あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道にある道しるべ⑧

2011-07-29 11:26:53 | 四国遍路あれこれ
 「四国遍路あれこれ」シリーズ、次は、歩き遍路にとって大変ありがたい道しるべです。

 遍路道への分岐や、遍路道の途中で道しるべを見つけると、この道で間違いないのだと
分かり、ホッとします。

======================================

 3度目の四国遍路後半は2月24日(木)、愛媛県大洲市のときわ旅館から、別格霊場7番
出石寺(しゅっせきじ)への往復から始めました。

 JR予讃線の伊予平野駅近くから入った沼田川沿いの車道から別れ、桑坂川沿いの遍路
道となったところに立つ 、出石寺へのへんろみち保存協力会の標識。


 幅広い林道から車道を少し進んで入った、シイタケ栽培をしている林の先にあった標識。


 標高560m点で車道に出るのですが、車道に上がる手前にあったのが、ときわ旅館の若
ご主人、藤江さんが自作して立てた独特の「へんろみち」と書かれた標識。


 いったん下った車道から稜線の遍路道に入り、標高490m点から稜線を進む出石寺への
最後の遍路道に入ります。車道に立つ「出石寺7㎞」は、車で上がる遍路さんのための標識。


 同じ場所の遍路道への入口には、この標識が。


 別格7番出石寺に参拝を済ませ、同じ道を2つめの標高560m点まで戻り、しばらくは
車道を下ります。上り道との分岐点付近に立つ、ときわ旅館の藤江さんの立てた標識。 


 車道をしばらく下って阿蔵集落に入り、標高120m点から林間のへんろ道に入ります。
林間に入って間もなく、ここにも藤江さんの「へんろみち」標識があります。


 2月25日(金)、前半の区切りであったJR予讃線内子駅をスタートして、44番大宝寺に向
かいました。

 小田川沿いの国道379号は、突合(つきあわせ)で左折して吉野川沿いを進みます。上田
渡(かみたど)には薬師堂があり、そばに休憩所も設けられています。近くの電柱に貼られた
「へんろみち」の標識。   


 その先、落合トンネルの入口付近にも同じ標識が。


 落合トンネルを抜けてすぐ右に、鴇田峠(ひわたとうげ)に向かう県道42号への分岐があり、
電柱に4つの標識が貼ってありました。ここには、翌日入ります。 


 2月26日(土)、落合トンネルをスタートして鴇田峠を経て44番大宝寺に向かいます。
県道42号を上畦々(かみうねうね)まで進み、県道に分かれてこの分岐を左に入って下坂
場峠(しもさかばとうげ)を目指しました。


 車道が終わり、下坂場峠に向かう林間の遍路道にかかるところ。鴇田峠は、下坂場峠から
さらに3㎞余り先になります。


 下坂場峠を越えて県道42号の通る宮成(みやなる)集落に下り、車道を森田集落から
由良野へ向かう道筋にあったもの。



 由良野集落を過ぎて鴇田峠への上りにかかる、車道から離れて高原状のところを抜ける
上り口にある「四国のみち」の標識。標高600mを越え、残雪が見られます。


 標高790mの鴇田峠にある、へんろみち保存協力会の「遍路道」標識。


 久万高原町の町並みに下り、44番大宝寺まで1㎞ほどの、久万川にかかる橋の手前に
立つ古い石標。


 大宝寺から45番岩屋寺に向かい、杉木立の中を標高715mの峠越えして行きます。
その杉木立の中にあった「ぎゃあてい会」の新しい標識。ほかにも何か所かにありました。


 河合集落に下って住吉神社そばの交差点を東へ、ふるさと村の南を通過して、いったん
県道12号に出て、すぐに八丁坂へ向かう遍路道に入ります。その入口付近の標識。この
付近にも、かなりの残雪がありました。


 標高670mにある45番岩屋寺への遍路道、古岩屋方面への道を分ける八丁坂下から
標高730mの八丁坂に向かいます。その途中にある、へんろみち保存協力会の標識。


 この日は、岩屋寺にお参りの後、直瀬川沿いに下り、国民宿舎古岩屋荘(ふるいわやそう)
に泊まりました。  (続く)


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真夏の彩り(埼玉・所沢)

2011-07-26 21:40:03 | 所沢だより
 関東は、梅雨明けして2週間余り経過しました。台風6号の接近で、一時暑さも緩んだ
のですが、また蒸し暑くなってきました。

 市内ウオーキングも、熱中症になりそうな時刻を避けて出かけていますが、路傍に咲く
夏の花が、暑さを和らげてくれます。

 ここ2,3日に巡ったところに咲いていていた、花の幾つかをごらんいただくこととします。
皆さんのお近くでも、見かけるものが多いことでしょう。

 まずは清楚なクルマユリ。


 中国原産の園芸種、オニユリ。




 カノコユリ、本来の分布地域は、四国や九州の海岸などの岩場とのこと。




 


 最近、庭先などでよく見る花ですが、何でしたか。


 桑の実を大きくしたような実が、あるお宅の垣根に実っていました。クロミキイチゴ(黒美
木イチゴ)というキイチゴの一種のよう。





 ゴマギ(胡麻木)でしょうか。


 秋の花コスモスも、種を早くまけば、もう咲き出すようですね。


 これもよく見る花、クサキョウチクトウのようです。





 夏の彩りの代表の一つ、サルスベリ。





 夏といえば、やはりヒマワリでしょうか。







 西武池袋線の小手指(こてさし)駅を出た上り電車が通過する、2つめの踏切付近に咲いて
いました。


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四国遍路道にある休憩所⑨

2011-07-24 22:26:15 | 四国遍路あれこれ
 3月8日(火)朝、思いがけず雪となった徳島県三好市の民宿岡田を出発して、四国霊場
中の最高所、標高910mにある66番雲辺寺(うんぺんじ)にお参りをして、県境の尾根から
香川県観音寺市に下りました。

 67番大興寺を経て、観音寺市街の近くにある68番神恵院(じんねいん)と69番観音寺
を目指します。高松自動車道の下を通過して、国道11号の交差点の手前にあった、簡素な
「お遍路さんの休憩所」。 


 3月9日(水)は、観音寺市街の若松屋別館をスタートして、財田川沿いを進んで71番
本山寺(もとやまじ)を経て、72番弥谷寺(いやだにじ)に向かいます。標高220mにある
弥谷寺のふもとに、遍路さんのための「いやだに温泉足湯」が設けられていました。

 この日は、まだ先が長いので足湯にはつからず、弥谷寺に上がりました。

 弥谷寺境内で昼食を済ませ、別格霊場18番の海岸寺や、番外霊場佛母院(ぶつぼいん)
に詣で、県道217号を南へ、72番曼荼羅寺(まんだらじ)方面に向かいます。JR予讃線と
県道205号を横断した南側に出来ていた、ヘンロ小屋29号多度津・おかのやま。

 ちょっとした高台にあるので、この後向かう73番出釈迦寺(しゅしゃかじ)の奥の院がある、
我拝師山などが望まれます。

 翌3月10日(木)、72番曼荼羅寺のそばの門先屋旅館を出発、75番善通寺、76番金倉
寺(こんぞうじ)、77番道隆寺(どうりゅうじ)を経て、丸亀市内に入ります。丸亀の中心街に
近い、JR丸亀駅の南側の交差点近くにある、ヘンロ小屋丸亀城乾18号。丸亀の特産である
うちわを形取って、近畿大の歌 一洋教授がデザインしたものです。


 3月11(金)は、午前中に高松市西郊の霊場を巡りました。最初に80番国分寺に参拝の
後、81番白峯寺(しろみねじ)を目指して国分寺の北側背後を走る稜線に向かって上ります。
標高380mで稜線を走る県道180号に出るのですが、そのすぐ下の斜面に設けられている
のがこの東屋(あずまや)です。


 ひとしきり上りが続いた後なので、いつもここでひと息を入れました。南側眼下に、いまは
高松市に合併した旧国分寺町の家並みや、ため池、山並みなどが一望です。


 山上の霊場である81番白峯寺と82番根香寺(ねごろじ)を経て、高松市街地の南方に
ある83番一宮寺(いちのみやじ)へ向かいました。JR予讃線の鬼無駅(きなし)近くを通過
し、本津川を渡った東側、飯田町の民家の一角が、飯田お遍路休憩所となっていました。


 「おもてなしステーション」の看板もある、河野さんのお宅でした。

 一宮寺の納経締め切り時刻に間に合うか心配だったので、外のベンチでちょっとだけ休ま
せていただきました。

 この日は、高松市内のビジネスホテルに入り、テレビで東日本大震災の発生を知り、大変
驚きました。

 3月12日(土)、屋島山上の84番屋島寺から85番八栗寺を経て、午後、さぬき市に入り
ます。86番志度寺(しどじ)のある志度の町並みの中ほど、さぬき市青少年交流プラザ前に、
新しい休憩所がありました。 

 この日も先を急ぎ、ここには寄らずに通過しました。

 86番志度寺にお参りを済ませ、87番長尾寺に向かいます。長尾島であと1.5㎞ほどの、
鴨部川堤防沿いにある風通しのよい休憩所。ここも今回は通過です。


 3月13日は結願(けちがん)の日、長尾寺そばの民宿ながお路(じ)をスタートして、88番
大窪寺を目指しました。県道3号から入った、平行する鴨部川沿いにある休憩所。


 再び県道に出て前山ダムに向かって上がり、ダムの南側にある前山お遍路交流サロンへ。
歩き遍路が、大窪寺への結願前の最後に立ち寄るところ。ここで申請すれば、「四国遍路
大使任命書」がもらえます。私も第1598号をいただきました。


 館内には、四国遍路に関する歴史的な資料や、写真、図表などが展示されています。


 ゆっくりと休んで館内を観覧したあと、標高740m女体山を越えて正午過ぎに、無事88番
大窪寺に結願することが出来ました。

 今回の3回目の遍路では、9回にわたって遍路道にある休憩所を紹介しましたが、前回ま
でに無かったところに、たくさん休憩所が設けられていました。歩き遍路にとっては大変あり
がたいことです。ご尽力いただいた皆さんに、心から感謝申し上げます。


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四国遍路道にある休憩所⑧

2011-07-22 22:27:35 | 四国遍路あれこれ
 3月1日(火)は、松山ユースホステルを出発してJR予讃線に乗り、光洋台駅からのス
タートでした。今は松山市内となった「花へんろの町」旧北条の市街地を抜けると間もなく、
番外霊場の鎌大師(かまだいし)です。境内にヘンロ小屋27号鎌大師が出来ていました。


 鎌大師というと、初回後半の遍路の際、奈良の山下さんが逆打ちをされているタイミング
に合い、ここでお会いしてご一緒に昼食をしたことを思い出します。

 その際も、2回目にもこのヘンロ小屋はありませんでした。


 小さい峠を越えて、浅海(あさなみ)の町並みを抜け、海岸沿いの国道を進むと、りっぱな
鬼瓦を造る製瓦工場の続く菊間の町並みに入ります。その一角にある製瓦工場の建物らし
いお接待処がありました。


 小さい建物の中に、地元の陶芸愛好会の方々が造った、陶器製の「ぶじカエル」や鬼瓦な
どが置いてあり、遍路の人へのお接待のようですので、ぶじカエルを一ついただきました。


 3月2日(水)は、JR予讃線大西駅前をスタートして、54番延命寺など今治市内の霊場を
巡りました。56番泰山寺(たいざんじ)を過ぎ、蒼社川沿いに出る手前、老人ホーム日高荘
のそばに、やはり新しいヘンロ小屋今治・日高41号がありました。


 次の3月3日(木)は、3度目の公共の宿・今治湯ノ浦ハイツが出発地。国道から旧道に回
り、JR予讃線を2回横断して、番外霊場の臼井御来迎に参拝しました。いつもきれいな湧水
が豊富に流れ出ていたのですが、今回はわずかな湧水しかありません。お堂のそばにある
休憩所です。


 雪の中の山上の霊場、60番横峰寺に前日参拝して、3月5日(土)は快晴となりました。JR
西条駅前をスタートして、国道11号から「旧街道」と呼ぶ国道の南を平行する旧道に入ります。
荻生(おぎゅう)の橋のすぐ手前、民家の一角が「荻生庵」と呼ぶお遍路接待所兼無料宿泊所。
この建物、高橋さんのお宅の右側1/3ほどのところがその場所です。


 初回と今回、寄って休ませてもらい、お茶をいただきトイレを借りました。


 3月6日(日)は、JR伊予三島駅が出発地。65番三角寺から別格霊場13番仙龍寺に回り、
雨の中参拝して別格霊場14番の椿堂(つばきどう)に向かいました。半田集落に以前からあ
った「ゆらぎ休憩所」。そばの脇建設のご厚意によるもの。ここでは、いつもここで休憩させ
てもらっています。


 その先、半田集落のガレージの片隅がお遍路さん休憩所になっていました。地元の川之
江ロータリークラブの方々にお世話いただいているようです。


 ゆらぎ休憩所で休んだ直後なので、寄らずに通過しました。


 別格14番椿堂の参拝を終え、愛媛・徳島県境の境目トンネルを目指して国道192号に出
ます。峠まではじりじりと上り道が続きますが、下川口バス停の先に、これも初めてお目見え
の、ヘンロ小屋37号しんきん庵・法皇が完成していました。


 降りしきる雨が止みそうにないので、ひと休みさせていただき、パンと水分補給をしました。


 境目トンネルを抜けて、この日の宿は、歩き遍路さんに人気の民宿岡田でした。(続く)


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四国遍路道にある休憩所⑦

2011-07-20 18:51:00 | 四国遍路あれこれ
 東日本大震災の発生直後の3月14日に、3度目の四国遍路後半を終えました。日々の
経過についてはすでにレポートをアップしましたが、初回や2回目、それに3回目の前半と
同様に、撮ってきた写真の中からいろいろな切り口で、四国遍路の様子を多角的に紹介
することにします。

 まずは、昨年8月下旬から9月23日までアップした、「四国遍路道にある休憩所」の後半
からはじめます。

 毎日長距離を歩く歩き遍路にとって、休憩したり昼食をする場所が設けられているのは、
本当にありがたいことです。

 初回に比べて、だんだんとそのような場所が増えており、設置に尽力されている多くの方
々に感謝し、使わせていただきました。

=====================================

 3度目の歩き遍路、後半は今年早春、2011年2月24日(木)、愛媛県大洲市と八幡浜
市との市境、標高812mにある、別格霊場7番出石寺(しゅっせきじ)への道のりから始め
ました。

 正午近く出石寺に参拝後、境内で昼食もして大洲市内の旅館に向かって帰路につきます。
帰路の下り道のほとんどは車道です。最初の集落、阿覧が近づいた標高300mくらいのカ
ーブ点に、シンプルな新しい休憩舎がありました。   


 出来て間もないと思われる、休憩舎の内部。


 翌2月25日(金)、前半のゴールであるJR予讃線内子駅をスタート、国道379号に入り、
44番大宝寺(だいほうじ)に向かいます。

 しばらくは小田川沿いですが、国道を走る内子町営バスの中土橋バス停は、小さい小屋
になっていて、歩き遍路にとってもよい休憩所になります。今回は、出発して間もないので、
寄らずに通過しました。


 国道の長岡山トンネルを抜けたところにある、お遍路無料宿。中には布団などが用意され
ています。この場所では、毎回休ませていただいています。


 作家・大江健三郎さんの出身地である、大瀬集落の橋際にある休憩舎。


 近くの内子町営バス河口橋バス停。この先にも、このようなログハウス調の町営バスの停
留所が何か所かありました。


 こちらは新しい梅津バス停。今回はここで昼食をさせてもらいました。食事中、乗客もバス
も来ませんでした。


 さらに5分ほどのところ、小田川と吉野川の合流点である突合(つきあわせ)の手前にあっ
た「お遍路さん休憩所」。近くの民家の方が造って下さったもののようです。


 2つの川の合流点である突合で左折して、鴇田峠(ひわたとうげ)越えの道筋へ。吉野川
沿いに国道379号を進むと間もなく、新しい「ヘンロ小屋内子38号」が出来ていました。


 「ヘンロ小屋」は、徳島県出身で近畿大の教授、歌 一洋先生が、地元の方々や企業など
の協力を得て進めている小屋。四国遍路道に全部で88の小屋を造るのが目標です。

 小屋に掲げられた標識。次の大宝寺までは、まだ20㎞近い距離です。 


 これもウッディな、内子町営バスの宮之谷口バス停。


 突合から5㎞ほどの上田渡(かみたど)には、近年改装なった薬師堂があり、そのそばに
ログハウス調の休憩舎(右)とトイレ(左)が並んでいます。


 3日目の2月26日(土)、落合トンネル東側から県道42号に入り、44番大宝寺に向かい
ました。標高570mの下坂場峠(しもさかばとうげ)を越えて、次の鴇田峠を目指します。最
後の集落由良野の外れに、集落の方が造った簡素な休憩所があり、その案内板です。


 こちらがその休憩所。標高500mを越えていて、まだ雪が残っています。


 標高790mの鴇田峠から、久万高原町(くまこうげんちょう)の中心部に向けて下る途中、
深い雪の残る休憩所とトイレ。


 久万高原町の中心部を抜けて昼前、44番大宝寺に参拝しました。杉木立の中の小さい
峠越えをして、東側の河合集落に下り、ここ河合休憩所で昼食をしました。左の白壁の建
物はトイレです。


 45番岩屋寺に向かい、最後の上り八丁坂にかかります。八丁坂下に以前からあったベ
ンチ。


 岩屋寺の参拝を終え、2月27日(日)は三坂峠を越えて松山市内を目指しました。久万高
原の町並みに戻り、国道33号をだらだらと三坂峠に向かって上がって行くと、標高615m
地点に、国道を走るドライバー向けながら、トイレもあり歩き遍路にもよい休憩ポイント、レス
トパーク明神があります。

 前回は、ここで昼食をしたのですが、風が冷たかったことを思い出しました。

 700m余り先、スキー場への入口のところに、皿ヶ嶺登山口休憩所というのが出来ていま
した。前回は無かったように思います。


 その先、1㎞余りで標高710mの三坂峠。ここで国道に分かれ、国道の出来る前の主要
道だった久万街道の遍路道を下って行くと、ほぼ下り終えたところに古い東屋が残っています。


 今回は、先着の方と一緒にここで昼食をしました。(続く) 


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カタツムリ歩行 西武池袋線 大泉学園駅(東京)

2011-07-18 14:58:44 | カタツムリ歩行
 2011年7月17日(日)


 梅雨明け以来1週間余り、首都圏は連日猛暑が続くが、今日は、カタツムリ歩行の第206回
例会に参加した。

 集合地は、西武池袋線の大泉学園駅、10時5分にスタートする。駅北口に立つ高層のビル。

 こちらは商業ビルのようだが、線路を挟んで南口にも同じ名の、マンションらしい高層ビルも
あった。

 線路の下を南北に抜ける道路の上を通過して、北西に延びる細い商店街を進み、北側にある
北野神社へ。


 境内左手に、「ねりまの名木」に選定されているムクロジの大木が立っていた。樹高14m、幹
の太さ1.6mとのこと。


 北野神社は、江戸時代は「土支田村(どしだむら)の番神様(ばんじんさま)」と呼ばれ、村人の
崇敬を集めていたとか。

 ちなみに番神様とは、法華宗(現在の日蓮宗)独特の三十番信仰のことで、神仏混交時代に
1か月30日を神々が毎日交代で守護するということのよう。

 明治政府は、神仏習合の思想を禁止し三十番神の名勝を廃止させ、以後、北野神社となった
という。

 三十番信仰については、先月のカタツムリ歩行で歩いた、隣の保谷駅近くの寺にもそのことが
記されていた。

 境内にはりっぱなケヤキが多く、大きなイチョウもあり、駅の近くながらよい緑陰が残されている。

 神社の西に出て、住宅地を北に進んで白子川の流れに出た。川は3面とも護岸されているが、
流れはきれいで、水草がいっぱい茂っている。


 流れに沿って付けられた道を下流の次の橋、中島橋のところまで進む。橋の南側に、古い豆腐
屋の看板が出ていたが、すでに閉店していた。

 看板の電話番号を見ると、東京の市内局番が3桁(現在は4桁)の時代のものだ。

 橋の北側を東西に走る「したみち通り」に入って右折すると、すぐに公園があり、「練馬区登録
史跡 旧大泉村役場跡」の標識が立っていた。


 さらに100mほどのところには小泉牧場があり、ホルスタイン牛がたくさん、暑さを避けて牛舎
に入っている。


 駅から直線なら500mほどのところ、周辺は住宅地に囲まれ、近くには大泉小のあるこのよう
な場所に牧場が残っているとは。


 道路際に、練馬区の保存樹木になっているイチョウが数本あり、その木陰に椅子が並んでいた
ので借用し、水分補給をした。

 さて次に向かおうかと立ち上がり、来たときに不在だった道路の北側にある小泉牧場の小屋を
のぞいたら、牧場主の小泉與七さんが居られた。4時に起きて牛の世話をした後、ひと眠りして
いたとのこと。

 牧場の牛乳で造ったアイスクリームを販売しているというので、椅子のところに戻り、小泉さん
のお話を伺いながらいただく。

 この地に牧場を開設されたのは、岩手県田老町出身のお父さんで、昭和10年(1935)との
こと。お父さんは東京の大学で学んだ後、郷里に戻る予定だったが、昭和8年3月の三陸大地震
で郷里が被災したのであきらめ、ここに牧場をつくられたという。

 それを小泉さんが引き継ぎ、現在は3代目のお子さんとともに経営を続けておられ、東京23区
に残る唯一の牧場とのこと。

 現在の敷地は約800坪あり、44~45頭の乳牛を飼育されているという。近年の都市化に伴
い、近隣からの苦情などでご苦労されたようだが、ご自身は、大学で学んだことなどを生かして、
区や学校など地元との強調を図られ、「苦労はなかった」と明るい表情で話された。

 後列、左から2人目が小泉さん。
 
 都市部での牧場経営者ということで、多方面から取材を受けておられ、朝日新聞の「日曜ナント
カ学」など、掲載された紙面を何点か見せていただく。

 NHKラジオの「ラジオ深夜便」の「心の時代」などにも出演されたとのこと。シンポジウムに参加
されたときの、堀田 力さんとの出会いが、忘れられないとも言われた。

 道路際には、地下20mから汲み上げているという自家用の水道があり、飲んでみたらまろやか
な味わいだった。この地は、東京23区でも最後、昭和50年代後半に水道が引かれたとのこと。  

 いろいろ話を伺っているうちに1時間も経過したので、この後は寄り道せずに、ゴールに直行する
ことにする。

 近くの民家の壁面に咲く花、ルリマツリという花のよう(コメント参照)。


 再び白子川沿いに出て北東に進む。浅い流れにはカモが泳いでいた。


 駅前から伸びる大泉学園通りと交差して、川を離れる。通りにあった真珠園を呼ぶ花屋の温室前
には、きれいな花が咲き競う。


 隣のJA東京あおばの、「こぐれ村」と呼ぶ建物前にも、草花の鉢が並んでいた。


 北園交差点の三差路を右折して、都道24号を東へ、交差点際の居酒屋の入口横には、鉢植えの
植物が涼しげに吊されている。


 すぐ先の三差路で左の細い通りに入ると、和菓子店があり、地元特産の練馬大根をあしらった、よ
うかんやまんじゅう、最中(もなか)などを販売していた。


 緑の多い住宅地の中には、珍しい棚からスイカの下がったお宅もある。


 今日のゴール、大泉氷川神社には12時5分に裏手から入る。社殿は鉄筋コンクリート造り。武藏
一の宮の氷川神社(さいたま市大宮区)を勧請したものだが、創立年月は定かではなく、明治7年
(1874)には当時の橋戸村の村社となったという。


 白子川を望む高台にあり、緑に包まれた境内、手水舎のそばで昼食をしたが、先着しているはず
の皆さんの姿が見えないのが不思議だ。

 食事を終える頃、Sさんが来られ、先着した何人かが食事をしていたところ、お宮参りの奉祀を終
えた神主さんから、ここで食事をするとは何事かと言われたとのこと。皆さんは、近くのびくに公園
に移って食事をされたとのことだった。

 私たち7人は裏手から入ったので、そのことを知らずに食事をしたのだった。南側の都道24号に
下り、びくに公園に向かう。


 東京外環自動車道と関越自動車道とが交差する大泉ICの南側に、びくに公園の森が広がっている。


 斜面林の下に小さい流れがあり、ホタルの生息地にもなっていた。斜面林の上に上がり、広場の木
陰で今日のミーティングをする。


 今日参加の山浦敬子さんは、7月20日に出発して、12月下旬までデンマークの全寮制の国民高等
学校に入られ、カルチャー教育を受講されるとのこと。帰国後の経験談を伺うのが楽しみ。

 木陰でも35度前後かと思われる猛暑はきつかったが、小泉牧場での小泉さんとの素晴らしい出会い
に恵まれ、歩いたのはわずかの距離ながら、充実したウオークだった。

 帰路は、白子川沿いを南西に進み、東映撮影所の東側を経て大泉通りへ。昭和30年代(1955~)
を思わせる、こんな店も残っていた。


 駅の近くの店に入って冷たい飲物で涼をとり、15時近く、大泉学園駅から帰路につく。

 (天気 快晴、 距離 4.5㎞(ゴールから駅までを含む)、地図(1/2.5万) 吉祥寺、志木、
  歩行地 練馬区、歩数 7800)

 小泉牧場を紹介したWeb page もご覧下さい。


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市内の霊園へ草取りに(埼玉・所沢)

2011-07-14 21:33:42 | 所沢だより
 7月9日(土)の梅雨明け以来、毎日猛暑が続き、日中は外出する気になれません。

 このところ夕方17時前後になってから、市内ウオーキングに出かけるのですが、今日
は午後連れ合いと、所沢航空記念公園の東方にある義父の眠るS霊園へ、草取りに出
かけました。


 この霊園は、市内でも最大規模の面積を誇り、あちこちに木立が残されていて、緑陰が
豊富です。




 霊園の中央には、大きな礼拝堂が設けられています。



 義父の墓の草取りを済ませ、霊園の管理事務所前に戻ると、小さいながらたくさん花の植
えられた花壇がありました。


 花には名札が付いています。これはアンゲロニア。


 こちらはトレニアという花のよう。


 白い花はジニア、いずれも初めて見聞する花の名でした。




 管理事務所の隣の、来園者の休憩所の前には、朝顔の日よけが。


 電力不足が伝えられる今年は、朝顔やゴーヤーなど、このような日よけのカーテンがあち
こちで見られますね。

 暑さはこれからが本格的になるものと思われます。くれぐれも熱中症にならないよう、お互
いに注意しましょう。


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所沢メンネルコール第25回定期演奏会に(埼玉)

2011-07-10 22:24:28 | 所沢だより
 2011年7月10日(日)

 首都圏は昨日、9日に梅雨明けとなり、さっそく猛暑の到来です。快晴となった今日、所沢
のアメダスの記録は34.1℃。日中の暑さは格別でした。

 その暑さの中、所沢市民文化センター MUSE(ミューズ)↓で開催された、所沢メンネルコー
ルの第25回定期演奏会に出かけました。


 所沢メンネルコールは、昭和62年(1987)に結成された男声合唱団で、毎年6月か7月に
定期演奏会をしており、今年は25回の記念演奏会です。


 この催しを知ったのは、退職間近のころ職場でお世話になった、市内在住の I さんが、この
メンバーになっていて、毎年案内をいただくようになってからです。

 ウオーキングの催しなどに出かけた年を除いて出かけており、もう何回か演奏会を観覧して
います。

 今年は、3月11日に東日本大震災が発生したことから、そのチャリティ演奏会となりました。


 演奏会は、13時間に開演して、途中20分の休憩を挟んで熱演が続き、終了したのは16時
でした。


 演奏中の場内は撮影禁止なので、演奏の様子は撮れませんでしたが、上は開演前の会場の
様子。下は今日のプログラムに掲載されていた写真です。


 今日のプログラムは、第1部 男声合唱組曲「父のいる庭」、第2部 日本の四季Ⅱ、休憩後
の第3部 黒人霊歌 第4部 男声合唱とピアノのためのディアローグ「流氷のうた」という構成
でした。


 第2部の「日本の四季Ⅱ」では、やはりメンバーで、わが家のすぐ南側にお住まいのWさんが、
2回独唱もされ、実力のほどを披露されました。

 最後に、東日本大震災の復興を願って、会場の参加者とメンバーとが一緒になって「ふるさと」
(高野辰之 作詞 岡野貞一 作曲)を大合唱して、閉会となりました。

 終演後の会場前は、メンバーと知人の方々の交歓が続きます。




 16時を過ぎても、快晴の外は会場の熱気も加わり、まだまだ暑い日差しが厳しく降り注いで
いました。


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所沢市役所の七夕飾り(埼玉)

2011-07-07 18:24:44 | 所沢だより
 きょう7月7日(木)は七夕ですが、あいにく首都圏は曇り空で、お星様は見えそうにあ
りません。

 昼ごろ、市内ウオーキングで所沢市役所に行ったら、玄関ホールに大きな七夕飾りが
できていました。




 今朝の朝日新聞埼玉西部版によれば、「夏の訪れを感じてもらおうと、市が2002年に
始めたもので、市庁舎敷地内に植栽された約5mと2.5mの竹4本を活用して、近くの市
立並木保育園の園児や市職員らが、願い事をしたためた短冊を取りつけた」とのことです。




 訪れた市民も短冊を書くことができるよう、机と筆記具や短冊が用意されています。


 書かれた短冊には、「東北の日人たちに幸あれ!」と震災の復興を記念したものもある
ようで、家族の願い事などもたくさん記されていました。




 これが市役所敷地内の竹林の一部、ここには10数種類の竹が植えられていて、当ブロ
グでも、開設間もない頃に紹介したことを思い出しました。




 このあと、今日のウオーキングルートに七夕飾りがないかと、気にしながら市内を回りま
した。

 市役所のすぐ南側、所沢航空記念公園内の市立図書館の、1階受付のところに、ささや
かな飾りつけがありました。


 市の中心部、プロペ通りを所沢駅まで行ったのですが、見あたりません。

 少し戻って、ひと昔前は繁華街だった通称銀座通りを日吉町から金山町方面に向かった
ところ、最近できた葬祭業者の前に、飾り付けが見つかりました。


 東日本大震災の復興を願って造ったもののようです。


 あとは西所沢駅周辺の商店街にも無く、周辺の民家にも飾り付けは見られず、七夕飾り
をする家庭や商店も、すっかり無くなってしまい、伝統の行事も忘れられつつあるようでした。


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国分寺・小金井・小平の緑陰を歩く(東京)

2011-07-06 21:12:11 | 江戸・東京を歩く
 2011年7月3日(日)

 梅雨の中休みで少し蒸し暑いこの日、カントリーウオークグループの第185回例会に参加した。
暑さを避けて、いつもより1時間早くJR中央線・武蔵野線の西国分寺駅に集合し、9時10分に駅
を出た。
 
 ==武藏国分寺からお鷹の道を経て殿ヶ谷戸庭園へ==


 武蔵野線に沿って線路西側を南下、新しいマンションに沿ってりっぱな街路樹が続く。縄文時代
の竪穴住居を復元した武蔵台遺跡公園を抜けて、西元町四丁目へ。


 豊富な緑陰が残る旧鎌倉街道の切り通しを下ると、武蔵国分尼寺跡。奈良時代中期、聖武天皇
の命により、国分寺とともに建立されたところ。

 金堂の石の基礎や復元された塀があり、一帯は国分寺市立歴史公園となっている。

 JR武蔵野線のガードを東に抜け、平行する府中街道を横断する。国分寺市立四中校舎の西隅
に、文化財資料展示室があったので、入館して発掘品などを観覧した。

 すぐ東が武蔵国分僧寺(こくぶんそうじ)跡。金堂や講堂、鐘楼跡などの草地が広がり、ところど
ころにケヤキなどの大木が大きく枝を広げている。


 北に回って楼門をくぐり、現存の国分寺境内に入った。

 正面に1733年に建立された本堂があり、その周囲は万葉植物園になっていて、万葉集に読まれた
草木がたくさん植え込まれ、各々に万葉集の歌が記されていた。


 本堂の西側斜面には、うっそうとした樹木に囲まれて仁王門と薬師堂が立っている。


 「お鷹の道」と呼ぶきれいなせせらぎに沿って東に少しで、武蔵国分寺資料館がある。そばの「史跡
の駅おたカフェ」でチケットを求め、長屋門から館内に入った。

 西側には「国分寺崖線(がいせん)」と呼ぶ武蔵野段丘の斜面下から流れ出す湧水源がある。竹や
ぶや古木の柿など豊富な樹木に囲まれた一角に立つ資料館には、この周辺の遺跡からの出土品や、
武蔵国分寺の模型などが展示されていた。


 その先、崖線下の弁天様を祭った湧水の池は「真姿の池(ますがたのいけ)」と呼ばれ、「全国名水
百選」と「東京の名湧水57選」に選定されている。



 そばの農家では、自作の農産物を直売していた。蒸し暑くなってきたので、涼を求めて湧水に入る幼
児やワンちゃんもいる。

 東元町三丁目の住宅地を進み、交通量の多い都道145号に出る。国分寺駅に向かって緩やかに上
がり、駅のそばにある国名勝の殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園に11時半に入る。

 緑の豊富な園内、東側にある紅葉亭と呼ぶ東屋に入り、昼食にした。

 殿ヶ谷戸庭園は、大正2年(1913)から4年にかけて造られた、後の満鉄副総裁江口定條氏の別邸。
その後三菱財閥の岩崎彦弥太氏に買い取られ、昭和49年(1974)に東京都が買収したとのこと。

 国分寺崖線の南の縁にあり、武蔵野台地と崖線の自然が良好な状態で保存されていて、四季それぞ
れに多くの花に彩られる。いまは、ナデシコやギボウシなどの花が見られ、あちこちにあるモミジの新緑
の彩りも気持ちよい。

 ==二つの大学を抜けて玉川上水緑道へ==

 昼食後、崖線からの湧水を集めた次郎弁天池に下り、竹林やハギのトンネル、大芝生地など園内を一
周し、記念撮影をして12時40分に出発した。


 かなり日差しが増え、午後の太陽が蒸し暑い。都道145号を南町二丁目まで進み、その先200mほど
で左折する。JR中央線の線路近くまで進んで、東京経済大の正門を入った。

 構内は、正門前の桜並木をはじめ樹木が豊富。校舎の間を東に下って行くと、崖線下の緑陰に新二郎
池があった。1957年から11年間在職の、北沢新二郎学長の時代に池として整備したという。

 ここも「東京の名湧水57選」に選定されているようだが、この時期の湧水は少ないようで、水はほとんど
無い。さらに続く緑陰の土道を南に進み、大学構内を抜けた。

 崖線下の道を東へ進むと朱塗りの橋があり、その奥に貫井神社の社殿が立っている。創立は天正18
年(1590)、境内にも湧水があり、当初は貫井弁財天と呼ばれていたという。


 弁天池の岩の上で、たくさんのカメが甲羅を干していた。東に隣接して、真明寺が並んでいる。

 さらに東へ、都道248号に出て、貫井トンネルの上を越える遊歩道に上がり、「はけうえ遺跡」の案内板
の立つ緑陰で小休止する。周辺からは、旧石器時代の異なる生活面や、縄文早期の縦穴住居跡などが
発見されたという。

 小金井警察署のある、都道134号との交差点に出て右折し、うっそうとした木々に覆われた南側の滄浪
(そうろう)泉園に入る。

 明治・大正期に三井銀行の役員や衆議院議員を歴任した、波多野承五郎の別荘跡。現在は約3分の1
になったというが、それでも約12,000㎡あり、武蔵野の面影をとどめる樹林に覆われている。

 ここも国分寺崖線に面し、崖下の池のほとりから湧水が出ている。

池のほとりを一周すると、「おだんご地蔵」と呼ぶ正徳3年(1713)の地蔵と、寛文6六年(1666)に祭ら
れた小金井市で最古という「鼻欠け地蔵」が立っていた。


 都道134号を西へ、高架となったJR中央線下を北に抜けた少し先に、色鮮やかなヤマモモがたくさん実
をつけている。


 桜並木の道を北に向かい、東京学藝大小金井キャンパスに入った。


 校門前にヤマユリが咲き、広い構内は松やケヤキなど、豊富な樹木が枝を伸び伸びと広げている。陸上
競技場と野球場の間から、北側の車道に抜けた。


 やはり校内にうっそうとした緑陰の残る東京サレジオ学園の横を進んで、上水南町三丁目の北側で玉川
上水緑道へ。

 ところどころにノカンゾウの咲く緑道は、広葉樹の緑陰が続き、午後の蒸し暑い日差しを和らげてくれる。
上水の流量はいまは少な目だが、流れにはコイの泳ぐのが見下ろせ、深い堀割りから往時の豊富な流れが
しのばれる。


 中ほどで西武多摩湖線を横断し、その先は歩きやすい土の道となる。一橋大や津田塾大の南側を通過し、
小平中央公園を抜けて、16時18分に西武国分寺線の鷹の台駅にゴールした。

(参加 16人、天気 曇一時晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 国分寺市、小金井市、
 小平市、歩数 22.5000)


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