あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行 鹿島臨海鉄道 長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅

2012-04-30 23:21:56 | 関東百駅巡礼歩行
 2012年4月28日(土)

 関東百駅巡礼歩行の第84番に参加した。集合駅は、鹿島臨海鉄道の「長者ヶ浜潮騒
(しおさい)はまなす公園前駅」。駅名の長さ13字は、九州・南阿蘇鉄道の「南阿蘇
水の生まれる里白水高原駅」の14字に継ぐ日本第2の長い駅名である。


 集まったメンバーは駅名標の前で記念撮影をして、11時35分に出発した。


 駅名になっている公園は駅から東に700mほどにあるが、やまさんの設定したコー
スは西側を歩くことにしている。

 商店は無く人家も少ない駅前に、「みちくさ小屋」の標識の出た新しい建物がある。
無人だが管理人に連絡すると、グループの集会などに有料で利用できるようだ。

 線路をこ道橋で越えた北西側には、こんな閑散なところで商売になるのだろうかと思
われるレストランがあった。

 直線で延びる線路に平行する県道242号を越えて棚木(たなぎ)集落へ。畑と平地
林とが適度に混在し、林にはカラマツが芽吹き畑にナノハナやタンポポが咲くところに、
新しい住宅がポツポツと増えている。セカンドハウスも結構ありそう。


 地図上の道が林で途切れ、畑の隅を回って市営第二球場の横に出る。その先も新興住
宅地が続き、ある家にはペットボトルを加工した風車がたくさん回っていた。



 松苗をびっしりと育てている広い苗木畑の横を進み、中村集落に入る。こちらは古く
からの集落のようで、緑も多い。うっそうとした常緑広葉樹に囲まれた椿神社に入った。

 簡素ながら荘重な本殿は江戸時代初期の造りらしい。

 境内には適当な場所がないので社林の北側にシートを広げ、きのうの雨で湿った畑か
ら上がる湯気を眺めながら昼食にした。


 20分余りで食事を終え、12時45分に神社を出る。近くの民家のモミジが色鮮や
かな彩り。


 集落の中ほどに、本堂がコンクリート造りの宝幢院があった。鹿嶋市指定文化財で絹
本着色(けんぽんちやくしょく)の「釈迦十六善神図(ぜんじんず)」が所蔵されてい
るという。


 集落の多くの民家にはマキの生け垣が多く、屋敷林も豊富で落ち着いたたたずまいを
見せる。


 りっぱな瓦屋根の家もあちこちに見られるが、昨年の東日本大震災で被災したらしい、
ブルーシートに覆われた屋根もあった。


 集落の西北端にも、宝幢院と同じ彩りで同様なコンクリート造りだが、小さめのお堂
の寺があり、道路際に常緑広葉樹の高木が立っていた。


 集落を出て北西に回り込んで下ると、北側の山ろくに3つの大きな建物が見える。


 田園地帯を横切りそばに行ったら、「鹿嶋斎苑」と呼ぶ市の斎場。閑散としていたが、
維持費がかなりかかりそうな大きな施設だ。


 隣接する広場には、3つの石材店の名で、新しい石仏が見本のように並んでいた。



 サギの休む田んぼと斎場背後の丘陵との間の農道を進む。西側の田んぼの向こうに北
浦が望見できる。


 田には水が入っていて、連休中には田植えが始まりそう。


 車道の三差路際に「景清の松復元記念碑」と記されたりっぱな記念碑が立ち、小さい
松が背後に植えてある。


 文治4年(1188)、壇ノ浦の源平合戦で戦った平景清(たいらのかげきよ)が、
娘の人丸に守り本尊の十一面観音菩薩を託し、源平合戦の犠牲者慰霊と世の平和祈願を
命じた。人丸はこの地に着いたが本尊安置場所がなく、松の老木の根元に仮宮として仏
像を安置し、のち出家して妙庫比丘尼(みょうこびくに)となり、近くの大福寺を創建
したという。

 景清の松は昭和47年(1972)8月の台風14号で倒され枯死したが、平成元年
に2代目の松を植樹してこの記念碑を建立したようだ。


 そばのふた付きコンクリート孔内に、標高10.5mの四等三角点が残っていた。

 車道の北側から、北東に延びる谷間を進む。地図上は田んぼだったところだが、休耕
田となり田は数枚しか残っていない。


 休耕田の一つに、たくさんのサツマイモが捨ててある。福島第一原発の放射能の影響
で廃棄したものらしく、もったいない。周辺の広葉樹林の、軟らかな新緑とは対照的な
悲しい風景だ。


 行き着いたところに静かな沼があり、ここも周辺の新緑がやわらかな彩りを見せる。
車で来た何人かが、ブラックバスを釣るのだと釣り糸を水面に下ろした。


 記念碑のところまで戻り、東側の棚木集落に向かって緩やかな斜面を上がって行くと、
記念碑に記された大福寺の山門が見えてきた。

 妙庫比丘尼が文治5年(1189)に創建した寺で、本堂に祭られた十一面観音菩薩
座像は、県指定文化財だという。

 本堂の左背後に、人丸の墓である「妙庫塚」がある。


 寺で小休止後、東側の道路に出て北に進んで小見集落へ。植木園に色鮮やかなモミジ
の新録が、畑のあちこちにはナノハナが咲き、民家の庭先の枝垂れモモが咲き始めるな
ど、春色がいっぱいである。


 このあたりには桑畑も多く、手入れされていて養蚕農家も残っているようだ。桑の木
には、若葉の下に花芽がいっぱい付いていた。



 ナノハナの横を何か所か過ぎ、集落が終わると道はうっそうとした竹やぶの間に入る。
少し迂回して点在する春秋集落を抜ける。

 離山集落の民家の一つでも、色鮮やかな2本のモミジが目につく。


 県道242号を斜めに横断し、ゴールの鹿島大野駅には15時20分に着いた。


 午前中は曇っていて東風が少し冷たかったが、午後になってすっかり青空が広がり、
連休らしい暖かさになった。

(天気 曇後晴、参加 5人、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 武井、歩行地
 鹿嶋市、歩数 17,200)



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京都国立博物館で「王朝文化の華 陽明文庫名宝展」を見る

2012-04-26 20:17:04 | 京都を歩く
 2012年4月22日(日) 雨
 
 朝から雨なのでゆっくりして、8時過ぎに東横イン五条大宮で朝食を済ませ、9時過ぎに
出発した。JR山陰本線丹波口駅発9時20分に乗り、3分で京都駅に着く。

 一日中雨の予報なのと、京都の桜の名所のほとんどは見ごろを過ぎているようなので、今
日は寺社の拝観は止め、京都国立博物館に行くことにする。

 小雨模様の京都駅北口を出て、七条通りを東に向かう。東洞院通りとの交差点に、「電気
鉄道事業発祥地」碑があり、明治28年(1895)2月1日にここから伏見下油掛通りま
で6㎞の電車運転を開始したことが記されていた。



 鴨川の七条大橋を渡る。両岸のソメイヨシノの花は散り始め、ヤナギが軟らかな若葉の彩
りを見せる。


 橋の先の川端通りを過ぎ、すぐ近くの小さい書店で、京都国立博物館の前売り券を求める。


 その先の通りには京菓子の店や食べどころなど、京都らしい店が並んでいた。


 10時半頃、京都国立博物館に着き、南門から入る。正面の平常展示館は工事中。今日の
目的は、右手の特別展示館で開催中の「王朝文化の華 陽明文庫名宝展」である。




 ちなみに、ネオルネッサンス様式平屋建てレンガ造りのこの建物は、東京の赤坂離宮など
も設計した宮廷建築家の片山東熊博士の設計で、明治30年(1897)5月の開館。明治
洋風建築の代表のひとつとして、国の重要文化財に指定されている。


 陽明文庫は京都にあり、昭和13年(1938)、近衛家29代当主でのちに内閣総理大
臣も務めた近衛文麿(ふみまろ)が設立したもの。

 五摂家(摂政や関白に任ぜられる家柄)の筆頭である近衛家の持つ10数万点の宝物を保
存管理しており、この展覧会では同文庫所蔵の国宝8点、重要文化財60点のすべてを初め
て一般公開し、およそ140点を展示しているという。



 館内を約3時間かけて一巡して、8つのパートに分かれて展示されている宮廷貴族のライ
フスタイルともいうべき所蔵品を見る。

 中には、日本最古の日記という藤原道長の国宝「御堂関白記(みどうかんぱくき)」、み
やびな和歌の遊びを記録した国宝「歌合(うたあわせ)」、重文で鎌倉時代の「春日鹿曼荼
羅図」、流麗な文字が記された国宝「倭漢抄下巻」、江戸時代の御所人形や銀細工の小さな
雛(ひな)道具など、千年の歴史や華やかな王朝文化の一端をうかがい知ることができた。

 なお、この展覧会についての詳細は、京都国立博物館のウェブサイトで。


 国立博物館の敷地内は緑が多く、その中にロダンの「考える人」像、古い灯籠や道しるべ
などが散在し、雨に濡れたシダレザクラが散ろうとしていた。








 同じ七条通を京都駅まで戻り、14時過ぎに地下街の食堂で遅い昼食をする。


 早めに帰宅することにして、新幹線改札を入って買い物をして、15時29分発のひかり
526号で東京に向かった。




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四国遍路のお礼参りに高野山へ(第2日)(和歌山)

2012-04-25 22:24:19 | 3度目の四国遍路
 2012年4月21日(土) 晴

 == 大門から奥の院参道まで ==
 
 高野山の宿坊、西禅院にて6時起床、雨の予報が外れて、青空が広がっていた。6時半
から本堂でのお勤めに、ほかの6人ほどの宿泊者と参加する。今日は弘法大師の入定日
(命日)だからか勤行(ごんぎよう)は長めで、45分くらい続いた。そのあとご住職か
ら昨年続いた自然災害のことを中心にお話があった。

 部屋に戻って7時半頃朝食をいただき、8時過ぎに部屋を出る。庭園の拝観をお願いし
たところ、案内してもらえるという。

 玄関に近い主な部屋や本堂などを案内していただき、当院が親鸞聖人が修行された古跡
坊であることや、松下幸之助ゆかりの寺でもあることを知る。幸之助氏が長期滞在したと
いう部屋にも入らせてもらった。


 その部屋や隣接の部屋からは、国の登録記念物になっている、昭和の作庭家、重森三玲
(しげもりみれい)が造った庭園が眺められ、それらについても説明していただいた。

 ゆっくり拝観して、8時40分過ぎに宿坊西禅院を後にする。


 まずは西に向かい、高野山専修学院前からトンネルを南に抜け、堂々と構える大門(だ
いもん)へ。

 高さ25.1mの大門は高野山の総門。現在の建物は宝永2年(1705)の再建だと
いう。両脇に大きな金剛力士像が立っていた。

 バス通りを東に向かい、西禅院の南側に広がる壇上伽藍(だんじようがらん)に行く。
弘法大師が高野山で最初に造営した聖地。天保14年(1843)に焼失後、礎石だけだ
ったところに再建中の中門(ちゆうもん)の横から入る。

 広い伽藍内には、15以上の堂塔が立ち並んでいるが、最初にその中心にある金堂を拝
観する。

 金堂は高野山一山の総本堂で、現在のお堂は昭和7年(1932)の再建。高村光雲作
の本尊・薬師如来に拝礼し、堂内を一巡した。

 金堂の右手背後に朱塗り色鮮やかな根本大塔(こんぽんだいとう)が立ち、ここも拝観
できるので入る。

 高さは48.5m、内部には胎蔵界大日如来を本尊として、金剛界四仏が安置され、周
囲16本の柱には、堂本印象画伯が描いた十六菩薩を配す。現在の建物は、昭和12年
(1937)の再建という。


 その後、御影堂(みえどう)、三鈷(さんこ)の松、西塔、山王院、鐘楼、御社(みや
しろ)、愛染堂、大会堂(だいえどう)、国宝の不動堂、西行桜、三昧堂(さんまいどう)、
東塔などを巡る。蓮池の横から壇上伽藍を出た。


 次に、道路を隔てて南東にある高野山霊宝館に行く。


 高野山に残る国宝や重文、県文化財などを保管し公開しており、入館して弘法大師座像
や多くの仏像、書画などを拝観する。


 ちなみに、コンクリート造りのように見える本館は、日本最古の木造博物館建築で、国
の登録有形文化財になっている。

 霊宝館を出て大師教会の前を回り、高野山真言宗の総本山である金剛峯寺へ。道路際の
ソメイヨシノがようやく五分咲きくらい。


 金剛峯寺は、文禄2年(1593)、豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立。現在の建物
は文久3年(1863)に再建されたもの。檜皮葺(ひわだぶき)屋根の山門から入り、
高野山高校生が清掃奉仕をしていた広い堂内に入り拝観する。




 玄関を入ったところに、大きな高野杉(こうやすぎ)の輪片が置かれている。


 秀吉に追放された秀次が自刃を命じられた柳の間、500余坪あり石庭としてはわが国
最大の庭である蟠龍庭(ばんりゆうてい)、ふすま絵の素晴らしい別殿内部、天皇や上皇
の応接間で会ったという上壇の間などを拝観し、大広間でお茶と菓子をいただく。






 台所にも回り、3個で一度に2石、2千人分のご飯が作れるという二石釜(にこくがま)
などを見る。


 納経所に戻り、四国遍路の納経帳に御朱印をいただき、金剛峯寺を後にした。

 高野山の町並みの中心である千手院前交差点際にある、観光協会中央案内所のコインロ
ッカーに荷物を預け、奥の院に向かう。


 土産店や宿坊などが続く通りにあった食堂で遅い昼食をする。今日は気温が上がり暖か
く、付近のソメイヨシノも、2、3日後には見ごろになりそう。


 初回のお礼参りの際に宿泊した恵光院のそばにある、朱塗りの苅萱堂(かるかやどう)
に参拝後、堂内を一巡して周囲に掲げられた絵と説明文を見る。


 絵は、親子の名乗りをあげられないまま修行に明け暮れたという刈萱童心と石童丸との、
悲しい物語が描かれていた。



 そばの宿坊、赤松院の門前に咲き出したシダレザクラや、隣の大きな宿坊、清浄心院の
新緑を眺めながら進み、奥の院の入り口である一の橋を渡る。



 大きな杉木立の下に古い五輪塔の並ぶ墓地が続く。まず仙台伊達家、加賀前田家墓所が
目につき、近くに司馬遼太郎文学碑↓があった。



 さらに曾我兄弟供養塔、薩摩島津家墓所↑、山口毛利家墓所↓、武田信玄勝頼墓所前な
どを通過、弘法大師御こしかけ石というのもある。



 大きな五輪塔の伊達政宗墓所↑や、石田三成墓所などの前を通過、奥の院のほぼ中間に
なる中の橋際には、市川団十郎墓所、汗かき地蔵と姿見の井戸があった。


 昨日参拝したところまで進み、新しい阪神淡路大震災物故者慰霊碑のある英霊殿近くの
新しい参道から、中の橋案内所まで戻る。14時半になったので、そろそろ高野山を去る
ことにする。

 昨日も乗った奥の院バス停から、千手院前バス停までバスに乗る。コインロッカーの荷
物を出して次のバスで高野山駅まで行き、ケーブルで極楽橋駅へ下る。

 急ぎ特急券を求め、15時30分発南海高野線特急に乗った。


 新今宮駅からJR大阪環状線に乗り換え、大阪駅から東海道本線上り新快速で京都駅へ。
北口の地下街で夕食を済ませ、山陰本線で一つ目の丹波口駅で下車し、今日の宿である東
横イン京都五条大宮に19時過ぎに入った。



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山浦正昭さん出演のNHKラジオ26日に延期

2012-04-24 15:43:51 | Weblog
 4月15日付けの当ブログでお知らせしました、カントリーウオーカーで青少年国際
野外旅行研究会代表の山浦正昭さん出演のNHKラジオ第1放送は、本日、4月26日
16時からの予定でしたが、参議院財政金融委員会の証人喚問中継が入り、延期になり
ました。

 放送は4月26日(木) 16時05分から16時55分になります。

 なお番組名は、『ラジオ井戸端会議』で、テーマは「新緑の季節、思いっきり歩いて
みませんか?」-地図をたずさえカントリーウォークしませんか?-  です。

 情報入手が遅れ、放送予定時刻の直前になり申し訳ありません。



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四国遍路のお礼参りに高野山へ(第1日)(和歌山)

2012-04-23 16:31:43 | 3度目の四国遍路
 2012年4月20日(金) 曇

 東日本大震災直後の昨年(2012年)3月13日(日)に3度目の四国遍路を結願し、
翌14日には別格霊場二十番大瀧寺にも参り、別格霊場の結願も済ませることができたが、
高野山(こうやさん)へのお礼参りをせずに帰宅したので、改めて高野山詣でをすることに
した。

 前2回のときのお礼参りは、南海高野線の九度山(くどやま)駅から真田幸村ゆかりの慈
尊院を経て、高野山町石道(ちよういしみち)を歩いて上がったのだが、今回は連れ合いが
同行したので、交通機関を利用して高野山に向かう。

 == 高野山奥の院に参拝 ==
 
 7時過ぎに自宅を出て、東京駅9時3分発の新幹線ひかり465号で新大阪まで行く。大
阪環状線の新今宮(しんいまみや)から、13時2分発南海高野線の快速急行に乗る。


 橋本から先は「こうや花街道」と呼ぶようになったようで、各駅の駅名標は新しくなって
いた。


 橋本市に接する九度山町(くどやまちよう)は柿の特産地。高度の上がった下古沢(しも
こさわ)駅付近から見下ろす集落にも、急斜面に柿畑が望まれる。



 終点の極楽橋駅から30度を超すという急勾配を上がる200人乗りの大型ケーブルカー
に乗り、5分で高野山駅へ。


 駅の気温は13℃で、この時期としては低い。


 さらにバスを利用して15時10分頃、終点の奥の院前バス停に着いた。

 予報では雨だったが、幸い雨は止んでいた。バス停近くの中の橋会館のコインロッカーに
荷物を預け、奥の院参道の東側に平行する参道を高野山奥の院に向かう。



 こちらの参道には新しい墓地が並び、近畿周辺の企業の墓地などが多い。英霊殿の近くか
ら、中の橋からの中心の参道に入った。


 背の高い老杉の間にこけむしたりっぱな五輪塔が並ぶ。加賀前田家や安芸浅野家供養塔、
法然上人墓所などの先に、徳川家康の二男、秀康の石廟がある。


 徳川秀康石廟↓



 肥前島原松平家墓所前を過ぎると、秀吉とその母、弟秀長など豊臣家一族の墓所が、さら
に先には織田信長の墓所があった。






 水向地蔵の並ぶ御廟橋の先は、弘法大師御廟のある奥の院。


 ここからは写真撮影禁止で、脱帽してお参りをする。弘法大師御廟前で般若心経を唱え、
無事四国遍路が結願できたことに感謝し参拝する。

 中の橋案内所のところまで戻り、奥の院バス停からバスで千手院橋バス停まで乗る。壇上
伽藍(だんじょうがらん)の御影堂(みえどう)北側にある西禅院宿坊に16時42分に着
いた。この宿坊は、前回に続き2度目の宿泊になる。


 予約した部屋は2階、宿泊者が少ないからか、ふすま仕切りの2部屋を用意してあった。
4年前泊まったときにはなかった、液晶テレビもある。夕食は18時から、二つの膳に盛ら
れた精進料理を美味しく頂いた。


 この日は、部屋にも石油ストーブが必要なくらいに冷え込んだ。でも、宿坊の若いお坊さ
んが、就床前に小さめの湯たんぽを届けてくれた。

 おかげで、暖かく眠りにつくことができた。



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高野山へ四国遍路のお礼参りに

2012-04-19 21:54:29 | Weblog
 昨年3月に結願した3度目の四国遍路の、高野山へのお礼参りがまだ済んでいません
でした。

 以来もう1年1か月余り経過してしまいましたが、明日、4月20日(金)~21日
(土)にようやくお礼参りに行くことにしました。

 21日は京都に泊まり、22日(日)には市内を観光して夜帰宅の予定です。桜の花
見ができそうなとこがあれば回って見たいと考えています。でも、雨では花の色合いは
あまり期待できそうにありません。

 3日間とも雨の予報なので、あまりあちこち巡れないかもしれませんが、いずれにせ
よ自宅を留守にしますので、次のアップは23日(月)以降になります。

 以下は、前回お礼参りに行った2008年11月3日の高野山の建物の幾つか。













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カタツムリ歩行 JR武蔵野線・総武線 西船橋駅

2012-04-18 22:02:34 | カタツムリ歩行
 4月16日(月)~17日(火)、中学校の同窓会に参加したためアップが遅れまし
たが、4月15日のカタツムリ歩行のレポートです。

========================================

 2012年4月15日(日)

 JR武蔵野線周辺を歩く「カタツムリ歩行」の第213回例会に参加した。集合はJR
武蔵野線と総武線とが交差する西船橋駅。この駅は、21年前の第1回の出発地である。

 第1回の時に歩いたコースレポートの地図があったので、そのコースをたどることにし
て、10時5分に出発した。

 駅北口から西船4丁目に入り、国道14号の北にある春日神社に行く。


 石段の左側にあるこま犬は、積み重ねた溶岩の下部に子犬がいて、上の母犬は下の子犬
を見下ろす珍しい造りになっている。


 右のこま犬のそばには、この地の土地改良のことを記した「かつしか田圃の記」という
記念碑があった。


 記念碑の横には、カシの古木が立っていて、神社の長い歴史が感じられる。


 JR武蔵野線のガードをくぐって東側に抜けたあたり、北が低地になった住宅の北側に
ほかでは見たことのない、高く刈り込んだ屋敷林があった。


 近くの民家の母屋(おもや)は、第1回例会当時からずっとかやぶき屋根だったとのこ
とだが、今年になって建て替えられたとか。庭先の納屋だけがかやぶき屋根で残っていた。


 東側の西船1丁目には、住宅地の間に結構広い農地が残っていて、畑の隅のイチョウが
新芽を見せ始めている。


 畑の向こうにかなり細長い平屋が見える。独身寮でもあるのだろうか…。


 北に向かい、京成電鉄の踏切を越える。民家の庭のカルミヤ(西洋シャクナゲ)が満開
になっていた。


 住宅が尽きるあたりにナシ畑があり、花がかなり開花している。


 これはモモの花だろうか?


 並行して走る2本の送電線の北に回った。畑の隅に広葉樹の小さい森が残り、その向こう
には新しい高層住宅が建っていて、このあたりの都市化が進みつつあることが感じられる。


 台地の東端近くまで進むと、東側低地に並ぶ住宅団地が望まれる。


 ビニールハウスの向こうにも住宅団地が広がっている。この周辺の農地が10年後にも残
っているのだろうか…。


 公営住宅らしい西船橋グリーンハイツの間を進んで、円形の道路の真ん中を貫く広い通り
を中ほどまで進む。両側が公園になっていて、真ん中の道路をまたぐ陸橋の手前に、記念碑
があった。

 「船橋無線塔記念碑」で、円形道路に囲まれた一帯が、かつて海軍の無線電信施設があっ
たところだという。

 記念碑には、以下のように記されている。

「ここ下総台地の一角にかつて無線塔が聳(そび)えていた。大正4年(1915年)に船橋海
軍無線電信所が創設された。大正5年にはハワイ中継でアメリカのウイルソン大統領と日本
の大正天皇とで電波の交信があった。広く平和的にも利用されたのでフナバシの地名がは
めて世界地図に書きこまれた。大正12年(1923年)の関東大震災の時には救援電波を出し
て多くの人を助けた。昭和16年(1941年)の頃には長短波用の大アンテナ群が完成し、太
平洋戦争開幕を告げる「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電波もここから出た。船橋のシ
ンボルとして市民に親しまれていたが昭和46年(1971年)5月解体され栄光の歴史を閉じた。

 陸橋を渡って、東側の行田公園に入る。



 広葉樹の並ぶ一帯の向こうに広々として芝生広場があり、ソメイヨシノがまだ咲き残っ
ていた。



 芝生広場を東に抜ける。モミジが軟らかな芽吹きを見せている。


 公園の東側にある、諏訪神社と稲荷神社の境内に入った。

 ここまで取材で同行していた、船橋読売の記者の方(左隅)がここで帰られた。今日の
ことは、近く発行される船橋読売新聞に掲載されるという。

 境内南側に、赤ちゃんにおっぱいをあげている姿の、珍しいお地蔵さんが祭られていた。


 ゴールに向かうため、散在する住宅や畑の間の細道を西北に進む。畑の隅に色鮮やかにハ
ナモモが咲く。


 無線塔記念碑の横から伸びる新し道路を横断したところには、色鮮やかな桜が。河津桜だ
ろうか…。


 上山町の斜面に残る、緑豊富な上山公園が今回のゴール。12時13分に着いた。


 昼食を終えて記念撮影後、ミーティングに。第1回など前半の例会に参加されていた方が
久しぶりに参加されたので、ご挨拶を頂く。


 前日に日本一周歩き旅から帰ったやまさんからは、今回のしまなみ街道から愛媛県宇和島
までの行程の、見どころなどの報告があった。


 13時10分過ぎに散会となる。私は帰路を、公園の横を走るJR武蔵野線の西側に回り、
中山競馬場に沿って東から南へ。古作3丁目、西船7丁目、西船5丁目などを経て、14時
30分に西船橋駅に戻った。

(天気 晴、距離 5㎞(帰路含め8㎞)、地図(1/2.5万) 船橋、歩行地 船橋市、
 歩数 8,300(帰路含め14,900)) 



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山浦正昭さんNHKラジオで歩き旅の魅力を語る

2012-04-15 18:13:57 | ウオーキング
 カントリーウオーカーで青少年国際野外旅行研究会の代表でもある、「やまさん」こと
山浦正昭さんが、NHKラジオ第1放送で4月24日(火)の16時から、歩き旅の魅力
について語ることが、正式に決まったようです。

 なお、この日を挟んで4月23日(月)から25日(水)までは、同じ時間帯で歩きに
ついての特集番組となるようです。

 歩き旅についてご興味のある方は、ぜひ当日のラジオを聴取してみて下さい。

 ちなみにやまさんは、3月21日の当ブログで紹介したように、3月22日(木)から
4月13日(金)まで日本一周の歩き旅の続きで、しまなみ街道から四国に渡り、今治か
ら松山、大洲、佐多岬往復後、八幡浜を経て宇和島までの行程を、パートナーの敬子さん
とともに計画通り歩き終え、昨日、東京へ戻り、今日、4月15日にはカタツムリ歩行の
例会にも参加されました。

 旅の途中で愛媛新聞の取材を受け、3月30日(金)と4月13日(金)の紙面に掲載
されたとのこと。今日、そのコピーをもらいましたので、以下に紹介します。

==愛媛新聞 3月30日(金)==


==愛媛新聞 4月13日(金)==


 この歩き旅は、四国遍路の人とは逆打ちの行程になるので、あちこちで会ったり、同宿
したりしたが、予想以上に歩き遍路の人が多かったとのことでした。

 なお、カタツムリ歩行の例会模様については、別途アップします。



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所沢航空記念公園の桜(埼玉)

2012-04-14 15:15:18 | 所沢だより
 2012年4月12日(木)

 快晴で温かな日和になったので、市内ウオーキングで所沢航空記念公園に花見を兼ねて
出かけました。

 西武新宿線の航空記念公園駅から所沢航空記念公園に向かう陸橋の南西側、線路に近い
ところのソメイヨシノ。


 陸橋を渡った北側、市立図書館前の芝生のあたり。


 日本最初の飛行場の滑走路だったところに造られた沈床茶園付近から、航空発祥記念館
前に置かれている、もと航空自衛隊のC-46輸送機方面を眺めたところ。


 同じあたりから北方を見上げると、大きなヤナギの若葉がみられます。


 そばのソメイヨシノの下からの所沢航空発祥記念館。






 沈床茶園の南側からの北側のソメイヨシノ群。アンテナ塔は、公園の北側にあるNTT
東日本のもの。


 公園の中央にあるロータリーの方に向かいます。右端はロータリーの中心に立つ放送塔。


 沈床茶園の東側には、飛行機をかたどった植え込みのモニュメントがあります。


 ロータリーの北側を囲むソメイヨシノも満開。






 ロータリーの東側にシバザクラの花園があり、その向こうに2本、シダレザクラがかな
り見ごろになっていました。


 こちらはソメイヨシノ。


 北側のシダレザクラ。


 南側のシダレザクラ。少し淡い色ですね。








 近くのソメイヨシノの下で食事中らしい家族。


 子ども冒険広場の東側には、背の高いヤナギがやわらかな彩りを見せています。


 北側の広場の隅にある木村・徳川両中尉記念塔周辺。

 2人は1913年3月、所沢飛行場に帰還途中に墜落し、わが国最初の航空事故犠牲者
になりました。

 時計塔のあるロータリーの、もう一つ東側にあるロータリーに上がる斜面の桜。


 木の下を通過するウオーキングコースには、いつも多くの人が歩いています。








 園内東南端にある池の西側付近。


 池の東側から上がる緩やかな斜面にも、ソメイヨシノの古木が。


 この日が、所沢では今年一番の花見日和だったように思われます。



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北本の花巡り(その2)(埼玉)

2012-04-13 18:44:48 | カントリーウオーク
 2012年4月10日(火)(続き)

 荒井4丁目の住宅地に、たくさん庭石を積んだりっぱな庭の民家があり、その隅で
モクレンが見ごろになっていた。


 県道33号を越えて高尾8丁目に入る。古くからの集落の横を通過して行くと、プラ
ムだろうか白い花の果樹園が幾つか見られる。


 北向地蔵の立つ小さい三差路に、背後の南側から回った。

 享保14年(1729)の建立。願い事を叶えてくれる地蔵として有名で、泥の団子
を供えて願いが叶ったら米の団子をあげる習慣が、現在でも続いているという。

 少し先には須賀神社と氷川神社、それに氷川神社の境内になるという斜面下の弁天池
に祭られた厳島神社の三つが、三差路を挟んで相対している。

 正面の氷川神社の、ソメイヨシノもかなり開花が進んでいる。

 氷川神社は貞観11年(869)の創建。素戔嗚尊(すさのおのみこと)ほか6つの
神様を祭っている。

 西側斜面下、厳島神社側のモミジの新芽が紅葉のように色鮮やか。


 西に少しの民家の横から谷間に下ると、県のトラスト保全地域第8号地になっている
「高尾宮岡の景観地」である。

 大宮台地の浸食により形成された、谷津とそれを囲む斜面からなり、二か所の湧水が
あるという。

 湿地の向こうの広葉樹林を眺めながら景観地の遊歩道を西に抜けて、北本市野外活動
センターへ。野外活動、体験学習などを通しての健康増進を目的として建設された施設
で、キャンプ場や多目的ホール、体験学習室、入浴施設などがある。

 手前の黄色は、レンギョウの生け垣。

 センターの西端まで進み、北側の民家の横の細道を抜けて、高尾さくら公園に入る。


 園内には、全国から集められた桜30種約200本が植えられているが、まだ若木が
多く、これからしばらくは年々花の勢いがよくなるのではないだろうか…。

 好天に誘われ、家族連れなど花見の人出も多い。

 エドヒガンザクラも、見ごろになっている。


 南側、斜面に面した一帯には、シダレザクラが花を競っていた。






 台地の終わる西側からは、広々とした麦畑の向こうに、荒川左岸堤防に咲くナノハナ
の帯が遠望できる。




 数は少なかったが色鮮やかな木は、「陽光」と呼ぶ品種のよう。




 さくら公園を北に抜けると、阿弥陀堂の東側の民家に咲くシダレザクラが目に入る。


 阿弥陀堂の山門(右)とお堂(左)。山門にははしごが置かれていて、鐘楼になって
いる2階に上がることもできる。

 阿弥陀堂は、中世の館である大宮館の跡だといわれているという。

 お堂の背後の墓地に、北本市天然記念物に指定されているエドヒガンザクラの大木が
ある。




 山門近くに戻ると、東側の民家のシダレザクラが西日を浴びて、よい彩りを見せる。


 山門前の道を北に下った民家の山林にカタクリが咲いていて、「高尾カタクリ自生地」
として保護されている。



 カタクリも、ちょうど見ごろ。


 傍らで、ニリンソウも花を開き始めていた。


 北側の民家の庭先では、ボケが花盛り。


 カタクリ自生地への下り口付近は、ショカッサイが花を競っている。


 阿弥陀堂に戻り、東側すぐのところには、古墳時代住居跡や奈良時代住居跡などが確認
されたとい「阿弥陀堂遺跡」の発掘跡が保存されていた。


 氷川神社や厳島神社のある三差路に戻って県道33号に出て、石戸小学校バス停に16
時12分に着き、間もなく来たバスで北本駅に戻った。

(天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 鴻巣、歩行地 北本市、歩数
 16,200)



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