あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

腰痛のため投稿を休みます

2019-08-27 17:23:27 | Weblog
 2019年8月27日(火)
 
 ギックリ腰ではないのですが、腰の右横側が特定の姿勢になった時などに筋肉痛と
なり、例えば長時間パソコンの前に座っていた後に立ったりすると痛むので、今日は
整形外科に行ってリハビリテーションをしてもらいました。

 原因は不明ですが、かなり以前の雪かきの後の腰痛が完全回復していなかったのが
一因と思われ、パソコンの前にあまり長く座るのはまずいようなので、しばらく投稿
をお休みとします。日にちが何日か経過してからのぞいてみて下さい。

 この後もしばらくは、整形外科に通ってリハビリテーションを続ける予定です。

コメント (5)
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イタリア8日間の旅⑥ ボローニャ、パルマと世界遺産モデナ観光(2)

2019-08-21 12:16:00 | イタリア旅行
 2019年6月2日(日)
 == ボローニャとパルマそして世界遺産モデナ観光へ(2/3・パルマ) ==



 ボローニャからパルマへ向かうハイウェイE1号線沿いは、ブドウ畑や小麦畑などの平
原が続き、はるか北方に残雪のアルプスの山並みも望まれる。


 50分ほど走った平原の中、少し右カーブする辺りで真っ白で流線型のユニークな駅舎
が右手に現れた。

 スペインの有名な建築家サンティアゴ・カラトラバがデザインしたレッジョ・エミリア
(Reggio Emilia)駅とのこと。

 進むにつれて形が変わって見えるようだが、バスは高速走行中なので、撮る間もなく通
過した。

 さらにE1号線を進んでパルマ市街に入り、旧市街西側で11時53分にバスを下りた。

 パルマ(Parma)も、ボローニャと同じエミリア=ロマーニャ州にあり、人口約19万人
の基礎自治体でパルマ県の県都。

 古代に起源を有する都市で中世は自治都市として栄え、パルマ大聖堂を中心に中世都市
の景観が残っているとか。16世紀半ばから19世紀のイタリア統一まではパルマ公国の
首都であったという。

 「美食の都」としても知られ、パルメザンチーズやパルマハムで有名で、食品産業が盛
んであり、ヨーロッパ連合の外局・欧州食品安全機関の本部も置かれているようだ。

 また、大指揮者トスカニーニの故郷で、スタンダールの小説「パルムの僧院」の舞台に
なった町でもあるという。

 パロマでも、ボローニャから同行の日本語ガイド、ジャン カルロさんに従う。

 少し歩いた交差点に面して、サンタクローチェ(Santa Croce)教会が目に入る。ロマネ
スク様式のローマカトリック教会のよう。



 街路樹が豊富な住宅地などを南西へ、12時04分に昼食をするレストラン「Hostaria
da Beppe」に入り昼食となり、チーズリゾットやパルマハムなどをいただいた。




    


 13時10分過ぎにレストランを出た。東に少しの交差点際に、変わった形の建物が目
につく。

 サンティッシマ アヌンツィアータ(Santissima Annunziata)教会で、ルネッサンス様式
の建物はローマカトリック教会と修道院になっていて、16世紀に建てられたよう。


 すぐ先でパルマ川のメッゾ(Mezzo)橋を渡る。橋の横にはハーブなどが咲いていた。





 東側の市街地に入り、回廊の下などを進んでガルバルディ広場へ。
     
  

 広場の名前は、19世紀にイタリア統一を成し遂げた軍事家ジュゼッペ・ガリバルディ
の名前からつけられたもの。

 時計塔のある建物は総督宮殿で、その前にガリバルディの記念碑がある。
     


 広場に面して旗の掲揚されているのは市庁舎のよう。


 周辺の建物も歴史を感じさせるものが多い。




 東北に向かって旧市街の中心部を進む。バロック様式の建物は貯蓄銀行とか。




     

         


 途中の建物に、女性の写真が飾ってあった。神聖ローマ皇帝フランツ2世(オーストリ
ア皇帝フランツ1世)の娘マリア・ルイーザ(Maria Luisa・1791~1847)。
         
 フランス皇帝ナポレオン1世の皇后となり、後パルマ公国の女公(在位1814~47)
になったという。ちなみに、マリー・アントワネット(フランス国王ルイ16世の王妃)
は、マリア・ルイーザの大叔母にあたるよう。

 間もなくドゥオーモ広場へ。東側の大きな建物がドゥオーモ(Duomo・大聖堂)。
     
 12世紀のロンバルディア・ロマネスク様式の代表的な建物で、イタリア・ロマネスク
の傑作の一つとか。



 壁面や扉には様々な彫刻が施されており、入口の両側で2頭のライオンが迎えてくれた。
     

    


 ドゥオーモの内部に入って拝観する(拝観無料)。
     


 中は3廊式になっていて、たくさんのフレスコ画で飾られていた。正面上部のフレスコ
画は、バロック絵画の先駆者でパルマ派の巨匠コレジョによる「聖母被昇天」像だという。



 その下にあるのは、アンテーラミによる大理石の浮彫「十字架降架」のよう。


 その他様々なフレスコ画やパイプオルガン、ステンドグラスなどを拝観した。


     







     

     

          









 ドゥオーモの横に立つのは洗礼堂である。
     
 洗礼堂は、パルマで活躍した建築家で彫刻家のベネデット・アンテラミ(Benedetto Anterami)
により1196~1216年頃建設された、ユニークな8角形6層のロマネスク・ゴシッ
ク様式の建物。
 
 外壁にはベローナ産のバラ色の大理石が使われているという。

 14時42分頃ドゥオーモを出て西へ、バス乗り場に向かう。


 郵便局↑のすぐ先で、ピロッタ(Pilotta)宮殿前を過ぎる。1583~1622年にファ
ルネーゼ家により建てられた宮殿。

 現在は、国立考古学博物館やヨーロッパ最古の劇場のひとつというファルネーゼ劇場、
国立絵画館、宮殿付属図書館になっているようだ。

         
 その前の緑地には、銃をもつ戦士像があった。特定の個人ではなく、第二次世界大戦
を戦った人たちを表すモニュメントらしい。

     
 レージョ(Regio)劇場前↑を通過してピロッタ宮殿に入り、回廊や中庭を抜ける。


     



         
      


     
 バスの駐車場に行き、15時ちょうどにバスは出発した。

 今日の最後は、朝出発したボローニャとパルマの間にある目的地モデナで、往路を戻る
ことになる。モデナまでは約63㎞である。(続く)





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イタリア8日間の旅⑥ ボローニャ、パルマと世界遺産モデナ観光(1)

2019-08-15 18:54:21 | イタリア旅行
 第6日 2019年6月2日(土)
 == ボローニャとパルマそして世界遺産モデナ観光へ(1/3・ボローニャ) ==



 イタリア半島北部、ボローニャ東郊のホテルNHヴィラノーヴァで6時に起床した。
     
 今日も快晴である。7時からホテルのレストランで朝食をする。

 8時にバスでホテルを出て、ボローニャ観光のために市街地中心部に向かい、8時28
分にボローニャ中心街の西側辺りで下りた。

 ボローニャ(Bologna)は、一昨日訪ねたフェラーラ、ラベンナと同じエミリア ロマー
ニャ州の州都でボローニャ県の県都。人口約39万人の基礎自治体で、今回訪ねた観光地
では最大の都市である。

 国内で最も重要な高速道と鉄道が交差しており、ボローニャ中央駅はヨーロッパ40以
上の都市と鉄道で結ばれているイタリアで最重要のハブ駅とのこと。

 イタリアを牽引する重要な経済都市でもあり、絵本、靴、美容器具などの国際見本市が
開かれている。

 町の特徴は保存状態の良い中世からの建造物で、1944年に空爆を受けているにもか
かわらず、歴史地区にはルネサンスやバロック時代の重要な芸術作品が多く残り、歴史と
活気を感じさせる街のよう。

 世界最古の大学、ボローニャ大学は11世紀後半に創立され、世界でもトップクラスの
水準を誇るボローニャ歌劇場も市の中心部にあるようだ。

 この街発祥の有名な食べ物としては、スパゲッティの「ボロネーゼ」や、タリアテッレ
(きしめん風パスタ)、ラザーニャなど、美食の街としても知られているという。

 バスを下りたところに、公園のような緑豊富な一角に教会が目につく。サン・フランチ
ェスコ教会で1263年に完成しており、イタリアゴシック様式の教会としては古いもの
の一つ。

 ロマネスク建築が根強いイタリアにおいてフランスゴシックの影響が見られる貴重な建
造物のよう。

     
 道路際にある緑色の三角屋根と円柱の小さな建物は、石棺を納めた墓らしい。

 今日も、一昨日にフェラーラなどをガイドしてもらった日本語ガイドのジャン カルロ
さんの案内で東に向かって回廊の下などを進む。
     
 「ポルティコ」と呼ばれる回廊は、旧市街に総延長40㎞もあるという。

 世界最古の大学のあったボローニャには、各地から多くの学生がやってきた。その学生
たちの住まいとして通りに張出すように2階を増築したので、アーケードのようになった
のだという。

 メインストリートにも狭い路地にもポルティコがあり、雨風を避けたり夏の暑い陽射し
を遮ってくれるなど、天気を気にせずどこにでも行くことが出来る。

 ヴィア・クアットロ・ノヴェンブレ(Via Ⅳ Novembte)通りに入ると城壁のような長大
な建物が現れた。

 市庁舎のある大きな建物・コムナーレ(Comunale)宮の南面らしい。ひとときこの町を
治めた教皇代理使節の居館として、13~15世紀に建築と改築が行われたという。


 すぐ先が、旧市街の中心部になるマッジョーレ(Maggiore)広場である。
     
 約800年にわたり地理的にも政治的にもボローニャの中心地で、広場の南側はサン・
ペトロニオ(San Petronio)大聖堂。


 西から北にかけて市庁舎↑、北側にはインフォメーションセンターのあるポデスタ
(Podestà)館↓といった歴史的建造物に囲まれ、周辺にはレストランやカフェが並ぶ。

 ポデスタ館は、神聖ローマ帝国皇帝の任命した都市長官の住まいだったところ。フレデ
リック1世が任命してやってきた長官を、ボローニャ市民が1164年に追い出して自由
都市ボローニャが誕生し、市民は首長を選出して以後はそのオフィスとして機能したよう。

     
 市庁舎中央部のアーチにある銅像は、グレゴリウス暦採用で知られた第226代教皇グ
レゴーリオ(Gregorio)13世(1502~85)教皇で、ボローニャ出身だという。
         

 市庁舎とポデスタ館の間には、ネプチューン(Nettuno)の噴水がある。トップに立つのが
海を鎮めるために手を差し伸べる海の神、ネプチューンで、町の人からは「巨人ジガンテ」
と呼ばれている町のシンボルのよう。
     
 ピウス4世の法王選出を記念して、1563~66にジャン ボローニャにより制作され
たもの。ジャン ボローニャは、マニエリスム時代の最も偉大な彫刻家の一人で、ミケラン
ジェロに次ぐ巨匠と考えられているという。

 海を支配するネプチューンは教皇の世界支配を象徴し、基盤の4つ角は東西南北の四方
を表しているといい、基盤の周囲の人魚の胸からは水を噴き出している。


 南側のサン・ペトロニオ大聖堂は、14~17世紀にかけて建設された大理石とタイル
によるゴシック様式の建物で、今も未完成とのこと。

 高さ44m、横58m、奥行132mの堂々たる建物。

     
 中央入口を飾る彫刻は、初期ルネッサンスの傑作のひとつで、中央に聖母マリアとキリ
ストが、左右に聖ペトロニオと聖アンブロージョが守っているのだという。

     
 マッジョーレ広場から、東に向かって回廊を抜けたり細い通りなどを進む。
          


 途中にチーズやハムなどの専門店が並ぶ一角もあった。
    

 その先、二つの通りに挟まれた赤茶色の歴史を感じさせる建物が目につく。
     
 メルカンツィア(Mercanzia)宮殿で14世紀に税関として建築され、商業関係の争議
があると中央のバルコニーから裁判官が顔を出して判決を言い渡したとか。現在は商工会
議所として利用されているという。近くには、木製の回廊もあった。
     

 その角を北にすぐ、次の広場に面して2つの斜塔が立っている。ローマの道の一つ、エ
ミリア街道の旧市街入口という戦略的に重要な位置にあり、ボローニャの伝統的シンボル
のよう。

 12世紀にボローニャには100以上の塔がそびえ立っていたが、天災や戦争、戦時中
の道路拡幅などで破壊され、現在はそのうちの20が残っているとか。
     
 高くて傾きの大きいのがアシネッリ(Asinelli)の塔(97m)、低いのがガリセンダ
(Garisenda)の塔(47m)。

 12世紀にともに皇帝派だった貴族のもので、中世のイタリアを二分した皇帝派と教皇
派の争いはどれだけ高い砦(塔)を造るかであったという。

 高い方のアシネッリの塔には498段の階段で上ることができ、かなりの急階段だが上
がるとボローニャ市街が一望できるようだ。

     
 2つの塔の前には、ボローニャの守護聖人であるサン・ペトローニオの像が立っていた。
         


 再びマッジョーレ広場に戻る。市庁舎の壁面にたくさんの人の写真が並ぶ。第2次大戦
中のレジスタンスで犠牲になった2千名で、この町の近年の歴史を物語っている。
     

  
 ここで9時53分から10時15分までフリータイムとなる。今日は共和国建国記念日
で、1946年6月2日に実施された国民投票により王政を廃止し共和制国家が建国され
たことを記念する日。

 広場には大きなスクリーンが張られ、その前に軍人や在郷軍人らしい人などが行進して
集結し、相対して市や軍の幹部かと思われる人が並び、式典が始まろうとしていた。




     









 その一部をのぞき見しているうちに時間となり、バス乗り場に向かう。



 4階建て建物の2階中央の部屋の下に「グリエルモ マルコーニ」の表示があった。
    
 マルコーニはこの部屋に住んでいたようで、日本語ガイドのジャン カルロさんから説
明もあったが、メモしてないので詳細は忘れた。

 グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi・1874~1937)は、無線電信を発
明したことで知られるボローニャ生まれの発明家。1909年にはノーベル物理学賞を受
賞している。

     
 サン・フランチェスコ教会のそばからバスに乗り、10時32分に出発した。

 次の観光地、西北西に約100㎞のパルマに向かう。(続く)






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イタリア8日間の旅⑤ サンマリノ、サンセポルクロ、ポッピ観光後ボローニャへ(3)

2019-08-11 17:41:40 | イタリア旅行
 2019年6月1日(土)
== 世界遺産サンマリノからサンセポルクロ、ポッピ観光へ(3/3・ポッピ) ==



 今回のツアーコースの最南端であるサンセポルクロを出て、バスは次の観光地ポッピに
向かって北西へと一般道を行く。


 緩やかな丘陵地を進み、山上に見えた城が近づき、ポッピには15時35分に着いた。


 ポッピ(Poppi)は、サンセポルクロと同じトスカーナ州アレッツオ県にある人口約
6,100人の基礎自治体。詩人ダンテが滞在した町で、「イタリアの最も美しい村」協
会に加盟しているという。

 バスを下りて、ピークにある城に向かって上がって行く。

 少し上がると南側に穏やかな田園や山並みの展望が広がる。ちなみに、ポッピの周辺は
カゼンティーノ森林国立公園だという。



 間もなく城壁が現れ、入口に「イタリアの最も美しい村」のプレートが掲示されていた。
         


 小さな町並みの間をさらに高度を上げ、標高475mのピークに立つグィディ(Guidi)
伯爵の城の前に出た。


 グィディ家は、1191~1440年にこの地カセンティーノ地方の領主として君臨し、
城はフィレンツェのヴェッキオ宮殿の原型になったと言われているとか。

     
 15時50分に城の前に着き、16時20分までフリータイムとなる。




 城の前の広場にある像は、「神曲」を書いたダンテの胸像。
         
 ダンテは、1289年にこの地で起きた戦いに兵士として参加し、その後1310年に
はグイディ伯爵に招待されてこの城に滞在しており、その時期が「神曲」の地獄編を書き
始めた時期と重なり、地獄編はポッピで書かれたのではないかと言われているようだ。


 城の前からも、眼下の家並みや周辺の山並みなどの穏やかな展望が気持ち良い。


 それらを一望後、城内を観覧することにした(入場料7€)。城内は、吹き抜けになっ
たホールの階段など、デザイン的にも見どころが多い。







 また、内部の各部屋にはフレスコ画が飾られていた。

     
 階段を上がった2階には展示室のような部屋もあり、歴史的資料や書物などが展示され
ている。


    







         
 廊下や壁面には紋章のようなものが幾つか飾られ、ミュージアムショップもある。





 最上階から屋上に出ると、360度に広がるカゼンティーノの景観が一層素晴らしい。













 16時20分に集合して、下の市街地へ向かって下る。町並みの中心に入り、両側にア
ーケードの続く通りを進む。


 その突き当たりにマドンナ・デル・モルボ(Madonna del Morbo)礼拝堂があった。

 トスカーナで最も独創的な礼拝堂と言われ、ポッピを襲ったペストで命を落とした多く
の人の祈願と慈悲のために1657~59年にかけて建立されたとか。


 堂内に入って祭壇や幾つかの絵画や装飾などを拝観した。
     



     

     



     
 同じ通りを戻って細い通りに入り、11世紀に建築されたサン・フェデーレ(San Fedele)
教会に行く。
     
   

 教会では結婚式が行われているようで、それを待つ人が外に何人か見られ、新婚夫婦の
乗るオープンカーも待機していた。


     
 結婚式も終わったようなので、中に入って少しの時間だけ内部を拝観した。
     

     



     

     
 マドンナ・デル・モルボ礼拝堂のそばまで戻り、城門を出てバス駐車場に行き、16時
55分にバスはポッピを後にした。
     


  
 これで今日の観光をすべて終え、宿泊するボローニャに向かう。ボローニャまでは北西
に約70㎞である。

 しばらくは、やはり一般道を進む。山あいに入って次第に高度を上げてゆくと、緑いっ
ぱいの景観が広がる。

 やがてトスカーナ特産のブドウ畑が現れ、オリーブ畑も増えてきた。




 高速道に入り、トスカーナ州の州都フィレンツェの町並みを横に見ながら進み、18時
20分に郊外のサービスエリアに着き、15分のトイレ休憩となる。




 その先は、イタリアを縦断するアペニン山脈(Appennini)を越えるため、長いトンネル
をいくつか通過した。


 やがてボローニャの町並みが近づき、今日の宿泊地、ボローニャ市街地東郊のNHヴィラ
ノーヴァ(Vilanova)に19時50分に着いた。




(天気 サンマリノ、サンセポルクロ、ポッピ 晴 ボローニャ 快晴、歩数 14,200)





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イタリア8日間の旅⑤ サンマリノ、サンセポルクロ、ポッピ観光後ボローニャへ(2)

2019-08-09 22:09:49 | イタリア旅行
 2019年6月1日(土)
 == 世界遺産サンマリノからサンセポルクロ、ポッピ観光へ(2/3・サンセポルクロ) ==




 サンマリノから南西へ、小さな町やゆったりとした山並みの間を縫うようにアップダウ
ンの多い一般道を進む。





 緑に囲まれたモンデドリオ(Montedoglio)湖を見下ろし、間もなくの12時10分にサ
ンセポルクロに着いた。


 サンセポルクロ(Sansepolcro)は、昨日訪ねたフェラーラやラヴェンナなどのあるエミ
リア ロマーニャ州の南に接した、イタリア中部のトスカーナ(Toscana)州アレッツォ
(Arezzo)県の標高約330mのところにあり、人口約16,000人の基礎自治体。古く
はボルゴ・サンセポルクロと呼ばれたという。

 ちなみに、トスカーナ州はイタリア中部に位置し、イタリア・ルネッサンスの中心にな
ったフィレンツェや斜塔で有名なピサなど多くの古都があり、文化遺産や自然景観に恵ま
れ、多くの観光客が訪れるところ。

 主要産業は農業で、ワイン、オリーブ、小麦などを生産し、特にワインは世界屈指の醸
造地になっているという。

 サンセポルクロは、初期ルネサンスの偉大な画家・ピエロ・デッラ・フランチェスカ
(Piero della Francesca・1415頃~92)の生地として有名で、この街を訪れる多くの
観光客の目的は、ピエロの絵画観賞のよう。

 また、複式簿記を考案した数学者・修道士ルカ=パチオーリの生地でもあるという。

 バスを下りた近くに、サンセポルクロ旧市街の地図があり、城壁に囲まれていることが
分かる。

 城壁は、要塞とともに15世紀トスカーナ公国時代にコジモ1世の命で建造されたもの
とか。


 その城壁の門を入って細い通りの旧市街を進み、中央部の広場に出た。
     

     


 ベルタ(Berta)の塔の広場で、たくさんの露店が並び、観光客も多い。






     


 広場を一巡後、北側の通りに入ってサンセポルクロ大聖堂前やサン・フランチェスコ教
会、司教館のロッジア、プレトリオ宮(市庁舎)の前などを回る。


 サンセポルクロ大聖堂


 サン・フランチェスコ教会

     
      司教館ロッジア

  
 市庁舎の壁面には、たくさんの紋章が飾られている。





 12時30分過ぎにフリータイムとなり、昼食は各自で自由にすることにしたのだが、
希望の人は13時に広場に集合して添乗員の福原さんお勧めのレストランで昼食をするこ
とにした。
 
 30分近く時間があるので、サンセポルク大聖堂を拝観することに(無料)。
     
 堂内に入り、正面の祭壇や周辺のたくさんの絵画などを見る。その幾つかを。

     
 サンティ・ディ・ディオート(1536~1603)の「聖トッマーソの不信」

     

     
      ラッフェロ・スカミノッシ(1529~?)の「慈悲の聖母」


 主祭壇




      上 ラッファエッリーノ・デル・コッレの「永遠なる父」
     
      下 パルマ・イル・ジョーヴェネの「被母被昇天」(1602)

     
 アンドレア・デッラ・ロッビア(1435-1528)の「タベルナコロ」


 14世紀フィレンツェの無名彫刻家の「聖母子」
 

     
      ファッフェリーノ・デル・コツレの「キリストの復活」

          
 ロマーノ・アルベルティ(ボルゴ・サン・セポルクロで16世紀後半~17世紀前半に活
動)の「礫刑」


 5分余りで大聖堂の参観を終え、近くのインフォメーションセンターに入り、サンセポ
ルクロの地図をもらい、絵はがきを求める。





 ベルタの塔の広場に12時50分に戻り、露店をのぞいたり掲示されていた古い写真を
見たりした。
     


  




     
 13時までに17人が集まり、添乗員の福原さんとともに少し歩いて「TRATTORIA」
というレストランに行き、14時05分頃まで昼食をする。



 レストランを出て、旧市街を北に戻って城壁を出て、公園のそばのバス駐車場に行き、
14時15分にサンセポルクロを後にした。






 この後は、北西に約65㎞のポッピに向かう。(続く)





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イタリア8日間の旅⑤ サンマリノ、サンセポルクロ、ポッピ観光後ボローニャへ(1)

2019-08-06 23:00:31 | イタリア旅行
 第5日 2019年6月1日(土)
 == 世界遺産サンマリノからサンセポルクロ、ポッピ観光へ(1/3・サンマリノ) ==



 イタリア半島の中東部、世界最古の共和国で世界で5番目に小さな国、サンマリノの4
つ星ホテル、グランドホテル サンマリノにて6時に起床した。今朝も晴天である。



 食事前にホテルの前に出て、西側に広がる緩やかな山並みや民家などを一望する。





 ホテル前のニセアカシアが花いっぱい。7時からホテルのレストランで朝食をした。

 8時にホテルロビーに集合して、ガイドのアリシェアさんと徒歩で世界遺産サンマリノ
の観光へ。

 サンマリノ共和国は、標高739mのティターノ(Titano)山の山頂周辺に旧市街が広
がっており、ホテルから出て西北に向かう。

 サンマリノは観光国家で、年間300万人以上の外国人が訪れるとか。1日あたりでは
8,000人以上で、人口は3万人なので驚くほどの多さになる。

     
 昨夜夕食をしたレストランの横から細い坂道を上がり、まずはリベルタ(Libertà)広場
に行く。
     
 正面の建物はプブリコ(Pubblico)宮と呼ばれる国会議事堂。14世紀に造られたオリ
ジナルを模して19世紀に再建されたというネオゴシック様式の建物である。
     

     
 その前には大理石の自由の女神像が立っている。イタリアの彫刻家ステファノ・ガッレ
ッティにより作られたもの。


 ここからも、西側の緩やかな山並みなどの気持ち良い展望が広がる。


 さらに坂を少し上がり、ロープウェイの山上駅のところへ。


 そばにインフォメーションセンターがあり、添乗員の福原さんが日本語の地図をもらっ
てきて皆さんに配布してくれた(下の地図)。



 ここからは、北側の家並みや東側に直線で約10㎞という逆光のアドリア海も望まれた。







 山上の周辺は城壁に囲まれており、城壁に沿って細い町並みを進んで聖マリノ大聖堂へ。
    


 国名の由来にもなっている聖マリノが祭られたサンマリノ(Santo Marino)大聖堂は、
1835~38年にかけて建設されたもの。世界遺産の歴史地区の中では比較的新しい建
造物とか。

 4世紀に建築されたサンマリノ教会の基盤上に建てられていて、6つの柱構えの玄関や
コリントス様式の柱、二等辺三角形の破風など、ギリシャ神殿のような新古典様式の外観
が特徴。

          
 内部に入り拝観したが、華美な装飾などはなくて白を基調にした落ち着いた雰囲気。




     

          

     

          

     

     
 だが、サンマリノの人々にはとても重要な聖堂のようで、国家元首にあたる執政の就任
儀式では、政庁舎から大聖堂までの行進が行われるという。

     
 サンマリノの起源でもある聖マリノの彫像は、祭壇正面に置かれていた。


 大聖堂の右手、寄り添うように建つのはサンピエトロ(San Pietro)教会↑のよう。


 たくさん並ぶ沿道の店をのぞきながらさらに上部へと進む。

 サンマリノは消費税がないので、イタリアを初めとする買い物を目当ての観光客も多い
という。
     





     
 城壁に沿って緩やかな坂を上がって行くと第一の塔、ロッカ・グアイタ(Rocca Guaita)
の下に出た。

 標高738mにあり、最初に造られた塔のようで、11世紀に修復されているとか。刑
務所として使われた時代もあったという。


 そばの展望台からの、北側眼下の家並みからアドリア海にかけての展望が広がる。



 さらに少しで、絶壁の上に立つ第二の塔 チェスタ(La Cesta)が見えた。
     
 チェスタの塔は最高点の標高749mにあり、2番目に着手されたもので13世紀に再
建され、現在は古代武器博物館になっているとか。

 第三の塔、ロッカ・モンターテ(Rocca Montale)はその先のようで、見る音はできなか
った。ここで8時50分にフリータイムとなり、9時20分にリベルタ広場集合となる。


 周辺の大展望を眺めたり足下に咲く花を見たりした後、同じ道を戻る。


    

    

         

     
 第一の塔の近くの城壁の門を抜けて少しずつ下り、途中の店で土産品を買ったりする。





 店には、サンマリノの大きな収入源のひとつでもある、美しいサンマリノ切手やコイン
なども並んでいた。


     
 時間より少し早めにリベルタ広場に戻った。すぐ下に、昨夜夕食をして夕日を眺めたレ
ストラン↓が見下ろせる。


 全員揃った後、ホテルの方に向かって別の道から下る。すぐ下に、カーバ・ディ・バレ
ストリエリ(Cava dei Balestrieri)という岸壁の窪地になっている広場があった。

 コンサートなどのイベントを開催することもあるようだ。そばの緑地には、いくつかの
彫刻が並んでいる。
     

          
  
     
 アーチを抜けた先、Risparmio銀行の入口に、裸婦像がある。20世紀最高の彫刻家と
されたイタリア人フランチェスコ・メッシーナの製作だという。
     

     
 昨夜夕食をしたレストラン横を下り、↓サンフランチェスコ教会の横を進む。
     


 歴史地区の出入り口、サンフランチェスコ(San Francesco)門を出る。



 宿泊したグランドホテルの前を進み、10時前にバス駐車場に着いた。だが、待ってい
るはずのバスは見えず、別の駐車場で待っていた。

 狭い道路事情から、ここに来るのに一度下ってから上がってくることになっているよう
で、しばらく待ってバスが来て10時15分に出発した。

 次の観光地は、南西へ約80㎞のサンセポルクロである。(続く)





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イタリア8日間の旅④ パドヴァ、フェラーラ、ラヴェンナ観光後サンマリノへ(3)

2019-08-04 18:50:07 | イタリア旅行
 第4日 2019年5月31日(金)
 == パドヴァから世界遺産フェラーラとラヴェンナ観光へ(3/3・ラヴェンナ) ==

 
 フェラーラから南東へ、広々とした平原地帯を1時間30分余り進んでラヴェンナの町
並みに入り、15時40分にバスを下りた。



 ラヴェンナ(Ravenna)は、フェラーラと同じエミリア ロマーニャ(Emilia Romagna)州
にあり、人口約15万人の基礎自治体でラヴェンナ県の県都。

 歴史的にはアドリア海に面した海港都市として築かれたが、現代のラヴェンナ市街は海
から直線距離で約8㎞の内陸にあり、アドリア海とは運河で結ばれているという。

 古代ローマ時代から中世にかけて繁栄し、西ローマ帝国や東ゴート帝国が首都とし、東
ローマ帝国ラヴェンナ総督府の首府でもあったとか。

 「ラヴェンナの初期キリスト教建造物群」は、1996年に世界遺産に登録されている。
     
     
 旧市街の町並みを10分ほど進み、通りに立つ門を抜けて、旧市街の西北側の同じ敷地
内にあるサン・ヴィターレ(San Vitale)教会(聖堂)とガッラ・プラチーディア(Galla
Placidia)の廟へ。何れも世界遺産である。


     

      




 最初に、右手奥にある小さめのレンガ造りで十字架型の建物、↑ガッラ・プラチーディア
の廟の拝観だが、内部は狭いので少し待たされ、南側のサン・ヴィターレ教会の八角形の
建物↓や、ガッラ・プラチーディアの廟のそばにある高木などを眺める。


     

 入っていたグループが出た後、廟に入って拝観する。

 ガッラ・プラチーディアの廟は、ローマ皇帝テオドシウス1世の皇女であるガッラ・プ
ラチーディアの廟とされ、5世紀半ばの建立とか。
     
 円天井は深い青色のモザイクに覆われ、奥行きある構図になっている。





 「よき羊飼いの図」や「水盤から水を飲む鳩の図」が名高いようだが、ほかの装飾もみ
な素晴らしい。






 10分ほど観覧してガッラ・プラチーディアの廟を出て、南側の大きなサン・ヴィター
レ教会に入る。
     

 サン・ヴィターレ教会は、東ローマ帝国の支配下だった548年に建立された古い建物。
     
 外観はシンプルだが、内陣の金色のモザイクの装飾が見事。
     






 特に注目されるのは「ユスティニアヌス帝が宮廷人を従えた図」と「テオドラ妃と随臣
・侍女たちの図」という。



 ほかも、どこを見上げても聖書のエピソードやキリスト像、自然の景観や動物など、金
色のモザイク画に圧倒される。


         

     



     

     

     



     

     

     

          

          





   

     
 16時55分にサン・ヴィターレ教会を出た。門を出て教会をふり返り、から旧市街へ
と往路を戻る。


     

     
 17時27分にバスは出発してラヴェンナを後にする。これで今日の観光を終え、今夜
の宿泊地サンマリノ共和国に向かう。サンマリノは、ラヴェンナから南南東におよそ85
㎞である。

 バスはアドリア海に近い高速道路をリミニ(Rimini)まで進む。リミニからは南西へと
内陸部に入り、間もなくサンマリノ中央部のティターノ山が見えてきた。




 山ろくまで進んで次第に高度を上げ、国境を越えてサンマリノ共和国に入る。

 サンマリノ(San Marino)共和国の面積は61㎢、東京・世田谷区よりやや広く、JR
山手線の内側くらいで南北12㎞、東西8㎞ほど。バチカン、モナコ、ナウル、ツバルに
次ぐ世界で5番目に小さな国。人口は3万3千人ほどで、ほとんどがカトリック教徒のよ
う。

 首都サンマリノは、標高739mのティターノ(Titano)山を中心に建設された城塞都市。
古代、山頂付近に修道院が開設され、13世紀頃に共和制の都市国家が成立し、1631
年にローマ教皇により独立を承認されて以来、独自の歴史と文化を育んで独立を維持して
おり、世界最古の独立国家でもあるという。

 ゲートだけのイタリアとの国境を通過して、カーブの続く道路を次第に高度を上げて行
く。やがて東方にアドリア海も見えてきた。




 さらに上がり、18時58分頃にホテル近くでバスを下りた。南から西へと広がる緩や
かな山並みなど眺めながら進む。




 今日の宿、グランドホテル サンマリノには19時06分に入った。

 部屋でゆっくりする間もなく、19時30分に集合して近くのレストランに行き夕食を
する。
     
 夕食を終えた20時40分過ぎ、レストランから西に沈むきれいな夕日が眺められ、多
くの人がカメラを構えた。



 食事を終えてホテルに戻る頃には辺りが薄暗くなり、街の明かりが点される。
     



 ホテルには21時13分に戻った。

(天気 パドヴァ 快晴、フェラーラ 晴、ラヴェンナとサンマリノ 快晴、歩数
 14,700)





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イタリア8日間の旅④ パドヴァ、フェラーラ、ラヴェンナ観光後サンマリノへ(2)

2019-08-03 12:53:40 | イタリア旅行
 第4日 2019年5月31日(金)
 == パドヴァから世界遺産フェラーラとラヴェンナ観光へ(2/3・フェラーラ) ==



 パドヴァ旧市街の南部を出て、バスは5分ほどで流量豊富な川を越える。





 緩やかな山並みなどを眺めながら進み、ポー川を渡って間もなくの11時14分に次の
観光地のフェラーラに着いた。


 フェラーラの予想最高気温は25℃とのことで、少し暑さが気になる。

 フェラーラ(Ferrra)は、ヴェネト州の南、エミリア ロマーニャ(Emilia Romagna)州に
あり、人口約13万人の基礎自治体でフェラーラ県の県都。州都ボローニャの北東約66
㎞に位置している。

 14世紀にこの地を治めたエステ(Estence)家により整備され、ルネサンス期にはフィ
レンツェと並び文化の中心地のひとつとして栄えたという。フェラーラのルネサンス期の
市街とポー川デルタ地帯は、1995年に世界文化遺産に登録されている。

 フェラーラの日本語ガイドはジャン カルロさん。2日後に訪ねるモデナに在住し、京
都に8年間住んでいたとのことで日本語は極めて堪能。
         
 その上独特の巻き舌での「ル」音の連続は、ほかの人には真似できそうにない。

 そのカルロさんに従い、旧市街中心部にあるエステンス(Estense)城へ。

 掘に囲まれていて4隅に塔のあるレンガ造りの建物で、1385年から建造が始まり、
16世紀に補修されたよう。

 当初の目的は、増税に反対する市民からエステ家自身を守るための城だったが、完成時
の16世紀には優美な中庭や大理石のテラス、フレスコ画で装飾された広間などが造られ
て一族の豪壮な住居になり、現在は多くの部屋が公開されていて、塔へも上ることができ
るという。
     

 堀を見ながら城に向かって進み、跳ね橋を渡って城内に入る。



 中には多くの観光客が訪れていた。


     

 城内から見た北側の町並み。



 さらに進むと大砲が残されている。その横でカルロさんから説明を聞いたが、メモして
ないのでいつ使われたものかは分からない。

 城を抜けて広場に出た。たくさんの露店があり、ここも大勢の人出で賑わう。



 その一角に、説教をしているようなジローラモ・サヴォナローラ(Girolamo Savonarola)
像が立っていた。
     
 ジローラモ・サヴォナローラ は、1452年にフェラーラで生まれたドミニコ会の修道
士。フィレンツェで神権政治を行い、宗教改革の先駆者と評価されることもあるようだ。


 時計塔のある城の主要部らしい辺りから、賑やかな露店などのぞきながら南に進む。


     



     



     

 南側にはサン・ジョルジョ(San Giorgio)大聖堂があるが工事中で、大きな幕に大聖堂
正面の写真が描かれていた。

 サン・ジョルジョ大聖堂はフェラーラ大聖堂とも呼ばれ、1135年に建てられたロマ
ネスク様式の聖堂。1235年には正面にゴシック様式も付加されたとか。3つの屋根を
持つ独特の形状のようだが、全体が見えないのが残念だ。


 大聖堂の近くにはフェラーラ市庁舎がある。元々はエステ家が13世紀に建てた邸宅だ
ったよう。

 入口前の2つの柱上に銅像があり、フェラーラ領主・ニコロ3世と子供の像だという。
     

     
 12時02~25分までフリータイムとなったので、大聖堂周辺の広場や露店、大聖堂
の横の長い建物などを巡って眺める。


     





     
 大聖堂に付属する鐘楼は、フェラーラで唯一の石造建築物のよう。1412年に創建さ
れ、未完のままで、ローマ古典主義と14世紀の彫刻を基盤としたデザインだという。

     





     


  

 12時25分に集合して、近くの昼食をするレストランに入って昼食をした。


 13時45分頃レストランを出てバスの駐車場に行き、13時55分にフェラーラを後
にする。

 この後は、南東約約90㎞のラヴェンナに向かう。(続く)





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