あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

「所沢市みどりのふれあいウオーク」で市の東部を歩く(埼玉)

2014-11-29 20:28:53 | カントリーウオーク
 2014年11月29日(土)

 雨の予報でしたが、朝起きたらまだ降りそうにないので、所沢市と西武鉄道合同企画の、
「所沢市みどりのふれあいウオーク」に参加することにしました。

 自宅からはひと駅の所沢駅東口がスタートですが、いつも市内ウオーキングで歩く道筋
を歩いて行き、所沢駅東口に回ります。


 駅を出てすぐの西武鉄道本社前が受付け。雨の予報にもかかわらず、予想外の参加者が
来ていました。
    

 受付を済ませ、所沢市のイメージマスコット「トコろん」に見送られて9時33分にス
タートしました。
        
 ちなみに「トコろん」は、「ゆるキャラグランプリ2014」にて、全国1,699の
ゆるキャラ中39位と健闘し、埼玉県内では深谷市の「ふっかちゃん」に次ぐ2位でした。

 スタート直後の駅前ロータリーに、「保健所発祥之地」碑があります。もともとは、市
内けやき台2丁目の所沢保健所構内にあったのですが、所沢保健所が数年前に廃止となり、
いつの間にかここに移設されたようです。
    

 まずは、所沢駅東口から東に伸びる通りを進みます。


 次の三差路を北東に進んで、歩道橋で西武池袋線を越えました。線路に近い道を南東へ、
さらに折り返すように北西へと進み、上安松交差点で県道6号に入りました。

 東に少しの、民家の道路際に皇帝ダリアが咲き残っていました。


 近くにあった霊源寺の本堂。道路から少し入るだけですが、立ち寄る人はほとんどあり
ません。
 

 すぐ近くの民家の庭先では、たくさんの花が咲き競っています。

 

 上安松東交差点で県道に分かれ、左折して北へ延びる上下2車線の市道へ。牛沼小の先
で東川(あずまがわ)左岸沿いの草道を西進します。東川沿いにはソメイヨシノが続き、
春はサクラの名所ですが、いまはまもなく葉も落ちそう。


    
 上の左カーブ点辺りで、農家の方が自分の畑で収穫した紅東(べにあずま)と呼ぶサツ
マイモや、島カボチャという沖縄原産のカボチャを販売していました。みな100円です。
    

 隣の畑では、白菜やネギなどを販売する農家の方も。


 茶畑の先で川から離れ、北側に広がる「牛沼市民の森」へ。森の西側一帯は神明神社で、
祭神は市内中心街近くにある所沢神明社から勧請されたよう。


 早くも、境内で休憩するウオーカーも。


     
 市民の森に入り、広葉樹林の中の遊歩道をを東から北へと抜けて行く途中に、薬師堂が
ありました。
        
 元禄15年(1702)にこの付近から出土したという、薬師如来像が祭られているよ
うです。


 北側を東西に走る国道463号を歩道橋で越え、東側の牛沼交差点まで進みます。

 国道沿いのケヤキ並木は、ゴール近くの所沢航空記念公園前から始まり、東はさいたま
市内まで続いており、日本一長いケヤキ並木として知られています。

 国道沿いにあった料理店。手打ちそばやウナギが美味しそう。

 
 


 牛沼交差点から左折して北北西への市道へ。左手の広葉樹林に新しいお地蔵さんが立っ
ていました。「孝行地蔵」というお地蔵さんのよう。



 その東側から北側にかけての広いエリアは「所沢カルチャーパーク」と呼ばれる広葉樹
に覆われた平地林で、その中の遊歩道をU字状にしばらくの間、通過しました。
     

 遊歩道の終わる辺りに、櫻木神社が祭られています。嘉永3年(1850)の創立で、
祭神は本居宣長と徳川光圀とのこと。本居宣長を祭る神社は、関東ではここだけのよう。
     
 少しずつ暗くなってきたとな思いながら歩いていたら、この辺りからとうとう雨にな
り、次第に本降りに。参加者の皆さんは傘を差し始めました。

 牛沼交差点から伸びてきた広い市道を下新井交差点まで進み、左折して最後の所沢航
空記念公園に向かいます。A石材店の前で大黒様と金太郎さんが見送ってくれています。
        

 東京国際空港(羽田)と成田国際空港から発着する、航空機の交通管制をしている東京
航空交通管制部の北側を進み、所沢航空記念公園の北側入口から園内に入ります。


 沿道のイチョウは散り始め。


 見頃のモミジも、この雨では色も冴えません。


     

 西武新宿線の航空公園駅東口に展示されている、YS11型機の近くに、ゴールテント
があり、11時52分に到着しました。


 その横には、この催しに協賛の観光物産展のテントが並び、所沢産の野菜や地ビール、
狭山茶、所沢銘菓、サトイモカレーなどを販売していました。


 航空公園駅から、多くの皆さんは帰路につきました。



 私はさらに歩いて、2つのスーパーを回って買い物をしてから、自宅に帰りました。

(天気 曇後雨、距離 9㎞(自宅往復含めると15㎞)、地図 主催者配布地図
 (1/2.5万地形図 所沢)、歩行地 所沢市、コース歩数 14,200)





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アートウオークセラピーで横須賀 須軽谷周辺を歩く(神奈川)

2014-11-24 17:27:59 | カントリーウオーク
 2014年11月23日(日)

 暖かな好天に恵まれた勤労感謝の日、山浦敬子さんが春秋2回ずつ実施している「アー
トウオークセラピー」、今年の最終回に参加した。

 集合は、10時に京浜急行久里浜線の終点、三崎口駅。10時13分発横須賀駅行きバ
スに乗り、一騎塚バス停で10時34分に下りた。
        

 今回歩くエリアは、横須賀市の南西部、須軽谷(すがるや)集落の周辺である。

 三浦海岸駅に向かう県道214号を少し進み、武山住宅内の道路から南側の台地、林三
丁目に広がる農地に向かって上がる。

 大きな鶏舎の横を過ぎた辺りから、畑の縁にクコの木が続き、花と実がたくさん付いて
いた。私は口にしなかったが、赤い実でも甘いのと苦いのがあるようだ。

 台地のピークの標高は50m前後だが、気持ちよい展望が広がり、東方の武山中の背後
には三浦半島の最高峰、武山(200m)周辺の稜線やアンテナなどが望まれる。


 西には相模湾に浮かぶたくさんのヨットが、その右手に目をこらすと、かすかに冠雪し
た富士山の上部が認識できた。



 周辺の畑には、キャベツやブロッコリー、大根などが多く、起伏の多い丘陵のあちこち
に残る広葉樹林は、初冬の彩りを見せる。



 農道を少し入り、ご夫婦が作業をしているキャベツ畑の上でスケッチタイムをとり、そ
れぞれが思い思いのポイントを描いた。
    

    
 直前に見た、大きな葉っぱの野菜↑は何だろうかとかと、下の畑のご夫婦に訪ねたら、
カリフラワーとのことだった。ご夫婦は、二毛作の次の種を蒔いているという。




 さらに農道を回り込み、相模湾や眼下の畑などの展望を楽しみながら昼食後、同じ場所
にて今日の記念撮影をする。
    

 農道から稜線上の公道に戻り、Y字路を折り返すように北東方向への道に入る。
    
 複雑に根のからんだ常緑広葉樹林の間を抜けるところに、古い庚申塔が並んでいた。


 林を出た天王谷集落の民家のそばに、自然のままの池があり、カルガモの家族や大きな
コイが、気持ちよさそうに泳いでいる。


 民家の柿の木に、実を採ろうとしたらしいリスがいた。我々の姿に気付きあわてて池の
向こうに飛び降りたが、カメラに捉えることは出来なかった。その民家には、直径15㎝
以上もありそうな、ユズのような実も数個実っている。
    

 県道214号を横断し、須軽谷集落の畑を貫く道を北東に進む。東側斜面の木々は、と
ころどころに紅葉の彩り。


 眼下のキャベツはよく育ち、土の見えないほどビッシリと並んでいた。
 

 車道に出て、近くの神社に向かって斜面を上がったが、ミカン畑があり行き止まり。ど
うも南側の樹林の中のようだが見えないので、近くの小道を南西に下り、須軽谷の中心に
ある法道寺に行く。



 谷地の斜面下にあり、ひなびた本堂の静かなたたずまいの寺。本堂や庭などを眺めてい
たら、不審そうにご住職が顔を出された。

 この歩きの目的などを話したら、寺の沿革をはじめ、先ほど探した神社の場所、神社が
明治の神仏分離令以前はこの寺と一帯だったこと、地域の人達との結びつきを高めるため
に色々な催しを企画し、子どものときから寺との関わりを深めてもらうよう努めておられ
ることなど、お話しいただいた。

 さらにそれら企画の一環で設けたという、背後の小さいお稲荷さんのお堂にも案内して
いただく。
        
 竹の多い斜面をジグザグに上がると、小さなお堂にお稲荷さんが祭られ、そばのジュウ
ガツザクラの若木が開花していた。
        

 4月22日の祭りには、子どもたちもたくさん来て賑わうという。

 思いがけぬ対応をいただき、トイレを借りたら缶入りのお茶まで頂き、感謝して寺を出
る。暖かいのか墓地の一角では、早くもスイセンが花を開いていた。
    

 寺のそばに、たくさん実をつけたミカンの木があり、集落の周辺にも幾つかのミカン畑
が見られた。


 ご住職に教えてもらった道を、扇山集落を抜けて北に進む。集会所の横を入ると、うっ
そうとした常緑広葉樹林に囲まれた八幡神社があった。午前中に行き止まりで戻った道の、
南側すぐのところだった。
     

 社殿の右手、屋根掛けの中に枯れた古木が立っている。天王谷集落の鎮守だった八坂神
社境内にあったご神木で、明治41年(1908)にここ八幡神社に合祀されたときには、
すでに枯れ木で立っていたとか。それを現在地に移して祭ったものという。
     

 石段を上がって参拝後、拝殿前でゆっくり休憩して、Kさんが昨秋のこの歩きでやまさ
んに勧められて6月に歩きに行った、イギリス湖水地方への単独行での経験などについて
伺う。それにしても今回も、やまさんの姿が無いのがさびしい。

 今日の歩きはここまでとして、車道を北西に400mほど進む。途中の民家に、アケビ
に似たムベがたくさん実をつけていた。
    

        
 ゴールは県道214号とのT字路際の宮ノ里バス停。14時30分に着き、3分後のバ
スに乗り、京浜急行の三浦海岸駅から帰途につく。


(参加 6人、天気 快晴、距離 4.5㎞、地図(1/2.5万) 浦賀、歩行地
 横須賀市 歩数 8,400)


 ちなみに、三浦海岸駅から乗った14時49分発の上り快特青砥行き電車は、京浜急行
では珍しい黄色の塗装車だった(横浜駅にて撮影)。


 この車両は、京浜急行電鉄が5月1日から運行を開始した「KEIKYU HAPPY
 TRAIN」(京急ハッピートレイン)と呼ぶただ1編成だけの車両で、「HAPPY
になる電車」をコンセプトに、新1000形の1編成(8両)だけに「幸せ」をイメージ
した黄色の塗装を施したもの。

 ところが、この「しあわせの黄色い電車」が、西武鉄道の車両に似ているという声が多
かったことを受けて、京浜急行が西武鉄道にコラボを提案し、西武鉄道でも、京急電車の
シンボルカラーである赤い車体に白のラインのカラーリングを施した車両1編成が、7月
19日から西武池袋線と狭山線で運行されている。

 私たちが乗車した車内の、吊り広告や壁面上部の広告も、全部西武鉄道の広告だった。

 乗車した私たちも やまさんも、そしてご覧いただいている皆さんも、ハッピーになれ
るよう期待したい!。




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所沢航空記念公園の紅葉・黄葉(埼玉)

2014-11-22 16:44:00 | 所沢だより
 2014年11月22日(土)

 「いい夫婦の日」の今日は、穏やかな快晴に恵まれました。この青空なら紅葉も映える
だろうと、今日の市内ウオーキングの中心はもちろん、所沢航空記念公園です。

 公園の南側を東西に走る県道463号沿い、日本一長いケヤキ並木も、落葉間近ながら
まだよい彩りを見せていました。
     

 公園の南駐車場そばの、大きなカエデが見頃です。


   

 駐車場沿いには何本か並んでいますが、何れもよい彩り。




     

        

 近くのモミジも。


        

 駐車場の北西側にある子ども広場で、気持ちよさそうにブランコに乗る子どもたち。


 その背後、むさしの川と呼ぶ小さいせせらぎ周辺は、ケヤキなどがのびのびと枝を広げ
ています。




 西側にある梅園付近のモミジは、まさにいまが見頃。カメラを構える人も何人か見られ
ました。


  

    

      

        

 同じ木の、赤と黄の饗宴。


   

      

 近くに、もう1本のモミジが。


     公園の中心、放送塔下のソメイヨシノは、そろそろ散り始めそう。
     

 放送塔を囲むロータリーのイチョウ。


    

 その下で、ハクモクレンも負けずの彩り。


         ロータリーの南西側にもモミジが…。
        

 茶室「彩翔亭」のある日本庭園に入ってみましたが、こちらはやや盛りを過ぎたよう。




 北側の芝生広場の横には、ソメイヨシノが集まっていますが、やはり彩りのピークは
過ぎていました。


 放送塔のすぐ近くに展示されている、航空自衛隊の輸送機C-46の周辺も、いまは
晩秋の彩りです。


 公園の北西、市立図書館の背後から公園を後にして、新所沢駅方面に向かいました。




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東京駅丸の内北口で昼食をしながらSさんと懇談

2014-11-21 22:15:19 | カントリーウオーク
 2014年11月21日(金)

 いまは解散している、全国的なカントリーウオークのメンバーのつながりだった「のみ
ちネットワーク」のメンバーのひとり、新潟県村上市のSさんが、同窓会で熱海に来た帰
路に会いたいとのことで、東京駅丸の内中央口に11時半に集合することになりました。

 
 少し早く着いたので、東京駅丸の内南改札内から丸の内中央改札内の間のコンコースで
開催中の、『「東京駅100年」思い出の写真展』を観覧しました。


  

    

       東京駅開業は1914年  
      

         これは古い東京駅構内のよう。
        

  

    

      

        

 会場には、かなり以前に作られたと思われる東京駅丸の内口駅舎の模型も展示されて
いました。


 これらはほんの一部で、写真はほかにもたくさん展示されていて、12月25日(木)
まで開催しています。興味がありましたら、東京駅に行かれた時にのぞいてみて下さい。

 11時半までに、Sさんと、毎月の「続カタツムリ歩行」でお世話になっている事務
局のDさんご夫妻も集まり、丸の内北口を出てすぐの「丸の内オアゾ(OazO)」ビルに
向かいます。この辺りは、40年前には国鉄本社ビルだったかと思われる場所です。
     

 ここで昼食をしながら歓談しようということで、Dさんが探してきた店の一つ、6階
にある九州沖縄料理の店に入りました。


    

 今日の昼食メニュー


       料理見本も並んでいます。
      

 久しぶりの再会に乾杯し、料理を食べながら話が弾み、14時の昼食終了時刻になっ
てしまったので店を出ることにしました。

 出るときに、料理と一緒に並んでいた沖縄特産の飲料ボトルが目に入りました。
     

 たまたま今日、私が自宅からアクエリアスを入れてきたゴーヤー茶のペットボトルと
デザインが同じです。
         
 このゴーヤー茶のボトルは、埼玉のカントリーウオークグループの10月例会で、埼
玉県嵐山町を歩いたときに、昼食直前に寄ったお寺で、ご住職の奥様からいただいたも
のでした。

 これも、カントリーウオークの仲間の間の不思議なつながりかと、感じた次第です。

 話の続きをもう少しと、2次会は1階に下りて、この喫茶店の外のテーブルで。
    

 集まったメンバー


      店の前の広場には、早くも大きなクリスマスツリーが。
     

 さらに1時間あまり話が弾み、15時20分頃に喫茶店を出て、東京駅丸の内北口に
向かいます。丸の内口の広場を隔てた南側にある、「KITTE」(きって)と呼ぶ中
央郵便局のあるJPタワービルに、こちらのビルの影が映っていました。
     

 東京駅前のイチョウも色づいてきています。


 丸の内北口で皆さんと別れ、私は地下の東京メトロ丸ノ内線の乗り場に向かいました。


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岩槻の町並にある社寺や旧跡を巡る(埼玉)

2014-11-19 21:47:12 | ウオーキング
 2014年11月16日(日) 午後

 続カタツムリ歩行の例会が13時15分頃散会となり、私はひとりで午前中に回らなか
ったところを巡り、岩槻駅に向かうことにした。

 ゴール前に通過した、朱塗りの橋のそばから岩槻城城門まで戻る。城門の南側に、ひな
人形をシンボル化した「人形塚」があった。
     
 昭和46年(1971)に、当時の岩槻人形連合協議会が10月15日を「人形の日」
と決め、埼玉県百年を記念してこの人形塚と人形碑を建立したとのこと。

 人形塚は、郷土の日本画家・関根将雄画伯のデザイン。男びなと女びなが仲むつまじく
寄りそう姿は「人」を形象し、世界の平和と郷土岩槻の限りなき発展を祈っているという。

 その横には、移築された「岩槻城裏門」がある。江戸後期の明和7年(1770)に修
造され、文政6年(1823)に修理の記録が、本柱のホゾに記されているようだ。

 近くの岩槻城城門とともに、さいたま市指定文化財である。

 車道を隔てた西側にある硬式野球場の外周をほぼ回り、隣接する市民会館いわつき「イ
グレッタ」の方に回るが、公園内を南に抜ける道は無い。往路の2つの野球グランドの間
から諏訪神社の方に戻った。

 ちなみに、市民会館いわつき「イグレッタ」は、カントリーウオーカーやまさんと、や
まさんののお声がけで21年前の1993年2月にスタートした、埼玉県内のカントリー
ウオークグループの初回例会のゴール地。

 やまさんを初め、この日の参加者とは初対面の人ばかり。イグレッタの会議室で自己紹
介したり、今後のことを話し合ったことが思い出される。

「カタツムリ歩行」も、やまさんが立ち上げたもの。そのやまさんが、最近は不調なのが
気がかり。今日も不参加だった。

 諏訪神社のそばに大きな寺が見えたので、南西側から回ってその浄源寺に入る。本堂は
コンクリート造り。

 創建年代は不明のようだが、開基は曾我兄弟の末裔(まつえい)である河津三郎が出家
して始めたと伝えられているらしい。


 南側の道路を回り、次に浄源寺の南東にある梅照院に行く。山門前に、独特の樹形に刈
り込んだ松の古木が目に入る。本堂は堂々たる構えだが、境内に植栽は少ない。


 梅照院前の通りを南西に向かう。仲町2丁目の、岩槻商高の方から来た通りとの三差路
際には、住吉神社が祭られている。

 享保3年(1718)に岩槻城下下新曲輪町の城山に祭られたのを、明治22年
(1889)にこの地の旧名、林道町の守護神として遷宮されたという。境内は児童遊園
地風の広場になっていた。

 さらに南西に進んで岩槻駅前から伸びる県道324号に入り、仲町1丁目にある火防鎮
護(ひぶせちんご)の神、秋葉神社へ。

 当初は秋葉寺として創建したらしいが明治6年(1873)に廃寺となり、明治13年
(1880)に復興して秋葉神社として創建されたとか。社殿は県道を背にして独特の造
りだ。


 県道に沿ってすぐ先に、新しい白壁コンクリート造りの千手院がある。ここも境内に植
栽は少なく、本堂前の6地蔵だけが目に付いた。
    

 隣接する本町4丁目の県道際には、小さめで独特の社殿の三峰神社が、県道を背にして
祭られていた。

 狭いこの境内も児童遊園地に利用されているようだ。

 県道を挟んが西側は堂々たる構えの真浄寺だが、境内に特に見るべきものはなかった。



 県道の東に戻り、秋葉神社の近くの学蔵寺へ。小さめで方形造りの社殿の横に、保存樹
木の大イチョウが立っていた。
     

 境内に鐘楼はないが、地上に置かれた梵鐘を保護する建物が設けられていた。
    

 学蔵寺前の、天神小路と呼ぶ昔の侍屋敷のあった通りを東北にすぐ、工場のような大き
な木造の和風建物群があった。

 吟醸酒「大手門」や「瑞薫(ずいくん)」の蔵元、鈴木酒造である。

 白壁なまこ壁の建物に「酒蔵資料館」の看板があったので入る(入場無料)。


 鈴木酒造の創業は明治4年(1871)で、今年は創業から143年になるようだが、
酒蔵資料館は創業125年記念事業としてオープンしたもの。


 1階では地酒などを販売していて試飲コーナーもあり、岩槻のひな人形も展示されてい
た。
    

 2階の階段を上がると酒蔵アートギャラリー。書や古い錦絵などが展示されている。


 その奥は民具展示ルームで、むき出しの太い梁の下に民具がたくさん並ぶ。



 一段上がったさらに奥には、酒器や大きな酒樽、米麹(こめこうじ)を作る道具など、
酒造に関わる道具がたくさん展示されていた。



 赤レンガの煙突の立つ工場の横の細道を北西へ。

     
 工場の背後の小さい八幡神社の横を抜けて、突き当たりを左折すると、かやぶき屋根の
平屋で県指定史跡の「岩槻藩遷喬館(せんきようかん)」がある。


 遷喬館は、岩槻藩に仕えた儒者・児玉南柯(こだまなんか)が藩士の子弟などの教育の
ために寛政11年(1799)開いた私塾で、後の文化8年(1811)ころまでに岩槻
藩の正式な藩校となったところ。

 最盛期には梅林を持った広大な敷地に、武芸稽古場や南柯の自宅、築山などもあったよ
うだが、現在は教場の建物だけが残る。

 建物内は無料公開されいるので入ってみた。中には5つの部屋があり、最も大きくて真
ん中の15畳と9畳の間が教場で、40人の藩校生が学んだという。


 館内に展示されていた児玉南柯像。
 

 江戸時代には全国に多くの藩校が開校されたが、現在も残る建物は少なく、県内で残る
のはこの遷喬館だけらしい。

 蛇足ながら、21年前の最初のカントリーウオークの際、地元岩槻のTさんから、地元
では「岩槻に過ぎたるものが2つある 児玉南珂と時の鐘」といわれている、と教えても
らったことを思い出す。

 ここまで来れば駅は近いが、最後に、午前中回った人に聞いた、かやぶき屋根の寺とい
う本町3丁目の願生寺に行く。

 駅の近くとは思えぬ緑の多い静かな境内、かやぶき屋根の本堂前には、ソメイヨシノの
古木が立っている。

 背後の墓地には、室町時代から盛んに行われるようになった「月待(つきまち)供養」
の板碑と考えられ、さいたま市有形文化財の「阿弥陀三尊図像月待供養板碑」が残されて
いた。
         


 10時過ぎにスタートした岩槻駅に15時27分に着き、10分後の電車で大宮駅に向
かう。

(天気 快晴、距離 5㎞(午前からの通算8㎞)、地図(1/2.5万) 岩槻、歩行
 地 さいたま市岩槻区、通算歩数 13,400) 




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続カタツムリ歩行で岩槻を歩く(埼玉)

2014-11-18 21:51:39 | カタツムリ歩行
 2014年11月16日(日)

 JR武蔵野線沿線やその周辺の駅から、半日だけをカタツムリのようにゆっくりと歩く、
「続カタツムリ歩行」の第19回例会に参加した。

 集合は東武アーバンパークライン(野田線)の岩槻駅。駅舎は改築中で、ホームから改
札口まで少し迂回するところもある。

      
 10時ちょうど、駅前のからくり時計の塔が開き、岩槻名産のひな人形が動き出す。そ
れを見終えて10時8分に駅前をスタートした。
          

 駅前広場の東側、埼玉りそな銀行のウィンドウに、「ミミズク土偶」と呼ぶ人形が飾っ
てある。
        
 近くの真福寺(しんぷくじ)貝塚から出土した、人間の姿を模したした素焼き人形(土
偶)で、その顔がミミズクに似ているので、ミミズク土偶と名付けられたらしい。


 線路に平行する道を東北ヘ向かう。すぐ先に矢作(やさく)人形店があり、ウィンドウ
をのぞくと、下がりひな人形がたくさん吊されていた。
        

 その下のシクラメンは、大きな花を開いている。


 踏切を通過する国道122号の線路際に、板張りの小さな社殿の三社宮(さんじゃぐう)
があり、横にさらに小さいお宮も並んでいた。狭い境内には、サクラが1本だけ立つ。


    
 国道沿いにはりっぱな蔵造りの建物があり、傍らの皇帝ダリヤがきれいに咲く。
        

 その先を左折して線路際に回り込むと、盛土の上に愛宕神社が祭られている。創建時期
は不明だが、江戸時代初期の「武州岩槻城図」には記されているとか。
     

 境内にはほかに松尾神社など3社あり、愛宕神社のある高みは、岩槻城と城下町の境と
なる大構(おおがまえ)と呼ぶ土塁の、わずかに残る貴重な遺構だという。

 長い参道の途中からV字状に折り返し、その先の線路際を少し進んでコの字状に回り、
岩槻小のそばの大龍寺の山門を入る。


 大龍寺は、徳川3代将軍家光の御守役だった岩槻城主青山伯耆守忠俊が開基した寺とか。


 どっしりした山門も大きな本堂も、最近改築したようで新しい。


 山門にも本堂にも、寺号のごとく精巧な龍の木彫が施されている。
    

 本堂の前には道元禅師立像があり、境内のジュウガツザクラが見頃に。
 

 参道の国道近くには、享保10年(1725)造立の青面金剛塔が立っていた。

     
 参道を出た県道2号に面して、「はくせいの家」の看板のあるのをDYさんが見つけた。
店内をのぞいたら、入るよう勧められたので遠慮無くおじゃまする。

 店内には、鳥のはくせいを中心に小動物のはくせいが数え切れないほど並んでいる。そ
の中には日本にいないヒョウやシマウマの顔などもある。
     

        

 熊やネズミなどの頭蓋骨も幾つか飾られていた。


 店主のKTさんは1935年生まれ、ご自身で狩猟ををされていて、とった動物や東武
動物公園から入手したものなどをはくせいにしていて、もう40年余りになるという。店
内には、警察などからの感謝状が何枚も飾られていた。

 ちなみに、はくせいはすべて販売しているが値札は無く、お客さんとの交渉次第のよう
で、小さい鳥の値を聞いたら5,000円とのこと。奥様がお茶まで出して下さり、恐縮
していただいてから店を出る。

 県道を歩き始めたら、バケツにいっぱい柿を入れた男性が声をかけてきた。
  
 県道の南側、旧岩槻市役所横のお宅のSTさん。400坪の敷地に4~5本あるという
柿の木の甘柿を採って持ってきたもの。

 幾つでも持って行きなさいと言われ、その場でさっそくいただいて口に入れる。お歳は
86歳とのことだが、そうは見えない若々しいお顔と体つきである。
    

 ご自身は絵も描いておられるとのこと、DYさんが撮った写真を送るからと話したら、
絵を1枚あげるという。DYさんはご自宅にお邪魔してサイン入りのセミの絵をいただい
てきた。
        

 立て続けに2つの、思いがけぬ出会いだった。


 県道は近年拡幅されたようで、広い歩道が設けられていて電線は地中化され、見通しの
よい町並となり、わずかながら古い建物も残っていた。


 次の信号を渡り右折して南へ、住宅街を少し進むと岩槻のシンボル「時の鐘」が見えた。
岩槻城下の時の鐘として、城主阿部正春(あべまさはる)の命で寛文11年(1671)
に鋳造されたとのこと。
     
 城内渋江口に設置された時の鐘は、城内や城下の人々に時を知らせていたがひびが入り、
50年後の享保5年(1720)に改鋳したのが現在の鐘とか。江戸時代後期には、1日
に12回時を告げていたようだ。

 この例会で6月15日に訪れた川越の時の鐘と比べると、鐘はこちらがかなり大きいが、
鐘楼の高さは川越の方が高かった。  参考に、こちらが↓川越の時の鐘。
                     

     
 鐘楼の傍らにイチョウの古木が高く伸び、その下には文字は読みにくいが「岩槻城址碑」
がある。
        

 時の鐘の横の通りは「広小路」と呼び、侍屋敷のあった通り。すぐ先のT字路を左折し
てひとつ東の通りに回り、岩槻商高の先で更に左折して正面の諏訪神社境内に入る。

 諏訪神社の創立年代は不明のようだが、岩槻城守護の軍神として信濃国諏訪上社より勧
請(かんじょう)され、城主や家臣の祈願所になっていたという。

 「本殿は江戸時代前期の建造」などの説明板があったが、現在はコンクリート造りにな
っており、近年改築されたものと思われる。

 神社の左手を下り2つの野球グランドの間を抜けて、ゴールの岩槻城址公園に入る。
ゴール場所はピクニック公園になっていたが、公園内の地図にその場所は記されてない。

 公園を貫く車道を少し進むと、移築された長屋門形式の「岩槻城城門」が残されいた。

 明治の廃藩置県に伴い廃止された岩槻城内から撤去されたのを、昭和45年(1970)
に移築したもので、岩槻城建築の数少ない遺構として貴重なものという。


 その横を入り、朱塗りの橋の架かる池の横から左に少し回り込む。噴水の上がる別の池
のそばの、フジ棚付近に12時25分に着きゴールとし、昼食をする。


 食事中に、先着していたらしいほかの皆さんも全員集まってきた。


 穏やかな日和に誘われ、広い公園内には家族連れなどの姿が多い。フジ棚のそばにもか
らくり時計塔があったが、13時になってもからくり人形は動かなかった。
     


 昼食を終え、記念撮影とミーティングをして、13時15分頃散会となる。

(天気 晴後快晴、距離 3㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、歩行地 さいたま市岩槻区)

 
 この後私は、市内の他のエリアを回ったが、そのレポートは別途とする。




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秩父札所巡り⑦ 34番札所水潜寺に結願(埼玉)

2014-11-17 18:28:19 | ウオーキング
 2014年11月14日(金)

 前回から1日空けて、秩父札所巡りの最終回に出かけた。

 西武秩父駅8時30分発のバスに乗り、一昨日は暗くなって着いた小鹿野町の松井田
バス停に9時5分に下りる。今朝は冷え込んだが快晴で風も無く、結願(けちがん)
(札所巡礼をすべて終える)の日にふさわしい巡礼日和である。

     
 国道299号を西へ、赤平川の赤平橋を渡り、500mほど先の泉田集落の交差点で
国道に分かれて北に向かう。

 二十二夜堂のそばの柿畑から、秩父のシンボル、武甲山(1,304m)の北面が望ま
れる。


 奈倉集落の東側の山並みが色づきはじめ、民家の広葉樹の彩りもよい。


 小さい社殿の妙見宮の横を通過して、再度赤平川の奈倉橋を渡る。


 小坂下集落の畑では、秩父の特産シャクシナを収穫していた。


 次の桜井集落に、33番札所菊水寺がある。本尊の聖観世音菩薩立像は平安時代末の
もので、埼玉県文化財彫刻部門の指定第1号だという。


 本堂の格天井には、古い千社札(せんじゃふだ)がたくさん貼られていた。境内には、
芭蕉句碑や新しい歌碑がある。
    


 さらに向かう北方には、緩やかな山並みが長く東西に延びている。取方(とりかた)
集落に、「星音の湯(せいねのゆ)」と呼ぶ日帰り温泉施設が出来ていた。


 取方交差点を左折して吉田川右岸沿いに回り込み、次の橋を渡り北に向かって緩やか
に上がる。

 西から南への展望が開け、日本百名山の↑両神山(1,723m)や、奥秩父の稜線が
くっきりと望まれ、周辺の木々は晩秋の彩り。


 新志(あたらし)集落の清泉寺には、山門を入ったところで本堂に参拝するのみに留
める。



 すぐ先の県道との交差点際にあった「道の駅龍勢会館」に立ち寄り、地元産品の直売
場で少しの買い物をした。


    

 上郷から元郷へと進み、木製鳥居の神社の前を過ぎる。山ろくにある社殿は小さめだ
った。


 県道37号に合し、お堂としては珍しい、平石(ひらなめ)馬頭尊堂下まで進む。

 弘化4年(1847)の竣工で、お堂の周囲や正面の向拝(こうはい)を飾る精巧な
彫刻は、当時の熊谷の腕利きの彫刻師の作らしい。やはり歩いて34番水潜寺(すいせ
んじ)に向かうという、ご夫婦と単独行の男性が休憩していた

 お堂の横を左折し、南西に向かう車道は緩やかな上り道。路傍に古い百万遍供養塔な
ど、3体の石仏が並んでいた。

 1車線の車道はその先の藤芝集落でV字状に折り返すのだが、供養塔の先から右へ、
ショートカットする巡礼道の表示があったので、小さい流れの橋を越えてその斜面を上
がることにする。


 新しい双体道祖神の前を通過し、巡礼道はジグザグに上がる。笠を被った石塔の先で、
ショートカットした車線に戻った。
        


 車道を下って最後の小集落、母沢(たのぶさわ)に入った。家並みの尽きる辺りま
で上がると、34番水潜寺への巡礼道の標柱が立っている。

 札立峠(ふだたてとうげ)までは標高差約170mの上り。小休止して持参のパンを
食べ、水分補給をする。

        
 明るい広葉樹林の中の上りが続くので、息の上がらぬ程度のペースでゆっくりと進む。
    

 一か所だけ樹林が切れて、奥秩父の山並みの展望が開けた。


     
 峠の近くは杉林が増え、細い流れの水場を過ぎる。ほどなく巡礼道最後のピーク、標
高約550mの札立峠に、予想より早い12時25分に上がることが出来た。
        

 峠からの展望はない。東に延びる破風山(626.5m)への稜線に少し上がり、目
の上の紅葉を眺めながら昼食にした。
     

 25分で昼食を終え、北に伸びる水潜寺への下りにかかる。少し下って、昼食中に破
風山から下りてきたハイキンググループがゆっくり下るのを追い越し、さらに別の小グ
ループも抜く。
     

 夏の大雨で崩落したのか、たくさんの杉の倒木の横を通過する。


 小さい流れ沿いとなり、渡渉したりしてさらに下ると、眼下に水潜寺の屋根が見下ろ
せ、新しいお地蔵さんがねぎらってくれていた。
        

 秩父三十四霊場、日本百観音霊場(西国、坂東、秩父)の結願寺である水潜寺に、
13時24分に着いた。


 3月12日(水)に秩父鉄道和銅黒谷駅をスタートして、1番札所から始めてから延
べ7日間の秩父札所巡りも、無事歩き終えて結願の日を迎えることが出来た。

 観音堂に上がり、室町時代の作と伝わるご本尊の千手観音に御礼の参拝をして、納経
所で御朱印をいただく。観音堂の傍らに流れ落ちる「水くぐりの長命水」でのどを潤し、
そばの「水かけ地蔵」に3杯の水をかけて、もう少し元気でいられるようあわせて祈る。
        

 北向き斜面で陽の差さぬ境内の一隅に、冬桜が開花し始めていた。13時37分に寺
を後にする。


 北に少し下ると日野沢川沿いの車道に出た。バス停そばの数本のモミジがよい彩り。
沢沿いの車道を東に向かう。


 廃校になった校舎らしい建物↑のある若浜集落から、日野集落へと進む。集落の東端付
近に、日帰り温泉「満願の湯」がある。12年前の巡礼結願の時には立ち寄ったのだが、
今回は通過する。


 日野沢川の流れに合わせてS字状に回る車道の途中に、大きな馬頭観世音碑が立って
いた。

 幕末の頃、ここ下日野沢村には百頭以上の馬が飼われ、人馬の往復が盛んだったとい
う。しかし当時は道路が悪く、がけから転落して犠牲になる馬も多く、その霊をいたわ
り建てたものらしい。
     
 この馬の字の点は、三つしか無い珍しい文字。馬が働いているときは足の1本は必ず
浮いていることから、生き馬の安全を祈り三つの点にしたのだという。

 Sカーブが終わり、T字路で県道44号に合して根古屋橋を渡る。柴岡集落を通過し
て琴平下集落に入り、右からの車道と合するところにあった国神(くにがみ)神社で、
最後の小休止とする。

 社殿の両脇に立つイチョウの古木がよい彩り。
        

 右からの県道37号を少し進むと、「くりやぜ園」と呼ぶぶどう園がある。駐車場か
らは東から南の展望が広がり、荒川の向こうに穏やかな山容の美の山↓が、その右手に
は逆光の武甲山が望まれる。


                   武甲山   

 荒川を渡る車道の栗谷瀬橋の、上流に平行する歩行者専用橋を渡る。橋の周辺からも、
荒川の流れや周辺の秋色の展望がよい。


 この辺り、皆野町は秩父音頭発祥の地。マンホールのふたのデザインも秩父音頭にな
っていた。
     

 皆野中の南側の間道を進み、秩父鉄道親鼻駅に15時21分に無事到着し、春からの
7日間の秩父札所巡礼、距離にして約107㎞をすべて歩き終えた。


(天気 快晴後晴、距離 17㎞、地図(1/2.5万) 皆野、歩行地 小鹿野町、
 皆野町、歩数 30,800、累積標高差 上り約600m、下り約660m)【完】


 帰宅後、32番法性寺で入手してきた「甲牛歳総開帳記念散華(さんげ)」用の台
紙に、それぞれの札所で納経印と一緒にいただいてきた散華34枚を貼る。
     
      2度目の秩父札所総開帳を巡ったよい記念品となった。 




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秩父札所巡り⑥ 三峰口駅から31番と32番札所へ(埼玉)(その2)

2014-11-16 18:25:39 | ウオーキング
 2014年11月12日(水) (続き)

 13時24分に31番札所観音院の駐車場を出た。


 沢沿いのモミジを眺めながら岩殿沢集落までは往路を戻り、往路とのT字路を過ぎて更
に直進する。




 南側眼下に牧場があり、羊と牛が放牧されていた。


 吉田牧場と呼び、道路際に「牧場ログハウスちちぶ路」があり、外に大きなカボチャが
たくさん並ぶ。
    

 栗尾集落で、右からの国道299号に合した。近くの民家に、たくさん干し柿が下がる。


 JAちちぶの先に古いお地蔵さんが並び、巡礼者を見送ってくれていた。
  

 県道37号との交差点を過ぎ、新井集落を経て小鹿野町の町並に入った。蔵造りの観光
商業情報館「夢鹿蔵」があったが、先を急ぎ寄らずに通過する。
     


 町並には、ところどころに江戸時代からの古い建物が残っていた。


 上二丁目にあった観光交流館を少しだけのぞいてみる。



 明和2年(1765)創業と伝えられる旧「本陣寿旅館」を小鹿野町が改築したもので、
宮沢賢治や井出孫六など、著名人も宿泊しているという。
   

       

 その先にも、古い建物が見られた。


 町役場や郵便局前を通過し、中島で国道を離れて南への巡礼道に入る。赤平川の金園橋
を渡って小判沢集落へ。
     

     
 小さな「こんせい宮」前を過ぎ、道標に従い左に下ると、巡礼道は赤平川の支流沿いの
林間の道となる。
    

     
 流れに沿って小さい木橋を何度も渡り返し、次第に高度を上げる。広葉樹から杉林に代
わり、沢を離れて左手に上がり込み、大日峠に着いた。


 峠には古い観音像と地蔵尊が並んでいる。


     
 下りも杉木立の薄暗い林間を進み、わずかな家並みの栃久保集落に入る。かやぶき屋根
の民家が一つだけ残っていた。


 柿久保に続く聖天集落にある32番札所、法性寺(ほうしょうじ)に16時10分に着
いた。

 独特の仁王門をくぐると、境内のドウダンツツジやモミジがよい彩り。



 舞台造りの観音堂は、本堂の奥をさらに進んだ急な石段の斜面上にある。靴を脱いでお
堂に上がり参拝する。背後の岩屋下には、たくさんの石仏が祭られていた。


 納経所では、先着の人が複数の納経帳や掛け軸に朱印をもらっていたのでしばらく待ち、
16時40分に山門を出たころには、薄暗くなった。

 今日は久しぶりに、すでにかなりの距離を歩いたが、バス停のある松井田を目指して急
ぐことにする。次の嬲谷(なぶりや)集落にあった神社↓も寄らずに黙礼だけで通過する。


 17時を過ぎ、小中学校のある腰集落辺りではすっかり暗くなった。法性寺から4㎞余
り、民宿宮本荘の横を過ぎて間もなく、国道299号にある松井田バス停に17時33分
に着いた。

 前のバスは13分前に通過していた。そばのベンチで、先着していたやはり巡礼の女性
と話しながら待ち、18時11分発のバスで西武秩父駅に向かう。

(天気 曇、距離 27㎞、地図(1/2.5万) 三峰、長又、歩行地 秩父市、
 小鹿野町、歩数 45,500、累積標高差 上り約920m、下り約1,020m)




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秩父札所巡り⑥ 三峰口駅から31番と32番札所へ(埼玉)(その1)

2014-11-15 17:02:57 | ウオーキング
 2014年11月12日(水)

 5月23日以来中断していた秩父札所巡り、11月18日の午歳総開帳(うまどしそう
かいちょう)の終了が迫ってきたので、残り4か所を回ることにした。

 今日は、秩父鉄道の終点、三峰口駅から31番と32番札所を巡り、小鹿野町(おがの
まち)までの予定。結願(けちがん)となるあと1回を含め、最長の25㎞以上になりそ
うだ。


 自宅から約2時間をかけ、8時41分に秩父鉄道の終点、三峰口駅に着いた。2両編成
の電車から降りたのは私を含めて5人。だが、秩父札所巡礼らしい人はいない。

 雨は心配ないが、曇り空でうす寒い駅前を右へ、線路沿いに進んで荒川の白川橋を渡る。
荒川渓谷の広葉樹は、かなり色づいていた。


 県道140号を少しで秩父往還贄川(にえがわ)宿に入る。贄川宿は、大宮郷(秩父市
中心部)に次ぐ秩父甲州往還の宿場。三峰社講中や諸国商人衆の定宿として江戸初期から
賑わったという。現在も、往還沿いには当時の雰囲気が残る。


 往還の東端付近の三差路際に、「みどうかね地蔵」と呼ぶお地蔵さんが祭られていた。
        
 宝暦7年(1757)の建立で、地元や近隣の人々、秩父札所巡礼者などが祈願し、そ
の功徳や御利益の数多いことが伝えられているようだ。

 荒川西小近くまで上がると、荒川の谷を隔てて南側の、荒川白久方面の家並みや山並み
の展望が広がる。小学校の先は家並みがほとんど無くなり、車のすれ違いが出来ない細い
トンネルを抜ける。


 次の古池集落に入り、大きな純和風建築の横を通過した。色づいた実がいっぱいの柿の
木もある。


 合併で広がった秩父市から小鹿野町(旧両神村)に入る。少し古そうだが「注意 熊出
没」の張り紙があり、交通量も少ないのでちょっと気になる。近くの東下野沢集落にはセ
ントバーナード犬など80頭在舎という「ワンワンランド」があり、犬の鳴き声が賑やか。

 隣接の白沢集落には柿の木が多く、何れも鈴なり。


 小森川を渡り、左からの県道367号と合した小森バス停のY字路際に、古い洋風建築
が残る。近藤酒店の建物で、背後には醸造所らしい大きな建物も見えた。


 材木の積まれた「両神林産加工」の工場横を過ぎ、間もなく「道の駅 両神温泉薬師の
湯」があったので立ち寄る。

 大きなスペースを占める日帰り温泉薬師の湯のほか、農林産物直売所↑、道の駅案内所、
ふるさと体験処などがある。

    
 農林産物直売所をのぞいたが、特に購入したいものはなかった。直売所横のドウダンツ
ツジが色鮮やか。
    

 すぐ先の法養寺薬師堂は、今日最初の社寺。両神山・四阿山(あずまやさん)の山ろく
に平安時代に創建されたと伝わり、山の薬師、目病に霊験あたらかな薬師として、神奈川
県伊勢原市の日向薬師、愛知県新城市の鳳来寺薬師とともに「日本三体薬師」の一つに数
えられるという。
     

 天正年間(1573~92)にここに移築されたと推定され、県内に残る中世の代表的
建造物として、県有形文化財となっている。


 拝殿には、眼病治癒を祈る人達の奉納らしい、「め」の字の納め札がたくさん奉納され
ていた。
    

 隣接して両神神社があるが、先を急いで石段下で手を合わせるに留めた。


 交番や郵便局のある旧両神村中心部のY字路を左折し、旧役場↓前を通過する。


 背後の両神小の西側を回って、古くからの巡礼道だった林間の小道を下る。


     
 薄川の木の橋を渡り、対岸の坂戸集落へ。ここにもあった薬師堂の横から、背後の稜線
に向かって車道を緩やかに上がる。


 薬師堂のそばには、大きな実をつけた柿畑があった。


 「竹内いしの墓」の説明板があったが、墓のあり場所は分からない。周辺のモミジがよ
い彩り。小さい峠にも「注意 熊出没」の新しい表示が貼られていた。


 峠から上飯田の集落↑に向かって下る。集落背後の山裾には、県無形文化財の鉄砲祭で
知られる飯田八幡宮の社殿が見えたが、ここも寄らずに通過する。


        
 三田川郵便局の先の三差路に立つ、古い「三十一番道」の十部?供養塔↑の横を進み、
岩殿沢の宮平橋を渡って岩殿沢集落に入る。

     
 家並みの終わる辺りで朱塗りの橋を渡ると簡素な大日堂ががあり、そばの「たらちね観
音」ののぼりの並ぶ光珠院の方が目に付く。

 沢沿いを上流への道は、31番札所、観音院への往復路なので、参拝の自家用車やバス
が増える。


 観音院への参拝者で賑わう「観音茶屋」↑のすぐ先は地蔵寺。沢を挟んで両側の斜面に、
おびただしい数の水子地蔵が祭られている。


 お堂の近くには、青銅の水子地蔵尊も祭られていた。



 すぐ先の地蔵トンネルを抜けてさらに500mほど緩やかに上がり、12時40分に
31番札所、観音院の仁王門下に着いた。


 そばの駐車場は、ご開帳終了まで1週間なので、参拝者の自家用車やバス、マイクロバ
スでいっぱい。

     
 山門をくぐり、細く急斜面の階段をつづら折れに何度も曲がり、巨岩に覆われるように
建てられた観音堂まで、ひと汗かきながら上がって参拝する。


 本尊の聖観音は行基の刻といわれ、畠山重忠により本堂を建立せしめたとのこと。その
後盛衰あり、幕末の頃にさざえ堂式の本堂や宝篋印塔(ほうきょういんとう)を建立した
が明治26年(1893)に焼失し、長らく仮堂のままだったのを、昭和47年(1972)
4月に現在の本堂が再建されたという。


 本堂の左手後方岩上から、落差20m余りの「清浄の滝」が落ち、巨岩の下部には、室
町時代ごろの制作と推定される「鷲窟磨崖仏(しゅうくつまがいぶつ)」と呼ぶ、小さな
磨崖仏がたくさん浮き彫りされていた。

 磨崖仏は、県指定史跡である。

    
 石段沿いに立つ、たくさんの句碑を見ながら山門に下った。観音堂と書かれた建物でお
茶の接待をいただき、駐車場の隅にあったベンチで遅い昼食をする。  〈続く〉



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庭の柿を収穫して干し柿にする(埼玉)

2014-11-11 13:20:58 | Weblog
 2014年11月10日(火)

 わが家の庭のただ一本の高木(といってもせいぜい4m余り)である柿の木に、今年は
例年以上の実がつき、かなり色づいてきたので収穫して干し柿にすることにしました。
        

    

        

      

 手で取れるところは手で、手の届かぬところは高枝ばさみで採ったら、これだけでした。
    

 鳥のために1個だけ残し、あとはまだ落葉しない葉っぱだけに。
      

 夕食後、連れ合いと二人での皮むきに、2時間半くらいかかりました。


 それをひもに7~11個ずつしばり、2階のベランダにかけたもの。合計3時間がかり
で、吊したのは81個です。
      

 12月になれば、甘い干し柿が食べられそうです。


 それにしても、わが家では81個の処理に3時間がかりだったのですが、6年前の今頃
(2008年11月13日)、国際ウオーキングトレイル実踏のときに通過した、山梨県
甲州市塩山では、このように数え切れないほどの干し柿風景が見られました。


    



 
 これだけの数を干し柿にするのに、何人でどれだけの時間がかかったのかだろうかと、
想像もつきません。




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