あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

武蔵浦和駅からの赤富士(埼玉)

2011-01-31 21:40:22 | Weblog
 今日、1月31日(月)は、朝8時過ぎに茨城県の関東鉄道下妻駅をスタートし、西に
向かって農村地帯を28㎞前後歩き、16時前、JR宇都宮線古河駅にゴールしました。

 この歩きについては、昨日のとりで利根川七福神めぐりのレポート後、報告します。

 本日は、帰途のJR埼京線の武蔵浦和駅ホームで見た、日没直前の赤富士の写真
のみにとどめます。



 このとき太陽は、右手(北側)に輝いていましたが、乗り換えたJR武蔵野線で、西浦
和を過ぎたころ、秩父連山の向こうにに隠れました。
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とりで利根川七福神巡りへ

2011-01-30 19:18:18 | Weblog
今日、3月30日は、今年まだ行っていなかった、七福神巡りに出かけました。
場所は、JR取手駅から市内東側を回る、とりで利根川七福神です。
午後は、利根川の左岸堤防沿いを、駅の方に向かいましたが、雲が増えたのと、向
かい風がちょっと冷たく、寒さに震えながら回りました。
明日も、同じ茨城県の下妻市から古河市へのウォーキングをするため、守谷駅前の
ビジネスホテルに来ています。
したがって、今日明日のレポートは、帰宅後の明後日以降になります。
ホテルから、とりあえずの報告です。
写真は、取手七福神の明星院の恵比須神。
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古い登山用品とスキー学校のゼッケンが

2011-01-29 22:16:21 | アーカイブ
 1月9日(日)に、立て替えのための仮住まいに引っ越してきた後、運んできた段ボー
ルを少しずつ明けてみたら、すっかり忘れていた、こんなものが出てきました。

 1950年代から1960年代の頃、週末の土・日曜を利用して、あちこちの山登りに出
かけていたときに使っていた、登山用品の一部です。


 上の写真の左上は、組み合わせのコップです。


 その右は、日本海軍の飯ごう。若い人は見たことがないでしょう。

 父親が第二次世界大戦中使ったものを、分けてもらったもので、ザックに米とともに
入れて山行に行き、テント泊の時などに、この飯ごうでご飯をつくったのでした。

 上ふたを開けると中ぶたがあり、ご飯が出来たらそれぞれに盛って、2人でご飯を食
べることが出来ます。だいぶ使ったと見えて、中はお焦げで、外は燃やした薪で、黒く
なっています。


 これは、味噌汁や鍋物などを造ったコッフェル。


 中身は、このようになっています。

 鍋や皿、湯沸かしとその置き台が組み合わさっているのです。

 左下の2つは、水を入れたポリタンク。

 左の小さい方が1リットルと記されているので、右は2リットルでしょうか。2つに水を
入れると、これだけで3㎏になります。

 最初の写真の右下も、日本海軍の水筒。これも父親譲りで、ポリタンクを持つ前は、
水を入れるものは、この水筒しかなかったように思います。


 ほかに出てきたのが、この4本爪の簡単なアイゼン。いつ買ったか思い出せません
が、1971年夏に、白馬岳大雪渓を上がったときには使ったものです。


 これらの用品を入れて背負ったいたのが、このザックでした。


 買い換えて、余り使っていなかったのか、割合きれいです。


 同じ段ボールの中に、こんなものも入っていました。

 1960年代の冬、毎年のように数年参加した、交通公社のスキー学校のゼッケン。
国鉄信越線で関山や妙高、志賀高原、米坂線の天元台スキー場などで開催された、
スキー学校に通いました。

 1回で数日間、しんしんと雪の降る日も、一生懸命滑ったことが思い出されます。
コメント (3)
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青少年国際野外旅行研究会(ワンデル)シンポジウム開催

2011-01-28 23:10:13 | ウオーキング
 2011年1月26日(水)

 東京・代々木の国立青少年総合センターのセンター棟512号室で、15時~17時
35分頃まで、「少年たちの旅立ちを応援する集い」と銘打った、標記シンポジウムが
開催された。



 参加者は、大学生や大学院生をはじめ、日本ユースホステル協会の幹部や職員、JR
東日本社員、玉川学園教員、もとJTBにつとめ、のち紀行作家となった方、青少年の
野外活動などに携わっている方、自転車で日本国内や世界一周をされた方、この研究
会を主宰した山浦正昭さんの活動を、35年くらい前から支援した新聞社OBと関係の
仲間、山浦さんが立ち上げたウオーキングのネットワークのメンバーなど、多彩な顔ぶれ
20数人が集まった。


 最初に、紀行作家の I さんが自己紹介を兼ねて、若い頃のYH(ユースホステル)利用
の旅のことや、JTBでの旅行雑誌の編集のこと、フリー作家になった後の活動の原点が
旅にあることなどを話された。



 そのあと、山浦さんから、少年たちの旅はどうあるべきかについて、ユースホステル
の創設者、ドイツのリヒャルト・シルマンの歩き旅の考え方や、若い時に旅をすることに
より、現地を知り、国を知り、多くの人との出会いふれあいが、その後の生き方にも大
きな影響を与える、といったことなどについて説かれた。


 後半は、参加者が個々の活動の紹介などがあり、子どもたちに一人旅をさせている
こと、YHを利用してどのような旅をしたか、香港から北京を目指して野宿旅を始めたが、
寝ている間に身ぐるみ全て盗まれた経験、28歳の時に自転車で世界一周したこと、
会津で子どもたちの野外活動を体験させるシルマンスクールを実施していること、など
が披露された。



 最後に山浦さんから、少年たちの旅立ち推進の方向や目標について、サイコロのよう
に六面に展開した図の説明があり、少年たちが挑戦、冒険の力をつけることにより、自
信と達成感が得られるとともに、エコロジーな活動でもあり、旅をすることによりお互い
の理解が深まり、国際紛争の解消にもつながるといったことで結ばれた。


 シンポジウムの後半に、山浦さんから参加者に配布されたカード。少年たちが歩き旅
に旅立つことを願ってつくったものらしい。



 シンポジウム終了後、別棟のレストランで懇親会も開催され、19時半頃散会した。


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山浦正昭さん、『旅立つ少年たちの寅ノ巻』を発刊

2011-01-25 16:41:33 | ウオーキング
 当ブログに頻繁に登場する「やまさん」こと、カントリーウオーカーの山浦正昭さん
が、明日1月26日(水)づけで、青少年の独立独歩の旅立ちをすすめる情報を満載
した、『旅立つ少年たちの寅ノ巻』を発刊した。



 山浦さんは、少年たちが未知の世界へ、自分の翼で大きく羽ばたくのを、もっと
大人が応援してあげようと、2008年夏、『青少年国際野外旅行研究会』を立ち上
げ、年4回、日本ユースホステル協会会議室で、その研究会を開催してきた。

 昨年12月、10回の研究会をもってひと区切りとしたのを機会に、その成果を盛
り込むとともに、山浦さんの日頃の考えをまとめて、本書を刊行したものである。

 本書は、少年たちが、冒険心や探求心、自立心を高めるためのノウハウや提言を
中心にまとめられている。

 少年たちが、家を離れて独立独歩の旅立ちをはじめようと提言し、それには、金を
使うな頭を使え、乗り物に乗るな足を使え、ガイドブックは使うな、宿屋に泊まるな
ユースホステルを使え、といったことを説いている。

 そして、足の旅を勧める理由や旅の大目標を示し、それらの具体的な旅行術として、
交通、宿泊、行き先、資料や地図、日程、荷物、安全などについてが盛り込まれた。

 さらに、関東を中心にした歩き旅の見本として、やまさんが実際に歩いたコースに
ついて、自作の地図を多数掲載誌して、ヒントを与えている。

 ほかに、研究会で発表した大人が、青少年時代に行った自転車旅行や歩き旅のこ
ととか、若い人たちの最近の旅のことなども、盛り込まれ、全体では240頁に及んで
いる。



 本書は部数限定の自主刊行物だが、希望の方は、はがきかファックスで申し込めば、
1部2,000円で入手できる。

 B5判240頁、企画・編集 青少年国際野外旅行研究会 発行 オンフットワーク
 山浦正昭さん

 なお、青少年国際野外旅行研究会の締めとなるシンポジウムが、明日、1月26日
(水)15時から、東京・代々木の青少年総合センターのセンター棟、512号室で開催
される。(交通:小田急線 参宮橋駅下車 徒歩数分)
 

 
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春を待つ所沢航空記念公園(埼玉)

2011-01-23 18:44:24 | 所沢だより
 今日、1月23日(日)、市内ウオーキングで、所沢航空記念公園へ出かけました。

 市役所の近くから公園内に入り、市立図書館の横から芝生広場の南側に回ります。
芝生広場には、多くの家族連れの姿が見られます。

 向こうに見えるのは、県立所沢航空発祥記念館。建物は、飛行機のエンジンをイメ
ージしたものです。

 広場の南側にある、ロウバイ園に入りました。




 数十本のロウバイは、ほぼ見頃です。






 東側の一角には、寒中というのにパンジーが花を競っていました。


 パンジーに負けじと、こちらもよい彩り。


 でも、近くの梅園の梅は、まだほとんどがつぼみ。そばの子供広場では、たくさんの
子供たちが寒さを気にせず、元気に遊んでいます。


 公園の東南の角近くにある池には、今年もカモがたくさん飛来してきていました。






 池の東面は凍っていて、カモも入ることは出来ません。池全体の半分近くが氷に覆
われていますが、この池が凍っているのを見たのは、はじめてのような気がして、今
年の寒さが実感できました。


 池の南側から東側にかけて立つ、メタセコイアが芽吹くのは、まだ2ヶ月余り先の
ことでしょうか…。



 
 春の到来の早いことがが待たれる、この冬の寒さです。

 
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出てきた古い新聞

2011-01-21 21:03:23 | Weblog
 引越に伴い、不要なものをたくさん処分したのですが、処分もれで引っ越し先に
持ってきて、久しぶりに見たものが幾つもありました。

 その一つが、以下の古い新聞記事です。自分で保存していたものと、連れ合い
か義母が保存していたものとがあるようですが、とりあえず月日順に並べます。

 そして、古い順に並び替えるとどうなるのか、皆さんお分かりでしょうか?

①-1 ○○年1月7日


①-2 ○○年1月8日


②-1 ○○年1月7日号外


②-2 ○○年1月7日夕刊


③-1 ○○年1月17日号外


③-2 ○○年1月18日


③-3 ○○年1月18日


④ ○○年6月9日


⑤ ○○年6月16日


⑥ ○○年6月21日


⑦ ○○年7月5日夕刊


⑧ ○○年9月12日


 【こたえ】年代順は、以下の通りです。

② 1989年(昭和64年)1月7日

① 1993年(平成5年)1月7~8日

④ 1993年(平成5年)6月9日

③ 1995年(平成7年)1月17~18日

⑥ 1995年(平成7年)6月21日

⑦ 1997年(平成9年)7月5日

⑤ 2000年(平成12年)6月16日

⑧ 2001年(平成13年)9月12日

 みなさんは、それぞれの時期、どんなことをしておられたでしょうか…。皇室の記事
が半分ありますが、他意はありません。
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関東百駅巡礼歩行 JR京葉線 千葉みなと駅

2011-01-17 18:41:46 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年1月15日(土)

 関東百駅巡礼歩行も8年目、今年最初の第71回は、JR京葉線の千葉みなと駅。
新年早々から引越の前後処理に追われていたので、私の今年の歩き始めでもあり、
市外に出るのも電車に乗るのも、今年はじめてのことだった。

 レギュラーメンバーばかりの参加者5人は、駅西口で記念撮影をして、11時8分に
スタートした。


 今日の最高気温は7℃前後との予報。薄日が出ているが空気は冷たく、風がない
のが幸いである。

 ヨーロッパの宮殿風の造りの、ベイサイドパーク迎賓館の前を通り、千葉中央港沿
いの空き地の横を回って、千葉ポートパークへ。

 昭和61年(1986年)、千葉県民500万人突破記念として、さらに国際港千葉港の
シンボルとして建てられた展望施設だという。

 菱形の構造物の回りがガラスで覆われ、真ん中にエレベータがある。エレベータで
最上階という4階まで上がると、地上高は113mになる。


 遠くは富士山や筑波山、東京湾アクアラインや都心の高層ビル、建築中の東京ス
カイツリーも見えるようだが、今日は霞んでいて、近くの千葉市街の中心部や、眼下
の千葉港とか千葉ポートパークなどの展望に限られた。


 階段を使って、3階の展望喫茶室や2階のアクアファンタジーと呼ぶコーナーを通過
し、2階からエレベータで地上まで下りる。下には、千葉観光物産館があった。


 ポートタワーを出て、東側の千葉ポートパークに入り、円形広場を横切って県立美術
館の東側を抜ける。美術館の庭には、何本かの白梅が花を開いていた。


 県警の救助艇の見える港の脇を通過、JR京葉線の下を抜けて北東に進む。カラフル
な建物の新宿(しんじゆく)中の先で国道357号を横断し、新宿小の横を過ぎる。


 高架になっているJR外房線と京成電鉄千原線下の賑やかな商店街に入り、両線の
千葉中央駅下へ。東側の通りに出て、線路に沿った小公園で、昼食をする。


 東側正面に見える、高層の千葉県庁に向かい↑、中ほどで葭川(よしかわ)の日本
橋を渡った。


 千葉都市モノレール1号線の下の通りに出ると、正面にNHK千葉放送局がある。

 その横を進んで再度葭川を渡り、千葉県庁構内を東に抜ける。県警本部の横を、次
の交差点際まで進むと、正面にしゃちほこの上がった千葉城が見える。千葉市にこの
ような城があるとは、ついぞ知らなかった。

 交差点際には、「えるふ」と呼ぶ、こどもの絵本専門店が合ったのでちょっとのぞいて
みる。店内には、子どもの興味をひきそうな本が、たくさん揃っていた。


 交差点を越えて県立中央図書館の横を上がり、亥鼻(いのはな)公園へ。文化会館
前からお城に向かうと、「教師とは…」と刻まれた石碑がある。

 千葉師範を出て弱冠28才で校長になり、戦後初代県教育長に、のち参議院議員を
30年間つとめ、参議院副議長にもなった、加瀬 完氏のことばだという。

 お城のような北側の鉄骨コンクリート造りの建物は、古代から中世にかけて下総国
を中心に活躍した千葉氏の居城跡に、昭和42年(1967)につくられた4層5階の城郭
型建物で、千葉市立郷土博物館として公開されている。


 入館料60円を払って入り、1階から3階へ周り、江戸時代から現代までの千葉の歴
史、千葉氏の興亡や妙見信仰、「失われゆく匠の道具」という特別展などの展示を一巡
した。

 週末には、ボランティアの説明員が入るようで、この日も数人の男性が待機していた。

 5階の展望室からは、周回して千葉市街の展望が得られるが、金網が張られていて、
視野にうっとうしいのが残念だった。


 亥鼻公園を東に抜け、亥鼻三丁目の住宅地に入ると、斜面のスイセンがかなり花開
いている。


 ロウバイの咲く東禅寺の横から、昔のままの曲がりくねった細い路地を進む。

 葛城中の東側を通過して、車道を二つほど横切り、次の通りに出たら、行く手に大き
な屋根が見えた。

 さらに細い路地を進んで、坂東三十三観音霊場第29番の千葉寺(ちばでら)に、背
後から入る。

 千葉寺の創建は和銅2年(709)と伝えられ、市内最古の寺院。発掘調査の結果、
奈良時代末期には、金堂があったことが確認されたという。関東八十八か所の第47
番霊場でもある。


 朱塗りの大きな本堂は、鉄骨コンクリート造り。その前に、創建の年、僧行基がもた
らしたという、樹高30m、目通り8mもある大イチョウが立つている。

 昨年秋に風害で折れた、鎌倉の鶴岡八幡宮のイチョウよりも大きく、たくさん垂れた
乳柱をせんじて飲むと、母乳がよく出るようになると伝えられているようだ。

 広い境内には桜が多く、参拝に来た近くの奥様の話では、以前は骨董市も開かれた
とのことだった。

 文政11年(1828)の建立という、南側の仁王門を出て、千葉寺町の住宅地の間の
細道を南に向かう。古くからの住宅が多く、しゃちほこの上がったりっぱな邸宅もある。
Nさん宅で、この地の町内会長をされているようだ。

 今回のゴール、高架になっている京成電鉄千原線の千葉寺駅には、15時15分に
着いた。寒中の寒さではあったが、関東百駅ならではの、この企画がなければ訪れる
ことがないであろう、千葉市の中心街のウオーキングを楽しんだ。

(天気 曇、参加 5人、距離 7㎞、地図(1万分の1) 千葉西部、千葉東部、歩行地
 千葉市中央区、歩数 13,800)
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県道で電柱倒壊事故(埼玉・所沢)

2011-01-16 19:06:03 | 所沢だより
 寒気が居座って寒い今日、1月16日(日)の昼前、市内のウオーキングに出ました。

 西武池袋線の西所沢駅前を通過し、星の宮交差点から県道4号、東京所沢線(通称
行政道路)を南住吉方面に向かったら、住吉歩道橋のそばの交差点際の電柱が傾い
ていて、そばに新しい電柱を建て終わったところのようでした。


 傾いていても倒れないのは、この電柱に架けられている、たくさんの電力線や電話ケー
ブルなどが、切れずに支えているお陰のようです。


 根元を見たら、なんとポッキリと切れているではありませんか。左から来た自動車が、
向こう側の県道へ左折しようとして衝突したようです。


 それにしても、このような太い電柱が切れているのですから、かなり激しくぶつかっ
たのではないでしょうか。県道のガードレールも、曲がっているのが分かります。

 そばの、住吉歩道橋に上がって、見下ろした状況です。

 前方にはパトカーが2台いて、赤色灯を点滅させていました。



 こちらには、電気工事会社の車が数台待機していて、間もなく電線の架け替えが始
められるのではないかと思われます。


 「犬も歩けば棒に当たる」ならぬ、「車も運転を誤れば電柱に当たる」ことになって
事故にならぬよう、お互いに注意したいものです。

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所沢市役所に日本最初の飛行機復元模型を展示中(埼玉)

2011-01-12 22:08:22 | 所沢だより
 今日、1月12日(水)、移転して3日になり、所沢市役所へ転居の届けを出すこと
にしました。

 市役所に向かい、従来の家からのウオーキングルートでは通ったことのない道を
進んだら、転居してきた仮住まいと同じ町内にあるお寺の、新しい山門前の紅梅が、
チラホラと花を見せていました。




 境内には、背の高いしだれ桜も見え、花どきが楽しみです。


 市役所の住民課と国民健康保険課に回り、転居の届け出をして、新しい健康保険証
の交付を受けました。


 市役所のエントランスホールでは、発生から16年になる阪神淡路大震災の時期に
合わせて、防災・防犯フェアを開催中でした。


 そして、防災・防犯フェアのコーナーの上部には、天井から吊された古い飛行機の
模型が展示されています。


 これは、日本で最初に空を飛んだという、フランス製のアンリ・ファルマン機の2分
の1復元模型。模型の長さは6m、翼が5.3m、重さは60㎏あるようです。

 『所沢航空発祥100周年』にちなむイベントの一環として、所沢市内在住の彫刻家
・柳澤飛鳥さん(62歳)が製作して市に寄贈したもので、6月30日まで展示される
ようです。

 日本最初の飛行場は、明治44年(1911)に開設された所沢飛行場。開設直後、
陸軍の徳川好敏大尉が操縦するアンリ・ファルマン機が、初めての飛行場の飛行に
成功しました。

 ちなみに、日本最初の飛行は、前年の明治43年、同じ飛行機が東京・代々木練兵
場で試験飛行に成功しています。 

 市庁舎構内には、防災・防犯フェア併設の、阪神淡路大震災の揺れを体験できる体
験車が来ていたので、私も体験することにしました。


 体験車に乗って、テーブルのそばのいすに座っていると、阪神淡路大震災の揺れが
やってきて、次第に震度が上がり、瞬間的には震度7の表示が出ました。


 震度5以上だと、立っているのは無理と感じる激しい揺れでした。


 こんな地震が所沢にやってきたら、いままで住んでいた家は、ひとたまりもなく倒
壊するのではないかと思われ、再建するのも、体験するのも、よいタイミングでした。
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