あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

越生町五大尊のツツジを見る(埼玉県)

2008-04-30 23:28:01 | Weblog
 快晴で夏日となった今日、埼玉県越生町(おごせまち)
のツツジの名所、五大尊(ごだいそん)つつじ公園に行き
ました。




 越生町の町並みのすぐ近く、JR八高線・東武越生線の
越生駅から歩いても15分くらいのところです。

 「五大尊」とは、五体の木彫りの明王像が祭られている
お堂のことをいいます。

 この寺の回りに、ヤマツツジやドウダンツツジなどが群生
していますが、隣接する山の斜面にも12種類、約1万本
のツツジがあり、まずそちらから入りました。

 すでに散り始めて株もありましたが、大部分はまだ見ご
ろ。結構急な斜面を上がったり下がったりして、見て回り
ました。











 
 こちらが後半に回った五大尊のお堂です。

 このお堂や下の石段の周辺には、350年前に植えら
れたと伝えられる古木のツツジが何本も、花をいっぱい
につけていました。


 すぐ下には、「イナフクミ様」というお堂もあり、インドの
女神、荼枳尼天(だきにてん)を祭っています。

 イナフクミ様の堂内に奉納されていた大正15年(1926)
産の繭(まゆ)の額。

 イナフクミ様は、このあたりで盛んだった養蚕農家の
厚い信仰を集めていたようです。


 斜面の下の方に並んでいたお地蔵さんも、周辺の木々
の淡い新緑と、間近なツツジを眺めて気持ちよさそうで
した。

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国際ウオーキングトレイル実踏①(北杜市白州~穂坂町)(2)

2008-04-29 21:30:08 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2008年4月16日〈水〉
 =北杜市白州~新府~穂坂町=(その2)



 すぐ先に、国の天然記念物「山高神代ザクラ」で知られる
実相寺があり、車で来た人で賑わっていた。

 山高神代桜は、樹齢2000年といわれるエドヒガンザク
ラの古木。大正11年(1922)に、桜では初めて国の天然
記念物となった。

 しかし近年の環境変化で急激に衰え、樹高10.3m、枝
張り東西17.3m、南北13mになっているという。

 たしかに樹勢は衰えているようだが、太い根元の幹には
圧倒される。この境内も花がいっぱい。

 ソメイヨシノをはじめ、数知れぬ黄色いスイセンや、チュー
リップ、身延山のシダレザクラの子木などが、今を盛りと花
を競っていた。



 実相寺は、武田家に仕えた名家・蔦木(つたき)氏代々の
菩提寺。

 墓地には、江戸時代初期の入母屋屋根を持つ独特の墓
が並んでいた。

 白い花の咲くモモ畑や、紅白のシダレモモの並ぶ黒沢
集落を抜ける。


 黒沢川が右から近づいたあたりの畑に、数匹の猿が遊
んでいた。

 黒沢川を越えて宮脇集落へ。諏訪神社の東側に、樹齢
250~300年と推定され、根回り3.16m、樹高11.5m
という、「宮脇のイロハモミジ」が新芽を見せ始めていた。


 国道20号に出て小武川橋を渡り、旧甲州街道の面影を
残す円野町上円井の家並みを通過する。

 中ほどにある内藤家のりっぱな長屋門内をのぞくと、
「明治天皇行在(あんざい)所」の石碑が立っていた。

 旧甲州街道は、1㎞ほどで再び国道に合し、釜無川の
穴山橋を渡る。


 橋の下流、右岸沿いの牛頭島公園は、何年か前の甲州
街道ウオークの際の昼食地だった。

 橋の先で、川の左岸に設けられたサイクリング路に入り、
河川敷も通過して1㎞ほど進む。


 国道を横断して釜無川左岸台地に向かい(上)、芽吹きは
じめた広葉樹林下の旧道を標高差100m余り上がった。

 下の写真は、台地に上がる途中からふり返った釜無川
沿いの眺め。


 JR中央線の東に回って次第窪集落を進む。

 12時55分に無人の穴山駅に着き、宿で作ってもら
った弁当を広げて昼食をする。               (続く)
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国際ウオーキングトレイル実踏①(北杜市白州~穂坂町)(1)

2008-04-29 18:32:41 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2008年4月16日〈水〉
 =北杜市白州~新府~穂坂町(その1)



 今日から国際ウオーキングトレイル実踏がはじまる。

 5時半起床、宿泊したカサデモンテ白州周辺の竹芋
(ちくう)集落を1時間ほど散歩をする。

 昨夜同様、オーナーの国沢さんご夫妻が地元産の材
料で手作りされた、おいしい食事をいただく。カサデモン
テ白州のことは、日を改めて紹介することにしたい。

 宿の前で、メンバー5人が記念撮影をして、7時45分
にスタートした。
 
 今日は、一番左のHさんがトップをつとめる。

 竹芋集落を回って南に向かい、尾白川を渡る。曇り空
は昨日同様霞んでいて、甲斐駒ヶ岳ははっきりとは姿
を見せてくれない。

 西村集落に入り、旧道に回って玉太神社横を通過する。
傾きかけたような社殿は、寛文13年(1672)の造営だ
という。


 本村集落には、「本村の関のサクラ」と呼ぶ、根回り
6.65m、枝張り東西11m、南北17.5mというエド
ヒガンザクラの古木があり、まさに見ごろだった。


 こいのぼりの上がる家にはミツバツツジが、その先の
桃畑では桃の花が満開、そして山間のヤマザクラも点々
と花を見せている。


 霞が薄れ、甲斐駒ヶ岳の稜線がが幾分かはっきりして
きた。


 次の原村集落を通過し、大武川の支流沿いを少しで、
大武川の駒城橋を渡る。

 上流側に、残雪残る鳳凰三山や甲斐駒ヶ岳が、どっし
りとした山容を現した。

 橋の先から、大武川右岸堤防や河川敷を進む。対岸の
斜面には、点々とヤマザクラが望まれる。


 ソメイヨシノの咲く一角があったので河川敷から上がって
みた。

 柳沢集落の農村公園で、「九頭竜大神」と刻まれた石碑が
あった。

 スモモ畑の横から南に入り、常雲寺で小休止する。
 田園地帯を抜け、南側の台地に上がってから東に向か
い、山高集落に向かう。集落の西端に、数々の花に彩ら
れた高龍寺があった。

 ソメイヨシノをはじめ、シダレザクラ、紅梅、ハナモモ、
シダレモモ、スイセン、ミツバツツジなどが咲き競い、何れ
も見ごろ。

 本堂にお参りしていたら、ご住職の奥様が来られ、カヤ
の実の入った袋を頂く。奥様は東京・麻布のご出身、50
年前にこの山間の寺に嫁いでこられたとか。

 カヤの木は本堂裏手にあり、根回り4m、樹高18.5m
の大木で、旧武川村(むかわむら)(現在は北杜市)天然
記念物である。

 墓地には、武田信長の子孫で、この地に封じられ天文
元年(1532)高龍寺を開基した山高信之をはじめ、山高
氏代々の墓がある。

 独特の造りの山門を出て東に向かう。畑に囲まれた一軒
家のそばに大きなソメイヨシノが咲いていた。

                              (続く)
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国際ウオーキングトレイル実踏(前日)

2008-04-28 12:40:56 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 「やまさん」こと山浦正昭さんが、日本海から太平洋へと、
歩く旅をしたい人に魅力的なルート「国際ウオーキングトレ
イル」づくりを初めて、6年目に入った。

 毎年春・秋に実施しているが、昨年秋までで27日間、歩
いた行程は509㎞だという。今春は4月16日から18日に
実施することになったので参加した。私自身は3年目になる。

 今回は、南アルプス甲斐駒ヶ岳山ろくの山梨県北杜市(ほく
とし)白州(はくしゅう)から、桃の里穴山を経て甲府盆地の
石和(いさわ)まで、約60㎞の計画である。

=========================
 
 2008年4月15日(火)〈実踏前日〉
 =長坂から白州へ=


 
 翌日からのスタートに備え、JR中央線小淵沢駅に14時に
集合して、白州に向かうことになった。

 高尾駅11時24分発普通電車に乗る。翌々日通過予定の
新府~穴山間は、桃の花盛り。デジカメを構えたら、「メモリ
容量なし」のメッセージ。なんとメモリカードを入れ忘れてきた。

 小淵沢駅に着き、先着の I さんに伝え、近くの写真店と
電気店を3店ほど回るも、私のカメラ対応のXdピクチャカー
ドはない。駅に戻ってやまさんに断り、甲府市内で探すこと
にした。

 甲府駅前の交番で写真屋の場所を聞いたら、近くの店に
電話して在庫を確認してくれた。購入してやれやれ…。デジ
カメが使えないなら来た意味がなかった。

 甲府往復に時間がかかったので、小淵沢より近い長坂から
宿に向かうことにした。皆さんより2時間遅れの16時5分、
長坂駅を出る。駅の温度計は27度を示す。

 町並みとは反対の西側は家ひとつ無い。ホームの上のソメ
イヨシノがちょうど満開だった。


 県道17号を横切り、500mほどで大深沢川を渡るはず
だが、なかなか川に出ない。後になって、県道17号をその
まま北に進んでいたことが分かった。

 川を渡るUカーブ近くにあった「大深沢川遊歩道」の標識に
従い、県道を離れて遊歩道へ。流れに下って小さい橋を渡
り、右岸に回る。

 新宿区所有林など、芽吹き前の広葉樹林沿いの遊歩道を
少しずつ下って車道に出た。その先も遊歩道を進むと迂回
することになるので、上り道の車道に入る。


 見えてきた下中丸集落の最初の家は、かやぶき屋根の陶
工房。少し先には、室町時代のものという「中丸の六地蔵」
と、樹勢は衰えたがもとは県内最大級だったという「中丸の
ボダイジュ」があった。


 このあたりは、前回の最終日にやまさんと逆方向に歩いた
ところ。その時寄った清春白樺美術館の特長ある屋根が見え
た。

 下中丸集落の南面に回ると、前方に甲斐駒ヶ岳が望まれる
が、快晴にもかかわらず春霞でうすぼんやりとしている。

 車の交通量は少ないが、広い車道に別れ、前回も通った花
水集落への旧道を回ることにする。

 背の高い赤松林や、広葉樹林の間を少しずつ下る。左に大
きくUカーブする地点で、林間を直進できそうな山道があった
ので入る。

 多小のカーブはあったが、車道よりかなり短縮してUカーブ
の下側に出ることができた。


 林間に、甲斐駒ヶ岳〈写真〉や鳳凰三山、釜無川の谷間が
見えだし、間もなく花水集落に入る。


 畑の向こうにヤマザクラやナノハナが咲き、その先に前回の
昼食地、清泰寺が見えた。17時半を過ぎたが、ソメイヨシノが
満開だったので立ち寄ることにする。

 大屋根のりっぱな本堂の横に、古い大きな鬼瓦が保存され
ていた。

 かやぶきの山門の横には、室町中期の建立と推定される
六面に地蔵を廃した石幢(せきどう)や、カヤの大木があり、
歴史ある山寺のたたずまいが感じられる。


 釜無川に下って花水橋を渡る。すぐ下流の桜並木も見ごろ
である。


 太陽が西の山陰に沈み、少し涼しくなった。川向こうの山か
ら川岸に下る水力発電所の導水管を見ながら、白州上集落
に上がる。



 快晴の夕暮れだが、あいかわらず霞んでいて、周囲に見え
る鳳凰三山〈上〉や八ヶ岳〈下〉、甲斐駒ヶ岳などははっきり
しない。


 薄暗くなった道を急ぎ、18時38分に白州町竹芋(ちくう)
の宿、カサデモンテ白州に着いた。

(天気 快晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 長坂上条、歩行
 地 山梨県北杜市(旧長坂町、白州町)、歩数 16300) 
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志村正順アナウンサーの思い出

2008-04-27 10:17:46 | Weblog
 4月25日〈金〉の朝日新聞朝刊(ほか各紙)に、
もとNHKアナウンサー志村正順〈まさより〉さんが、
昨年12月1日に94歳で逝去されたと、報じられて
いました。



 第2次世界大戦が昭和20年〈1945〉8月に終わっ
て戦後の復興期、私は埼玉県中部の農村で小中学
生時代を過ごしました。

 当時の農村の家庭での電気製品といえば裸電球
とラジオくらいで、テレビはもとより電気洗濯機も冷蔵
庫ももっと後の時代でした。

 いまのようないろいろな楽しみ方もなく、楽しみと
いえばラジオを聞くくらいで、4㎞離れた隣町の映画
館へ映画を見に行くのも、年1回あるかなしかでした。

 そんな頃、少年野球ファンの楽しみはNHKラジオの
野球中継、そのなかでも志村アナウンサーの実況
放送は一番の人気でした。

 新聞のラジオ欄で、翌日の実況担当が志村アナと
知ると、期待して待っていたものでした。

 志村アナの実況中継は、球場の雰囲気や試合の
経過を的確に伝え、てきぱきとして明瞭なアナウン
スは誰にもよく分かり、野球ファン増大にもつながっ
たのではないでしょうか。

 志村アナウンサーの名放送として知られているの
は、昭和18年〈1943〉10月21日、雨の神宮外苑
競技場での、学徒出陣壮行会の実況です。

 私は当時、直接放送を聞いてはいませんが、その
後何回も戦争回顧のテレビ番組などで、ニュース映
画の映像とともに聞き、耳に残っています。

 私が志村アナの番組を直接聞いて、いまも記憶して
いるのは、戦後間もなくの日曜夜7時15分~30分
ころの番組、「アメリカ便り」です。

 「アメリカ便りの時間がやって参りました。 NHK
ワシントン特別通信員 坂井米夫(?)発…」といった
ような出だしで、アメリカの市民生活の様子などを
伝えたもので、食うにやっとの日本の現状とかけ離
れた米国市民の様子をうらやましく聞いたものでした。

 当時愛読していた雑誌「少年クラブ」には、同じ坂井
特派員の「少年アメリカ便り」という記事があり、その
内容を、集落全体での何かの集まりがあったときに
私は、寺の本堂で朗読したことも思い出します。

 その頃の「少年クラブ」には、志村アナウンサーの
実況中継の録音をもとにしたのか、「紙上野球実況
放送」といった記事もあり、人気カードの巨人-阪神
戦などの様子が、実況さながらに掲載されていて、
胸躍らせながら読みました。

 もうひとつ、志村さんの放送で耳に残っているのは、
昭和26年〈1951〉4月、連合国軍総司令官マッカー
サー元帥が米国大統領から突然解任され、帰国する
羽田飛行場からの実況中継の模様です。

 その日は中学校の廊下に座って、課外授業として
放送の実況を全校生徒が聞いたのですが、最後の
「…マッカーサー元帥よサヨウナラ」という志村アナ
の声を、いまもよく記憶しています。

 ちなみに、雑誌「サライ」の2007年1月18日号で、
「優しくて懐かしいラジオを再び」という特集をしてい
たので、購入してありました。。

 特別付録のCD『「昭和史」実録』には、学徒出陣と
マッカーサー元帥帰国の実況中継の一部も入ってい
るので、どこかにしまいこんだCDを探し出して、志村
さんの声をしのぶとともに、ご冥福をお祈りしたいと
思います。

 なお、志村正順さんのの経歴などは、下記Webを
ご参照下さい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E6%9D%91%E6%AD%A3%E9%A0%86


〈追記〉4月30日の朝日新聞朝刊「声」欄に「名調子
の放送 志村氏を悼む」という投稿があり、その中で、
月刊誌「野球少年」に誌上放送というページがあった
ことが記されていました。

 私が、「少年クラブ」で紙上野球実況放送といった
のは、どうやらこの「野球少年」だったようです。

 当時、わが家は伯父の家に居候していたのですが、
野球好きの従兄弟は、「野球少年」や、「ホームラン」
「野球界」「ベースボールマガジン」といった野球雑誌
をよく買っていたのです。

 私も、これら雑誌をいつも見せてもらったので、やは
り「野球少年」で読んだのを勘違いしていたようです。
 




 

 

 

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菅生沼から牛久沼へ33㎞サンサンウオーク(2)<続き>

2008-04-26 11:18:02 | ウオーキング
 2008年4月9日(水) <続き>
 =守谷駅~小貝川~牛久沼~佐貫駅=



 小貝川のゲートを渡って再び右岸へ。サイクリング道路
なので車の通行はできず安心。河川敷の灌木でウグイス
がさえずる。


 1.5㎞ほど進み、次の二三成橋近くまで行き、堤防際
にあった金仙寺に立ち寄る。

 ここも堂々たる本堂。その前に若木のシダレザクラが花
を開いていた。


 二三成橋を渡り、左岸堤防に戻る。500mほどのところ
に「川の一里塚」の石碑があり、源流まで97.3㎞、利根
川まで14.5㎞などと記されていた。


 さらに1.5㎞ほどで、流入する別の川の水位を調整する
伊丹水門のゲートがある。そばにベンチがあったので休憩
した。ここで小貝川と別れる。


 小貝川を離れて伊丹を北に抜ける。水門のすぐ北側の
三差路際に、根元にたくさんこぶの出た大ケヤキが立っ
ていた。


 広々とした田園地帯を横切り、北側の足高(あだか)集落
へ。台地の下に朱塗り色鮮やかな千手院がある。

 背後を回って台地に上がる。

 東小の横を通過し、東栗山に入ると、かやぶきの平屋が
残っていた。

 東栗山を北に抜け、牛久沼に流入する西谷田川の幅広
いところに下った。

 やはり昨日の大雨で流量が増え、河川敷のアシは水浸
しになっている。

 県道210号の細見橋を横断、砂利道となった川の右岸
堤防を進む。右からの風が冷たくなった。

 堤防の南側は芦原で、その先には耕された田んぼが広
がり、ところどころにナノハナが咲く。


 橋から1.5㎞ほどで、最終コースの牛久沼南岸沿いと
なる。

 今度は左側、沼からの風が強まる。堤防は砂利道から
舗装路となり、牛久沼南端の牛久沼水辺公園に入る。

 芝生広場の向こうに、ナノハナがいっぱいに咲いていた。

 ゴール間近、3月初めのLLウオーク茨城のスタート地と
なった湖畔の看板のところに着き、Tさんと交代で記念撮
影をする。

 牛久沼の南端からも、筑波山が望まれる。


 佐貫町の住宅地に入り、15時27分にJR常磐線佐貫
駅に着いた。

 やまさんとは別行動になったが、「LLウオーク続茨城」
も完歩することができた。

(天気 曇、距離 20㎞、地図(1/2.5万) 守谷、藤代、
 牛久、歩行地 守谷市、取手市、つくばみらい市(旧
 伊奈町)、竜ヶ崎市(旧佐貫町)、歩数 34100)
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菅生沼から牛久沼へ33㎞サンサンウオーク(2)

2008-04-25 23:26:23 | ウオーキング
 2008年4月9日(水)
 =守谷駅~小貝川~牛久沼~佐貫駅=



 やまさんの、33㎞サンサンウオーク2日目は4月6日
(日)。だがこの日はカントリーウオークの例会で参加で
きず、3日後に歩くことにした。

 3月のLLウオーク茨城の全コースを完歩しているさい
たま市のTさんを誘ったら、来てくれた。

 9時10分につくばエクスプレス守谷駅をスタートする。

 ひと月前の3月に、カントリーウオークの例会でも歩い
た守谷駅周辺は開発が進行中だが、東から南へと緩や
かに回る旧道に入る。

 守谷小そばの交差点に、「茨城百景守谷城址」の石碑
が立っていた。


 新興住宅地のひがし野3丁目から2丁目を経て、つくば
エクスプレスの高架際に出た。古城沼交差点で高架に
分かれ、東側の赤法花(あかぼつけ)集落へ。

 染谷瓦店の庭先に、たくさんのこいのぼりが泳いでいた。

 例会での昼食地、天満宮横を通過し、同地集落の北側
で小貝川右岸沿いに出た。対岸はるかに筑波山が望ま
れる。


 大きなアーチの水道管橋下を過ぎ、守谷市から取手市
に入ると、小公園があった。

 市之代(いちのだい)の稲田姫尊を祭る神社で休憩。
境内のソメイヨシノが見ごろである。


 旧道が県道328号に近づいたあたりに、小屋根に覆わ
れた「将門(まさかど)土偶の墓」があった。しかし由緒
などは記されてない。

 県道に出て小貝川の常総橋を渡る。昨日の大雨で、流
れは川幅一杯になっている。


 左岸南側は、つくばみらい市上平柳である。

 すぐ南に大きな屋根の寺が見えたので、堤防を下って
寄ってみた。浄園寺で、急傾斜の大屋根に圧倒される。

 墓地に高さ5mくらいの三界萬霊塔が立っていた。


 少し先の専称寺には、19世紀初頭の北方探検家で地
理学者、間宮林蔵の墓があった。

 林蔵が文化4年(1807)決死の覚悟で樺太探検に出
発するにあたり、自ら建立した生前の墓(左)。

 林蔵はこの寺の住職・伯栄和尚に学んで才能を発揮した
勉学の場で、遊び場でもあったという。


 さらに500m足らずのところが間宮林蔵の生家。かや
ぶき平屋の生家のそばに、間宮林蔵記念館があったの
で入館し、樺太探検の地図や古文書などを見る。


 これは、伊能忠敬が樺太探検に出かける間宮林蔵を
激励するために送った文書だという。


 ちなみに間宮林蔵は、安永6年(1780)にこの家で生
まれ、15~6歳頃まで暮らしたといわれている。

 文化6年(1809)、2度目の探検で樺太が大陸と地続
きでなく、島であることを確かめ、いわゆる間宮海峡の発
見という大偉業を成し遂げた。

 ゆっくり観覧したので正午近い。近くの上平柳公民館の
ぬれ縁を借りて昼食。

 そばに水神宮と天満宮があり、低い石鳥居には、ワラに
くるんだ酒樽のようなものが下がっていた。


 上平柳集落東端の三差路に、秩父、西国、坂東札所の
供養塔が立つていた。


 小貝川左岸堤防を進み、流れをせき止めるゲートのとこ
ろに出た。


 昨日の雨で満々となった流れが、開けたゲートの一部から
ゴウゴウと音をたてて落下している。

                          (続く)
            

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菅生沼から牛久沼へ33㎞サンサンウオーク(1)<続き>

2008-04-24 23:17:31 | ウオーキング
 2008年4月5日(土) (続き)



 菅生沼にかかるあすなろ橋の東側から、斜面を上が
ると「あすなろの里」と呼ぶ施設がある。テニスコートや
スポーツ広場、キャンブ場などがあるらしいが、入口に
有料の立て札がある。

 もとの道を戻って北から迂回しようかとしたが、橋の
そばで昼食中のご夫妻に聞いたら、今日は「さくらまつ
り」で無料解放とのこと。


 園内の遊歩道を上がり、中心にある池のそばで、周
囲に咲くソメイヨシノを眺めながら昼食をした。

 キャンプ場横の、花盛りのソメイヨシノの並木を進んで
あすなろの里を抜ける。


 向山の十字路際にりっぱな忠魂碑があり、そばの大き
なソメイヨシノもまさに満開。

 その横を右折して南に下り、東仁蓮川を渡る。畑作地
帯を緩やかに上がって中郷の無量寺に寄る。

 菅生沼七福神の菅生弁天を祭り、関東八十八か所第
41番札所で東国花の寺百ヶ寺のひとつ。


 境内に樹木は少ないが、ひときわ高いケヤキが目につ
く。よく整った境内には、仏足石や弘法大師の修行大師
像などがあった。

 迂回で予定より遅れたので、この先は出来るだけ最短
距離でゴールの守谷駅を目指すことにする。

 西に下って、飯沼川を中心に広がる田園地帯に出た。

 飯沼川と田んぼの上を長く横切る菅生大橋下を通過、
田んぼの東側、斜面林下に伸びた用水沿いを南東に
向かう。

 はるか前方に、守谷駅付近らしい高層ビルが3つ見
える。


 用水の土手にナノハナが続き、まだほとんど土だけ
の広々とした田園景観に彩りを添えてくれる。



 2㎞前後進んで東側の樽井集落に上がった。民家の
横で紅白の桃が数本、鮮やかな彩り。


 集落の南端付近で地図上に記された道が無くなった。
少し戻り、斜面林の急斜面にあったかすかな道を下っ
て、再び田園地帯に出る。

 真っ直ぐに伸びる用水に沿って鬼怒川右岸近くの揚
水場のそばまで進んだ。

 行く手の堤防に上がって振りかえると、麦の緑のじ
ゅうたんが気持ちよい。

 鬼怒川右岸堤防に回り、滝下橋近くにあった清滝・
香取両神社で休憩。境内のケヤキが芽吹き初め、淡
い彩りを見せていた。


 朱塗り鮮やかな滝下橋を渡る。鬼怒川は、豊かな
流れを見せていた。


 すぐ先にあった清滝寺に入る。境内に新四国霊場の
小さい社や石仏が幾つか並んでいた。

 ほかに、守谷市保存樹木のムクロジ(下)とイチョウの
大木がある。
 
 ムクロジは寛文2年(1662)の植樹で目通り3mと
いう。イチョウの幹のあちこちから、細い枝が無数に伸
びていた。

 板戸井T字路で、真ん中を直進する細道に入る。薬師
台4丁目の新しい住宅地を抜け、広い車道に出た。車は
多いが歩道があるので安心。

 常磐自動車道の上を通過、守谷慶友病院の先からは、
再び狭い旧道で真っ直ぐ守谷駅を目指す。

 あと1㎞ほどのところで、前方にウオーカーらしい2人
の姿を発見。もしやと思い急いだら、やはりやまさんと
Tさん。もう電車で帰途の途中かと思っていただけに、
嬉しい出会いとなった。

 各々の通過した道筋などを話ながら進み、16時18分
に今日のゴール、つくばエクスプレス守谷駅に着いた。

(天気 晴、距離 22㎞、地図 水海道、守谷、歩行地
 水海道市、守谷市、歩数 40900) 
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わが家のサクラソウが見ごろに

2008-04-23 11:53:50 | Weblog
 今年も、庭のサクラソウが見ごろになりました。

 昨年も同じ4月23日のブログで紹介しましたが、今年
は冬の寒さが厳しかったためか、鉢によってはまだ咲か
ないものもあります。

 でも40鉢を越えるサクラソウのうち数鉢を残して、ほぼ
一斉に咲きそろいました。



 もともとは、連れ合いが何年か前に東京・北区の浮間
ヶ原で買ってきた1鉢が増えたものです。

 浮間ヶ原は、現在だた1か所残るさいたま市郊外の田
島ヶ原とともに、荒川河川敷のサクラソウ自生地だった
のです。


 浮間ヶ原のサクラソウについては、下記Webをご参照
下さい。
http://www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/ukimanosakuraso/sakurasoindex.htm

 蛇足ながら、サクラソウの上では、サンショウも地味な
花を開いています。

 実が締まってきたら摘んで醤油で煮ると、よい佃煮に
なります。

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山浦正昭さんご夫妻「ラジオ深夜便」に出演

2008-04-22 21:17:50 | Weblog
 当ブログにもひんぱんに登場するカントリーウオーカー
「やまさん」こと山浦正昭さんと、パートナーの敬子さん
が、4月26日(土)のNHKラジオ第1放送の「ラジオ
深夜便」に生出演して、遠藤ふき子アンカーとの対談を
します。

 やまさんは、これまでも何回かラジオ深夜便に出演し
ていますが、生出演も、ご夫妻での出演も初めてのこと
です。

 自らも実践しながら「歩く旅人」を応援する活動を続け
ているやまさんと、小学校の音楽教師として音楽の喜
びを子どもたちに伝える活動を続けてきた敬子さん。

 ご夫妻は、10年かけて毎年夏休みにヨーロッパ縦断
の徒歩旅行(4000㎞)をしたり、日本国内でも海岸線
に沿って日本一周を目指した徒歩旅行など、ユニークな
歩き旅を続けておられ、日本の歩く旅のパイオニアでも
あります。

 お二人の歩く旅と人生との関わりについて、じっくりと
聞くことが出来るのではないかと思います。

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