あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

桜が満開の狭山稲荷山公園と狭山市立博物館へ(埼玉・狭山)

2024-04-15 22:31:20 | ウオーキング
 2024年4月10日(水)

 久しぶりの快晴になったので、ソメイヨシノが見頃ではないかと思われる狭山稲荷山公
園を訪ねることにした。
 
 西武池袋線の西所沢駅から9時27分発の下り電車に乗り、9時37分に稲荷山公園駅
で下車した。


 北口の改札を出ると、眼前に狭山稲荷山公園の桜が目に入る。


 公園の入口両側には、数店の露店が並んでいた。


 門を入った正面、西方向に伸びる園路沿いのソメイヨシノも満開。


 狭山稲荷山公園は、米軍から返還された基地跡を整備した県営公園で、桜の名所として
知られ、園内にはソメイヨシノや八重桜などが約300本植えられているという。

 東北側の道路沿いには、古木のソメイヨシノが並ぶ。



 門を入ってすぐの十字路を右折、北に延びる園路沿いに咲くソメイヨシノなどを眺めな
がら進む。




 昨日の強い風雨で少し散った花びらも。



 コナラの新緑と花が、やわらかな彩り。



 思いきり枝を広げたソメイヨシノ


 何れの木も、ゆったりと伸ばした枝に花いっぱい。





 園路が左カーブし始める辺りで園路を離れ、芝生広場を公園の北東部へ。




 いったん公園を出て、東側の住宅地へ。


 鉢花などが咲き競う民家も。



 狭山市浄水場の水道タンク横に出て、敷地沿いを北に少しで狭山市営稲荷山公園へ。


 
 北側が開けた台地上にあり、西に奥武蔵や秩父の山々、さらに西北方には外秩父方面
までの稜線が一望できる。









 北斜面には数本のソメイヨシノと咲き出したツツジなどが。


  見晴台のそばに立つ高木
 

 見晴台から、もぅ一度広々とした展望を。


 奥武蔵の山並みの上に、秩父の武甲山上部も。          武甲山↓




 折り返して浄水場西側の住宅地を戻り、再び県営狭山稲荷山公園に戻る。


 広々とした芝生広場から、左カーブする園路に入って西方へ。





 園路沿いのソメイヨシノや、周辺の淡い新緑などが気持ち良い。






 
 ヤエザクラも咲き出した。




  
   モミジの若葉





 園路の中央部、T字路の付近には別の桜も。


     

 
 T字路際にある「おひさまガーデン」ではチューリップなどが。



 もうひとつの「フレンズガーデン」でも。



 その横からT字路を右折して、公園の南西部へ向かって緩やかに上がる。


  
  こちらも、ソメイヨシノや淡い新緑の木々などにあふれている。



     大きなレンギョウも花いっぱい。
     

 
 近くにはチューリップも。


 公園の南西部まで進み、狭山市立博物館の北側へ。

 
 外に展示の変わった彫刻。



 カフェ↑の横を回って10時45分頃、博物館に入館する〈入館料200円〉。


         
 
  現在は、春期企画展「狭山市植物図鑑展」を開催中。




 まずは1階の、「舞い舞いホール」と呼ぶ吹き抜けの会場での展示を。



 展示の一部












    



 
 ホールを囲むスロープを2階に上がり、企画展示室へ。こちらが企画展のメイン会場



 狭山市内で春に咲く、植物標本や写真などがたくさん展示されている。それらの一部














 ほかに、これら植物標本をすべて収集して標本にした遠藤信二郎氏の紹介、江戸時代の
「椿図」、「ボタニカルアート(植物画)」とその作者の紹介、植物の描かれた食器など
が展示されていた。


 展示されていた標本の多くは私もよく知っている植物なので、興味深く観覧した。

 会場で配布していたこのハンドブックには、展示されていた標本が100点余り掲載さ
れている。いずれも狭山市内でみられる植物ばかりのよう。
     

         企画展示室入り口横の窓から、公園の一隅の眺め。
         


 さらに2階の常設展示室へ。ここは何度も観覧しているのでザッと一巡した。




 1階に下りたら11時40分を過ぎた。軽い疲労も感じたのでエントランスホール際に
ある「稲荷山カフェ コメと茶」に入り、のどを潤すとともに昼食をすることに。

 眼前に公園を眺めながら、注文したナポリタンセット(りんごジュース付1,050円)
をおいしくいただいた。


 ちょうど正午近くなので、カフェの椅子は全て塞がり、エントランスホールで待つ人も。

 
 12時15分過ぎにカフェを出た。反時計回りにほぼ一巡して残りわずかな園路沿いを
東へ向かう。博物館近くに咲く純白のヤエザクラ。


 
 さらに、園路沿いのソメイヨシノの並木に沿って進む。




 公園の入口から伸びる園路の近くまで戻った。この辺りは花見を楽しむ地元狭山市民な
どのグループが多い。




     チューリップの咲くエリア植え込みも。
     

 
 咲き競うソメイヨシノをもう一度眺めながら、12時30分過ぎに狭山稲荷山公園を後
にした。

 

 稲荷山公園駅に戻り、12時34分発西武池袋線上り電車に乗る。途中の小手指駅で下
車して買物をして、13時40分頃帰宅した。




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清瀬・金山調整池北側のコスモス畑から清瀬駅へ(埼玉・所沢/東京・清瀬)〈後半〉

2023-10-16 20:36:53 | ウオーキング
 2023年10月12日(木) 〈後半 金山緑地公園からケヤキロードを清瀬駅へ〉
        
 花いっぱいのコスモス畑から金山調整池を抜ける、市道を挟んだ南西側一帯は金山緑地
公園である。




   




 公園の中央部に池があり、池に沿ってげ反時計回りに回る。


     遊歩道沿いにある石の彫刻。
     
 
 休憩舎のそばのモミジはまだ緑色。


 そばの流れでは、ホタルを飼育しているようだ。



 池の先の樹林を横切り、南側の柳瀬川左岸沿いを折り返すことに。



 石のベンチの辺りで13時になったので、ベンチに座り前方の景色を眺めながら新秋津
と東所沢駅前で買ってきた弁当などで昼食とする。


 極めてシンプルなおにぎり弁当と草餅、そして牛乳、あわせて615円だった。


     色づき始めた近くのソメイヨシノの葉
     


 昼食を終えて池の南側に回ると、清瀬市政30周年記念に植樹した三春桜があった。
     

 公園入口の南側には、石の造形物が。



 13時33分に公園を出て、柳瀬川の橋を渡る。見下ろす上流側↑と下流↓の流れ。
     

 帰路は、南下して西武池袋線の清瀬駅に向かうことにした。橋の南側のT字路を右折し
て緩やかに坂を上がる。

 突き当たりの金山公園入口交差点を右折してすぐ先の間道を南へ、中里三丁目の住宅地
を進み、清瀬駅前から延びる「けやき通り」に出た。

 沿道には、「キヨセケヤキロード ギャラリー」と呼ぶ24基の彫刻が約1㎞にわたり、
両側の歩道に続いている。それらを見ながら駅方向へ。

     「ベンチに座る少女」 リン・チャドウウィック作
     

          「追想 町をゆきて」 イタリアのマリオ・チュロリ作
          

     「TENKO Ⅲ」 フィンランドのライネ・ワトゥリアイネン作 
     
 
 郷土博物館東交差点の先から、歩道のケヤキ並木は密になる。


 「道標・鳩」 柳原喜達作


     「幼いキリン・硬い土」 淀井敏夫作
     

          「笛吹き少年」 舟越保武作
          

 何度か入館している、清瀬市郷土博物館近くに来たので立ち寄ってみた。 



 展示室や展示ホールは改修工事中で観覧できないが、入口ロビーに各地の博物館や美術
館のリーフレットが沢山あったので、興味深いものをかなりの枚数入手する。


 
 その奥のロビーの一角には、博物館のデータベース実物が何点か展示してあった。

 

 入口近く、鉢植えのコスモスも花盛り。







 
 けやき通りに戻ってさらに駅方向へ。「王妃」 細川宗英作
     

「風の標識No31」


 志木街道を斜めに横断する。

     「my sky hole 91-8」 井上武吉作 
     
 
 反対側の歩道の向こう、畑の一隅に今年も大きなパンパスグラスが。


 向こう側は「惑星」 小田 襄作 

           手前は「黒い石をつつむ幕舎」 保田春彦作 

 清瀬駅北口に着き、駅前のスーパー・↓西友清瀬店に入り食品を何点か求める。


 
 西友入口を入ったところの生花店の、ハロウウウィンなどの飾りもの。


 清瀬駅北口に14時55分に着いた。



 15時04分発、西武池袋線下り小手指行き普通電車に乗る。


 (天気 快晴後晴、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 所沢市、清瀬市)



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清瀬・金山調整池北側のコスモス畑から清瀬駅へ(埼玉・所沢/東京・清瀬)〈前半〉

2023-10-15 12:41:14 | ウオーキング
 2023年10月12日(木) 〈前半 東所沢からコスモス畑へ〉

 今日は爽やかな秋空となる予報なので、所沢市との都県境、柳瀬川左岸の清瀬市の金山
調整池北側にあるコスモス畑を訪ねることにした。

 新秋津駅からJR武蔵野線下り電車に乗り、次の東所沢駅で10時56分に下車した。


 11時05分に駅前をスタートして左手の南に向かう。駅前にある所沢市の広告用デザ
インマンホール、暗くなるとLEDで自発光するもの。


 県道179号・所沢青梅線の駅入口交差点を渡り、左折してすぐ先のT字路を南へ、前
方には休耕地の多い畑の向こうに平地林が広がる。



 中層の集合住宅の前で右折してさらに南へ、畑の中ほどでもう一度左折して、県道から
の市道に下る。

     すぐ南側に立つ大きな観音像の背後から東福寺境内へ。
     


  観音像周辺からは、南側に柳瀬川の右岸近くに並ぶ中里団地、柳瀬川沿岸の住宅や緑地
などが望まれる。


 さらに右手、西南西方向には所沢駅周辺のビル群が。


     前面から、あらためて白亜の守護観音に拝礼する。
     
 平成14(2002)年に建てられたようで、高さは16mあるとのこと。南側は柳瀬
川沿いの低地なので、より高く望まれる。

 
     下り終えて本堂に参拝。本堂の左手前に立つ厄除大師像
     


 本堂前の大きな石灯籠横に、まだ緑だが大きな柑橘がたくさん実っていた。


 本堂右手には庫裡があり、その前にサルスベリが咲き残る。


 境内南側の道路沿い、鐘楼の西側には大小幾つかの地蔵尊が並ぶ。



 東福寺前の市道を東にすぐ、T字路を南への車道へ。すぐ先にヒマワリが咲き残り、ザ
クロの実が熟していた。


 その先の畑の隅にはマツバギクが。


 さらに少しで、柳瀬川の左岸沿いにある清瀬市の金山緑地公園入口へ。公園は右手、西
側だが後で回ることにして、左手の柳瀬川の洪水を防ぐための金山調整池の北側をまわる
遊歩道へ。
     
     池の南側には、カワセミを狙っているらしい数人のカメラマンが。
     


  
 遊歩道沿いのソメイヨシノは、もう葉が落ちていた。


 その先では、キンモクセイが咲きす。


 
 調整池を見下ろせるところに出た。中の島の大きなピラカンサが色づき始めている。






 さらに池の北側を少し進むと、コスモス畑の南西端に出た。


 入口の柵際に、なぜか春先に優勝したWBCのパネルが。



 コスモスはほぼ見ごろになっていたので、畑の中の遊歩道を一巡してみる。












     








 快晴の青空に映える



     







 南側にはよく育ったサトイモの畑が。


 
 入口付近に戻り、もう一度コスモス畑を眺めてから畑を出た。



 

 調整池の北東側には、アベリアやススキが咲く。
 

     
     調整池の東北端に下って遊歩道を南西へ、金山緑地公園の方に向かう。



 先ほど見たピラカンサの近くには、ムラサキシキブが色づいていた。



 
 遊歩道の綾瀬川寄りの湿地には、ミゾソバがたくさん咲く。


 金山調整池を出て、市道の南西側の金山緑地公園へ向かう。         〈続く〉




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「狭山茶の里ウオーキング」で入間川沿いを歩く(埼玉・狭山)

2022-12-29 22:54:00 | ウオーキング
 2022年12月11日(日)

 好天で暖かそうなので、北隣の狭山市内で開催されたウオーキング大会に参加した。


 西武新宿線新所沢駅から10時45分発本川越行き下り電車に乗り、3駅目の新狭山駅
に10時54分に下車した。



 北口の駅前から北西に延びる通りには、新狭山駅北口商店街が「シンサヤママーケット」
を開催中で、幾つものテントが並んでいて市民などでにぎわう。



 信号のある交差点を左折して、少し先にある中原公園(あじさい公園)がスタート会場。
受付でコース地図をもらい、11時11分にスタートした。



    なお、今日のスタート時刻は、11時~13時30分までとなっている。
     

  狭山市のマスコットキャラクター、七夕の妖精「おりぴぃ」が見送ってくれた。
     

           公園のケヤキは、すっかり葉を落としている。
          

 東北に進んで駅前からの通りの交差点を過ぎ、すぐ先の交差点を左折して北西に向かう、
交差点の北側は、ロッテ狭山工場の大きな建物が。


 次の交差点で国道16号線を横切る。


     
   緩やかに左カーブしながら少しずつ下り、レンガづくりの西武学園文理小横を過ぎる。
           

     次第に人家が少なくなり、路傍にマユミがたくさん実を付けていた。
     
 

 道は西北西に向きを変え、人家が途絶えて周辺の展望が開ける。


 入間川大橋が近づき、左手眼下に牧場らしいところが見下ろせる。


 橋にかかると右手(下流)に、川の左岸近くに並ぶ西武文理大のキャンパスが望まれる。


 少し霞んではいるが、進行方向に見えてきたのは奥武蔵の山並みだろうか・・



      橋からの上流の眺め、流れには釣り人も。
     

          

 左岸の堤外(堤防より流れ側)はびっしりとススキに覆われていた。


 入間川大橋を渡り終え、左折して左岸堤防沿いの遊歩道に入る。



 広い左岸堤外の河川敷には柏原河川敷公園があり、家族連れが集まるイベント会場も。



 葉の落ちた桜並木の下を抜ける。桜並木は300mほど続いていた。


 その先の河川敷は、狭山リバーサイドゴルフ場。
 

 こちらは、地元柏原地区の自治会のお花畑プロジェクトのメンバーが作業中。
 

      
           遊歩道沿いに咲いていた皇帝ダリア
          

 この道路は川越狭山自転車道だが、今日の催しを知っているのか自転車は皆無だった。
     
 ちなみに、川越狭山自転車道は「入間川サイクリングロード」とも呼ばれ、今日のコー
スのさらに上流の狭山市の豊水橋から川越市の入間大橋まで、全長22.6㎞の自転車歩
行者専用道路である。


 右岸沿いに戸建て住宅が増え、コース半ばを過ぎた辺りで狭山環状道路の狭山大橋下を
通過する。





 間もなく流れには上奥富用水堰が近づいてきた。ダム際まで進むと、対岸にはAEON
(スーパー イオン)の建物が。



 

 河川敷にあるキャンプ場の横を通過して、ゴールに向かう昭代橋下を抜けた。



 その先の河川敷が、このウオーキングのための「柏原・水富おもてなし会場」。参加者
には飲み物などの入った参加賞の袋をもらう。


 


 会場には、休憩用テントや、おもてなしイベントのためのキッチンカー8台の出店など
も並んでいた。


        
 キッチンカーのひとつ、狭山抹茶などの味わえるところで狭山茶まるごとソフトクリー
ム(500円)を求め、休憩用テーブルの空きを見つけて小休止する。


 休憩後は、すぐ先から左岸堤防に上がって折り返し、おもてなし会場を見下ろしながら
昭代橋へ。



 堤防沿いには子どもたちの遊び場もある。昭代橋西詰に、サザンカが花盛りの街路樹が
数本並んでいた。





 もう一度おもてなし会場を見下ろしながら昭代橋を渡る。この辺りの流れ、下流に上奥
富用水堰があるので水量は多い。


     


 国道16号線を跨道橋で越える。近くの路傍にもうスイセンがたくさん咲いていた。


 狭山市民会館前のケヤキも、葉はほとんど落ちている。



 そばの交差点の東南側一帯はコスモス畑で、色濃い花がまだたくさん咲いていた。





 緩やかに上がり、ゴールの狭山市駅西口市民広場に13時40分に着く。


 完歩賞として、来年の「残しておきたい狭山の風景カレンダー」をもらう。カレンダー
の裏表紙が完歩賞になっていた。
     

 別のテントで「埼玉県コバトン健康マイレージ」のリーダーに専用の歩数計を読ませる。



 広場には幾つかのテントやキッチンカーが並び、飲食物などを販売していた。


 2階が出改札口の狭山市駅西口へのデッキに上がると、秩父のシンボルで日本二百名山
の武甲山(1,304m)が望まれる。



 13時50分に西武新宿線狭山市駅に着き、13時56分発の西武新宿行き上り電車に
乗る。

(天気 快晴後晴、距離 7.7㎞(大会用地図では6.5㎞)、地図 大会用地図、
 歩行地 狭山市、歩数 13,700)
 




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清瀬市立郷土博物館から金山緑地公園など(東京・清瀬)〈後半〉

2022-11-01 22:35:24 | ウオーキング
 2022年10月23日(日) 〈後半:金山緑地公園から中里富士周辺へ〉

 清瀬市立郷土博物館の観覧を終えて館内併設カフェで昼食後、正午過ぎに館を出た。け
やき通りに戻って先へ少し進むと、右にカーブする。

 
 JA 清瀬の「新鮮館」と呼ぶ農産物直売所↑があったが、今日は休業日。すぐ先、宮の
台住宅バス停際の交差点で左折し、北西に延びる市道へ。
     


 清瀬中の西を通過すると沿道の民家のミカンが色づき、キンモクセイがこの秋2度目か
と思われる花を開く。市道は緩やかに右カーブして下る。


     
 柳瀬川通りに突き当たる交差点際に地蔵堂があり、宝暦5(1755)年に建立された
というりっぱな地蔵菩薩像が祭られていた。
          
 
 右折してすぐ先の三差路を左折して右にカーブし、柳瀬川右岸沿いに出た。下流側は桜
並木が続いている。


 そばの金山橋からは眼下に柳瀬川の清流が、下流にはさらに伸びる右岸の桜並木や、左
岸の少し先にコスモス畑などが望まれる。

   
 橋を渡って左岸の堤外(ていがい)沿いに進む。堤外とは、堤防より流れ側のこと。反
対の堤内は、畑や民家などのある生活圏のことをいう。


 左岸沿いにはセイタカアワダチソウやススキが花開く。少し進んで堤防を越え、金山調
整池の東端付近へ。


 金山調整池は左岸の上流側にあり、池の北側は埼玉県所沢市になる。

 池の一部を見下ろし、ススキの穂のなびく遊歩道を北側に回ると、コスモス畑が広がる。



 何年か前にカントリーウオークの仲間と来たときに比べ、かなりエリアが広がっていた。



 ピークはは少し過ぎたように感じられるが、まだ花はいっぱいで見ごろである。
     


 ところどころに設けられた遊歩道に入り一巡して眺める。



 西方の斜面上部に見える大きな白亜の観音像は、所沢市本郷の東福寺の本堂背後に立つ
もの。あそこにも、カントリーウオークで何度か訪れている。
     



     





     






 大まかに一巡して西南側入口に戻り、コスモス畑を離れた。



 眼下に見える金山調整池際に下り、金山橋方面に向かう。


 池にはカワセミも生息するようだが、いまはバズーカ砲?を構えるカメラマンの姿は無
く、この時間には現れないようで、カルガモがか数羽泳ぐのみ。




 池際の、ムラサキシキブのみが色づいてきた。







 穏やかなたたずまいを見せる池際の遊歩道を進み、金山橋から延びる通りの上流側左岸
(北側)に広がる清瀬市立金山緑地公園へ。



 ここにある池も洪水調節用のようで、さらに上流に緑地が延びているが、今日は池の東
端付近のみ回る。


 柳瀬川左岸際から流れも見下ろす。橋の近くには休日を憩う人が多い。




 金山橋に戻って上流側を見下ろし、金山緑地公園を後にする。


 柳瀬川通りに戻って通りをさらに西北へ。高みに上がると、西方に所沢市中心街の高層
マンション群などが望まれた。

 
      次の三叉路際に、円筒型の郵便ポストが。
     
 

 さらに進むと柿が色づき、ミカンやユズも色づき始めている。
     



 清瀬中里郵便局の先の三差路を南に入り、清瀬10景の中里富士山へ。東京都の有形文
化財に指定されていて、ここも何度か訪れたところ。
     


      高さ約9mの山頂には7、8回右左折して1分足らずで登頂した。
     

 山頂には小さい石の祠(ほこら)や石碑などが祭られていた。


      山頂は、樹木に囲まれていて遠方の眺望は得られない。
     

 柳瀬川通りに戻ってすぐ先の中里駐在所横を南へ、緩やかに右カーブして段丘を上がり、
小金井街道を横断する。


 すぐ先の細道を北に入り、西側にある東光院へ。本堂は東向きに立ち、その前に大きな
龍のような彫刻を施した石灯籠が目につく。
     

 由緒などを記したものなど無いので、短時間で境内を出た。

     
 西に接して中里氷川神社があるが、境内へは南側の市道からヒノキの参道を北に入る。

 江戸前期の元和2(1616)年、当時の領主の武蔵義太郎が創建されたとされ、祭神
は須佐之男命(すさのおのみこと)と午頭天皇(ごずてんのう)。明治6(1873)年
には当時の中里村社となり、中里地域の守り神として崇敬されているという。

 現在の社殿は、昭和32(1957)年10月の再建とか。

     
 境内には、昭和天皇の在位60周年記念に植樹したサカキ↑と、令和元年に植えた現天
皇の即位記念記念樹のソヨゴ↓が立っていた。
          


 ここで今日の予定地を巡り終えたので、清瀬駅に向かうことにした。表の通りを少し西
進し、小金井街道の西方300mほどを平行する中里一丁目の畑の間の細道を南に向かう。



 400m前後進んで少し東に回り、さらに南東に進んで駅近くで小金井街道に合する。


 清瀬駅北口には15時ちょうどに戻った。15時03分発、西武池袋線下り小手指(こ
てさし)行き電車に乗る。


(天気 晴、距離 8㎞、地図 「清瀬市ガイドマップ」第4版の一部、
                                歩数 15,000)



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清瀬市立郷土博物館から金山緑地公園など(東京・清瀬)〈前半〉

2022-10-31 21:32:42 | ウオーキング

 前回投稿後、市内外へ出かける日が多くて投稿が途切れましたが、これからそれらを少
しずつアップします。だんだんと日にちがずれてしまいそうですが・・・

========================================

 2022年10月23日(日) 〈前半:清瀬市立郷土博物館へ〉

 行こうと思いながらも出そびれているうちに最終日になったので、今日は清瀬市立郷土
博物館での特別展の観覧と、周辺のウオーキングに出かけることにした。


 西武池袋線上り電車に乗り、清瀬駅に10時01分に着いた。北口から10時05分に
スタートして、北北東に延びるけやき通りへ。





 かやき並木が1㎞余り続く沿道は「キヨセケヤキロードキャラリー」と呼ばれ、歩道に
彫刻が続いている。
     

          


 志木街道と交差する上清戸交差点を過ぎ、住宅が途切れた東側には人参畑が広がる。

     
 その一角にアメジストセージ↑やピンタレスト↓、コスモスなどが咲き、パンパスグラス
が穂を広げていた。
          





     

          


 その先間もなく、標識に従い左手を北北西に少し直進して、最初の目的地、清瀬市立郷
土博物館に10時23分頃到着した。


     

  
 開催中の特別展「古代武蔵と清瀬」は今日が最終日。入館無料の館内に入り、受付で聞
いたところ館内の撮影は自由とのこと。まずは1階ホールの展示を見る。



 ホールの展示も特別展に合わせたようで、清瀬内で発掘された土器などが中心。




     


 ホール横の民俗展示室に入ると、昭和時代の清瀬の写真や養蚕に関わるもの、「清瀬の
うちおり」と呼ぶ織物などの展示が。

















 ホールの反対側は歴史展示室で、市内発掘の土器や古い農具、石碑、古文書などが並ぶ。






     



 2階に上がり、まずは特別展の第1会場へ。




     



     

 第1章 古代武蔵と東山道、第2章 柳瀬川中流域の古代遺跡、第3章 野塩地域遺跡
群、第4章 下宿内山遺跡、という4章に分かれていて、清瀬市内のほか、近隣の所沢市
や東村山市等の出土品も展示されていた。



























 第2会場では、第5章 清瀬の古代の終焉-中世へ- と呼ぶ展示と、「古代清瀬遺跡
散歩」と呼ぶビデオ映像を上映していた。
  





 1階に戻ると、見残したホールの一角に、「江戸時代~昭和のはじめまでの道具」や、
昭和30年代以降の電化製品、今年開業110周年を迎えた西武鉄道の清瀬駅の写真、清
瀬の自然を紹介するコーナーなどがあった。




  









 観覧を終えたら11時30分を過ぎていたので併設のカフェわかばに入り、うどんセッ
ト(800円)を注文して昼食とする。


     
 正午近くに清瀬市立郷土博物館を後にして、右にカーブするけやき通りをさらに先へ。
沿道の彫刻はさらに続いていた。 〈続く〉
     






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東川沿いと牛沼の彼岸花を眺めて秋津駅へ(埼玉・所沢)〈後半〉

2022-09-21 16:42:04 | ウオーキング
 2022年9月17日(土) 〈後半 牛沼の彼岸花群生地から秋津駅へ〉

 長栄寺の山門を出て、すぐ先の十字路を南下して住宅地と畑の間を進むと、畑の隅にも
農産物を並べた無人直売所があった。


     


 南側には狭山茶の茶畑が広がり、その横を東進して牛沼小に向かう。



 牛沼小の校庭の隅には、学校の名にちなむホルスタイン牛の等身大模型があり、校舎の
方を見つめていた。

 

 すぐ先、コメダ珈琲店の駐車場の南側、樹林下に今日の主目的地、所沢牛沼彼岸花クラ
ブのヒガンバナが咲いている。

 緩やかな北斜面の樹林下、ヒガンバナは満開に近い。

 ヒガンバナの数は10万本を超すようで、クラブの目標は「日本一の白色の美しい群生
地」だという。

     
 何枚かのパネルを見た後、東北側から斜面に上がって西南方面へと巡ることにした。






     

          


 中心部に、白花が集中して植えられている。 


 
 
 その中に1輪だけ、黄色の花が咲いていた。






    









     


 南側は畑になっていて、ヒガンバナの近くにはトロロアオイ↑や↓ジンジャーかと思わ
れる花などが咲いていた。
     

 10分ほどヒガンバナを観賞して12時28分頃、ヒガンバナ群生地を去る。

 この後は西武池袋線秋津駅に向かうことにして、南に延びる市道を進む。沿道にあった
栗林のクリの実が色づいている。




 県道25号線、練馬所沢線を横断すると、その先の車道は狭まる。少し先の畑の隅では
ヒガンバナとニラが咲き競っていた。


 畑の多いエリアを南下し、2つのT字路を左折して東南へと緩やかに下り、豊富な森に
囲まれた安松(やすまつ)神社境内に正面鳥居より西側の細い石段から上がる。

 市内の寺社はほとんど巡っていたと思っていたが、この神社は初めてだ。


 最初に目についたのが、「本宮」の掲額の上がる鳥居とその奥の小さな社殿。

 社殿には、日枝神社など5社が祭られていた。


 近くの盛土は富士塚ではないかと思われ、その横を過ぎて拝殿の方に回ったら、やはり
富士塚の標柱が立っている。
     

 安松神社は「安松の氏神さま」と呼ばれ、大正3(1914)年に安松地域の各所にあ
った稲荷神社2社と氷川神社、八雲神社、神明社、日枝神社の6社を、地区の中心にある
長源寺の所有地の山林を買い受けて敷地として、もとの社殿の一部を移築して安松神社と
し、氏神様としてお祭りしたよう。

 当時の社殿は昭和26(1951)年に火災で焼失し、その後の社殿も老朽化するなど
で、現在の社殿は昭和46(1971)年の再建という。


     
           南側の帰路を下って正面鳥居に拝礼して神社を後にした。
               

 東側に接して、神社の敷地を所有していた長源寺がある。

 正面の山門は4本の柱のある四脚門で、構造手法から江戸時代後期の建築と推定され、
所沢市指定文化財(建造物)になっている。

     

 山門を入って正面の本堂に参拝した。


     
 豊富な樹木に囲まれた境内には、大きな鐘楼や慈母観音等が目につき、山門際には小さ
なお堂もある。
          



 山門を出て南側の幼稚園の横を抜け、南方向の秋津駅を目指す。
 
 途中の民家の前の花畑にコスモスなど咲き競う。


 
  3回右左折して出た松戸橋交差点際には、2体の上安松地蔵尊が祭られていた。
     

      南側の松戸橋で柳瀬川を渡り、突き当たりを左接して東へ進む。
     

 西武池袋線の秋津駅北口に13時28分に着いた。


 遅れてきた同時刻の下り電車に乗り、西所沢駅方面に向かう。

 (天気 晴後曇、距離 8㎞、地図 「所沢ウオーキングナビ③東エリア」(市商業観
  光課発行)、歩数 15,100)
 



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東川沿いと牛沼の彼岸花を眺めて秋津駅へ(埼玉・所沢)〈前半〉

2022-09-20 12:16:01 | ウオーキング
 2022年9月17日(土) 〈前半 東川沿いに〉

 彼岸入りが近づいてあちこちの彼岸花が咲き出したので、今日の市内ウオーキングは、
昨年初めて訪ねた市内東部、牛沼小の南側、雑木林にある所沢牛沼彼岸花クラブの彼岸花
を見に行くことにした。

 10時17分に自宅を出て、しばらくは東川(あずまがわ)沿いを東進することに。

 西武池袋線の西所沢駅から、北に下ってきた橋の近くに咲くヒガンバナ。



 近くの別の場所には白花も咲き、民家のアサガオも咲き残る。




 市街地の中心部、元町交差点の北側近くにある武蔵野三十三観音第十番札所の新光寺に
立ち寄る。唐風の山門はいつも閉じているので左側から境内へ。


 
 突き当たりの六角屋根のお堂の前に立つ観音様は、新型コロナウィルスがまん延し始め
た2020年早春以降、ずっとマスクを外したことはない。
     


 西北側再奥の観音堂に参拝し、目のようにも見える2つの窓のある山門の右手(南側)
から新光寺を後にした。



 元町交差点の北、東川右岸沿いの琴平公園に自生したらしいクワの葉が色づく。




 その先は川から離れて最寄りの道を右岸から左岸へと迂回して、有楽町の薬王寺へ。


 山門前に2輪だけヒガンバナが咲き、本堂左手前のお地蔵さんの背後には白いフヨウが
たくさん花を見せていた。
     

          





 
 西武新宿線のガードをくぐると、その先は春先の花見で賑わう東川沿いの桜並木が続く
が、その手前に白花のヒガンバナが。
     

          
 
 この先しばらくは東川左岸沿い、堤防のそちこちにヒガンバナがかなり開花していた。
     

 桜並木に入ってすぐ、左岸左手の熊野神社にも参拝する。


 二の鳥居に巻き付いた、ワラの大蛇は正月に架け替えられたもの。あと3か月余りでま
た新しいものになる。


 さらに東へ、1輪だけのボタンクサギが咲き残る。


      
      途切れ途切れながら、ヒガンバナも堤防のあちこちに。




     
 松井橋で市道を横断し、東新井集会所前を過ぎる。左岸の橋際、古い庚申塔周辺に咲く
ヒガンバナやゴールデンカンナ。




     

 左から小さな支流が流れ込む牛沼橋の近くに、サギが飛んできた。小さめだがダイサギ
だろうか?
     


 向こうに見えてきた加美橋を渡って右岸に回る。橋の手前、左岸に咲くイタドリ。  



 右岸堤防沿いにも、ところどころでヒガンバナが咲き出している。


 「さつまいも」の旗を出した農産物直売所があり、自転車で来たご夫婦の奥さんが何点
か買い求めていた。

 
 その先の橋際で右折して東川を離れると、すぐ南東側に長栄寺がある。


 ここも何度も訪れているところ。境内のススキが穂を出し、背後のサルスベリも咲き残
っている。
     


 境内東側にある閻魔堂には、天井を突き抜く大きな閻魔様が鎮座しており、閉じていた
ガラス戸越しに拝礼して撮らせてもらう。


 
 南側、山門近くに並ぶ六地蔵のそばにもヒガンバナが。          〈続く〉




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旅のスケッチ展と中山道桶川宿めぐり(埼玉・上尾、桶川)〈後半〉

2022-07-01 22:55:00 | ウオーキング
 2022年7月1日(金)

 前々回の投稿で予想したとおり、以下のレポートの歩いた日の翌々日の6月27日(月)、
関東甲信の梅雨明けが発表されました。4年前の2018年28日より1日早く、観測史
上最速の梅雨明けです。

 その前後、6月25日(土)に続いて6月27日(月)から今日までの5日間、埼玉県
内アメダス観測地8地点の全部が35℃以上の猛暑日となり、全観測地点とも37℃以上
という日がほとんどの一層の猛暑です。

 この夏は100年に1度の猛暑が続くとの予想もあり、この先の長い夏が思いやられ、
電力需要の逼迫も懸念されており、どう過ごしたら良いのでしょうか・・・

 前置きはこのくらいで、大分間隔が延びましたが前回のレポートの続きです。

========================================

 2022年6月25日(土) 〈後半・中山道桶川宿めぐり〉

 上尾駅東口での「旅のスケッチ展」を観覧して駅に戻り、11時06分のJR高崎線下
り電車に乗り、11時12分に2駅先の桶川駅で下りた。


 この後は、駅の東側を南東から北西に走る江戸五街道のひとつ、中山道桶川宿(なかせ
んどうおけがわじゅく)の旧跡などを巡ることにする。

 ちなみに中山道は、江戸・日本橋から京都・三条大橋まで約530㎞をつなぐ街道。埼
玉県内には蕨、浦和、大宮、上尾、桶川、鴻巣、熊谷、深谷、本庄の9つの宿場があった。

 私は、グループに参加して2002年~2009年にかけて、日本橋~京都間のほぼ全
行程を歩き継いで1往復しており、桶川宿には2004年10月以来17年8か月ぶりの
再訪になる。

 桶川駅を11時19分にスタートした。東口の階段下にあった「桶川史跡めぐり」図中
の「中山道桶川宿」の地図、今日巡るのはこの範囲の予定で、中山道の距離としては1㎞
ほどになる。


 中山道に向かう駅前の通りを直進し、街道に出るひとつ手前のT字路を右折して南東に
少しで、浄念寺の仁王門前へ。

 仁王門は朱塗り2階建て、2階が鐘楼になっている鐘楼門である。

 門の左手に金属板の説明パネルがあるが、読みにくくて全内容は判然としない。

 「2階の梵鐘(ぼんしょう)は寛保元(1741)年に鋳造されたが、第二次大戦で供
出され、現在のものは昭和40(1965)年鋳造、階下の仁王像は明和5(1768)
年に開眼された」、とのことだけは分かった。

      仁王門を入って左手には、格好良い松が目に入る。
     
  
 浄念寺は浄土宗の寺で、天文15(1546)年に現在の松戸市の東漸寺(とうぜんじ)
の團誉桂善壽上人(だんよけいぜんぜんじゅしょうにん)が、室町初期の1360年頃に
当地に建てた修行のための庵をもとに、寺院としたのが始まりのよう。

 桶川宿とも深い関係があったと考えられ、江戸初頭には、桶川宿を治めた西尾隠岐守吉
次(にしおおきのかみよしつぐ)が地蔵菩薩像と薬師如来像を納めたことからも伺えると
いう。

 正面に堂々と構える本堂は、平成16(2004)年に再建されたとか。


 境内には、集められた板石塔婆や2つの小社殿、古い石塔群などあるが、その説明パネ
ルも金属板の文字で、判読できないのが残念。


 浄念寺の山門を出て、正面突き当たりで中山道に入り右(南東)へ。中山道は、現在は
県道164号・鴻巣桶川さいたま線である。

 すぐ近くに古くからの旅館、武村旅館がある。

 桶川宿には、大名や公家などの宿泊施設である本陣、脇本陣とは別に、一般庶民のため
の旅籠(はたご)が数多くあり、江戸末期の天保年間(1830~44)には36軒あっ
たとか。

 武村旅館は嘉永5(1852)年の建築、皇女和宮(こうじょかずのみや)が中山道を
下向(げこう)した文久元(1861「)年当時は紙屋半次郎名義だったが、明治時代に
武村家が板橋宿からここに移って旅館業を営んだようで、国登録有形文化財になっている。

 武村旅館の間取り図


      次の交差点の南東側には、「旧跡 木戸址」碑が立っている。
     
 木戸は、警備のために宿場の出入口に設置されていたもの。ここに文久元(1861)
年に高さ1丈3尺、幅8寸の角材で柵を立てて木戸を開設したようで、桶川宿の江戸側末
端になる。

 中山道桶川宿の案内図には、その先近くに水準点があるようなので確認に進み、イエス
キリスト教会の先までいったが見つからないので引き返す。

 帰宅後、国土地理院の地形図で確かめたら、なんとこの教会敷地の北東端付近にあり、
見落としてしまったらしい。

 木戸址碑のある交差点まで戻り、さらに進む。武村旅館の斜前あたりに「藤倉家の鍾馗
様(しょうきさま)」というのがあるはずだが、これも見つからない。


 桶川駅前交差点を過ぎてすぐ、通りの右手建物横に「助蔵」の表示があるので入ると、
3階建て土蔵造りの建物で、国登録有形文化財になっている「島村家住宅土蔵」だった。

 桁行(けたゆき)6間、梁間(はりま)3間、木造3階建て土蔵で、江戸後期の天保7
(1836)年の建築と伝えられているとか。

 島村家は、桶川宿の本陣近くに店を構えた穀物問屋木嶋屋の総本家で、この土蔵の建築
工事は、天保の大飢饉にあえぐ人々に仕事を与え、その報酬で多くの民が餓え(うえ)か
ら救われたところから、「お助け蔵(おたすけぐら)」といわれたとの伝承も残るよう。 

 現在、壁面はトタンに覆われているが、黒漆喰壁(くろしっくいかべ)の堂々とした土
蔵だという。

 その隣の矢部家住宅は桶川市指定文化財(建造物)で、中山道に面した土蔵造りの店舗
と、土蔵造りの文庫蔵、切妻造りの勝手場ほかの建物で構成されている。

 矢部家は、主には穀物問屋を営んでいたが、桶川特産の紅花(べにばな)の商いも行い、
桶川の24人の紅花商人の中に名を連ねているという。


 中山道に面した店舗に残る古い電話番号標識。

 
 矢部家と中山道を挟んで西側には、国登録有形文化財の「小林家住宅主屋(しゅおく)」
が目につく。

 小林家住宅主奥は、江戸時代末期頃に穀屋吉右衛門が旅籠(はたご)として建て、棟札
(むねふだ)から文政11(1827)年、天保11(1840)年、嘉永5(1852)
年のいずれかの子年(ねどし)と考えられているようだ。

 その後、当主となった小林家は、材木商を営むにあたり大きく改修したが、外観は当時
の姿をとどめているという。


 看板や外の材木にそのことが伺えるが、現在は「ティー、クラフト&ギャラリー ブラ
ッドベリー」と呼ぶノスタルジックな雰囲気のギャラリー&カフェというが、入店は省く。
 
 
 その先、細い十字路の先、東側は「桶川宿本陣遺構」の標柱が立ち、県指定文化財の説
明パネルがある。




 木柱の門前までは行けるが、その内部は公開されてない。
 

 
 道路から門の手前には、たくさんアジサイが咲き、門の奥にはネムノキが花を見せる。


 隣接地は脇本陣跡、道路の反対側は問屋場跡や別の脇本陣跡の場所だが、遺構などは残
ってない。


 少し先、道路を挟んで西側に「中山道宿場館」があり、「桶川市観光協会」も併設され
ているので立ち寄る。

 入口際には、桶川特産のベニバナの植え込みが。あとで聞いたらいまがちょうど見ごろ
で、市の西郊では「べに花まつり」を開催中のよう。


 入口に、桶川のマンホールカードがもらえる申込書があったので記入し、まずいただく。
       
      このデザインのマンホールは、桶川駅西口に設置してあるらしい。


 入口際には、桶川特産の紅花色のつるし雛が下がり、館内は比較的小さめの説明パネル
や特産品、写真などがびっしりと展示されている。



 奥には、中山道桶川宿の説明パネルや、桶川市のマスコットキャラクター「オケちゃん」
などが。
      
 
 奥に居られた観光協会の方から、桶川に関わるいろいろな情報を教えてもらい、資料や
ベニバナの種などをいただいた。


 12時30分近くなったので、近くにあるおすすめの食事処など聞くと、隣が桶川グル
メの代表格、手打ちうどんの店とのことで、その店 松屋(看板は「まつや」)に入る。

 肉汁うどん(700円)を注文し、太くて固く腰の強い桶川うどんをしっかり噛んで美
味しく味わった。

 この店は、中山道沿いで80年以上も愛されてきた老舗のようで、よじれて腰の強い麵
は、通の間では「暴れん坊うどん」と呼ばれているらしい。

 店を出て先へ、東和銀行際の交差点を右折して最初の十字路を右折、さらに左折して突
き当たりの稲荷神社へ。

 創建は嘉禄年間(1225~27)で、桶皮郷(現在の桶川市と上尾市にまたがる地域)
の惣鎮守となったよう。

 本殿は、文化14(1817)年に、幕府の御用大工だった棟梁により造営されたとか。

 拝殿前の2基の石灯籠は、桶川宿と周辺の紅花商人たちが安政4(1857)年に奉納
したもので、灯籠には24人の紅花商人の名が刻まれ、かつての紅花商人たちの繁栄を伝
える貴重な文化財という。
     

     
      また、境内には「稲荷神社の大盤石(力石)」と呼ぶ大石が保存されている。
          
 日本一といわれる重さ610㎏の石で、「大盤石」は全国でも4か所しかないといわれ、
この石を、武州岩槻領三野宮(現さいたま市岩槻区)生まれの三ノ宮卯野之助が嘉永5年
(1852)2月に持ち上げたとのこと。 信じられないような力持ちだ。

      拝殿の左手には、ご神木のクスノキが 豊富な枝振りで立っている。
     
 

 その下周辺には、何株かのアジサイが豊富な花を競っていた。


 境内の西北端に立つケヤキの下部には、小さな社殿が祭られ、傍らにそのことについて
記された標柱も立つ。
     

 中山道に戻った東和銀行前に、「市神社(いちがみしゃ)の跡」碑があった。

 桶川では江戸時代から、毎月五と十のつく日に「五十(ごとう)の市」と呼ぶ米穀を中
心に農産物の商取引が行われて大変賑わい、その市と宿内の人々の守護神としてここに市
神社が立っていたとのこと。

 明治9(1876)年に交通の妨げになるとして、いま訪ねた稲荷神社に移され、八雲
神社として祭られているという。境内に4つの摂社があったが、どれだったか確認はして
ない。

 中山道をさらに進み、すぐ先左手(西)の大雲寺へ。

 大雲寺は曹洞宗の寺院で、弘治3(1557)年の開山と伝えられ、足立坂東三十三箇
所霊場の第2番札所である。

 桶川宿の上方(京側)にあるので、「上の寺」とも呼ばれていたようで、 本陣当主であ
る府川家の墓があり、江戸時代の俳人、府川志風、府川不莠も当寺に眠っているという。


 境内へは山門の右手から入ると、正面に本堂が堂々と構える。



 境内には松などよく整えられた植栽が配置され、鐘楼の複雑な木組みが目につく。


     

 大雲寺を出てさらに先へ、次の十字路の歩道橋の柱に「一里塚跡」の説明板がある。
     
 桶川宿の一里塚は、この付近の中山道の両側にあり、塚の上には杉が植えられ、根元に
は石の妙見菩薩が祭られていたようだが、明治9(1876)年に取り壊されたという。


 その先、広い十字路は桶川市役所入口交差点で、その南東側の一角には「史跡 木戸址」
標がある。

 午前中に見た江戸側の木戸址と同様、ここには文久元(1861)年に高さ1丈3尺、
巾8寸の角材で柵を立てた木戸を開設したとのこと。桶川宿の北端になる。

 折り返して一里塚跡の表示のある歩道橋のところまで戻り、反対側の東側に古いレンガ
蔵が残っていたので奥まで入ってみた。

 説明パネルは無いのでいつの建設かは分からぬが、明治から大正の頃のものかと思れ、
現在は使われてないようで、保有しているのは細田農機という会社らしい。

 往路で立ち寄った中山道宿場館の北側の駐車場横には、「桶川宿手洗い所」と呼ぶ公衆
トイレが設けられていた。



 道路際には、「滋味」と刻まれた「お茶博士・辻村みちよ顕彰碑」とその説明パネルが
ある。
 
 緑茶の中にカテキンが含まれていることを発見した人が、桶川生まれとは知らなかった。
歩いてみると、こういう新たな知識や発見が得られるのがよい。

     
 そばには、「中山道のいずみ」と名付けられた防災用手押し井戸や、古い円筒形の郵便
ポストなどもあった。
          

 桶川駅前交差点に向かって中山道を戻る途中で見つけた、カラーマンホール。


 その先では、桶川市内循環バス「べにばなGO」と行き違う。



 桶川駅前交差点を右折して桶川駅に向かう。交差点際にあった栄屋菓子舗に、NHK総
合TV「チコちゃんに叱られる」に紹介されたという張り紙などがあり、「塩あんびん」
という菓子が気になったので入ってみた。

 
 埼玉県北東部の郷土菓子のようで、砂糖でなく塩あんの大福餅。餅もきめ細かくて美味
しそうだったので3ツ購入する(ひとつ180円)。




 帰宅後調べたら、「チコちゃんに叱られる」の放映は2020年10月9日だった。
なお、この店・栄屋菓子補のサイトとはこちらから。

 すぐ近く、駅前通りの反対側に「おじいさんの店」という看板が目に入る。

 地元っ子の間では「ぢぢ店」と呼ばれているようで、めんこ、ビー玉、ままごとセット
など昔の玩具もここなら見つかるという。昭和ムードあふれる立ち寄りスポットというが、
暑さが応えているので、寄らずに駅に向かう。


 その先にも、昭和の雰囲気の感じられる店があった。



 JR桶川駅には14時21分に戻った。改札のある2階通路には、べに花開花情報が満
開を告げていた。
      

 14時35分発高崎線上り電車に乗る。
 

 (天気 晴、距離 5㎞、地図 「おけがわ散策マップ」(平成26年1月発行)中の
 「中山道桶川宿」食事処 お土産マップ)、歩行地 桶川市、歩数 8,700)


 この日、最寄りのアメダス観測地点の最高気温は、さいたま市で33.3℃、熊谷市は
35.0℃だったので、桶川はこの中間前後になったかと思われ、暑さがこたえた。 
 



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花菖蒲の北山公園と周辺の遺跡や寺院へ(東京・東村山)〈後半〉

2022-06-15 22:45:57 | ウオーキング
 2022年6月8日(水) 〈後半・正福寺と大善院へ〉

 ハナショウブの観覧を終えて12時56分頃北山公園を出た。この後は、近くの2つの
寺院を巡ってから西武新宿線の東村山駅に向かうことにした。

      退出した北山公園の東南側入口近くの畑には、タチアオイが咲く。
     
 
 南側の野口町の市道を少し西に進むと野口製麺所があり、うどんを食べられる小食堂も
あるが、昼どきでほぼ満席のようなので入らずに通過する。

 その先のT字路を南へ、塀沿いに少し進んで墓地の中ほどから正福寺(しょうふくじ)
境内に入り、改めて正面の山門に回って入り直す。


 金剛山正福寺は臨済宗の寺院で、鎌倉の建長寺の末寺とか。開基は鎌倉幕府執権、北条
時宗かその父時頼のようだが、確たる史料は現存してないという。

 山門は、昭和48(1973)年の解体修理の際、元禄14(1701)年の建立と判
明したようで、江戸時代の伽藍の遺構を示す貴重な禅宗様式建築物として、東村山市有形
文化財に指定されている。

 山門を入って正面の地蔵堂は千体地蔵堂とも呼ばれ、応永14(1407)年建立の典
型的な禅宗様建築で、東京都で唯一の国宝建造物として昭和3(1928)年に指定され
ている。

 
 千体地蔵堂内に祭られた地蔵尊象についての説明パネル。


 千体地蔵堂の本尊は延命地蔵菩薩立像。像高127㎝、文化8(1811)年の制作の
ようで、東村山市有形文化財である。
 
 
 千体地蔵堂の左手には6段の木製の棚があり、木造の小さい地蔵がたくさん並んでいる。

 市内の知的障害者の方々が心を込めて制作した手造りの木彫り地蔵で、毎年11月の文
化の日の地蔵まつりに有料配布され、購入した家の病気平癒や家内安全、厄除けなどの願
いを込めて1年後に奉納され、安置したものという。


     
 千体地蔵堂の手前、南西側には 小さな建物があり、中には「貞和の板碑(じょうわのい
たび)」と呼ぶ大きな板碑が保存されていた。
          
 貞和5(1349)年のもので、高さ3m、幅51~58㎝あり、完全な形をとどめる
ものとしては都内最大級の緑泥片岩(りょくでいへんがん)の板樋で、東村山市有形民俗
文化財のよう。前面のガラス扉の間からでは全容が見られなかった。

 千体地蔵堂の右手から背後に進む参道には、創建730年記念に建立された十三仏石像
が並んでいる。



 十三仏像に相対して何株かのアジサイが咲き、葉のみごとな松も目に入る。


     





 

 その間を進めば堂々たる本堂前に出る。


 本堂の周辺にも何本かのアジサイが咲いていた。
 

 本堂の南東側には大きな容器に植えられたハスがあるが、まだつぼみ。



 鐘楼の横から十三仏の背後を南側に戻れば、境内東南側には八坂神社が祭られている。

 
 八坂神社前から東へ少し、T字路を南下して都道12号線に入り、東へすぐのV字路で
細道を進んですぐの大善院へ。

 大善院は天台宗の寺で「野口の不動さん」と呼ばれ、親しまれているよう。

 以前は八王子市にあったが明治8(1875)年に暴風で倒壊し、再建の資金難に陥っ
ていたのを、多難な手続きを経て当地出身の新住職がここに明治32(1899)年に本
堂を建立したとのこと。

 明治39(1906)年には不動明王を安置し、さらに境内西南側に富士山の溶岩で高
さ7mの山を築いて唐金製不動明王三十六童子を安置し、当時、毎月の不動尊縁日には門
前に市をなして参拝者で終日賑わったという。

      
 山門はないが、少しの石段を上がった両側にアジサイが開花していた。



 本堂の手前、両側にも溶岩を積み上げた大岩があり、不動明王が祭られている。
     

                    

 まずは正面の本堂に参拝し、新型コロナウィルスの感染防止と健康など祈願などする。


      本堂に貼られた境内のパワースポット案内
     


 こちらが、富士山の溶岩で築いた築山に配置された不動明王三十六童子像など。




     



     
         その北側には大きなサルスベリと水子地蔵尊が。
          

     
      築山の背後に回ると、七福神像が配置されていた。
          

     

          

 


      境内南側の道路際には家庭円満のコブシが立ち、傍らにその説明パネルが。
           
     
     
      手前にモミジがあり、全体像は見にくい。

      
 本堂前の2つの築山とその周辺は、ガクアジサイなどが彩りを添えている。
 

      



     
 20分ほど境内を巡り、14時過ぎに正面階段を下ってちょうちんの下がる南側の参道
を抜けて、東村山駅真に伸びる市道に入る。参道にもアジサイが。








     
           商店街を300m余り進めば駅前の高層ビルが近づく。
          
 
 高架化工事中の東村山駅西口前には14時13分頃着いた。駅前広場には、北山公園の
菖蒲まつりの歓迎幕が。


 先ほど見えた駅前の高層ビル、ワンズプラザ2階にあった中華料理のチェーン店に入り、
冷し麵を注文して遅い昼食をする。

 
 この2階には、「サンパルネ」と呼ぶ東村山市の産業・観光案内コーナーも設置されて
いるようだが、奥の方にあるようなので気づかなかった。


 2階北側のデッキから、西武新宿線や西武国分寺線、西武多摩湖線などの高架化工事の
様子を眺める。(上は新宿方、下は所沢方)

 
 デッキを下りて西口を地下に下り、改札口には14時55分頃着いた。

 
 15時02分発 西武新宿線下り電車で所沢駅に向かう。


 (天気 曇、距離 5㎞、歩行地 東村山市、地図 1/2.5万所沢、「まち歩き発
  見マップ ココミテ東村山」)

 



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