あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路5 日目、53番円明寺まで

2011-02-28 20:42:20 | Weblog
昨夜からの雨が続き、雨具を付けて46番浄瑠璃寺そばの長珍屋を、6時55分に出発する。
初めは雨脚もさほどでもなく、止んだりしていた。
幅広いのに流れの見えない重信川を渡り、番外霊場の杖の渕に寄る。
きれいな湧水のわきだす一帯は、公園になっていた。
近くの48番西林寺に参拝し、北に向かう。
松山市の市街地に入り、49番浄土寺、50番繁多寺、51番石手寺までは、かなりの雨で、参拝もしにくい。
石手寺を出る頃に雨が上がった。近くの松山ユースホステルにザックを預け、道後温泉街近くの食堂で、昼食をした。
市街地を離れて北西にしばらく進み、52番太山寺へ。
さらに53番円明寺に参拝し、17時過ぎに近くのJR伊予和気駅から松山まで乗る。
道後温泉駅まで市街電車を利用、18時過ぎにユースホステルに入る。
写真は、円明寺の大師堂
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四国遍路、三坂峠を下り松山市へ

2011-02-27 19:54:23 | Weblog
朝7時36分に国民宿舎古岩屋荘を出た。昨日の道のりを大宝寺近くまで戻り、久万高原町の中心から北へ、三坂峠に向かって国道をだらだら上がる。
峠が久万高原町と松山市の境。松山市に向かって、古い石畳の残る坂道を下り、最初の集落に近い休憩舎で、昼食をした。
棚田やシキミの畑を見下ろすながら下り、番外霊場の網掛石を通過し、46番浄瑠璃寺そばの宿、長珍屋に15時前に着く。
ザックを預け、46番浄瑠璃寺、47番八坂寺、そして別格霊場9番文殊院まで往復して参拝を済ませた。
午後から雨の予報がずれて、好天で暖かい1日となり、あちこちに咲く梅や菜の花に、春の近いことを感じた。
写真は、別格霊場文殊院に立つ、弘法大師と衛門三郎夫妻の石像。
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四国遍路、44 番大宝寺45 番岩屋寺

2011-02-26 19:28:18 | Weblog
砥部町のたちばな旅館の車で、落合トンネルそばまで送ってもらい、6時20分にスタートした。
田渡川沿いの県道を東へ。三嶋神社を経て、標高570mの下坂場峠と、790mのひわ田峠を越え、44番大宝寺に参拝する。
寺の背後の峠を越えて、河合の休憩所で昼食に。
さらに東に進み、八丁坂を上がり、落ち葉がいっぱいの気持ち良い遍路道を、45番岩屋寺に下る。
さらに川沿いの遍路道を進んで、16時53分に、古岩屋荘に着いた。
今日のコース、峠越え道など、1月に降った雪があちこちに残り、この冬の四国の寒さが実感できた。
写真は、岩屋寺の大師堂。右下に雪が残る。
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四国遍路、内子駅から砥部町総津へ

2011-02-25 18:46:59 | Weblog
四国遍路後半2日目、連泊した大洲市のときわ旅館を出て、列車で内子駅まで行き、昨年3月に続く道のりへ。
しばらくは、小田川沿いの国道379号沿を行く。途中、番外霊場楽水大師の小さなお堂くらいで、たんたんと進む。
内子特産の柿畑が斜面にふえるあたりに、昔、いかだ流しをしたことが記されていた。
近くにあった新しい遍路用の休憩施設で昼食をする。
その先、突合と呼ぶ分岐を左折し、吉野川沿いの同じ国道に入る。
落合トンネルの先で、砥部町に入り、最初の集落にある、たちばな旅館に15時25分に入った。
今日は、川沿いの平坦ルートだが、腰痛が気がかりで、あまりペースが上がらず、明日からの峠越えがクリアできるか、ちょつと心配なところである。
写真は、小田川のいかだ流しをしていたあたりの流れ。
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四国遍路、別格7 番出石寺へ

2011-02-24 17:35:22 | Weblog
四国遍路後半第1日は、大洲市のときわ旅館を朝7時に出て、別格7番霊場の出石寺まで往復する。
往路は、久米川沿いに平野まで行き、地蔵越と呼ぶ林間の遍路道を上がった。
寺に11時30分過ぎに着き、参拝後昼食をする。標高812mの境内には、残雪が残っていた。
下りの大半は、瀬田道と呼ぶ林間の車道を下ったが、車の交通量はほとんどない。
ときわ旅館には、16時前に戻る。

今日は気温が上がり、上り道ではかなりの汗をかいたが、不要な荷物は宿に置いて往復でき、往復約25kmの、よい足慣らしができた。
写真は、出石寺本堂
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明日から四国遍路後半へ

2011-02-22 19:11:39 | Weblog
 明日、2月23日(水)から、3月15日(火)まで、昨年の同じ頃歩いた、3度目の
四国遍路の後半に出かけます。

 今回は、前回の区切りとなった43番明石寺と44番大宝寺との間、JR予讃線の
内子駅からの再開となります。

 内子駅から大宝寺へ向かう前に、愛媛県大洲市の郊外にある別格7番出石寺
(しゅっせきじ)に参ります。

 明日2月23日は、東京駅から新幹線と特急を乗り継ぎお、夕方、JR伊予大洲
駅に着き、近くのときわ旅館に宿泊です。

 24日に出石寺へ往復し、25日(金)に内子駅からスタートします。

 3月14日まで四国遍路を続け、88番大窪寺か、別格20番大滝寺まで歩きたい
と考えていますが、途中の体調や天候不順などにより、到達できない可能性もあり
ますが、14日で打ち切り、15日には静岡県三島市へ向かいます。

 その後、16日から18日まで、山浦さんが春秋に3日前後ずつ続けている、国際
ウオーキングトレイル実踏に参加し、18日夜に帰宅の予定です。

 遍路とウオーキングトレイル実踏中は、ほとんどネットを見ることが出来ないかと
思いますので、コメントや自宅のパソコンへのメールをいただいても、返信は、帰宅
後の3月19日以降となりますので、どうかご了承下さい。

 なお遍路中は、出来るだけ毎日、その日の行程をモブログにてアップする予定で
すので、ご興味のある方は、ご覧いただければ幸いです。


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カタツムリ歩行 JR武蔵野線 西国分寺駅(東京)

2011-02-21 18:51:38 | カタツムリ歩行
 2011年2月20日(日)

 通算201回、今年最初のカタツムリ歩行例会に参加した。集合地は、JR武蔵野線・
中央線の西国分寺駅。昨年12月例会と同じである。

 中央線の事故で遅れた山浦さんご夫妻を待ち、10時33分にスタートした。

 駅の南西側、武蔵野線に沿った泉町3丁目のマンション群の間を抜ける遊歩道を通
過し、武蔵野線のガードをくぐって東側に抜ける。

 国分寺四小の近くの建設中の中層住宅の横に、「史跡東山道武蔵路跡」(とうさんど
うむさしみちあと)の説明板があり、市立歴史公園を整備中だった。



 八幡神社の横から都立武蔵国分寺公園に入り、武蔵国分寺の薬師堂へ。まだ先日
の雪が残っているが、梅も開花している。


 石段付近には、武蔵国分寺を詠んだ昭和の歌人、宮 柊二(みや しゅうじ)の詩碑が
あった。


 仁王門を下って、東側に回り、国分寺の本堂前に行く。


 本堂の周辺は万葉植物園になっていて、国分寺が創建された頃に、当時の歌人たち
が好んで、歌の題材とした植物が植えられ、植物の傍らには、その歌碑も並んでいる。

 昭和25年(1950)から13年かかって植えられたもので、現在約160種あるという。
境内の紅梅、白梅が見頃になっていた。



 「史跡の駅 みたカフェと」のそばを通り、細いきれいな湧水に沿った「お鷹の道」を東へ。


 国分寺崖線(がいせん)と呼ぶ、斜面下から流れ出る湧水、「真姿の池」(ますがた
のいけ)に向かう。

 池のそばの農家、H家の一角に、野菜の直売所があり、採りたての新鮮な野菜が
並んでいた。


 真姿の池は、この周辺に多い国分寺崖線の中の代表的な湧水として、都指定名勝
となっており、環境省の名水百選にも選定されているという。

 ポリタンクを持ってきて、きれいな湧水をくんで行く人もいた。

 湧水の横の石段を上がって、段丘上に広がる都立武蔵国分寺公園に戻る。


 何本かの白梅が開花していて、芝生広場では、家族連れや子どもたちが、薄寒い寒
さに負けずに、元気に遊んでいた。



 公園の中ほどにある池の橋を渡り、大きな円形広場の横を進んで、西国分寺駅のそ
ばまで戻る。

 JR中央線沿いに西に向かうと、駅近くの飲食店前に、第2次大戦中に使ったのだろ
うか、「防火用水」と記された水ためが置いてあった。


 前回も通った、自転車と人だけの跨線橋で中央線の北に出て、西恋ヶ窪2丁目から
日吉町4丁目の住宅地を抜け、ゴールの内藤神社に12時12分に着いた。


 社殿の右手に、ご神木になっている太いシラカシがあり、幹の中ほどに大きなサ
ルノコシカケが出来ていた。


 神社境内や隣の公園で昼食後、社殿前でミーティングをして13時前に散会した。

 (天気 曇り、距離 4㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 国分寺市、歩数
  5,700)

 私はこの後、皆さんとは反対に北に向かい、昨年のカタツムリ歩行の例会で歩いた、
たかの台から小川西町、東村山中央公園、八坂神社などを経て、西武新宿線の東村
山駅までの約7㎞を歩き、帰路についた。


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関東百駅巡礼歩行 JR青梅線 日向和田駅(東京)

2011-02-20 22:22:53 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年2月19日(土)

 第72番目となる関東百駅巡礼歩行に参加した。集合は、JR青梅線の日向和田
(ひたたわだ)駅。駅前で記念撮影をして、10時47分に駅を出た。


 国道411号(青梅街道)と多摩川との間の旧道に入り、日向和田の集落を抜ける。
梅の里だけあり、梅の木や梅林が多く、一部はちらほらと咲き出していた。


 和田橋を渡って多摩川右岸へ。青梅信金図書館の先で細道に入り、カタクリが咲く
という斜面下から、小さいお堂の横に出て、県道45号に上がった。高台を走る道なの
で、多摩川沿いの家並みや、対岸の展望が開ける。

 徳昌寺の横からさらに、畑道を横切って山すその車道まで上がる。日陰には残雪が
かなり残り、予想外に高層ビルの並ぶ、青梅市の中心街方面が望まれる。


 青梅市の、「水と緑と梅の道」と名付けられた道標の立つ三差路を、和田橋方面に
少し下ると、再び三差路。そばに、かやぶき屋根にトタンを被せた民家があり、梅ヶ谷
梅園の標識が立つ。

 家の前が、その梅林になっていたが、まだつぼみのままだった。

 梅林前の橋を渡った先は、梅郷一丁目の集落。、最初の家に、開花前だが青梅市指
定梅樹という、野梅性という系統の古木があり、そばのマンサクが花盛り。


 少し高見の通りに出て西へ、大きな紅梅がかなり開花していて、その下に福寿草が
たくさん咲いている。その先の竹林寺に入り、本堂前に腰を下ろして昼食にした。



 寺のそばにあったかやぶき屋根の民家の横から、「鎌倉街道」の標識に従い、山すそ
の細道に入る。眼下に梅畑が広がるが、ここもまだ開花前だった。


 さらに進むと、南向きの対斜面に紅梅、白梅がかなり咲いているのが見える。

 吉野梅郷を代表する梅園、「梅の公園」である。公園の入口付近にも、鎌倉街道の
説明板があった。

 梅の公園は、今日から3月末日までが梅まつりの期間。入園料は2百円だが、初日
の今日は無料とのこと。東口から園内に入った。


 日差しの多い南面は、かなり開花しているが、遊歩道を上がって北側斜面に回ると、
まだこれからの木が多い。


 吉野川に面した北側、正面入口付近の東屋に飾られた写真を見ると、見頃は3月中
旬のよう。でも入口付近には、臨時の売店も出来て、かなりの人が来園していた。

 川沿いを上流に向かって進み、標高504mの三室山への林道に入る。杉やヒノキの
樹林帯の中の上りが続く。御岳山から日の出山を経てきた、ハイカーのグループが、
何組も下りてきた。


 標高450m付近の分岐点まで上がって小休止。山頂往復は省略して、梅郷六丁目
方面への下山路へ。大岩の横を通過して、集落近くまで下ると、子ども達が記念植樹
した立て札が並ぶ。

 下の車道際には、「見返り之句碑」と呼ぶ、大きな句碑が建てられていた。


 集落を少し進んで即清寺へ。元慶年間(877~85)の開創で、建久年間(1190~9)
に、源頼朝が畠山重忠に命じて造営したとか伝えられ、鎌倉古道に面した要衝の寺だ
ったようだ。


 境内には、趣ある松が何本も立ち、大きな本堂を中心に、庫裡(くり)、鐘楼などがあ
る。西側斜面には、新四国八十八か所霊場が設けられ、庭の中心で、大きなモクレン
のつぼみが、かなりふくらんでいた。


 山すその道をさらに進み、北側から県道45号に回り込み、吉川英治記念館へ。ここ
で解散となったが、全員が入館する。

 南面から西側に広い庭園が広がり、北東側に母屋↓と洋館、その背後に展示室の建
物が並んでいる。

 吉川英治は、昭和19年(1944)に都心からここに疎開し、約10年間生活したとの
こと。母屋は弘化4年(1847)頃の建築で、明治初期に建てかえたという。

 隣の洋館は、吉川英治が書斎として使ったもの。三度の食事もここでとり、「新・平家
物語」もこの書斎から生まれたようだ。


 樹齢500~600年というシイの大木の横を上がって展示館に入り、吉川英治自筆
の原稿や色紙、こで執筆した「宮本武蔵」、「新・平家物語」などの著書、受賞した文化
勲章などを観覧した。

 敷地約6000㎡(約2000坪)の多くを占める、庭園の遊歩道を一巡して記念館を
出た。


 柚木町一丁目の住宅地を抜けて、多摩川の奥多摩橋を渡り、二つ先のJR二俣尾
(ふたまたお)駅に、15時45分に着いた。

 (天気 晴、参加 7人、距離 8㎞、累積標高差 約770m、地図(2万5千分の1)
  武蔵御岳、歩行地 青梅市、歩数 11,000)


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青梅の吉川英治記念館へ(東京)

2011-02-19 21:34:18 | ウオーキング
 今日、2月19日(土)、関東百駅巡礼歩行に参加して、JR青梅線の日向和田(ひなた
わだ)駅から、梅の公園、三室山を経て、吉川英治記念館を観覧して、二つ先の二俣尾
(ふたまたお)駅まで歩きました。

 レポートは別途とし、最後に訪ねた吉川英治記念館の庭園の様子のみを紹介します。

 吉川英治は、昭和19年(1944)3月、東京・赤坂から、ここ、当時の西多摩郡吉野村
(現在は青梅市柚木町)に疎開し、昭和28年8月に去るまで、10年の間住んだとのこと
です。

 現在はその邸宅跡が吉川英治記念館になっていて、広い敷地は約6000㎡(約2000
坪)あり、趣ある庭園を巡れるようになっていました。

 入口を入って正面にあるのが、この母屋。


 母屋の左手奥には洋館があり、吉川英治は、ここで新平家物語などを執筆しました。

 3度の食事も、多くはここでとったようです。

 洋館のそばに咲くアシビ(馬酔木)。


 広い庭園の中心に立つシイの木。樹齢は5~600年とか。


 緩やかな斜面を生かした庭園の一部。


 シイの木の下に建つ石像。入口付近にも同じような石像が。


 早春に咲く花、マンサクが数輪、花を見せていました。


 展示室には、吉川英治の執筆原稿や、新平家物語、私本太平記などの刊行本、昭和35
年(1960)に授賞した文化勲章などが展示されていました。
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所沢航空記念公園 彩翔亭の雪景色(埼玉)

2011-02-15 17:29:45 | 所沢だより
 昨夜からの雪は、首都圏でもこの冬一番となり、所沢市内でも5センチ前後の積雪に。
でも朝には天気が回復して、今日、2月15日(火)は、青空が広がり、日中は気温も
10度以上に上昇しました。

 午前中市内ウオーキングに出かけ、所沢航空記念公園内の、彩翔亭(さいしょうてい)
と呼ぶ、日本庭園と茶室のある一角に入ります。




 園内中心にある池に流れ込む二つの滝のあたり。




 滝の落下する、池の南側は築山になっています。


 茶室の前の白梅が、見頃でした。




 池の西側にある東屋(あずまや)の周辺。


 わずかながら、竹林もつくられています。


 シャクナゲのつぼみは、もうかなりふくらんできていました。


 桜や広葉樹の並ぶ、南側の林。


 茶室は池の北側にあり、ときどき茶会が開催されるようです。



 気温が上がって松の木の雪も急速に溶けて、池に波紋をつくっていました。


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