あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

紅葉が見頃な所沢航空記念公園へ(埼玉)

2018-11-30 10:07:52 | 所沢だより
 2018年11月29日(木)

 このところ、週に2~3回所沢航空記念公園へ市内ウオーキングに出かけていますが、
園内の紅葉が見頃になってきているので紹介します。

 公園の西北端に近い、所沢市立図書館付近のソメイヨシノはほとんど葉を落としており、
この木はわずかに残るひとつです。


 その南側、航空公園駅に向かう歩道橋近くのモミジ。








 その辺りから東側を望むと、公園の中心にある放送塔周辺の彩りが。


 日本庭園入口付近のモミジ。


     

 日本庭園の入口を入ったところと、茶室「彩翔亭(さいしょうてい)」の前では、トナ
カイが出迎えてくれました。
    




 日本庭園内の南西側にありモミジも、ちょうど見頃です。




    

     

 付近のミズキなどの彩り。


     

    

 池に落ちる滝やその周辺。


         



 日本庭園を北東側から出ました。放送塔のそばにあるC-46型輸送機周辺の眺め。


 放送塔の南西側にあるイチョウはかなり落葉が進みました。
 

 放送塔を囲むロータリーのソメイヨシノとイチョウ。


     

 サザンカ


 放送塔の南東、花の丘から梅林に向かって下って行くと、モミジの落ち葉がいっぱい。
     



 南側、梅林近くのモミジがまさに見頃に。










 1本の木でも赤と黄色い葉が。







 航空記念公園を南口から出て、所沢駅方面に向かいました。  
 





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カタツムリ歩行同窓会で新鎌ヶ谷駅周辺を歩く(千葉)

2018-11-28 17:45:35 | カタツムリ歩行
 2018年11月18日(日)

 昨年末で終了した「カタツムリ歩行」の第3回同窓会に参加した。集合は東武アーバン
パークラインの新鎌ケ谷駅。北総鉄道と新京成電鉄の新鎌ケ谷駅とも立体交差している。

 今回担当のIさんから地図をもらい、9時52分に駅を出た。


 東口をすぐ、道路上に「東経140度線」と記された線があり、そばに円形の説明パネ
ルもある。
     


 それによれば、東経140度線は鎌ケ谷市の真ん中を走り、国内では宇都宮、会津若松、
八郎潟など、北はロシア、南はミクロネシアやパラオ、インドネシア、オーストラリアを
通っているという。

    
  
 すぐ先の通りを南へ、高架化工事中の北総鉄道と新京成電鉄の下を南に抜け、次の交差
点を左折して鎌ケ谷市役所の北側を東進する。



 国道464号と右カーブしてきた新京成線を再度横断して、中央一丁目から二丁目へと
住宅街を進む。あちこちの民家でミカンが色づいている。



 南初富一丁目でコミュニティバスの走る通りに入ると、ナシ畑が現れた。葉は残るが実
はすでに無い。ナシ畑の片隅にもミカンが何本か実をつけていた。



 東初富一丁目からは、畑の向こうに平地林が望まれる。バス通りの標識に従い細道を南
に入り、珍しい名の鴻徳(こうとく)神社へ。



 昭和57(1982)年10月に鎮座した新しい神社で、鎮守の森は無く明るい境内。
祭神は食物の神、御饌津大神(みけつおおかみ)を祭るとか。社殿横に独特の形の絵馬が
たくさん奉納されていた。


 社務所では書道教室や学習教室を併設していて、近在の方々の教育にも貢献しているよ
うだ。

 その先、瓢箪(ひょうたん)集落でバス道路を離れて南東に進み、広い車道に突き当た
って北東へ、近くにあるはずの神社を探すが見当たらない。


 道路の東側は、4面の野球グランドがある白井市の「冨士南園広場」で、各グランドで
少年野球チームが練習をしていた。


 グランド北端近くの交差点を左折してバス通りに戻り、少し先で北西に延びる旧道へ。
ナシ畑の間を進んで右左折をくり返し、「里山友の会」が管理する竹林沿いを進む。


 広い通りに出ると、西側に「福太郎アリーナ」と呼ぶ鎌ケ谷市立体育館が望まれる。


 北進して、東西に走る国道464号の東行、西行斜線が分離し、その間を走る北総鉄道
がトンネルになるところを横断する。


 さらに進んで落山集落にある八幡神社の森に入る。由緒などは記されてないが、境内南
側にたくさんの青面金剛と庚申塔、そして少しの二十三夜塔が並んでいる。

 その中の年号を見ると、文化14(1817)年、宝暦8(1758)年、享保11
(1726)年などが確認できた。


 右手の小さいほこらには、「女人講中」と刻まれ子供を抱いた石像が祭られていた。

 境内を西に出ると、南北に滑走路の走る「海上自衛隊下総航空基地」の東側で、基地は
ぐるりと厳重な金網で囲まれていた。
     


 基地を眺めながら基地沿いを南から西へと回り、滑走路などを遠望する。


 基地の南西端で折り返して南へ、国道464号の2本の車道を、信号が無いが車の途切
れを待って横断し、ゴールの市制記念公園へ北口から入る。


 野球場の西側を回り、先着の皆さんの待つベンチ付近に12時3分に着いた。晴天の昨
日は暖かだったが、今日は雲が多くて木陰の多いベンチ周辺はうす寒い。


 公園の西側は低地になっていて、大雨の時の調整池のよう。現在はアシが生い茂り水面
は見えない。間もなくほかの皆さんも相次いで到着した。


 昼食を終えた頃、野球場では「鎌ヶ谷警察署長杯少年野球大会」の開会式の行進が始ま
った。


 私たちも記念撮影とミーティングをして、13時20分頃散会した。

 

 帰路は、午前中回れなかった北西側を巡ってみることにした。市制記念公園の北口を出
て、2本の国道464号の北に広がる粟野(あわの)地区公園(粟野の森)の西端近くの
林間を北に向かう。
    

 この公園は、粟野地区の人たちが営々と守り続けてきた鎌ケ谷市内に残る最大の森のよ
うで、樹林地は約5.1㏊、途中に約500mの観察路もある。
     

         
 北西端まで進んで車道に出た。粟野集落を南西に少し、北西への細道を入ると林の中に
「三十番神」と呼ぶ小さなほこらが祭られていた。
     
 そばにケヤキの大木が3本あり、周辺は竹の侵食が進んできている。

 県道8号に出て南進し、次の粟野十字路交差点を右折して南西へ。この周辺にはナシ畑
が多く、沿道の民家ではナシの直売もしており、「梨御殿」ともいえるような立派な民家
が並んでいる。




     
 東武アーバンパークラインの踏切を越えたすぐ先に、八坂神社がある。



 境内はケヤキの高木などが鎮守の森をつくり、その下にたくさんの庚申塔が並んでいた。

 ここ粟野は民俗的行事が多く残っていて地域の結びつきが強く、その中でも庚申講は江
戸時代から継承されているとのこと。

 その庚申講により、江戸前期の元禄12(1699)年から340年間も途切れること
無く庚申塔が建てられ、特に文化12(1815)年から現在までは、5年おきに1基と
いう規則性を守って建てられているという。

     
 道路を隔てた北側の民家には、たくさんの柿が実る。すぐ先の畑からは、新鎌ヶ谷駅周
辺の中層マンションなどが望まれる。



 つぎのY字路を右へ、ススキ咲く小さい流れの先に豊作稲荷神社があった。

 明治2(1869)年、明治新政府が幕府の馬の牧場だった広大な下総牧(しもうさま
き)を廃止し、江戸の職を失った人々救済対策として開墾事業を実施したが、この開墾を
政府と共に担った豪商、湯浅七左衛門が、開墾地初富の農作物の豊作を祈り、京都の伏見
稲荷を勧請して明治6年に建立したのだという。


 少し戻り、ナシ御殿やナシ畑の多い初富(はつとみ)集落を南西へ。柿実る民家やキク
の咲き競う畑もある。






 早くもクリスマスの飾り付けをした初与園というナシ直売所の角を曲がり、北初富駅方
向に向かう。


 北初富近くまで進んで光円寺へ。本堂は大きく、右手前には小さいが精巧な五重塔があ
る。


     

         
 境内の植栽はよく手入れされ、純白のサザンカが咲く。
    

 左手には「土地記念講碑」が立っていた。

 明治政府の殖産事業の一環である初富開墾は、入植者のほとんどが農業未経験者だった
のと、耕地が火山灰地なので非常に困難なものだったよう。

 その開拓者の子孫が祖先の生活を忘れないようにと、大正から昭和にかけて記念講を結
成し、芋がゆをすすって祖先をしのび、共に励まし合い、豊かな農地への発展を成し遂げ、
開墾50年を記念して大正7(1918)年に建立したという。


 高架化工事中の新京成線の新初富駅に15時11分に着き、3分後の上り電車で松戸駅
に向かう。

(天気 晴一時曇、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 白井、松戸、歩行地 鎌ケ谷市、
 白井市(少し)、歩数 20,400)  





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熊谷市南郊、知恵の文珠寺や大沼公園周辺を歩く(埼玉)

2018-11-26 16:30:50 | カントリーウオーク
 2018年11月17日(土)

 立冬から10日過ぎたが暖かな今日は、カントリーウオークグループの第258回例会
に参加した。

 JR高崎線熊谷駅に集合して10時10分発東松山駅行きバスに乗る。国道407号の
荒川大橋を渡り、下恩田バス停に10時37分に着いた。

 東松山駅からのバスで逆行して先着した私も皆さんと合流する。

 == 畑や栗林などの間を文珠寺へ ==


 東側の小さい流れ沿いを北西に少し進み、地蔵堂の横で国道を横断して西に向かう。地
蔵堂には、宝永6(1709)年造立のお地蔵さんが祭られていた。
     


 台地に向かう坂道からは北に、熊谷市中心街方面が望まれる。台地上は畑が広がり、そ
のひとつに遅咲きのヒマワリが咲いていた。


 何か分からぬが、小さな黒い実が円形についた作物の畑もある。
   

 畑の畦(あぜ)には狂い咲きか、もうホトケノザがあちこちに咲く。キャベツ畑の横を
過ぎて楊井(やぎい)集落に入ると、たくさん枝を伸ばしたエノキの古木が立っていた。
     
 
周辺の民家には、ユズなど柑橘の実が色づいている。


 南北に走る県道173号ときがわ熊谷線に突き当たり、その前後は林間を南から南東へ
と折り返す。楊井集落を南北に貫く道を南へ、
     

 民家の横にたくさんのサザンカが咲いていた。



 近くの畑では家族揃って大根などを収穫中。沿道にはキクの花があちこちで見られる。


 500m近く南進して西へ、まだ葉の残る栗畑の農道を南西に抜けて茅原集落の車道へ。



 西に少しで県道173号線をこ道橋で越え、野原(のはら)集落に入ると種々の色のキ
クが咲き競う。
     



 すぐ先に昼食地の五台山文珠寺(もんじゅじ)があり、11時58分に着いた。

 江戸中期の建築とされ熊谷市指定文化財の山門を入ると2階建ての鐘楼門があり、その
下を抜けた正面が本堂である。




 ここ野原の文殊寺は、京都の切戸(天橋立)文殊、山形の亀岡文殊と並ぶ「日本三体文
殊菩薩」のひとつで、「野原の文殊さま」や智恵の文殊寺で知られている。

 「三人寄れば文殊の智恵」のことわざ通り、文殊菩薩は智恵をつかさどる仏さまで、昔
から学業成就の願いを求めて県内外から多くの人々が訪れるという。


 本堂前にウサギが支える大理石のベンチがあり、本堂にはたくさんの千羽鶴が下がる。


 本堂前には合格祈願の絵馬が、たくさん奉納されていた。


 気温が上がり暑さを感じるので、南側の木陰で昼食とする。

    
 境内には、可愛らしい洗心童子像やウサギを抱えたお地蔵さん、「大誓願」額のかかる
お堂に奉納されたたくさんのミニこけしなどが目につく。
              




      
                
 ほかに、今年2月に地元熊谷にて98歳で亡くなった金子兜太(かねことうた)の句碑、
聖徳太子の塔、背後の林には地蔵菩薩半跏像、文化13(1816)年建立の芭蕉句碑と
芭蕉翁塚などがあった。
         

             



                      


 記念撮影をして、12時58分に午後のコースに向かう。

 == 和田川沿いなどを大沼公園へ ==

       
 アカマツなどの茂る境内林を西に抜けて立正大の南側に出て、南南西へと畑の間を進む。
「大久保農園」の看板の南側の畑では、おばあちゃんが大型耕運機で種まきをしていた。



 門前集落の西側で南に向かい、熊谷市と滑川町の市町境の和田川を渡る。



 南に平行する小さい流れ沿いを少し進むと、乗馬学校の建物と馬場があったが、馬は1
頭も見ることはできない。


 馬場際の日陰で小休止した。そばの大きな民家、K邸には干し柿がたくさん吊してある。


 再び和田川の北に戻り、突き当たりの八幡神社境内の日陰でもう一度休憩して水分補給
する。

 野原神社の創立年代は不明だが、寛永20(1643)年に社殿を造営し、宝暦11
(1761)年には領主の命で本殿の工事をした記録があるようだ。

 神社の背後から西方にかけて「野原古墳群」と呼ぶ古墳群があり、昭和初年には30余
基を数えたが、現在は20数基とか。だが一見してもそれらは確認できない。ここから出
土した「踊るはにわ」は、国立博物館が所蔵するという。

 神社前の田んぼから西方に、特徴的な凸型のピークなどの山並みが望まれる。

        赤久綱山        東御荷鉾山 

 秩父の武甲山(ぶこうさん)周辺かと思われたが、帰宅後にフリーソフト「カシミール
3D」で確認したら、西上州、神流川(かんながわ)沿いの東御荷鉾山(ひがしみかぼや
ま)(1246m)から赤久綱山(あかぐなやま)(1522m)にかけての山並みだった。


 ひこばえの伸びた田んぼに沿って400m余り進み、北西に延びる山林と田んぼの間の
静かな里道へ。



 その田の水源となるため池の横からゴルフ練習場沿いに進む。新しいソーラパネルがた
くさん並ぶ南側を過ぎると、ラジコンカーの専用コースがあり、急カーブと起伏の多いコ
ースを巧みに操縦するグループがいた。

 しばし眺めて戻り、南側の新田集落沿いを西進する。北側の屋敷林を背にして住宅があ
り、南側は畑になっていて、住宅に向けて私道がくしの歯のように並ぶ。



 県南・三芳町や所沢市など三富新田(さんとめしんでん)のミニ版のような屋敷配置に
なっていた。


 その西端から、キクや皇帝ダリアなど咲く民家の横を北に少しで大沼公園の東端に出た。


    
 北側に回って民家にきれいなキクの咲く先から中の島を渡り、弁天堂に参拝する。
     

 お堂の傍らに、県指定文化財「嘉禄三年銘板石塔婆」の復元品があった。嘉禄3(1227)
年の板石塔婆(いたいしとうば)は日本最古のものという。
         


 沼の西端から林間を北西に抜けて県道7号熊谷小川秩父線に出る。折り返すように東進
して、旧江南町(こうなんまち)の中心部の大沼公園バス停に15時ちょうどにゴールし、
15時19分発熊谷駅行きバスに乗る。

 休憩時には木陰を選んだこの日の暖かさ、熊谷の最高気温は20.3℃度だった。

(参加 12人、天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 三ヶ尻、熊谷、歩行地
 熊谷市、滑川町、歩数 17,100)





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所沢市で埼玉西武ライオンズ パリーグ優勝パレード

2018-11-24 18:28:37 | 所沢だより
 2018年11月23日(金・祝)

 球団創設40年という節目の今年、10年ぶり22回目のパリーグ優勝を果たした(日
本シリーズ進出は2位ソフトバンクホークスに譲る)プロ野球埼玉西武ライオンズの優勝
パレードが所沢市内で開催されたので、見に出かけました。
     

 スタートは西武鉄道池袋・新宿線の所沢駅西口を午前11時で、ゴールの元町コミュニ
ティ広場前までの約1.2㎞をパレードして12時に到着予定です。


 私は、ゴール間近の所沢の観光拠点である「野老澤町造商店(ところさわまちづくりし
ょうてん)」(通称「まちぞう」)前に10時30分近くに着いたのですが、すでにかな
りの人が並んで待っていました。




         

 北側のマンションからも高みの観覧する人が。


 万一のトラブルを避けるため、沿道には所沢市のマークをつけた人や警官などがたくさ
ん動員されています。


 11時から所沢駅西口前で優勝報告セレモニーを行い、辻発彦監督や増田達至選手会長
の挨拶などがあり、パレードは11時30分頃所沢駅西口ロータリーを出発した模様です。

 待ってる間、少し風があり日陰でもあったので寒さを感じながらじっと立っていました。


 12時近く、ようやく先導のパトカーが姿を現し、続いてライオンズのマスコットキャ
ラクターのレオちゃん、ライナちゃんなどが続きます。
       

            




 先頭のオープンカーには、後藤高志オーナーと辻発彦監督が。


 2台目は居郷社長と選手会長の増田達至選手のよう。



 続いて3台のスカイバスに選手が分散して乗っていました。まず1台目





 2台目





 3台目と続きます。






 パレード最後尾の警察車輌


 熱狂的ファンは、「辻さーん」「松井さーん」「菊池さーん」「森さーん」などと間近
に来た監督や選手に声をかけていましたが、私は辻監督以外は誰が何号車に乗っていたの
かほとんど確認できませんでした。


 バスはゴールの元町コミュニティ広場前に到着して、しばらく止まっていました。


 その方向に観客が続々と移動してくるので、私は近くの細道から南に抜けだして所沢駅
方面に向かいました。


 所沢駅西口に通じるプロペ通りは、駅に向かう人で普段とは違う賑わい。沿道の食堂な
どの多くも列を作っていました。


 ちなみに、パレード沿道に集まったたファンなどは約7万2千人とか(ライオンズ広報
部発表)。もちろん市外、県外から駆けつけた人もかなりの数でしょうが、所沢市の人口
(34万人余り)の約5分の1弱が集まったことになります。





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狭山市立博物館での吉田博展観覧と市内の社寺巡り(埼玉・狭山)

2018-11-19 16:44:43 | ウオーキング
 2018年11月14日(水)

 開催期間が残り少なくなったので、狭山市立博物館で開催中の『日本風景画の巨匠 吉田
博展』の観覧に出かけた。

 西武池袋線の稲荷山公園駅に10時30分に着いた。西北に広がる狭山稲荷山公園の桜
の紅葉が見頃。


 クロガネモチだろうか、赤い実をいっぱい付けている。



 線路沿いを4分ほどで会場の狭山市立博物館に入る。入館料は普段150円だが、今日
は「埼玉県民の日」で無料だった。
     
  
 最初に、同時展示している1階の関連企画「吉田博と吉田興文」を観覧する。

 吉田興文は吉田博の孫で昭和20(1945)年生まれ、吉田博と同様の風景水彩画家
で地元狭山市に在住されているという。



 展示作品の中には、狭山市内や埼玉県内の風景も幾つか見られた。


     
  
 そのあと2階の特別展示室での「日本風景画の巨匠 吉田博展 ~山と水と桜の画家~」
を観覧する。館内は撮影禁止なので、もらってきたリーフレットに掲載の作品を紹介する。
    
 展示作品は、明治32(1899)年頃制作の「雲井桜」から、昭和14(1939)
年制作の「三渓園」までの年代にわたる37点。
         
  
    

         

 作品の対象風景は国内の弘前城から沖縄風景まで全国各地と、アメリカをはじめフラン
ス、スイスなどヨーロッパや、インドなどに及んでいた。


 特別展の観覧後は常設展示室に回ると、「入間川(いるまがわ)と入間路 -その自然
と風土-」を基本構想とした、狭山市内の歴史や文化、産業、伝統行事などに関する幅広
い展示物があり、懐かしいものも多く興味深く一巡した。







 11時42分に博物館を出た。北側に広がる狭山稲荷山公園内の園路を半円形に右回り
しながら園内を眺める。


 北西に伸びる木道を下って愛宕神社の横から公園を出た。国道16号に入り南西にすぐ、
小さな社殿の第六天神社前を過ぎる。
     
  
 300mほどで北側に並行する旧道に回って西へ、すぐ先Y字路際のマンション構内に
標高62.1mの水準点が目につく。
             

 その先を直進して間市に入って霞川の橋を渡り、突き当たりの蓮華院に南から回り込み、
弁天池の間から広い境内に入る。



 本堂にあたるのだろうか突き当たりの観音堂は、正面5間、奥行6間、総ケヤキ宝形造
り(ほうぎょうづくり)の大きな建物。虹梁(こうりよう)や欄間(らんま)には精巧な
彫刻が施されていた。


         
 正面に下がる鰐口(わにぐち)は、直径約38㎝、重さ約5.25㎏、室町中期の寛政
2(1461)年の作品とか。もとは比企郡鳩山町の千手堂に奉納されたものらしいが、
ここに伝承された理由は定かではないらしい。

              
 観音堂前には背の高いイチョウが立つが、まだ黄葉はしていない。ほかにケヤキの高木
など境内は豊富な木々に覆われている。

         
 境内には、市内扇町屋で殺された彰義隊士を供養する彰義隊遭難者の碑付(つけたり)
地蔵や、江戸時代前期の念仏信仰の様相を示す延宝9(1681)年造塔で当地最古とい
う「千日回向名号塔(せんにちえこうみょうごうとう)」↑があった。

 もとの旧道を狭山市内に戻り、さらに東進して長栄寺へ。この寺にもイチョウの古木が
立っている。


 本堂前に新しい「健脚観音」が立ち、「健康念じてまず一歩、幸せ願ってもう一歩」な
どと記されていたので、本堂に参拝後あわせて祈願した。
         

 近くには「健康の碑」もあり、背面に「毎日万歩歩き 千字かいて 百回深呼吸」と刻
まれている。
    

 狭山鵜ノ木郵便局の先まで進み、入間川の広瀬橋から伸びた通りを南に少しで国道16
号に入る。すぐ東側に「麺処 更科」があった。

 13時近かったので入り、とろろせいろそばを注文して昼食とした。
    


 次のT字路を右折して南側台地下から階段を上がり、狭山稲荷山公園の東北部へ。


 西北方から北側、東北方にかけての大展望が広がり、左手には奥多摩北部から奥武蔵、
秩父の武甲山などの山並みが、そして正面はるかには赤城山かと思われる山容も望まれた。
                            武甲山


                          堂平山   笠山       


 赤城山?


 眼下の北斜面にたくさん植え込まれたツツジは、何株もが狂い咲きしている。


 さらに円塔タンクのある配水場の先まで進み、狭山市立中央児童館のプラネタリウムの
そばを南側に下る。
     

 児童館前の皇帝ダリアが開花していた。


 その前を南下して配水場入口近くの豊川稲荷まで行き、「大正天皇御野立所の碑」を探
したが見当たらない。地図をよく見るとどうやら配水場の北側にあるようで、児童館に来
る途中で見落として通過したようだ。

 児童館前に戻りさらに先へ、北東に下って五差路の中央児童館東交差点を渡る。

 交差点北東側の小さいお堂に、「石黒坂の庚申塔」と呼ぶ青面金剛塔が祭られているよ
うだが、木格子の中でよく確認できない。
         

 北に進んで諏訪神社前を通過する。この社殿の両側にも2本のイチョウが立っていた。


 ちなみに、この神社では「お諏訪さまのなすとっかえ」という行事があるとか。8月の
第4土・日曜に行われる神事で、自分の畑でとれたナスを神社に納め、代わりに神社に供
えてあるナスをいただいて帰ることにより夏の病を避けることができたという。

 すぐ先を左折して国道16号に出た。その先は本富士見橋に伸びているが進まず、国道
の北東すぐ先にある清水八幡宮へ。

 小さい社殿前にイチョウのみ立つ狭い境内に「清水冠者源義高(みなもとのよしたか)
終焉(しゅうえん)の地」の立て札がある。その説明板によれば当時の社は無く、場所も
はっきりしてないようだ。

 入間川の新富士見橋から伸びる通りと交差する次の交差点まで進み、国道を跨道橋で越
える。跨道橋からの北側の展望。


 北東にあるスーパー・イオン横に下って小さい流れ沿いへ。次の橋を渡って八幡神社前
を通過、南側の通りを東進して天満天神社へ。
     
 社殿前にはやはりイチョウが立ち、境内には火の見やぐらも残っていた。

 道路を挟んで南側の徳林寺へは西側に回って境内に入る。武蔵野三十三観音霊場第17
番札所で、本尊は薬師如来のよう。



 大きな本堂正面の階段地下の建物に、日本各地から集めたというカエルの置物がたくさ
ん飾られていた。




 境内には地蔵堂や舎利堂などもあり、東側のジュウガツザクラが花を見せている。
    

 境内西側の小さい建物には、珍しいコレクションが並んでいた。全国の名高いトンネル
工事の奇石「貫通石」を公開しているのである。
 
 この寺の檀徒で役員の平山嘉一氏から寄贈を受けたものとか。「貫通石は護り石として
大願成就を期し、貫通(願いを貫き通す)の祈願として合格祈願や安産祈願、交通安全な
どの諸祈願を託したい」という思いが込められているようだ。


 よく見ると、北海道から九州までよくこんなに集めたと思われる各地のトンネルの貫通
石が並んでいて感心した。


         
 山門近くにはかわいらしいお地蔵さんが立ち、山門の外には交通安全地蔵もあった。

 中央図書館だトイレを借りてから東側に回って福徳院へ。本堂には不動尊が祭られてい
る。


 高台なので北側の展望が開け、その展望を背にして徳林寺中興開基の綿貫家一門の墓所
がある。


 墓地の東側には、綿貫家の邸宅内にあったという「西東」の碑もある。

 綿貫家は江戸中期にかなりの財力を蓄えた豪商で、江戸後期には「西の鴻池(こうのい
け)、東の綿貫」と並び称されたよう。


 武蔵野三十三観音霊場第17番札所であり、道路側には大きな露座の観音像と観音堂が
祭られていた。

 中央図書館前の交差点に戻り、西南側高台に上がって西側の芝生のみの公園を抜ける。
ここは旧入間川小学校跡のようで、西側の築山には卒業記念碑が残っていた。

 
 西端まで進んで車道に出て少し折り返し、色づく広葉樹に囲まれた八幡神社に入る。

 明日は七五三の日だが、一日早くお参りに来た家族連れも見られた。



 日が傾きやや冷えてきた。南に回って最後に慈眼寺へ。こちらは武蔵野三十三観音霊場
第16番札所で、本堂のほか「無量寺閣」額の掲げられたお堂や、壁付の鐘楼堂などの建
物がある。




 南東側の交差点から北東に進み、ゴールの西武新宿線の狭山市駅に15時44分に着く。

(天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 川越南部、歩行地 狭山市、入間市
(少し)、歩数 16,800)





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「西武トレインフェスティバル2018in南入曽車両基地」へ(埼玉・狭山)

2018-11-13 18:26:53 | 鉄道
 2018年11月10日(土)

 西武新宿線の南入曽(みなみいりそ)車両基地で開催された「西武トレインフェスティ
バル2018in 南入曽車輌基地」に今日のウオーキングをかねて出かけた。

 自宅を11時に出て、南入曽車輌基地には12時05分に入る。


 昨年までは8月下旬の土曜日に「南入曽車両基地 電車夏まつり」として開催されていた
が、猛暑のために今年からこの時期に変え、名前も変更したようだ。



 入口を入るとテントがあり、昼食する人などでいっぱい。その横には飲食物などを販売
するテントが並んでいる。



 まずは中央部にある車両基地の心臓部ともいえる大屋根の建物へ。手前側の線路では、
子供たちと綱引きをする車輌が待機していた。



 外に伸びているその車輌の反対側車輌には、西武拝島線50周年記念のヘッドマークが。
    




 再び建物内に入り、2000系車輌の床下の装置などが間近に見られるコーナーに回る。

    
  
    
 保護継電器箱:主制御器に大電流が流れた時に主制御器が故障しないように守るための
装置。

    
 制御器:運転台のマスコンを操作することにより動く装置。車に例えると、速度を速め
るギヤやエンジンブレーキをかける役目をしている。
        
    

 界磁チョッパ装置:電気を高速で入り切りして、モーターに流れる電圧を制御する。



 建物の中央部では、2019年3月に西武池袋専用にデビューする新型特急車両
「Laview」(ラビュー)のパネル展示が。
     
 
 ちなみに、この最初の編成は最近池袋線小手指車両基地に配備されたようなので、次の
日の正午頃行ってみたが、試運転に出ているのか出庫していて見られなかった。

     
 建物から外に出ると、近くに「軌陸車」と呼ぶ、線路も道路も走れる整備用車両があり、
子供限定での乗車体験ができるよう。
         


 基地の中心部南側にある休憩車輌に入り、先頭部運転台などから基地内を眺めた。








 そのあと、西側に並んでいる車輌群を順次眺める。一番手前は「ぐでたまスマイルトレ
イン」と呼ぶ車輌で、「たまご」をモチーフとした30000系のスマイルトレインが、ぐで
たまとコラボした車両。ぐでたまの可愛らしいイラストが側面に描かれている。







 その横には最新車輌など人気車寮が並んでいるので、カメラやスマホを構える人でごっ
た返している。






    







 こちらは、お子様限定のレールスター乗車体験中。



 ちょうど1時間観覧して、13時05分に入曽車輌基地を後にした。

 わが家からは往復2時間余り、往復9㎞のウオーキングとなった。





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第41回日本スリーデーマーチ(第3日)(埼玉・東松山ほか)

2018-11-11 23:52:41 | ウオーキング
 2018年11月4日(日)
 == 第3日 都幾川・千年谷公園ルート(10㎞コース) ==

 最終日は曇天となった。今日も10㎞コースに参加することにしたが、昨日のようなス
タート時の待ち時間を考慮して30分近く遅く会場に着く。


 予想通り多くのウオーカーは出発後だったので、ほとんど待たずに9時40分にスター
トできた。
 
 しばらくは初日の帰路に近いコースを逆行して東松山の市街地を西に抜け、おため池の
そばの「虎御石」と呼ぶ大きな板石塔婆(いたいしとうば)の横を過ぎる。
     
 高さは3.75m、幅70~77㎝あり、比企・入間地方で最大の板石塔婆で、応安2
(1369)年に建立されたという。


 スタートから6㎞地点の唐子(からこ)中央公園では、毎年恒例でスリーデーマーチと
同じ開催回数の「第41回唐子地区商工祭」を開催中。




 野球グラントの西側では湯茶接待用テントがあり、お茶、梅干しとあめ玉をいただいた。

 
 その先の天の園記念碑↑周辺では、この地を舞台にした打木村治作の児童小説「天の園」
をNHK朝ドラ化の推進運動を続けているグループが、パネル展示と署名運動をしていた
ので私も署名した。


 折り返して段丘下に下る辺り、地元農家の方が柿などの直売をしていて、そばのキクが
きれいな彩り。その先の車道際のコキア(ホウキグサ)も色鮮やか。
    







 次のT字路で20㎞、30㎞コースに分かれ、しばらくは車のほとんど通らない静かな
里道を東進する。


 比企地方の代表的な形態のかやぶき屋根の形を残す、民家が残っていた。


 右手(南側)一帯は田んぼとその休耕田の続く石橋地区を通過し、少し南東に回って関
越自動車道の下を東に抜ける。


 関越道の手前の民家で、とりたての甘柿を販売していたので、昨年同様分けてもらった
(5個入り100円)。
    

 関越道を抜けたすぐ北東にあるのが、9㎞地点でチェックポイントの市立南中。


 12時05分に入り、霧雨模様になってきたのでチェックシールをもらった後、生徒の
駐輪場の屋根下に入って昼食にした。



 ちなみに南中は、3年前の2015年にノーベル物理学賞を受賞された梶田隆章先生の
母校である。
          

 校舎玄関横には、梶田先生の受賞記念碑などがある。12時32分に南中を出た。
     


 東側の上郷地区に入って都幾川左岸堤防近くを進むと、たわわに実をつけたミカンが目
につく。


 かつて養蚕農家だったらしい、2階の屋根に煙出しの小屋根をつけた民家が2棟並んで
いる。

 かやぶき屋根と煙出し屋根のある民家は、ここ比企地方で中学時代まで過ごした私にと
っては、いつ見ても懐かしい風景だ。






 花の苗床とそれを育成するビニールハウス横を過ぎると、焼き芋の無料サービス中の広
場があり、たくさんのウオーカーが並んで待っていた。





 国道254号線を跨道橋で越えて段丘上に上がり、市街地に戻って東武東上線の東松山
駅下を北に抜ける。


 
 和太鼓やブラスバンド、祭り囃子のなどの歓迎を受け、ゴールの中央会場に13時33
分に入った。









 間もなく、地元の大東文化大のブラスバンド演奏を先導にしたパレードが入場してきた。



 次に実行委員長の森田光一東松山市長を初めとする大会役員などが、以下日本マーチン
グリーグ開催地の代表や埼玉県警音楽隊など各種団体が続く。
     







 会場内はウオーカーや東松山市民など、今日もたくさんの人々で賑わう。



 14時過ぎに会場を後にして隣接する東松山総合会館に入り、東松山ゆかりの彫刻家、
高田博厚展を観覧する。
     
  



 駅に戻る途中の道筋でも、パレードの列と歓迎の和太鼓演奏などが続いていた。




















(天気 曇、距離 12㎞、歩行地 東松山市、歩数 2,2100)

 なお、3日間の参加者総数は82,259人だった。コース別の内訳などは、東松山市
関連サイトをご参照下さい。





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第41回日本スリーデーマーチ(第2日)(埼玉・東松山ほか)

2018-11-10 21:58:13 | ウオーキング
 2018年11月3日(土)
 == 第2日 吉見百穴・森林公園ルート(10㎞コース) ==

 2日目も好天に恵まれた。今日は10㎞コースに参加することにしたので、きのうより
ほぼ1時間遅く会場に着いた。


 ちょうど10㎞コースのスタート中で長い列が3列折り返していて、15分くらい並ぶ。


     
 東松山市のマスコットキャラクターの「あゆみん」「まっくん」や、市の観光大使など
に見送られて9時31分に中央会場の松山一小を出発した。
         



 東側の市役所横を北へ、車の交通量が多いが歩道が無く細い側道だけなので長い列が続
き、信号でたびたび止まるなどマイペイースで歩くことはできない。

 
 道路を挟んで地蔵堂のある交差点を過ぎ、市野川小の西で市野川を渡る。こんなゼッケ
ンをつけた人も。
         

     
 さらに長い列が続き、滑川を渡って西に向きを変え、田園地帯になり車の煩わしさから
解放されようやく歩きやすくなった。




 西方には、きょうも外秩父の笠山や堂平山などの山並みが望めるが、気温が上がり霞ん
でいて昨日ほどはっきりとは見えない。



 庭先にカキの実る農家の前をいくつか通過し、西明寺(さいみょうじ)沼の東側にある
西明寺では休憩するウオーカーが多い。





 沼の西側で北へと曲がる角に、ジュウガツザクラが咲き出していた。


 見通しの良い畑作地帯を進んで滑川左岸堤防に出て、1㎞余りは堤防を進む。


    
 前方に森林公園の木々に覆われた丘陵が近づき、川を離れてススキがなびき何本かカキ
の実る木の横を北西へと進む。





 ケヤキなどの色づきがよい駐車場横を進み、11時19分に国営武蔵丘陵森林公園の南
口を入る。今日は、一般の人を含めて無料開放日である。


 入ってすぐの噴水横が10㎞コースのチェックポイント。



 そばの湯茶接待所で冷たいお茶をマイコップにもらい、たくさんのウオーカーが憩う芝
生広場の緑陰にシートを広げて昼食とした。





 11時55分に森林公園南口を出た。今年も、入口近くでバグパイプとアコーディオン
演奏でウオーカーを激励してくれるご夫妻の姿がある。



 ケヤキや桜などの色づく駐車場を眺めながら、南南東の森林公園駅まで約3㎞続く気持
ち良い遊歩道へ。
     




 樹間からは、まだ刈り入れ前の田んぼの間を公園に向かう10㎞コースのウオーカーが
望まれ、東側の側道に回ると毎年おなじみ、歓迎の横断幕が。


 この先で側道から再び遊歩道に戻り、遊歩道の終わる森林公園駅北口で東に向かう。


 東上線の線路沿いを少しで東松山の市街地に入り、松山高前を通過して市役所の東側に
戻り、ゴールの中央会場には13時19分に着いた。



 今日も快晴でより暖かく、会場は昨日以上の賑わいか。「まっくん」「あゆみん」も残
っていて歓迎してくれた。


 ウオーキング靴メーカー、ムーンスターのブースでは記念写真を撮ってくれている。今
日は空いたので私も撮ってもらった。
      

 13時45分頃、会場を後にして駅に向かう。途中のまるひろ百貨店駐車場の会場と、
歩行者天国になっている通りでは、今日の催し物、「よさこい陣屋まつり」に参加した近
隣のよさこい連のグループが、よさこいソーラン踊りを順次披露してくれていた。




 暖かい今日、帰路の東武東上線川越市駅の14時50分の温度は21.5℃だった。

(天気 快晴、距離 13㎞、歩行地 東松山市、滑川町、歩数 21,500)





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第41回日本スリーデーマーチ(第1日)(埼玉・東松山ほか)

2018-11-09 18:52:37 | ウオーキング
 2018年11月2日(金)
 == 第1日 和紙の里・武蔵嵐山ルート(20㎞コース)へ ==

 今年も、埼玉県東松山市を中心に3日間開催される国内最大のウオーキングイベント、
「第41回日本スリーデーマーチ」に参加した。私は29回目の参加になる。
     


 快晴となった初日は「和紙の里・武蔵嵐山ルート」で、東松山市役所の隣にある松山一
小の中央会場から西方に向かうコース。私は20㎞コースに参加することにして、8時
25分に中央会場をスタートした。


 北に少しで県立松山高の校門前を左折する。校舎には、例年同様たくさんの各種大会参
加の垂れ幕が。



 東武東上線の北側を西進して、森林公園駅前を過ぎる。近くの民家の柿は豊作のよう。
色づいた実がいっぱいの柿の木は、この先あちこちで見た。


     
 500m余りで北へ、市野川(いちのかわ)の高橋を渡って左岸沿いをしばらく西進す
る。北側一帯には、ひこばえの田んぼが広がる。



 スタートから5㎞地点にある最初の休憩ポイント、羽尾平(はねおたいら)集会所前広
場では湯茶の接待所があり、熱い甘酒やお茶、あめ玉などの接待をいただいた。


 地元滑川町のチンドン屋さんの歓迎演奏も。



 そばの民家の庭先では、キクやコスモスが花盛り。


 その先では、西方に外秩父の名峰、笠山(右)と堂平山(左)が望まれた。


     
 上市野川橋まで進んで川を離れ、関越自動車道下を通過して嵐山町の住宅地に向かう。
    


 住宅地への角を曲がるとジュウガツザクラが咲き、間もなく7㎞地点の鬼鎮(きじん)
神社へ。

 この先進む菅谷館(すがややかた)の鬼門除け守護神として、畠山重忠が鎌倉街道沿い
に建立したもので、節分祭や勝負の神として知られるところ。
    
 節分祭で「福は内、鬼は内、悪魔外」と連呼するのは日本でもここだけのよう。


 池の中に弁天堂の祭られた新田沼公園前を通過し、東武東上線のガードをくぐって南へ。
菅谷小と菅谷中の間を通過して国道254号を跨道橋で越える。

 
 すぐ南側が、20㎞コースのチェックポイントになっている国史跡・菅谷館跡。20㎞
コースの11㎞地点で、30~50㎞コースとも合流する。11時ちょうどに着いた。


 湯茶の接待所もあり、たくさんのウオーカーで賑わう。例年なら色づき始めている広い
館跡の広葉樹林も、今年はまだ緑の木々に覆われている。



 県立嵐山(らんざん)史跡の博物館前の広場では、早めの昼食をするグループも多い。
博物館を含む西側一帯の国史跡・菅谷館跡は畠山重忠の居館跡である。



 ここからは折り返すように東に向かい、すぐ先で国立女性教育会館構内を通過する。構
内の桜やケヤキなどはかなり色づいていた。
     


 まだ葉が緑のクリ林の間を抜けると、やがて南側に田園地帯の展望が広がる。


 竹林の間を上がって再び台地上の集落へ。

 禅寺、浄空院の前を通過して、「原爆の図」で知られる丸木美術館横へ。20㎞コース
の14㎞地点である。



 館前の広場には、都幾川の流れを見下ろしながら昼食するウオーカーも多い。


 さらに進んで唐子中央公園に12時18分に入り、野球グランド北側のベンチで昼食と
した。

 
 12時43分に出発して最後の5㎞余りの道のりを進む。国道254号と関越自動車道
を陸橋で越え、中の島に弁天堂の祭られたおため池の横を過ぎる。


 東松山の市街地に入り、箭弓(やきゅう)稲荷神社境内へ。和銅5(712)年創建と
いう古社で、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全の守り神。

 江戸時代は芸事の神様として知られ、現代は野球(箭弓)の神様とか。


 ゴールの松山一少の中央会場には14時05分に戻った。会場はすでにたくさんの人で
賑わい、ステージでは歓迎のミニライブも。







 会場内を一巡して14時50分過ぎ、会場を後にした。

 ちなみに、今日の参加者数は以下の通り。


(天気 快晴、距離 21㎞、歩行地 東松山市、滑川町、嵐山町、歩数 35,100)

 快晴で11月上旬とは思えぬ暖かさ。帰路の乗換駅、東武東上線川越市駅での15時
20分の気温は20.5℃だった。





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絵柄に韓流ドラマもある所沢市の広告マンホール(埼玉)

2018-11-08 18:05:18 | 所沢だより
 2018年11月8日(木)

 埼玉県所沢市では、全国初になる市のマンホール広告事業を始めましたが、その一環と
して最近、日本でも人気のある韓国俳優ジェジュンさんが主演する韓国ドラマ「マンホー
ル~不思議な国のビル~」が、マンホールの絵柄になりました。
    

 このマンホールは、西武池袋線と新宿線の交差する所沢駅西口にある西武百貨店前にあ
ります。

 ドラマは、主人公がマンホールに吸い込まれてタイムスリップする内容のようで、ドラ
マのDVDを発売・販売するポニーキャニオンから話が持ち込まれたとのこと。

 なお、このマンホールに自身の足元を入れてマンホールを撮影して、ツイッターに投稿
するとジェンダーさん直筆サイン入りポスターなどのグッズがあたるキャンペーンも、
2019年1月6日まで実施中とのことで、投稿方法の詳細はポニーキャニオンのサイト
で確認してください。

 所沢市の、マンホールのふたを利用した広告事業は今年度から始めており、「下水道の
イメージアップと自主財源の確保、それに街の賑わいの一助になれば」というのが目的で、
年間97万円程度の広告料収入を見込んでいるとのこと。

 私が、これまでに見つけた広告マンホールは、ほかには新所沢駅西口にある、次の2つ
です。
    

        

 あわせて、所沢市内にあるマンホールデザインの幾つかを紹介します。おおむね設置年
代の古そうなものから順に並べます。
    

        

    

        

 所沢市内の方、あるいは近隣の方で所沢市内にお出かけになる方は、ほかにも広告マン
ホールがあるか、探してみて下さい。





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