あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

平成最後の元日 六本木ぐるぐるウオーク2019へ(東京)

2019-01-01 22:14:18 | ウオーキング
 2019年1月1日(火・祝)

 皆様、よい新年をお迎えでしょうか。昨年も当ブログをたくさんの方にご覧いただき、
本当にありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。

 晴天に恵まれた首都圏の元旦の今日は、NPO東京都ウオーキング協会主催の『「謹賀
新年」六本木ぐるぐるウオーク 2019」』に参加しました。

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 JR中央線四ツ谷駅に9時27分に着き、南西側5分ほどにある集合場所の四谷見附公
園へ。


 公園の中央に、新宿区立公園で最大の木というプラタナスの大木が立っている。この公
園が大正時代に赤坂離宮前記念公園として開園した頃からあったようで、新宿区の「みど
りの新宿30選」に選定されているという。
     




 10時から出発式が始まり、最初にNPO東京都ウオーキング協会会長の大塚さんから
新春の挨拶がある。
         

 そのあと、コース説明やストレッチ体操をして10時15分にスタートした。 


 南西に向かい、すぐ先で学習院初等科の正門前を通過し、学習院沿いに鮫河橋坂を緩や
かに下る。
     


 緑豊富なみなみもと町公園横を過ぎると上り坂となり、東宮御所の正門前を過ぎる。      


 東宮御所の一角に、紅葉の彩りが残っていた。



 権田原交差点で右折して明治神宮外苑に入り北北東へ、この周辺では新年恒例の催しか、
20㎞競歩の大会を開催中で、選手が次々に通過し、横断する場所ではウオーカーは少し
待たされる。


 その間を横断して聖徳記念絵画館前を過ぎる。



 すぐに緩やかな左カーブとなり、2020年の東京オリンピック主会場として建設中の
国立競技場横を南へと回る。競技場の外観はかなりできあがっていた。



 神宮第二球場の先には、ヤクルトスワローズのホームグランドで東京六大学野球のメッ
カ、神宮球場が。正式名称は「明治神宮野球場」のよう。、


 続いて秩父宮ラグビー場前を過ぎる。


 外苑前交差点で左からの青山通りに合する。
 

 青山通りをすぐ先の青山三交差点で左折して南東への外苑西通りに入り、少しで西側を
平行する細い通りをしばらく進む。普段通過したことにない住宅地の間の通りだ。
      

 その細い通りの一角、南青山四丁目にあった小さな店のウィンドウに並んでいたもの。



 高架になっている都道413号・赤坂通の下を通過し、次の西麻布交差点を左折して六
本木通りを東北東へと向かう。   
     

 六本木六交差点の先で六本木通りに分かれて北西に延びる通りへ。間もなく六本木西公
園前を通過する。


 近くの路傍に古いお地蔵さんが残っていた。
 

 すぐ先で、外苑東通りとの交差点に出た。地下は都営大江戸線の六本木駅だが交差点の
向こうには六本木ミッドダウンの超高層のイーストビルが。
     


 その横をさらに東北へ進み、桧町公園横へ。少しだけ公園をのぞいてみる。




     

 公園の東北端でひとつ東側の通りに回り、緩やかなカーブ道を進んで氷川神社前へ。参
拝しようとしたが参拝者がたくさん並んでいたので鳥居際で頭を下げた。


 参道には、ご神木のイチョウだろうか高木が立っている。
   

 変則X字路を左折してすぐ先のY字路の北側に、勝海舟と坂本龍馬の師弟像があった。
敷地は現在、特養ホームになっているよう。
        

 北北西に進む通り、氷川公園辺りから望まれるのは国際新赤坂ビルのよう。
     


 地下を東京メトロ千代田線の走る赤坂通を横断して、一ツ木通り↑を進み、赤坂見附交
差点へ。



 ここで左折して内堀通に入り、西から西北へと回って紀伊国坂を上がる。


 紀乃国坂交差点付近からの北方、上智大学周辺のビル。


 左側は赤坂御所沿いで、閉じたままの門は東門だろうか。


 坂を上がりきり、若葉東公園前を過ぎる。


 その辺りから東側の眺め。やはり上智大学のビルだろうか。



 四谷中前交差点を左折すれば、スタート地でゴールの四谷見附公園。12時25分にゴ
ールした。


 ぐるぐるウオークなので、さらに同じコースを1~2周することもできるが、アンカー
がすぐ後に到着したように私の歩きはスローペースなので、1回で終わりとする。

 初歩きの御神酒を少しだけいただいて公園を去り、JRと東京メトロ丸ノ内線の四ツ谷
駅に向かい、東京メトロ四ツ谷駅12時40分発で新宿方面に向かった。

(天気 快晴一時晴、距離 10㎞、地図 大会配布地図(1万分の1)、歩行地 新宿区、
 港区、歩数 13,800) 
     
 





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羽村草花丘陵と周辺の寺社などを巡る(東京・羽村、あきる野、福生)

2018-12-21 22:46:36 | ウオーキング
 2018年12月19日(水)

 師走も後半に入ったが晴天で寒さも緩むとの予報なので、ウオーキングに出かけた。

 自宅から1時間10分で、JR青梅線羽村(はむら)駅に9時48分に着いた。6分後
に出発して東口にある西友で弁当を求める。


 初めに、近くにある五ノ神社を目指して周辺を少し迂回したが見当たらず、駅前に戻っ
たらなんと西友と道路を隔てた東側だった。

 神社の創建は推古天皇9(601)年と伝えられる古社。宝亀年間(770~80)に
熊野五社権現を祭ったところから五ノ神の地名が生まれたといわれるとか。駅東口一帯の
地名は五ノ神である。

 現在の本殿は、青梅の宮大工・小林藤馬が嘉永2(1849)年に着工し、文久2
(1862)年に竣工されたと推察され、江戸時代後期のこの地方の社寺建築の特徴がよ
く伺えるようで、羽村市有形文化財に指定されていた。


 神社の南側に、東京都指定史跡「まいまいず井戸」がある。まいまいずとはかたつむり
のこと、井戸に向かって降りる通路の形が似ていることから名付けられたもの。

 鎌倉時代のものと推定され、昭和33(1958)年の町営水道開設まで使用されてい
たという。地表面の直径約16m、底面直径約5m、深さ約4.3mで、地表面から周壁
を約2周して井戸に達するようになっている。

 駅に戻って自由通路で西口に出た。交番横から少し進むと羽村市観光案内所があったの
で入り、市内の地図などをもらう。


 すぐ先の交差点で新奥多摩街道と旧鎌倉街道を横断し、右手高台の稲荷神社境内へ。
     
 稲荷神社の創建時期は不明だが、江戸後期の「新編武蔵風土記稿」に「稲荷社」と記さ
れているとか。もとは南側の禅林寺西南にあったのを明治39(1906)年に移築し、
平成2(1990)年に拝殿覆殿など大改築したという。



 境内西側からは、多摩川を挟んでこれから向かう草花(くさばな)丘陵や奥多摩の大岳
山などが望まれる。


 西南側から道路に下り、道路の東側台地下の禅林寺(ぜんりんじ)へ。創建は文禄2
(1593)年、当地の島田氏の先祖、島田九郞右衛門が自分の寺として開基したとか。


 禅林寺は、「大菩薩峠」の作者、中里介山(なかざとかいざん)の菩提寺でもある。
庫裡(くり)の前の案内図に従い、本堂左手から裏のヒノキ林を上がり、段丘上の細道を
50m余り進んだ墓地の一角にあった。
         
 中里介山は、明治18(1835)年に近くの羽中(はねなか)四丁目の水車小屋で生
まれた。大正2(1913)年から長編小説「大菩薩峠」を書き続けたが、未完のうちに
昭和19(1944)年に59歳で没している。

 境内には、「天明義挙(てんめいぎきょ)の碑」がある。江戸時代の三大飢饉のひとつ
天明飢饉の際、天明4(1784)年2月、羽村の名主・組頭を中心に近郷40か村を巻
き込んだ農民一揆の犠牲者9名を「義民」としてたたえて、明治27(1894)年に建
立されたという。
         

 もとの道を次のY字路まで進むと、塔のある洋館風の建物がある。バス停の名から「東
会館」のよう。


 左折してすぐで奥多摩街道に出た。玉川上水沿いを東へ、次の羽村堰入口交差点で玉川
上水を渡る。
     


 右折して玉川上水と多摩川左岸の間を進むと、玉川上水の取入口の羽村堰(はむらぜき)
があり、取水された玉川上水にはかなりの水量で流れていた。




 羽村堰は「投渡堰(なげわたしぜき)」と呼ばれる方式で、普段は主柱に丸太や木材を
渡して水流を堰き止めるが、増水時にはそれらを外して土手や水門の崩壊を防ぐ仕組みの
よう。

 取水堰際に、牛枠(うしわく)(川倉水制(かわくらすいせい))の説明板とその実物
大模型がある。

 牛枠とは治水技術のひとつで、水の勢いを弱め堤防が壊れるのを防ぐ仕組みのようだ。

 多摩川左岸側には、羽村取水堰(投渡堰)が平成27(2015)年に「土木学会選奨
土木遺産」に選定された選定証があった。

 周辺には東屋(あずまや)も設けられ、そばの松の木の傍らに、玉川上水を作った「玉
川兄弟の像」がある。玉川上水完成後、兄弟はその功労により「玉川」姓を与えられてお
り、手前が弟の清右衛門で、後が兄の庄右衛門だという。
         
 玉川上水は、江戸の人口増加による飲用水不足の対処策として、老中松平信綱が町奉行
神尾元勝などに多摩川の引水を計画させ、承応2(1653)年に多摩郡羽村の庄右衛門、
清右衛門に命じて、ここに堰を設けて江戸までの水路を完成させたものである。

 
 多摩川左岸沿いを南進し、羽村堰下橋を渡る。橋の近くに、どんど焼きに使われるらし
い針葉樹の生葉を集めた三角錐ができていた。



 右岸を500m近く逆行し、羽村市郷土博物館に入る(入館無料)。堤防を挟んた多摩
川右岸河川敷にも、牛枠が数個並んでいた。


 羽村郷土博物館は、羽村市の自然、風土、歴史、文化に関して資料の収集、保存、調査
研究を行い、その成果を展示や学習会、資料集の刊行などで公開しているとか。


 常設展示室では、「多摩川とともに」「玉川上水を守る」「農村から都市へ」「中里介
山の世界」のテーマに分けた展示があり、企画展示室では特別展「御札と旅~羽村人の祈
り~」を開催中。

 写真撮影は可だがネットへのアップは禁止とのこと。まいまいず井戸の模型、江戸時代
の玉川上水の水門、養蚕設備、現在の水門、中里介山の作品や資料など、ここならではの
貴重な展示を撮ったが、公開できないのが残念だ。

 北側の屋外展示場には、赤門と旧下田家住宅がある。赤門は江戸時代中頃の創建といわ
れ、中里介山の大菩薩峠記念館の正門。記念館が閉館後の昭和59(1984)年にここ
に復元したとという。



 旧下田家住宅は、市内羽西(はねにし)にあった下田氏の家を譲り受けたもの。弘化4
(1847)年の建築で、多摩西部の古い民家の造りをよく残し、1210点の生活用具
や養蚕用具などとともに、国の重要有形民俗文化財に指定されている。




 25分ほど観覧して、12時02分に郷土博物館を出た。西側の雑木林下を進むと、博
物館のもう一つの屋外展示、旧田中家長屋門がある。

 もと丹木村(現八王子市丹木町)の千人同心田中郡次家の門で、門扉やくぐり戸、柱や
梁など200年以上前の建設当時のものも残っているようだ。

     
 間もなく「羽村草花丘陵コース案内図」があり、山道に入る。次第に坂道となり木の段
などあり、上り詰めたところに小さな社の羽村神社が祭られている。
     
 昔は浅間社と称され、西多摩村の南の山林にあったとか。


 標高約220mのこの付近は浅間山と呼び、北側は絶壁で展望が良く、多摩川の流れを
見下ろし、その向こうに羽村市から東方の狭山丘陵などが一望できる。





 すぐ南のピークが東屋のある浅間岳山頂で、標高235.2mの三角点がある。
         

     
 その先しばらくは、南東に向かって立川国際カントリーゴルフ場との境界に沿った稜線
上を進む。周辺はクヌギなど広葉樹が多く、右手樹間からゴルフ場が見える。


     


 夏の台風の強風で倒れたらしい倒木をまたぐ。ゴルフ練習場やゴルフ場のクラブハウス
が近づいた辺りで左手の樹林が切れ、眼下に多摩川の堰下橋や羽村堰、その向こうの住宅
やビル、狭山丘陵、下流の羽村大橋などの展望が開ける。






 さらに目をこらすと、少しガスで霞む新宿副都心周辺だろうか、高層ビル群も望まれた。


 間もなくゴルフ場入口付近の車道に出た。そこから車道を下ろうかと思ったが、その先
の石段を上がる山道に道標があり、目的地の妙見堂や大澄山(だいちょうざん)が記され
ていたので、そちらに上がることにする。
     

     
 急な石段を上がると鳥居があるが社殿は無く、台座らしいところに「朝日山妙見堂」の
表示がある。もしかしたらここもこの夏の台風で壊されたのだろうか…。



 前方に下り、さらに急石段を上がったりして林間を進むと右手の視界が開け、雲をまと
った富士山上部や丹沢や奥多摩の山並みなどが望まれる。


 再び針葉樹林や竹林の間などを抜けて、羽村大橋の南側近くの都道250号に下った。
標識に従い羽村大橋の西側近くまで進み、変則五差路で折り返すようにU字状に回り、多
摩川右岸沿いの都道29号を南下する。

 近くに八雲神社への標識があるはずだが見つからない。少し先で西側を平行する旧道に
回るが、その先にも無いので大澄山に上がるのはあきらめる。


 そのまま進むと慈照寺の横に出た。13時55分に慈照寺の山門を入り、大きな本堂に
参拝する

 慈照寺は、文治4(1188)年、畠山重弘の娘で畠山重忠の伯母にあたる円寿院のた
めに創建されたと伝えられ、天正18(1590)年の八王子城落城の際に伽藍は焼失し
たという。

 本堂の左手手前には東京都天然記念物の「慈照寺のモッコク」が立っている。
     
 通常モッコクは低木か小高木だが、この木は樹高21.5m、幹周2.4mあり、これ
だけの高さのものは珍しいようだ。

 時間も経過したのでここで昼食をさせてもらうことにした。本堂左手から裏手の墓地に
回ると、頃合いの切り株があったので腰を下ろし、遅い昼食とする。

 広い墓地は本堂裏手一帯に高台まで広がり日当たりも抜群で、永眠するには格別な場所
のように思えた。


 切り株の横には8体のお地蔵さん↑が並び、さらに境内あちこちにお地蔵さんが祭られ
ていた。


 14時17分に山門を出た。草花集落の次の十字路を左折し、Y字路を左に下って多摩
川の永田橋際に出る。

 橋を渡り北に延びる車道を少しで、地図にない堰上明神社が。社殿は小さいが樹木は結
構あり、境内は永田児童遊園になっていた。
     


 近くには、文政5(1822)年創業で銘酒「嘉泉」や「田むら」などの蔵元、田村醸
造場があり、白壁切妻屋根の大きな建物が数棟並んでいた。



 すぐ先が、臨済宗建長寺派の長徳寺である。閉じた山門の右手から境内に入ると、正面
に大きな本堂が構え立つ。

 「花の寺」のようで、本堂左手には四季に咲くたくさんの花の写真と時期が大きなパネ
ルになっている。12月はスイセンとツワブキのようだが、どこに咲いているのか目に入
らなかった。

  
 傍らの鐘楼は重厚な四脚の独特の造り。門のそばには大きなアカマツがあり、手入れ中。
掲示板に「健康十訓」が掲示されていて、読むと納得させられる。


     
 すぐ北のY字路で左折して玉川上水沿いを進む。左手前方が開けた多摩川左岸河川敷が
「福生(ふっさ)かに坂公園」になっていて、10数人の家族連れが訪れていた。



 公園に下って再び多摩川左岸堤防に上がり、右手に斜面林を見ながら進む。前方羽村大
橋の向こうには、秩父の武甲山だろうか三角形のピークがよく見える。


 老人ホームの先で堤防から下り、市立競技場の横から東側の斜面林に上がり、玉川上水
の新堀橋際へ。斜面林に覆われた玉川上水の流れを眺め、右岸沿いの遊歩道を逆行して南
に向かう。
     
 流れに沿った右手の広葉樹林は福生加美水上公園になっていて、稜線上にも遊歩道があ
る。少し進むと「富士山の見える丘へ 徒歩1分」の表示があるので上がった。

 富士山の方向は逆光だが、強風になびく山頂付近の雲と富士山上部が見えたので、そば
の立木の影から撮ってみた。


 足下には小さい鐘があり、「富士山が見えたら 鐘を1回幸せを願って」と記されてい
たので1回だけ鳴らす。
         

 すぐ先の斜面には「福生市指定史跡 玉川上水旧堀跡」の標石が立っている。上水の完
成から約90年経過した元文5(1740)年、多摩川の出水により市内で玉川上水の土
手がしばしば崩壊したので、約613mほど現在の新しい水路が造られたという。


 近くには『中西悟堂「野鳥村」構想の地』の説明板もあった。日本野鳥の会を創設した
詩人で野鳥研究家の中西悟堂が、昭和19(1944)年に福生で暮らし、この付近に野
鳥研究所を兼ねた「野鳥村」の構想を持ったところのよう。第二次世界大戦の悪化などで
断念したが、中西の遺志を継承する活動は現在も続いているという。


     
 そばの車の通れぬ加美上水橋を渡って玉川上水から離れる。橋のたもとに「加美大橋の
歴史」を刻んだ標石があった。

 昭和2(1927)年2月、大正天皇の陵墓造営に必要な多摩川石を運搬するため、福
生駅から多摩川の羽村境まで1.8㎞の砂利運搬専用線が敷設され、通称「ガード下」と
呼ばれる鉄橋がここに架けられたとか。1日2回電気機関車が4~5両の貨車を引いて通
ったが、昭和34(1959)年に砂利運搬は停止したとのこと。

 東進して福生四小前から南側の通りに回り、新奥多摩街道に面した福生神明社へ。


 拝殿には、先ほど通過した田村醸造場の銘酒・嘉泉の菰樽が奉納され、拝殿前には芭蕉
の「春もやや けしきととのふ 月と梅」の句碑が立っていた。
         

 境内西北側にご神木の2本のクスノキが目につく。約100前、地元の清水寛二氏が自
らの青梅農林高卒業記念に植樹されたものだという。
     

 新青梅街道を福生一小横まで進んで福生駅前交差点を左折し、JR青梅線の福生駅に
16時ちょうどにゴールした。


(天気 快晴一時晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 青梅、拝島、歩行地
 羽村市、あきる野市、福生市、歩数 23,500) 





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狭山市立博物館での吉田博展観覧と市内の社寺巡り(埼玉・狭山)

2018-11-19 16:44:43 | ウオーキング
 2018年11月14日(水)

 開催期間が残り少なくなったので、狭山市立博物館で開催中の『日本風景画の巨匠 吉田
博展』の観覧に出かけた。

 西武池袋線の稲荷山公園駅に10時30分に着いた。西北に広がる狭山稲荷山公園の桜
の紅葉が見頃。


 クロガネモチだろうか、赤い実をいっぱい付けている。



 線路沿いを4分ほどで会場の狭山市立博物館に入る。入館料は普段150円だが、今日
は「埼玉県民の日」で無料だった。
     
  
 最初に、同時展示している1階の関連企画「吉田博と吉田興文」を観覧する。

 吉田興文は吉田博の孫で昭和20(1945)年生まれ、吉田博と同様の風景水彩画家
で地元狭山市に在住されているという。



 展示作品の中には、狭山市内や埼玉県内の風景も幾つか見られた。


     
  
 そのあと2階の特別展示室での「日本風景画の巨匠 吉田博展 ~山と水と桜の画家~」
を観覧する。館内は撮影禁止なので、もらってきたリーフレットに掲載の作品を紹介する。
    
 展示作品は、明治32(1899)年頃制作の「雲井桜」から、昭和14(1939)
年制作の「三渓園」までの年代にわたる37点。
         
  
    

         

 作品の対象風景は国内の弘前城から沖縄風景まで全国各地と、アメリカをはじめフラン
ス、スイスなどヨーロッパや、インドなどに及んでいた。


 特別展の観覧後は常設展示室に回ると、「入間川(いるまがわ)と入間路 -その自然
と風土-」を基本構想とした、狭山市内の歴史や文化、産業、伝統行事などに関する幅広
い展示物があり、懐かしいものも多く興味深く一巡した。







 11時42分に博物館を出た。北側に広がる狭山稲荷山公園内の園路を半円形に右回り
しながら園内を眺める。


 北西に伸びる木道を下って愛宕神社の横から公園を出た。国道16号に入り南西にすぐ、
小さな社殿の第六天神社前を過ぎる。
     
  
 300mほどで北側に並行する旧道に回って西へ、すぐ先Y字路際のマンション構内に
標高62.1mの水準点が目につく。
             

 その先を直進して間市に入って霞川の橋を渡り、突き当たりの蓮華院に南から回り込み、
弁天池の間から広い境内に入る。



 本堂にあたるのだろうか突き当たりの観音堂は、正面5間、奥行6間、総ケヤキ宝形造
り(ほうぎょうづくり)の大きな建物。虹梁(こうりよう)や欄間(らんま)には精巧な
彫刻が施されていた。


         
 正面に下がる鰐口(わにぐち)は、直径約38㎝、重さ約5.25㎏、室町中期の寛政
2(1461)年の作品とか。もとは比企郡鳩山町の千手堂に奉納されたものらしいが、
ここに伝承された理由は定かではないらしい。

              
 観音堂前には背の高いイチョウが立つが、まだ黄葉はしていない。ほかにケヤキの高木
など境内は豊富な木々に覆われている。

         
 境内には、市内扇町屋で殺された彰義隊士を供養する彰義隊遭難者の碑付(つけたり)
地蔵や、江戸時代前期の念仏信仰の様相を示す延宝9(1681)年造塔で当地最古とい
う「千日回向名号塔(せんにちえこうみょうごうとう)」↑があった。

 もとの旧道を狭山市内に戻り、さらに東進して長栄寺へ。この寺にもイチョウの古木が
立っている。


 本堂前に新しい「健脚観音」が立ち、「健康念じてまず一歩、幸せ願ってもう一歩」な
どと記されていたので、本堂に参拝後あわせて祈願した。
         

 近くには「健康の碑」もあり、背面に「毎日万歩歩き 千字かいて 百回深呼吸」と刻
まれている。
    

 狭山鵜ノ木郵便局の先まで進み、入間川の広瀬橋から伸びた通りを南に少しで国道16
号に入る。すぐ東側に「麺処 更科」があった。

 13時近かったので入り、とろろせいろそばを注文して昼食とした。
    


 次のT字路を右折して南側台地下から階段を上がり、狭山稲荷山公園の東北部へ。


 西北方から北側、東北方にかけての大展望が広がり、左手には奥多摩北部から奥武蔵、
秩父の武甲山などの山並みが、そして正面はるかには赤城山かと思われる山容も望まれた。
                            武甲山


                          堂平山   笠山       


 赤城山?


 眼下の北斜面にたくさん植え込まれたツツジは、何株もが狂い咲きしている。


 さらに円塔タンクのある配水場の先まで進み、狭山市立中央児童館のプラネタリウムの
そばを南側に下る。
     

 児童館前の皇帝ダリアが開花していた。


 その前を南下して配水場入口近くの豊川稲荷まで行き、「大正天皇御野立所の碑」を探
したが見当たらない。地図をよく見るとどうやら配水場の北側にあるようで、児童館に来
る途中で見落として通過したようだ。

 児童館前に戻りさらに先へ、北東に下って五差路の中央児童館東交差点を渡る。

 交差点北東側の小さいお堂に、「石黒坂の庚申塔」と呼ぶ青面金剛塔が祭られているよ
うだが、木格子の中でよく確認できない。
         

 北に進んで諏訪神社前を通過する。この社殿の両側にも2本のイチョウが立っていた。


 ちなみに、この神社では「お諏訪さまのなすとっかえ」という行事があるとか。8月の
第4土・日曜に行われる神事で、自分の畑でとれたナスを神社に納め、代わりに神社に供
えてあるナスをいただいて帰ることにより夏の病を避けることができたという。

 すぐ先を左折して国道16号に出た。その先は本富士見橋に伸びているが進まず、国道
の北東すぐ先にある清水八幡宮へ。

 小さい社殿前にイチョウのみ立つ狭い境内に「清水冠者源義高(みなもとのよしたか)
終焉(しゅうえん)の地」の立て札がある。その説明板によれば当時の社は無く、場所も
はっきりしてないようだ。

 入間川の新富士見橋から伸びる通りと交差する次の交差点まで進み、国道を跨道橋で越
える。跨道橋からの北側の展望。


 北東にあるスーパー・イオン横に下って小さい流れ沿いへ。次の橋を渡って八幡神社前
を通過、南側の通りを東進して天満天神社へ。
     
 社殿前にはやはりイチョウが立ち、境内には火の見やぐらも残っていた。

 道路を挟んで南側の徳林寺へは西側に回って境内に入る。武蔵野三十三観音霊場第17
番札所で、本尊は薬師如来のよう。



 大きな本堂正面の階段地下の建物に、日本各地から集めたというカエルの置物がたくさ
ん飾られていた。




 境内には地蔵堂や舎利堂などもあり、東側のジュウガツザクラが花を見せている。
    

 境内西側の小さい建物には、珍しいコレクションが並んでいた。全国の名高いトンネル
工事の奇石「貫通石」を公開しているのである。
 
 この寺の檀徒で役員の平山嘉一氏から寄贈を受けたものとか。「貫通石は護り石として
大願成就を期し、貫通(願いを貫き通す)の祈願として合格祈願や安産祈願、交通安全な
どの諸祈願を託したい」という思いが込められているようだ。


 よく見ると、北海道から九州までよくこんなに集めたと思われる各地のトンネルの貫通
石が並んでいて感心した。


         
 山門近くにはかわいらしいお地蔵さんが立ち、山門の外には交通安全地蔵もあった。

 中央図書館だトイレを借りてから東側に回って福徳院へ。本堂には不動尊が祭られてい
る。


 高台なので北側の展望が開け、その展望を背にして徳林寺中興開基の綿貫家一門の墓所
がある。


 墓地の東側には、綿貫家の邸宅内にあったという「西東」の碑もある。

 綿貫家は江戸中期にかなりの財力を蓄えた豪商で、江戸後期には「西の鴻池(こうのい
け)、東の綿貫」と並び称されたよう。


 武蔵野三十三観音霊場第17番札所であり、道路側には大きな露座の観音像と観音堂が
祭られていた。

 中央図書館前の交差点に戻り、西南側高台に上がって西側の芝生のみの公園を抜ける。
ここは旧入間川小学校跡のようで、西側の築山には卒業記念碑が残っていた。

 
 西端まで進んで車道に出て少し折り返し、色づく広葉樹に囲まれた八幡神社に入る。

 明日は七五三の日だが、一日早くお参りに来た家族連れも見られた。



 日が傾きやや冷えてきた。南に回って最後に慈眼寺へ。こちらは武蔵野三十三観音霊場
第16番札所で、本堂のほか「無量寺閣」額の掲げられたお堂や、壁付の鐘楼堂などの建
物がある。




 南東側の交差点から北東に進み、ゴールの西武新宿線の狭山市駅に15時44分に着く。

(天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 川越南部、歩行地 狭山市、入間市
(少し)、歩数 16,800)





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第41回日本スリーデーマーチ(第3日)(埼玉・東松山ほか)

2018-11-11 23:52:41 | ウオーキング
 2018年11月4日(日)
 == 第3日 都幾川・千年谷公園ルート(10㎞コース) ==

 最終日は曇天となった。今日も10㎞コースに参加することにしたが、昨日のようなス
タート時の待ち時間を考慮して30分近く遅く会場に着く。


 予想通り多くのウオーカーは出発後だったので、ほとんど待たずに9時40分にスター
トできた。
 
 しばらくは初日の帰路に近いコースを逆行して東松山の市街地を西に抜け、おため池の
そばの「虎御石」と呼ぶ大きな板石塔婆(いたいしとうば)の横を過ぎる。
     
 高さは3.75m、幅70~77㎝あり、比企・入間地方で最大の板石塔婆で、応安2
(1369)年に建立されたという。


 スタートから6㎞地点の唐子(からこ)中央公園では、毎年恒例でスリーデーマーチと
同じ開催回数の「第41回唐子地区商工祭」を開催中。




 野球グラントの西側では湯茶接待用テントがあり、お茶、梅干しとあめ玉をいただいた。

 
 その先の天の園記念碑↑周辺では、この地を舞台にした打木村治作の児童小説「天の園」
をNHK朝ドラ化の推進運動を続けているグループが、パネル展示と署名運動をしていた
ので私も署名した。


 折り返して段丘下に下る辺り、地元農家の方が柿などの直売をしていて、そばのキクが
きれいな彩り。その先の車道際のコキア(ホウキグサ)も色鮮やか。
    







 次のT字路で20㎞、30㎞コースに分かれ、しばらくは車のほとんど通らない静かな
里道を東進する。


 比企地方の代表的な形態のかやぶき屋根の形を残す、民家が残っていた。


 右手(南側)一帯は田んぼとその休耕田の続く石橋地区を通過し、少し南東に回って関
越自動車道の下を東に抜ける。


 関越道の手前の民家で、とりたての甘柿を販売していたので、昨年同様分けてもらった
(5個入り100円)。
    

 関越道を抜けたすぐ北東にあるのが、9㎞地点でチェックポイントの市立南中。


 12時05分に入り、霧雨模様になってきたのでチェックシールをもらった後、生徒の
駐輪場の屋根下に入って昼食にした。



 ちなみに南中は、3年前の2015年にノーベル物理学賞を受賞された梶田隆章先生の
母校である。
          

 校舎玄関横には、梶田先生の受賞記念碑などがある。12時32分に南中を出た。
     


 東側の上郷地区に入って都幾川左岸堤防近くを進むと、たわわに実をつけたミカンが目
につく。


 かつて養蚕農家だったらしい、2階の屋根に煙出しの小屋根をつけた民家が2棟並んで
いる。

 かやぶき屋根と煙出し屋根のある民家は、ここ比企地方で中学時代まで過ごした私にと
っては、いつ見ても懐かしい風景だ。






 花の苗床とそれを育成するビニールハウス横を過ぎると、焼き芋の無料サービス中の広
場があり、たくさんのウオーカーが並んで待っていた。





 国道254号線を跨道橋で越えて段丘上に上がり、市街地に戻って東武東上線の東松山
駅下を北に抜ける。


 
 和太鼓やブラスバンド、祭り囃子のなどの歓迎を受け、ゴールの中央会場に13時33
分に入った。









 間もなく、地元の大東文化大のブラスバンド演奏を先導にしたパレードが入場してきた。



 次に実行委員長の森田光一東松山市長を初めとする大会役員などが、以下日本マーチン
グリーグ開催地の代表や埼玉県警音楽隊など各種団体が続く。
     







 会場内はウオーカーや東松山市民など、今日もたくさんの人々で賑わう。



 14時過ぎに会場を後にして隣接する東松山総合会館に入り、東松山ゆかりの彫刻家、
高田博厚展を観覧する。
     
  



 駅に戻る途中の道筋でも、パレードの列と歓迎の和太鼓演奏などが続いていた。




















(天気 曇、距離 12㎞、歩行地 東松山市、歩数 2,2100)

 なお、3日間の参加者総数は82,259人だった。コース別の内訳などは、東松山市
関連サイトをご参照下さい。





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第41回日本スリーデーマーチ(第2日)(埼玉・東松山ほか)

2018-11-10 21:58:13 | ウオーキング
 2018年11月3日(土)
 == 第2日 吉見百穴・森林公園ルート(10㎞コース) ==

 2日目も好天に恵まれた。今日は10㎞コースに参加することにしたので、きのうより
ほぼ1時間遅く会場に着いた。


 ちょうど10㎞コースのスタート中で長い列が3列折り返していて、15分くらい並ぶ。


     
 東松山市のマスコットキャラクターの「あゆみん」「まっくん」や、市の観光大使など
に見送られて9時31分に中央会場の松山一小を出発した。
         



 東側の市役所横を北へ、車の交通量が多いが歩道が無く細い側道だけなので長い列が続
き、信号でたびたび止まるなどマイペイースで歩くことはできない。

 
 道路を挟んで地蔵堂のある交差点を過ぎ、市野川小の西で市野川を渡る。こんなゼッケ
ンをつけた人も。
         

     
 さらに長い列が続き、滑川を渡って西に向きを変え、田園地帯になり車の煩わしさから
解放されようやく歩きやすくなった。




 西方には、きょうも外秩父の笠山や堂平山などの山並みが望めるが、気温が上がり霞ん
でいて昨日ほどはっきりとは見えない。



 庭先にカキの実る農家の前をいくつか通過し、西明寺(さいみょうじ)沼の東側にある
西明寺では休憩するウオーカーが多い。





 沼の西側で北へと曲がる角に、ジュウガツザクラが咲き出していた。


 見通しの良い畑作地帯を進んで滑川左岸堤防に出て、1㎞余りは堤防を進む。


    
 前方に森林公園の木々に覆われた丘陵が近づき、川を離れてススキがなびき何本かカキ
の実る木の横を北西へと進む。





 ケヤキなどの色づきがよい駐車場横を進み、11時19分に国営武蔵丘陵森林公園の南
口を入る。今日は、一般の人を含めて無料開放日である。


 入ってすぐの噴水横が10㎞コースのチェックポイント。



 そばの湯茶接待所で冷たいお茶をマイコップにもらい、たくさんのウオーカーが憩う芝
生広場の緑陰にシートを広げて昼食とした。





 11時55分に森林公園南口を出た。今年も、入口近くでバグパイプとアコーディオン
演奏でウオーカーを激励してくれるご夫妻の姿がある。



 ケヤキや桜などの色づく駐車場を眺めながら、南南東の森林公園駅まで約3㎞続く気持
ち良い遊歩道へ。
     




 樹間からは、まだ刈り入れ前の田んぼの間を公園に向かう10㎞コースのウオーカーが
望まれ、東側の側道に回ると毎年おなじみ、歓迎の横断幕が。


 この先で側道から再び遊歩道に戻り、遊歩道の終わる森林公園駅北口で東に向かう。


 東上線の線路沿いを少しで東松山の市街地に入り、松山高前を通過して市役所の東側に
戻り、ゴールの中央会場には13時19分に着いた。



 今日も快晴でより暖かく、会場は昨日以上の賑わいか。「まっくん」「あゆみん」も残
っていて歓迎してくれた。


 ウオーキング靴メーカー、ムーンスターのブースでは記念写真を撮ってくれている。今
日は空いたので私も撮ってもらった。
      

 13時45分頃、会場を後にして駅に向かう。途中のまるひろ百貨店駐車場の会場と、
歩行者天国になっている通りでは、今日の催し物、「よさこい陣屋まつり」に参加した近
隣のよさこい連のグループが、よさこいソーラン踊りを順次披露してくれていた。




 暖かい今日、帰路の東武東上線川越市駅の14時50分の温度は21.5℃だった。

(天気 快晴、距離 13㎞、歩行地 東松山市、滑川町、歩数 21,500)





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第41回日本スリーデーマーチ(第1日)(埼玉・東松山ほか)

2018-11-09 18:52:37 | ウオーキング
 2018年11月2日(金)
 == 第1日 和紙の里・武蔵嵐山ルート(20㎞コース)へ ==

 今年も、埼玉県東松山市を中心に3日間開催される国内最大のウオーキングイベント、
「第41回日本スリーデーマーチ」に参加した。私は29回目の参加になる。
     


 快晴となった初日は「和紙の里・武蔵嵐山ルート」で、東松山市役所の隣にある松山一
小の中央会場から西方に向かうコース。私は20㎞コースに参加することにして、8時
25分に中央会場をスタートした。


 北に少しで県立松山高の校門前を左折する。校舎には、例年同様たくさんの各種大会参
加の垂れ幕が。



 東武東上線の北側を西進して、森林公園駅前を過ぎる。近くの民家の柿は豊作のよう。
色づいた実がいっぱいの柿の木は、この先あちこちで見た。


     
 500m余りで北へ、市野川(いちのかわ)の高橋を渡って左岸沿いをしばらく西進す
る。北側一帯には、ひこばえの田んぼが広がる。



 スタートから5㎞地点にある最初の休憩ポイント、羽尾平(はねおたいら)集会所前広
場では湯茶の接待所があり、熱い甘酒やお茶、あめ玉などの接待をいただいた。


 地元滑川町のチンドン屋さんの歓迎演奏も。



 そばの民家の庭先では、キクやコスモスが花盛り。


 その先では、西方に外秩父の名峰、笠山(右)と堂平山(左)が望まれた。


     
 上市野川橋まで進んで川を離れ、関越自動車道下を通過して嵐山町の住宅地に向かう。
    


 住宅地への角を曲がるとジュウガツザクラが咲き、間もなく7㎞地点の鬼鎮(きじん)
神社へ。

 この先進む菅谷館(すがややかた)の鬼門除け守護神として、畠山重忠が鎌倉街道沿い
に建立したもので、節分祭や勝負の神として知られるところ。
    
 節分祭で「福は内、鬼は内、悪魔外」と連呼するのは日本でもここだけのよう。


 池の中に弁天堂の祭られた新田沼公園前を通過し、東武東上線のガードをくぐって南へ。
菅谷小と菅谷中の間を通過して国道254号を跨道橋で越える。

 
 すぐ南側が、20㎞コースのチェックポイントになっている国史跡・菅谷館跡。20㎞
コースの11㎞地点で、30~50㎞コースとも合流する。11時ちょうどに着いた。


 湯茶の接待所もあり、たくさんのウオーカーで賑わう。例年なら色づき始めている広い
館跡の広葉樹林も、今年はまだ緑の木々に覆われている。



 県立嵐山(らんざん)史跡の博物館前の広場では、早めの昼食をするグループも多い。
博物館を含む西側一帯の国史跡・菅谷館跡は畠山重忠の居館跡である。



 ここからは折り返すように東に向かい、すぐ先で国立女性教育会館構内を通過する。構
内の桜やケヤキなどはかなり色づいていた。
     


 まだ葉が緑のクリ林の間を抜けると、やがて南側に田園地帯の展望が広がる。


 竹林の間を上がって再び台地上の集落へ。

 禅寺、浄空院の前を通過して、「原爆の図」で知られる丸木美術館横へ。20㎞コース
の14㎞地点である。



 館前の広場には、都幾川の流れを見下ろしながら昼食するウオーカーも多い。


 さらに進んで唐子中央公園に12時18分に入り、野球グランド北側のベンチで昼食と
した。

 
 12時43分に出発して最後の5㎞余りの道のりを進む。国道254号と関越自動車道
を陸橋で越え、中の島に弁天堂の祭られたおため池の横を過ぎる。


 東松山の市街地に入り、箭弓(やきゅう)稲荷神社境内へ。和銅5(712)年創建と
いう古社で、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全の守り神。

 江戸時代は芸事の神様として知られ、現代は野球(箭弓)の神様とか。


 ゴールの松山一少の中央会場には14時05分に戻った。会場はすでにたくさんの人で
賑わい、ステージでは歓迎のミニライブも。







 会場内を一巡して14時50分過ぎ、会場を後にした。

 ちなみに、今日の参加者数は以下の通り。


(天気 快晴、距離 21㎞、歩行地 東松山市、滑川町、嵐山町、歩数 35,100)

 快晴で11月上旬とは思えぬ暖かさ。帰路の乗換駅、東武東上線川越市駅での15時
20分の気温は20.5℃だった。





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JR東日本駅からハイキングで縄文遺跡の里 一戸を歩く(岩手・一戸)  

2018-07-06 14:09:32 | ウオーキング
 2018年6月26日(火)

 宿泊した弘前駅前のビジネスホテルを7時過ぎに出て、JR弘前駅7時26分発奥羽本
線下り電車に乗る。

 新青森駅から東北新幹線上りはやぶさ12号で二戸(にのへ)駅へ。

 さらにIGRいわて銀河鉄道の上り電車に乗り換え、次の一戸(いちのへ)駅に9時
44分に着いた。


 駅の出札口で駅からハイキング「一戸町並みアートを巡る」の受付を済ませ、9時52
分にスタートする。


 ちなみに、一戸町は岩手県内陸北部に位置し、北上山地と奥羽山脈に囲まれた丘陵地。
総面積三百㎢中のうち山林・原野が61%とか。一級河川馬淵川が町のほぼ中央部を北に
向かって貫流し、市街地はその河岸段丘上に発達しているという。
       
 一戸の由来は諸説あるようだが、平安末期から名馬の産地として知られ、その牧場を一
から九の戸に分けたことからといわれているようだ。

 線路に沿って東側を南北に走る県道二戸一戸線の、すぐ東を平行する旧道に入って南へ。
家並みの間から学校の尖塔やその近くのドーム屋根などが望まれる。



 細い十字路際にあった「フードショップまつだ」には、交通安全の大きなカエルが立っ
ていた。
       


 近くの民家の庭には、どこも花が咲き競っている。



 旧道は県道に合してすぐ先で馬淵川が近づく。

           
 県道とのT字路にかかる碧(みどり)橋には、田村史郎氏作のブロンズ像「春夏秋冬の
像」が橋桁の四隅に立っていた。
        



            
  
        

 一戸町は美術の町なのだろうか、近くの掲示板には近く開催される「一戸美術展」のポ
スターがある。
       

 信号のある交差点で県道を離れて東へ。すぐ先、一戸南小のコンクリート造りの建物は
安藤忠雄氏の設計とか。

 離れて見る場所がないので全体像は分かりにくい。


 道路を挟んで北側の狭い境内には関屋大日堂が祭られていた。鎌倉後期から南北朝時代
のものと考えられる板碑が2体あるというが、どれなのか確認できなかった。


    


 学校の東で馬淵川の岩根橋を渡ると緩やかな上り道となり、Y字路で帰路となる道と合
する。少し先に、古くから地元の人に親しまれていたと思われる理容店がある。



 周辺の庭先にアジサイやバラなどがきれいに咲き競う。


 道路下の民家はもう冬の準備だろうか、まきがたくさん積み重ねられていた。



 国道4号線の下を四角いトンネルで抜けて、さらに緩やかな上りが続く。左手急階段上
に見える稲荷神社を過ぎると住宅が減り、ウグイスがしきりにさえずる。

 墓地と町営火葬場の間を進み、御所野縄文公園の入口に10時45分頃着いた。

 御所野縄文公園は、縄文時代中期後半(4000~4500年前)の大規模な集落跡で
ある御所野遺跡につくられたもの。

 御所野遺跡は、7万5千㎡に及ぶほぼ全面にわたり800棟以上の竪穴住居が見つかり、
平成5(1993)年に国指定史跡になったという。

 御所野遺跡や青森県の三内丸山(さんないまるやま)遺跡など、岩手、青森、秋田3県
と北海道の「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」は、世界文化遺産の暫定リストに
登載されている。


 2003年にグッドデザイン賞を受賞した木造の長い釣り橋「きききのつりはし」を進
むと、御所野縄文博物館の入口に着く。

 今日一番の見どころを思われるので観覧することにした(300円)。


 1階の展示室1「焼けた住居の発見」では、ガラス張りの床下に4000年前の焼失住
居跡を展示し、さらに国内外の復元した竪穴住居や遺跡から出土した土器などを展示して
いる。




 展示室2「御所野縄文ワールド」では、季節ごとの縄文人の生活の紹介と、出土した土
器や石器など生活道具、まつりの道具などが展示されていた。




 2階の展示室3「火とまつり」は、町内の蒔前(まくまえ)遺跡と山井遺跡から出土し
た、縄文晩期の精巧な亀ヶ式土器などが並ぶ。

    
     蒔前遺跡から出土した鼻曲り土面(国重要文化財)




 その横の展望室からは、遺跡公園内に広がる遺跡などが展望できる。


 30分ほど観覧して博物館を出て、西側一帯に広がる公園内を一巡することにする。


       


 博物館に近い「東むら」のエリアには、いくつかの竪穴住居と掘立柱建物が復元され、
各々の内部も見られる。



 南側には「縄文体験施設」と呼ぶ大きな竪穴式の建造物もある。



 広い芝生地を中央部に進むと「中央むら」で、復元住居も一番多く、掘立柱建物も幾つ
か並んでいる。



 復元住居の周囲には大きな栗の木が何本もあり、豊富な花を見せる。








 南側の周遊路沿のヤマボウシも白い花がいっぱいで、遠くからも目についた。



 西端近くの「西むら」には、平成11(1999)年の縦穴建物の火災実験跡↑がその
まま保存されていた。ここにも数棟の復元建物が並んでいる。




 正午近くなったので、西むらにあった木のベンチに腰を下ろし、間近にウグイスの声を
聞きながら12時まで昼食をした。



 公園の北側の周遊路を博物館前まで進んで「きききのつりはし」を入口に抜けて、12
時10分に御所野遺跡公園を後にした。

 往路は下り道、国道4号のトンネルの先まで戻ってY字路を右に上がり、沢田集落を北
へ進む。

 T字路で広い町道に出てすぐに左折してさらに北へ、町内で比較的開けたエリアのよう
で、薬王堂と呼ぶ薬局や県立一戸病院↓など大きな建物が続く。



 一戸病院の北側の花の丘公園には、舟越保武氏作の「春」と「濤」と呼ぶ若い男女のブ
ロンズ像が立っていた。
   

        

 すぐ先、十字路の北西側には図書館と一戸町コミュニティセンターの入るドーム屋根の
独特なデザインの建物が目につく。建物は木造のよう。



 広い道路を北東に向かうと一戸小が近づく。スタート直後見えたのが、この小学校の尖
塔とコミュニティセンターだと分かる。

 時計を見て次の下り電車に間に合いそうなので、少し近道をすることにした。一戸小の
手前の細道を下り、馬淵川の西方寺橋を渡り、一戸駅に12時50分に着いた。


 13時発IGR岩手銀河鉄道下り電車で次の二戸駅まで戻る。二戸から東北新幹線上り
はやぶさ20号で盛岡駅まで行き、次のはやぶさ22号に乗り換える。大宮駅に16時6
分に着き、自宅には17時30分に帰宅した。

(天気 曇、距離 6㎞、地図 駅からハイキング地図(2万5千分の1 一戸)、
 歩行地 岩手県一戸町、歩数 13,000)





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JR東日本駅からハイキングで りんごの里 板柳を歩く(青森・板柳)

2018-07-04 22:33:14 | ウオーキング
 2018年6月25日(月)

 JR盛岡駅7時59分発東北新幹線下り、はやぶさ95号に乗る。


 新青森で奥羽本線、弘前で五能線直通列車↑に乗り継ぎ、五能線の板柳(いたやなぎ)駅
に10時51分に着いた。
   

        



 今日は、JR東日本「駅からハイキング」の「りんごの里板柳・岩木山眺望コース」を
歩く予定である。駅員に受付場所の「板柳町ふるさとセンター」を聞くと、駅前の交差点
を左折して15分くらいとのこと。駅からハイキングで、そんなに離れた受付場所は初め
てだが、地図など駅には用意してない。

 幸い、自分で用意した2万5千分の1「板柳」にふるさとセンターの表示がある。それ
を頼りに、10時55分に駅を出た。

 駅前の交差点を左折して南へ、ニセアカシアの街路樹の続く通りには歩道があり、交通
量も少ない。少し進むとりんご畑が現れ、小さい実が赤く色づいていた。
    


 沿道に板柳りんご商業協同組合や民間の有津川りんごセンターなど大きな建物が現れ、
りんごの里であることが実感される。


    

 700mほどで変則十字路を左に入ると、広いエリアに幾つもの建物が目につく「板柳
町ふるさとセンター」である。

 ちなみに、板柳町は津軽平野のほぼ中央に位置するりんごの里。西に津軽富士・岩木山
を望み、岩木川水系の沖積土壌で形成された豊穣な土地を利用した米とりんごの町のよう。
     

 町の約3割がりんご園で、生産量3万2千トンを誇る国内有数のりんご生産地。全国初
のりんご専門市場「津軽りんご市場」があり、りんご産業をより活性化させているという。

 ふるさとセンターは、①りんごによる地場産業起こし、②体験農業の推進、③新しい
農業技術の提供の三つを目的に、町の経済活性化拠点として昭和61〈1986〉年に建
設されたようだ。


 高い塔の目立つ本館の前にある観賞池の横から南側に進むと、りんご園の向こうに日本
百名山で青森県最高峰の岩木山(1,625m)が望まれる。


 中央部にある総合案内所が、駅からハイキングの受付場所。


 受付を済ませて地図をもらうが、曲がり角などの目印は無く、方位や距離もかなりラフ
なもの。初めて来た人には何となく心許ない地図だ。

 案内所に近い青柳館には大浴場があるらしい。



 南東側の「Ringo Work」と書かれた建物はレストランのある工芸館で、売店と喫茶室
もある。建物の前に止まっていた、りんごカラーの板柳町のバス。


 駅からハイキング参加者には、売店でりんごジュースのサービスがある。ジュースをい
ただき、11時38分に出発した。



 芝生広場で休むのは保育園児だろうか、近くに「ニュートンのりんごの木」があった。
17世紀、ニュートンが万有引力を発見した英国のニュートン生家の木の、接ぎ木の孫の
木のよう。


 ふるさとセンターを南端から出て国道339号を横断し、北に流れる岩木川の右岸堤防
に出る。広々としたりんご畑の向こうに岩木山が一望である。


 堤防上は向かい風がかなりあり、半袖では涼しいくらい。少し進むと岩木川の堤外(堤
防に挟まれて水が流れている側)にもりんご園が続いている。

 駅前から伸びる通りの幡龍橋の近くまで進むと、堤外の一帯は岩木川河川公園で、スポ
ーツイベント広場↓やピクニック広場、駐車場などがある。


 ソメイヨシノやクロマツの多いピクニック広場に11時58分に下り、岩木山を眺めな
がらベンチで昼食にした。



 12時20分に出発し、堤防上からその先の花の広場にある日時計を見下ろす。橋を横
切りさらに堤防上を進む。


 河口の十三湖から42.1㎞の標識の立つ辺りで流れは左に離れ、その先堤防の両側は
りんご畑が続く。西北に望む岩木山の山容も少しずつ変わってきた。






 受付でもらった地図では、板柳警察署近くで堤防から離れるようになっているが。それ
らしい建物は見えず地図がかなりあいまいで目印など何も記されてない。

 41.8㎞点の先で堤防を下りて折り返す土道があったので、この道を行くことにする。
その道沿いのりんごの古木は、かなり実が大きくなっていた。


    


 国道に出て少し戻ると大蔵町バス停があるが、そのT字路には警察署はない。反転して
進むと、次の交差点際に板柳警察署があった。


 T字路から町道を東に少し、小さい流れ沿いに2.1㎞伸びる「中央アップルモール」
と呼ぶ板柳町歴史の散歩道の北端の表示があったので入る。

 赤レンガ色に舗装された散歩みちには、「りんごの歌謡曲」、「りんごの品種紹介」、
「りんごの家庭料理」などの紹介パネルが立ち、ところどころにりんごを形取った水飲み
場もある。
       
 

 東屋(あずまや)のある船岡公園を過ぎ、左に90度カーブして東に向かい、日本庭園
風のところで再び右にカーブして南に進む。








 右手に見えた大善寺と長延寺には寄らずに過ぎ、駅から伸びる県道の北側にある町役場
横まで行く。

       
 カエデだろうか、やわらかな黄緑の若葉の彩りが青空に映える。人工の池にりんごのモ
ニュメントが並び、与謝野鉄幹・晶子夫妻の石造の歌碑や寄棟屋根の休憩所が設けられて
いる。


       

 板柳町の沿革をきめ細かく記した大きな石碑もあるが、石に刻まれた文字は光の反射で
読みにくくく、金をかけた設備と思われるが丹念に読む人は少なそう。


 コースもほぼ半ばのようで、県道の南側は公園のような広場になっていて、トイレもあ
る。


 ここでいったんアップルモールを離れ、コース外だがその先の正林寺に寄るため西側に
平行する通りに回ることにした。


 役場の前に「りんごまるかじり条例制定の町」のパネルがある。
             

 岩木山の見える商店街をすぐ、次の十字路を南に入って正林寺へ。

 正林寺は、万治2(1659)年弘前の真教寺により開基されたとか。山門を入ると大
本堂が正面に構える。

     
 境内には松の高木が目につき、本堂前の何本かのモミジが秋のような彩り。
  

       
  

 通りは古くからの街道のような雰囲気で、かやぶき屋根にトタンをかぶせた民家が2棟
残っていた。





 突き当たりは海童(かいどう)神社で、豊富な鎮守の森に覆われている。拝殿の横から
入ったので西側の鳥居に回り、改めて正面の石鳥居から参道を進む。



 海童神社は、文禄2(1593)年に弘前藩初代藩主、津軽為信が秀吉の朝鮮征伐軍を
派遣したとき、海上安全国土繁栄の祈願のため宝量宮と名付けて建立され、現在地には承
応元(1653)年に遷宮したという。

 石鳥居を入ると左手に池があり、中の島に龍頭観音が祭られている。


      
 朱塗りの二の鳥居の近くには、板柳出身の出羽部屋の力士で相撲道の哲人と呼ばれた桜
錦利一関(1916~62)の胸像があった。
         

 拝殿左手の平和観音堂近くには、「月夜見命」と「猿田彦大神」と刻まれた大きな石碑
が並んでいる。


 東側のアップルモールに戻ると、間もなく家並みが途切れて両側はりんご畑となる。


    
 「りんご栽培の四季」のパネルがあり、りンゴ畑のりんごはかなり膨らみ、摘果をして
いるりんご畑も見られた。






 車道を斜めに横断して間もなく、中央アップルモールのゴールとなるふるさとセンター
に戻った。


 池の横やアップルモニュメント↑、工芸館の横などを通過して総合案内所に14時15分
に入り、ゴールの報告をする。



 ふるさとセンター内の施設の一つ「とれたて市」と呼ぶ農産物直売所を少しだけのぞく。


 板柳駅には14時39分に戻った。


 14時55分発JR五能線下り弘前行きに乗る。15時24分に弘前駅に着き、今日宿
伯する駅前のビジネスホテルに早着した。

 この日、関東などは35℃を超す猛暑日の地が多く厳しい暑さだったようだが、板柳は
21℃前後で爽やかな北からの風が気持ちよく、終始岩木山を眺めながらのりんごの里歩
きを楽しんだ。

(天気 快晴、距離 7㎞、地図 駅からハイキング地図(2万5千分の1 板柳)、
 歩行地 青森県板柳町、歩数 15,600)





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JR東日本駅からハイキングで武家屋敷の角館を歩く③(秋田・仙北)

2018-07-03 16:47:04 | ウオーキング
 2018年6月24日(日) 〈続き 下〉



 青柳家の北側の石黒家は、角館に現存する6軒の武家屋敷では最も古い約200年前の
建築とか。間取りは当時とほとんど変わらず現在も子孫が住み続け、一部を公開している。


 石黒家は、佐竹北家の勘定役(財政担当)を努めていた最上級武士の家でもあり、唯一
座敷に上がって係員から随時説明を受けることができる(入館料400円)。



 屋敷内で明治・大正期に増築した土間や蔵が展示室になっていて、解体新書の挿絵など
古文書、武具刀剣や甲冑類、江戸末期の町割絵図、雪国の生活用具などが展示されていた。










    


 石黒家の西北の十字路から北が表町上丁で、この辺りには何台かの人力車が観光客を案
内していた。


     
 十字路の北西側は、アカマツなど太い樹木が残る佐竹北家重臣の屋敷跡で、旧制県立角
館中学校のあった場所でもあるとか。その西側部分に平福(ひらふく)記念美術館がある。

 平福とは、近代日本画の巨匠といわれた郷土画人の平福穂庵(すいあん)・百穂(ひや
くすい)父子のこと。館は平福父子を始め多くの郷土画人の顕彰施設として建てられたと
いう。どのような作品か入館して観覧することにした(300円)。
     
 展示室では「郷土画人展~秋田が誇る作家たち~」を開催中で、仙北市出身の画家が描
いた作品が中心。角館出身の平福穂庵や百穂父子とその弟子たちの近代日本画の作品が展
示されていて、いずれも見応えのある作品ばかりだった。

 会場内は撮影禁止なので、もらったリーフレットから4点の作品を紹介する。


         



             

 ここで国の伝統的建物群保存地区のエリアが終わり、北側の国道341号・角館街道を
西へ、すぐに桧木内川(ひのきないがわ)の古城橋を渡り右岸へ。

 両岸には桜並木が続き、花の見頃は4月下旬~5月上旬のよう。今歩いてきた武家屋敷
の家並みは、桜並木に隠されていた。





 右岸を南へ、次の横町橋まで進んで橋を渡り、桜並木の下をさらに進んで内川橋際で川
を離れた。



 折り返すように少し北進して東へ進んだT字路際の本明寺↑に入ったが、説明板などは
ない。コース外だがT字路を北に300mほどの薬師堂↓まで行く。

 角館城主・戸沢能登守の眼病がこの薬師に祈願したことから治癒し、その霊験が薬師信
仰として民衆に広まったとされるよう。隣接する報身寺↓にも参拝した。


 戻る途中、少し奥まった常光院へも立ち寄る。佐竹家の菩提寺で、本堂は明和2(1765)
年の建立とか。


 墓所は非公開のようだが、一般墓地の南東端に市史跡「戊辰(ぼしん)戦役戦没者墓地」
があった。

 慶応4(1868)年の戊辰戦争で秋田藩は新政府側の立場をとって奥羽諸藩と戦い、
常光院は戦時病院の役割を担ったとか。その際の角館戦線の犠牲者、平戸藩7名、長州藩
1名、薩摩藩1名などが戦没者墓地に埋葬されていた。
         
  

 T字路に戻って東へ、次の車道との交差点の南西際には学法寺があり、日蓮聖人立像の
下に、「お勉強じぞう」が祭られている。
         

 東進して次のT字路を南進し、赤れんが造りの安藤家に立ち寄る。安藤家は嘉永6(1853)
年創業で、味噌・醤油の醸造元として知られ、れんが蔵は東北最古とか。


    
 店の前には、味噌・醤油の醸造に使われている「仕込水」と呼ぶ井戸水が掛樋(かけひ)
から流れ出ていて、飲めるようになっている。


 れんが造りの蔵座敷の内部も無料公開されていたので観覧する。

 特に蔵の扉の重厚さや飾り絵、端正で直線的な座敷や家具などに商家の古い歴史が感じ
られた。






     
  

 一つ東の田町武家通りで折り返して北へ、旧角館製糸工場↑や鬼川医院前↓を過ぎる。





 往路の最初に通った駅通りの角まで戻ると、蔵造りの新潮社文学館↑と武家屋敷の一つ
西宮家があるが、西宮家の門前から大きな屋敷を望む↓のみとする。



 駅前通りを逆行して、角館駅には16時45分に着いた。予想以上に見どころが多く、
もう少し時間をとりゆっくり観たいところもあったが、主なポイントは巡ることができた
のでほぼ満足した。

 16時59分発、秋田新幹線こまち32号に乗る。


 今日の宿泊地盛岡駅に17時48分に着き、駅前のビジネスホテルに入る。

(天気 晴、距離 6㎞、地図 駅からハイキング地図(2万5千分の1 角館)、
 歩行地 秋田県仙北市、歩数 16,500)





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JR東日本駅からハイキングで武家屋敷の角館を歩く②(秋田・仙北)

2018-07-02 22:46:01 | ウオーキング
 2018年6月24日(日) 〈続き 中〉

 角館伝統的建造物群保存地区の中央部にある角館樺細工伝承館の観覧を終え、北に延び
る表町下丁に入り、天正8(1580)年から続く角館武家屋敷の最も代表的な武家屋敷
で、「角館歴史村」とも呼ぶ青柳家に入る(入村料500円)。






 3千坪あるという屋敷内は種々な草木に覆われ、その中に資料館になっている武器蔵、
解体新書記念館、秋田郷土館、武家道具館、ハイカラ館をはじめ、幾つもの建物が散在し
ている。


 門を入った正面の主屋(おもや)は、かやぶき屋根。



 最初に門の左手の「武器蔵」に入ると、数々の甲冑や刀剣などが展示されていた。
     





     

 その先のシンプルな建物は「解体新書記念館」。

 解体新書は、安政3(1774)年に日本最初の本格的な西洋医学の翻訳書として発行
された。その附図を描いたのが角館の武士で青柳家の親戚にあたる小田野直武。

 ここでは直武の偉業と解体新書の附図などを紹介している。




     






 屋敷内から出る神明水の周辺は豊富な緑に覆われている。


 その横を奥に進むと小田野直武の胸像がある。小田野直武は寛延2(1749)年にこ
の地で生まれ、安永9(1780)年にこの地で謎の死を遂げたという。
         


 背後には、「小田野直武秋田蘭画の歩み」という絵とその説明を記したパネルが並んで
いた。
  

       
  

 屋敷の北東端付近に進んで「秋田郷土館」へ。



 展示室は2階で、幾つかの部屋に郷土資料や幕末から明治時代の貴重な写真、古いレコ
ードや蓄音機など、興味深いものが多い。
    
     スフィンクスを背にしたサムライ 

        

          
           徳川慶喜公 

    

         
          浅草十二階塔








   
     

           


 1階では、庭を眺めながら抹茶を楽しめる茶楼や、伝統工芸品樺細工の紹介や直売をし
ている。
     
  

 小さい流れを横切り南側に回る。「葉桜庵」と呼ぶ小さい小屋には、農具や家具、竹製
品などが並ぶ。


     
  

 西側の蔵造りの建物は「武家道具館」。青柳家に代々伝わる文献書籍、押絵、焼物、絵
皿など、当時の武士の生活様式を伝える武家道具が展示されている。











 敷地の南東端付近の建物には「稲庭古来堂」の看板がかかり、秋田の食文化300余年
の伝統を伝える稲庭古来うどんが味わえるよう。



 独特な土蔵造りの建物は「ハイカラ館」。
     

      
 平賀源内や小田野直武など角館ゆかりの先人の先取的思想とハイカラ思考を受け継ぐア
ンティークミュージアムのよう。





 たくさんの掛け時計や蓄音機、カメラなどに目を奪われた。そばには、小さな社殿の青
柳神社が祭られている。
     


 一巡し終えて敷地の南西側に戻り、主屋の前から50分近くかけて観覧した青柳家を後
にした。〈続く〉







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