今年もついに残りわずかとなりました。2月にブログを始めて
10か月余り、皆様にはご覧いただきありがとうございました
。
新年も、一層読みやすい、分かりやすい、興味あるブログとなり
ますよう努力するつもりですので、引き続きご覧下さるようお願い
申し上げます。皆様よい年をお迎え下さい。
今年の最後は、初めて歩いた四国遍路の最終章・高野山町石
道の締めくくりと致します。
===========================
2005年3月29日(火) 晴
=高野山奥の院に参拝し不動坂を下る=
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=34/13/4.918,135/36/2.076&scale=250000)
高野山の宿坊・恵光院で6時起床、ガスがかかっていたが次第
に消え、青空が広がる。隣の宿坊の屋根がうっすらと白い。昨夜
は一時、雪になったらしい。
7時前、呼びに来てくれた修行僧に従い、本堂へお勤めに行く。
参加者はほかに若い外人数人だった。四国霊場と違い、お坊さん
の読経を聞いているだけで、参加者への読経は勧められなかった。
終わって、門外にある護摩祈祷所の堂内に案内され、護摩焚き
の業にも参加する。細い薪が積み上げられ、祈りながら点火する。
ときどき油のようなものが掛けられ、さらに薪を投げ入れて補充し、
炎は1m以上も燃え上がった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/87/f4aa891233eee83905fd12f7f4e1f17c.jpg)
護摩を終えて部屋に戻ったら、朝食の箱膳が準備されていた。
朝食後、支度を整え、玄関近くの受付所で支払いを済ませ、8時
50分に恵光院を出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/b8/7994b0aea60c2ee7e9861d9c946b5d09.jpg)
好天になったので、もう一度大門に戻ってから壇上伽藍や金剛
峯寺、奥の院へ向かうことにした。今朝の大門は霧も晴れ、朱塗り
の重厚な門の全容を見せている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/c0/25c0a2c62bb9b464cdc2e8c3a5cc1380.jpg)
商店や宿坊などの並ぶ通りを800m足らずで、真言密教の根本
道場として創設され、高野山全体の中心をなす壇上伽藍に入る。
まず総本堂である金堂に参拝。お堂を写真に撮ろうと構えていた
ら、下から私の名を呼ぶ声がする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/77/0733b1eba242f7bb4d50f80189343c22.jpg)
15日から最後の区切り打ちを終え、無事結願されたカントリー
ウオークの仲間、さいたま市のNさん。同じころ高野山へ来られる
予定と聞いていたが、まさかお会いできるとは、嬉しい限り。これ
もお大師様のお引き合わせか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a2/8ed681d25ae5af6c4b1cbb0eb327e701.jpg)
一緒に、弘法大師が真言密教の根本道場として最初に着手され
たという、朱塗り鮮やかな根本大塔や、愛染堂、大会堂、東塔など
を回り、東側の金剛峯寺に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/39/b88edafc218868dfe54acc481cadd79b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/6a/0d215f111c3fdac2e9010f0770d9f71d.jpg)
金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山で、全国に約3600ヶ寺を
有するという。お参りをして納経所に上がり、納経印をいただく。
Nさんはすでに奥の院もお参りされたとのこと、すぐ先、観光協会
案内所の三差路で分かれた。
三差路付近は土産物店などの商店が多いが、その先は趣ある
檜皮葺の宿坊が軒を連ねている。
Nさんが、「自分のデジカメで私と2人の写真を撮っていなかった
ので、一の橋で撮りましょう」と追いかけてきた。ちょうど橋の近く
で、昨日Nさんと電車が一緒だったという同じ埼玉県内の女性が
来たので、シャッターを押してもらう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/2d/6cb07ce985e346a780fde829adca14cc.jpg)
一の橋から弘法大師御廟までの約2㎞が奥の院。参道の両側
は、特別母樹林と呼ばれる樹齢数百年の保存樹をはじめとする
老杉が並び、その下に数10万基といわれるりっぱな墓碑が続い
ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/3f/275711a078e81900a2acfb3ba6c2624d.jpg)
武田、上杉、伊達、島津、石田、前田、豊臣ほか、何々藩何々
家墓所などと記された諸大名の墓所は、石鳥居の奥に2mを超え
る大きな五輪塔が苔むして並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/bc/b62fc3b1dd42f9fe7a7d3a7db26853c7.jpg)
ほかに陸海軍の戦没者、近年の大企業の社主や一族、外国人
の墓地なども見られ、日本歴史の縮図を見ているようでもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/c6/13c2a33c26d9a33babc0b2975b52a032.jpg)
御廟橋の奥は聖域で、脱帽し写真撮影は禁止されている。たく
さんの灯籠が点るおごそかな灯籠堂に参拝し、四国八十八ヶ所
無事結願の御礼を申し上げる。左手から奥に回り、弘法大師御
廟にも参拝、お礼参りを終えた。
奥の院からもとの道を戻り、松栄堂という土産店で自宅への
土産に名物「槙の雫」を買い、観光案内所前の食堂で昼食をする。
帰路は、バスとケーブルで南海電鉄極楽橋駅へ下るのが早いが、
竜馬さんに勧められ、自分でも考えていた不動坂を下ることに
した。
観光案内所横の三差路を北に入り、高野町役場を正面に見る
三差路を左折する。本堂や多宝塔のある波切不動堂の先を入っ
て、徳川家霊台を拝観する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/39/041b7688b160c5af2a5a69e707da715d.jpg)
寛永20年(1643)、3代将軍家光が建立したもの。家康と秀忠
の2つの霊屋がそれぞれ屋根付きのすかし塀を巡らして並んで
いる。白木造りに金銀泊や精巧な飾金具を施し、色あせてはいる
が、日光東照宮を思わせる豪華な造り。江戸時代の代表的な霊
廟建築として、国の重文に指定されている。
その先は緩やかな上りとなり、上りきったところが女人堂。高野
山は、明治5年(1872)まで女人禁制。女性はこの女人堂までしか
入れず、このお堂で真言を唱えたという。昔は高野山7つの登山口
に女人堂が設けられていたが、現在はこのお堂だけが残っている。
女人堂のそばに、高野槙群落の保護林の表示がある。そういえ
ば、山上の商店街の中に、高野槙の苗木を売る店が2つあった。
女人堂から100mほどの三差路から先は、ケーブルの高野山駅
に向かうバス専用道路となる。歩いて下るには、三差路の右を下る
1車線がやっとの不動坂道に入る。
広葉樹の中に高野槙などの針葉樹の混じる林間、簡易舗装の道
を1㎞足らずで滝不動のお堂がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/43/08284ea2c09cde3888bcb5d86ffdecd7.jpg)
その先は、「高野山参詣道整備工事」の表示があり、歩行者も通
行禁止になっていた。
せっかく下って来たのだから、通してもらえるだろうと勝手に解釈
してそのまま進んだ。しばらく行ったら、両側に砂を、真ん中の2m
幅くらいに細かいチップを敷く工事中。チップに固形材を散布して、
その上を半円形にビニールシートで覆って温風を送り、乾燥して
いる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/50/5326e5b9346c5b523fea2f71549cfc17.jpg)
工事中の方に了解を取り、砂のところを通過させてもらったが、
かなりの距離を工事中だった。工期は4月末までのようで、終れば
歩きやすい参詣道になりそうだ。
女人堂から2㎞あまりでケーブルの軌道が見えて来た。軌道の
下をくぐり、不動谷川にかかる朱塗りの極楽橋を渡り、14時15分、
南海電鉄高野線の終点、極楽橋駅に着いた。ケーブルの極楽橋駅
とは屋根続きで連絡しているが、谷間にあり周囲に人家はない。
14時41分発難波行きに乗る。当初は、橋本でJR和歌山線に、
吉野口と橿原神宮前で近鉄線に乗り換え、大和郡山に向かう予定
だったが、車内放送で橋本にて40分待ちと聞き、気が変わり、
難波に向かうことにした。
ところが、極楽橋駅でもらってきたパンフレットを見ていたら、途中
の河内長野で近鉄線に乗り換え、古市、橿原神宮経由で行ける
ことが分かり、また経路変更する。大和郡山駅には17時半過ぎに
着く。
携帯電話で連絡してあった郡山市在住の山下さんと18時近く落ち
合う。山下さんは、昨年春、秋の四国遍路中お世話になった方。
近くにある食堂に入り、高野山詣での報告や、山下さんが進めて
おられる、朝日新聞大阪本社での四国遍路シンポジュームのこと
などを話し込んだ。20時近く失礼する。
今日の宿は、近鉄でひとつ南の、筒井駅近くに昨年オープンした
ビジネスホテル・サンホテル大和郡山。20時過ぎに着いた。
〈コースタイム〉恵光院8:50ー大門9:15~23ー金剛峯寺9:50~
10:03ー一の橋10:20ー奥の院・弘法大師御廟10:55~11:15ー一の
橋11:42ー観光教会前の食堂(昼食)12:40~13:02ー徳川家霊台
13:13~22ー女人堂13:28~33ー滝不動13:44ー極楽橋駅14:15
(距離 12㎞、地図(1/2.5万) 高野山、歩行地 和歌山県高野町)
〈後記〉宿泊したサンホテル大和郡山は、その後、姉歯元1級建築
士が設計した耐震偽装の建物と分かり営業停止したが、補強工事
が終わり、今年(2006年)10月1日から営業を再開した。
10か月余り、皆様にはご覧いただきありがとうございました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
新年も、一層読みやすい、分かりやすい、興味あるブログとなり
ますよう努力するつもりですので、引き続きご覧下さるようお願い
申し上げます。皆様よい年をお迎え下さい。
今年の最後は、初めて歩いた四国遍路の最終章・高野山町石
道の締めくくりと致します。
===========================
2005年3月29日(火) 晴
=高野山奥の院に参拝し不動坂を下る=
高野山の宿坊・恵光院で6時起床、ガスがかかっていたが次第
に消え、青空が広がる。隣の宿坊の屋根がうっすらと白い。昨夜
は一時、雪になったらしい。
7時前、呼びに来てくれた修行僧に従い、本堂へお勤めに行く。
参加者はほかに若い外人数人だった。四国霊場と違い、お坊さん
の読経を聞いているだけで、参加者への読経は勧められなかった。
終わって、門外にある護摩祈祷所の堂内に案内され、護摩焚き
の業にも参加する。細い薪が積み上げられ、祈りながら点火する。
ときどき油のようなものが掛けられ、さらに薪を投げ入れて補充し、
炎は1m以上も燃え上がった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/87/f4aa891233eee83905fd12f7f4e1f17c.jpg)
護摩を終えて部屋に戻ったら、朝食の箱膳が準備されていた。
朝食後、支度を整え、玄関近くの受付所で支払いを済ませ、8時
50分に恵光院を出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/b8/7994b0aea60c2ee7e9861d9c946b5d09.jpg)
好天になったので、もう一度大門に戻ってから壇上伽藍や金剛
峯寺、奥の院へ向かうことにした。今朝の大門は霧も晴れ、朱塗り
の重厚な門の全容を見せている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/c0/25c0a2c62bb9b464cdc2e8c3a5cc1380.jpg)
商店や宿坊などの並ぶ通りを800m足らずで、真言密教の根本
道場として創設され、高野山全体の中心をなす壇上伽藍に入る。
まず総本堂である金堂に参拝。お堂を写真に撮ろうと構えていた
ら、下から私の名を呼ぶ声がする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/77/0733b1eba242f7bb4d50f80189343c22.jpg)
15日から最後の区切り打ちを終え、無事結願されたカントリー
ウオークの仲間、さいたま市のNさん。同じころ高野山へ来られる
予定と聞いていたが、まさかお会いできるとは、嬉しい限り。これ
もお大師様のお引き合わせか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a2/8ed681d25ae5af6c4b1cbb0eb327e701.jpg)
一緒に、弘法大師が真言密教の根本道場として最初に着手され
たという、朱塗り鮮やかな根本大塔や、愛染堂、大会堂、東塔など
を回り、東側の金剛峯寺に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/39/b88edafc218868dfe54acc481cadd79b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/6a/0d215f111c3fdac2e9010f0770d9f71d.jpg)
金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山で、全国に約3600ヶ寺を
有するという。お参りをして納経所に上がり、納経印をいただく。
Nさんはすでに奥の院もお参りされたとのこと、すぐ先、観光協会
案内所の三差路で分かれた。
三差路付近は土産物店などの商店が多いが、その先は趣ある
檜皮葺の宿坊が軒を連ねている。
Nさんが、「自分のデジカメで私と2人の写真を撮っていなかった
ので、一の橋で撮りましょう」と追いかけてきた。ちょうど橋の近く
で、昨日Nさんと電車が一緒だったという同じ埼玉県内の女性が
来たので、シャッターを押してもらう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/2d/6cb07ce985e346a780fde829adca14cc.jpg)
一の橋から弘法大師御廟までの約2㎞が奥の院。参道の両側
は、特別母樹林と呼ばれる樹齢数百年の保存樹をはじめとする
老杉が並び、その下に数10万基といわれるりっぱな墓碑が続い
ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/3f/275711a078e81900a2acfb3ba6c2624d.jpg)
武田、上杉、伊達、島津、石田、前田、豊臣ほか、何々藩何々
家墓所などと記された諸大名の墓所は、石鳥居の奥に2mを超え
る大きな五輪塔が苔むして並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/bc/b62fc3b1dd42f9fe7a7d3a7db26853c7.jpg)
ほかに陸海軍の戦没者、近年の大企業の社主や一族、外国人
の墓地なども見られ、日本歴史の縮図を見ているようでもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/c6/13c2a33c26d9a33babc0b2975b52a032.jpg)
御廟橋の奥は聖域で、脱帽し写真撮影は禁止されている。たく
さんの灯籠が点るおごそかな灯籠堂に参拝し、四国八十八ヶ所
無事結願の御礼を申し上げる。左手から奥に回り、弘法大師御
廟にも参拝、お礼参りを終えた。
奥の院からもとの道を戻り、松栄堂という土産店で自宅への
土産に名物「槙の雫」を買い、観光案内所前の食堂で昼食をする。
帰路は、バスとケーブルで南海電鉄極楽橋駅へ下るのが早いが、
竜馬さんに勧められ、自分でも考えていた不動坂を下ることに
した。
観光案内所横の三差路を北に入り、高野町役場を正面に見る
三差路を左折する。本堂や多宝塔のある波切不動堂の先を入っ
て、徳川家霊台を拝観する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/39/041b7688b160c5af2a5a69e707da715d.jpg)
寛永20年(1643)、3代将軍家光が建立したもの。家康と秀忠
の2つの霊屋がそれぞれ屋根付きのすかし塀を巡らして並んで
いる。白木造りに金銀泊や精巧な飾金具を施し、色あせてはいる
が、日光東照宮を思わせる豪華な造り。江戸時代の代表的な霊
廟建築として、国の重文に指定されている。
その先は緩やかな上りとなり、上りきったところが女人堂。高野
山は、明治5年(1872)まで女人禁制。女性はこの女人堂までしか
入れず、このお堂で真言を唱えたという。昔は高野山7つの登山口
に女人堂が設けられていたが、現在はこのお堂だけが残っている。
女人堂のそばに、高野槙群落の保護林の表示がある。そういえ
ば、山上の商店街の中に、高野槙の苗木を売る店が2つあった。
女人堂から100mほどの三差路から先は、ケーブルの高野山駅
に向かうバス専用道路となる。歩いて下るには、三差路の右を下る
1車線がやっとの不動坂道に入る。
広葉樹の中に高野槙などの針葉樹の混じる林間、簡易舗装の道
を1㎞足らずで滝不動のお堂がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/43/08284ea2c09cde3888bcb5d86ffdecd7.jpg)
その先は、「高野山参詣道整備工事」の表示があり、歩行者も通
行禁止になっていた。
せっかく下って来たのだから、通してもらえるだろうと勝手に解釈
してそのまま進んだ。しばらく行ったら、両側に砂を、真ん中の2m
幅くらいに細かいチップを敷く工事中。チップに固形材を散布して、
その上を半円形にビニールシートで覆って温風を送り、乾燥して
いる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/50/5326e5b9346c5b523fea2f71549cfc17.jpg)
工事中の方に了解を取り、砂のところを通過させてもらったが、
かなりの距離を工事中だった。工期は4月末までのようで、終れば
歩きやすい参詣道になりそうだ。
女人堂から2㎞あまりでケーブルの軌道が見えて来た。軌道の
下をくぐり、不動谷川にかかる朱塗りの極楽橋を渡り、14時15分、
南海電鉄高野線の終点、極楽橋駅に着いた。ケーブルの極楽橋駅
とは屋根続きで連絡しているが、谷間にあり周囲に人家はない。
14時41分発難波行きに乗る。当初は、橋本でJR和歌山線に、
吉野口と橿原神宮前で近鉄線に乗り換え、大和郡山に向かう予定
だったが、車内放送で橋本にて40分待ちと聞き、気が変わり、
難波に向かうことにした。
ところが、極楽橋駅でもらってきたパンフレットを見ていたら、途中
の河内長野で近鉄線に乗り換え、古市、橿原神宮経由で行ける
ことが分かり、また経路変更する。大和郡山駅には17時半過ぎに
着く。
携帯電話で連絡してあった郡山市在住の山下さんと18時近く落ち
合う。山下さんは、昨年春、秋の四国遍路中お世話になった方。
近くにある食堂に入り、高野山詣での報告や、山下さんが進めて
おられる、朝日新聞大阪本社での四国遍路シンポジュームのこと
などを話し込んだ。20時近く失礼する。
今日の宿は、近鉄でひとつ南の、筒井駅近くに昨年オープンした
ビジネスホテル・サンホテル大和郡山。20時過ぎに着いた。
〈コースタイム〉恵光院8:50ー大門9:15~23ー金剛峯寺9:50~
10:03ー一の橋10:20ー奥の院・弘法大師御廟10:55~11:15ー一の
橋11:42ー観光教会前の食堂(昼食)12:40~13:02ー徳川家霊台
13:13~22ー女人堂13:28~33ー滝不動13:44ー極楽橋駅14:15
(距離 12㎞、地図(1/2.5万) 高野山、歩行地 和歌山県高野町)
〈後記〉宿泊したサンホテル大和郡山は、その後、姉歯元1級建築
士が設計した耐震偽装の建物と分かり営業停止したが、補強工事
が終わり、今年(2006年)10月1日から営業を再開した。