あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

深谷の「みかえりの松」

2006-02-28 21:16:37 | 中山道を歩く
 今朝の朝日新聞埼玉版に、『深谷市の「みかえりの松」が、害虫により幹の空洞化が進み、倒木の危険が出たので伐採されることになった』との記事が掲載されました。

 毎年、中山道を歩くグループがあり、私も4年前から参加し、この場所も3回ほど通りましたので、その都度眺めており、ちょっと淋しい枝振りだなと感じていました。

 場所が、旧中山道と国道17号の交差点なので、排気ガスの影響なのかと思っていましたが、害虫にやられていたのですね。
 
 この写真は、昨年9月29日に歩いたときのものです。

 中山道において、隣の熊谷宿には飯盛女(めしもりおんな)がいなかったため、深谷は遊女の町として名をはせ、広重の「木曾街道六拾九次」にも描かれており、宿場の外れにあるこの見返りの松は、宿に泊まった江戸への旅人が、一夜の間柄となった女との別れを惜しんだ場所だったことから名付けられたようです。

 かつてこの周辺には、2.5㎞にわたり松や杉の並木が続き、江戸末期には約450本あったとか、いま、見返りの松以外には何本も残っていなかったように思います。

 中山道でいまも松並木が多く残っているところは、信州、立科(たてしな)町の芦田宿と笠取峠の間で、「笠取峠の松並木」として知られています。

 芦田宿や、東側の、間(あい)の宿・茂田井(もたい)辺りは、昔の中山道の面影がよく残っている場所ですので、機会があったら訪ねて見ることをお勧めします。
 
 
 
 
 
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日本一長いけやき並木

2006-02-27 23:17:54 | Weblog
 所沢航空記念公園の南側を国道463号が通っています。
 公園の前からこの国道沿いに、所沢市、新座市、三芳町、富士見市、志木市を経て、さいたま市のJR埼京線南与野駅付近まで、約17㎞にわたってけやき並木が延々と続いています。

 昭和48年(1973)から53年にかけて、道路整備に合わせて植えられたもので、総数は2,417本もあります。
 この並木は「日本一長いけやき並木」として、また「新日本街路樹100景」にも選定され、埼玉県民を中心に親しまれています。
 まだ枯れ枝ですが、4月になれば芽吹きが始まることでしょう。私は、淡い彩りのけやきの新芽が大好きで、あの新芽を見ると春が来たことを実感させられます。
 梅の咲き出しも遅れているこの春ですが、けやきの新芽はいつになったら見られるのでしょうか。待ち遠しい春です。
 
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お江戸日本橋

2006-02-26 18:46:32 | Weblog
 きのうは、日本の標高の基準になる霊岸島水位観測所を訪ねましたが、その後寄った三越本店の近くに、日本の道路距離の基準になる日本橋があります。

 日本橋は、慶長8年(1603)に架設して以来、火災などで19回改築され、現在の石橋は明治44年(1911)に生まれ変わったものです。
 日本橋は、東海道をはじめとする江戸五街道の起点で、江戸経済の中心でした。近くには魚河岸もあったようです。
 橋の中央にあった道路原標は北側に移設され、そばに国内主要都市までの里程標の標石が二つあります。
 それによれば横浜市29㎞、甲府市131㎞、名古屋市370㎞、京都市503㎞、大阪市550㎞、下関市1076㎞、鹿児島市1469㎞、千葉市37㎞、宇都宮市107㎞、水戸市118㎞、新潟市344㎞、仙台市350㎞、青森市736㎞、札幌市1156㎞と記されています。

 あなたのところまでは日本橋から何㎞かご存じですか。
 私のところは、日本橋からではありませんが、毎年1月中旬に開催される都庁から自宅まで歩くサバイバルウオークに参加した際に測ったら、およそ30㎞でした。この催しは、阪神淡路大地震を機に毎年実施されています。
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築地、月島界隈の散策

2006-02-25 22:17:02 | Weblog
 今日は、地図を愛好する人たちの会の野外例会で、築地や月島周辺を歩きました。
 東京メトロ築地駅から聖路加ガーデンに向かう途中に、芥川龍之介生誕地や、女子学院発祥の地、慶應義塾発祥の地、米国公使館跡などの碑がありました。この辺りは何度か歩いたことがあるのですが、大人数の団体で通過したので気づかなかったようです。
 聖路加ガーデンの最上部、48階の展望台に上りましたが、春霞で遠望は利かず、眼下の勝どき橋(写真)や、周辺のビルの同定(ビルの名前を確認)しかできませんでした。

 佃大橋を渡って月島に回り、名物のもんじゃ焼きの店で昼食です。初めて入った人も多く、みんなでわいわいがやがや言いながら、楽しくもんじゃやきや焼きそばなどを味わいました。

 午後は、江戸から続く佃煮屋も残る佃島の住吉神社から中央大橋を渡り、霊岸島水位観測所(写真)に行きました。ここは、千代田区永田町にある日本水準原点(標高の基準点)の高さを決めるため、明治の初めに東京湾の平均海面を測定した場所です。なお、現在の水位観測所は、神奈川県の三浦半島、油壺に移っています。

 地図上では、北側の道路に標高1.95mの水準点が記されているので、皆で探してみましたが見つかりませんでした。今日の予定は終わり、ここで解散となりました。
 私は日本橋三越まで歩き、「フランス近代絵画展」を鑑賞してから帰りました。

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豊川稲荷東京別院

2006-02-24 21:55:27 | 地図
 今日は地図・地名講座の7回目、前回まで上野・不忍池に近い弥生会館が会場でしたが、今月末で閉館になるので、今回から目黒区青葉台の日本地図センターです。
 
 今日のテーマは「地図で楽しむ自然の風景」、山や川、海、植生、火山など、地形図の記号と実際の写真とを比べて見せてもらい、2万5千分の1地形図には、地形はもとより、たくさんの情報が盛り込まれていることを再認識しました。
 
 戦前の地形図は、陸軍の陸地測量部で作成していたのですが、その頃の地形図には、山や田畑などを軍隊が通過できるかどうかが分かる記号が幾つかあったことも知りました。
 
 講座を終え、国道246号を渋谷まで戻り、更に青山通りを外苑前、赤坂見附、三宅坂を経て日比谷公園まで、途中からは冷たいの中、歩きました。
 
 赤坂見附の近くに、豊川稲荷の東京別院があったので寄ってみました。お稲荷さんなので、社殿の前にあるのは狛犬ならぬ狛狐です。境内には、ほかにもたくさんのお狐さんがいましたが、私のほかに参拝客は居なかったので、化かされてはいけないと思い?長居はせずにお参りだけして出ました。
 
 


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マンホールのふた(続)

2006-02-23 18:45:41 | Weblog

 今日、市内を歩いていたら、カラーのマンホールふたが見つかりました。アンリ・ファルマン機は一つで、市の木・イチョウの葉のほかに市の花・茶の花がデザインされていました。
 
 一昨年の春と秋、歩いて四国遍路をしたのですが、秋、11月に歩いた愛媛県北条市(現在は松山市北条)で見つけたのが、俳句入りのマンホールでした。
 句入りのマンホールは珍しいので写真に撮ってきました。


 「腰折と いふ名もをかし 春の山」という句です。この作者名は何と読むのでしょうか。まだ調べてありません。

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マンホールのふた

2006-02-22 21:34:34 | Weblog
 公共道路にはマンホールがあります。市町村の上下水道用、電気や電話、CATV用、ガス用などです。
 このうち、市町村のマンホールふたには、その市町村の花や木、鳥などのほか、代表的な建造物や祭りなどがデザインされていて、興味深いものが増えました。
 わが所沢市では、市の花・イチョウとともに複葉飛行機がデザインされています(写真)。
 これはアンリ・ファルマンという飛行機で、明治44年(1911)4月5日、徳川好敏大尉が操縦し、所沢飛行場から日本の空を初めて飛んだ飛行機なのです。
 フランス製のこのアンリ・ファルマン機は、安全性があり、当時人気の高い機種でした。徳川大尉はフランスへ留学し、アンリ・ファルマンが校長をつとめる飛行学校で操縦技術を習得しました。
 アンリ・ファルマンは空のヒーローとして、アメリカのライト兄弟とともに知られた人物だったようです。
 あなたのところのマンホールのふたは、どんなデザインでしょうか。
 

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たくさんのトンネル

2006-02-21 23:05:13 | 地図
 18日に歩いた上総亀山から久留里にかけての2万5千分の1地形図「坂畑」と「久留里」を見ていたら、実線(幅員1.5m~3m)や点線(幅員1.5未満)の道路に、たくさんのトンネルがあることを発見しました(写真の赤マーク)。
 18日の報告でも、7~8個、素堀りのトンネルを通過したことを書きましたが、同じようなトンネルがほかにもたくさんあるということになります。
 二つの地形図をざっと調べたら、「坂畑」には30,「久留里」では14くらいみつかりました。中にはなんと川のトンネルも数個あるのです。
 一昨年秋の中越地震で大被害を受けた新潟県の旧山古志村(現、長岡市)には、地元の人が掘った数百㍍のトンネルがあります。そのことを紹介した映画「掘るまいか手堀り中山隧道の記録」も制作され、私も昨年2月に鑑賞しました。
 山古志には、ほかにも何本も村民の掘ったトンネルのあることもその時知りましたが、こちら君津市内にはどうしてこんなにあるのでしょうか。
 いずれも山地ですが、歩いて回ってみたい気もします。
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カタツムリ歩行 北朝霞

2006-02-20 19:13:58 | カタツムリ歩行
 2月19日(日)は、「カタツムリ歩行」というウオーキングに参加しました。JR武蔵野線沿線を22年かけて1駅ずつ歩くというのもカタツムリなら、当日も、好奇心のアンテナを立てて、その土地を「ゆっくり、じっくり、たっぷり」超スローモーに見て歩くという会です。この日は16年目の初回でした。
 9時半~10時に武蔵野線北朝霞駅をスタートして、直線距離では1.5㎞くらいしかないゴールに向け、小グループで思い思いに寄り道しながら数㎞歩きます。
 私は、まずゴールとは反対の黒目川に下りました。その先の朝霞博物館(入館無料)に入り、かけ足で古い民具や暖房器具などの展示を見学、北側の東洋大学に近い畑の土手に回ったら、ホトケノザが密生して咲いていました(写真)。
 駅の近くに戻り、3つの社寺にお参りし、朝霞浄水場沿いを進んで、新河岸川に近い御嶽神社に行きました。木曽の御嶽講ゆかりの社で、講の石碑や太いイチョウがありました。新河岸川沿いに少し東に向かい、ゴールの宮戸神社へ。昼食をして解散です。
 午後は、薄日が出て少し暖かくなったので、黒目川に戻り、川に泳ぐ鴨や川沿いに咲き出した水仙やボケなどを見ながら上流へと8㎞前後たどり、東久留米七福神の浄牧院にも寄り、東久留米駅まで歩きました。 
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上総亀山から久留里へ

2006-02-19 22:28:03 | 関東百駅巡礼歩行
 2月18日(土)、ときどき参加している、やまさん企画の「関東百駅巡礼歩行」というウオークに参加しました。関東の百駅を順に歩こうという10年がかりの計画、3年目の初回です。
 今回はJR久留里線の終点・上総亀山駅(かずさかめやま)です。午前中は、小櫃川(おびつがわ)の山間部をせき止めた人造湖・亀山湖の橋を幾つか渡って周辺を巡り、草川原集落の八幡神社で昼食をしました。この集落は、どの家も屋敷が広くて庭木も多く、立派な蔵を持っていて、豊かな生活ぶりが忍ばれます。
 午後回った坂畑では、千葉県一という見事なイワツツジのあるお宅に寄り、自家製梅干しをいただきました。イワツツジの咲く頃、再訪してみたいものです。
 地形図に記されていたトンネルをさぐろうと、車1台がやっとの細い山道を上がって行くと、総て素堀のままのトンネルが7~8個もありました(写真)。
 その奥にあるただ1軒だけの家にもおじゃまし、お茶をごちそうになりました。この家も広い屋敷に大きなイワツツジや梅、桐の木などがあり、花どきに来るようお誘いを受けました。近くには名水もわき出ています。
 帰路は、歩きやすい山の稜線を北にたどり、久留里(くるり)駅に出ました。
 思いがけず、2つのお宅で暖かい歓待を受け、古き良き時代の日本人の心に触れたようで、とてもよい一日となりました。 
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