あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(続)・高野山町石道その3

2006-12-31 20:51:15 | 初めての四国遍路
 今年もついに残りわずかとなりました。2月にブログを始めて
10か月余り、皆様にはご覧いただきありがとうございました

 新年も、一層読みやすい、分かりやすい、興味あるブログとなり
ますよう努力するつもりですので、引き続きご覧下さるようお願い
申し上げます。皆様よい年をお迎え下さい。

 今年の最後は、初めて歩いた四国遍路の最終章・高野山町石
道の締めくくりと致します。

===========================

 2005年3月29日(火) 晴
 =高野山奥の院に参拝し不動坂を下る=


 
 高野山の宿坊・恵光院で6時起床、ガスがかかっていたが次第
に消え、青空が広がる。隣の宿坊の屋根がうっすらと白い。昨夜
は一時、雪になったらしい。

 7時前、呼びに来てくれた修行僧に従い、本堂へお勤めに行く。
参加者はほかに若い外人数人だった。四国霊場と違い、お坊さん
の読経を聞いているだけで、参加者への読経は勧められなかった。

 終わって、門外にある護摩祈祷所の堂内に案内され、護摩焚き
の業にも参加する。細い薪が積み上げられ、祈りながら点火する。
ときどき油のようなものが掛けられ、さらに薪を投げ入れて補充し、
炎は1m以上も燃え上がった。


 護摩を終えて部屋に戻ったら、朝食の箱膳が準備されていた。
朝食後、支度を整え、玄関近くの受付所で支払いを済ませ、8時
50分に恵光院を出る。


 好天になったので、もう一度大門に戻ってから壇上伽藍や金剛
峯寺、奥の院へ向かうことにした。今朝の大門は霧も晴れ、朱塗り
の重厚な門の全容を見せている。


 商店や宿坊などの並ぶ通りを800m足らずで、真言密教の根本
道場として創設され、高野山全体の中心をなす壇上伽藍に入る。

 まず総本堂である金堂に参拝。お堂を写真に撮ろうと構えていた
ら、下から私の名を呼ぶ声がする。

 15日から最後の区切り打ちを終え、無事結願されたカントリー
ウオークの仲間、さいたま市のNさん。同じころ高野山へ来られる
予定と聞いていたが、まさかお会いできるとは、嬉しい限り。これ
もお大師様のお引き合わせか。


 一緒に、弘法大師が真言密教の根本道場として最初に着手され
たという、朱塗り鮮やかな根本大塔や、愛染堂、大会堂、東塔など
を回り、東側の金剛峯寺に行く。 



 金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山で、全国に約3600ヶ寺を
有するという。お参りをして納経所に上がり、納経印をいただく。
Nさんはすでに奥の院もお参りされたとのこと、すぐ先、観光協会
案内所の三差路で分かれた。

 三差路付近は土産物店などの商店が多いが、その先は趣ある
檜皮葺の宿坊が軒を連ねている。

 Nさんが、「自分のデジカメで私と2人の写真を撮っていなかった
ので、一の橋で撮りましょう」と追いかけてきた。ちょうど橋の近く
で、昨日Nさんと電車が一緒だったという同じ埼玉県内の女性が
来たので、シャッターを押してもらう。


 一の橋から弘法大師御廟までの約2㎞が奥の院。参道の両側
は、特別母樹林と呼ばれる樹齢数百年の保存樹をはじめとする
老杉が並び、その下に数10万基といわれるりっぱな墓碑が続い
ている。

 武田、上杉、伊達、島津、石田、前田、豊臣ほか、何々藩何々
家墓所などと記された諸大名の墓所は、石鳥居の奥に2mを超え
る大きな五輪塔が苔むして並んでいる。


 ほかに陸海軍の戦没者、近年の大企業の社主や一族、外国人
の墓地なども見られ、日本歴史の縮図を見ているようでもある。


 御廟橋の奥は聖域で、脱帽し写真撮影は禁止されている。たく
さんの灯籠が点るおごそかな灯籠堂に参拝し、四国八十八ヶ所
無事結願の御礼を申し上げる。左手から奥に回り、弘法大師御
廟にも参拝、お礼参りを終えた。

 奥の院からもとの道を戻り、松栄堂という土産店で自宅への
土産に名物「槙の雫」を買い、観光案内所前の食堂で昼食をする。

 帰路は、バスとケーブルで南海電鉄極楽橋駅へ下るのが早いが、
竜馬さんに勧められ、自分でも考えていた不動坂を下ることに
した。

 観光案内所横の三差路を北に入り、高野町役場を正面に見る
三差路を左折する。本堂や多宝塔のある波切不動堂の先を入っ
て、徳川家霊台を拝観する。

 寛永20年(1643)、3代将軍家光が建立したもの。家康と秀忠
の2つの霊屋がそれぞれ屋根付きのすかし塀を巡らして並んで
いる。白木造りに金銀泊や精巧な飾金具を施し、色あせてはいる
が、日光東照宮を思わせる豪華な造り。江戸時代の代表的な霊
廟建築として、国の重文に指定されている。

 その先は緩やかな上りとなり、上りきったところが女人堂。高野
山は、明治5年(1872)まで女人禁制。女性はこの女人堂までしか
入れず、このお堂で真言を唱えたという。昔は高野山7つの登山口
に女人堂が設けられていたが、現在はこのお堂だけが残っている。

 女人堂のそばに、高野槙群落の保護林の表示がある。そういえ
ば、山上の商店街の中に、高野槙の苗木を売る店が2つあった。

 女人堂から100mほどの三差路から先は、ケーブルの高野山駅
に向かうバス専用道路となる。歩いて下るには、三差路の右を下る
1車線がやっとの不動坂道に入る。

 広葉樹の中に高野槙などの針葉樹の混じる林間、簡易舗装の道
を1㎞足らずで滝不動のお堂がある。

 
 その先は、「高野山参詣道整備工事」の表示があり、歩行者も通
行禁止になっていた。

 せっかく下って来たのだから、通してもらえるだろうと勝手に解釈
してそのまま進んだ。しばらく行ったら、両側に砂を、真ん中の2m
幅くらいに細かいチップを敷く工事中。チップに固形材を散布して、
その上を半円形にビニールシートで覆って温風を送り、乾燥して
いる。

 工事中の方に了解を取り、砂のところを通過させてもらったが、
かなりの距離を工事中だった。工期は4月末までのようで、終れば
歩きやすい参詣道になりそうだ。

 女人堂から2㎞あまりでケーブルの軌道が見えて来た。軌道の
下をくぐり、不動谷川にかかる朱塗りの極楽橋を渡り、14時15分、
南海電鉄高野線の終点、極楽橋駅に着いた。ケーブルの極楽橋駅
とは屋根続きで連絡しているが、谷間にあり周囲に人家はない。

 14時41分発難波行きに乗る。当初は、橋本でJR和歌山線に、
吉野口と橿原神宮前で近鉄線に乗り換え、大和郡山に向かう予定
だったが、車内放送で橋本にて40分待ちと聞き、気が変わり、
難波に向かうことにした。

 ところが、極楽橋駅でもらってきたパンフレットを見ていたら、途中
の河内長野で近鉄線に乗り換え、古市、橿原神宮経由で行ける
ことが分かり、また経路変更する。大和郡山駅には17時半過ぎに
着く。

 携帯電話で連絡してあった郡山市在住の山下さんと18時近く落ち
合う。山下さんは、昨年春、秋の四国遍路中お世話になった方。

 近くにある食堂に入り、高野山詣での報告や、山下さんが進めて
おられる、朝日新聞大阪本社での四国遍路シンポジュームのこと
などを話し込んだ。20時近く失礼する。

 今日の宿は、近鉄でひとつ南の、筒井駅近くに昨年オープンした
ビジネスホテル・サンホテル大和郡山。20時過ぎに着いた。

〈コースタイム〉恵光院8:50ー大門9:15~23ー金剛峯寺9:50~
10:03ー一の橋10:20ー奥の院・弘法大師御廟10:55~11:15ー一の
橋11:42ー観光教会前の食堂(昼食)12:40~13:02ー徳川家霊台
13:13~22ー女人堂13:28~33ー滝不動13:44ー極楽橋駅14:15

(距離 12㎞、地図(1/2.5万) 高野山、歩行地 和歌山県高野町)

〈後記〉宿泊したサンホテル大和郡山は、その後、姉歯元1級建築
士が設計した耐震偽装の建物と分かり営業停止したが、補強工事
が終わり、今年(2006年)10月1日から営業を再開した。
コメント (8)

四国遍路道ある記(続)・高野山町石道その2

2006-12-30 21:30:06 | 初めての四国遍路
 今日は、毎年中山道を歩いている皆さんが、東京の山手線一周
ウオークの日。今年は3回目で、昨年、一昨年は参加したのだが、
今年は四国遍路から戻って間もなく、年末で用事が重なっているの
で参加は見合わせた。

 ちょうど、以前からボランティアで続けている、会社のOB会の会報
などの配布の用事も入った。所沢市内のOBのうち24名分が私の
担当。午前、午後に分けて11名分を配布したが、配布エリアが結構
広く、歩行距離は20kmになった。残りは明日配布の予定。

 以下の本題は、高野山町石道のレポートを続けます。

============================

 2005年3月28日 (月)〈続き〉



 二つ鳥居の先は下り道。やがて木の間越しに、まだ芝の黄色い
ゴルフ場が右側に現れ、その縁を回るように進む。

 110町石付近、林が途切れて田んぼが見下ろせるところに小さ
なお堂の神田地蔵堂があった。「横笛が出家後、滝口入道にひと
目会いたい女心から、時々このお堂へ歩を運び、入道を待った」
と伝えられているところだという。

 近くにあるはずの2里石は気づかずに通過、再び杉やヒノキ林に
入り、右が谷側の斜面をトラバースしながらの気持ちよい落ち葉道。
96町石付近から90度近く左にカーブし、再びゴルフ場沿いに進む。
この辺り、道の左手にイノシシ除けの電線が張ってあった。

 86町石の笠木峠付近では、間近にウグイスが2、3羽さえずる。
峠の先からは谷を左に、トラバースして下って行く。

 3里石も気づかずに進む。71町石から65町石辺りまでは、松や
広葉樹の落ち葉がたっぷりな道である。

 少しずつ下って国道480号を横断する60町石のある矢立へ下っ
た。国道に面した矢立茶屋で休憩、抹茶と歯ごたえのある焼き餅
二つの抹茶セットを、竜馬さんからごちそうになる。


 休憩して疲れをとったつもりだったが、直後の上り道は、段の
あることもあり、歩き始めはちょっとへばり気味になり、ペースを
落とす。59町石の横に、古い6地蔵が並んでいた。

 54町石近くの袈裟掛石は、くぐると長生きすると竜馬さんが教
えてくれたが、岩のすき間が狭くて、くぐれそうにない。


 その先には、お大師様が母堂の危機を救ったという押上石があり、
その上に大きな木がのしかかっていた。


 町石も40番台に入り、傾斜がきつくなりペースが上がらない。
汗だけがやたらに出る。右から近づいた国道480号を横断した先、
38町石付近にも展望台の東屋があったので休憩し、ひと息入れる。

 その先は、稜線上を走る国道を見上げながら右手谷側のトラバ
ース道。太い杉が何本か現れた。26町石付近から16町石付近
まで、新しい木橋を幾つか渡る。道沿いの木に、四国でおなじみの
遍路札がところどころに下がっていた。

 右手に見える山からガスが下りてきて、やがて一面ガスの中に
入った。10町石から8町石へと国道に向かってさらに傾斜が強ま
る。太ももの内側が少し突っ張ってきたが、ペースを落とし少し休ん
だら回復した。


 最後はジグザクに上がって国道に出ると、目の前に高野山の総
門、大門が立っていた。高さ28.8m、朱塗りの大きな門だが、ガス
が濃くたちこめ、はっきり見えない。両側の金剛力士像も大きい。
標高848mの山上は冷たい。




 土産店や檜皮葺の宿坊が並ぶ山上の町並みを進み、堂塔の集
まる壇上伽藍は明日参拝として通過する。大師教会で、竜馬さん
は毎年使っているという岡倉俊彦画のカレンダーを2つ求め、記念
にとひとついただいた。

 教会を出たら雨となり、傘を差す。それにしても降られずにここ
までこられたことに感謝する。

 四国では納経受付は17時までだったが、高野山は16時までと
のこと。すでに過ぎていたので金剛峯寺と奥の院のお参りは明日
とする。苅萱堂の先にある宿坊・恵光院に16時35分に着いた。

 前2日間の山行に続き、今日1日ご案内していただいた竜馬さん
にお礼申し上げ、宿坊に入る。竜馬さんはバスで帰途につかれた。

 広い宿坊だが、今日の宿泊客は数人のようで静か。20代だろう
か、若い修行僧に案内され、2階の部屋に入る。外の気温は10度
以下か、冷えているので早速石油ストーブとこたつを入れてくれた。

 まず入浴し、汗を流してさっぱりする。夕食は17時半過ぎ、部屋
に修行僧が運んでくれた。2つの箱膳いっぱいの精進料理をゆっ
くりとおいしくいただく。布団も2人の修行僧が敷きに来てくれた。

 夕食後、竜馬さんにお礼のメールをしようと思ったが、携帯にアド
レスを入れ忘れ、できなかった。

〈コースタイム〉九度山駅9:04ー真田庵9:15~20ー慈尊院9:35~
50ー展望台10:26~35ー雨引山分岐10:56ー一里石11:13ー六本杉
11:27ー古峠11:50ー二つ鳥居(昼食)11:55~12:30ー笠木峠13:20
ー70町石13:45ー矢立13:58~14:15ー押上石14:27ー展望台14:52
~15:00ー大門15:53ー恵光院16:35

(距離 22㎞、地図 橋本、高野山、歩行地 和歌山県九度山町、
 高野町)
コメント

四国遍路道ある記(続)・高野山町石道その1

2006-12-29 19:07:24 | 初めての四国遍路
 一昨日とはうって変わり、真冬並みの寒さとなり、首都圏も1日
冷たい風が吹き荒れました。

 今年もあと2日余り、気温の変化が激しいので、お互い、風邪
などに注意しましょう。

==========================

 ==高野山へ四国遍路のお礼参り==

 2004年11月29日、四国遍路を88番大窪寺に結願、12月
1日、1番霊山寺に戻り、四国一周の輪を結んだのだが、高野
山へのお礼参りはせずに帰宅した。

 そこで、「四国遍路道ある記(後編)」もまとまった2005年3月
末、あらためて高野山詣でをすることにした。

 この時期にしたのは、JRの「青春18きっぷ」が利用できるか
ら。新幹線ひかりで行くと東京~大阪間17,500円(ジパング
でも9,610)になるが、青春18きっぷなら2,300円で済む。

 2005年3月27日(日) 晴
 =青春18きっぷで大阪へ=
 
 6時40分に自宅を出る。連絡も良く、予定より早いJR東京駅
8時3分発熱海行きに乗れた。

 小田原駅近くで、箱根連山の上に真っ白な富士山の頭だけが
見えた。富士駅~富士川駅付近からは富士山の展望がよいはず
だが、うつらうつらしてしまい見逃した。

 静岡、大垣と普通電車を乗り継ぐ。沿線のナノハナや桃、梅など
が春の色を見せている。

 米原からは新快速電車。柏原駅付近から伊吹山が見えてきた
が、近くの山を含めまだかなりの雪が残っていた。17時14分、
大阪駅に着く。

 今日の宿は難波駅の近く。市営地下鉄で行けば早いのだが、
JRでも行けると分かったので、大阪環状線で今宮まで行き、大和
路線に乗り換えJR難波下車、18時ころ東横イン大阪なんばに
入った。

 明朝、まごつかないようにと思い、何十年ぶりかの南海難波駅
を確認に行き、ホテル近くの大衆食堂で夕食をして戻る。

 2005年3月28日(月) 曇後雨
 =町石道を上がって高野山上へ=


 
 6時起床、外を見ると雨。6時55分、サービスのおにぎりとみそ
汁の朝食を済ませ、7時35分ころ傘を差して宿を出る。

 天気予報では、降雨確率午前90%、午後40%くらいなので、
少なくとも午前中は雨を覚悟する。

 南海難波駅で、今日案内して下さる大和郡山市の、竜馬16さん
と落ち合う。竜馬さんには後半の遍路で、私の携帯メールでの報告
を、ご自分のHPの一隅に「□□さんの四国八十八か所 巡拝メー
ルDe日記」としてアップしていただいた。

 お会いするのは初めて。前々日、前日には和歌山県の果無山脈
への山行もされており、お疲れのところお出でいただき恐縮する。

 難波駅7時51分発橋本行きにて終点で乗換、9時1分に九度山
(くどやま)駅下車。車中から雲が明るくなっていたが、下りたら
幸運にも雨は止んでいた。


 駅を出て、丹生川の真田橋(標高82m)と永代橋を渡り九度山
集落へ。右手に「九和楽 柿の葉すし」の看板が出ていた。
竜馬さんは階段を上がって上の店でその柿の葉すしを求める。
ここの名物のようだ。

 すぐ先にあった真田庵にお参りする。正しくは善名称院といい、
戦国時代最後の武将、真田昌幸・幸村父子隠棲の屋敷跡だと
いう。山門には六文銭の紋が記され、境内には本堂や開山堂、
宝物資料館、天保8年(1837)銘の千度石などがあった。


 次の丹生橋からは、川向こうの高野口町の家並みの背後に広
がる山すそから、雲が上がるのが見える。


 橋を渡ると、りっぱな瓦屋根の家並みが続く入郷の里。梅、スイ
セン、レンギョウ、アセビなどが咲く道を進むと慈尊院がある。

 弘仁7年(816)、弘法大師が高野山開創に際し、表玄関として
開創、承和元年(834)大師の御母が我が子を訪ね来て翌年没し、
母公廟が造られて以来、女人結縁の寺として「女人高野」と称され
ているとのこと。

 最初の建物、弥勒堂には、安産や子授け、育児を祈願した布製
の乳型がいくつも奉納されている。

 境内の新しい弘法大師像の横には、本にもなっている高野山の
案内犬「ゴンの碑」がある。

 多宝塔横の紅梅が鮮やかな花を見せていた。


 多宝塔横の石段を上がって、丹生官省符神社にもお参りする。
弘法大師が慈尊院を開くとき、その鎮守として建立したところと
いう。


 石段の横に180町の町石(ちょういし)が立ち、ここから大門に
向かう約20㎞の高野山町石道が始まる。

 町石道は、高野山を開山のおり弘法大師空海が、木製の卒塔
婆を建てて道しるべとした道。鎌倉時代に、朽ちた木製の代わり
に20年の歳月をかけ、石造五輪塔形の町石が1町(109m)ごと
に建てられ、それが今も残っている。

 土の上り道が続き、西側の斜面は低く枝を広げた柿畑が、見上
げる山上まで広がっている。

 九度山は柿の町で、明治43年(1910)に始まった1本が大正
初期から増え続け、いまや九度山の柿は京阪神を中心に関東に
も出荷されているという。ため池のそばに、「柿の町 九度山町」
の大きな表示があった。

 179町石の先で県道を横切る。ナノハナやヒメオドリコソウが
雨上がりにしっとりとした色合い。向こうの斜面でキジが鳴いた。
高圧線下を過ぎ、170町石付近まで上がると、紀ノ川や高野口、
北方の山々などの展望がよい。


 さらに柿畑の間を166町石の先まで上がると展望台の東屋が
あり、北方の展望が広がる。周辺の柿の木には、関東ではあま
り見ない赤肌の木もある。161町石辺りで簡易歩道が終わった。

 158町石付近でいったん杉林に入り、抜けた先からは、紀ノ川
沿いの南方の展望が開けてきた。

 さらにひとしきり上って、154町石先で雨引山分岐を過ぎる。
稜線上となり、杉落ち葉がたっぷりの道は歩きやすい。


 気持ちよい尾根道はやがて平坦になり、144町石と並ぶ一里
石を通過し、さらに杉林を上がって136町石のある六本杉の
三差路へ。右に、天野の丹生都比売神社への道を分け、左手の
林に入る。真っ直ぐに伸びた杉木立の間を上がると古峠である。

 左手に、急な下り道という上古沢駅への道を分け、すぐ近くの
120町石のある2つ鳥居に着いた。石の鳥居が2つ並んでいる。

 弘法大師が建立した木製の鳥居を、慶安2年(1649)に今の
鳥居に変えたと記され、高さ約5.6m、広さ約4.7mの花崗岩
製。丹生大神を祭る丹生都比売神社の鳥居とか。国の史跡で
ある。

 そばにある展望台の東屋で昼食とする。竜馬さんから、おいし
い柿の葉すしのおすそわけをごちそうになる。午前は雨を覚悟
したのに降られず、これもお大師様のご加護かと感謝する。


 展望台からは眼下に、周囲を低い山に囲まれた天野の里が
見下ろせる。静かなたたずまいで、いつかは歩いてみたい。〈続く〉
コメント

はやばやとロウバイ咲く

2006-12-28 22:19:12 | Weblog
 一昨日、東京では12月として記録的な雨となり、昨日は
19年ぶりに最高気温が20度を越えました。

 地球全体が異常気象になっているのでしょうか、今年の冬
は暖かそうだとの予報が出ているようです。


 この暖かさに「ろうばい」したのか、家の近くの民家にある
ロウバイが葉を付けたまま咲き始めました。

 この家のロウバイが咲き出すのはは、いつもは新年が明け、
1月中旬だったように思いますが、異常気象で年内に咲いて
しまったのです。

 花が早く咲くだけならよいですが、氷河が溶け出したり、
あちこちで記録的な大雨に見舞われたりしています。

 個人を含め、世界規模で温暖化要素を抑える施策を考え
ないと、21世紀の終わりにはどうなるのか心配です。

 今日は、四国遍路結願の後に行った、高野山参りのレポ
ートを投稿する予定でしたが、年末の雑用に追われ、間に
合いませんので、明日以降とします。


コメント

まちがいファックス

2006-12-28 10:45:33 | Weblog
 昨日午後、わが家のファックスに1通の着信がありました。
ところが、受信した紙は真っ白でした。欄外の電話番号も発信者
名も入っていないので、一体どこから来たか分かりません。
電話番号も「非通知」なので調べようがありません。

 たぶん、原稿の表と裏を逆にして送ったのかと思われます。
このブログをご覧になり、心当たりの方は、もう1度原稿の裏表を
確認後、送っていただけませんか。
コメント

四国遍路道ある記(後編)・香川その9/徳島

2006-12-27 19:32:48 | 初めての四国遍路
 2004年2月20日に歩き始めた私の初めての四国遍路も、
この日で後半の最終日を迎えました。前半27日、後半19日、
のべ46日ですが、半日の日が前後半の初日、最終日とある
ので、実日数は44日ほどでした。

==========================

 第19日 2004年12月1日(水)  晴
 <3番金泉寺、1番霊山寺>
 =四国遍路の輪を結ぶ=


 
 5時50分起床、昨夜近くのコンビニで買ってきた弁当で朝食。
キイは部屋に置いてよいというので置き、7時7分にホテルひけ
たを出発した。

 少し戻って県道1号へ。JR高徳線の手前でへんろ道に入り、
線路を越えてすぐ竹やぶの土道を上がる。竹やぶを抜けると
幅広い草の道になり歩きやすい。

 高度が上がり、海岸や、日が差し込んだ相生の町並みがよく
見える。

 いったん樹間に入り、再度、町の展望を見下ろし、左手にヘヤ
ピンカーブの続く県道1号を見ながら上がって行く。何の通報
だろうか、断続的に吹鳴するサイレンが10数回鳴り響いた。

 香川・徳島県境を通過、「豆茶屋跡」の標識があり、藩政時代
から昭和10年(1935)、JR高徳線が開通するまで、ここで営業
していたことが記されている。文化庁選定「歴史の道百選 大坂
峠越」の標識もあった。

 ゆっくりと上るが、やはり上り道は大汗が出る。稜線に出て
T字路を左へ、さらに送電線の鉄塔近くのT字路を右に下る。
香川県側は幅広かった道も、徳島県に入ると人ひとり分だけ
の細道になった。

 疑木の階段と落ち葉がいっぱいの道。急階段を下っていった
ん県道1号に出て、さらに簡易舗装の道を東谷集落に下った。

 高徳線の東に平行する道すじには、もうスイセンが咲いていた。
2時間歩いたので阿波大宮駅で休み、携帯メールを発信する。

 駅前には「馬酔木の道」の道標があった。さらに進んで県道
1号に入る。

 県道は、時折ダンプも通るが交通量は少ない。歩いていると
寒さは感じないが、吐く息は白い。高徳線の南に回り、今日は
休館の、「やすらぎの郷あせび温泉」横を過ぎ、太郎橋で左に
入る旧道へ。

 庭に、背は低いが大きく枝を広げた松のある家がある。高松
自動車道下を進み、T字路で高徳線の東に回り、板野東小横を
進んで、3番金泉寺(こんせんじ)に着いた。

 ここに来たのは遍路初日の2月20日だった。朱塗り鮮やかな
仁王門に、あの日のことを思い出す。無事結願のお礼を込めて
読経する。イチョウの黄葉が色鮮やか。

 県道12号に平行するへんろ道を戻る。出発した日も暖かだっ
たが、今日も12月とは思えぬ暖かさ。風の吹き具合もあの日と
同じように感じられた。

 12時までに霊仙寺(りょうぜんじ)の納経を終えたいと考えた
ので、2番極楽寺は駐車場のそばで合唱して、寄らずに進む。

 板東谷川を渡ると、1番霊仙寺の多宝塔が見えた。11時24分、
霊仙寺の山門をくぐる。本堂、大師堂に2度目の読経。無事戻り、
お四国一周の輪を歩きつなげられたことに感謝する。


 門前の休憩所で白衣を脱ぎ、岡山市から迎えに来て下さった
Iさんと駐車場で落ち合う。Iさんには2月の出発の際も、ここまで
送ってきてもらった。

 Iさんの車で、県道41号の卯辰越を通って瀬戸内海側の国道
11号に出る。少し東に戻った鳴門市の鮮魚料理店で昼食。
はまちの刺身と、わかめがたっぷりのすまし汁がおいしかった。

 国道11号を西に、高松市街まで行き、高松港からのフェリー
たかまつ丸で玉島港に向かう。

 1時間の船旅は、デッキに上がり瀬戸内の展望を楽しんだ。

 17時前、岡山のI家に到着。数年前通し打ちされたIさんと遍路
旅を振り返り、話が弾む。夕食は奥様心づくしのタイの尾頭付き
と赤飯で祝っていただき感謝、感激。

〈コースタイム〉ホテルひけた7:02ー香川・徳島県境7:52ー県道
1号に下る8:21ー東谷集落へ8:45ー阿波大宮駅9:01~15ー
県道1号入り9:25ー太郎橋9:42ー3番金泉寺10:15~32ー板野
町・鳴門市境11:00ー1番霊山寺11:24~47      

(距離 14㎞、歩行地 東かがわ市、徳島県板野町、鳴門市、
 地図(1/5万)、三本松、川島、徳島、歩数 24,600)

 総歩行距離(前・後半計) 1,197km、総歩数 2,061,900歩
 費用合計
   (宿泊、交通、飲食、納経料・さい銭、その他) 442,408円
                                   【完】

 
コメント

四国遍路道ある記(後編)・香川その8

2006-12-26 21:38:02 | 初めての四国遍路
 第18日 2004年11月30日(火) 晴
 =総奥の院與田寺へ=


 
 5時45分に起床、6時30分朝食。7時20分ころ八十窪を出
て大窪寺門前の店で土産を購入する。バスで下るというUさん
に見送られて、Iさんと7時35分に出発した。

 Iさんは、同じコースの途中にある眺洋館を予約したとのこと
なので、その近くまで一緒に行くことにした。

 国道377号を東に向かって下る。八十窪の白い犬が一緒に
ついて来た。追い返そうとするが帰らない。2㎞以上先、隣の
払川集落まで来たら、その集落の犬が居たのであきらめて引き
返した。

 国道とはいえ、1車線だけの狭い区間も多い。周辺の山々の
緑と紅葉の混じった彩りがよい。けさも風がちょっと冷たい。

 長野の変則四差路をまっすぐに進んで、すぐ五名トンネルへ。
一車線もありそうな広い歩道と明るい照明、車も少ないので安心
して通過できる。トンネルの先のT字路を右折して南に向かう。

 境目集落のT字路の横に、徳島県天然記念物「境目のイチョ
ウ」が立つ。
 
 幹回り7.8m、高さ16m、樹齢600年という大木だ。下だけ
鮮やかな黄葉が残っていた。

 その角を左折して香川県に入る。1車線の旧道で車はほとん
ど通らず、中尾峠まで緩やかに上る。

 峠を下った黒川集落に、白鳥温泉、黒川温泉、市営の自然
休養センター白鳥温泉の3つの温泉施設があった。休養セン
ターでトイレを借りて小休止する。

 さらに湊川沿いの谷間を進み、国道377号を越えてすぐ先の
三宝寺に寄る。香川県最大というボダイジュと県の保存樹木
チシャの木があった。

 北へ向かう県道132号に入る。こちらも車が少なくて安心。

 「お遍路さん休憩所」があったが寄らずに通過、すぐに星越
峠(110m)を越えて下りになる。


 台風によるがけ崩壊か所が多く、かなりの広さで田んぼが
土砂に埋まっており、その惨状に目を奪われる。


 その先、大内ダムにも大量の土砂が流入し、水辺の公園も
荒れ果てていた。途中で昼食を買うつもりだったが商店などは
無い。境目にあった小さな店で買った菓子パンと草餅を公園の
近くで食べ、昼食代わりとする。

 昼食は淋しかったが、Iさんと街道歩きのこと、遺跡や史跡
めぐりのこと、地図のことなど、いろいろ話しながら行くので、
足取りは軽く進める。

 県道129号に出ると、水主神社があった。延喜式内社で、
空海、最澄もゆかりがあるという古社。

 彫刻や源義経愛馬の鞍など国重文を6点所蔵していると
いう。いのり松と呼ぶ大きな松があった。

 県道はやや車が増える。この辺りも周辺の山の紅葉がよい
彩り。県道に沿った与田川も、何か所か台風による崩壊地が
見られた。

 高松自動車道の手前で県道に分かれて高速道下をくぐり、
四国霊場総奥の院・與田寺に詣でる。

 近くの三本松港が関西への窓口として栄えたころ、與田寺
は四国霊場お礼参りの寺として多くの遍路が訪れ、以来、
「四国霊場総奥の院」と称されているという。

 寺は、天平年間(729~)、行基菩薩の開創。弘法大師ほか
著名な僧ゆかりの寺、嵯峨天皇の時に勅願所となり、国重文
の仏像や図絵なども多いという。

 仁王門の横に高さ40m、樹齢600年という県の天然記念
物、椋の木が立ち、境内にはりっぱな松が多い。仁王門の奥
に個性的な門がもう一つある。鮮やかな朱塗りの新しい多宝
塔もあった。

 参拝・読経を終えて南東に向かい、近くの誉水郵便局で
最後の資金補充をする。与田川左岸沿いを進んで国道11号
に入ると、やはり車が多く、うるさい。

 すぐ先にあった「手打ちうどん大浜」に入り、ぶっかけうどん
を食べる。ここの讃岐うどんも、やはり腰が強くてうまかった。

 三本松の町並みを抜け、湊川の橋を渡ったところで、Iさん
は海に近い眺洋館に向かうという。Iさんとは8間同宿し、ずい
ぶん一緒に歩いてお世話になった。感謝して分かれる。

 橋の先で、南に平行する旧道に入る。こちらは車が少なく
て歩きよい。大きめの池にカモが数10羽浮かんでいた。

 JR高徳線が近づいた辺りに、大ワラジが奉納された森権平
庵というのがあり、少し先には森権平愛馬の墓もあった。
いったいどんな人なのだろう…。

 再び国道11号に出て、色づく山々の影を映す中山池を過ぎ
る。小海川の引田橋を渡り、川沿いに進んで引田(ひけた)の
町に入る。「風の港」と呼ばれる古い町並みが残っていると、
黒川温泉でもらった東かがわ市の観光パンフレットにあった
ので、探したが見あたらない。

 ちょうど歩いてきた奥さんに聞いて分かり、少し戻った通り
に、酒・醤油業の旧井筒屋など、2階のひさしが低い土蔵
造りのような旧家が数戸残っていた。


 馬宿川を渡って相生の町並みへ。源義経ゆかりの東海寺
に寄るつもりだったが、これも分かりにくい。町の人に聞いて
その方向に進んだら、別の大きな寺の先だった。

 日本最初の塩田開発者・久米通賢の菩提寺で、もと東大
総長・南原繁ゆかりの寺でもあるという。義経鞍掛の松
(2代目)があった。

 日が落ちて冷えてきた。国道11号は海岸沿いとなり、海風
がちょっと冷たい。海の向こうに遠くの明かりも見えてきた。

 相生郵便局で不要荷物をゆうパックで自宅に発送し先を
急ぎ、17時21分、徳島県境に近いホテルひけたに着いた。

 八十窪のおかみの言った通り、ピンクのへいをめぐらした
モーテルだった。でも、部屋もベッド(ダブル)も風呂もみな
広く、暖房もよく利き、ビジネス価格4千円はありがたい。

 近くの中華料理店で夕食を食べ、そばの海鮮物店でささ
やかな土産を求め、ホテルに戻って入浴してさっぱりした。

〈コースタイム〉八十窪7:35ー長野の三差路8:35ー県境の
三差路(天然記念物いちょうさん)8:56~9:05ー白鳥温泉
10:10~15ー三宝寺10:45~51ー水主神社11:20~29ー大内
ダム北(昼食)11:35~55ー高松自動車道南の火の見12:38ー
総奥の院與田寺12:55~13:28ーうどん大浜13:52~14:09ー
湊川の橋14:33ー森権平庵15:13ー旧井筒屋16:10ー番外
東海寺16:36~41ーホテルひけた17:21

(距離 30㎞、歩行地 さぬき市、東かがわ市、徳島県市場
 町(少し)、地図高松南部、三本松、歩数 54,600)

コメント

四国遍路道ある記(後編)・香川その7

2006-12-25 21:14:16 | 初めての四国遍路
 第17日 2004年11月29日(月) 晴
 <87番長尾寺、88番大窪寺>
 =無事大窪寺に結願=


 
 5時50分起床、6時25分から朝食、いしや旅館のおかみさん
の見送りを受け、7時12分に出発。Iさんは先に出発していた。
いよいよ今日は結願(けちがん)の日である。

 もう一度86番志度寺に参拝。五重塔を撮って山門を出たら、
向こうからUさんが見えた。近くの旅館に泊まったとのことで、
「ここでまた会うとは思っていなかった」とビックリしていた。

 南に向かう県道3号を進む。やはり朝は冷えており、吐く息
が白い。しばらく会わなかった広島のHさんとも会う。かなり
の交通量があり、歩道のないところは車に注意しながら進む。

 高松自動車道を過ぎ、オレンジタウンと呼ぶ新興住宅地を
東側の谷間の向こうに見ながら行く。長行集落の当願大明神
の先から県道西側のへんろ道に入った。民家や田んぼの横
の里道を進み、再び県道を横切り東側へ。

 尽誠集落に番外札所玉泉寺があったので立ち寄り、参拝
する。四国曼陀羅霊場とも呼ばれるところ。本堂には錫材
回しと玉落としがあり、狭い境内に古木の藤棚があった。
葉の落ちた桃の木に、もう次の芽がふくらんでいた。


 風ひとつ無く、今日も穏やかで、結願にふさわしい日和。
広瀬橋の先で、おばあさんからエスカップのお接待をいただ
いた。


 吹き抜けの屋根下にベンチのある「遍路さん休憩所」前で
遍路橋を渡る。香川東部養護学校横を通って87番長尾寺
に着いた。

 山門を入ったところに大クスが立つ。本堂、大師堂と、もう
一つのお堂が横に並び、その前は広い空地になっている。

 本堂の軒下には精巧な木彫が施され、山門前には、弘安
6年(1283)と弘安九年の銘があるという国重文の大きな
経幢があった。

 さらに県道3号を南に、さぬき市長尾町の町並みを抜ける。
塚原の交差点で、県道と鴨部川の間の旧道のへんろ道に
入った。釈迦堂の説明板があり、お釈迦様の石像や、明和
2年(1765)の供養塔、光明真言二百万遍祈念碑など、
数基の石像が並んでいた。

 この辺りには、さぬき市で最近立てた旧跡やへんろ道の
説明板が多く、市のへんろ道に対する配慮の高さが感じら
れた。

 平行する鴨部川沿いの竹が大量に倒されていたり、道路
の土砂崩壊か所がいたるところにあったりして、先月の台風
で上流の前山ダムの水を大量放流して災害になったことが
うかがえる。


 その前山ダムに向かって上り道となり、ダムの南に回りこ
んだところにあった「前山おへんろ交流サロン」に入る。思い
がけずKさんも先着していた。四国遍路の歴史や、資料、
写真などが多いのでゆっくりと参観する。

 入館者ノートに記帳すると「四国八十八ヶ所遍路大使任命
書」がもらえるというので記帳したら、木村館長から第700号
の任命書をいただく。よい記念になった。

 南側の「道の駅ながお」で、パンと草餅、牛乳を買ってきて
昼食。バスで先行するというKさんと分かれ、U、H、Iの皆さん
と12時に館を出る。
 
 88番大窪寺へは、標高774mの女体山越えへんろ道を
行きたかったが、館長から多数の崩壊か所の写真を見せら
れ、県道を行くよう勧められたので、回り道だが県道3号を
行くことにした。

 緩い上り坂が続く県道、途中、昼寝城址案内図のある
東屋で休憩。東京・東久留米市からの区切り打ちのご夫妻
が休んでいた。

 額峠を越えると下り道となる。先頭のHさんのピッチが早い
ので、Uさん、Iさんとゆる足でのんびり進むことにした。

 多和小近くの三差路で国道337号に入り、上り下って旅館
竹屋敷の横を過ぎる。周辺の山々は上の方が色づいてよい
彩り。

 竹屋敷の少し先からへんろ道になっている旧道に入り、車から
解放された。

 黄葉や色づく田んぼ、松の多い女体山などを眺めながら
最後の足取りを進め、14時40分、ついに88番大窪寺の、
大きな新しい山門をくぐった。

 女体山を背にした広い境内、結願寺にふさわしい建物が
並び、周辺は鮮やかな紅葉に彩られていた。

 読経中は少し感傷的になったが、たいした感慨も湧かず、
着いて当然といった気持ちで結願(けちがん)を迎えた。

 しかし、春から2度の、この長い遍路には、妻子の理解と
応援、道筋での数々のお接待、毎日の疲れを癒して下さった
宿の皆さんなどなど、いろいろな方々のお世話になったお陰
と、感謝の気持ちを込めて参拝、読経する

 何度も行き交ったTさんも結願され、喜びを分かちあう。
彼は野宿主体で回られただけに、喜びは一層のことと思わ
れた。

 寺は標高445mの高地にあり、香川県の県木「大窪寺の
イチョウ」はすっかり葉を落としていた。でもモミジは見ごろ。


 太陽が山陰に隠れ、体が冷えてきた。門前の店で暖か
いかやくうどんを食べてから、近くにある結願の宿、民宿
八十窪(やそくぼ)に入る。

 まず入浴して汗を流す。新しい洗濯機は無料で使える、
部屋も新しくトイレ付きで清潔な宿だ。

 17時過ぎからの夕食には、心づくしの赤飯が盛られて
いた。結願の同宿は、H、U、Iの皆さんと、善通寺宿坊で
一緒だった大阪の男性、そして私の5人。

 夕食の席での話題の中心は、1番霊仙寺にお礼参りに
行くかどうか。「1番に戻るのを勧めているのは霊山寺だけ
で、ほかでは高野山に向かえばよいと言っている」などの話
が出たが、結局、それぞれの考えで決めれば、というのが
結論となった。

 私は、歩いて四国一周の輪を結びたいという考えから、
1番に向かうことにした。コースは、山下さんに勧められた、
総奥の院・與田寺、大坂峠越えで行くことにする。

 明日の宿は、他に適当なところがないので香川県境に近い
ホテルひけたを予約、そのことを話したら、おかみさんから
「そこはモーテルだよ」と言われた。でもへんろ地図にも掲載
の宿なので、予定通り行くことにする。

〈コースタイム〉いしや旅館7:12ー当願大明神8:00ー番外玉泉
寺8:15~18ーへんろ橋8:38ー87番長尾寺8:57~9:28ー塚原
9:55ー一心寺10:10~13ー前山おへんろ交流サロン(昼食)
10:53~11:58ー昼寝城址案内図12:38~47ー助光東三差路
13:34ー旅館竹屋敷そばの三差路14:03ー88番大窪寺14:40~
15:32〈結願〉ー民宿八十窪15:58

(距離 23㎞、歩行地 さぬき市、地図 高松南部、歩数 
 39,700)
コメント

四国遍路道ある記(後編)・香川その6

2006-12-24 18:44:53 | 初めての四国遍路
 第16日 2004年11月28日(日) 晴
 <84番屋島寺~86番志度寺>
 =壇ノ浦を挟んで=


 
 6時25分起床、7時朝食。今日は個々に歩くことにして、
Kさん、Iさんと別れ、7時55分に東横インを出る。昨日より
暖かい感じだ。

 琴平電鉄琴平線と長尾線の踏切を越え、多賀神社前を東に
進んで御坊川を渡る。千代橋のたもとに浜街道の由緒が記さ
れていた。

 国道11号に出て詰田川にかかると、行く手に屋島が全容を
見せた。日曜日なので、いつも多い国道の車が少ないので助
かる。

 新川大橋先の交差点を左折、琴電潟本駅の横から遍照院前
を過ぎると、簡易舗装の急坂となる。享保11年(1726)の丁石
の並ぶ坂道は、ハゼ、クヌギ、モミジなどの紅葉の彩りがよい。


 「弘法大師加持水」と「食わずの梨」(写真)の間に台風による
土砂崩壊地があり、簡易舗装は埋もれ、細い土道が急造され
ていた。

 山頂へ早朝ウオーキングに上がった地元の人たちが、次々に
下りて来て挨拶を交わす。木の間越しに高松市街の展望が広が
ってきた。大きな岩盤の露出する畳岩を過ぎ、ジグザグに上がっ
て84番屋島寺に着いた。

 玉砂利の敷かれた広い境内、本堂、大師堂ほか幾つもの堂塔
が並び、近代的で新しい宝物館もあった。車で来た参拝者も多い。


 可正桜と呼ぶ、寛文6年(1665)に植えたという桜の古木が
境内の一隅にあった。紅葉も色鮮やか。


 先着のTさん、後着のIさんと一緒に、東側のホテル甚五郎の
ところに出た。源平合戦の地、壇ノ浦を隔てて、次の八栗寺の
ある八栗山の特徴ある山容が一望。ちょうどマウンテンバイク
で上がってきた地元の男性が、源平合戦の場所などを説明して
くれた。

 少し南から、木の階段などの急坂が始まった。足を踏み外さ
ぬよう注意しながらドンドン下る。一度車道を横断、さらに下る
と、源義経の家臣で屋島の合戦で死んだ佐藤継信の墓があった。

 さらに下の車道に出て南に向かう。安徳天皇社を過ぎ、県道
150号に入る。上から見えたこの東側一帯の住宅地は、以前
は塩田だった場所だと、先ほどマウンテンバイクの人から聞い
ていた。

 やはり義経の家臣だった菊王丸の墓に寄り、1㎞北で壇ノ浦
に注ぐ相引川の高橋を渡る。満潮で水が一杯の流れにウミウが
泳いでいた。

 すぐ先に、マルナカという大きなスーパーがあったので昼食を
調達し、近くの小公園で食べた。

 東側の須崎寺には、四国八十八か所の案内記を作ったり、
へんろ道の整備するなど、「遍路の父」と仰がれた真念の墓が
ある。土塀に、屋島合戦図など近辺の名所の説明板も掲げ
られていた。

 本堂のさいせん箱には、昭和19年度疎開児童が寄付した
ことが記されており、第2次大戦の歴史の一端が残されていた。
境内の大イチョウがよい彩りである。

 牟礼北小横から団体客で賑わう「うどんの山田屋」にかけ、
へんろ道はくねくねと出入りしている。


 八栗ケーブルの駅横から鳥居をくぐると簡易舗装の急坂が
始まった。弘法大師像ほか、たくさんの石像の並ぶ弘法大師
加持水を過ぎ、さらにひと上りで八栗山の中腹にある85番
八栗寺に着いた。

 「歓喜天」の掲額がある鳥居の先に山門があり、背後に大岩
を抱えた山寺。本堂の右手先方に大師堂と多宝塔が並ぶ。

 朱塗りの多宝塔のそばにあるモミジの紅葉が素晴らしい。
香川県の保存樹木「八栗寺のイチョウ」も、鮮やかな黄葉を
見せていた。

 この先もTさんが先行し、Iさんがすぐ後になり、南に向かって
車道を下る。講習中で、騒がしい音を響かすマウンテンバイク
場の横を過ぎる。この辺りの沿道もモミジやハゼの黄葉が見
ごろ。

 今日も暖かくなり、南風が汗ばむ体に気持ちよい。池の真ん
中から噴水が上がる2つ池親水公園を過ぎ、県道145五号
に出る。志度の町並みや志度湾が見えてきた。県道は車が少
ないので歩きやすい。

 両側の田んぼはかなり早く刈り入れが住んだのか、ひこばえ
が固い粒をたくさんつけ、2度目の黄金色を見せている。

 琴電志度線の讃岐牟礼駅付近で再び国道11号に出たが、
日曜の午後で車は少ない。「うどん商人つづみ屋」の看板が
あったので寄り、冷たいぶっかけうどんを食べた。

 ここも腰の強いめんに、ゴマやカボス汁をかけて250円の
小玉だったが、おいしかった。

 その間に抜かれたIさんに追いつき、幡羅八幡宮の先で、国
道11号に平行する海側の旧道へ。志度町に、私が遍路用品
を通販で買った「表装の詠智会」の店があったが、日曜休業
なのか人がいないので、寄らずに先へ向かう。


 次のY字路に、りっぱな石灯籠と平賀源内の説明板があっ
た。石灯籠は船の目印にしたという。平賀源内はこの地の
出身、近くの平賀源内邸は遺品館になっていた。


 すぐ先の地蔵寺には、りっぱな夫婦柏がある。志度寺十一
面観音を刻んだ残り木を埋めた跡地から芽生えたという霊木
で、樹齢は千年以上になるという。


 今日の宿、いしや旅館にザックを預け、さらに進んだ突き当
たりの86番志度寺に入る。1万㎡あるという広い境内。山門
脇の五重塔が、傾いた夕日にライトアップされたように輝いて
いた。


 藤原不比等の子と行基とが伽藍を築いたという古寺。本堂
は国重文である。境内には幼稚園や老人福祉施設もあった。

 16時半過ぎ、いしや旅館に戻った。この宿も、道路側と中間
の建物は明治初期の建物とかで、最近選定された文部省の
登録有形文化財認定証が玄関内に掲示してあった。

 中の間と廊下を経て、昭和の建築という南側の部屋に案内
された。入浴後、家庭用の洗濯機を借りて洗濯をする。

 今日の宿泊は私とIさんのみ。久しぶり早めの夕食は魚介類
が中心でおいしい。落ち着けるよい宿だ。夕食後、2日分の
レポートを整理する。

〈コースタイム〉東横イン高松7:55ー新川大橋9:00ー池のそば
のベンチ9:15~20ー屋島御加持水9:35ー84番屋島寺10:03~
50ー佐藤継信の墓11:33ースーパーマルナカ11:58~12:11ー
小公園(昼食)12:14~40ー番外洲崎寺12:42~46ー八栗登山口
駅横13:08ー85番八栗寺13:30~14:05ーうどん商人つづみ屋
14:50~15:06ー86番志度寺15:57~16:25ーいしや旅館16:30

(距離 23㎞、歩行地 高松市、牟礼町、さぬき市、地図、高松
 南部、高松、歩数 38,000)
コメント

四国遍路道ある記(後編)・香川その5

2006-12-23 22:01:53 | 初めての四国遍路
 今日は、地図愛好者グループの12月例会に行きました。
長い間、企画から会場設定、案内、会報づくりなど、一切の
お世話をいただいたKさんが、種々のご都合でこれ以上継続
は困難ということになり、15年近く続いた会を解散することに
なりました。

 Kさんには大変お世話になり、ありがとうございました。
 来春からは、何らかの形で継続したいというメンバーによる、
不定期の集まりをする方向で、話が進んでおります。

 ずっとご覧いただいている四国遍路(後編)も、結願(けち
がん)(88個所のすべてを回り終えること)の日が近づいて
きました。

 地図愛好者グループのSameさんから、地図も張り付けて
欲しいとのご要望をいただいたので、アルプス社の地図を張
り付けてみました。今日のコース全体が出ませんでしたが、
今後もトライしてみます。なお、Sameさんのブログは、ブック
マークで紹介しております。

 ========================= 

 第15日 2004年11月27日(土) 晴
 <80番国分寺~83番一宮寺>
 =紅葉が見ごろの2つの寺=


 
 5時55分起床、7時からの朝食は、3人の皆さんと一緒にロビ
ーで、おにぎりとみそ汁をいただく。

 栗林公園北口駅7時43分発JR高徳線に乗り、高松乗り換え
で8時8分、国分駅に下車した。

 今日は、昨日の私の読図力が頼りになったと、お3人とも一緒
に歩きたいという。うれしいが、間違えずに行けるだろうか。
 
 昨日、納経印をもらったのが閉門時刻近かったので、改めて
80番国分寺に参拝する。昨日も居たが、今朝も門前で別の怪し
い男が声をかけて来た。とりあわぬことにして無視して中に入る。

 広くて落ち着いたたたずまいの境内、梵鐘は四国最古のもの
のようだが、ほかの札所と違い、1回突くのに百円奉納せねば
ならない。境内には、ミニ四国88か所の石仏も並んでいた。

 東に出て裏手に回ると、広い空き地があり、一帯は旧国分寺
跡。往時の国分寺の10分の1復元模型と、復元した講堂を覆
った建物があるが、その建物は閉まっていて入れなかった。


 数年前、隣の端岡駅から国分駅までこの辺を歩いたが、その
時、盆栽や五葉松の畑が多いことに気づいた。それらの畑の目
につく宮西の集落を抜けて山すそまで進み、「四国のみち」になっ
ている急坂のへんろ道をジグザグに上がる。

 木の階段もあり、結構傾斜がきつく、汗をかいたので上の方
にあった展望台でひと休みする。展望台からは、国分の町並み
や南側の山並みなどの展望がよい。

 すぐ上で稜線上の車道に出て、西に向かう。善通寺の自衛隊
演習場になっている林沿いになり、ハゼがきれいな彩りを見せて
いる。

 1.5㎞ほど進み、北側の草のへんろ道を下ってT字路に出る。
自衛隊厩舎に沿った道を西方にゆるやかに下って81番白峯寺
(しろみねじ)に着いた。

 寺は山の中腹にあり、スピーカーからご詠歌や講話が始終流
されている。崇徳天皇ゆかりの寺で、境内のモミジの紅葉が見
ごろ。

 納経所に、お接待の小物があったので、わらじを一ついただく。
門外のトイレの横からは、北西に瀬戸大橋が望見できた。 


 国の重文になっている七棟門と呼ぶ山門を出てもとの道を
戻り、T字路の先へ真っ直ぐに林間のへんろ道を進む。緩い
上り下りを繰り返すが、歩きやすく気持ちよいおすすめの道。


 丁石の間に「陸軍用地」の石標も残っていた。


 19丁の丁石が残り、その名も「19丁」を通過して車道に出て、
足腰の神という足尾大明神を過ぎる。五色台みかん園下の三差
路から、へんろ道を緩やかに下って82番根香寺(ねごろじ)に
入った。

 モミジの紅葉、黄葉が白峯寺よりさらに素晴らしい。山の斜面に
あり標高は365mある。

 木々の多い境内を回って参拝、納経を終え、大師堂横のベン
チで昼食をしたが、風が冷たく、座っていると寒い。食事を終え
ると早々、4人で下りにかかった。

 五色台みかん園下の三差路に戻り、南東への車道を下る。U
カーブ点まで行くと、前方に高松港から高松市街、そして南に
続く家並みや田園地帯など180度近くパノラマ出来る好天望地
に出る。

 車道を一部ショートカットしてまっすぐに下ってゆくと、ミカン畑
が増え、収穫中の畑もあった。香川星陵高の南側を抜け、五葉
松畑の横で県道33号を横切る。

 JR予讃線の踏切を超え、無人の鬼無駅で休憩。15時近いが、
次の83番までまだ6.5㎞ほどある。17時の納経に間に合わせ
ようと少しピッチを上げることにした。

 鬼無駅の南から、南東方向に香東川まで、東、南、東、南と、
何度も小刻みに道筋が変わる。へんろ地図と標識を見比べなが
ら何とか間違えずに進んで、香東川の冠水橋を渡った。

 国道11号の南に出て、緩やかなカーブで民家の間の細い路地
などを抜ける。どうやらこれが昔からのへんろ道らしい。
 
 ここまではよかったが、県道276号の先で、遍路シールを見失
う。方向の見当を付けて進んだが、少し北に回り道して国道32
号に出た。
 
 近くにいた人に確かめて国道を少し進んだら、成合天満宮が
あり、へんろ標識も見つかった。その先もカーブの多いへんろ道
を一宮中、一宮小の西に進む。県道12号に出て、83番一宮寺
には見込みより早い16時20分に着いた。

 小さいが整った本堂と大師堂に参拝し読経。境内に薬師如来
縁起の説明板があり、「悪いことをした人がそばにある祠に
頭を入れると地獄の釜の煮えたぎる音がする…」と書いてある。

 私も頭を入れてみたが何も聞こえなかった(写真は私では
ありません)。

 日が傾き冷えてきた。今日も何か所かで会ったTさんもほぼ
同時に着き、納経を終えた。

 ここで、今日1日同道した3人のうち、Uさんは近くの温泉宿
に泊まるというので分かれ、Kさんは、一宮駅から電車で連泊
する東横インに向かうという。

 私もIさんも東横イン連泊だが、明日、電車でまたここまで戻っ
て歩き出すのはもったいないので、歩くことにした。
Iさんも歩くというので、一緒に6㎞余り先の東横インに向かう。

 少しだけへんろ道を進み、国道11号に出たので、そのまま
国道を北に進むことにする。夕暮れで車の交通量が多いが、
広い歩道が両側に着いているので安心だ。

 途中に、「セルフうどんはすい亭」が会ったので入る。冷たい
やまかけうどんを食べたが、腰が強くておいしかった。

 日が落ちてすっかり暗くなった。無灯火の自転車が来るとペン
ライトを照らして注意を喚起し先を急ぎ、18時32分に東横イン
に着いた。

 今日も、夕食のメインはホテル無料サービスのカレーライス、
それに近くのコンビニで買ってきたものを食べて補食とする。

 洗濯をして、今日の行程報告の携帯メールをするのが精一杯。
睡眠不足気味のためか、1日中軽い頭痛がしていたので、レポ
ート整理は明日とした。それでも就床したのは23時近くになった。

〈コースタイム〉東横イン高松ー栗林公園北口駅7:43=高松駅
7:49~53=国分駅8:08~16ー80番国分寺8:25~35ー山道入口
9:05ー展望台9:42~51ー81番白峯寺10:35~11:09ー十九丁11:58
~12:00ー82番根香寺(昼食)12:34~13:15ー五色台みかん園下の
三差路13:18ー鬼無駅14:44~52ー83番一宮寺16:20~48ー東横
イン高松18:32

(距離 29㎞、歩行地 国分寺町、坂出市、高松市、地図 丸亀、
 高松南部、歩数 54,400)


コメント