あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

英国・コッツウォルド ウェイとその周辺⑤

2010-08-31 22:22:08 | 英国のウオーキング
 2006年7月7日(金)、コッツウォルド ウェイ後半のコースを2日歩いた後、クリ
ーブヒルのホテルに宿泊し、この日は各自のフリータイムとなりました。

 私は、同室のSさんと、近くの街チェルトナムまで往復することにしました。宿の
近くのクリーブヒルの家並みです。


 クリーブヒルの南西にあるチェルトナムの中心までは約8㎞、行きは緩やかな下り
道です。


 チェルトナムの中心にあるインペリアルガーデン。余暇のための装飾的庭園として
1818年に造られたとか。芝生広場は花に彩られていました。


 7月8日(土)、コッツウォルド ウェイ歩きの後半3日目です。クリーブヒルから標
高270m前後の丘陵に上がる途中で、羊の牧場を通過します。


 次の町、ウィンチコムの家並みが見えだした辺りにも、別の種類の羊が遊んで
いました。


 コースは、色づいてきた麦畑の間を進みます。


 緩やかな麦畑などの、広々とした展望。


 路傍には、シシウドがたくさん見られました。


 この日のゴール、スタントン集落近くの牧場。


 スタントンは、石積み石屋根の古い民家が多く、かやぶき屋根の家も幾つか見られ
ました。

 
 多くの家の玄関回りなどは、花に彩られています。


 この建物ではありませんが、建築年代を示す「1618」と表示された家もあり、この
集落の古い歴史がしのばれました。


       (続く)
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英国・コッツウォルド ウェイとその周辺④

2010-08-29 20:51:31 | 英国のウオーキング
 英国・ロンドンの西約200㎞を南北に走る長距離歩道、コッツウォルド ウェイの
北半分を歩く旅は、南半分の翌年、2006年7月に実施しました。

 前日に、後半のスタート地であるペインズウィックの宿に着き、7月5日(水)朝、
朝食前にペインズウィックの散策に出かけます。

 町並みを貫く通りを北に上がり、家並みが途切れると東側の展望が開け、朝も
やに霞んだ牧場の横に出ました。

 夜露に濡れた草を食べる牛たち。


 牧草地の横のフットパスを下って行くと、咲いていたのはコスモスでしょうか。


 周辺の斜面も、朝もやに霞んでいます。


 後半の出発地は、ペインズウィックの中心にあるセント・メアリー教会。宿のすぐ
前です。教会の庭には、99本のイチイの植え込みが並んでいます。


 出発を前に、教会の庭で全員が記念撮影。前年よりメンバーが4人増えました。


 町を抜けてペインズウィック・ヒルと呼ぶ丘陵上のゴルフ場を通過、最高点の標高
283m三角点周辺からの眺望。

 この日は、11㎞の行程でした。

 2日目の7月6日(木)は、朝から雷雨。でも長続きはせず、歩いているうちに雨は
小降りになりました。コッツウォルド ウェイの代表的な景観として知られる「Devil's
Chimney 」と呼ぶ奇岩が現れました。

 長い年月をかけて、岩が侵食されて出来たもので、高さは10m以上ありそう。

 その先は、台地上の好展望地が続き、標高293mの三角点を通過しました。
遠方には、翌日訪ねたチェルトナムの町並みも望まれます。

 眼下に見える家並みは落ち着いた彩り、周囲の緑に溶けこんでいます。


 すばらしい展望を眺めながら、フットパスは少しずつ下って行きます。


 緩やかな草道のアップダウンなので、同じ距離を歩いても疲れは少な目です。

 


 コッツウォルド ウェイでは、このような乗馬をしている地元の方と、何度も出会い
ました。


 17時半過ぎ、標高317mの三角点のあるピーク付近へ。コッツウォルド ウェイ
の最高点でした。

 三角点周辺には、たくさんの小穴があり、野ウサギが何匹も姿を見せていました。

 (続く)
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英国・コッツウォルド ウェイとその周辺③

2010-08-27 15:56:24 | 英国のウオーキング
 2005年、コッツウォルド ウェイのウオーキング3日目、6月11日(土)午後、コース
上では初めての鉄道の線路を越えて、高台の牧草地へ。

 100頭を超える牛たちが寝ころぶ、牧草地を通過します。


 こちらの牛は、別のグループのよう。


 このあたりも、はるか遠くまで望まれる穏やかな展望が広がります。


 この年は、コッツウォルド ウェイの南半分だけ歩きました。スタートのバースから
約88.5㎞を3日で歩き、ゴールのペインズウィック(Painswick)の家並みが近づ
いてきました。


 宿は、ペインズウィックの町中にあるホテル Tha Falcon Inn。翌朝、6月12日(日)、
朝食前の散歩に出たときのペインズウィックの町並み。通りは、緩やかな坂道に面
しています。 


 翌年歩く予定の、コッツウォルド ウェイの延長ルートの方向に上がってみると、
Rococo Garden という、18世紀から残されている庭園がありました。

 この日は日曜なので入園することは出来ず、入口付近の建物だけ見て戻ります。


 町外れにも回ってみました。

 町の周囲は、緩やかな丘陵が広がっています。


 ロンドンに戻るために、最寄りの鉄道駅のあるストラウドまでの7㎞を、歩いて行く
ことにしました。町外れからふり返るペインズウィックの家並み。


 黄色い花の咲き乱れる牧場。このようなところで育てられた動物は、穏やかなんで
しょうね。


 牧草地の傍らに咲く花。


 この後は、翌2006年に歩いた、コッツウォルド ウェイ北部になります。(続く)
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英国・コッツウォルド ウェイとその周辺②

2010-08-26 16:37:15 | 英国のウオーキング
 2005年6月、英国の長距離歩道、「コッツウォルド ウェイ」を南端のバースから
歩き始めた初日、6月9日(木)の続きです。

 「Dyrham Park」と呼ぶ、ナショナルトラストとして保護されている中世の館のそば
を通過し、その集落を出ると、牧草地帯の気持ちよい展望が広がります。


 コッツウォルド ウェイのルートも、このような足に優しい緑の草道が多く、足どりも
軽やかに歩けます。


 広大な麦畑の横を通過しました。


 2日目の6月10日(金)も、前日同様の快晴でした。小集落 Tomarton のホテルを
出発、Old Sodbuly 集落で牧草地から高台にある教会に向かって上がります。


 教会から見下ろす、集落の家並みなど。


 さらに進んで別の集落近くの谷間では、牛の牧場の横を通過します。


 1戸だけの家の横に小さな池があり、その家の家族か、釣りを楽しんでいました。


 この日通過した中で一番大きな町並み、Wotton Under Edge を抜け、標高203m
の丘陵に上がりました。

 はるか遠くまで見通せる、絶好のビューポイントです。


 北に下ってNorth Nibleyの町並みを通過、大きなモニュメントの見える、この日最
後の丘陵を目指して上がって行きます。


 Dursley の民宿に泊まり、次の6月11日(土)朝、民宿の中庭で全員の記念撮影。
撮ってくれたのは、宿の奥様です。


 中庭には、よく手入れされた草花が、たくさん咲いていました。


 Dursley の町並みを出て、東北の丘陵に向かって上がります。


 一面、短い芝草に覆われ丘陵に上がると、この3日間でも1,2を争うビューポイント
でした。

 標高180m~240mくらいの、展望のよい稜線が1㎞余り続き、西方には、ブリス
トル海峡に流れ込むセバーン川の流れも遠望できました(右上部)。 

 (続く)
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英国・コッツウォルド ウェイとその周辺①

2010-08-25 21:49:12 | 英国のウオーキング
 8月下旬になっても、まだ残暑は治まりそうにありません。日中はジッとしていて、
夕方になって少しだけ散歩の日々が続いています。

 少しは涼しそうな風景はないか、過去の写真を探してみたら、5年前に歩いた、
英国・コッツウォルド ウェイとその周辺の写真の中に、未発表のものが幾つか見つ
かったので、紹介することにします。

===================================

 2005年6月、英国・ロンドンの西方約200㎞にある、全長162㎞の長距離歩道、
「コッツウォルド ウェイ」のウオーキングに出かけました。

 6月7日(火)、ロンドンから、コッツウォルド ウェイの南端となる世界遺産都市、バ
ースに行き、足慣らしに町外れの丘陵に上がりました。

 前方に広がる草原を前に、さわやかな風に当たりながらここで昼食をしました。


 バースの町に戻る途中で運河沿いに出ると、「ナローボート」と呼ぶ船が幾つも
通過していました。この船に生活用具を積んで、数週間から数か月も旅を楽しむ
人たちが乗っているようです。 


 バース市街の近くに、ロイヤルクレッセントと呼ぶ、1775年竣工の石造りで横長
の建物があり、建物の南側は広い芝生となっていて、たくさんの市民が午後の日差
しを浴びていました。 


 バース郊外のユースホステルに泊まった翌日、6月8日(水)早朝、近くのバース
大学周辺の朝の散歩に出ました。高台の牧草地からは、谷を隔てて向こうの台地
の穏やかな景観が望まれます。


 ユースホステルで朝食を済ませ、この日は近くの街、カッスルクーム付近のウオー
キングに出かけることにしました。途中通過した谷間の民家と牧草地。


 カッスルクームの家並み。端から端まで歩いても5分くらいの小さな集落ですが、
「全英一、最も古い街並みが保存されている村」といわれ、古い石造りの家並みが
落ち着いたたたずまいを見せてくれました。


 さて、次の6月9日(木)、いよいよ「コッツウォルド ウェイ」のウオーキングに出発
しました。出発間もないバース市街、右手の花咲く木は、トチノキです。


 町外れの住宅地を出て、西北への稜線を上がります。ひと上りして、太い木の下で
最初の休憩。


 その先からは、牧草地をトラバースする気持ちよい草の道を進みました。


 標高200m前後の、緩やかな丘陵を上がり下りして進みます。


 羊の牧草地の上を通過、昼食用のえさを運んできたトラクターが見えます。


 1643年の戦場だったというところで休憩。オレンジの標識のところに、その歴史
などが記されていました。


 コッツウォルド ウェイは、このような牛の牧場の中を、何か所も通過しました。


 その先では、羊の牧場の横の土の道を進みます。


 牧草地の中にある、ただ一軒の農家。上部右手の黄色は、ナノハナ畑でしょうか。

 (続く)
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四国遍路道にある道しるべ⑦

2010-08-23 22:08:13 | 四国遍路あれこれ
 3月15日(月)、愛媛県最初の霊場、40番観自在寺にお参りをして、約50㎞先の
41番龍光寺に向かいます。

 宇和島市の中心街に入る前に越えるのが松尾峠、峠の下を貫く全長1,710mの
松尾トンネルの手前、国道56号に立つ、峠越えのへんろ道への案内。


 国道56号松尾トンネルの、手前から上がる峠への案内図。

 トンネルを抜けた方が早いのですが、「排気ガスが充満している」と遍路地図に記
されているので、通過したことはありません。いつも松尾峠越えです。

 国道からの上り口に「おへんろさん休憩所」があり、そばにあった標識。


 国道から緩やかな上り1.4㎞足らずで標高220mの松尾峠頂上へ。ヘンロ小屋
26号わんやがあり、その近くに立つていたもの。

 前2回は、トンネルより600mくらい手前から旧国道を上がり、この峠の下の旧国
道のトンネル(照明が無く真っ暗)を抜けていたので、今回初めてのルートです。

 宇和島市の北、旧三間町(みまちょう)の41番龍光寺から、42番仏木寺(ぶつぼ
くじ)へ向かう遍路道に立つ標石。


 42番仏木寺から、歯長峠(はながとうげ)へ向かいます。車道から林間への遍
路道の入口。 左下では、松山自動車道の建設工事が進められています。


 標高480mの歯長峠が近づき、ここから、くさりもある200mの急登がはじまり
ます。


 歯長峠を越えて肱川沿いに下り、43番明石寺(めいせきじ)へ向かう県道29号、
番外霊場・導引(みちびき)大師のそばに立つ、中務茂兵衛の209度石。

 中務茂兵衛については、前回に説明してあります。

 43番明石寺への参拝を終え、國の伝統的建物群保存地区のある宇和町を抜け
て国道56号を鳥坂峠に向かいました。

 旧道から国道への出口近くに立つ、中務茂兵衛165度石。


 明石寺から10㎞で、国道を離れて鳥坂峠に向かう旧道に入ります。旧道との分
岐に立つ標識。


 古くから大洲に向かう街道だったので、鳥坂峠への遍路道は、幅広く傾斜も緩や
かやかでした。標高470mの峠の頂上。展望は利きません。


 43番明石寺から、次の44番大宝寺までは67㎞の長丁場。大洲(おおず)市街を
抜けて、次の町、内子(うちこ)に向かいます。 

 国道56号の、大洲市東端に近い辺りに立つ、「四国のみち」の標柱と遍路道標石。


 国道に並行するJR予讃線五十崎(いかざき)駅の近くから、内子の町並みに向
かう遍路道に入ります。

 距離はわずかですが、田んぼと林の間を抜ける、気持ちよい遍路道です。

 2㎞足らずでJR内子駅に着き、3回目前半の遍路を終えました(3月19日(金))。
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四国遍路道にある道しるべ⑥

2010-08-21 15:49:49 | 四国遍路あれこれ
 高知県最後の霊場、39番延光寺の近く、林間の遍路道から車道に出たところに
立つ、中務茂兵衛(なかつかさもへい)が立てた巡礼114度目の標石。

 ちなみに、中務茂兵衛は、江戸末期から大正時代(1922)にかけて、四国巡拝
に生涯をかけ、280度回り、88度以降には道しるべを立て、現在分かっているだ
けでも200数十基あるとのことです。

 3月15日(月)、高知県西端の宿毛市の市街地外れから、県境の松尾峠に向か
いました。小深浦集落付近の標識。


 少し先で越えた、小さな峠に立つていたもの。


 松尾峠への最後の集落、大深浦の角に立つ表示。


 これも近くの標識です。


 高知・愛媛県境になる標高430mの松尾峠には、立派な土佐藩と宇和島藩の標
石も立っていますが、すぐ先にある「四国のみち」の標柱。


 峠を下り、旧一本松町の中心街を抜けて国道56号を横断し、札掛(ふだかけ)近
くの車道から草道への標識。


 少し先には、英文での遍路道の案内もありました。


 愛南町上大道に向かう、旧赤坂街道の地図。


 愛南町(旧御荘町)にある40番観自在寺の参拝を済ませ、翌日、宇和島市との境
となる柏坂に向かいます。旧内海村の集落の角に立つ標識。


 今回は、川沿いの遍路道が河川工事で迂回となり、回ったところのナノハナ畑が
遍路さんへの「お接待はなばたけ」となっていますた。そばに立つ「四国のみちの」
の標柱。


 柏坂への上り道には、峠越えして読んだ野口雨情の歌碑が幾つも立っていました。


 この黄色い標札は、あちこちで見かけています。


 標高460mの柏坂を過ぎた下り道には、第2次大戦後の昭和時代の伝説のよう
なものの案内板が、幾つも立っていました。そこに置かれた遍路標識。


 柏坂の林間を下り、最初の集落にある「へんろ椿」への標柱。遍路道は反対方向
に向かいます。 

 ちなみに津島町は、現在は宇和島市内です。  (続く)

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四国遍路道にある道しるべ⑤

2010-08-20 21:14:09 | 四国遍路あれこれ
 今年3月11日(木)、遍路開始から21日目の、足摺岬東岸の道しるべから続け
ます。

==================================

 足摺岬の38番金剛福寺に向かう東岸、以布利の先の遍路道に下がるもの。


 林間の遍路道から、県道27号に上がったところに立つ標柱。


 次の集落・窪津にある、ヘンロ小屋のすぐ先にある珍しい石標。傍らの双体道祖神
は、近年のものと思われます。


 38番金剛福寺に参拝し、西岸に向かいます。民宿青岬の先から入った広葉樹林
の遍路道にある、足摺へんろ道標識。


 遍路道を県道27号に下り、清水港に近づいたあたりの電柱に貼られた遍路標識。


 土佐清水市の中心街を抜けて、番外霊場・大月神社を目指します。土佐清水市か
ら大月町に入り、最初の集落小才角と次の大浦の間に、新しいトイレが出来ていま
した。その前に立つ標柱です。


 大浦漁港のそばに立つ、「四国のみち」の標識。


 大浦集落の西から、月山神社への上り道が始まります。その上り口にある標柱と、
文字は読みにくいですが古い標石が。


 坂を上がった林間の遍路道には、地元大月小3年生が書いた、激励のメッセージ
の札が幾つも下がっていて、元気づけられます。


 この遍路道には、左下のような古い丁石(1丁ごとの標石)がかなり残っていました。


 常緑広葉樹林の遍路道に下がる遍路札。


 月山神社へあと4丁(約400m)まで迫りました。この先で神社に通じる車道に下
ります。


 大月神社に参拝して、車道を1㎞余りで、展望台のある近年復元された遍路道に
向かって上がります。標高90mの上がり口にある幾つかの標識。


 展望台の先から下って、ゴロゴロした石の上を100mほど進んで車道に上がり、
赤泊(あかどまり)集落に入ります。赤泊神社前にあった遍路標識。

 上の説明板は、この神社に奉納される大月町無形文化財「赤泊太刀踊り」のことが
記されています。

 大月町から高知県政南端の宿毛市(すくもし)に入り、市街地を抜けて39番延光寺
に向かいます。国道56号の途中から入った、遍路道の後半は竹林を抜けました。

 竹林に立っていた標柱です。延光寺は間もなくでした。  (続く)
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ドイツの乗り物(鉄道以外・中西部)

2010-08-19 16:57:45 | ドイツいろいろ
 2009年8月に訪ねた、ドイツ中西部の都市で見かけた鉄道以外の乗り物を紹介
します。

===================================

 市内のユースホステルに3泊した、ハーゲン(Hagen)市内のバスには何度か乗り
ました。

 バスは連接車になっていて、中間は、ほろでつながれています。車両は、メルセ
デス・ベンツ製です。

 バスの車内、日本のバスよりがっちりした構造に感じられました。


 刃物の町として知られるゾーリンゲン(Solingen)には、何ルートかのトロリーバス
路線が走り、市内のあちこちで見かけました。

 ゾーリンゲンのトロリーバスも、みな連接車です。


 ゾーリンゲンとハーゲンの途中にある都市、ブッパッタール(あるいはヴッペルター
ル)(Wuppertal)にあった乗り物の軌道。市の中心を流れる川をまたいで造られて
います。


 これがその車両、つり下げ式のモノレールです。

 左右にガイドレールがある複線になっていて、ひんぱんに車両が通過しました。


 最後は、フランクフルトの路面電車、「トラム」です。


 トラムは、ドイツ語でStraßenbahn(シュトラーセンバーン)というそうです。


 鉄道より車両が小さく、ワンマン運転の連接車が多いようです。


 フランクフルトには幾つもの路線があるようで、車両はいずれも3連接車のよう。


 

 おや、歩道を走るタクシーがやってきました。「VELOTAXI」と呼んでいるようです。

 動力は人力、究極のエコカー。

 EU連合の通貨・ユーロの公的発行機関である、欧州中央銀行横にも路線が。

 塗色は、このようなブルー系と、3枚前の写真のような、グラーデーションをかけた
ものとに分かれているようです。


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ドイツ鉄道の駅(中西部)

2010-08-18 13:34:43 | ドイツいろいろ
 2009年8月に訪ねたドイツの、国有鉄道「DB」の駅の幾つかです。エリアとして
は、ドイツ中西部になります。

 ちなみに、フランクフルト中央駅については、カテゴリー「ドイツいろいろ」の3回前、
「ドイツ鉄道・フランクフルト中央駅」(2010年2月10日付け)で紹介しています。

 8月13日、フランクフルトからライン川沿いのバッハラッハに向かう列車が、同駅
を通過して隣のOverwesel駅まで行きました。ホームから見た駅舎、背後は近くに
ある教会です。


 1駅戻って降りた、目的のバッハラッハ駅。駅は無人でした。

 この町の高台にある、古城のユースホステルに泊まりました。

 最寄りの踏切から見た、バッハラッハ駅構内。


 翌8月14日(金)バッハラッハからライン下りをして訪ねた町、コブレンツ。町の中
を少しの時間ですが回って、堂々たるコブレンツ中央駅に入ります。


 コブレンツからはケルン中央駅乗り換えで、この日の宿のあるハーゲンに向かい
ます。乗り換えたケルン中央駅のホーム。


 到着したハーゲン中央駅、時計塔のある駅舎は、歴史が感じられます。


 ハーゲン中央駅構内、列車ダイヤなどを案内してくれる鉄道用インフォメーション
カウンター周辺。


 2009年8月15日(土)、ちょうど100年前に世界最初のユースホステルが誕生
したアルテナの町の玄関口、アルテナ駅。町は結構賑わっていましたが無人駅です。

 世界最初のユースホステルは、高台に残る古城でした。

 この日は、アルテナから8日間の歩き旅の初日。西南西に向かって、約25㎞の
歩きです。

 コースの2/3ほどで通過したRummen-ohlの踏切から見た駅。駅名は地図上
ではわかりませんが、地名と同じRummen-ohlではないかと思います。

 ホームに屋根はなく、無人駅です。

 歩き始めて5日目の8月20日(木)午後、この日の宿に向かうため、WUPPETAL
市街の外れにあったW-varmen駅横を通過しました。その先の跨線橋から見下ろし
た駅ホーム。


 8日ぶりに戻った8月23日(日)、アルテナ駅前↓を通過して、高台にそびえる
世界最初のユースホステルだったアルテナ城を目指します。ここが今回の歩き旅
のゴールです。

 この日アルテナ城内は、ユースホステル100年祭で賑わっていました。

 帰国する日の8月25日(火)、フランクフルト市内を抜けるS4路線のターミナル、
Kromberg駅まで行き、近郊の標高798mの山まで往復してきました。


 帰途につくKromberg駅のプラットホーム。


 フランクフルト中央駅には何回か出入りしたのですが、外観は撮れずにいました。
最終日にようやく少し離れたところから撮ったもの。

 地上階には、遠距離列車の発着する、行き止まり式のホームが24番線まであり、
地下には、市内の移動用のUバーンと呼ぶ地下鉄と近郊路線のSバーンのホーム
があります。
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