カントリーウオークグループの例会で、6月10日(日)に埼玉
県秩父市郊外を歩きました。その時のレポートです。
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上空に寒気が入って雷雨になるとの予報。秩父鉄道大野原
駅に集まり、4グループに分かれ10時28分にスタートする。
駅北側の踏切を渡り、国道141号に出て、近くの愛宕神社
へ。社殿は一段高い盛り土の上にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/da/eefb83f1e4a593cfcbfd9279a41aebc8.jpg)
雨が落ちてきたので境内の木の下で雨具を着けた。
交通量の多い国道を南に500mほど進み、広見寺に入る。
道路際の林の下に、横穴式古墳のようなものがあった。経蔵
と呼び、大般若経の経文が書かれた河原石が5000も収蔵さ
れているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/19/23b1e6289e78e8527282f58043aec132.jpg)
五色のまん幕を張った本堂、新しい山門、大きな鐘楼など、
背後の豊富な緑を背にしてみな見栄えがする。境内には十三
仏霊場も配置されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/f9/9ca909fd9001aa713cdca50814682405.jpg)
門前を南に回って車道に出て、少しショートカットして台地に
上がる。農林研究センターの先で林間を下って小さい流れを
越えた。
別の車道に出て桜並木に沿って上がると、緑豊富で広大な
聖地公園が一望できる。
公園の東側、林間の谷間を下り、矢追集落を見下ろす山腹に
ある秩父札所第3番、常泉寺に入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/9f/9ad2f14fb9a380faf303b549b1cea5d8.jpg)
社殿はそう大きくはないが、屋根下に精巧な木彫が施されて
いる。本堂背後の大岩下に、何体かの古い石仏や石碑が並ん
でいた。
境内に手押しポンプがあり、「長命水」と呼ぶまろやかな水を
くんで飲めるようになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/86/ee018fd053606de3a64bddb3b6b58045.jpg)
本堂のぬれ縁に、「子持ち石」と呼ぶ、自然石だが赤ん坊の
ような形の石が祭られ、子供の欲しい人が全国から訪れると
いう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/f6/69a3e1dec573b46aefaf3932c1f411dc.jpg)
咲き出したホタルブクロがたくさん並ぶ畑の前を南西へ。車道
を越えて豊富な緑が深い渓谷を覆う横瀬川の橋を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/fe/4f7d0021f85b1fe1aa95bf560e29b1a0.jpg)
欄干には、巡礼の姿が浮き彫りされていた。
上山田集落に入り、道しるべに従って進むと、秩父札所4番
の金昌寺。
大わらじや石仏がたくさん奉納された古い山門をくぐり、桜や
モミジなどの豊富な境内を上がる。
古い本堂には千社札がいっぱい貼られ、その下に、赤子に乳
を飲ませる姿から子育て観音と呼ばれる慈母観音像がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/44/33a7f450e49a2d5cca54d15be6a8a594.jpg)
境内には、天明3年(1783)の浅間山大噴火の死者をともら
うために奉納された石仏が並び、その数は1300体を数える
という。境内のツツジが見ごろだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/03/aca8a84610881a9db06919ef99e30e55.jpg)
正午近いが昼食地まではまだ先が長い。山田の春祭りで知ら
れる恒持(つねもち)神社は寄らずに通過、横瀬川の山田橋を
渡って左岸沿いに進み、矢行地で左折して西へ向かう。雷鳴が
とどろき雨も本降り。
大野原交差点で国道141号を横断、西側の旧道を進み、13
時ちょうどに、昼食地の秩父市文化体育センターに着いた。
ほかのグループはかなり前に到着し、入り口の横のベンチで
雨を避け、食事を終えようとしていた。
13時40分に出発、北側の原谷小横の交差点を渡り、南東
への旧道を下る。国道下をくぐって横瀬川を渡り、上小川の
集落へ。クワの実がいっぱい実り、摘んで口に入れる人が多い。
横断予定の道が一部無くなっていて、S字状にう回して北に
向かい、小槫(こぐれ)集落に入る。民家の庭先や畑のあぜに
いろいろな花が色鮮やかに咲き競う。東側の山腹でホトトギス
が鳴く。
畑の一角に、ちょっと変わった石を積んだものが祭られ、横
に四角い井戸がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/99/9fd71e6decbfe84e0680d5bc311196aa.jpg)
「オシャングリ様」と呼ばれ、朝鮮から来た蚕の神だという。
その先、山すそにある無住の広雲寺で小休止しした。
さらに山すそを北西に進む。破風屋集落の小さい池で、
スイレンがピンクと白の花を見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/59/40fbde8b934a8eda700b7f501bcb2efe.jpg)
麦秋の彩りを見せる畑の向こうにかやぶき屋根の家が
あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/e1/c0e30669ca63d26e617e97f8f25c6df8.jpg)
代々この地の名主(なぬし)を務めたという内田家。建物
は秩父地方の大工のすぐれた技術によるもので。17世紀
初期の建築と見られるという。
現在は無住で、市が文化財として管理しているようだ。
美の山への案内板のところを右折し、山間の道を上る。
案内板に従い更に右折し、緑いっぱいの林間を緩やかに
下って行くと、流れのそばに大きな「和同開珎(わどうかい
ちん)」碑が立っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/3b/dc4fcc54aa362048a56f1c29237f6c21.jpg)
奈良時代の慶雲5年(708)、この地から自然銅が発見
され、朝廷に献上された。その銅から日本最初の貨幣の
「和同開珎」が造られ、年号も「和銅」も改められたゆかり
の地。
一帯は祝山と呼ばれ、周辺に、江戸期に採鉱された選鉱
場、精錬所跡、横穴跡などが残っているという。
林間を途中まで戻り、東側の車道に出て北に下り、和銅
遺跡ゆかりの、聖(ひじり)神社に行く。
祝山から自然銅が発見されたとき、守護神として金山彦尊
(かなやまひこのみこと)を祭ったのが始まり。朱塗りの社殿
は、秩父市中村にあった今宮神社本殿を昭和39年(1964)
に移築したもの。江戸時代中期の建築で、県文化財に指定
されている。
境内に、和銅鉱物館や宝物庫がある。事前に、普段は閉
まっている和銅鉱物館の観覧を予約しておいたので、和銅
保勝会の若林さんほかの方が待っておられた。
鉱物館は小さい建物だが、自然銅のほか、国内や海外か
らも収集した鉱石など349点が展示され、ほかに、県文化
財で和銅時代の「蕨手刀(わらびてがたな)」と呼ぶ太刀(たち)
なども展示されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/15/d547aeae852d7a668b33f8218d5c1a0b.jpg)
4人がかりでないとカギが開かないという宝物庫も開けて下
さり、ご神宝の和銅鉱石2個と、献上当時の天皇・元明天皇
ご下賜とされる雌雄一対の和銅製のむかでもみせていただ
いた。鉱石は、献上した当時のものだという。
希望者に、和銅遺跡のことをまとめた小冊子と、実物大の
和同開珎のお守りも分けていただく。
すぐ下の国道141号に出て少し戻り、16時10分にゴール
の黒谷駅に着いた。
(天気 雨後曇、参加 18人、距離 13km、地図(1/2.5万)
皆野、歩行地 秩父市)
県秩父市郊外を歩きました。その時のレポートです。
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上空に寒気が入って雷雨になるとの予報。秩父鉄道大野原
駅に集まり、4グループに分かれ10時28分にスタートする。
駅北側の踏切を渡り、国道141号に出て、近くの愛宕神社
へ。社殿は一段高い盛り土の上にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/da/eefb83f1e4a593cfcbfd9279a41aebc8.jpg)
雨が落ちてきたので境内の木の下で雨具を着けた。
交通量の多い国道を南に500mほど進み、広見寺に入る。
道路際の林の下に、横穴式古墳のようなものがあった。経蔵
と呼び、大般若経の経文が書かれた河原石が5000も収蔵さ
れているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/19/23b1e6289e78e8527282f58043aec132.jpg)
五色のまん幕を張った本堂、新しい山門、大きな鐘楼など、
背後の豊富な緑を背にしてみな見栄えがする。境内には十三
仏霊場も配置されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/f9/9ca909fd9001aa713cdca50814682405.jpg)
門前を南に回って車道に出て、少しショートカットして台地に
上がる。農林研究センターの先で林間を下って小さい流れを
越えた。
別の車道に出て桜並木に沿って上がると、緑豊富で広大な
聖地公園が一望できる。
公園の東側、林間の谷間を下り、矢追集落を見下ろす山腹に
ある秩父札所第3番、常泉寺に入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/9f/9ad2f14fb9a380faf303b549b1cea5d8.jpg)
社殿はそう大きくはないが、屋根下に精巧な木彫が施されて
いる。本堂背後の大岩下に、何体かの古い石仏や石碑が並ん
でいた。
境内に手押しポンプがあり、「長命水」と呼ぶまろやかな水を
くんで飲めるようになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/86/ee018fd053606de3a64bddb3b6b58045.jpg)
本堂のぬれ縁に、「子持ち石」と呼ぶ、自然石だが赤ん坊の
ような形の石が祭られ、子供の欲しい人が全国から訪れると
いう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/f6/69a3e1dec573b46aefaf3932c1f411dc.jpg)
咲き出したホタルブクロがたくさん並ぶ畑の前を南西へ。車道
を越えて豊富な緑が深い渓谷を覆う横瀬川の橋を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/fe/4f7d0021f85b1fe1aa95bf560e29b1a0.jpg)
欄干には、巡礼の姿が浮き彫りされていた。
上山田集落に入り、道しるべに従って進むと、秩父札所4番
の金昌寺。
大わらじや石仏がたくさん奉納された古い山門をくぐり、桜や
モミジなどの豊富な境内を上がる。
古い本堂には千社札がいっぱい貼られ、その下に、赤子に乳
を飲ませる姿から子育て観音と呼ばれる慈母観音像がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/44/33a7f450e49a2d5cca54d15be6a8a594.jpg)
境内には、天明3年(1783)の浅間山大噴火の死者をともら
うために奉納された石仏が並び、その数は1300体を数える
という。境内のツツジが見ごろだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/03/aca8a84610881a9db06919ef99e30e55.jpg)
正午近いが昼食地まではまだ先が長い。山田の春祭りで知ら
れる恒持(つねもち)神社は寄らずに通過、横瀬川の山田橋を
渡って左岸沿いに進み、矢行地で左折して西へ向かう。雷鳴が
とどろき雨も本降り。
大野原交差点で国道141号を横断、西側の旧道を進み、13
時ちょうどに、昼食地の秩父市文化体育センターに着いた。
ほかのグループはかなり前に到着し、入り口の横のベンチで
雨を避け、食事を終えようとしていた。
13時40分に出発、北側の原谷小横の交差点を渡り、南東
への旧道を下る。国道下をくぐって横瀬川を渡り、上小川の
集落へ。クワの実がいっぱい実り、摘んで口に入れる人が多い。
横断予定の道が一部無くなっていて、S字状にう回して北に
向かい、小槫(こぐれ)集落に入る。民家の庭先や畑のあぜに
いろいろな花が色鮮やかに咲き競う。東側の山腹でホトトギス
が鳴く。
畑の一角に、ちょっと変わった石を積んだものが祭られ、横
に四角い井戸がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/99/9fd71e6decbfe84e0680d5bc311196aa.jpg)
「オシャングリ様」と呼ばれ、朝鮮から来た蚕の神だという。
その先、山すそにある無住の広雲寺で小休止しした。
さらに山すそを北西に進む。破風屋集落の小さい池で、
スイレンがピンクと白の花を見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/59/40fbde8b934a8eda700b7f501bcb2efe.jpg)
麦秋の彩りを見せる畑の向こうにかやぶき屋根の家が
あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/e1/c0e30669ca63d26e617e97f8f25c6df8.jpg)
代々この地の名主(なぬし)を務めたという内田家。建物
は秩父地方の大工のすぐれた技術によるもので。17世紀
初期の建築と見られるという。
現在は無住で、市が文化財として管理しているようだ。
美の山への案内板のところを右折し、山間の道を上る。
案内板に従い更に右折し、緑いっぱいの林間を緩やかに
下って行くと、流れのそばに大きな「和同開珎(わどうかい
ちん)」碑が立っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/3b/dc4fcc54aa362048a56f1c29237f6c21.jpg)
奈良時代の慶雲5年(708)、この地から自然銅が発見
され、朝廷に献上された。その銅から日本最初の貨幣の
「和同開珎」が造られ、年号も「和銅」も改められたゆかり
の地。
一帯は祝山と呼ばれ、周辺に、江戸期に採鉱された選鉱
場、精錬所跡、横穴跡などが残っているという。
林間を途中まで戻り、東側の車道に出て北に下り、和銅
遺跡ゆかりの、聖(ひじり)神社に行く。
祝山から自然銅が発見されたとき、守護神として金山彦尊
(かなやまひこのみこと)を祭ったのが始まり。朱塗りの社殿
は、秩父市中村にあった今宮神社本殿を昭和39年(1964)
に移築したもの。江戸時代中期の建築で、県文化財に指定
されている。
境内に、和銅鉱物館や宝物庫がある。事前に、普段は閉
まっている和銅鉱物館の観覧を予約しておいたので、和銅
保勝会の若林さんほかの方が待っておられた。
鉱物館は小さい建物だが、自然銅のほか、国内や海外か
らも収集した鉱石など349点が展示され、ほかに、県文化
財で和銅時代の「蕨手刀(わらびてがたな)」と呼ぶ太刀(たち)
なども展示されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/15/d547aeae852d7a668b33f8218d5c1a0b.jpg)
4人がかりでないとカギが開かないという宝物庫も開けて下
さり、ご神宝の和銅鉱石2個と、献上当時の天皇・元明天皇
ご下賜とされる雌雄一対の和銅製のむかでもみせていただ
いた。鉱石は、献上した当時のものだという。
希望者に、和銅遺跡のことをまとめた小冊子と、実物大の
和同開珎のお守りも分けていただく。
すぐ下の国道141号に出て少し戻り、16時10分にゴール
の黒谷駅に着いた。
(天気 雨後曇、参加 18人、距離 13km、地図(1/2.5万)
皆野、歩行地 秩父市)