あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

鉄道博物館のナイトミュージアムへ(埼玉・さいたま市)

2011-11-30 18:21:14 | 鉄道
 2011年11月26日(土)

 JR東日本「大人の休日倶楽部」で募集した、「鉄道博物館ナイトミュージアム」招待
に応募したところ、当選の通知があったので連れ合いと出かけた。


 鉄道博物館は、JR東日本がさいたま市大宮区に4年前に開館した鉄道専門の博物館で、
JR大宮駅からニューシャトルでひと駅の鉄道博物館駅で下車すると、すぐそばにある。

 通常の開館時間は10時~18時だが、この日は大人の休日倶楽部会員のための貸切イ
ベントで、18時30分~21時の間観覧できる。

 ちょうど18時30分頃に入館した。


 ナイトミュージアム限定の販売するというので、まずは日本食堂の弁当販売の列に並ぶ。


 30分近く並んでようやく売り場へ。もう売り切れの弁当もあり、博物館限定で奥羽本
線米沢駅で明治32年(1899)から販売しているという、松川弁当店の「SL動輪太
巻き」を購入した(500円)。


 展示を見る前に腹ごしらえと、食堂代わりに指定されている外の車両に入って食べる。


 さてこれから観覧だ。館内に入ろうとしたら、なんとカントリーウオーク仲間のKさん
ご夫妻も来られていて、声をかけられてビックリ!

 まずは1階の「ヒストリーゾーン」と呼ぶ辺りを回ることにする。ここには、歴史的な
車両がたくさん並んでいて、間近で眺められる。


 国鉄初めての量産気動車というキハ41300シリーズの中の1両、昭和9年(1934)
川崎車輌の製造である。
 
 長さ16.2m、定員は109人とか。その運転席のあたり。


 蒸気機関車C57135号


 蒸気機関車全盛の時代に、駅弁とともに売られていた信楽焼の茶器、文字は右書きだ。


 奥の方に進むと、国鉄全盛の頃の特急列車や電気機関車が並んでいた。

 左のED75775号は、昭和50年(1975)東芝製。ED57型は、交流電気の
標準設計を確立した電気機関車で、耐寒、耐雪性能を施し、羽越本線や奥羽本線で活躍し
たとか。交流最多の302両製造されているという。

 上越新幹線開業前の、上越線の特急列車とき。


 その頃の上野駅の模型もある。


 東京オリンピックの直前、昭和39年(1964)10月1日に開業した東海道新幹線
に使用された0系車両も。


 あちこちで目にしたEF58型電気機関車。


 こちらは、北海道最初の鉄道・幌内鉄道で使われた、開拓使など高官専用のアメリカ製特
別客車「開拓使号」。


 その前に連結されていたのが弁慶号(7100形式)。同じ幌内鉄道用にアメリカから輸
入したもの。


 蒸気機関車9856号は、内部の構造が分かるように切り開かれていた。


 この機関車の心臓部


 小さなこの車輌は、人の力で押して運んだ人車鉄道の車輌。東北本線松山町駅と松山中
心部2.5㎞間に大正11年(1922)に開通したが、自動車の増加に伴い昭和2年
(1930)年には廃止されたようだ。


 まだまだたくさんの車輌や機関車などがあったが、この辺で2階に上がってみることに。
2階からは、いま回ったヒストリーゾーンが見下ろせる。


 2階の見ものとして模型鉄道ジオラマがあり、風景や建物などを精密な模型で再現した
中を、模型鉄道が縦横無尽に走り回り、HOゲージのジオラマでは国内最大級の大きさと
か。線路総延長約1400mあり、そこを1/80の在来線車輌や1/87の新幹線車両
が走るというが、残念ながら運転時間が終わっていて、見られなかった。

 そこで、ショーウインドウの中に並ぶコレクションギャラリーの展示を、ひととおりの
ぞいて見た。国鉄赤谷線には、夏の飯豊連峰を縦走したとき、新潟側に下って乗ったこと
がある。


 「まんせいばし」駅は、鉄道博物館の前身、東京・神田の交通博物館のあったところ。


 特急つばめのヘッドマークなど。


 ひととおり見るか見ないかのうち閉館の21時が迫り、鉄道博物館を後にした。


 なお、鉄道博物館の詳細は鉄道博物館のウェブサイトを。


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八王子の片倉城跡を訪ねる(東京)

2011-11-29 17:53:51 | 江戸・東京を歩く
 2011年11月26日(土)

 地図を愛好するグループ「地図を歩く会」の第22回例会で、八王子市街の南部にあり
東京都の史跡となっている片倉城跡を訪ねました。

 JR横浜線の、北のターミナルである八王子駅の次の片倉駅に集合し、10時半過ぎに
駅を後にしました。北口を出て西へ、国道16号を横断すると、すぐ西側の丘陵が片倉城
跡です。


 広葉樹林に覆われた斜面の下に住吉沼があり、その周辺のラクウショウとメタセコイア
が色づき、そばに幾つかの彫刻が並んでいます。




 斜面中腹にある住吉神社を目指して急階段を上がり、左に回り込むと、イチョウの幼木
がたくさん生えていました。そばのイチョウから落ちた、ギンナンが芽を出したのです。


 住吉神社は、片倉城主であった長井大善太夫道広が、応安4年(1372)に城の鎮守
として摂津国(大阪市)の住吉大社を勧請したものとか。

 慶安2年(1649)10月には、徳川3代将軍から朱印7石を受けているそうです。

 片倉城は、室町時代に大江広元を祖先とする長井氏により築かれたと伝えられており、
太平洋戦争中には高射砲陣地として使われたとのこと。面積は、39.272㎢あるそう
です。

 神社の背後から林間を、本丸跡に向かって上がって行きました。


 広い芝生に覆われた本丸広場です。


 本丸と二の丸の間の空堀はかなり埋まっていて、あまり窪みが感じられません。


 二の丸広場も広い芝生地に。西端からは奥多摩の山並みが望まれます。


 広場の隅で実を付けている木は、ムクでしょうか…


 二の丸広場の先は、標高144mの水準点をピークとした平坦な台地上に畑が広がり、
その周辺を広葉樹林が点在していました。


 広葉樹林の切れ目から北を見ると、八王子駅そばに最近出来たという、高層ビルが目
につきます。


 さらに台地上の畑の横を西に進みました。


 畑の先には、最近完成したらしい「片倉つどいの森公園」と呼ぶ、芝生広場を中心に
した自然公園が広がっています。


 公園の高台部分の西端まで行き、昼食前にまず、このグループいつもの行事、山座同定
(さんざどうてい=山の形や位置から山の名前を確認すること)に入ります。丹沢方面は
雲が多く、富士山も雲に隠れていましたが、奥多摩の山並みが、かなりはっきりと見られ
ました。


 北西に見える、五重塔のあるところは満福寺のようです。


 奥多摩の最もよい目印である大岳山(1267m)。


 さらに右(北)に目を向けると、奥武蔵の山並みや秩父の武甲山(右端)なども。


 山座同定の後、クローバーの上に腰を下ろして昼食にしました。

 同じ場所で1時間近く経過してから南西に向かい、「つどいの池」と呼ぶ調整池のそば
まで下り、公園を抜けました。


 近くの道路際に、たくさん花開いていた皇帝ダリアの一部。


 片倉駅の次、八王子みなみ野駅周辺は、広い道路を挟んで、新しい商店や事務所、住宅
などがどんどん出来つつあり、片倉城跡やつどいの森公園とは別世界のようでした。


 撮り忘れたので、ゴールのJR横浜線八王子みなみ野駅前で今日のメンバーを。私を入
れて4人で、ちょっと淋しい集まりでした。
  

 (天気 快晴、地図(1/2.5万) 八王子、歩行地 八王子市)
 


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カタツムリ歩行 JR中央線 西武線 国分寺駅(東京)

2011-11-27 18:30:44 | カタツムリ歩行
 2011年11月20日(日)

 JR武蔵野線周辺を歩く「カタツムリ歩行」の第209回例会に参加した。

 集合地の国分寺駅は、JR中央線の快速や特別快速電車の停車駅であるとともに、西
武国分寺線と西武多摩湖線のターミナル駅でもあり、好天となったこの朝は、ウオーキ
ングなどのグループが何組も集まり、たくさんの人でごった返していた。


 10時5分に駅北口を出発してJR中央線の線路沿いを東へ。最初のガードをくぐっ
て南側に回り、線路に向かって斜面を上がると、広い庭と長い塀の続く民家があった。


 線路に近い住宅地の間を東進して、正門の守衛に断り東京経済大学の構内に入る。


 東京経済大の前身は、明治33年(1990)に渋沢敬一らが都内赤坂葵町に創立した
大倉商業学校で、東京経済大学となったのは昭和24年(1949)だという。

 緑の多い構内の校舎の間を東に抜けて、うっそうとした緑陰を下ると、「新次郎池」と
呼ぶきれいな池が現れた。

 1957年から1967年に在任した北沢新次郎学長の時代に池として整備したもので、
以前はワサビ田だったところとのこと。この池には5か所からの湧水が集まるという。

 ちなみに、カントリーウオークグループの例会で訪れた7月3日(日)には、水は涸れ
ていた。

 現在はこのような池からの流れが、南側を流れる野川に流入している。


 流れに沿って、校内とは思えぬ豊富な林間を南側の道路に向かう。道路際には、近隣か
ら通学しているらしい大学生の自転車が何台か置いてあり、そのなかに、新潟県上越市の
出身らしい大学生の自転車も止めてあった。

 中学、高校(糸魚川中、糸魚川高)と通学に利用したものを、いまも大事に使用してい
るようだ。


 桜並木の続く野川の鞍尾橋を渡って、庚申塚通りに入る。だるまのような石の彫刻を置
いた民家があった。何のためなんだろうか…



 貫井町四丁目から五丁目へと車の少ない住宅地を進む。民家の庭先のサザンカの花が見
ごろになり、柿の葉もよい彩りを見せる。


 近くの畑には、いっぱい実を付けた柿の木も。
  

 中層の集合住宅が並び、街路樹のケヤキが色づく都住宅供給公社の小金井貫井住宅を南
に抜ける。


 そろそろゴールに向かおうと貫井南町一丁目で折り返し、地図上の千手院の横に来たが、
寺は無くてその用地は光明第二保育園になり、そばに小さい神社の建物だけが残っていた。


 北に向かうと道路の西側に、高い生け垣で囲まれた広いクリ畑があった。住宅に囲まれ
た一角に、このような広大なクリ畑が残っているとは…


 その通りの東側、住宅地の中の少しのスペースには、10数本のモクレンとハクモクレ
ンを植えた「モクレン緑地」があった。

 小金井市で設けたものである。

 
 交番の角を曲がって一つ西側の通りへ。近くの広い民家の庭先にジャンボユズが実り、
その下には、ヒョウタンのような実の柑橘も見られた。


 野川の坂下橋から、上流に向かって右岸沿い野遊歩道を進む。


 弁天橋で川を離れて、北側の高台にある真明寺に上がる。そう広くは無いが、境内の
庭木はよく手入れされている。


 隣接する西側が、きょうのゴール貫井(ぬくい)神社である。12時ちょうどに着く。


 本堂の西側斜面からも野川の水源になる湧水があり、流れは境内の弁天池に入る。


 境内で昼食後、記念撮影とミーティングをする。ミーティングでは、この歩きの発案
者である「やまさん」が、大正時代に描かれたこの辺りの風景の絵を何枚か持参され、
当時の様子などを紹介してくれた。


 13時頃散会となる。この後回った日立中央研究所の庭園の模様は、当日のブログで
すでに紹介した。

 (天気 晴、距離 4.5㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 国分寺市、
  小金井市) 
 


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航空記念公園の彩りと日没後の富士山(埼玉・所沢)

2011-11-25 18:52:09 | 所沢だより
 2011年11月25日(金)

 今日も快晴となりました。午後2時過ぎから市内散策に出かけ、所沢航空記念公園へ。
公園内の木々は、かなり落葉が進んでいますが、まだ残る彩りも…。

 クヌギの黄葉


 日の陰ったモミジ


 こちらはアメリカハナミズキでしょうか。


 あちこちにあるソメイヨシノは、かなり落葉が進んでいます。


 市立図書館に近いモミジ




 新所沢駅に回り、わが家の近くまで戻る頃には日没となり、西に奥多摩の大岳山周辺の
山並みが。


 その左(南側)には、富士山もくっきりと姿を見せていました。


 これから寒さもつのり、富士山の見える日も増えることでしょう。




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関東百駅巡礼歩行 小田急線 玉川学園前駅(神奈川)

2011-11-24 11:30:43 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年11月19日(土)

 一日雨の予報だが、この歩きは思いがけぬ発見や出会いが多いので、迷うこと無く出
かける。今回は、関東百駅の第79番である。

 やまさん、地元神奈川のお二人とで記念撮影をして、11時10分に若者の多い小田
急小田原線の玉川学園前駅を出る。


 南北に走る線路の東側を、線路に沿って北に向かう。家並みの途切れぬ駅のそばの斜
面に、びっしり木々に覆われた住宅がある。

 最初の踏切際に母子観音が雨に濡れて立ち、台座に五線譜が刻まれていた。遮断機の
無かった昭和34年(1959)2月、コロムビアレコードの歌手、黒木曜子さんと千
恵子さん母娘が事故死したことを悼み、コロムビヤ歌手クラブ有志が建立したものという。


 踏切の先に、やまさんお知りあいの方の「トラベルサロンPlease and Thanks」という
店があった。

 旅行代理店、喫茶ギャラリー、手作り作品や海外雑貨の店という珍しい店舗。10月
には、来日中の国王夫妻で話題の、幸福度世界一の国・ブータンへの企画旅行も実施した
とのことだった。

 踏切を渡らずに右折し、東側の玉川学園七丁目の台地へ。山小屋風茶坊(レストラン)
の先に、朱塗りの鳥居の立つ竹林があり、ある居合(いあい)の流派の年次祭の立て札が
立っていた。どうやら竹林の上には居合道場があるらしい。


 周辺は、広い敷地に樹木の多い個性ある造りの高級住宅が並ぶ。桜並木の通りを高台の
上まで出ると、東側斜面に面した5階建ての、ワコーレ玉川学園と呼ぶ褐色の高級マンシ
ョンがあった。


 稜線上の車道を南へ。マンション建設予定地の広い空地から、雨に煙る西側の展望が広
がり、東側斜面には竹林が見下ろせる。空地の先には、クリ畑が残っていた。


 教会らしからぬ2階建てビル建築のキリスト教会、成瀬教会に、来月のクリスマスコン
サートの、切り絵風の案内が張ってある。

 東玉川学園一丁目から四丁目に回ったが。この辺りも緑の多いりっぱな住宅が続く。


 広い直線道路の中ほどにあった、桜の色づく東玉川学園四丁目児童公園に入り、藤棚の
下で昼食をすることにした。藤の葉に覆われてはいるが雨は落ちてくる。


 そこでやまさんは、用意してきたひも付きのグランドシートを広げて藤棚の支柱にしば
り雨除けの場を設けてくれたので、その下に入り、立ったままおにぎりを食べた。


 雨は一層強まり、風も出てきた。直線道路の終わる辺りに化石谷公園と呼ぶ小公園があ
ったが、化石の説明や遺跡などは見当たらない。


 昭和薬科大への道を少し入って戻る。西側の斜面を下り、広大な敷地の三井住友海上の
研修所と総合グランドの正門前を通過する。


 交通量の多い通りを横断して南大谷小と南大谷中の間を抜け、恩田川左岸のサイクリン
グ道路に出た。小田急線の線路に近い橋を渡って線路沿いの細道に回る。


 緩い斜面を上がって行くと、この季節とは思えぬ生暖かい風が吹き下ろしてくる。町田
二中の南を回って芹ヶ谷(せりがや)公園の中ほどに出た。


 公園は、小田急線の線路際から谷間を西北から南西に延び、園内は豊富な緑陰に覆われ
ている。


 ところどころに紅葉が色づく木々の下を南西に下る。「虹と水の広場」と呼ぶ広場の中
心に大きなオブジェクトが立ち、二つの棒から溜まった水が流れ落ち、珍しい動く彫刻の
ような光景を見せる。


 その先の、町田市立国際版画美術館に14時頃に着く。ここで解散となったので、美術
館の観覧をすることにした。


 まず常設展会場に入り、チベット密教版画を見る。中国、四川省の院経院と呼ぶ密教寺
院にある版木を使用して彫られた、薬師如来や十一面観音、極楽浄土図、仏伝図などの木
版画30点が展示され、隣接の畦地(あぜち)梅太郎コーナーには、山の版画家として知
られる畦地梅太郎の版画4点が並んでいた。

 広いスペースの企画展会場では、「版画でつくる驚異の部屋へようこそ展」を開催中。

 15世紀から18世紀にヨーロッパで流行した「驚異の部屋」にならい構築したという、
人体の解剖図や動物図譜、怪異な生き物、建築物、多色刷りの版画や書籍など多数が展示
されていて、その精緻な版画技法に驚かされるとともに、版画の奥深さを認識させられた。

 ちなみに、この企画展は11月23日(水)で終了した。

 およそ1時間鑑賞して版画美術展を出る。


 雨は一向に止まず、ますます降りしきる。濡れた靴の中を気にしながら芹ヶ谷公園を西
に上がり、15時40分に小田急小田原線の隣駅、町田駅に着いた。

(参加 4人、天気 雨、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 原町田、歩行地 町田市、
 横浜市青葉区、歩数 10,000)



 【お詫び】かなりの雨のため、中ほどの写真からレンズに水滴が付いて、見苦しい画面
  になっていますが、雨の雰囲気を感じていただくためにあえて掲載しました。ご了承
  下さい


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初冬の別所沼周辺を巡る(埼玉・さいたま市)

2011-11-22 21:37:47 | ウオーキング
 2011年11月22日(火)

 今日も首都圏は冷え込みましたが、快晴となりました。昼前に自宅を出て、さいたま
市役所構内にある「さいたま市民ギャラリー」で開催中の写真展に行くことにしました。


 JR武蔵野線の武蔵浦和駅で降り、桜並木の続く歩道を別所沼公園に向かいます。桜
の葉はかなり落ちていましたが、残った葉はよい彩りです。


 南西端の歩道橋から見下ろす別所沼。メタセコイアがかなり色づいています。




 別所沼公園に入って沼の西側に進むと、カモが泳ぐのが見られます。


 カメラを構えたら、カモの群れが近づいてきました。


 池の北側の噴水、うっすらとにじがかかっています。






 池の北端からの眺め




 別所沼公園から東に上がって仲町四丁目から常盤六丁目に回り、会場のさいたま市役所
構内の市民ギャラリーに入りました。

 手前の白い建物が市民ギャラリー

 ここで、昨日11月21日(月)から27日(日)まで開催されている、この写真展が
今日の目的です。


 カントリーウオーク仲間でさいたま市緑区にお住まいのNさんが、このグループに参加
されていて出展しているとの案内をもらったからです。

 会場では、Nさんなど9名の方々が、ひとり3点ずつ出展していました。風景写真が主
体で、おなじみの場所が多く、皆さんのきれいな写真鑑賞を楽しませていただきました。

 カントリーウオーク仲間のSさんも直前に来られたようで、来訪帳にお名前が記されて
いました。

 鑑賞の後は東側の中山道に回って須原屋書店に寄り、発売されたばかりの鉄道のシリー
ズものの第1号を購入しました。

 JR浦和駅西口交差点を右折して埼玉県庁構内を抜け、近くで遅い昼食を済ませ、別所
四丁目から二丁目の住宅地を進み、JR武蔵浦和駅に戻って帰路につきました。

 (天気 快晴、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市南区、
  浦和区)



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さいたま市西郊をカントリーウオーク(埼玉)

2011-11-21 21:11:54 | カントリーウオーク
 2011年11月13日(日)

 週末は雨のパターンが崩れ、カントリーウオークグループの第188回例会は穏やかな
好天となる。参加メンバーは4組に分かれ、2年前の3月に開業のJR川越線西大宮駅を
10時10分にスタートした。

 ==高木や中釘の寺社を回る==

 駅北口は区画整理事業が進捗中で、地図に無い道路が何本も出来ている。それらを西に
進けて新しい十一面観音堂↓の前を過ぎ、指扇(さしおうぎ)小の西から北に向かう。


 国道16号西大宮バイパスの手前、畑を囲む金網にハヤトウリが実っている。畑の持ち
主が居られたので声をかけたら、そのハヤトウリを10個余り、もいでくれた。出だしか
ら思いがけずの収穫だ。


 バイパス北側の車道に入り、墓地だけの法願寺へ。貞和5年(1349)のものなど、
板石塔婆(いたいしとうば)が23基並んでいた。


 埼玉栄高の手前から左折し、造成工事中の仮設道路を進んで高木集落に上がり、阿弥陀
寺に入る。


 墓地に指扇城主・山内一唯(やまのうちかずただ)の家臣、高村権之丞の墓があるとい
う。後から来たTさんに教えてもらい、場所を確認した。


 門前には、同じ家臣の「本山伊兵衛茂正の墓所」と記された新しい標石も立っていた。

 北西側すぐ近くの法光寺に回る。山門を入った右手に、さいたま市天然記念物のシイノ
キが大きく枝を広げている。

 高さ15m、目通り4.53m、枝張りは20mある大木であ。本堂の前にマキの実が
たくさん落ちていて、口に入れたら甘かった。

 西に向かい、車道を二つ横断した先に、ハス田とクレソンのビニールハウスが隣接して
いた。どちらもきれいな水が流れ、オタマジャクシがたくさん泳いでいた。


 暖かいこの秋は、野菜の育ちが早いとか。そばの畑の葉菜もよく育っている。南側の家
の生け垣には、ホップが実を付けていた。


 すぐ先、色づいた桜並木を進むと、永昌寺本堂東側に、神殿造りの秋葉三尺坊の建物が
ある。本堂の前には六地蔵が2組と、変わった姿の石仏が数体並んでいた。


 皇帝ダリアが見頃になった民家の前の細道を南に入り、さいたま市指定史跡の池上家富士
浅間塚へ。杉木立などに覆われた塚の上に、小さい浅間神社が祭られていた。


 昼食地である秋葉の森総合公園の入口前を通過して西側に進み、朱塗りの山門をくぐっ
て妙玖寺(みようきゆうじ)に入る。



 本堂の左手前に、指扇城主だった山内一唯一族の墓がある。

 まず本堂に参拝をと思い本堂の前に行ったら、本堂が開いてご住職の奥様が顔を出し、
「墓だけにして下さい」と言う。墓を見ている間、奥様はじっと私たちの行動を監視?さ
れていた。

 大坂の陣で軍功のあった土佐藩主・山内忠義の実弟・一唯は、元和9年(1623)に
二代将軍徳川秀忠から指扇領三千石を拝領し、以後三代67年間ここ中釘(なかくぎ)に
陣屋を構え、当地を納めたという。


 墓地には、一唯、一輝父子、それに一唯の継室栄松院とその実母の墓が並んでいる。

 門前を更に西進して竹林の間を北に入り、昼食地の秋葉の森公園南西端に12時37分
に着いた。


 ==大宮花の丘農林公苑へ==
 
 13時21分に出発、公園内のサッカー場や駐車場の横を回り、北側の自然保護ゾーン
に入った。


 コナラやイヌシデなどの広葉樹林の間に、ウッドチップを敷いた遊歩道が続く。オタマ
ジャクシの泳ぐ池の横や、タヌキのトンネルの上、湿地にかかる木道などを通過して、東
北端に回って秋葉の森総合公園を抜けた。

 菊の咲き乱れる畑の前や、日産の自動車保管場の北を通過し、埼玉運輸支所横の交差点
に出た。県道216号を少し南下して東へ。


 境内に樹木の少ない観音寺の仁王門に、コンクリート造りらしい素朴な仁王様様が立つ。


 次の三差路際にある「高木の庚申塔」は、寛政3年(1791)に建てられたもの。邪
鬼を踏む金剛像と三猿が彫られていて、当時の庚申信仰の姿をよく残している。


 すぐ先の小さい氏神様には、四十貫目余(150㎏余り)と刻まれた力石が転がっていた。

 近くのカーブ点に、珍しいサボテンの無人スタンドがあり、女性の方々が小さい鉢植え
のサボテンを買い求めた。



 幅広い国道17号バイパスを越えて大宮花の丘農林公苑に入り、咲き残るバラ園で、記
念撮影をしてから休憩する。


 公苑の南端を回って折り返し、一つ南の信号で国道17号バイパスを通過、清河寺(せ
いがんじ)集落に入った。

 中原バス停から少し北へ、集落の中を西進するとケヤキの大木が立っていた。県天然記
念物「清河寺の大ケヤキ」で、樹高32m、幹回り8.5m、推定樹齢650年という。


 老梅の並ぶ参道を進み、新しい山門をくぐって清河寺に入り、最後の休憩。白木の大本
堂も庫裡(くり)も鐘楼も新しく、庫裡の玄関前にきれいな菊の鉢植えが並んでいた。


 庭のイチョウにギンナンがたくさん実っているが、落ちているのは少ない。でも何人か
が拾い集めてビニール袋に納めた。


 南に回り、清河寺温泉の横を通過する。温泉は平成11年(1999)に湧出したもの
で、源泉温度は38.3度とのこと。駐車場には、温泉に来た車が多数並んでいた。


 清河寺交差点を南へ。県道165号に分かれて西側の車道を進む。JR川越線の線路の
手前に、県史跡の「方墳大塚古墳」がある。

 底辺が21mと25mの方形で、古墳時代の墳墓と考えられているという。周辺は区画
整理が進んでいるが、大事に残して欲しいものだ。

 線路際を進んで、16時12分にJR西大宮駅に戻った。

(参加 17人、天気 晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 上尾、歩行地 さい
 たま市西区、歩数 24,700)



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日立中央研究所の庭園へ(東京・国分寺)

2011-11-20 21:20:30 | ウオーキング
 2011年11月20日(日)午後

 11月下旬とは思えぬ暖かな晴天となった今日、午前中はカタツムリ歩行の例会で
JR中央線と西武国分寺線、多摩湖線の国分寺駅周辺を歩いたのですが、例会参加の
方から、近くの日立中央研究所の庭園が今日開放されているようだ、との情報を聞い
たので、例会終了後回ってみました。

 日立中央研究所は、JR中央線と西武国分寺線、それに西武多摩湖線に挟まれた、
国分寺駅の北西にあります。

 敷地の東側に正門があり、正門を入った先の受付テントで、同行者の人数を記入し
て参観します。


 この研究所は、昭和17年(1942年4月)に設立され、敷地は約20万7千㎡
(東京ドームの約5倍)、約1千名が勤務されているようです。

 研究所では、設立以来構内の自然環境の保全に勤めており、樹木は約2万7千本、
ムクドリやマガモ、こじゅけいなど、野鳥が約40種類生息しているとのことです。


 深い樹木に覆われた返仁橋(へんじんばし)を渡ると、正面に小平記念館と呼ぶ建
物が立っていました。
 

 記念館の前の噴水


 南に進むと芝生広場の隅にテントが張られ、日立の太陽光発電パネルの展示や、郵
便局の年賀はがきの販売、飲食物の販売などが行われていました。


 さらに南側の谷間にある大池に向かって東側から下ります。


 下り坂のカーブ点には竹林も。


 大イチョウはよい彩り。


 池のほとりにある、モミジの紅葉はもう少し先になりそうです。


 池の南側は、大きく育った広葉樹林になっています。


 研究所から流れ出す湧水は、野川の水源になっています。


 大池の南に回って望む北側の木々は、秋の彩りに。


 大池は、構内数カ所の湧水を利用して、昭和33年(1958)に造られたとのこと。
面積は1万㎡、周囲800mあります。


 池の西端を回って、北側の池のほとりを進みました。




 「ハケ」と呼ばれる国分寺崖線(がいせん)下部から、野川の水源となる湧水の一つが
流出していました。


 池畔の大きなモミジは見頃になっています。


 そばのマユミもたくさん実を付けて、鳥を待っているよう。


 池の西端付近まで戻り、北側の大地に向かって林間を上がります。


 芝生広場で憩う参観者。


 広場には、野外ステージも設けられていました。


 一周してテントのあるあたりまで戻り、1時間近い参観を終えて日立研修所を後にしま
した。


 ちなみに、この日の入場受付は10時から14時30分まで、庭園開放は15時で終了
です。

 研究所の公開は年2回、次の公開日は来年、2012年4月1日(日)の予定です。



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国際ウオーキングトレイル実踏 番外(湯ヶ野~河津駅)(静岡)

2011-11-17 22:12:53 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 ==2011年11月11日(金)==

 朝から冷たい雨。今回の国際トレイル実踏は昨日までの行程で終わり、今日は、帰宅に
向けて各々が、フリー歩行で伊豆急行の河津駅に向かうことにした。

 私は、やまさんが3年前に歩いたという旧下田街道の小鍋(こなべ)峠を越えて、河津
駅へのルートとする。

 8時10分に、タウンゼント・ハリスも泊まった慈眼院の天城禅の湯YHを後にした。


 雨に煙る南の山並みを眺め、国道414号から下の旧道に下る。昨日の道を少し戻って
河津川を渡り、小鍋集落に入った。

 山すそを少し進んで、Y字路を右に上がると、東側谷間に続く湯ヶ野の家並みが望まれ
る。


 小鍋神社への標識があったので、西側高台の神社に上がった。

 伊豆に流された文覚上人と源頼朝の伝説が残されており、文覚が頼朝の父義朝のドクロ
を頼朝に見せて源氏再興を促し、後にドクロを埋葬したのが、神社南側のカシの巨木の下
といわれているという。

 南に進み、河津川の支流を渡った三差路に「下田街道・小鍋峠」のりっぱな案内板が立
っている。

 案内板には、地図のほかに、寛政5年(1793)に老中松平定信一行が、安政4年
(1858)には米国初代総領事タウンゼント・ハリスが、小鍋峠を越えて江戸城へ赴い
たことなどが、記されていた。

 案内板の左手を上がり、わずかな家並みが終わると舗装が途切れて、峠への山道になる。

 最初はせせらぎに沿って谷間を少しずつ上がり、谷の迫ったところから右に回り込み、
雨に濡れる樹林の下を進む。

 ところどころに、下田街道と小鍋峠への標識が立ち、小さい分岐には、左へ普門院への
古い道しるべの標石がある。付近では、サワガニが何か所かで見られた。



 右下がり緩斜面の杉林を進んで、1時間余りで標高約290mの小鍋峠に上がった。


 峠は狭く、古い石碑や2体のお地蔵さん、小鍋峠の看板などがある。樹林に覆われてい
て、全く展望は利かない。


 広葉樹主体の林間を下る道にも、下田街道と八木山から小鍋峠への標識が何か所かあり、
迷うことは無い。10分ほどで、八木山集落からの林道のカーブ点に出た。



 きれいに剪定(せんてい)された杉林を下り、林が途切れたところには、小鍋集落と同
様の案内板が立っていた。


 雨に濡れる谷間を下って行くと点々と八木山の民家が現れた。


 林道が右に大きくカーブする地点で、ショートカットの細道で抜けると地蔵堂があり、
子安地蔵が祭られていた。





 稻梓川右岸に近い三差路には、読みにくくなった古い標石があり、折り返すように下の
道に下って川沿いを上流に向かう。

 南側の対岸は車の多い国道414号が通じているが、こちらは静か。自家米にするのだ
ろうか、はさ掛けの残る田んぼもある。


 集会所のような建物があったが、標識の字がかすれて読めない。休んでいても寒いので、
少しだけで先に進むことにする。

 何か所か国道に出る道があるが、このまま川沿いを行くことにした。護岸工事がされて
いて川の見栄えはよくないが、北側に点在する集落を眺めながら進み、峰山トンネルの近
くで国道に合した。


 国道の峰山トンネルは長さ189mあり、入口には、踊子が描かれている。

 トンネルから200m余りでY字路となり、河津バガデル公園と河津温泉郷の標識が、
咲き残ったバラの中に立っていた。

 湯ヶ野に向かって左に回り込む国道に分かれ、右手の広い車道に入る。500mほどで、
「4t車以上通行不可」の表示が立つ左の林間に下る狭い車道があった。

 ミカンの無人販売スタンドもあり、その脇を下って行く。


 集落に入って幾つか分岐があるが、右へ右へと少しずつ下ると、温泉のボーリングやぐ
らが現れた。

 小さい流れ沿いに出て、「わらべ庵」と呼ぶ焼き物の並んだ駐車場のところで、トンネ
ルからの広い車道に合した。

 小山田橋を渡って東へ、天城そばの店の横で信号のある交差点を通過し、朱塗りの欄干
(らんかん)の豊泉橋際に出た。


 橋を渡らず河津川右岸の桜並木の歩道を下流の次の橋まで進む。両岸に続く桜が、早春
にピンクの色鮮やかに咲くことで知られる河津桜で、2月上旬から3月上旬まで、河津桜
まつりが開催される。


 降り続いた雨がほぼ上がった。橋を渡って河津中の北から東に回り、次の通りを少し戻
って、杉桙別命(すぎほこわけのみこと)神社に回る。

 この神社は、平安時代の「延喜式」にも記されているという格式ある古社である。


 鳥居のそばに、枝を広げたクスノキの大木があるが、そばに「大クスは社殿左手奥」の
表示が立っていた。


 社殿に参拝後、左側背後に回ると、太い幹のケヤキのご神木に圧倒される。

 国天然記念物に指定されている大クスは、目通り14m、高さ24mあり、樹齢は千年
以上といわれているという。

 駅に向かう通りを少し進んだところに、双塔の円筒屋根の建物が見えた。立ち寄る予定
だった河津桜観光交流館である。

 1階の観光案内所で、宿でもらった「河津の温返(おんがえ)しキャンペーン」のスタ
ンプを押して応募箱に入れ、2階の食堂に上がり、桜色をした河津桜うどんを注文する。

 食堂の下にある地元産品の特売場ものぞいたら、粒は小さいが200円で3㎏くらいは
ありそうな渋柿の袋が目についた。ザックに入りそうなので買い求め、帰宅後干し柿を作
ることにした。

 商店などの増えた通りを700mほど進み、13時8分に伊豆急行線の河津駅に着いた。

(天気 雨、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 湯ヶ野、歩行地 河津町、下田市、
 歩数 20,600、累積標高差 約1,050m)



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国際ウオーキングトレイル実踏 第2日(湯ヶ島~湯ヶ野)(静岡)続き

2011-11-16 11:00:03 | 国際ウオーキングトレイル実踏
  未舗装の旧国道は、水生地と呼ぶ八丁池への登山路入口付近で大きくヘヤピンカーブし
て回り込み、国重要文化財になっている旧天城トンネル西口に着いた。


 トンネルは、総工費10万3千余円の巨費を投じて明治38年(1905)に開通、延
長446m、幅員は3.5mである。

 トンネルの標高は708m、冷たい雨で冷えてきた。傍らにあった小さい東屋(あずま
や)で昼食をする。

 「切り石巻工法」と呼ぶ、石を積み上げて施工されたトンネルを抜けると河津町に入り、
下り道となる。こちら側では、寒天橋までの砂利道舗装工事が進んでいた。

 右に大きくカーブする寒天橋にはバス停があり、八丁池へ上がる道路のゲートが設けら
れている。

 近くに二階滝が落下していて、少し先の二階滝園地に下りると滝が見られる。



 旧下田街道となっている旧国道を少しずつ下る。途切れた樹間から西側の山並みが望ま
れ、道路際の湿った岩に、ユキノシタに似た花がたくさん咲いていた。

 葉と花の形から、どうやらダイモンジソウのようだ。

 河津七滝(かわづななだる)へ3.3㎞のところで国道を横断、平滑(ひらなめ)の滝
に向かって下り、鉄の橋を渡る。滝の上流のところにワサビ田があり、金網に「わさび検
定 序の口編」のクイズが掲げられ、畳石式わさび田の仕組み図もあった。


 さらに回り込んだ古い木のベンチのあるところが滝見台になっているが、木が伸びて平
滑の滝はほとんど見えない。


 流れは下になり、高みを進んで林道に入る。旧天城峠だった二本杉峠からの道と合し、
宗太郎園地へ。太いモミの木の下に、古い石仏が祭られていた。


 その先は、宗太郎林道と呼ぶかなりの年代を感じる杉並木となり、500mほど先には
新しい休憩舎とトイレが設けられていた。


 猿田渕入口のところから、河津川に向かって下ると、河津七滝の遊歩道になるのだが、
10月23日に落石があり、七滝上部の釜滝から蛇滝の間が通行禁止との標識があり、入
れない。


 日没まであと1時間ほどなので、河津七滝巡りは止めて、国道414号をループ橋のと
ころまで進むことにした。

 国道下をくぐり、水垂(みずたれ)バス停で国道に上がる。自動車に注意しながら狭い
側道を1.5㎞ほど進み、河津七滝ループ橋にかかった。



 橋の半径は40m、完全円形のループが2段、右回りで下る。外側の側道からは、回る
につれていま下ってきた河津川上流↑と、これから進む下流↓の谷間が見下ろせる。



 2周してループ橋の下まで下り、河津七滝ループ橋バス停で国道を離れ、河津川左岸沿
いの梨本集落沿いに下る旧道、下田街道に入る。

 納経供養塔、無量仏塔、大日如来などの石塔が並ぶ一角や、室町時代末期の宝篋印塔
(ほうきよういんとう)と伝えられる関戸芳信の墓↓を過ぎる。


 ある民家の道路際に、十二支の干支など、たくさんの瓦が並んでいた。


 やまさんが以前泊まったという民宿「てっぽう」の前を過ぎると、下田街道は右に大き
くカーブする。河津川にかかる吊り橋を渡り、支流の大鍋川と合流したところで再度橋を
渡った。


 左からの国道が近接したところで国道に上がり、そばの寺、慈眼院(じげんいん)経営
の天城温泉禅の湯YHに、16時35分に着いた。


 寺は、初代駐日総領事タウンゼント・ハリスが、修好通商条約締結のため下田から江戸
へ向かう初日に泊まったという。昨日に続き今日も温泉につかり、歩き旅の疲れをとる。

【コースタイム】木太刀荘8・14ー水恋鳥広場8・40ー伊豆の踊子碑9・08~10ー浄蓮の
 滝資料館9・20~35ー藤村文学碑9・51ー昭和の森会館10・30~45ー井上靖文学碑
 11・08ーゆうゆうの森11・35~50ー水生地下バス停12・18ー旧天城トンネル西側(昼食)
 12・47~13・05ー寒天橋13・38~40ー平滑の滝降り口14・03ー滝見台14・20~25ー宗太
 郎園地14・43ー休憩舎14・57~15・03ー猿田渕入口15・10~20ー河津七滝ループ橋バス
 停15・50ー天城禅の湯YH16・35

(天気 曇時々雨、距離 21㎞、地図(1/2.5万) 湯ヶ島、湯ヶ野、歩行地
 伊豆市、河津町、歩数 ?、累積標高差 約2,400m) 



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