2013年4月17日(水) (続き)
昼食を終えて北へ。正面に念仏寺の大屋根が迫る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/a3/74aace184b7613367b8a6faca3d57449.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/73/b68dd2b979f6aa9a67e60c44dd0a0af1.jpg)
近づくと、門前で「お墓参りの心得」を下げた大きな童僧の石像が迎えてくれる。境内
は広くはないが植栽はよく手入れされ、紅葉のようなモミジの若葉や八重桜が映える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/b0/d87f7faa60ea70cd5ca9c1db30cda9b1.jpg)
東に回り、念仏寺の墓地や柿畑の間を進む。東側一帯は前方後円墳の灯籠山古墳のよう
だが、墓地と柿畑なのでそうとは見えない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/6d/9ce1a8c2ac674b815bf0f2279092d037.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/bc/d2162be72569cd5fa39099543d2a6f0b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/f6/357ea8d9e20ed497ae8b7d5b7c3f02db.jpg)
次の小集落の五社神社のある十字路を東から南に回り込み、中山大塚古墳の北東にある
西殿塚古墳へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/42/6dd4fc6cd4d07e77e3c32c9a1df5330e.jpg)
全長234mの前方後円墳で、第26代継体天皇の皇后・手白香(てしらか)皇女の衾
田(ふすまだ)陵とされるが、実際はもっと前の3世紀後半の造営とみられるという。
五社神社の十字路に戻り、次の萱生(かよう)町の集落に入った。古墳時代後期の前方
後円墳、西山塚古墳の東側を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/1a/60fb625199a905db7f792b76b404dc4e.jpg)
その古墳の環濠の一部利用して環濠(かんごう)集落があり、家並みが水に影を映す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/a8/a4df7e692c54cfdc7e86f9ee640dff02.jpg)
環濠集落は大和の戦国乱世が生んだ自衛の集落で、用水を兼ねた濠の内部に竹やぶを植
え込んだというが、現在残っている環濠も家並みもわずかである。
萱生町集落の北端の交差点際から、北西間近に前方後円墳、波多子塚古墳の後円部が見
える。四世紀前半の築造と考えられるようだが農地になっていて、石垣が階段状に設けら
れていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/fb/716c09c5359a06f7cec60f26e7b2ddee.jpg)
その先に萱生町の大きな看板があり、「大和平野を一望できるスポット 特産物は刀根
早生柿とみかん」と記されていた。確かにこの辺りの標高は100m前後で、今日は霞ん
ではいるが大和平野の展望が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/8b/3a19d9168516095d71b3b6cd09b04245.jpg)
近くに「みちふく」という休み処がある、この日は休業日のようで、くさりが張られて
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/ac/d17fa2b8b06000a4e4f90f81e247a51e.jpg)
東側に広がる柿畑や新緑の山並みなどを眺め、木のイスとベンチのある休憩所前を通過
し、ナノハナの咲く竹ノ内町の集落へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/c2/6d573a69354ed8dd1bbea35a731d20d1.jpg)
新しいトイレと休憩施設があったので、ベンチでひと休みする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/96/d31ee0d855c8f849c5c866584ef4aaf9.jpg)
ここにも集落を囲む環濠があったようだが、いまはほんの一部だけが残り、そうと知ら
ねば気づかずに通過してしまいそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/e3/db273f0fcd97979b770212bc1a01bb40.jpg)
次の乙木(おとぎ)集落南端に「せんぎりや」という無人販売の店があり、地元産の米
や野菜、果物などを販売している。おいしそうなかき餅があったのでひとつ求めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/21/f6d481eb455955c5909ff5874323da45.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/3b/01e323dcc79a44238547c8da3345885b.jpg)
家並みの間の細い通りへ。集落の中心、十字路際のお宅のベニバナトキワマンサクが満
開だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/04/83dc4cd58206dceed0f7e2725f230e0c.jpg)
集落を抜けると、大きなクスノキなど繁る夜都伎(やとぎ)神社の森が見えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/a2/0453d7e9c94499ab624a9697da93d7fc.jpg)
昔から奈良春日神社と縁深く、明治維新まではハスのお供えを献供し、春日神社からは
社殿と鳥居を下げられるのが例だったと伝えられているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/21/9bd8bbd3dcb42122562410861c05fef4.jpg)
拝殿は珍しいわらぶきだが、かなり傷んでいる。本殿は春日造りの社殿が大小4つ並ん
でいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/ea/5cccbc7f167ac1048d17dd80af964520.jpg)
神社の西を回って行くと、北に東乗鞍古墳が見えてきた。古墳の東を進んでT字路に合
し、東側山麓の園原町の小集落に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/d3/e50a88a2806dde29c1870b75e0c58d26.jpg)
山麓を北へ緩やかに上がって天理観光農園の建物↑に入り、「峠の茶屋」と呼ぶ休み処
で休憩して、絞りたての生ジュースを味わう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/2d/d8f40d9eb7fcfa3230a1021db40b2331.jpg)
庭にはベニバナトキワマンサクが数本満開。この花は近くの民家にも何か所かで咲いて
いた。建物の横にはシロヤマブキも花を見せている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/7d/f33b4fd4366c8da07bc3a7cdb132612c.jpg)
少ない家並みが途切れ、石畳を少し上がって峠となり、柿畑の間を下る。ため池のそば
に「永久寺跡」の説明板が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/fd/d01a0105c208f27d9eb4c1278254d836.jpg)
寺は永久年間(1133~7)に建立され、これから訪ねる石上(いそのかみ)神宮の
神宮寺として盛時には大伽藍(だいがらん)が並んでいたが、明治の廃仏毀釈(はいぶつ
きしゃく)で廃寺となり、いまは池を残すだけという。
当時の絵図も並んでいたが、広い境内に多くの堂塔が並ぶ様子は、池と山林だけの現在
地では全く想像できない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/14/0147c4aa28a79d8d76883b90da229cc8.jpg)
南北朝時代、後醍醐天皇が吉野遷幸の時に立ち寄った地とされる「萱野御所跡」碑もあ
り、池の北端には、当時永久寺を訪ねた芭蕉の句碑が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/18/520fdf280528068d8db4ac7a795df42b.jpg)
国道25号天理トンネルの西側で国道の下をくぐり、静かなたたずまいの池の横を進み、
うっそうたる石上神宮境内の森に入る。
鏡池の角で西からの参道に合し、神の使いとされる鶏の遊ぶ参道を上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/a4/1c00e417eb2f2b8b52ad7313bc6df63b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/c8/63285fc0bc27c35878f85d0ce471099b.jpg)
国重文の楼門を入って、国宝、檜皮葺(ひわだぶき)屋根の拝殿に参拝する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/d4/250849d0bb41e629b745fc22c637d489.jpg)
石上神宮は日本最古の神社で、神武天皇が即位した時に宮中に祭られ、崇神天皇7年に
ここへ移されたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/2b/082be59b60f6720d7d15cb4037af17ff.jpg)
楼門横の回廊には、奉納された清酒の樽が並び、南北朝時代の応安2(1369)年銘
の松製の鎧櫃(よろいびつ)や古い自衛消防ポンプも置かれ、寺跡でも見た「内山永久寺
之図」も掲示されていた。
楼門を出て南側高みには、国宝で廃寺となった永久寺から移設した出雲建雄神社の拝殿
↓や、天神社、摂社拝殿などが並び、その一角から拝殿後ろの本殿屋根も望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/ca/d36ce6861d5b0afaa40e6be4429b624d.jpg)
山の辺の道はこの先北へ、奈良市内まで続くが、多くの人が歩くのは、昨日から歩いた
桜井駅からここ石上神宮までである。
昨日は多くの神社を訪ね今日はたくさんの古墳を巡り、いにしえの奈良の歴史を再認識
し、新緑あふれる山並みや、春の花を眺めながらの静かな里道歩きを楽しむことが出来た。
道標や説明板も多く休憩所やトイレも適度にあり、車を気にせずに歩ける、ほかでは得
られぬ道筋だった。沿道には数多くの無人販売所もあり、ゴミも無く、歩く人のマナーの
良さも感じられた。
欲を言えば、途中の波多子塚古墳の説明板のところで会った、東大阪市の元消防署職員
の方が言われた、30年前とはすっかり変わってしまったと嘆いていた当時の、この地方
特有の民家の並ぶ里道を歩いてみたいことだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/d0/749ad269f9d70feb4fcc118e7c9777fc.jpg)
参道を下って車道に出て、北進して国道25号に入ると、天理教本部周辺の大きな建物
群が見えてきた。布留川の橋の先で、西に直進して天理駅に向かう道に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/62/6a7e0fb3855a01bb4b6128877de99e0e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/d5/53c5c40aa9c321f0f4acf2149702135f.jpg)
明日の天理教教祖祭を控え、全国各地の教会のはっぴを着た信者が行き来し、たくさん
ののぼりやちょうちんの並ぶ天理教本部前を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/97/cc27cf6c56ba746c8a6bc973623d9099.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/8c/3d68b617fe1352a57811689c438d2201.jpg)
長いアーケードの続く天理本通に入り、参拝者用の土産物店などをのぞきながら進み、
17時25分にJR桜井線の天理駅に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/ca/c8b4ad39813c200251c9bbf0e54fe4cc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/9e/57cc8a741c25a3e1452690dd883f87a4.jpg)
(天気 曇後晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 桜井、大和郡山、歩行地 桜井市、
天理市、歩数 23,900、累積標高差 上り 約260m、下り 約270m)
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昼食を終えて北へ。正面に念仏寺の大屋根が迫る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/a3/74aace184b7613367b8a6faca3d57449.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/73/b68dd2b979f6aa9a67e60c44dd0a0af1.jpg)
近づくと、門前で「お墓参りの心得」を下げた大きな童僧の石像が迎えてくれる。境内
は広くはないが植栽はよく手入れされ、紅葉のようなモミジの若葉や八重桜が映える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/b0/d87f7faa60ea70cd5ca9c1db30cda9b1.jpg)
東に回り、念仏寺の墓地や柿畑の間を進む。東側一帯は前方後円墳の灯籠山古墳のよう
だが、墓地と柿畑なのでそうとは見えない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/6d/9ce1a8c2ac674b815bf0f2279092d037.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/bc/d2162be72569cd5fa39099543d2a6f0b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/f6/357ea8d9e20ed497ae8b7d5b7c3f02db.jpg)
次の小集落の五社神社のある十字路を東から南に回り込み、中山大塚古墳の北東にある
西殿塚古墳へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/42/6dd4fc6cd4d07e77e3c32c9a1df5330e.jpg)
全長234mの前方後円墳で、第26代継体天皇の皇后・手白香(てしらか)皇女の衾
田(ふすまだ)陵とされるが、実際はもっと前の3世紀後半の造営とみられるという。
五社神社の十字路に戻り、次の萱生(かよう)町の集落に入った。古墳時代後期の前方
後円墳、西山塚古墳の東側を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/1a/60fb625199a905db7f792b76b404dc4e.jpg)
その古墳の環濠の一部利用して環濠(かんごう)集落があり、家並みが水に影を映す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/a8/a4df7e692c54cfdc7e86f9ee640dff02.jpg)
環濠集落は大和の戦国乱世が生んだ自衛の集落で、用水を兼ねた濠の内部に竹やぶを植
え込んだというが、現在残っている環濠も家並みもわずかである。
萱生町集落の北端の交差点際から、北西間近に前方後円墳、波多子塚古墳の後円部が見
える。四世紀前半の築造と考えられるようだが農地になっていて、石垣が階段状に設けら
れていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/fb/716c09c5359a06f7cec60f26e7b2ddee.jpg)
その先に萱生町の大きな看板があり、「大和平野を一望できるスポット 特産物は刀根
早生柿とみかん」と記されていた。確かにこの辺りの標高は100m前後で、今日は霞ん
ではいるが大和平野の展望が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/8b/3a19d9168516095d71b3b6cd09b04245.jpg)
近くに「みちふく」という休み処がある、この日は休業日のようで、くさりが張られて
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/ac/d17fa2b8b06000a4e4f90f81e247a51e.jpg)
東側に広がる柿畑や新緑の山並みなどを眺め、木のイスとベンチのある休憩所前を通過
し、ナノハナの咲く竹ノ内町の集落へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/c2/6d573a69354ed8dd1bbea35a731d20d1.jpg)
新しいトイレと休憩施設があったので、ベンチでひと休みする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/96/d31ee0d855c8f849c5c866584ef4aaf9.jpg)
ここにも集落を囲む環濠があったようだが、いまはほんの一部だけが残り、そうと知ら
ねば気づかずに通過してしまいそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/e3/db273f0fcd97979b770212bc1a01bb40.jpg)
次の乙木(おとぎ)集落南端に「せんぎりや」という無人販売の店があり、地元産の米
や野菜、果物などを販売している。おいしそうなかき餅があったのでひとつ求めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/21/f6d481eb455955c5909ff5874323da45.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/3b/01e323dcc79a44238547c8da3345885b.jpg)
家並みの間の細い通りへ。集落の中心、十字路際のお宅のベニバナトキワマンサクが満
開だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/04/83dc4cd58206dceed0f7e2725f230e0c.jpg)
集落を抜けると、大きなクスノキなど繁る夜都伎(やとぎ)神社の森が見えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/a2/0453d7e9c94499ab624a9697da93d7fc.jpg)
昔から奈良春日神社と縁深く、明治維新まではハスのお供えを献供し、春日神社からは
社殿と鳥居を下げられるのが例だったと伝えられているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/21/9bd8bbd3dcb42122562410861c05fef4.jpg)
拝殿は珍しいわらぶきだが、かなり傷んでいる。本殿は春日造りの社殿が大小4つ並ん
でいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/ea/5cccbc7f167ac1048d17dd80af964520.jpg)
神社の西を回って行くと、北に東乗鞍古墳が見えてきた。古墳の東を進んでT字路に合
し、東側山麓の園原町の小集落に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/d3/e50a88a2806dde29c1870b75e0c58d26.jpg)
山麓を北へ緩やかに上がって天理観光農園の建物↑に入り、「峠の茶屋」と呼ぶ休み処
で休憩して、絞りたての生ジュースを味わう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/2d/d8f40d9eb7fcfa3230a1021db40b2331.jpg)
庭にはベニバナトキワマンサクが数本満開。この花は近くの民家にも何か所かで咲いて
いた。建物の横にはシロヤマブキも花を見せている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/7d/f33b4fd4366c8da07bc3a7cdb132612c.jpg)
少ない家並みが途切れ、石畳を少し上がって峠となり、柿畑の間を下る。ため池のそば
に「永久寺跡」の説明板が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/fd/d01a0105c208f27d9eb4c1278254d836.jpg)
寺は永久年間(1133~7)に建立され、これから訪ねる石上(いそのかみ)神宮の
神宮寺として盛時には大伽藍(だいがらん)が並んでいたが、明治の廃仏毀釈(はいぶつ
きしゃく)で廃寺となり、いまは池を残すだけという。
当時の絵図も並んでいたが、広い境内に多くの堂塔が並ぶ様子は、池と山林だけの現在
地では全く想像できない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/14/0147c4aa28a79d8d76883b90da229cc8.jpg)
南北朝時代、後醍醐天皇が吉野遷幸の時に立ち寄った地とされる「萱野御所跡」碑もあ
り、池の北端には、当時永久寺を訪ねた芭蕉の句碑が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/18/520fdf280528068d8db4ac7a795df42b.jpg)
国道25号天理トンネルの西側で国道の下をくぐり、静かなたたずまいの池の横を進み、
うっそうたる石上神宮境内の森に入る。
鏡池の角で西からの参道に合し、神の使いとされる鶏の遊ぶ参道を上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/a4/1c00e417eb2f2b8b52ad7313bc6df63b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/c8/63285fc0bc27c35878f85d0ce471099b.jpg)
国重文の楼門を入って、国宝、檜皮葺(ひわだぶき)屋根の拝殿に参拝する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/d4/250849d0bb41e629b745fc22c637d489.jpg)
石上神宮は日本最古の神社で、神武天皇が即位した時に宮中に祭られ、崇神天皇7年に
ここへ移されたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/2b/082be59b60f6720d7d15cb4037af17ff.jpg)
楼門横の回廊には、奉納された清酒の樽が並び、南北朝時代の応安2(1369)年銘
の松製の鎧櫃(よろいびつ)や古い自衛消防ポンプも置かれ、寺跡でも見た「内山永久寺
之図」も掲示されていた。
楼門を出て南側高みには、国宝で廃寺となった永久寺から移設した出雲建雄神社の拝殿
↓や、天神社、摂社拝殿などが並び、その一角から拝殿後ろの本殿屋根も望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/ca/d36ce6861d5b0afaa40e6be4429b624d.jpg)
山の辺の道はこの先北へ、奈良市内まで続くが、多くの人が歩くのは、昨日から歩いた
桜井駅からここ石上神宮までである。
昨日は多くの神社を訪ね今日はたくさんの古墳を巡り、いにしえの奈良の歴史を再認識
し、新緑あふれる山並みや、春の花を眺めながらの静かな里道歩きを楽しむことが出来た。
道標や説明板も多く休憩所やトイレも適度にあり、車を気にせずに歩ける、ほかでは得
られぬ道筋だった。沿道には数多くの無人販売所もあり、ゴミも無く、歩く人のマナーの
良さも感じられた。
欲を言えば、途中の波多子塚古墳の説明板のところで会った、東大阪市の元消防署職員
の方が言われた、30年前とはすっかり変わってしまったと嘆いていた当時の、この地方
特有の民家の並ぶ里道を歩いてみたいことだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/d0/749ad269f9d70feb4fcc118e7c9777fc.jpg)
参道を下って車道に出て、北進して国道25号に入ると、天理教本部周辺の大きな建物
群が見えてきた。布留川の橋の先で、西に直進して天理駅に向かう道に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/62/6a7e0fb3855a01bb4b6128877de99e0e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/d5/53c5c40aa9c321f0f4acf2149702135f.jpg)
明日の天理教教祖祭を控え、全国各地の教会のはっぴを着た信者が行き来し、たくさん
ののぼりやちょうちんの並ぶ天理教本部前を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/97/cc27cf6c56ba746c8a6bc973623d9099.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/8c/3d68b617fe1352a57811689c438d2201.jpg)
長いアーケードの続く天理本通に入り、参拝者用の土産物店などをのぞきながら進み、
17時25分にJR桜井線の天理駅に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/ca/c8b4ad39813c200251c9bbf0e54fe4cc.jpg)
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(天気 曇後晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 桜井、大和郡山、歩行地 桜井市、
天理市、歩数 23,900、累積標高差 上り 約260m、下り 約270m)
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