あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

蓮田から岩槻へ 武州鉄道廃線跡を訪ね歩くウオーキング(埼玉)

2019-02-13 17:16:55 | カントリーウオーク
 2019年2月11日(祝・月)

 埼玉県内を中心のカントリーウオークグループが、スタートからまる26年になる記念
日の今日は、武州鉄道の蓮田~岩槻間に残る痕跡を訪ね歩いた。

 集合はJR宇都宮線蓮田駅。予報では降雪の心配もあったが雪にはならず曇天、でも気
温は低い。10時ちょうどに蓮田駅東口をスタートした。


 ちなみに、武州鉄道は蓮田からさいたま市岩槻、大門を経て、川口市神根(現神戸(ご
うど))までの鉄道。大正13(1924)年に今日歩く蓮田~岩槻間がまず開業したが、
14年後の昭和13(1938)年に営業廃止となり、線路跡もわずかしか残っていない
よう。

 線路沿いの通りを少し西進し、交番のある交差点を左折して南東へ真っ直ぐに伸びる車
道を進む。

 蓮田三丁目で右折し、神亀(しんかめ)酒造の醸造所の周囲を北から西、南へとコの字
状に回る。北側にあった売店は今日は休業日だった。

 神亀酒造は日本酒蔵において最初に全量純米酒にしたことで知られ、現在も米と米麹
(こめこうじ)と水からのみで日本酒を造っているという。


 元の道に戻り、すぐ先で東へと進む。スイセンの咲く日陰の畑には、2日前の雪が残る。



 その辺りから東に見える林は小川原家の屋敷林で、「さいたま緑のトラスト」の保全7
号地だという。近くには安産子育てに御利益ある、延命地蔵尊が祭られていた。
         

 すぐに国道122号バイパスに出た。S字状カーブの中ほどに材木店があり、その南側
の畑の隅に「馬込車站(まごめしゃたん)建設碑」があった。
          
 「昭和6(1931)年2月1日」とも刻まれていて、武州鉄道馬込停車場のあったと
ころ。

 碑の上部は欠け落ち左側表面も剥落(はくらく)していたが、支え持って記念撮影する。
ここからも、緑のトラスト7号地の林が間近である。


 S字状カーブの終わる辺りで国道を離れて東へ、住宅地の間を東南東に延びる道路があ
り、これが武州鉄道の線路跡とのこと。


    
 沿道の家の紅梅が見頃で、近くの畑の向こうには屋敷林の残る民家も望まれた。


 東北自動車道の上を越え、東側の馬込交差点で東北自動車道の東側側道を横断する。そ
の先東南東に延びる静かな里道も武州鉄道の線路跡。


 河合小の校門横に小さい稲荷神社が祭られていた。どこにでもあるような稲荷神社だが、
この神社には岩槻の料亭お抱えのタクシー会社の運転手と狐との伝説があるという。
     

    
 河合小の南に回り、平林寺集落を東進する。紅梅、白梅、ピンクの3色の梅が見頃にな
った住宅があり、紅梅の下からはフクジュソウも咲き出していた。
    

               


 クランク状にカーブした曲がり角の家に黒と白の2頭の馬の像が置かれていたが、どの
ような作品なのか説明板などはない。
    

 すぐ先の十字路を右折すると、平林寺公民館に延びる短い直線が廃線跡のよう。


         
 すぐ先の十字路際に「片割れ地蔵」と呼ぶお地蔵さんが立ち、そばの小さい林には「平
林寺跡」の表示がある。

 ここは、県内新座市野火止にある平林寺があったところ。平林寺は、永和元(1375)
年にこの地に創建されたが、豊臣秀吉の小田原城征伐の影響を受け、塔頭(たっちゅう)
のひとつが残るだけとなったとか。

 のち関東に領地替えとなった徳川家康が鷹狩りに訪れ、休息で立ち寄った際に再興を約
束し、天正20(1592)年に新座市に中興されたとのこと。

 片割れ地蔵は、もとはこの地に一対の地蔵さんがあったが、そのひとつは現在の平林寺
に祭られたので、ひとつだけ残ったよう。

 この先は、真っ直ぐに伸びる畑と民家の散在する通りを平林寺集落から箕輪集落へと
1.2㎞余り東進する。武州鉄道はすぐ北側をほぼ並行していたようだが、その痕跡はな
いらしい。

 T字路に突き当たって左折、すぐの十字路を北東に入った先で、住宅の並びが少し周辺
と違う細い通りが線路跡と分かる。


 十字路に戻り東へ、次の十字路を左折した先にも線路跡の道路が残っていた。


 美幸町から日ノ出町へと東南東に進み、南側にも短い線路跡を確認した。
     

 県道65号・日光御成街道などとの変則五差路を右折して、もとは岩槻城の堀だったと
いう車道を南へと進む。


 愛宕町にあった「愛宕ふれあい広場」が今日のゴール。12時35分に着いた。ミーテ
ィングをして解散とする。

 この後、用事で帰るTさん以外は岩槻駅の東北近くにある「コロッケカフェふれあい」
に12時50分に入る。
     

    
 まずは暖かいカレースープとコロッケ入りサンドイッチをいただく。その後、昼食を兼
ねた26周年記念の会食をして、2時間近くの宴を楽しんだ。


 ちなみに降雪こそなかったがうす寒い一日で、さいたま市の最高気温は4.4℃だった。

(参加 11人、天気 曇、距離 7㎞、地図(1/2.5万)、岩槻、歩行地 蓮田市、
 さいたま市岩槻区、歩数 11,500)


 なお、「コロッケカフェふれあい」の藤野ヒロ子さんは、もと透明水彩画をされていた
が、現在は絵皿に植物などを描く工芸作家として活動されているとか。

 絵皿の焼成はどうされているのか伺うと、最近は断熱性能のよいファイバー材があるの
で大がかりな焼釜は必要なく、60㎝角くらいの釜の周囲をファイバーで覆えば室内でも
焼けるようで、藤野さんもこの上の階の自宅にそのような焼釜を設置して、電気炉で焼成
しているという。

 会場の壁面には、藤野さんが制作された美しい絵皿がたくさん並んでいた。
    



 藤野さんは、近くの東武アーバンパークライン岩槻駅に近いWATSU西館の3階で開
催している、さいたま市岩槻区の「第7回人形の里 区民総合文化芸術祭」のプロ作家の
展示にも出展されているとのこと。

 
 会食終了後は皆で会場に行き、藤野さんの作品↑を始め多くのプロ芸術家の油絵、水彩画、
人形、書、藤工芸など多彩な作品の数々を観覧する。


    

         



     



        

    



     
 さらに、岩槻駅東口駅前にある、人形のまち岩槻の代表的な人形店ともいえる東玉(と
うぎょく)総本店の4階で開催中の、「変わり雛(びな)」の展示も観ることにした。

      
 人形の東玉では、毎年その年に起こった印象深い出来事を全国から一般公募し、それら
をモチーフにした人形を製作、発表しており、まもなく平成の終わる今回は平成時代30
年分の変わり雛を一挙公開することになったよう。


 会場では、30年分の変わり雛を年代順に、各々の年の上位3点ずつ展示している。





 それらを観覧しながら、ああ、この年はこんな人が話題になったのだったかと、忘れて
いたことも多かった。
     














 あわせて、隣接するたくさんの武者人形などの展示も一巡して眺める。




         


 帰路は、東武アーバンパークライン岩槻駅↑から15時45分発大宮行急行電車に乗る。





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武蔵浦和駅の南側から道満グリーンパーク周辺を歩く(埼玉)

2018-12-11 09:40:16 | カントリーウオーク
 2018年12月9日(日)

 埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの、第259回忘年例会に参加した。

 集合はJR武蔵野線・埼京線の武蔵浦和駅。参加者13人は全員一緒に10時10分に
出発した。

 昼食地で忘年の宴をすることにして、まずは駅の南西側にあるスーパーマルエツに入り、
各々飲み物やおつまみなどを購入する。

 南進し、ロッテ浦和工場や沼影小、ロッテ球場横を進む。


 各種競技大会出場や優勝の幕の並ぶ内谷(うちや)中の角を右折して西へ、突き当たり
の県道79号朝霞蕨線を南に少しで、内谷五丁目の普門寺に入る。

 足立板東観音霊場第15番札所のようだが、境内は狭く本堂も小ぶりで植栽も少ない。


 本堂右手に古い地蔵菩薩像などの石像が6基並び、その中の地蔵像には延宝5(1676)
年↘と安永5(1776)年、念仏供養塔には延享元(1744)年と刻まれていた。
         

 すぐ先、県道が南東へカーブした東側、戸田市に入りすぐの美女木(びじょぎ)一丁目
には安養寺があった。ここも本堂は小ぶりで植栽も少なめだ。


         
 新しい地蔵堂には、美女木村講中が享保16(1731)年に奉納したお地蔵さんが祭
られ、そばのスイセンが咲き出していた。

 美女木郵便局前を進み、首都高埼玉大宮線に近い妙厳寺に行く。

 開基は明応2(1493)年といわれ、江戸時代には寺領6石の御朱印を下付されてい
たとか。


 境内には、戸田市有形文化財の十六羅漢が風通し良い建物に並ぶ。本堂内には戸田市指
定絵画の妙厳寺涅槃図があるようだが、法事中だったので確認は省いた。


 境内には何色かのキクが花盛りで、イチジクやサクランボなどの果樹もある。
         

 山門際には享保19(1731)年造立の傘を被った地蔵像が祭られていた。
         

    
 道路を挟んで東側の美女木公園で小休止する。ドウダンツツジが紅葉し、ソメイヨシノ
はほぼ落葉している。


道路側にはキクが飾られた庚申塔が祭られていた。



 少し戻って西へ、国道17号新大宮バイパスの上を首都高が走る間をこ道橋で渡り、美
谷本小の南東にある徳祥寺(とくしょうじ)へ。

 江戸時代初期の開山と伝えられ、本尊聖観世音菩薩は「三宝谷の観音様」として知られ、
足立板東観音霊場の第16番札所である。

 本堂左手壁面には、文政5(1822)年に奉納され、戸田市指定文化財の「千手観音
供養図絵馬」が掲げられていた。
    


 境内には、宝暦11(1761)年造立↓の地蔵菩薩像などたくさんの石仏が並び集めら
れている。
         

 古くからあるらしい農業機械店前を通過して、近くの美女木八幡神社に東側の石鳥居か
ら入る。
     

 社殿東側の広葉樹林下は市指定天然記念物うばゆりの自生地のようで、柵があって入れ
ない。


 美女木八幡神社の創建は鎌倉時代と伝えられる古社。文治5(1189)年に源頼朝が
奥州下向時に当地に立ち寄った際、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したた伝えられているとか。

 社宝の銅鐘は、市内唯一の国の重要美術品で県文化財に指定されていて、現在は郷土博
物館に展示されているようだ。

     
 境内西側の大イチョウの黄葉が見頃で、境内にはケヤキの高木も何本か目についた。



 南側の山門から出て、両側に葉の落ちたソメイヨシノの並ぶ荒川左岸排水路の道満(ど
うまん)橋を渡る。

 カラスムギが一面に伸びた荒川左岸堤防に上がると、眼下にヤクルト総合グランドが目
に入る。


 その向こう、道満グリーンパークの木々の上には秩父の武甲山や外秩父の堂平山や笠山、
奥武蔵の山並みなどが広がる。     堂平山      笠 山 



 北北東を眺めると、首都高埼玉大宮線の上にさいたま新都心の高層ビル街が望まれた。
堤防上を少し進むと、かなり雲を被ってはいるが富士山も姿を見せてくれた。



 南に見える幸魂(さきたま)大橋に向かって進み、少し手前で堤外(彩湖(さいこ)側)
に下る。


 彩湖・道満グリーンパークの南側、バーベキュー広場に入り、12時35分に広場の隅の
クヌギの木のそばに着いた。

 シートを広げて買ってきた飲み物とつまみなどを広げ、それを囲んで輪になり、忘年昼
食地とする。

 NAさんの音頭で乾杯し、この1年の歩きなどを振り返りゆっくりと歓談のひとときを
楽しむ。

 歩いていた午前中はほとんど陽が差さなかったが、宴を始めた頃から雲が切れて日差し
が届き、温かみも感じられるようになった。


 ほろ酔い気分となり、記念撮影とミーティングをして、14時30分に出発した。


 メタセコイヤやクヌギなどが色づき、落ち葉がいっぱいの園内を北へ。


 観賞池の東側に出て池の真ん中に架かる木橋で横断する。






 国内の絶滅危惧種「トダスゲ」の増殖地横を過ぎて観賞池の北に進み、たくさんのパン
ジー咲く花壇の横を南から東に回った。





 平成元(1989)年と記された「道満グリーンパーク竣工記念碑」の東側から公園を
出た。荒川左岸堤防に上がり、再び公園や西方の山並みなどを振り返る。




 美女木七丁目と八丁目の間の車道を進んで荒川左岸排水路の番匠免橋を渡り、ゴールの
彩湖・グリーンパーク入口バス停に14時53分に着いた。
         

 ここで解散して、バスで帰途につく人、もう少し歩いて西浦和駅に向かう人など三方に
分かれる。私など6人は最短距離で西浦和駅に向かい、後半は国道17号新大宮バイパス
の東側を進み、15時35分にJR武蔵野線の西浦和駅に着いた。


 この日のさいたま市の最高気温は10.1℃、3週前の暖かな11月例会より10℃下
がり、真冬並みの気温だった。 

(参加 13人、天気 曇後晴、距離 6㎞(西浦和駅まで通算8㎞)、地図(1/2.5万)
 浦和、赤羽、歩行地 さいたま市南区、戸田市、歩数 11,900(通算16,000))





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熊谷市南郊、知恵の文珠寺や大沼公園周辺を歩く(埼玉)

2018-11-26 16:30:50 | カントリーウオーク
 2018年11月17日(土)

 立冬から10日過ぎたが暖かな今日は、カントリーウオークグループの第258回例会
に参加した。

 JR高崎線熊谷駅に集合して10時10分発東松山駅行きバスに乗る。国道407号の
荒川大橋を渡り、下恩田バス停に10時37分に着いた。

 東松山駅からのバスで逆行して先着した私も皆さんと合流する。

 == 畑や栗林などの間を文珠寺へ ==


 東側の小さい流れ沿いを北西に少し進み、地蔵堂の横で国道を横断して西に向かう。地
蔵堂には、宝永6(1709)年造立のお地蔵さんが祭られていた。
     


 台地に向かう坂道からは北に、熊谷市中心街方面が望まれる。台地上は畑が広がり、そ
のひとつに遅咲きのヒマワリが咲いていた。


 何か分からぬが、小さな黒い実が円形についた作物の畑もある。
   

 畑の畦(あぜ)には狂い咲きか、もうホトケノザがあちこちに咲く。キャベツ畑の横を
過ぎて楊井(やぎい)集落に入ると、たくさん枝を伸ばしたエノキの古木が立っていた。
     
 
周辺の民家には、ユズなど柑橘の実が色づいている。


 南北に走る県道173号ときがわ熊谷線に突き当たり、その前後は林間を南から南東へ
と折り返す。楊井集落を南北に貫く道を南へ、
     

 民家の横にたくさんのサザンカが咲いていた。



 近くの畑では家族揃って大根などを収穫中。沿道にはキクの花があちこちで見られる。


 500m近く南進して西へ、まだ葉の残る栗畑の農道を南西に抜けて茅原集落の車道へ。



 西に少しで県道173号線をこ道橋で越え、野原(のはら)集落に入ると種々の色のキ
クが咲き競う。
     



 すぐ先に昼食地の五台山文珠寺(もんじゅじ)があり、11時58分に着いた。

 江戸中期の建築とされ熊谷市指定文化財の山門を入ると2階建ての鐘楼門があり、その
下を抜けた正面が本堂である。




 ここ野原の文殊寺は、京都の切戸(天橋立)文殊、山形の亀岡文殊と並ぶ「日本三体文
殊菩薩」のひとつで、「野原の文殊さま」や智恵の文殊寺で知られている。

 「三人寄れば文殊の智恵」のことわざ通り、文殊菩薩は智恵をつかさどる仏さまで、昔
から学業成就の願いを求めて県内外から多くの人々が訪れるという。


 本堂前にウサギが支える大理石のベンチがあり、本堂にはたくさんの千羽鶴が下がる。


 本堂前には合格祈願の絵馬が、たくさん奉納されていた。


 気温が上がり暑さを感じるので、南側の木陰で昼食とする。

    
 境内には、可愛らしい洗心童子像やウサギを抱えたお地蔵さん、「大誓願」額のかかる
お堂に奉納されたたくさんのミニこけしなどが目につく。
              




      
                
 ほかに、今年2月に地元熊谷にて98歳で亡くなった金子兜太(かねことうた)の句碑、
聖徳太子の塔、背後の林には地蔵菩薩半跏像、文化13(1816)年建立の芭蕉句碑と
芭蕉翁塚などがあった。
         

             



                      


 記念撮影をして、12時58分に午後のコースに向かう。

 == 和田川沿いなどを大沼公園へ ==

       
 アカマツなどの茂る境内林を西に抜けて立正大の南側に出て、南南西へと畑の間を進む。
「大久保農園」の看板の南側の畑では、おばあちゃんが大型耕運機で種まきをしていた。



 門前集落の西側で南に向かい、熊谷市と滑川町の市町境の和田川を渡る。



 南に平行する小さい流れ沿いを少し進むと、乗馬学校の建物と馬場があったが、馬は1
頭も見ることはできない。


 馬場際の日陰で小休止した。そばの大きな民家、K邸には干し柿がたくさん吊してある。


 再び和田川の北に戻り、突き当たりの八幡神社境内の日陰でもう一度休憩して水分補給
する。

 野原神社の創立年代は不明だが、寛永20(1643)年に社殿を造営し、宝暦11
(1761)年には領主の命で本殿の工事をした記録があるようだ。

 神社の背後から西方にかけて「野原古墳群」と呼ぶ古墳群があり、昭和初年には30余
基を数えたが、現在は20数基とか。だが一見してもそれらは確認できない。ここから出
土した「踊るはにわ」は、国立博物館が所蔵するという。

 神社前の田んぼから西方に、特徴的な凸型のピークなどの山並みが望まれる。

        赤久綱山        東御荷鉾山 

 秩父の武甲山(ぶこうさん)周辺かと思われたが、帰宅後にフリーソフト「カシミール
3D」で確認したら、西上州、神流川(かんながわ)沿いの東御荷鉾山(ひがしみかぼや
ま)(1246m)から赤久綱山(あかぐなやま)(1522m)にかけての山並みだった。


 ひこばえの伸びた田んぼに沿って400m余り進み、北西に延びる山林と田んぼの間の
静かな里道へ。



 その田の水源となるため池の横からゴルフ練習場沿いに進む。新しいソーラパネルがた
くさん並ぶ南側を過ぎると、ラジコンカーの専用コースがあり、急カーブと起伏の多いコ
ースを巧みに操縦するグループがいた。

 しばし眺めて戻り、南側の新田集落沿いを西進する。北側の屋敷林を背にして住宅があ
り、南側は畑になっていて、住宅に向けて私道がくしの歯のように並ぶ。



 県南・三芳町や所沢市など三富新田(さんとめしんでん)のミニ版のような屋敷配置に
なっていた。


 その西端から、キクや皇帝ダリアなど咲く民家の横を北に少しで大沼公園の東端に出た。


    
 北側に回って民家にきれいなキクの咲く先から中の島を渡り、弁天堂に参拝する。
     

 お堂の傍らに、県指定文化財「嘉禄三年銘板石塔婆」の復元品があった。嘉禄3(1227)
年の板石塔婆(いたいしとうば)は日本最古のものという。
         


 沼の西端から林間を北西に抜けて県道7号熊谷小川秩父線に出る。折り返すように東進
して、旧江南町(こうなんまち)の中心部の大沼公園バス停に15時ちょうどにゴールし、
15時19分発熊谷駅行きバスに乗る。

 休憩時には木陰を選んだこの日の暖かさ、熊谷の最高気温は20.3℃度だった。

(参加 12人、天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 三ヶ尻、熊谷、歩行地
 熊谷市、滑川町、歩数 17,100)





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木曽福島の山林教育遺産の観覧と道祖神、木曽馬ゆかりの地へ(長野・木曽町)②

2018-11-06 17:52:32 | カントリーウオーク
 第2日 2018年10月29日(月)
 == 木曽馬の里 開田高原を巡る ==

 明け方は5℃前後まで冷え込んだようで、寝ていても寒さを感じた。

    
 7時から朝食をして、急ぎ支度をして民宿黒川荘を出る。周辺の木々は色づいているが、
青空は見えず曇天である。


 黒川荘の看板の前で記念撮影をして、そばの渡合(どあい)バス停から8時発の町営バ
ス開田(かいだ)高原線下り西野行きに乗る。


 国道361号を北へと次第に高度を上げ、折橋トンネルを抜けて開田高原に上がり、南
南西へと向きを変えて間もなくの西バス停で8時20分に下りた。



 この辺りは黒川荘周辺より270m前後高い標高約1,150mほど、周辺の紅葉の彩り
が一層良いが、曇天で色がさえないのが残念なところ。吐く息も白く、手袋が欲しい気温
である。


 そばの国道の西交差点を横断し、南に下って末川の橋を渡る。橋周辺の広葉樹の紅葉も
見頃。


 東側の大屋集落に入ると周辺の木々のほか、ブルーベリーの葉も色づく。



 集落の東北端付近まで進み、最初のポイント熊野神社へ。豊富な木々に囲まれた境内、
熊野権現を祭る本殿は嘉永7(1854)年建立の流唐破風造(ながれからはふづくり)
と呼ぶ様式で、木曽で最大のものという。


 自然石上の龍から水の流れ落ちる手水舎(ちょうずや)には「水神」の標石が。

 本殿右手には「北計星神」と刻まれた古い石碑があり、北斗七星信仰に似たもののよう。
          

 本殿左手背後に回り込み、奥にさらに少し進むと、かなり落葉した町指定天然記念物、
シバタカエデの大木がある。
     
 シバタカエデは「クロビイタヤ」の変種。尾瀬ヶ原、赤城山、黒部などのほか長野県内
では南佐久の梓山(あずさやま)など3か所しかなく、ここは日本でも数少ない自生地の
南限西限に位置する貴重なものという。下はシバタカエデの落ち葉。
         


 紅葉、紅葉に彩られた大屋集落を南南西に向かう。
     




 緩やかな上り道を進み、林間にあったブルーベリー畑の西側対斜面の急坂を上がると、
丸山馬頭観音堂がある。
     
 通称「丸山の丘」と呼ばれるところ。頂上のお堂に、木曽三大観音の一つで享保16
(1731)年建立の馬頭観音が祭られていた。


 お堂の横には36体の馬頭観音や石像などが並び、中腹の絵馬堂には実物大に近い木曽
馬像がある。
     

 そばの木々の途切れた一角から、これから向かう開田高原の中心部や周辺の山並みが望
まれた。


 少し下って恩木集落に入り、黄葉、紅葉が見頃な瑞松寺に行く。

 山門を入ると左手正面に本堂が、右手少し高みに宝形(ほうぎょう)造りの観音堂があ
る。



 観音堂は元禄16(1703)年の建立、天井は碁天井(ごてんじょう)、柱や梁(は
り)はケヤキの一本造りのようで、町の有形文化財である。


 山門を入ったすぐ右手には古い石仏が並び、その一角にお堂に祭られた延命地蔵尊があ
る。
         
 高遠(たかとお)藩の名工、守屋貞治が文化8(1811)年に制作したもので、貞治
が全国に340体余り制作した石仏中でもまれにみる名作といわれているようだ。

 延命地蔵堂の左手、流にかかる朽ちかけた一本橋から松が自生していて、自然の生命力
のたくましさに驚かされる。


 恩木集落に続く仲町集落を抜けてさらに林間を南南西へ。路傍に大きな新しい双代道祖
神があるが、説明板などはない。


 色づく木々やススキの間を末川大橋の橋際まで進むと、双代道祖神や庚申塔、二十三夜
塔、たくさんの馬頭観音などが並び、右手には観音堂がある。


 それらの中央部に、「稗田(ひえだ)の碑」と呼ぶ石碑が立っていた。
         
 碑文には、「寛延元(1748)年に末川村の庄屋、中村彦三郎が尾張藩の許可を得て
水田開発資金を借り受け、数年かけて22町7反歩の水田を開発した」経緯が記されてい
るようだが文字は読みにくい。


 観音堂には、西国三十三ヶ所を象徴する33体の石仏と、中村家供養塔が並んでいた。


 橋を渡って末川の右岸沿いを少し折り返し、北側の古屋敷集落に向かってS字状に上が
る。


 右下に町の作業施設や開田小などを見下ろしながら進み、ガソリンスタンド横で国道
361号際に出た。


 国道の下をトンネルで北に抜け、緩やかな上り道を髭沢集落に向かう。沿道のモミジや
カラマツが色づき、ピークを越えた下り道にはたシラカバ林も見られる。




 林が途切れて髭沢集落が望まれ、大ヒノキの下に数体の石仏が祭られた小さいお堂があ
った。



 髭沢集落に入り、U字状に折り返して南に向かう。ほかの集落でも見た、御嶽山と木曽
馬の透かし彫りを飾った街灯がここにもある。
    

 小さい流れ沿いに、個人の住宅のものらしい東屋があったので無断で借用して休憩した。



 南進する道路の両側斜面は紅葉、黄葉が見頃だが、相変わらず雲が陽を遮り、色の冴え
がいまひとつなのが残念なところ。


 再び国道361号に出て左折し、500mほど進むと開田高原アイスクリームの店があ
る。すぐ先、「木曽馬の里入口」バス停のある交差点際に開田高原観光案内所があり、隣
接する開田郷土資料館に入った(入館料200円)。


 
 館内には木曽馬最後の純血種という「第三春山号」の剥製(はくせい)、わら靴やわら
じ、草履などのわら製品、麻織物の用具、木曽馬の用具や取引帳、農具や林業用具などが
展示されていて、Yさんからそれらの説明を聞きながら観覧した。







 12時10分に資料館を出た。国道の南側にあるそば生産者直営のそば処「霧しな」に
入り、辛みそば豆腐や笹おこわなど付きのせいろそばの新そばを美味しく味わう。
    

 店内には売店もあり、そばと一緒に出された漬物などを販売していたので、多くの人が
購入した。

 13時に出発し、店の横から南に進んで「木曽馬の里」に入る。

 昭和44(1969)年に木曽馬愛好家などが結成した「木曽馬保存会」が中心になり、
乗馬体験など観光を主にした乗馬センターを運営しながら、木曽馬の保護活続けている施
設のよう。


 芝生広場や色づいたブルーベリー畑の横を進んで、木の柵で囲まれた広い放牧場の柵沿
いに回ったが木曽馬は見えない。




 牧柵に沿ってシラカバの多い一帯を進むと、ようやく木曽馬の姿が見えた。声をかけた
ら寄ってきて餌をねだっている。そばのフキの葉を与えると喜んで食べた。





 さらに進んだ放牧場の南側一帯には、20頭以上の木曽馬が草を食み、観光客も何組か
来ている。






 南端の木曽馬乗馬センターの大きな建物は厩舎になっていた。


 裏手に回り、小さい放牧場の前で記念撮影をする。



 乗馬体験場の入口には、体験をした女性が戻ってきた。近くには尾崎喜八の句碑がある。

 「木曽馬の里」の説明板の横から、西北西に延びる飛騨街道の旧道を髭沢度集落に向か
って下る。


 髭沢集落方面からの流れの橋を渡って北西へと上がる斜面は、色鮮やかな紅葉の木々が
多い。


 国道361号に出たところが今回のゴールの中沢バス停で、14時15分に着いた。

 木曽馬の里や、このバス停付近は乗鞍岳がよく見えるところのようだが、山頂付近は雲
に隠されてはっきりと見えないのが残念。

 14時31分発町営バス開田高原線上りに乗る。車中から今日と昨日歩いた道筋を眺め
ながら戻り、木曽福島駅には予定時刻より1分遅れの15時11分に着いた。


 木曽福島駅15時25分発特急しなの15号に乗る。塩尻駅に3分遅れの15時55分
に着き、急ぎ同時刻発車の新宿行き特急あずさ26号に乗り継いだ。

 韮崎駅を過ぎた辺り、右側車中からは残照の富士山が望まれる。


 今日も昨日同様、地元に詳しいYさんが設定された行程なので、効率よく開田高原の見
どころを巡ることができ、紅葉も見頃で充実したカントリーウオークだった。

(天気 曇後少し晴 距離 10㎞、地図(1/2.5万) 末川、歩行地 長野県木曽町、
 歩数 19,100、累積標高差 上り約220m、下り約230m)





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木曽福島の山林教育遺産の観覧と道祖神、木曽馬ゆかりの地へ(長野・木曽町)①

2018-11-03 18:47:03 | カントリーウオーク
 10月28日(日)~29日(月)、カントリーウオークグループの「特別例会」と称
する1泊のカントリーウオークに参加した。

 第1日 2018年10月28日(日)
 == 木曽山林資料館の観覧と黒川郷の道祖神巡り ==

 新宿駅発8時発のJR中央線特急スーパーあずさ5号に立川駅から乗る。


 右側座席からは韮崎駅を通過後に茅ヶ岳(かやがたけ)↑が、小淵沢駅を通過後には八
ヶ岳連峰南面↓が望まれる。


 塩尻駅で普通電車に乗り換え、木曽福島駅に11時43分に着いた。


 先着していた今回の担当、Yさんの案内で11時50分発町営バス開田高原線に乗り、
正午ちょうどに信州木曽看護専門学校バス停で下りた。
      
 西側にあるのがバス停名の専門学校と木曽清峰高校の新開キャンパス。

 国道から下ると「長野県木曽山林高等学校」の大きな標石がある。



 Yさんはここで2度、教師をされており、現在の青峰高の一角に今日最初の訪問先の
「木曽山林資料館」がある。


     
 まずは資料館の2階に上がり、Yさんが注文してあった地元肥田亭の弁当をいただき、
その後資料館の説明を受ける。
     
 木曽山林資料館は、明治34(1901)年創立の木曽山林学校、のち木曽山林高とな
り、平成21(2009)年に閉校になるまでの108年に及ぶ貴重な林業遺産を公開す
るために設けられたもの。


 それら膨大な林業遺産の保存や整理、公開のために多大の尽力をされ、当館の学芸員で
もあるYさんから、校友会誌、林業教科書、ドイツ林学原書、測量器具、木曽五木の木材
標本、大正時代の林業写真、演習林の動植物標本など、貴重な資料や記録、ゆかりの人々
など、多面にわたり説明いただく。






        

 ちなみに資料館の林業教育資料は、日本森林学会の「林業遺産」に認定されており、教
育資料が遺産に認定されたのは画期的という。
      






 二つの展示室のほか収蔵庫や作業室などで裏話などの説明も受け、13時55分に資料
館を出た。資料館入り口近くのモミジが鮮やかな彩り。



 西側から西北西へと伸びる急斜面の森林は、木曽山林高の演習林。校舎敷地との間の黒
川を吊り橋の城山橋で渡ると、周辺は見頃な紅葉に彩られている。
      





      

          
 演習林下の落ち葉道を上流に向かい、500m前後で演習林の道を離れて町民グランド
横を回る。



 前方の山並みや田んぼの中の作業小屋などを眺めながら進み、たくさん燃料用まきの積
まれた小屋近くの橋で黒川を渡り返し、町営バスの通る国道361号に上がる。


 橋の先の民家にもまきがたくさん積まれていて、冬の燃料に欠かせぬことが分かる。


 南を振り返ると、新雪の木曽駒ヶ岳上部がわずかに望まれた。


 日帰り温泉「せせらぎの湯」を過ぎた辺り、国道の温度表示は12℃を示す。国道には
片側に歩道があり安心して歩ける。右手斜面のモミジなどが鮮やかな彩り。
     

               

 住宅が途切れたところで小休止し、Yさんからおいしい信州リンゴをいただいた。
 

 次の集落梨の木沢に入り、振り返ると木曽駒は雲に隠されていた。すぐ先に続く下志水
集落↓からは、「黒川郷の道祖神」と呼ぶ道祖神が各集落ごとに祭られている。


 道祖神は、厄除けや子孫繁栄などを祈願するため、村の守り神として主に道の辻に祭ら
れた民間信仰の石碑や石仏。黒川地区は飛騨街道が国道361号とつかず離れずに岐阜県
高山市へと続き、ほぼ集落ごとに道祖神があるという。

        
 最初の「下志水の道祖神」は旧道の分岐点に文字で刻まれ、そばには石屋根で守られた
馬頭観音も。


 木曽馬ゆかりの地でもあり、馬頭観音はその先の集落にも多かった。


 次の上志水から栃本集落にかけて旧道が黒川に近い西側を走り、その入口に「黒川郷道
祖神」の説明板があった。

 それによれば、黒川地区は木曽の中でも道祖神が多く、地区内に18箇所19体あるよ
う。双代道祖神が11体、文字の道祖神が8体で、男女握手像は古く、文字だけは後に作
られたものが多く、道祖神のある場所では毎年1月14日にどんど焼きが行われるという。

        
 近くにも馬頭観音が集められていて、桜の木の下に安政5(1858)年銘で握手像の
「上志水の道祖神」↑が祭られていた。



 さらに石屋根の下に馬頭観音が並び、旧道の終わり近くに黒川最古という享和2(1802)
年銘の「栃本の道祖神」が立っていた。
        


 太陽が西に傾いて道路沿いは影になり冷えてきた。国道に戻っところで、日陰ながらモ
ミジが鮮やかな彩り。





 少し先に「つけもの茶屋」があったので立ち寄り、漬物を求めたりトイレを借りたりす
る。


     

 すぐ先から再び西側の旧道へ。分岐点に東山(ひがしやま)観音堂が祭られていた。創
立年代は不詳のようだが、中世木曽氏の家臣で黒川郷の豪族、古畑伯耆守(ほうきのかみ)
が勧請(かんじょう)したものと伝えられているとか。

 本尊は観世音菩薩で、江戸時代には木曽三十三ヶ寺巡りの霊場のひとつになり、堂内に
は西国三十三ヵ所霊場の石像が祭られていた。

 横に立つ桜は、中世(約450年前)木曽の領主、木曽義昌(よしまさ)の手植えと伝
えられているという。

        
 西側の旧道を少し進むと「島尻の道祖神」がある。やはり文字道祖神で、造立年は不明
のよう。

 並行して西側田んぼ沿いにもう1本の道があり、この一帯は黒川郷の庄屋だった古畑伯
耆守の屋敷跡とか。

 飛騨街道はこの川沿いだったようで、たくさんの石碑がその一端を感じさせてくれる。




 旧道沿いの島集落には、複数の馬頭観音など並ぶ石屋根のところが4か所ほどあり、そ
の先に慶応2(1866)年銘の文字道祖神「島・渡合の道祖神」が祭られていた。
        
 これで、黒川郷の道祖神のうち五つの道祖神を確認できた。

 国道に戻ったところの右手に、大きな屋根の民宿黒川荘が見えた。ここが今日の宿で、
16時20分に着いた。

 入口には、地元出身の力士で名古屋場所で初優勝した「祝 初優勝 御嶽海」の張り紙
がある。

 宿の主、FさんはYさんの木曽山林高での教え子で、御嶽海後援会の会長をされていた
とか。現在は今日明日利用する町営バスを運行するおんたけ交通の社長をされているとの
こと。


 食堂で夕食後、いろり端に移動し、遊びに来ていた活発な近隣の小学生との交流などの
ひとときも楽しんだ。


(参加 11人、天気 晴、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 木曽福島、歩行地
 長野県木曽町、歩数 9,300)


 なお、木曽山林資料館の観覧などについては、同館のWebサイトをご覧下さい。


 また、11月2日(金)~4日(日)は、東松山市を中心の国内最大のウオーキング大
会「第41回日本スリーデーマーチ」に参加しているため、2日目のレポートは6日以降
になる見込みです。





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季節外れの真夏日 東武動物公園駅の南側を歩く(埼玉・宮代町)

2018-10-10 18:42:20 | カントリーウオーク
 2018年10月7日(日)

 平年なら一番歩きやすい時期のはずだが、カントリーウオークグループの第257回例
会は、季節外れの真夏日になるとの予報である。

 集合は東武伊勢崎線の東武動物公園駅、10時10分に西口をスタートした。


 == 南側の社寺と郷土資料館を回り広々としたはらっぱ公園へ ==

 西口の線路沿い一帯は草の伸びた空き地。地図には建物が記されているが廃業して撤去
したらしい。


 中央二丁目の民家にリンゴが大きく実り、色づき始めた実もある。
    

 宮代(みやしろ)二丁目に入って百間(もんま)小の南側まで進むと、西側の流れに沿
った桜並木が近づく。



 すぐ先で道仏(どうぶつ)集落の稲荷神社に入り、最初の休憩。気温も上がってきたの
で、社殿前の2本の大クスノキの緑陰にホッとする。
     
  

 集落の南側には医王院がある。さい銭箱の上に大きな念珠が下がり、参拝してそれを引
くとカタカタと清らかな音が感じられる。
     

 だが、参拝後緑陰で休憩していたら、ご住職が出て来られ、連絡してから来るようにと
言われる。お寺でこのようなことを言われたのは、さいたま市西区のM寺以来だ。

 この辺りは新しい広い道路になっていて、現地確認がしにくい。南東に進んで姫宮落川
の新しい橋を渡り、南に平行する笠原沼落と呼ぶ細い流れの右岸沿いを南東へ。

 流れ沿いに桜並木が続き、一帯はひこばえの伸びた緑の田んぼが広がる。


 東武線の線路際まで進んで姫宮(ひめみや)集落の姫宮神社に入る。

 姫宮神社は旧百間領の総鎮守。桓武天皇の孫の宮目姫が突然の病で亡くなり、後に慈覚
大師円仁(じかくだいしえんにん)が姫の霊を祭ったのが始まりとか。延長5(927)
年成立の延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)にも記された古社のよう。

 本殿は正徳5(1715)年頃の建立と推定され、拝殿には文久3(1863)年の銘
が記されているという。

     
 少し早めの七五三参りの家族が記念撮影し、拝殿横に並ぶ2本の大イチョウの1本から
大粒のギンナンが落ちていた。

 参道の南西側に回ると、北方はるかに男体山など日光連山が望まれる。


 宮代高の東側を南下して東(ひがし)集落に入り、西光院(さいこういん)へ。

 西光院は奈良時代の僧、行基(ぎょうぎ)の草創と伝えられているとか。

 本尊の阿弥陀如来、脇侍の観音像と勢至菩薩の三尊像は平安末期の安元2(1176)
年の造立で国の重要文化財。現在は上野の国立博物館で展示されているという。

 中世には岩槻城主太田氏の祈願所とされ、徳川家康から寺領50石と葵入り茶碗を寄せ
られ、茶碗は寺宝となっているようだ。

 庫裡(くり)は、昭和31(1956)年に当時の知事校舎の一部を移管したものとか。
本堂前の2本の大カヤから実が落ちていた。

     
 山門近くには大きな宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、門前からはクスノキの古
木が目についた。


 道路を挟んで南側には五社(ごしゃ)神社がある。熊野三社と白山、山王の五社を祭っ
たことからこの名がつけられたよう。


 現在の本殿は文禄・慶長年代(1592~1614)の建築と推定され、県の指定文化
財である。


    
 少し西進後、右左折をくり返して西北に進む。沿道には色づいたカキやミカンなどが多
く、花盛りのソバ畑もあった。
        

     

 宮代高の西側から西原集落に入り、百間小の先にある宮代町郷土資料館に入って観覧す
る(撮影禁止)。

 館内では、町内で発掘された旧石器・縄文時代や弥生・古墳時代の石器、土器など、古
代・中世の古文書、近・現代の資料、郷土の偉人・島村盛助の紹介などの展示がある。町
立の施設としては、かなり充実した展示施設のように思われた。

 館の北側には野外展示として、町指定文化財の旧加藤家住宅と縄文時代の復元住居があ
る。

 旧加藤家は、町内本田(ほんでん)から移築復元したかやぶき屋根の民家。加藤家は代
々名主(なぬし)役を務めており、建物は文化10(1813)年前後の建築と推定され
ているよう。


 縄文時代復元住居は、資料館の敷地内から発掘された縄文時代前期(6千年間)の住居
跡をモデルに復元したものという。


    

 さらに北に接する「西原(にしばら)自然の森」と呼ぶ一角には、ともに町文化財の旧
斉藤家住宅と旧進修館の建物もあるようだが、12時半を過ぎているので観覧は省いた。


 西原集落の西端まで進み、南側の金原集落へ。遍昭院↑の東側から南に回り、昼食地の
「はらっパーク宮代」に12時50分に着く。



 広い芝生広場の北側にあった緑陰に腰を下ろして昼食とする。

 
 == 新しい村を抜けて駅に戻る ==
 
 ミーティングと記念撮影をして、13時50分にはらっパークを後にした。



 公園の西北端付近から北へ、ひこばえの延びた水田の間を抜けて再び金原集落に入り、
珍しい名の保食神社↓の横を進む。



 その先にもソバ畑があり、ちょうど花盛り。
         

 東北側の西原集落に回って青林寺に立ち寄る。青林寺は、午前中訪ねた西光院の末寺で、
中興開山は明和4(1767)とか。


 境内には鎌倉時代から戦国時代の板石塔婆(いたいしとうば)、宝篋印塔(ほうきょう
いんとう)や五輪塔の一部などが残っていた。
         


 この辺りは戦国時代から江戸時代前期の城館跡のようで、のちの百間陣屋でもあったと
推定されているという。

    


 山崎集落に入り、小さな社殿の神明神社前を通過する。民家の塀際のコンクリートの隙
間から、力強く伸びた花がある。夏の暑さにも耐えたのだろうか…


 近くには、広い屋敷に植栽豊富な民家も幾つか見られた。


 小さい築山に浅間神社が祭られた小さな森の前を西へ、すぐ先で北に下ると、小さい流
れに沿って西に延びる田んぼが現れた。

 刈り取った稲を干すはさ掛けもあり、北側に笠原小が望まれる。
         
 ここは「新しい村」と呼ぶ一角で、田んぼは「ほっつけ田」と呼ばれ、屋敷林や土水路
など宮代町の原風景を残した空間。「農」のある町づくりの推進拠点として平成13
(2001)年にオープンしたという。


 中心部の建物は宮代産の新鮮野菜や特産品の直売所で、周辺には市民農園やハーブ園、
雑木林、芝生広場などある。



 直売所↑そばの建物に入り、アイスクリームやかき氷などで暑さを和らげ、ゆっくりと休
憩した。


 北に向かうと東武動物公園の大きな木造ジェットコースターが望まれる。


 木々に囲まれた親水池の中央ではアオサギやカワウが羽を休めていた。





 新しい村を出て、笠原小の西側を進む。校舎は切妻の瓦(かわら)屋根に赤い外壁のユ
ニークな造り。



 姫宮落川を渡り、駅前に向かう広い通りを進む。細い流れ沿いの桜並木を横断して、子
育て広場と呼ぶ公園の横を過ぎる。

 広場には、東武鉄道で昭和41(1966)年まで貨物列車用機関車として使われてい
た、明治31(1898)年イギリス製のSLが保存されていた。

 北側の進修館(しんしゅうかん)は町民のコミュニティ活動拠点で、笠原小同様の赤い
外壁とユニークな外観である。


 ゴールの東武動物公園駅西口には15時31分に着いた。

    
 駅前広場に転轍機(てんてつき)のモニュメントがあり、「ここは昭和18(1943)
年から機関車の整備工場で、平成16(2004)年にその機能を南栗橋に統合して役目
を終え、工場で使われていたた転轍機をモニュメントして設置した」と記されていた。

 出発時に、草の伸びた広い空き地は工場跡のようだと推測したのだが、このモニュメン
トで東武鉄道の工場があったことが分かり、地図上に残っていた引き込み線の跡らしいタ
イルの埋め込みも確認できた。
 

 この日、近くの久喜市の最高気温は32.1℃、周辺の越谷市やさいたま市でも32℃
を超えており予報通り真夏日だったが、真夏より湿気は少な目で風もあり、幾分救われた。

(参加 11人、天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 久喜、歩行地 宮代町、
 歩数 19,500)




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鉢形城公園から五百羅漢の少林寺と円良田湖へ(埼玉・寄居)

2018-09-19 17:37:34 | カントリーウオーク
 2018年9月15日(土)

 7~8月は猛暑でウオーキングは夏休み状態だったが9月に入って気温も下がり、2か
月ぶりのカントリーウオークグループの第256回例会に参加した。


 集合池はJR八高(はちこう)線の折原(おりはら)駅。久しぶりのウオーキングだが
あいにくの雨。雨具を付けて10時6分に無人の駅を出た。
 
 == 二つの寺を巡って鉢形城公園へ ==


 北側の踏切を渡り線路沿いを北へ、大きく実ったクリ畑の先の畑にキジのつがいが。再
度線路を渡り返してすぐの畑にもいた。
 

 立原集落を北西に進み、折原小の東側の実聞寺に入る。無住のようで開放的な境内で、
桜の他は植栽も少ない。


 右手の覆屋に「たわし地蔵」が祭られ、背後にはたくさんのたわしが奉納されていた。
         

 雨に濡れる集落を東進して3度目の踏切を越え、少し下って吉定寺に行く。ここも無住
で、境内も実聞寺同様に開放的である。


 本堂前の鐘楼に下がる銅鐘は、この地の代官、日下部定好が文禄2(1593)年に自
ら開基したこの寺に寄進したものらしい。

 県内では近世以前の銅鐘として貴重で、日下部氏の奉納銘があるなど歴史資料としても
興味深いものとして、県指定史跡になっている。

     
 墓地奥の大ケヤキ下にヒガンバナが咲き出し、県指定史跡の「日下部博貞墓」がある。
       
 博貞は万治元(1658)年生まれ。日下部定好の曾孫、正直の婿(むこ)養子となり、
桑名藩の引き渡し役や長崎奉行を勤め、享保19(1734)年に77歳で病死したとか。


 踏切に戻って北へ、道路際になぜかたくさんの石臼が捨ててある。


 県道294号を横断し、またまたJR八高線の線路の東に渡ると、すぐ北側に諏訪神社
が祭られている。


 この辺りは鉢形城(はちがたじょう)公園の南西部で、諏訪神社は、武州日尾城主(小
鹿野町)の諏訪部遠江守が鉢形城の家老として出仕したとき、信州の諏訪神社を守護神と
して分祀したとのこと。

 天正18(1590)年の鉢形城落城で北条の家臣が去った後は、城下の立原の人たち
が鎮守様として崇敬しており、本殿は宝暦年間(1751~64)の造営という。

 そばの空堀、御手洗池のほとりにアオサギが立っていた。


 ちなみに、鉢形城は戦国期の平山城で関東屈指の名城といわれたが、豊臣秀吉の小田原
城攻めに伴い大軍に攻められ、天正18(1590)年6月に開城された。

 鉢形城跡は戦国時代の代表的な城郭跡として国指定史跡となり、現在は堀、土塁、門な
どが復元整備されて鉢形城公園になっている。


 園路を北東へ、三の曲輪(くるわ)から二の曲輪の稲荷神社前へとV字状に折り返す。
さらに北東に進んで車道を横切る。




 深沢川の深い谷に向かって下る右手に、寄居町天然記念物で樹高18m、根回り6.5m、
樹齢150年と推定され、この3月に「氏邦桜(うじくにざくら)」と命名されたエドヒ
ガンが見事な樹形をみせていた。



 谷底に下って橋を渡り、対岸の斜面を上がって「鉢形城歴史館」に入り、鉢形城の歴史
や構造などについて短時間ながら観覧する。


 歴史館を出て深沢川の東側を少し北進し、外曲輪の南端付近から西南に下って深沢川を
渡る。


 氏邦桜の横を戻って車道を少し北へ、左手(西)の林間を上がって本曲輪の田山花袋
(たやまかたい)碑のそばまで行く。
       

 西側樹間から、眼下に荒川の名勝、玉淀(たまよど)の流れが見下ろせる。


 車道に戻って南へ、近くのY字路を右に入る。南西に下る途中からも荒川の流れが見下
ろせた。



 鉢形城公園を出て、西側の下郷の集落を進むと、路傍にキバナコスモスやヒャクニチソ
ウ、オミナエシなどが咲き競う。
    


 JR八高線の踏切を越えてすぐ、地図上の田んぼマークの一帯はソバ畑で、秋ソバの花
が咲き出していた。
    

 その先の民家のガレージ前に、自然石に彩色しただるまが二つ並んでいる。


 細い流れの橋を渡って上郷集落に入り、昼食地の常光寺には12時23分に着いた。

 常光寺は、真言宗智山派の寺で江戸中期の開山。厄除けの不動明王像は、大きさでは日
本の五指に入るとか。

     
 武州寄居七福神の寺で、にこやかな大黒天像は本堂左手にあり、庫裡(くり)前の草地
には大きな清滝不動像が立っている。
        

         
 地蔵堂横には「しらず地蔵」が祭られ、そばのギンモクセイ↓の芳香を感じながら、地
蔵堂の屋根下を借りて昼食をした。
     

 == 五百羅漢の少林寺から円良田湖へ ==

 
 雨は降り続く中、ミーティングと記念撮影をして13時17分に常光寺を出た。車道を
300mほど西進して北への旧道へ。すぐの空き地にもキジが散歩していた。



 小さい流れを越えて雨に煙る上郷集落を西進すると、折原橋の向こうに架かる国道
140号バイパスの末野大橋が近づく。



 荒川に架かる折原橋からは、下流に玉淀の流れが、上流側は末野大橋の向こうに玉淀湖
の堰堤が望まれる。


 末野交差点で国道140号を横断し、すぐ先で西側の旧道に回る。

     
 北へと緩やかに上がって山腹の緑あふれる少林寺に着き、本堂の屋根下で小休止した。

 少林寺は永正8(1511)年の開山で、慶安年間(1648~52)に寺領15石を
与えられているとか。

 当寺24世時代の文政9(1826)年から浄財を募り、寺の背後山中に十六羅漢や五
百羅漢の石造などを天保3(1832)年に安置し、信仰の道場として今日に続いている
という。

 雨はようやく小ぶりになった。本堂左手からその五百羅漢の並ぶ背後の山道をジグザグ
に上がる。

 顔の落ちた羅漢、傾いた羅漢、様々な仕草の羅漢などが続き、斜面の草木と一体化して
歴史が感じられる。羅漢像が終わり峠に着いた。
    



 上り同様に標高差60m前後を下り、周囲を山に囲まれた円良田湖(つぶだらこ)の南
東端に出た。

 湖面にはヘラブナ釣り用のデッキが幾つか連なり、数人の釣り人も見える。ようやく雨
も上がった。湖面沿いを北西に少し進んで東屋で小休止した。




 さらに進んで湖の西端の堰堤(えんてい)へ。北側には食堂など幾つかの建物が点在す
る。堰堤の西北端には、湖の建設に尽力した「栗原政寛翁之像」の胸像があった。
       

  
 円良田湖から出る逆川の流れ沿いの車道を南に下る。擁壁のツタが色づき路傍のススキ
も花を見せ、秋の近いことが感じられる。
    
  
 関根集落まで下ると秩父鉄道の線路が近づく。末野神社際のT字路を右折して西北へ。


    
 雨に濡れたヒガンバナがたくさん咲き競い、カキの実も色づく。
        

 逆川にかかる橋際に「西行戻り橋」の由来が記されていた。西行は秩父への修行に向か
う途中にこの橋で少年少女に会い、彼らが難しい歌をたやすく作ることを知り、自分は恥
ずかしいと戻ってしまったという。


 すぐ先の三差路で今日のゴールとなり、皆さんは北側斜面上の↓「かんぽの宿寄居」で
の日帰り入浴に向かう。



 明日も予定のある私は直帰することにして別れ、秩父鉄道の波久礼(はぐれ)駅に15時
25分に着いた。

(参加 11人、天気 雨後曇、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 寄居(よりい)、
 歩行地 寄居町、歩数 21,800)






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植木の町 安行周辺と見沼通船堀を歩く(埼玉・川口/さいたま)

2018-07-12 09:48:05 | カントリーウオーク
 2018年7月8日(日)

 西日本11府県に大雨特別警報の出た天気は回復したが、被害は拡大している最中の今
日、カントリーウオークグループの第255回例会に参加した。


 集合は埼玉高速鉄道の戸塚安行(とづかあんぎょう)駅。地下の改札口を出た近くに、
このような駅には珍しい椅子とテーブルが用意されている。


 地上に出て、10時8分にスタートした。


 == 安行の樹木畑の間を花と緑の振興センターへ ==

 地下の改札口から地上に上がり、まずはどの方向に向かうか確認する。西進して県道
103号を南東へ少し、西立野の住宅地の旧道を進んで西福寺に入る。

 西福寺は、弘仁年間(810~24)に弘法大師が創建したと伝わる古寺。境内の三重
塔は、3代将軍家光の長女千代姫が奉建したものとか。高さ33mあり、県内で一番高い
木造建造物だという。
     
  

 正面の観音堂には西国、板東、秩父札所の百の観音像が安置され、参拝すれば百か所の
観音霊場を参詣したと同じ功徳があるとされるので、皆で参拝した。

       
 境内にはほかに、大きな常念観世音菩薩立像↑や延命地蔵堂、鐘楼童、川口市保存樹木
のチャボヒバの高木↓などがある。
  


 植木畑や樹木園の多い一帯を南南東へ。東京外環道川口東ICの東で外環道の下を横断
し、さらに少しで安行氷川神社に寄る。
     
 拝殿は元禄13(1700)年の造営とか。参道の狛犬のうち右の一つは、東日本大震
災で倒れたのか、頭が欠けて横になっていた。
       


 こちらも沿道には樹木畑が多く、造園業者の看板もいくつか見られる。安行領家の細い
十字路際には、りっぱな犬猫之墓が立っていた。
     

     
 県道103号を横断して興禅院に入る。興禅院は、天文15(1546)年創建の曹洞
宗の寺院。境内は豊富な樹林に覆われていて、暑さを忘れさせてくれる。




       
 本堂前にキキョウやアジサイなどが咲き、左手お地蔵さんの横を進むと、墓地際の大き
なスダジイの下部のほこらに包まれるように、「抱かれ地蔵」が祭られている。
     

         
 20~30年前に石屋さんが、お地蔵さんをスダジイの根元に動かしたところ、木が生
長して取り囲んでしまったのだという。


 庫裡(くり)の横からアジサイの咲き残る道を背後の斜面林を下ると、小さい池に弁財
天が祭られ、その先の周遊路には十三仏の観音像が配置されていた。




 うっそうと茂る斜面林はここが川口市内とは思えぬ様相で、「川口市野鳥の森」になっ
ている。
     

 寺域は「安行八景」に選定され、春の桜、秋の彼岸花と紅葉、ほかにアジサイ、シャク
ナゲなど季節ごとに花の名所になるようだ。

 県道の西側に回り、県の「花と緑の振興センター」の正門を入る。

 センターは、植木や果樹などの生産出荷の指導、盆栽等の輸出振興などに努めており、
約2.3㏊に約4,600本、2,000種の植物を展示していて、四季折々の草花が楽し
めるという(入園無料)。


 本館に入り背後に抜けて、池の周辺に咲く花や、実の大きくなったブルーベリーなどを
眺める。
         

    



 県道をまたぐ歩道橋で東側に回り、日本庭園の先にあったベンチのところに正午ちょう
どに着き、昼食にした。


 == 新井宿からバスに乗り見沼通船堀を東浦和へ ==
 
 記念撮影とミーティングをして、13時過ぎに午後のコースに向かう。


 犬猫の墓のある交差点まで戻って南東へ、交差点の南側の家はかやぶき屋根だった。


 中道西集落でV字状に折り返してさらに南へ。「川口市野鳥の森」になっている、うっ
そうとした木々に覆われた長い参道を東側から入り、金剛寺に行く。


       
 かやぶきの山門の手前には、大きな「植木の開祖 吉田権之丞翁記念碑」が立っていた。
安行苗木の開発者で、墓地にある墓は県指定旧跡になっているようだ。


 山門近くには、市の保存樹木に指定されたキャラボクの古木がある。


 金剛寺は、越生町(おごせまち)の龍穏寺(りゅうおんじ)の末寺で、室町中期の明応
5(1496)年に、この地を支配していた豪族、中田安斉入道安行(やすゆき)により
開創されたとか。この人の名が、当地安行(あんぎょう)の地名の由来になったと伝えら
れているという。

 江戸時代、3代将軍家光から御朱印10石を賜り、門派は10数か寺に及んだよう。山
門は約400年前の構築で、市内最古の棟門とのこと。正面の大本堂に参拝後、古木のフ
ジ棚の下で小休止した。


 南下して安行吉岡交差点でV字状に折り返し、首都高川口線の側道を北西へ。路傍の畑
にブルーベリーが実り、近くにはブラックベリーだろうか、赤い実もたくさんある。
    

        
  
 安行慈林交差点で西側の旧道に回るが地図上の抜け道が無く、首都高の側道に戻る。赤
山交差点で左折して県道101号に入り、すぐ横のグランド際の木陰で小休止して水分補
給する。


 源長寺上知集落の中ほどに「摂政宮殿下御小憩所」碑が立っていた。
     
 大正13(1924)年3月26日、摂政宮(後の昭和天皇)が越谷鴨場に行啓した際、
小休止した場所のようだ。隣の民家の前に、熊を形取った植木が並んでいた。



 新井宿駅バス停に14時26分に着き、14時46分発東浦和駅行きバスに乗る。

 戸塚安行駅方面から伸びる県道103号の、木曽呂バス停で14時57分に下車した。

 少し先で見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり)の山口橋を渡る。橋際には
赤鳥居の稲荷神社が祭られていた。

 寛政3(1791)年に京都伏見大社から分霊されたよう。


 見沼代用水東縁沿い↑を北にすぐ、東西の見沼代用水と中間の芝川とを結ぶ見沼通船堀
の東縁東端へ。そばの休憩舎に、通船堀や見沼開拓と見沼代用水路の説明パネルがある。

 見沼通船堀は、享保16(1731)年に井沢弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)
によりつくられたわが国最古とされる閘門(こうもん)式運河。

 東西の代用水路と芝川戸との水位差が3mあるので関を設け、水位を調節して船を上下
させ、周辺の村々から江戸への年貢米輸送などに利用したという。

 そばに近年復元したらしい関があるが、水は涸れていた。少し進むと水が流れていたが
流量は僅かである。


 芝川の左岸に出ると、南側の県道際に水神社がある。水神社は、享保17(1732)
年の創建とか。この周辺には河川輸送に携わる人たちが住んでおり、水難防止を祈願して
祭ったという。
     

 神社の西側には、井沢弥惣兵衛に従い見沼開拓事業に参加し、完成後は幕府から通船堀
の差配役に任じられた鈴木家住宅があり、現在は国指定史跡となっている。



 主屋(おもや)以外は公開されていたので主屋の背後に回り、納屋と米蔵、別の建物に
展示されていた「ひらたぶね」の復元模型を観覧する。



 芝川右岸↑に戻り、通船堀の西縁を進む。こちらの方が樹木が多く、暑い日差しを遮っ
てくれる。
     

     
 西端近くまで進んで流れの南に回り、竹林の間の遊歩道を行く。
        
  
     
 西端にある竹林公園で通船堀西縁が終わり、南北に流れる↑見沼代用水西縁を少し北へ、
ゴールのJR武蔵野線の東浦和駅に15時56分に着いた。


 この日のさいたま市の最高気温は、ゴール間近い15時42分に32.5℃。熱中症に
はならなかったがかなりの倦怠感だったので、散会後すぐに帰途につく。

(参加 13人、天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 川口市、
 さいたま市緑区、歩数 20,300)






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妻沼郊外の田園地帯と国宝建造物のある妻沼聖天山などを巡る(埼玉・熊谷)

2018-06-11 23:07:10 | カントリーウオーク
 2018年6月10日(日)

 梅雨入り後4日目、埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの第254回例
会に参加した。


 集合はJR高崎線・秩父鉄道の熊谷駅。10時15分発妻沼(めぬま)行バスに乗り、
10時40分に道の駅めぬまバス停で下りた。

 道の駅には「めぬま物産センター」と「めぬまアグリパーク」の建物、そしてバラ園な
どがある。

 物産センター↑には近在の新鮮な野菜などが並び、アグリパーク↓にも地元物産品などが
豊富である。




 外で販売していた植木類



 バラ園のバラは盛りを過ぎていた。それらを一巡後、小雨模様なので雨具を付けて11
時にスタートした。
 
== 田園地帯にある集落の寺社を巡る ==

 国道407号を横断して西へ、周辺の田んぼはまだ水入り前で、遮るもの無い展望が広
がる。



 まずは、最初の集落八木田の観音寺に行く。本堂前に鉢植えのハスがたくさん並び、1
輪だけが花を開いていた。芝生にはネジバナがたくさん咲いている。


    
 
       


 集落を抜けてさらに西へと田園地帯を進む。田のあぜにピンクの小さな花が目につき、
すっかり熟した小麦色の田んぼも残る。



 次の飯塚集落に入り、太田小の南西にある太田神社へ。旧太田村の総鎮守として、大正
4(1915)年に周辺21の郷社を合祀してこの地に鎮座したという。



 境内では、アジサイやガクアジサイが雨に濡れて咲き、キャラブキの葉には何匹かのア
マガエルが目につく。
    

 
 大田小の東まで戻って北へ、田んぼの間やネギ畑の横などを進んで福正寺集落に入る。


 無住の安養院横を通過して流れ豊富な備前渠用水路を越える。


 12時25分に昼食地の妻沼運動公園に着く。体育館↓の屋根下を借りて昼食にした。


 == 妻沼市街の近代化遺産を見て国宝建造物のある妻沼聖天堂へ ==
 
 昼食後にミーティングをして、13時10分に運動公園を出た。幅広い歩道のある車道
を東進し、国道407号を横断する。

 北側の妻沼行政センター交差点から東に進んで商工会館の駐車場に入り、二つの近代化
遺産の建物を見る。


 手前の井田記念館は、メヌマポマードの創始者で元衆議院議員の井田友平氏の旧宅。昭
和31年(1956)に旧妻沼町に寄贈され移築したもの。建物前には井田友平氏の胸像
もあった。
         

 建物のそばに咲くアジサイ
 

 東側交差点際には、国登録有形文化財の坂田医院旧診療所の建物がある。昭和6(1931)
年に建てられた産科医院で、鉄筋コンクリート平屋の洋風近代建物。

 昭和50年代(1975~)前半まで使われたが、改造せずに建設当初の状態を残して
おり、この地方の近代建築の貴重な遺構だという。

 建物横に、2006~7年のテレビドラマで映画化もされた「映画 東京タワー、オカ
ンとボクと、時々、オカン 撮影地」の標柱が立っていた。

 バス通りより一つ西の通りに回って北に500mほど進み、山門をくぐって妻沼聖天山
歓喜院(めぬましょうでんざんかんぎいん)の本坊本堂の境内に入る。


 日本三大聖天の一つで、平家物語にも登場する武将・斉藤別当実盛(さねもり)が治承
3(1179)年に本尊の聖天を祭ったのが始まりとか。

 本坊は、斎藤実盛の子・良応僧都が、本尊に仕える行者の修行の場として開創されたと
いう。
       
 雨に濡れしっとりした境内にはマキなど大きな樹木が多く、静かなたたずまい。本坊の
屋根下で休憩後、記念撮影をした。


 山門前から東側の御本殿などのある広い境内に向かう。山門近くの道路際に、埼玉県指
定文化財で鎌倉時代のものと推定される、高さ1.78m、幅59㎝の板石塔婆(いたい
しとうば)が保存されていた。
         

 商店などの並ぶ「聖天様南通り」を横断して広い境内に入り、中心部の仁王門↓に30
分後の14時50分集合としてフリータイムとする。



 正面が埼玉県内唯一の国宝木造建造物の御本殿で、安永8(1779)年の完成のよう。
拝殿と相の間、奥殿からなり、建物の各部材や壁面は全て彫刻で装飾された江戸中期の貴
重な文化遺構。8年前に8年間の修理工事の完成により、創建当時の華麗な色彩が復元さ
れている。



 左手受付から入り(拝観料700円)、「埼玉日光」とも呼ばれる、相の間と奥殿の精
彩で華麗な彫刻の数々を拝観した。










 境内にはほかに、ケヤキとエノキの寄り添う「夫婦の木」↓、平和の塔、鐘楼、大師堂、
中門、護摩堂、貴惣門(国指定重要文化財)など見るべきものが多い。
       

 大師堂


 護摩堂


 中門
 

 14時50分に仁王門を去り、正面の貴惣門方面へ。中門の東側は工事中。貴惣門の手
前には斎藤実盛公像がある。



 側面に破風を3つ重ねた独特の貴惣門↑を出て、そばのゴール、妻沼聖天前バス停に14
時56分に着いた。バス停広場には「めぬま夏祭り」の大きなタイルが画がある。


 妻沼聖天山の周辺には聖天山にちなむ土産店など多いが、バス停前にも和洋菓子の店頭
製造販売する梅月堂があり、聖天太鼓や縁結びあげまんじゅうなど販売している。


 15時5分(7分遅れ)発バスで熊谷駅に15時40分に着き、15時56分発上り小
田原行特別快速電車に乗る。

 前日の熊谷の最高気温は33.2℃の暑さだったが、今日日中は18℃前後で雨も小降
り、この時期の歩きとしてはまずまずのコンディションだった。

(参加 12人、天気 小雨、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 深谷、妻沼、歩行地
 熊谷市、歩数 15,400)






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坂田ケ池総合公園から房総風土記の丘へ(千葉・成田、栄)

2018-06-04 17:10:31 | カントリーウオーク
 2018年5月27日(日)
 == 坂田ヶ池総合公園から房総風土記の丘や龍角寺へ ==

 今日は、TさんとYさんは歩かず帰るとのことで、成田山表参道で唯一の酒造店・長命
泉の前で記念撮影し、駅前で分かれた。


 JR成田線成田駅9時15分発我孫子行きに乗り、次の下総松崎(しもうさまんざき)
駅で9時21分に下りた。昨日の大佐倉駅同様、駅周辺に商店は無く、民家も少ない。




 駅前には、古い「関東ふれあいの道」のコースガイドが2二コースある。9時30分に
スタートする。線路沿いを北西にすぐ、田んぼのあぜにハナショウブが花開いていた。
       

 線路に平行する大竹集落の旧道を進む。この道は成田山へ向かう「旧成田みち」らしい。
沿道には梅の木が多く、たくさん実った木もある。ムラサキシキブやモチノキも花を見せ
ていた。
    

         


 1㎞近く進み、坂田ケ池からの流れ沿いの緑道へ。気持ちよい緑陰の道を上がり、ほど
なく坂田ケ池の西端に出た。大きなハナミズキにたくさんの花が咲き残る。






 上がってきた緑道を含め、池の周辺一帯は「坂田ケ池総合公園」になっている。池の南
側斜面を上がると広い芝生広場だが、人影は見えない。



 さらに進んでキャンプ場の横へ。たくさんのテントが並び、宿泊したグループも多そう。


 キャンプ場東端付近から南側の谷をまたぐ釣り橋があるが渡らず、林間を進んで池の東
端の堰堤(えんてい)付近に下り、駐車場で小休止した。



 堰堤に沿って西北に回り込み、車道に出てすぐ先で北東に延びる谷地田沿いに進む。
       

 龍角寺一丁目の戸建て住宅地の南西端に上がると、大きなヤマボウシに花がいっぱい。


 西に少しで岩屋古墳の南側に出た。岩屋古墳は国史跡・龍角寺古墳群のひとつで、7世
紀中頃の方墳(ほうふん・正方形の古墳)。

 一辺は78m、高さ13.2mで3段築成になっていて、古墳時代終末期の方墳として
は全国第1位の規模という。


 南側には東石室と西石室の二つの石室が近接してあり、西石室↑は内部をのぞけるが、
東石室↓は崩れているのかロープが張られ、そばに近づくことはできない。




 西に100m余り、車道の西側に「千葉県立 房総風土記の丘」の看板があり、「房総
風土記の丘の由来」や「体験博物館 千葉県立房総のむら」の案内板などが立っていた。

 房総風土記の丘は、岩屋古墳をはじめとする竜角寺古墳群(約120基)と、白鳳仏で
名高い龍角寺をとりまく緑豊かな自然環境の中につくられた県立博物館とのこと。中央部
の資料館のほか、重要文化財の建物や植物観察園などあり、全長5㎞ほどの遊歩道で巡れ
るという。


 周辺一帯は豊富な広葉樹の樹林が広がり、近くに国重要文化財の旧学習院初等科正堂が
ある。内部にも入れるが、入口から内部を一覧するのみとした。


 気温が上がり暑くなったが、その先西方に延びる遊歩道は、木々の下で暑さを忘れさせ
てくれる。
       

 遊歩道の両側には次々と古墳が現れ、中には「99号墳」のように、径12m、高さは
0.9mという、標示が無ければ古墳と分からぬ規模のものもある。


 樹林の切れ間から南西側に印旛沼の一部が望まれ、さらに80号台の古墳の横を進むと、
再度印旛沼の見えるところがあった。




       
     

 11時30分に「風土記の丘資料館」前に着き、57号墳そばの樹林下で昼食にする。
周辺にも幾つかの古墳が望まれた。







 昼食後に資料館に入り、原始から古代、中世にかけての遺跡から出土した埴輪や土器、
瓦などと、関連する資料や写真などの展示を観覧した(大人300円・65歳以上無料)。








 12時30分に出発して、さらに樹林下を北に延びる「白鳳道」を進む。すぐ近く右手
に、復元した竪穴住居が望まれた。


 県道18号・成田安食線バイパス下をトンネルで抜ける。近くに、竜角寺古墳群で最大
で千葉県内で最も新しいと考えられるという前方後円墳・浅間山(せんげんやま)古墳が
あり、墳丘に上がる石段も設けられていた。


 樹林帯から出て竜角寺集落を進み、集落の北側にある龍角寺境内に入った。
       
 龍角寺は、和銅2(709)年の大干ばつの年に龍神が来て自分の身を三つに切り人々
を助け、その頭を納めたのが名の起こりで、関東で最も古い寺院のひとつとか。

 当時は東側に高さ33mほどの三重塔か五重塔があり、本尊薬師如来坐像は709年造
立で、県内最古の白鳳時代のものという。

 現在の拝殿は小さく、背後に本尊を祭る収蔵庫がある。境内に居られたボランティアガ
イドの方が、それら寺の歴史や本尊のことなど拝殿前で説明してくれた。

 聞いているうちに時間が経過し、背後にあるという金堂跡や塔心礎などは見逃した。

 集落を南に少し戻り、西北に下る細道に入ると侵食の進んだ竹林となり、おびただしい
竹が両側を覆う。
       

 下りきって谷地田の南端に出て北西に向かい、途中で谷地田の東側から西側に回る。


 500m前後で車道に出て、逆V字状に折り返し南に向かう。二つ目の神社そばの素羽
鷹神社バス停横から西側の酒直(さかなお)集落へ。道路際に静かなたたずまいの多宝院
があり、立ち寄り参拝した。




           

 集落内をS字状に進んで西に抜け、酒直台一丁目の新しい住宅地と田園地帯の間を西進
する。


 さらに気温が上がり暑いので、次の白山集落の東端にあった草地の小公園に入り、緑陰
で休憩した。


 集落の中ほどでJR成田線の線路に平行する旧道に合し、線路沿いに進む。線路上を横
断する車道下を抜けてすぐ、上町集落の斜面にたくさんの庚申塔が並び、上に小さなお堂
も祭られていた。


    



 「旧成田みち」の石柱の立つ道を進み、安食(あじき)駅に14時20分に着いた。

 多くの人が近くのコンビニで冷たい飲み物を仕入れて駅前で乾杯する。下り電車で帰る
Tさんと別れ、残り全員は14時56分発上野行直通電車で帰途についた。
    

(参加 11人、天気 晴、距離 8㎞、地図 成田、歩行地 成田市、栄町(さかえ
 まち)、歩数 17,500○、累積標高差 上り・下りとも 約130m)


 数日後、「房総風土記の丘」の「体験博物館 房総のむら」に寄らなかったことに気
づく。駅を出て間もなく、私同様以前に来たというIさんと、その後の房総のむらのこ
とを期待していたのだが、昼食後は白鳳道を進んでバイパスしていて、すっかり忘れて
いた。

 時間の余裕もあり、この日一番の見どころだったような気もして、房総の商家や民家、
武家屋敷、農家や水車小屋などのある「むら」に立ち寄れなかったのは、ちょっと残念
な思いがした。




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