模という。


 南側には東石室と西石室の二つの石室が近接してあり、西石室↑は内部をのぞけるが、
東石室↓は崩れているのかロープが張られ、そばに近づくことはできない。




 西に100m余り、車道の西側に「千葉県立 房総風土記の丘」の看板があり、「房総
風土記の丘の由来」や「体験博物館 千葉県立房総のむら」の案内板などが立っていた。

 房総風土記の丘は、岩屋古墳をはじめとする竜角寺古墳群(約120基)と、白鳳仏で
名高い龍角寺をとりまく緑豊かな自然環境の中につくられた県立博物館とのこと。中央部
の資料館のほか、重要文化財の建物や植物観察園などあり、全長5㎞ほどの遊歩道で巡れ
るという。


 周辺一帯は豊富な広葉樹の樹林が広がり、近くに国重要文化財の旧学習院初等科正堂が
ある。内部にも入れるが、入口から内部を一覧するのみとした。


 気温が上がり暑くなったが、その先西方に延びる遊歩道は、木々の下で暑さを忘れさせ
てくれる。
       

 遊歩道の両側には次々と古墳が現れ、中には「99号墳」のように、径12m、高さは
0.9mという、標示が無ければ古墳と分からぬ規模のものもある。


 樹林の切れ間から南西側に印旛沼の一部が望まれ、さらに80号台の古墳の横を進むと、
再度印旛沼の見えるところがあった。




       
     

 11時30分に「風土記の丘資料館」前に着き、57号墳そばの樹林下で昼食にする。
周辺にも幾つかの古墳が望まれた。







 昼食後に資料館に入り、原始から古代、中世にかけての遺跡から出土した埴輪や土器、
瓦などと、関連する資料や写真などの展示を観覧した(大人300円・65歳以上無料)。








 12時30分に出発して、さらに樹林下を北に延びる「白鳳道」を進む。すぐ近く右手
に、復元した竪穴住居が望まれた。


 県道18号・成田安食線バイパス下をトンネルで抜ける。近くに、竜角寺古墳群で最大
で千葉県内で最も新しいと考えられるという前方後円墳・浅間山(せんげんやま)古墳が
あり、墳丘に上がる石段も設けられていた。


 樹林帯から出て竜角寺集落を進み、集落の北側にある龍角寺境内に入った。
       
 龍角寺は、和銅2(709)年の大干ばつの年に龍神が来て自分の身を三つに切り人々
を助け、その頭を納めたのが名の起こりで、関東で最も古い寺院のひとつとか。

 当時は東側に高さ33mほどの三重塔か五重塔があり、本尊薬師如来坐像は709年造
立で、県内最古の白鳳時代のものという。

 現在の拝殿は小さく、背後に本尊を祭る収蔵庫がある。境内に居られたボランティアガ
イドの方が、それら寺の歴史や本尊のことなど拝殿前で説明してくれた。

 聞いているうちに時間が経過し、背後にあるという金堂跡や塔心礎などは見逃した。

 集落を南に少し戻り、西北に下る細道に入ると侵食の進んだ竹林となり、おびただしい
竹が両側を覆う。
       

 下りきって谷地田の南端に出て北西に向かい、途中で谷地田の東側から西側に回る。


 500m前後で車道に出て、逆V字状に折り返し南に向かう。二つ目の神社そばの素羽
鷹神社バス停横から西側の酒直(さかなお)集落へ。道路際に静かなたたずまいの多宝院
があり、立ち寄り参拝した。




           

 集落内をS字状に進んで西に抜け、酒直台一丁目の新しい住宅地と田園地帯の間を西進
する。


 さらに気温が上がり暑いので、次の白山集落の東端にあった草地の小公園に入り、緑陰
で休憩した。


 集落の中ほどでJR成田線の線路に平行する旧道に合し、線路沿いに進む。線路上を横
断する車道下を抜けてすぐ、上町集落の斜面にたくさんの庚申塔が並び、上に小さなお堂
も祭られていた。


    



 「旧成田みち」の石柱の立つ道を進み、安食(あじき)駅に14時20分に着いた。

 多くの人が近くのコンビニで冷たい飲み物を仕入れて駅前で乾杯する。下り電車で帰る
Tさんと別れ、残り全員は14時56分発上野行直通電車で帰途についた。
    

(参加 11人、天気 晴、距離 8㎞、地図 成田、歩行地 成田市、栄町(さかえ
 まち)、歩数 17,500○、累積標高差 上り・下りとも 約130m)


 数日後、「房総風土記の丘」の「体験博物館 房総のむら」に寄らなかったことに気
づく。駅を出て間もなく、私同様以前に来たというIさんと、その後の房総のむらのこ
とを期待していたのだが、昼食後は白鳳道を進んでバイパスしていて、すっかり忘れて
いた。

 時間の余裕もあり、この日一番の見どころだったような気もして、房総の商家や民家、
武家屋敷、農家や水車小屋などのある「むら」に立ち寄れなかったのは、ちょっと残念
な思いがした。




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本佐倉城跡から宗吾霊堂へ(千葉・佐倉、酒々井、成田)

2018-06-02 17:32:12 | カントリーウオーク
 5月最後の週末、カントリーウオークグループの「特別例会」と称する1泊のウオーキ
ングに参加した。

========================================

 第1日 2018年5月26日(土)
 == 本佐倉城跡から早苗田の間を抜けて宗吾霊堂へ ==

 京成本線の大佐倉(おおさくら)駅に11時に集合する。駅は無人で、駅周辺に商店は
無く民家も少ない。全員時間前に着いたので、10時58分に駅前を出発した。


 駅の周辺でホトトギスとカッコウが鳴き、この日はこの先歩いた本佐倉城跡などあちこ
ちでもたくさん耳にする。 

 線路沿いを少し、北への細道を上がり、大佐倉集落の中心部にある宝珠院に入る。

 開基は不詳のようだが、永徳3(1383)年の中興と伝えられ、天和3(1683)
年には京都・醍醐寺三宝院の直末となり、幕府から朱印30石を拝領し、佐倉藩内真言寺
院12ヶ寺などの筆頭になったとか。

 本佐倉城(もとさくらじょう)千葉家の祈願寺としての由緒を残し、佐倉藩堀田家(ほ
ったけ)とも縁ある寺院でもあったようだ。

 佐倉市保存樹のタブやイチョウ、タラヨウなど豊富な新緑が境内を覆い、アジサイが咲
き出し、ツツジはヤマボウシも花を見せていた。


 東南に下り京成線をこ道橋で越えて線路の南側沿いを東へ、築堤になった線路下を抜け
て折り返し、宝珠院の東側にある勝胤寺(しょういんじ)に回る。

 勝胤寺は、これから行く本佐倉城の3代城主・千葉勝胤(ちばかつたね)が菩提寺とし
て建立したとのこと。

 本堂前には、千葉家の遠祖である平忠頼が産湯につかったと伝わる、「千葉水」が流れ
出ている。



 境内のアジサイやガクアジサイが咲き出し、ツツジも咲き残っていた。


 本堂左手墓地の奥の樹林下には千葉家供養塔の五輪塔が並び、最奥に千葉勝胤の宝篋印
塔(ほうきょういんとう)がある。





 京成本線の南側に戻って早苗田の横をすぐ、民家横の屋根掛けの下に5基の石像が並ぶ。


 そばのT字路際には古い道しるべの標石が残り、「根古屋ヲ経て南酒々井・・」などの文
字が読めた。


 南側一帯に広がる台地のこんもりした森が本佐倉城跡で、台地下まで進んで、その北側
凹部付近から城跡へ。

 「国指定史跡 本佐倉城跡 東光寺ビョウ」の標柱横から入り、山すそを進むと「本佐
倉城跡全体図」や、「マムシ注意!」の掲示などがあった。


     



     

 さらに「セッテイ虎口(こぐち)」を上がり「金明竹(きんめいちく)の小径」に出た。
     
 周辺はその金明竹の林で、節(ふし)と節の間に緑と薄黄色の縞模様が表れた特徴的な
竹が群生していた。
         

     
 竹林の間を「セッテイ空堀」に下るとホタルブクロが咲く。
                  
     
 城北側の玄関口「東光寺ビョウ」に回り、北側の田園地帯やその先の順天堂大のある台
地などを一望した。



 東側の「Ⅳ郭虎口」から再び南進して「大堀切」を抜け、城山に向かう。「城山虎口」
を入って「城山門跡」を過ぎ、本丸のあった広い草地の「城山」に上がり、その規模を確
認する。







       
 いったん下って南西側の「奥ノ山」へ上がる。ここも広い草地が広がり、その南端の
「妙見宮跡」近くにあったベンチに12時30分に着き昼食にした。


 13時5分に昼食地を後にした。南西側の「倉跡」から南東に下り、根古屋集落際に出
る。ここには「国指定史跡 本佐倉城跡」の大きな標石と説明板があり、城跡見学の表口
のよう。飲料水の自販機も、城跡ゆかりのデザインである。


         


 城跡と谷地田の間を北東から北西へと回り込む。早苗田の間を北進して京成本線の北に
抜けた。


 さらに広がる早苗田の間を、北側の順天堂大の建物や斜面林など眺めながら東進する。
休耕田となってアシの伸びた辺りでは、ヨシキリがひときわ賑やか。



 農水省酒々井排水機場の横を通過し、京成酒々井駅方面からの車道を横断する。1本北
側の農道に回って少しずつ向きを北東へと変え、柏木集落西部の斜面林が近づいた辺りで
山すその道路へ。

 近くに「袈裟掛けの松伝承」の説明板があり、承応2(1653)年に江戸の将軍に直
訴した佐倉宗吾の子どもを逃がした際の動静についてなどが記され、植え替えられたゆか
りの松が立っていた。
     


 斜面林が切れた辺りに桑の木があり、熟してきた赤い実がたくさん付いていた。


 T字路に出て、すぐ先の公津地区スポーツ広場で小休止する。


 野球グランドの横を進んで宗吾四丁目の戸建て住宅地に上がる。隣の宗吾三丁目の北端
から東に回り、車道に並行する細道を北に抜け、宗吾霊堂の参道入口から境内に入った。

 宗吾霊堂は、真言宗豊山派東勝寺の管理する仏堂とのこと。

 承応年間(1652~6)に下総佐倉藩の悪政で生活に苦しむ人々を救うため、公津村
名主の木内惣五郎は徳川4代将軍家綱に直訴し、10万の命を救う。だがその罪で承応2
年に本人と4人の子は刑に処され、その遺骸を現在の墓のところに埋葬したようだ。

 百年後の1752年、佐倉藩主堀田正亮から「宗吾」の法号を送られ、立派な仏位を得
て宗吾を祭る宗吾霊堂としたという。


 参道を入ってすぐ右に、その宗吾父子の墓がある。正面の山門は、宗吾霊350年祭記
念事業として、昭和53(1978)年に完成したものとか。


 さらに進んで、大きな宗吾霊堂に参拝した。


       

     
 霊堂の左手前に咲くヤマボウシは、「佐倉義民伝」の上映記念に歌舞伎役者が奉納した
もの。霊堂左手奥には「宗吾御一代記念館」があるが、入館は省いた。


 薬師堂↑などを見ながら参道を戻り、宗吾霊堂交差点から南西に延びる県道137号に
平行する旧道を進む。稲荷神社の先で再び車道に入って南東へと緩斜面を下る。


 車道を覆う宗吾霊堂の山門を抜けて、今日のゴール、京成本線の宗吾参道駅に15時54
分に着いた。


 16時15分発の下り電車で、宿泊するホテルのある京成成田駅に向かう。

(参加 13人、天気 曇、距離 9㎞、地図 酒々井(しすい)、成田、歩行地 佐倉
 市、酒々井町、成田市、歩数 18,000、累積標高差 上り130m、下り140m)




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