あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

奥多摩・日の出町とあきる野市を訪ねる(東京都)

2009-02-28 22:12:06 | 江戸・東京を歩く
 2009年2月28日(土)



 地図愛好グループの例会で、東京・奥多摩の日の出町を訪ねた。
集合は、JR五日市線の武蔵増子(ますこ)駅に10時。

 まず、駅の近くにある三角点を探すことにする。駅から線路沿いを
東に向かい、踏切を渡って線路際の畑道を少し進む。


 畑の隅に、177.1mの四等三角点があった。

 ここからは360度の展望が良い。企画者のNさんにもらって地図で、
周辺の三角点のある地点を皆で同定し合う。

 次に2台の車に分乗して、西北西の日の出団地南側の稜線にある
279.1mの三角点を目指す。だだ、ここは最近の地形図からは抹消
されていることを私は前日把握していたので、無いはずだが一応確認
することにした。

 戸建て住宅が整然と並ぶ日の出団地の西端まで行き、横沢東尾根
と呼ぶそばの稜線を南東に上がる。写真は、稜線からその団地を見下
ろしたところ。


 一帯は、横沢入里山保全地域になっていて、稜線に遊歩道がついて
いる。

 そのピークが、279.1m三角点の位置だが、やはり三角点の痕跡
は見つからなかった。


 車で都道185号を少し北上し、平井にある秋川霊園の一角で昼食と
する

 都道184号を西へ、萱窪交差点から秋川街道を坂本まで進み、都道
251号に入る。北大久野川沿いの集落には梅の木や梅林が多く、見ご
ろ花があちこちで見られた。

 標識に従い、次第に人家の少なくなった細道を上がって行くと、集落の
尽きたところに中曽根・レーガン会談で知られた日の出山荘があった。
 

 
 もとは中曽根康弘元首相の別荘だが、平成18年(2006)11月11日に
中曽根氏から日の出町に寄贈され、1年後の平成19年の同日から日米
首脳会談記念館として公開されている。


 建物は3棟あり、青雲堂と呼ぶかやぶき屋根の建物は、昭和58年
(1983)11月11日到着したレーガン大統領夫妻に、いろりを囲んで
中曽根首相が抹茶をたててもてなしたところ。


 その先の天心亭では、昼食後、中曽根首相とレーガン大統領が日米
友好協力、世界の安全保障について首脳会談(ロン・ヤス)会談を行っ
たという。


 一番奥の書院(上)には、レーガン大統領夫妻の写真をはじめ、ここ
を訪れたゴルバチョフ元ロシア大統領ほか各国の来賓や、中曽根首相
の写真、自筆の書、各国首脳からの贈答品などが展示されていた。

 これは、1996年5月27日、韓国の全斗煥大統領から贈られた半鐘。


 ひととおり見て回った後、記念撮影をする。今日の参加者は、カメラ
を入れて10人だった。


 広い邸内の一角で紅梅が満開、入口付近にはフクジュソウがたくさん
咲いていた。


 ちなみに日の出山荘の入館料は、一般200円、65歳以上と高校生
100円、中学生以下無料。休館日は月、火(祝日の場合は翌日か翌々
日)、開館は10時~15時30分(入館受け付15時まで)である。

 再び車に分乗し、武蔵増子駅と武蔵五日市駅の中間、JR五日市線
の線路の北側にある古寺、大悲願寺へ。草創は鎌倉時代とのこと。ここ
は、あきる野市になる。

 堂々たる楼門(仁王門)は、安政6年(1859)の再建。天井には、梵
字を囲んで草木の花が描かれ、左手の袖天井には、みごとな雲龍図が
描かれていた。  


 楼門を入った正面にあるのが「無畏閣(むいかく)」とも呼ばれる観音堂。

 寛政6年(1794)の建立で、最近大規模な修復工事が行われ、屋根下
の彫刻も鮮やかな彩色が復元されている。

 堂内には、国指定重要文化財の「木造伝阿弥陀如来及び脇侍、千手
観世音菩薩・勢至菩薩座像」が安置されているという。

 観音堂の右手にある本堂は、元禄8年(1695)の建築。特に内部は
建築当初の姿をよく保っていて、方丈系本堂建築としては、この地方の
代表的な建物のひとつらしい。


 境内には、安永9年(1780)に建築の中門(朱雀門)、あきる野市
保存樹のサルスベリの古木、四国八十八か所お砂踏み霊場など、見
るべきものが多い。

 余談だが、この大悲願寺には、第2次世界大戦末期の昭和19年
(1944)晩秋、新宿、中村屋の創立者・相馬愛藏と良(国光)夫妻が
離れの一棟に疎開したという。

 当時ほかに、本堂には世田谷区の疎開児童が100人ほど、観音堂
には陸軍の衛生班など、多数の住人がこの寺にいたことが、臼井吉見
の大河小説「安曇野」に記されている。

 15時近く、JR五日市線の終点・武蔵五日市駅に着き、解散となった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

埼玉県立文書館などを巡る(さいたま市)

2009-02-27 22:15:31 | Weblog
 昨日報告した埼玉会館での「第10回水繪塾合同展」の観覧後、
さいたま市内の中心、埼玉県庁周辺を何か所か巡りました。



 まず、浦和駅西口交差点近く、中山道沿いのユザワヤの南隣に
ある「さいたまふるさと館」です。


 さいたま市の商工会関連の施設とのこと。館内には、中山道や、
さいたま市に関する写真や資料などが展示されていて、それらの
資料もあったので、何種類かもらいました。

 2階のふれあいギャラリーでは、趣味の木版画を展示した「森山
敏夫木版画展」を開催中。四季の情景を題材にした作品22点と、
木版画制作の年賀状が展示されていました。

 なお、この建物は消防法上の関係から立ち退かねばならず、近く
北浦和に移転になるとのことでした。

 中山道をさらに北に進み、須原屋書店で2万5千分の1と5万分
の1地形図を購入しました。

 うらわ美術館に近い仲町交差点を西に向かい、市役所通りを、さい
たま市役所前交差点まで進みました。

 国道17号を南下して、埼玉県庁の西側にある埼玉県立文書館に
入ります。

 埼玉に関する歴史的・文化的に価値のある行政文書、古文書、地図
などを収集、整理、保管しているところ。これらの資料は、無料で閲覧
できます。

 1階の展示室に入り、展示されている行政文書や古文書、地図など
を観覧しました。


 これはそのひとつ、秩父郡矢能村(現神泉村)絵図です。


 こちらは行政文書のコーナー。


 企画展示をする「コーナー展示」では、『幕末・維新の「好古家」たち』
という催しを5月24日(日)まで開催中。

 県の中央部、比企郡吉見町の文化人が収蔵していた古文書などを
紹介していました。その中には、いつかカントリーウオークで訪ねた
ことのある、根岸友山、武香父子のものもあります。

 「新編武蔵風土記稿」は、江戸時代の武蔵国を知るには欠かせない
といってもよい公文書です。


 展示室前の廊下では、「目で見る50年前の埼玉」という写真展示を。




 これは、産業の1枚、鋳物の町・川口で製造されていた郵便ポスト。
全国でだだ1か所、ここだけで製造されていたようです。

 現在、このタイプのポストは、地方に行かないと見られなくなり、
このポストの写真を撮り歩いている人もいるほどです。

 真冬並みの寒さなので、この辺で帰路につくことにします。住宅
地を西に進み、別所沼公園に下りました。

 晩秋には黄葉が鮮やかなメタセコイアも、いまは寒々とした影を
別所沼に落としています。





 別所沼公園の南側から、桜並木の続く「花と緑の散歩道」に入ります。


 花どきは華やかな散歩道も、今日は寒々としていました。JR武蔵野
線武蔵浦和駅まで行き、帰途につきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第10回水繪塾合同展へ(さいたま市)

2009-02-26 22:06:55 | Weblog
 2009年2月26日(木)



 首都圏は、今週に入って太陽の姿を見ることが出来ず、今日も10℃
に届かぬ真冬並みの寒さでした。

 予報では明日はさらに寒いとのことなので、昨日に続いて展覧会の
鑑賞に出かけました。

 場所は、JR京浜東北線 浦和駅西口から5分ほどの埼玉会館。

 ここで今日から28日(土)まで開催の『第10回水繪塾合同展』という
絵の展覧会です。

 「水繪」というのは、明治時代に西洋画の技法が導入された当時、油
彩画(油絵)に対して用いられた言葉で、水彩画のことです。





 会員は、さいたま市内の4つの教室に通っている方々。その中の60
名が、この1年の作品を200点余り出展されていました。





 絵の対象のほとんどは風景画。私たちがカントリーウオークで訪ねた、
埼玉県内の農村や寺社、公園など、おなじみの場所がたくさんありま
した。





 さらに、スケッチ旅行などで訪ねたらしい、信州安曇野、会津のかや
ぶき屋根の残る集落、関東や甲信越の里山風景など、心休まる風景
が多く、カントリーウオカーとしても、花や新緑、紅葉など、描かれた
季節に歩いてみたい風景がいっぱいです。





 この展覧会には、カントリーウオークの仲間、Tさんが毎年出展されて
いるので、いつも出かけているのです。





 会員の多くは、リタイヤしたサラリーマンや、子育てを終えた主婦など、
私たちの年代に近い方が多いのも、親しみやすいのかも知れません。





 さいたま市内の方、浦和へ用事で行かれる方、水彩画に興味をお持ち
の方など、時間がありましたらのぞいてみて下さい。

 2月28日(土)まで。9時~17時(28日は16時)
 埼玉会館第3展示室で開催です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松岡美術展へ(東京・白金台)

2009-02-25 23:22:36 | Weblog
 2009年2月25日(水)



 今日は、入手した招待券があったので、連れ合いと東京・港区白金
台の松岡美術館に行きました。場所は、JR山手線目黒駅から歩いて
15分ほど。広大な緑地の残る自然教育園の北側です。



 松岡美術館は、戦後、不動産、冷凍倉庫、ホテル業などで業をなした
松岡清治郎氏が収集した、中国陶磁器、古代エジプト、ギリシア、ローマ
などの古美術を中心に公開しています。

 館内は1、2階にそれぞれ3つの展示室がありました。1階の第1展示
室は古代オリエント美術で、エジプト、ギリシア、ローマの神像や大理石
像、陶器など。第2展示室は現代彫刻で、ムーアやグレコなどの大型ブ
ロンズ作品を。

 第3室では、ガンダーラ・インド彫刻で、インド中世のヒンズー教神像
彫刻の数々や、菩薩像などが並んでいます。




 1階正面からは、背後の自然教育園を借景に、落ち着いたたたずまい
の日本庭園を眺めることができます。




 二階に上がると展示室の前に、「御殿飾り」と呼ぶ、りっぱなおひな様
が飾ってありました。


 第4展示室は東洋陶磁。中国、朝鮮、日本、ベトナム、ペルシアなど
のコレクションですが、特に景徳鎮を中心の中国陶磁がたくさん展示
されています。




 第5室は企画展示で、「美人画展」を4月19日(日)まで開催中。


 館蔵の日本絵画は、近代日本画の一大ジャンルである「美人画」が
中心とかで、上村松園、鏑木清方、伊藤深水や、江戸時代の浮世絵
などを含めて展示されていました。





 最後の第6室は現代日本画展として、「宮前秀樹 人形浄瑠璃 近松
の人々を描く」というもので、これも第5室同様、4月19日までです。

 ちなみに館内での撮影は、フラッシュ無し、シャッター音を消せば可
能(携帯電話は全面禁止)なので、撮った幾つかの作品を紹介させて
もらいました。

 なお、松岡美術館のWebサイトは、下記をクリックしてご覧下さい。

 http://www.matsuoka-museum.jp/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中公新書「電車の運転」を読む

2009-02-24 22:12:38 | 鉄道
 安全性や正確性、そしてCO2発生がほかの交通機関に比べて少
ないことから、いま鉄道が見直されています。

 最近は、ちょっとした書店にも、鉄道雑誌や図書のコーナーが設け
られるようになり、「鉄ちゃん」ならずとも、鉄道関係の書籍が目に
つくようになりました。

 そんな鉄道関係の書籍としては、少し異色の本が発売されています。
昨年(2008年)5月25日が初版の、中公新書「電車の運転」です。



 最近は7版くらいのが書店に並んでいて、結構売れているようです。

 著者の宇田賢吉氏は、旧国鉄とJR西日本で蒸気機関車、電気機関
車、新幹線を含む電車の常務を経験された運転手でした。



 鉄道の特長から話を起こし、運転操作の基本である、発車と加速、駅
間の走り方、止まる、といった一連の運転操作について、運転手の対処
や、電車の動力装置、走行抵抗、速度制限、ブレーキのシステムなどに
ついて、技術面なども含めきめ細かく述べられています。



 さらに、線路と架線、安全のこと、より早く、運転手の思い、といった章
もあり、技術的解説や運転手の対応、フェルセーフの考えといったこと
なども記されていて、安心して電車に乗れる背景に、膨大な技術や設
備、運転手のきめ細かな対応などが込められていることが分かります。



 勤務に、通学に、買い物に、レジャーや旅行にと、電車のお世話になっ
ている人は相当の数に上ることでしょう。バスや飛行機など、ほかの交
通手段に比べて安全で正確と思われている、電車の運転の背景を知る
ために、好い1冊かと思います。



 いままで、このような本がなかったのが不思議なくらいです。電車の中
で読んで、この電車がどんな技術や設備、運転手の思いで動いているの
かを知りながら、目的地に向かうのも、よいのではないでしょうか。

 「電車の運転」 宇田賢吉著 中公新書 272頁 本体840円

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関東百駅巡礼歩行 JR東海道線 鴨宮駅(神奈川)

2009-02-22 21:52:07 | 関東百駅巡礼歩行
 2009年2月14日(土)



 関東百駅巡礼歩行の第52番で、JR東海道本線の鴨宮(かものみや)
駅に行く。

 私がこの駅に下りたのは、開通前の東海道新幹線の試乗で、当時の
国鉄鴨宮電車基地に行った昭和39年(1964)の早春だったと思う。
以来45年ぶりになる。

 明け方までの強風と激しい雨が上がり、すっかり好天となった。今日
の参加者は、カメラの私を入れて11人。駅前で記念撮影をして、10時
18分に出発した。


 駅前を南に向かい、下菊川を斜めに横断し、まず酒匂(さかわ)神社へ。

 
 黒松や背の高いクスなどに囲まれた境内に、イチョウの古木がある。
 落ちていた葉を見て、葉の割れ目が深いのと、浅いので雌雄が分か
るという話になった。

 ところが、割れ目が深い方が雌という人と、ズボンのようなのが雄で、
割れ目の少ないスカートのようなのが雌と聞いているという2つの説が
出て、どちらが本当だろうかということになった。

 この先行く方向に図書館マークがあるので、あとで寄って調べることに
して、神社を出る。
 
 国道1号線に入ると、東京から81㎞の標識が立ち、近くに、長い黒へ
いと長屋門のある旧家らしい屋敷があった。 


 その前にある酒匂不動尊の角から、細道を海岸に向かう。すぐ先の空き
地のカヤの木の下に、「明治天皇酒匂行在所(あんざいしょ)跡」の石碑が
立っている。

 明治天皇が箱根行幸の帰路、立ち寄ったところで、名主だった鈴木家が
あり、その後、松涛園という旅館があったことが記されていた。

 海岸に近い松林のところに出たが、西湘バイパスの向こうの海側に回
れない。 


 少し東側に回ったら、バイパスの下をくぐるトンネルがあり、海岸に出ら
れた。朝方までの強風は治まっているのだが、まだ海は波がかなりあり、
ゴウゴウと激しい海鳴りを響かせている。


 砂浜に沿って下菊川の河口まで進み、川沿いを国道1号に回る。国道
の酒匂橋からは、箱根連山の山すそに、富士山が姿を見せてくれた。


 橋を渡って酒匂川右岸の遊歩道を少し進む。気温が上がって暑い
ので、日差しを避けて松林の下で昼食とする。

 12時11分に出発、向こうに見える上流の小田原大橋を渡り、再び
左岸沿いに回った。

 南鴨宮一丁目の住宅地の中にある小田原市立かもめ図書館に行き、
酒匂神社で決着がつかなかった「イチョウの葉による雌雄鑑別法」につ
いて調べることにした。

 司書の方も何冊か植物図鑑などを調べてくれたが、葉で判定するこ
とを記したものは見つからない。結局、小田原評定は「雌雄決せず」と
いうことになった。

 工場の構内に大きなコンクリート製の輪が飾ってあるPS三菱の工場
横から、JR東海道線と新幹線の下を抜けて北側へ出た。

 新幹線沿いにある明治製菓の工場横を東へ進む。鴨宮の古い住宅
地に入り、加茂神社に寄る。

 境内は狭いが、太いケヤキとイチョウがご神木として祭られていた。

 新幹線のそばまで進み、左折して北へ。両側に広い敷地でりっぱな
建物の民家が並び、その中にかやぶき屋根の家が残っていた。庭の
梅も、なかなかの古木である。

 奥様が道路を掃除していたので、お断りして庭に入り、建物やよく手
入れされた広い庭を拝見する。

 さらに、南側の別棟の玄関先に飾ってあるという、ひな人形も見せて
下さった。

 これは、奥様がお嫁入りしたときに持参したものとのこと。ほかに数組
のおひな様が飾ってあった。

 「すぐ先に、もっとりっぱな文化財のかやぶきの家もあります」と、I さん
の奥様はご案内して下さる。しかし、大きな門は閉ざされ、庭に入って見
ることはできず、門のすき間から勝手に撮らしてもらう。

 安政4~5年(1857~8)建築のもので、戦後、三越の社長など、財界
で活躍した岩瀬英一郎氏の生家。小田原市文化財に指定されていた。

 岩瀬邸の角を西に向かう。近くの光照寺には、市天然記念物で、樹齢
300年というヒイラギの古木が立っていた。

 その先は新興住宅地で、住宅が尽きた北側は田園地帯。丹沢や箱根
などの山並みの展望が広がり、ナノハナが咲き、柿畑などもあり、距離は
わずかながら、気持ちよいカントリーウオークのフィールドになっていた。

 国道255号を越えて飯泉の集落に入り、坂東三十三観音霊場第五番
札所の勝福寺(しょうふくじ)に行く。 

 「飯泉観音」とも呼ばれ、父の仇討ちで知られる曾我兄弟は、ここの
仁王門に納められている仁王像から力を授かった、といわれていると
のこと。

 また、篤農家として知られる二宮金次郎は、文化元年(1804)、18
歳のときに参詣し、観音信仰に目覚めたという。

 広い境内には、ケヤキ、ムクノキ、イチョウ、クスノキ、カヤなど木々が
豊富だが、特に本堂前のイチョウは、高さ30m、胸高周囲7.5m、推
定樹齢700年の巨木で、遠くからも目に入った。


 境内にはほかに、寛文6年(1629)製の銅鍾や、宝永元年(1704)
製で竜頭船の形をした青銅の水鉢など、貴重な文化財が目につく。

 宝暦8年(1758)造営で、県下でも最大級という堂々たる仁王門を
出て、酒匂川の左岸堤防沿いに出た。

 逆光に霞む箱根連山などを見ながら、国道255号の飯泉橋を渡る。 


 酒匂川の右岸堤防を下水処理場のそばまで進み、扇町五丁目へ。住宅
に囲まれた梅畑の梅が見ごろだった。

 ちなみに、小田原は関東でも有数の梅の産地。途中でも見ごろな白梅、
紅梅をあちこちで見た。

 近くの大雄山線 五百羅漢駅から皆さんは帰路につく。私は、少し先の
小田急線足柄駅に14時59分に着いた。

 (参加 11人、天気 晴後快晴、距離 11.5㎞、地図(1/2.5万)
 小田原北部、歩行地 小田原市)


 この日、小田原市の最高気温は26.1℃になったとか。2月としては
新記録となる高温で、シャツを腕まくりしても暑かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青少年国際野外旅行研究会「ワンデル」の集いへ(東京)

2009-02-21 22:31:16 | Weblog
 今日、2月21日(土)、首都圏は快晴になりましたが、気温は上
がらず真冬並みの寒さでした。

 でも、わが家の庭の梅は、かなり花の数がが揃ってきました。




 今日も午後、江戸へ出かけました。行き先は、JR中央線水道橋
駅に近い日本ユースホステル協会の会議室。

 昨年夏発足した『青少年国際野外旅行研究会「ワンデル」』の、
今年初の集まりでした。

 今日の目的は、ユースホステルの少年パスを持つ皆さんとのミー
ティング。  


 これは、やまさん作成の、少年パスを持つ皆さんのための旅立ち
作戦が盛りこまれた小冊子です。


 少年パスを持つ、M、W、Nの3人の皆さんが参加しました。


 Mさんは、ママチャリで三浦半島や箱根、甲州街道などの旅をした
とのこと。将来は、自転車での日本一周が夢です。

 Wさんは昨年、鉄道を利用してユースホステル泊を中心に、九州を
10日近く回っています。自転車と船で世界一周をしてみたいという
のが1番大きな夢とのこと。

 Nさんは小学4年で、ひとりで石垣島の友人宅まで行ったり、鉄道
利用での北陸への旅、ユース泊をしながら京都、大阪、奈良、出雲な
どへの一人旅をしています。これからは、ローカル線に乗るのと町歩
きが好きなので、それらの旅や街道歩きもしてみたいとのことでした。

 同級生などには、旅好きの人はほとんどいないようですが、3人と
も、独自の旅をしてみたい気持ちが強いようなので、ワンデルの有力
なメンバーになりそうで、期待が高まりました。


 青少年の旅ををサポートしようというメンバーとの記念撮影。サポ
ートするだけでなく、自分たちもオリジナルな旅をして、ふれ合いや
発見を楽しむのを生き甲斐としたいという、おじさん(気持ちは青少
年)ばかりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「第2回近江みちの国講座」へ(東京・両国)

2009-02-20 22:20:16 | Weblog
 2009年2月20日(金)

 夜半からの雨も上がった今日昼前、江戸に出かけました。行き先は、
その名も「江戸東京博物館」です。

 目的は、下の写真の講座。主催は、(社)琵琶湖ビジターズビューロ
ー、近江みちの国実行委員会、井伊直弼と開国150年祭実行委員会、
近江歴史回廊推進協議会の4団体の共催です。



 会場入口付近に貼られたポスターなど。




 会場は1階の大ホール。ほぼ満員となりました。


 受付の前には、パンフレットコーナーがあり、滋賀県内の観光パン
フレットがたくさん用意されていました。


 講演に先立つ主催者の挨拶。その2番目、どの主催者かはメモ
忘れ。


 最初の講演は、「井伊直弼 -その人と生涯-」と題して、彦根市
教育委員会文化財課長 谷口 徹氏。

 「己の信念を貫いた鉄の宰相」のイメージが強いが、17歳~32歳
の時代に暮らした埋木(うもれぎ)舎での「埋木の精神」が、直弼の
キーワードとなるとのこと。

 まず、井伊直弼の生涯の紹介と、大老時代の内憂外患として、将軍
継嗣と黒船来航という大きな問題に対処したこと。

 次に、多感な青春時代を過ごした埋木舎時代に学んだ、埋木の精神、
禅学の修行、武術の修行、国学・和歌の研究、能・狂言への関心、やき
ものへの傾倒、茶人「宗観」(直弼の茶号)といったことについて紹介し、
鉄の宰相のイメージの背面にある直弼の幅広い人間像が語られました。
 
 最後にスライドで、直弼ゆかりの品などを紹介。これは月次(つきなみ)
茶器。1月から12月まで一つずつに、ゆかりの絵が描かれているとの
こと。


 こちらは、喫茶十徳といい、茶が役に立つという文言が記されている
ものだそうです。

 ちなみに、会場内の写真撮影は、自席からなら自由ということでした。

 講演の後、安土町(あづちちょう)の安土観光大使からこの秋公開
予定の東映映画「火天の城」の紹介があり、ごく短いPR映画が上映
されました。


 「火天の城」とは、信長が築いた安土城のことです。


 休憩の後、井伊直弼と開国150年祭のPRとして、彦根城の人気
キャラクター「彦にゃん」が、彦根城の甲冑武者に先導されて登場。

 甲冑武者から150年祭の催しの紹介。ちなみに、武者は彦根市の
副市長さんとのこと。

 彦にゃん人気はたいしたもので、今年の年賀状は9000通も来た
とか。彦にゃんはその全部に返信を書いたようで、人気の秘密もそん
なところにあるのかもしれません。

 2月14日のバレンタインデーにも、たくさんのチョコレートが届いた
ようですが、皆、彦にゃんが食べたようで、甲冑武者は「おすそ分け
が無かった」と言っていました。

 次の講演は、「西国三十三所結縁御開帳」と題して、西国札所
第32番 観音正寺住職の岡村瑞應師から。

 三十三所の中でも、標高432mの繖(きぬがさ)山の400m付近
にある観音正寺の紹介からはじめ、挨拶を交わすことが重要、寺を
結ぶ道中が大事、巡礼とは仏教の行為である、西国三十三所の歴
史や特別御開帳のこと、観世音とは、巡礼の作法など、分かりやす
く話されました。
 
 また、観音正寺が平成5年(1993)年に焼失し、本堂再建を前に、
本尊を再建するために、インドで輸出禁止になっている白檀の輸入
許可を得るため、訪印して交渉の末、ようやく輸入許可を得て輸入
した23トンの白檀で本尊を造り、平成16年に入仏して落慶法要に
至るまでのご苦労なども披露されました。

 これをご縁に滋賀県の札所から回って、禅宗のいう「日々是好日」
で、よいことも悪いことも素直に受け取りなさい、といったことで締め
くくられました。

 お2人の講演を伺い、たくさんもらったパンフレトとあわせ、西国
三十三所めぐりや、湖国(滋賀県)めぐりに、一層の興味を引かれ
た1日でした。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多々良沼・城沼の白鳥探鳥ウオーキング(群馬)

2009-02-19 23:04:26 | ウオーキング
 2009年2月13日(金)



 中山道ウオークのメンバーで群馬県邑楽町(おうらまち)にお住まい
のKさんから、お誘いのメールをいただき、邑楽町と館林市にまたがる
多々良沼(たたらぬま)と、ツツジで知られる館林の城沼(じようぬま)
での白鳥を見るウオークに出かけた。

 ちなみに前日夜のNHK総合TVのニュースでは、2つの沼合わせて
154羽の白鳥を数えたと報道されていた。

 東武伊勢崎線の多々良駅に10時9分に着く。参加メンバーはKさん
ほか6人。駅前で、お腹の大きなタヌキの置物が3匹出迎えてくれた。


 駅の南で国道122号を越え、稲荷前集落から田園地帯に出て、群馬
県立館林美術館前へ。

 用水沿いに桜並木の続く遊歩道を南西に向かう。

 
 広々とした田んぼの向こうに、松林の緑の帯が長く続いている。

 間もなく多々良沼の北側に出た。

 冬枯れで寒々としたあし原などを眺めながら、車道沿いに沼の北西端
まで行く。左折して少し南下すると、沼の西端のあし原に囲まれた一角
に、「カバ沼」と呼ぶ水辺がある。

 水が少なく遠浅に伸びた岸辺にたくさんのカモ類が羽を休め、その先
の水辺にコハクチョウがカモと一緒に30数羽泳いでいた。


 湖畔に沿って桜並木や芝生の整備された自然探勝路を進み、ハート
形の多々良沼の凹んだところに回る。このあたりにもコハクチョウと、
わずかながらオオハクチョウも見える。


 沼に突き出た浮島に多々良七福神の浮島弁天堂があった。

 鎌倉幕府没落の時、執権北条高時の弟、四郎慧性(えしよう)が、夢枕
に立った江ノ島弁財天のお告げで、ここに恩林(おんりん)寺を建て、江ノ
島弁財天を勧請(かんじよう)して北条家の菩提寺としたもの。

 そばに、青銅屋根の下に祭られたお地蔵さんもある。

 近くの湿地では、コハクチョウがたくさん、土の中のえさをついばんで
いるのが間近に見られた。




 すぐ先、鶉(うずら)新田集落の東側、沼に突き出す半島の付け根の
「荒間崎」と呼ぶ部分に、鶉古城跡の説明板が立つていた。

 元弘3年(1333)、北条高時が鎌倉で滅ぼされたとき、弟の僧慧性、
荒間朝春らが逃れ来てここに築城。応永年間(1394~1428)には、
多々良四郎中致の居城に、戦国時代には館林城主の重臣、小曽根政
義が小田原北条氏の来功に備え守備したという。

 天正18年(1590)、館林落城に伴い廃城となり、現在はうっそうとし
た林の中に、わずかに塁濠が残るのみらしい。

 桜並木に沿って沼の南西を回り、成島町の北で再び自然探勝路に入
った。

 大きく伸びた赤松林の中を抜けると、最近整備された多々良沼公園
の、中央広場やボランティアセンターがある。


 正午を過ぎたので、その先の自然観察路付近で昼食とする。


 松林をバックに記念撮影後、沼の東端付近まで回り、沼を離れて松
沼町や北成島町の住宅地を南東に向かう。

 東武小泉線の南の成島町に抜け、鶴生田川沿いに出た。左岸沿い
の車道を東に進み、国道122号や館林駅の南で東武伊勢崎線を越え
る。本町一丁目付近からは、桜並木の緑道となり、川幅も広がる。

 流れが大きく左カーブすると、南側にある躑躅ヶ岡(つつじがおか)の
ツツジで知られる、城沼の西端の橋際に出た。

 予定ではこの先、城沼を一周するのだが、私は明日の予定や先週の
ギックリ腰の回復後間もないことから、ここで皆さんと別れた。


 橋の上から城沼を眺め、そばの菖蒲園から、紅梅の咲く秋元別邸横
を抜け、駅に向かう。

 田山花袋記念館や旧居、旧上毛モスリン事務所、向井千秋記念子ど
も科学館、館林市役所などのそばを通り、14時35分に館林駅に着いた。

(天気 曇、距離 14㎞、地図(1/2.5万) 館林、佐野、足利南部、妻沼、
 歩行地 群馬県邑楽町、館林市、歩数 22,600)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カントリーウオーク新狭山(埼玉)

2009-02-18 18:37:23 | カントリーウオーク
 遅咲きのわが家の梅も、花の数が増えてきました。1週間前の建国
記念の日に歩いた、カントリーウオークのレポートです。

=============================

 2008年2月11日(祝・水)



 このグループ17年目のスタートとなる第160回例会は、発足の記念
日にあたる建国記念の日に開催された。

 集合は西武新宿線の新狭山駅。参加者19人は5組に分かれ、曇り
空の10時過ぎにスタートした。

 =梅宮神社から智光山公園へ=
 
 新狭山二丁目の住宅街から国道16号を越え、西方集落に入る。
LAOXの近くの細道を入ると、両側にひさしのような屋根を持つ独特の
造りで、北向社殿の奥宮神社がある。

 境内は狭いが、桜やケヤキ、広葉樹などが立つ。

 すぐ近くの、住宅地に囲まれ広福寺へ。永禄年間(1558~70)の創
立といわれ、山門は関東では珍しい竜宮づくり。

 山門の上が鐘楼になっていて、上がって広い境内を俯瞰(ふかん)で
きる。


 本堂左手には、武蔵国十三仏霊場の十三仏が屋根下に整然と並ぶ。
境内の樹木はよく手入れされ、深い池にはみごとな彩りの錦鯉が10数
匹、ゆうゆうと泳いでいた。

 西側の奥宮小は、創立120年を越える伝統校。門前に、今は珍しい
二宮尊徳の石像が立つていた。

 うっすらと奥武蔵の山並みを望む田園地帯を南西へ向かい、梅宮神社
に入る。ちょうど年一度の甘酒祭りの日で、長い参道の両側に屋台が所
狭しと並び、近隣の人がたくさん訪れている。

 梅宮神社の甘酒祭りは県指定の文化財。関東では珍しい頭屋制(上
奥富集落内を九つに分けた当番制)の饗宴(きようえん)形式の祭りとか。
承和5年(1838)に京都の梅宮神社から分社されたころから続くという。

 参拝後、暖かくておいしい甘酒をいただいた。



 境内に甘酒を入れた樽や樽のみこしが置かれ、傍らの舞台では、太
鼓に合わせて獅子が舞う狭山市文化財の「西方はやし」も始まった。



 橋の周辺だけが有料道路になっている狭山大橋で入間川を渡り、北
本宿の柏原白髭(しらひげ)神社へ。


 社殿の中に韋駄天(いだてん)の額という大きな彩色の額が奉納され、
社殿の背後には、太いケヤキの古木が立つ。境内社の一つ、八坂神社
では、夏祭り「天王さま」の日に、柏原祇園ばやしが奉納されるという。

 北側の台地下にある柏原小の背後から西武狭山ニュータウンの住宅
地を進み、斜面林から台地に上がると、城山砦(とりで)跡に出る。

 天文15年(1546)4月、川越夜戦と呼ばれる戦いで、北条氏康と戦
った上杉憲政などの陣地となった場所だったといわれているという。
 一帯は豊富な樹林が残り、その一角に城山稲荷大明神の小さな石の
ほこらがあった。


 上宿集落にある名の知れぬ神社には、大きな桜が枯れ枝を広げ、花
どきはみごとだろうと想像される。

 集落のあちこちに、白梅や紅梅も花を開いている。

 集落を西に抜け、智光山(ちこうざん)公園の東端から公園に入った。
東北から西南へ1㎞余り、幅500mほどある広い公園内は、武蔵野の
面影を残す雑木林が豊富に残っている。

 池も幾つかあり、カルガモなどがたくさん泳いでいた。

 細い流れに沿った木々の豊富な遊歩道を、キャンプ場やホタル育成
舎、こども動物園などに沿って進む。途中の流れで、カワセミも見た。

 12時49分、公園内にある昼食地の狭山市総合体育館前に着く。

 =入間川左岸から稲荷山公園へ=

 
 昼食後、記念撮影をして13時30分に出発する。茶畑や畑の間を南
東に進み、台地を下って南本宿と北本宿の中間付近から入間川左岸
の堰(せき)のところに出た。

 小休止後、堤防下を上流に向かう。昭代橋の下をくぐったあたりで、
コサギが数羽水面に立つ。トイレのあるサイクリングロード用の小公園
付近の河川敷には、ヤナギの大木が枝を広げていた。


 この先二つの富士見橋が続き、好天なら富士山が見えるはずだが、
きょうは霞んで姿を見せない。

 二つ先の本富士見橋で川を離れ、橋を渡って少し戻り、川と国道16
号に挟まれた清水八幡宮に回る。

 このあたりは木曾義仲の子・義高終焉(しゆうえん)の地で、頼朝に
討たれるのを知って鎌倉から逃れてきたが、追っ手に打ち果たされた
という。

 入間川三丁目に残る、古くからの道らしい細い曲がり道を台地に上
がり、武蔵野三十三観音霊場第16番の慈眼寺へ。

 精巧な彫刻が施された山門は工事中。境内の大ケヤキも目につく。

 入間川一丁目の住宅地から航空自衛隊入間基地の滑走路北端沿
いを回り、狭山稲荷山公園に入った。

 太いソメイヨシノや広葉樹、大きな松などが豊富で、桜の咲くころは
花見客で賑わうところ。

 来月以降の計画などについてのミーティングをして、すぐ先の西武
池袋線 稲荷山公園駅に16時15分に着いた。

(参加 19人、天気 曇、距離 13.5㎞、地図(1/2.5万) 川越南部、
 歩行地 狭山市、歩数 26,000)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする