あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

ポーランドとバルト3国の旅での食事(後半)

2015-08-27 16:24:03 | バルト3国とポーランド旅行
 「ポーランドとバルト3国の旅での食事」の後半は、7月15日(水)の朝食から。

 宿泊したラトビアの首都リガのベルビュー パーク ホテル リガ↑のレストランでした。


 やはりバイキング料理なので、お好みのものをいただきます。




 午前中は、リガ歴史地区観光と市内を流れるダウガヴァ川クルーズを終え、中心部にあ
る昼食会場のレストランへ。この門から入りました。


          こちらがレストラン「Alus arsenals」の入口。
         

    スープ
   

        メインディッシュはやわらかなポーク料理
       

           デザートはチョコレートケーキにクリームかけ
          

 レストラン内部


 午後は、バスで約52㎞東北のスィグルダにあるトゥライダ城を見た後、国境を越えて
バルト3国最北のエストニアに入り、約300㎞先の首都タリンまで行き、旧市街の南東
近くにあるラディソン ブル スカイホテルへ。
      



 夕食はホテルのレストランで21時15分からと遅くなり、私たちだけでした。
   

      前菜はサラダの大盛り
     

        メインディッシュ、鶏肉にインゲン添え
       

           デザートはアイス盛り合わせとコーヒー
          



 食事を終えたのは22時30分頃、当然ながら別のコーナーはもう明日の準備が。


 6日目の7月16日(木)の朝食も、ホテルのレストランでのバイキング料理。


      私の選んだメニュー
     



 午前中は世界遺産タリン歴史地区の観光をして、旧市街の中心部、旧市庁舎を中心に人
出で賑わうラエコヤ広場にあるレストランへ。この建物の左手1階から入ります。


               レストラン入口


   最初に、個々に注文したビール小(4.5€)が来ました。
    

        前菜、パテとサラダにバルサミコソース
       

          この日のメインディッシュは、肉料理か魚料理を事前に選んで頼んで
          あり、私は魚料理なのでサーモンでした。
          

        デザートのコーヒーとベリーケーキ
       

 レストラン内部


 午後は、7㎞ほど西にあるエストニア野外博物館を観光して宿に戻り、夕食会場はタリ
ン旧市街の北端近いスリー シスターズ ホテルのレストランへ。
     

 天皇・皇后両陛下が2007年5月に宿泊されたホテルで、夕食のメニューは両陛下が
召し上がられたのと同じものとのこと。 そのメニュー
          

 まずは、個々に注文した飲み物のビールが。


      パン
     

           サンダニエール産プロシュートの野菜包み、トマトのソルベ、ラズ
           ベリーソース添え        
          

        メインは、仔牛腰肉のグリル、ショロンフォームのせアスパラガス、
        トマトのコンカッセ、トリュフ入りマッシュポテト添え
       

     デザートは、温かいスポンジケーキ、バニラアイス、ピスタチオ添え
    

 静かな雰囲気の会場でした。


 食事を終えて会場を後にします。ちょうど食事中に雷雨があったようですが、ほぼ上が
っていました。


 帰国の日、7月17日(金)の朝食は、連泊したタリンのラディソン ブル スカイ ホテ
ルのレストランで、バイキング料理の中から選んで、いただきました。
    



 タリン空港発14時55分のフィンランド航空AY108便で、乗り継ぎのヘルシンキ
空港まで行き、遅い昼食は空港内のショップで、このサンドイッチ風の軽食を求めて。
        

 ヘルシンキ空港発17時15分のフィンランド航空AY073便成田空港行きに乗り、
最初の機内食は夕食にあたる18時50分頃でした。
    

           機内で仮眠して翌7月18日(土)になり、日本時間7時30分近
           くに朝食が。
          

 成田空港への到着は、この後1時間20分ほどの8時54分でした。




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ポーランドとバルト3国の旅での食事(前半)

2015-08-25 22:39:46 | バルト3国とポーランド旅行
 2015年8月25日(火)

 昨日から今日、沖縄や九州などでは台風15号の猛烈な風雨による多大な被害が各地に
出たようですが、首都圏はあの猛暑がウソのような涼しい1日になりました。

 台風被害にあわれた地域では、復興が1日も早いことをお祈り申し上げるとともに、ま
だ雨の強まっている地方もあるようですので、被害の出ないことをお祈りしております。

========================================

 7月11日(土)~18日(土)のポーランドとバルト3国の旅でのレポート、次は旅
行中の食事のメニューや会場の様子などをご覧いただくこととします。

 私は、料理のメニューや材料には疎いので、あまり詳細な紹介は出来ませんが、どこの
料理もみな、美味しくいただきました。

 最初は、7月11日(土)の往路、成田空港からの乗り継ぎ便フィンランドのヘルシン
キ空港行きAY074便の最初の機内食。12時30分過ぎの昼食です。
    

  2度目の機内食は、日本時間18時50分(ヘルシンキ時間12時50分)頃に。 
          

 ヘルシンキ空港で乗り換えてポーランドの首都・ワルシャワのショパン空港に着き、この
日の宿は、ワルシャワ中心部にある文化科学宮殿の斜向かい(南東側)のノボテル ワルシャ
ワ セントラム ホテルでした。
         

 2日目、7月12日(日)の朝食は、ホテルのレストランでのバイキング料理。


 私は、たくさんのメニューの中からこんなものを。




 昼食は、ワルシャワの西約56㎞、ジェラゾバボーラにあるショパンの生家と庭園を観
光する直前に、そばのレストラン「KOMPOT」で。


    

 まずは、ジュレック(Zurek)という発酵したライ麦のスープ、少し酸味があります。
      

         メインディッシュ、魚、野菜サラダとライス
        

          デザートは揚げリンゴのシュガーかけ
         

 明るい雰囲気のレストランでした。


 この日の夕食会場は、ワルシャワ市内に戻ってこの建物にあるレストランへ。


 前菜のサラダ


 メインディッシュは、ビゴスというキャベツとザウアークラウト(キャベツを乳酸発
酵した漬物)に、タマネギや肉などを加えて煮込んだ料理(下)とポテト、それにとん
かつ風のもの。
    

          デザートのマズルカケーキ
         

 レストランの様子。


 3日目の7月13日(月)の朝食は、連泊したホテルのレストランで6時30分からで
したが、7時15分には出発と時間が少なかったこともあり、撮りませんでした。

 朝食後あわただしくバスに乗り、ワルシャワから約430㎞先、リトアニアのトラカイ
に向かいました。昼食はポーランドの東北部、リトアニアやベラルーシ国境に近いアウグ
ストフ(Augustow)の町中にあるこのレストランで。




 まず、トマトロールスープが。


     メインディッシュは牛肉巻きロールキャベツにポテトもち
    

         デザートのポンチキ(Pqczek)、ポーランド伝統のジャム入りドー
         ナツとか。
        

 昼食を終えて


 さらにバスで国境を越えてバルト3国最初の国リトアニアに入り、トラカイ城を見た後、
首都ビリニュスに着き、夕食をするレストランへ。

     レストランの看板
    

 赤カブのスープ


 メインディッシュはツェッペリナイ(cepelinai)というジャガイモの団子、とてももち
もち感のある美味しいものでした。
    

        デザートのケーキ
        

 レストラン内部


 食事を終えてレストランを後にします。20時過ぎですが、まだ夜の気配はありません。


 3日目の宿は、ビリニュス旧市街の北を流れるネリス川の北側にある、ラディソン ブル
リエトゥーヴァ ホテルです。


 4日目、7月14日朝、ホテルのレストランでのバイキング朝食会場へ。


 私の選んだメニュー






 午前中、世界遺産ビリニュス歴史地区の観光をして、昼食は市内のレストランで。


 レストラン入口


 前菜、カボチャのスープ


     メインはコルドゥーナイというリトアニア風の水餃子(すいぎょうざ)
    

         デザートのアイスクリーム
        

 レストランは、たくさんのグループで賑わっていました。


 午後は、リトアニア第2の都市カウナスにある杉原記念館の観覧後、約260㎞のバス
旅でバルト3国2つ目の国ラトビアの首都リガに入りました。

 夕食は、リガ市内のレストランで。


 前菜のミネストローネ風スープ


     メインディッシュのロールキャベツ
    

         デザートはアイスクリームにベリージュース
        

 食事後の会場風景


 4日目の宿泊は、リガ旧市街の東を流れるダウガヴァ川の東側にある、ベルビュー 
パーク ホテル リガでした。 (続く)





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西武鉄道「南入曽車両基地 電車夏まつり2015」へ

2015-08-22 22:01:43 | 鉄道
 2015年8月22日(土)

 今日も32℃を超える残暑となりましたが、毎年この時期恒例の催しである、西武鉄道
の「第11回南入曽車両基地 電車夏まつり2015」に出かけました。

 昨年までは自宅から歩いて往復したのですが、今日は暑そうなので西武新宿線の新所沢
駅からひと駅電車に乗り、最寄りの入曽(いりそ)駅から歩くことにして、新所沢駅に行
きました。

 ところが運良く、11時発の南入曽車両基地行きの臨時電車が発車直前だったので乗り、
直接会場に入ることが出来ました。 臨時電車を降りたところ。


 会場入口周辺も、小さい子どもさんと一緒の家族連れなどで、かなりの人出でした。


 入口で配布していたうちわ兼用の会場案内。きょう10時~15時までの開催です。
    

 裏面が会場案内になっています。


 入口付近の露店は大賑わい。


 その先に、今年の目玉のひとつ「幸運の黄色いタクシー」が2台展示されていました。
    

 次は「お子様限定レールスター乗車体験」コーナー


 メイン会場の2棟の車両検修用の建物に入ります。はじめの建物では幾つかの展示や乗
車体験などができます。

 
 こちらは西武鉄道100周年記念の写真パネルで、古い写真が何枚か並んでいました。


     1927年(昭和2年)、現在の西武新宿線の電化当時の電車。
    

 東京都の水がめのひとつ、狭山湖の近くにあった、ユネスコ村へのおとぎ電車延長開通
時のおとぎ電車の写真。
        

 小さいこどもさんのための「ミニSLの運転」コーナー


    

 近くには、電車の屋根上にある冷房装置のカバーが取り外されて見えるようになってい
ました。この装置のお陰で暑い夏も寒い冬も快適な車内に。
    

 隣の建物に回ると、車両の床下の装置などが見られます。


 手前から奥へ、カムモーター、カム軸接触器、逆転器。


 界磁チョッパ装置、電気を入り切りしてモーターに流れる電圧を制御し、速度を調整す
る装置。
    

 外に出て見た2つの車両検修棟。


 「方向幕で抽選会」という催しに使われた車両。



 この妖怪ウオッチの描かれた電車は休憩車両になっていて、中で休んだり弁当を食べた
りすることが出来ます。




 車両基地の西側引っ込み線には、今回の目玉、黄色い6000系車両と普通の6000
系車両が並んでいました。


 この黄色い6000系車両は、池袋線から東京メトロ有楽町線や、東京メトロ副都心線
経由で東急東横線やみなとみらい線に乗り入れる車両中で、1編成だけの黄色塗装車です。




 その先に並ぶ車両群


 黄色い電車が4編成並びます。




 快速急行 西武遊園地行きで奥武蔵のヘッドマークを付けた、普段はあり得ない表示。




 その奥には、20000系車両が2編成。


 1番奥の2車線には「お子様制服撮影会」用の特急レッドアローの車体が並び、その前
で記念撮影をしていました。


 最後に、車両基地の西北の隅に展示されていた架線作業軌陸車。作業する線路際までの
道路はゴムタイヤで走行して行き、線路上は鉄輪で移動できるもので、架線の張り替えや
補修作業に使用されています。


 その説明図


 1時間ほど会場を回って観覧し、帰りは少し暑いけれど5㎞ほど歩いて帰宅しました。




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ポーランドとバルト3国首都の市内交通機関

2015-08-17 12:44:47 | バルト3国とポーランド旅行
 2015年8月17日(月)

 ポーランドとバルト3国の旅から帰り、今日でちょうど1か月なりました。昨夜から今
日は久しぶりにまとまった雨になりましたが、きのうまでずっと暑さが続き、外出する気
も鈍りがちになり、市内ウオーキングも距離を縮めてボツボツと歩いていますが、帰って
来ると大汗でシャワーが欠かせませんでした。

 外に出てもカメラを構える気にもならず、ただ決めたところを買い物を兼ねて歩いてく
るだけなので、デジカメのシャッターもご無沙汰状態です。

 そこで今日は、ポーランドとバルト3国で撮った写真の中から、各国の首都の市内交通
機関を紹介することにします。

 ただ、フリータイムが少なく、町中を歩いて撮る時間がわずかだったので、主に移動す
るバス車内から撮ったものが多く、見苦しいものも多少あるかもしれませんが、これらの
国では、どんな交通機関を市民が利用しているのか、少しでも理解いただければ幸いです。

 訪れた国の順に従い、ポーランドの首都ワルシャワ、リトアニアの首都ビリニュス、ラ
トビアの首都リガ、そして最後にエトアニアの首都タリンの順に紹介します。

[ポーランド・ワルシャワ]

 7月11日(土) ポーランドの首都ワルシャワのショパン空港に着き、ホテルに向か
う道路での後方からの市営バス。

 路線番号は141と読めますが、100~300番台が普通バスで、400,500番
台は急行バスのよう。

 ワルシャワ市内では、市バスとトラム(路面電車)、地下鉄、都市高速鉄道のきっぷは
共用で、時間内なら乗り換え可能な時間券もあるとのこと。

 7月12日(日)、ワルシャワを走るトラム(路面電車)を幾つか。最初の3枚は、
「PESA120N」と呼ぶ最新の車種で、5車体連接の低床車。

 市の中心街にあるホテルの前から。正面の建物は文化科学宮殿。





 
 ワルシャワ市内のトラムは29路線470㎞あり、中心部から郊外まで幅広い路線網に
なっているようです。

 最も車両数の多いという「コンスタル105Na」型の単行運転。


 こちらは2車体連接の部分低床車、「コンスタル112」型のよう。




 ちなみに、4国とも日本とは違い車両はすべて右側通行です。

 これは貸し自転車らしい。


 自転車の貸出機。借りる人はあらかじめ登録しておいて、借りるときには登録時の電話
番号と暗証番号を入力すると施錠が外れて使えるようになるよう。

 支払いはクレジットカードや銀行振り込みとのことです。

[ラトビア・ビリニュス]
 
 7月14日(火)朝、ラトビアの首都ビリニュスのホテル前に待っていたタクシー。
    

 ビリニュス市内の公共交通はトロリーバスとバス。トロリーバスは、1番~21番まで
の18路線が運行されているとのことで、トロリーバスのネットワークはヨーロッパでも
最大規模のよう。




 2本の長いポールで集電して走ります。


 ワルシャワ同様、ビリニュスにも貸し自転車が。


 自転車の貸出機。


 別の貸出場所。


 [ラトビア・カウナス]
 杉原記念館のあるラトビア第2の都市、カウナスにもトロリーバスが走っていました。


 [リトアニア・リガ]
 7月15日(水)朝、リトアニアの首都リガのホテル前で待つタクシー。


      

 リガ市内を走るトラムの連接車、いずれも後から撮ったもの。


 トラムは9路線あるよう。


 シングルポールで、後方車はポールを下げています。


 ダウガヴァ川のアクメンス橋を通過するトラム。


 トロリーバスは、トラムより多い19路線あるようです。


 トロリーバスの集電には、2本のポールを用いていました。 


 リガにもある貸し自転車


 自転車貸出機


[エストニア・タリン]
 7月16日(木)朝、エストニアの首都タリンのホテル前に駐車のタクシー。


      

 ホテル近くで待つタクシー


 旧市街ヴィル門付近に並ぶタクシー群。


 タリンのトロリーバスは7路線あるとか。あちこちで目にしました。














 窓の小さなこのトロリーバスは、特殊車両なんでしょうか…。


 タリンにはトラムも3路線あるようですが、7月は線路の補修などですべての路線が運
休ということで、走行しているのを見ることはできませんでした。

 バス路線は60以上運行されているよう。次々にやってきました。






 各都市とも道路が広いので、環境に優しいトラムやトロリーバスが多く走行しているの
が印象的でした。道路が狭くて自動車の多い日本では難しいのかもしれませんが、人口規
模が数10万の都市でこれだけ普及しているので、国内でも工夫して欲しいものです。




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ポーランドとバルト3国の旅⑦ タリン市内を再訪後 ヘルシンキ経由で帰国へ

2015-08-11 18:51:38 | バルト3国とポーランド旅行
 第7日 2015年7月17日(金)~18日(土)

 == タリン歴史地区を再訪後ヘルシンキ経由で帰国へ ==

 連泊したエストニアの首都タリンのラディソン ブル スカイ ホテルで、7時に起床して
7時25分頃から朝食をする。今日は帰国の日、空港に向かう12時までフリータイムで
ある。
      

 そこで、昨日もらった「シティマップTallinn」を頼りに、地図に記された「必見」と
いう所を中心に再度旧市街を巡ることにして、8時38分にホテルを出た。

 ホテルの前を走るラヴォラ(Ravala)大通りを南西へ、通りの西端でKentmanni通り
に入りエストニア大通りに合し、聖ヨハネ教会↓の西に回ると「自由の広場」(Vavaduse
Valjak)である。



 この広場は、「国民の象徴」と「市民の誇り」をアピールしているとのこと。広場の中
央に立つ十字のモニュメントは、1918年から1920年にかけて外国統治から脱する
ために起こった独立戦争の記念碑だという。
         

 北側の、旧市街南端のトームペアの丘に向かってハルユ(Harju)通りの坂を上がって
行くと、聖ニコライ教会が見えてきた。
      
 1230年頃、ドイツ商人の居住区の中心に建てられた教会とか。1944年のソ連の
空襲で破壊されたが1980年に再建され、現在は教会絵画などの博物館になっていて、
パイプオルガンのコンサートも行われているという。


 坂の途中の小さい緑地には、「友好の桜」と刻まれた日本・エストニア友好協会の記念
碑があり、1999年に日本からエストニアに送られたというエゾヤマザクラの若木が葉
を広げていた。


 トームペアの丘に上がり、ムーリヴァヘ(Muurivahe)通りを西に少しで、「キーク イ
ン デ クック」(Kiek in de kok)と呼ぶ大きな塔の下に行く。
      
 高さは49mあり、15世紀末に町の防衛のためにつくられたもの。「キーク イン デ
クック」とは「台所をのぞけ」という意味で、かつては塔の上から下町の台所が手にとる
ようにのぞき見えたとか。現在は博物館として使われ、塔の下には17世紀のスウェーデ
ン時代につくられた地下道があるようだ。


 城壁沿いに進み、昨日最初に訪ねたトームペア城と「のっぽのヘルマン」塔やバラの咲
く緑地などをもう一度見る。

 トームペア城↑ 「のっぽのヘルマン」↓
      

      
 トームペア城に相対する、ロシア正教のアレクスサンドル ネフスキー聖堂に入って拝観
したが、堂内は撮影禁止だった。
      

 聖堂の南側には、旧市街でもただ一つかと思われる、頑丈そうな有料公衆トイレがあっ
たので、20セントコインを入れて利用した。
         

 アレクサンドル ネフスキー聖堂とトームペア城の間を北に進み、聖母マリア聖堂にも入
って拝観したが、やはり堂内は撮影禁止だった。
      

 ひとつ東に平行するPiskopi通りをアレクサンドル ネフスキー聖堂のそばまで戻り、城
壁に沿ってピック ヤルク(Pikk Jalq)通りを北へ緩やかに下る。


 昨日午前中に行った2つ目のKohtuotsa展望台の下あたりにある、ゲートタワーをくぐ
って下町へ。
      

 北東に延びるライ(Lai)通りに入り、途中で左折して北西に向かい城壁の間を抜けて、
「塔の広場」と呼ぶ緑の豊富な公園に入る。


 折り返すように南東方向に進むと、高い城壁の途中から細い流れの滝が何段か落ちてい
る。


 近くの城壁の上には、近年の国際会議に集まった要人だろうか、10数人の写真を焼き
付けた壁画が見える、


 その先では、上の展望台で展望を楽しむ人の姿が見上げられる。



 さらに進むと幾つかの塔が現れ、下の公園の花壇では様々な花が咲き競っていた。


         

      





 でも、ここはどの辺りかと現在地が分からなくなった。少し周辺を回ったら、北側の広
い通りの向こうにタリン駅らしいのが見え、公園内に掲示されていた地図で現在地の確認
ができた。そろそろ帰路につかねばならない時刻である。


 公園の東を走るヌンネ(Nunne)通りを東南に進み、旧市庁舎のあるラエコヤ広場に出
る。
      

 近くの通りにあったベンチ。でも、ひと休みする時間はない。
   

      
 ヴィル通りを抜けてヴィル門を出て門をふり返る。


 生花店の前を通過してタムッサーレ公園へ。公園には、シャボン玉を操る人がいた。
    

 西の空が暗くなり、今日もひと雨ありそう。


 11時23分にホテルに戻った。ホテルの部屋から見る西方もすっかり暗く、間もなく
雨となる。

 12時にホテルロビーに集合した頃は、かなり激しい雨脚に。バスのドライバーさんも、
雨に濡れながら私たちのスーツケースを急ぎバスのトランクに運んでくれた。

    
 バスは、12時過ぎにラディソン ブル スカイ ホテルを後にした。↑途中の道路には水
が流れるほどだったが、20分足らずで空港に着いた頃には、幸いにして雨は上がった。

 2日目から今日まで6日間、ポーランドのワルシャワからバルト3国を南北に縦断して
北端のタリンまで、延べ1,300㎞以上も安全に運んでくれたバスのドライバー、アルト
ゥルさんに感謝する。アルトゥルさんは、途中1泊して2日がかりでワルシャワに戻ると
いう。

 出発までの待ち時間に、空港内の売店で軽食を求めて昼食をする。



 乗り継ぎで搭乗するタリン発ヘルシンキ行きフィンランド航空AY073便は、小さめ
のターボプロップ双発旅客機ATR72-500型で、座席は72シートである。

 雨の上がった14時40分頃に搭乗をはじめ、予定より15分近く遅れて15時09分
に離陸した。
    



 ヘルシンキまでの飛行距離は101㎞、所要時間は30分の予定。



 タリン市街を離れてフィンランド湾を北に向かう。





 間もなく島影が現れ、さらに8分もするとフィンランド側のたくさんの島影が見えてき
た。





 眼下に緑の森が増えてどんどん高度が下がり、15時32分にヘルシンキ空港に着陸し
た。

 乗り換え時間が少ないので空港構内を急ぎ、成田行きの34番ゲート付近に移動して1
時間余り待つ。

 ヘルシンキ空港発成田行きフィンランド航空AY073便は、予定より18分遅れの
17時33分に離陸した。成田までの所要時間は約9時間25分、飛行距離は7,825㎞
である。
    
 往路同様、モスクワ北方から広大なシベリア大陸の北部、バイカル湖の北方、新潟上空
などを通過して、タリンやヘルシンキ時刻より6時間早い、日本時間18日(土)8時
54分に成田空港に着き、第2ターミナルに入る。成田は晴天で気温は29℃とのこと。

 預けた荷物を受け取り宅配業者に依頼したりして、京成電車の空港第2ビル駅発9時
50分発上り電車に乗る。日暮里、池袋を経由して、12時半過ぎに帰宅した。
 
                     (歩数 成田空港途中まで 14,000)

----------------------------------------

 以上で8日間のポーランドとバルト3国の旅のレポートを終わりますが、撮った写真が
まだたくさんあるので、この後も行程とは別の切り口で何度かに分けて紹介する予定です。

 ご興味のある方は、これからもときどきのぞいてみてください。




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ポーランドとバルト3国の旅⑥ タリン市内とエストニア野外博物館へ(その2)

2015-08-09 13:08:58 | バルト3国とポーランド旅行
 2015年7月16日 午後

 == エストニアの世界遺産タリン歴史地区の観光とエストニア野外博物館へ(その2) ==

 タリン旧市街のラエコヤ広場にあるレストランでの昼食を終え、もう一度ヴィル通りを
進んでヴィル門を抜けて、そばの公園際からバスに乗る。


 13時12分に出発して午後の観光地、タリン市街の西方約8㎞の海辺近くにあるエス
トニア野外博物館に向かい、13時30分頃着いた。

 ロッカ アル マーレ(Rocca Al Mare)と呼ばれるところで、北側がフィンランド湾に面
した林の中にあり、1957年から工事を開始して1964年にオープンしたとのこと。

 面積は80haある広いエリアに、17世紀から20世紀初頭までに建築されたエストニ
ア各地の木造建築が当時のままの姿で保存されている。

 全部回る時間はないので、入口に近い東側のエリア(上図の右側1/3余り)を現地ガ
イドさんの説明を聞きながら回ることになった。一番東側の園路を北に向かう。


 最初の建物は、日本の古い農家を思わせるかやぶき平屋のかなり大きな家が3棟、芝生
広場を囲んでいる。

 いずれも奈良・正倉院の校倉(あぜくら)造りのような板積みの壁面で、奥の建物の前
には大きなつるべ井戸もあった。


    


 一番東側奥には、やや小さめのかやぶき屋根の建物が3,4棟、庭を囲むように並び、
板葺き屋根の小さい小屋もある。


    
 それらの建物には、農具や織機などが並んでいた。
    


 さらに進むと、校倉造りで屋根の低いかやぶき平屋の建物の前で民芸品をつくる女性が
いて、自作した靴を販売していた。
        

    

 近くの石積みの建物では、屋根下のすき間から煙が出ている。何をつくっているのだろ
うか…。





 比較的新しそうな切妻屋根の建物に入る。グランドピアノや蓄音機などもあり、近代の
比較的裕福な家庭のよう。南側の庭には、きれいな花が咲いていた。



 さらに2,3の建物の前を通過して、海岸に近い開けた所に出ると風車小屋がある。


      
 オランダの風車小屋の建物は固定されているようだが、この風車は風向に応じて建物の
向きが変えられるのだという。

 園路には観光馬車も走っていた。全部を回るには、これを利用するとよいかもしれない。



 風車から少し西に行くとかやぶき屋根の教会があった。17世紀のもののようで、現在
でも毎日礼拝が行われているという。
    

         


 シシウドが一面に咲く園路をさらに進み、木造の消防署のところに行く。小さい塔は、
日本の火の見やぐらのような役目をしたのだろうか。


 村の消防団の建物のようで、内部には手押しポンプの消防車などが展示されていた。



 入口の方に向かって南に進み、小学校の建物に入る。1878年に開校したもので、
1923年まで使われたという。


 内部の教室や校長室などを見る。


 庭先には真っ白なバイカウツギが満開だった。



 消防署のそばまで戻り、東にすぐ先には村のコンビニとも言うべき売店の建物があった。

    
     店内では、ワインや薬品、スウィーツなどを販売している。
        

 最初の園路を戻り、入口の建物にある土産物などの売店ものぞいてみる。


 15時14分に博物館前を出発してタリン市街に向かい、15時37分に連泊のラディ
ソン ブル スカイ ホテルに戻り、夕食に向かう18時45分までフリーとなった。

 3時間ほどの時間があるので、ホテルに近い旧市街下町周辺まで行ってみることにした。
少し西進してKaubamaja通りを北に抜けて、近くのタムッサーレ(Tammsaare)公園へ。


     公園の中央にある大きな座像に、若い二人が乗ってくつろぐ。
     

 北側のパルヌ(Parnu)街道の交差点周辺では、路面電車の線路の補修中。短い夏期の
今、市内の路面電車全線を運休して修理をしているという。


    
 午前中通った生花店の前からヴィル門を入ると、さらに人が増えている。


 城壁を背にしたムーリヴァ通りに回る。立ち並ぶ冬物の衣料品店の一つをのぞいたら、
名物の帽子とマフラーが一体になったのを着用して見せてくれた。
    

      
 細い通りの「カトリーヌの小道」を西に抜けて、太陽が回ってきた聖ニコライ正教会を
眺め、反対の南へ。
          

    
 色々な店をウィンドショッピングしながら、旧市庁舎休のあるラエコヤ広場の方に向か
う。通りの様々な飾り付けも興味深い。
        


 そろそろ戻る時間となったので、南東へのVaike-Karja通りを抜けて、国立エストニア
劇場の前のエストニア大通りに出た。背後に雲い黒が増え、ひと雨来そう。



 大通りに並ぶ建物を眺めながら18時8分にホテルに戻った。

 18時45分にホテル前からバスに乗り、夕食をする旧市街最北端に近いスリーシスタ
ーズホテルに向かう。

 最北端の「ふとっちょマルガリータ」と呼ぶエストニア海洋博物館の建物の下で下りた。

 この建物は、タリンの町を海からの攻撃から守るため、1511~1530年にかけて
造られた頑丈な大砲塔で、その後は倉庫や兵舎、監獄などに使われたという。

 その横の門を入って緩やかに上がり、スリーシスターズホテルのレストランに19時3
分に入り、20時40分頃まで夕食をする。
     
 こちらは15世紀建てられた商家の住宅。3つに別れた建物の正面が女性的雰囲気なの
でスリーシスターズ(三人姉妹)と呼ばれ、天皇皇后両陛下が2002年5月にご訪問の
際に宿泊され、英国のエリザベス女王もお泊りになったことがあるとのこと。

 夕食のメニューは、天皇・皇后両陛下が召し上がられたのと同じものだった。

 夕食をしている間にかなりの雷雨になったようで、帰りのバス乗り場までの道でも少し
雨が残っていた。21時近くにホテルに戻る。         (歩数 15,900)




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ポーランドとバルト3国の旅⑥ タリン市内とエストニア野外博物館へ(その1)

2015-08-07 15:33:45 | バルト3国とポーランド旅行
 第6日 2015年7月16日(木) 晴一時曇

 == エストニアの世界遺産タリン歴史地区の観光とエストニア野外博物館へ(その1) ==

 エストニアのの首都タリンの、ラディソン ブル スカイ ホテルで6時半に起床する。7
時30分から朝食をして9時にバスはホテルを出発した。

 今日は、世界遺産タリン歴史地区の観光後、タリン市街の西方郊外にあるエストニア野
外博物館を巡る予定である。
     
    
 今日午前中のタリン市内のガイドは、タリンに15年くらい在住という日本人女性のN
Aさん。 エストニアの人口は約140万人、日本の消費税相当の税率は20%、国内在
住の日本人は100人位、タリンの人口は約40万人、今朝の気温は18℃という。

 バスはホテルから西に向かい、10分余りの旧市街の南西部で下車する。

 緩やかな坂を北に上がり、最初にトームペア(Toompea)城に行く。すでにたくさん
の観光客で賑わっている。

 エストニア人の砦跡に13世紀前半に建てられた騎士団の城で、支配者が変わるたびに
補強改築され、現在の姿になったのは18世紀後半とか。当時の権力者は知事官邸とする
ために改築したので、城というより宮殿のよう。

 南西側には「のっぽのヘルマン」と呼ぶ高さ50.2mの塔がある。塔から北側にかけ
ての外壁とこの塔、そしてほかの2つの塔だけが15世紀の姿を残しているという。
      

 建物には政府の一部と国の議会が入っていて、内部の見学は出来ない。塔の近くの緑地
では、何色かのバラが見ごろだった。


 トームペア城の正面に相対するのが、アレクサンドル・ネフスキー(Aleksander Nevski)
聖堂。1901年に支配者の帝政ロシアにより建てられたロシア正教会で、エストニアが
最初に独立した時には移転する計画だったが実現しなかったとか。
      

    
 議会のすぐ前にロシア正教会があるのは、エストニア人としては気持ちのいいことでは
ないらしい。

 2つの建物の間を北へ延びる細い通り、Toom-Kooli通りを進んで、大聖堂の前に出る。
      
「聖母マリアの大聖堂」とも呼ばれ、1219年にデンマーク人がトームペアを占領後す
ぐに建設したもので、エストニアでは最古の教会とか。

 タリンで中心的な地位にあるルーテル教会で、タリンの貴族たちが崇拝していたという。
バロック建築の鐘楼の高さは69mあり、上がるとタリンの街並みが一望できるようだ。

 トームペア城からこの辺りにかけては「トームペアの丘」と呼ばれ、海抜約47mの高
台にある。大聖堂から北西に進んで、丘の北側にあるPatkuli展望台に行く。



 北から北東側の展望が開け、中世を思わせる旧市街の赤屋根や幾つもの教会の尖塔、港
に停泊する大形クルーズ船などが一望できる。




 もうひとつ、東側にも展望台があるという。トームペアの丘を右(南東)に回り込んで
次のKohtuotsa展望台へ。





 赤屋根の旧市街の右手、旧市庁舎の向こうには新市街の高層ビル群なども望まれた。


      
 南西に延びるコフトゥ(Kohtu)通りを大聖堂↑からアレクサンドル・ネフスキー聖堂の
そばまで戻る。途中の広場には、こんな木づくりの露店があった。
     

       

       
 折り返すように東北に進んで、階段のあるリュヒケ・ヤルク通りを抜けて、旧市街の下
町の中心にあるラエコヤ(Raekoja)広場に行く。

 15世紀建築という建物が並び、タリンの顔ともいえる場所のよう。

 広場の南側には旧市庁舎↓があり、広場はたくさんの人出で賑わっている。
      
 旧市庁舎は、北ヨーロッパにただ一つ残るゴシック様式の市庁舎とか。14世紀半ばに
最初の建物が建てられ、1404年の増改築後に現在の姿になったようで、塔の高さは
65mあるという。


 広場の北側にある、「旧市庁舎薬局」あるいは「市議会薬局」と呼ばれる古い薬局
「Raeapteek」に入る。

 1442年以前から営業していて、ヨーロッパで最も古い薬局とのこと。
    
 手前の店舗部分が現在も営業していて、中世の治療薬から21世紀の薬まで販売してい
る。

           
 その奥の幾つかの部屋には、古い調剤用器具や薬のコレクション、薬草類などが展示さ
れ、天井の梁には彩色された模様が施されていた。
         
    
           

 10時30分に薬局を出て、11時までフリータイムとなり、ラエコヤ広場周辺を回っ
てみる。




 広場の南側にある聖霊教会は、14世紀初めに記録が残る古い教会で、壁面の大時計は
1684年製で、タリンで最も古い公共の時計だという。
    


 11時に集合後はヴィル(Viru)通りを東へ進む。


    




 2つの城門の残るヴィル門を出た先には、生花を販売する店が続き、どの店にもきれい
な生花が所狭しと並んでいた。
    

        

 生花店街の背後の台地は緑地になっていて、上がると2つの城門や周辺の賑わいが一望
できる。


 ヴィル門に戻り、城壁に沿って北に延びるムーリヴァ(Muurivahe)通りへ。


    
 城壁の下には、マフラーやセーター、靴下、帽子など暖かそうな衣類を販売する露店が
並び、客引きの声には片言の日本語も混じる。
        

 その先、ヘレマン(Hellemann)タワーにつながる城壁の上には、200mにわたって続
くという歩道が見え、上がると旧市街の街並みの展望が楽しめるという。
      

 ヘレマンタワーの下から、西に延びる「カトリーヌ(Katariina)の小道」と呼ぶ城壁の
間の細い通りに入る。
        

 昔からの聖カトリーヌ商業組合があり、工芸品の工房が集まっている。
    
 左側の建物に入り、それらの店をのぞきながら通りの西端まで進み、南北に延びるVene通
りへ。
    

          

            
 北に見える聖ニコライ正教会↑は、1820年に建てられた新古典主義の教会とか。


 Vene通りを反対の南に向かい、旧市庁舎を中心に人出で賑わうラエコヤ広場に戻った。

 11時45分に広場の↑一角にあるレストランに入り、13時まで昼食をする。(続く)





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ポーランドとバルト3国の旅⑤ リガとトゥライダ城観光後タリンへ(その2)

2015-08-04 17:22:23 | バルト3国とポーランド旅行
 第5日 7月15日(水)午後

 == ラトビアのリガとトゥライダ城観光後 エストニアのタリンへ(その2) ==

 ラトビアの首都リガ歴史地区の観光とダウガヴァ川のクルーズ後、昼食を済ませて13
時19分にバスは出発した。



 ユーゲントシュティール装飾の施された建物などを車窓が眺めながら、リガの街並みを
後にした。国道A2号線に入り、東北東約52㎞のスィグルダ(Sigulda)に向かう。
    


 1時間余りでスィグルダの街並みに入り、駅前を通過して北側の谷間に下る。ガウヤ
(Gauja)川を渡ってさらに北側の台地に上がり、14時32分にトゥライダ(Turaidas)
城の駐車場に着いた。

 「トゥライダ」とはリーヴ語で「神の庭」のこと。13世紀初めに騎士団がリーヴ人の
王カウポの城を破壊し、その後リガのアルベルト僧正により同じ場所に城がつくられたと
いう。

 本丸が現在は博物館になっていて、スィグルダの歴史に関する資料が展示され、周辺を
含めた一帯「トゥライダ城博物館保護区」は、特別保護文化財に指定されているようだ。



 入口から城までは500mくらいある。中ほどまで進んで、まずは木造のトゥライダ教
会に入る。
     


 1750年1月から使われているようで、ほぼ当時のまま現在に至り、建築文化財に指
定されているという。



 その先には、19世紀中期に建設されたという「庭師の家」↑がある。

        
 ここも入館して、ラトビア人と共存したラトビアの先住民族、リーヴ人の豊富な文化遺
産を見る。
    

        

      
 庭師の家を出るとトゥライダ城が近づいてきた。1214年に建築が始まったリガ大司
教区の要塞で、主塔ベルクフードは高さ38mある。


 ほかに寄棟屋根の西棟や半円塔があり、それらの塔を結ぶ部屋に展示されていた多くの
歴史遺産などを、現地ガイドさんの説明を聞きながら観覧した。
     

            


 
 その後30分近いフリータイムとなり、15時45分に駐車場に集合することとなった。
多くの人は主塔に上がって展望を楽しんだようだが、私は省いて、芝生地にたくさん野外
彫刻の展示があるという民謡公園の方に回る。


     
 野外彫刻の石像には作品名などの表示はないが、彫刻家インドゥリス・ランカのユニー
クな作品が広々とした芝生の中に展示されている。
           


 奥まで行く時間は無さそうなので、中ほどまで進んでV字状に付けられた園路を入口の
方に向かって折り返す。


 折り返し点にあった人面のようなのが1番大きな彫刻らしい。
 


 この日はかなり気温が上がって暑くなったが、豊富な木々の緑陰が暑さを和らげてくれ
る。「新しい領主邸」↓と呼ぶ建物の前を通過して入口に戻る。



 入口際にある「古い領主邸」↑は、19世紀初めに建築されたトゥライダ荘園の古い領
主の邸宅らしい。入口際には、観光案内所↓になっているレンガ造りの建物もある。



 土産品店の並ぶ駐車場を15時45分に出発した。西進してリガ湾沿いに出て、北に延
びる国道A1号線を国境の町アイナジ(Ainazi)経由、次の国エストニアに向かう。
    

 今日の宿泊地、エストニアの首都タリン(Tallina)まではこの先約300㎞ある。

 沿道にはアカマツの林が続き、民家の見えないところにも屋根付きのバス停が次々に現
れる。



 片側1車線の国道だが交通量も少なく順調に進んだ。


 ところが国境近くになって道路工事か所が続き、交互通行で何度も止められる。



 7か所くらいあったろうか。最後の工事か所を抜けると、すぐにラトビアとエストニア
国境のゲートが見え、17時30分に到着した。

 ガソリンスタンドと売店のあるゲートは現在は使われておらず、通過車両はその左手か
ら国境をフリーに通行できる。

 ここで18時15分までトイレ休憩となり、暑いのでアイスクリームを求め、売店の椅
子で休憩した。


 エストニア側の駐車場に駐車していた車のナンバーを見ると、エストニアとフィンラン
ドの車で、国境であることを実感する。
    

         


 国境を過ぎる一層青空が増え、さらに北へとタリンに向かう国道4号線は西日が差し込
んできて暑いので、左手のカーテンを閉める。


 エストニアに入ってもアカマツなどの豊富な樹林や麦畑などが続く。



 こちらは道路工事もなく順調に進み、20時半近くにはタリン市街が近づく。国道の温
度表示は18℃を示す。


 今日の宿、タリン旧市街の南東側、ラヴァラ(Ravala)大通りにあるラディソン ブル
スカイ(Radisson Blu Sky)ホテルには20時46分に着いた。

 遅い夕食はホテルのレストランで我々だけで、21時15分から22時20分過ぎにか
けて済ませ、部屋に入る。
      
 今日も北上したのでさらに緯度が上がり、タリンはモスクワより北の北緯59度線を越
えていて、22時25分なのに外はまだ明るい。        (歩数 12,300)





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ポーランドとバルト3国の旅⑤ リガとトゥライダ城観光後 タリンへ(その1)

2015-08-02 21:59:27 | バルト3国とポーランド旅行
 第5日 7月15日(水) 晴一時曇

 == ラトビアのリガとトゥライダ城観光後エストニアのタリンへ(その1) ==

 リトアニアの首都リガのホテルで7時に起床、7時30分から朝食をして、バスでホテ
ルを9時10分に出発した。

 今日の行程は、午前中に世界遺産リガ歴史地区の観光後、東北東約52㎞のスィグルダ
(Sigulda)郊外にあるトゥライダ(Turaidas)城を見て、約300㎞走り、最後の国エス
トニアの北部にある首都タリン(Tallinn)に入る予定である。

      

 今日午前中のガイド、マドリーナさんの話などによると、ラトビアはチョウのような形
をしていて、リガ湾とバルト海に臨み、4つの地域で構成され、農耕馬など馬の飼育が盛
んとのこと。

 リガは、11世紀にドイツ、ブレーメンのアルベルトが来て要塞を築いたのが始まりと
か。13世紀末にはハンザ同盟に加盟して急速に発展し、旧市街の建物はこの頃に建てら
れたものが多く、現在の人口は約70万人という。

 バスはダウガヴァ川の斜張橋、ヴァンシュ橋を渡って旧市街の東側に回り、10分ほど
のところで下車した。


 ブリーヴィーバス(Brivibas )大通りに立つ自由記念碑は、1935年にラトビアの最
初の独立を記念して建てられた。ソ連時代にも独立への希望を支え続け、ラトビア人には
とても大切な記念碑で、高さは51mという。

 自由記念碑から旧市街を北西に進むと、ツタに覆われた火薬塔がある。

 14世紀に建てられ1650年に再建されたもので、塔の高さは25.5mあり、火薬
の保管に使われたとか。内部はラトビア戦争博物館として公開されているという。


 火薬塔から北西に延びるトゥルァクシュニ(Troksnu)通りを進む。通りには2階建て
の長い建物が続き、その先の城壁のそばに古い大砲が残されていた。




 さらに進むと「スウェーデン門」と呼ぶ門がある。リガに残るただひとつの城門で、
1698年に城壁を利用して住宅が作られたときに付加されたものとか。
      
 当時、向かい側の兵舎に住んでいたスウェーデン兵がよく利用したのでこの名がつき、
その頃禁じられていたリガの娘とスウェーデン兵との恋物語があるという。

 近くには倉庫として使われた建物も残り、倉庫に荷を引き上げるためのクレーンのよう
な仕掛けが残っていた。
      

      
 その先、細い通りの向こうに聖ヤコブ教会の尖塔が見えてきた。1225年の記録にあ
る古い教会で、現在の塔は15世紀に再建され、塔の高さは80mあるという。

      
 塔の中ほどに見える突起には鐘が吊されている。「哀れな罪人の鐘」と呼ばれ、市庁舎
広場で罪人の処刑時には、この鐘を鳴らして市民に知らせたという。      

 近くの通りの建物の壁面に、変わった彫刻があった。「ユーゲントシュティール
(Jugenda Stila)建築群」と呼ぶ建物のひとつ、ユーゲントシュティールとはドイツ語
で、フランス・ベルギーのアールヌーボーのこと。19世紀後半にヨーロッパ各地を席巻
した新芸術様式で、その特徴は過度に装飾的なデザインらしい。
         
 リガではちょうど大建築ブームだった頃で、10数年の間に市内中心部の建築の4割は、
この様式で建てられたという。


 さらに進んで、昨日夕食のレストランに行くとき通った「猫の家」のところに出た。か
つてこの建物には裕福なラトビア商人が住み、大ギルドに加わりたかったが、ドイツ人が
支配的だったギルドの加入を拒否された。

 怒った商人は大ギルド会館に尻を向けた猫を屋根に取り付けたのだとか。その後、大ギ
ルド会館はコンサートホールに変わり、猫は音楽に誘われて向きを変えたという。
      

 この建物の入口にも、ユーゲントシュティールの装飾が施されていた。
  

 猫の家から西進して、ドゥァマ(Doma)広場に出る。レンガ造りのリガ大聖堂は、現
存するバルト3国最古の建築のひとつで、1211年に建設を開始し、その後何度も増改
築されて18世紀後半に現在のような姿になったという。高さ90mの塔は修復中だった。


 若い女性ガイド、マドリーナさんの足取りが速くなり、大聖堂前を西進してダウガヴァ
川沿いに出た。10時発1時間のダウガヴァ川クルーズに間に合わせるためのようだ。
        


 近くの遊覧船乗り場に着きすぐに乗船した。2階のデッキは風を受けて涼しいので、多
くの人が備え付けのガウンを着用する。


 船はダウガヴァ川を上流に向かう。水量は豊富だが流れは静かで、どの方向に流れてい
るのか一見分からないくらい。対岸の変わった大きな建物は国立図書館だという。





 5連のアーチ橋になっている鉄道橋をくぐると市街地から次第に離れ、両岸には緑が増
える。




 昨日市街に入るときに渡った次の橋の先に、ラジオ テレビ塔が近づいてきた。
   
  ラジオ テレビ塔はダウガヴァ川の中州にあり、高さは368.5m、ソ連時代の
1985年に建設されたもの。ヨーロッパで3番目の高さで、EU加盟国中では最も高い
建築物とか。高さ97mの展望台からは、旧市街やバルト海などを一望できるという。


 右岸沿いに南下した船は30分経過して折り返し、帰路は左岸沿いに進む。再び市街地
が近づき、リガ駅裏にあるという科学アカデミーの建物が目に入る。
      
 いかにもソ連というスターリンクラシック様式は、最初に訪れたポーランドの首都ワル
シャワの文化科学宮殿に似た感じだ。


 旧市街の教会なども近づき、レンガ造りの倉庫群が続く。


 アクメンス橋を通過するトラム(路面電車)


 一番北側のヴァンシュ橋の少し先で折り返して船着場に向かう。すぐ先右岸のリガ港に
は、大型クルーズ船が停泊していた。

 ダウガヴァ川はこの先12㎞ほどでリガ湾に入るが、グーグルマップで確認したらこの
先は海まで橋はないので、このような大型船が入れるのだと分かる。

      
 11時ちょうどに船を下りて旧市街に向かい、聖ペテロ教会に入る。13世紀初めに最
初の教会が建てられ、現在の教会は18世紀に改築されたとか。

 塔の高さは132.25mあり、エレベータで72mの所まで上がると、リガの町が一
望できるという。
      


 私たちは堂内を一巡して、祭壇や壁面の装飾、堂内での絵画や写真の展示、ステンドグ
ラスなどを10分ほど観賞した。
   

      

         

   

 北側のスカールニュ(Skarnu)通りに入ると、路傍でラトビアの民俗楽器の演奏をして
いる。
    

 その先では、姉妹都市ドイツ・ブレーメンから贈られたというグリム童話「ブレーメン
の音楽隊」の彫刻が目に入る。
         
 下から上へ、ロバ、イヌ、ネコ、ニワトリが歌っているという。


 この近くで20分ほどのフリータイムとなり、周辺を回って店をのぞいたりする。



 「THE NATIONAL ARCHIVES OF LATVIA」のプレートのある建物のウィンドウには、
1873年から1960年代までの合唱祭らしい写真が年代順に掲示されていた。
               


 11時55分にチョコレート店の前に集合して、10分ほどの所にあるレストランに入
り、1時間ほどの昼食をした。  (続く)




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