あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

所沢メンネルコールの第31回定期演奏会へ(埼玉)

2017-06-25 17:25:17 | 所沢だより
 2017年6月24日(土)

 毎年この時期に開催される、所沢市内の男声合唱団「所沢メンネルコール」の第31回
定期演奏会のチケットを、今年もメンバーのIさんからいただいたので出かけました。
      
 
 会場は、西武新宿線の航空公園駅から歩いて約10分の所沢市民文化センター ミューズ
のアークホール(大ホール)↓です。


 アークホールの入口


        

 毎年、2,000を越える座席はほとんど埋まりますが、今年も同様です。

 城内は撮影禁止なので、演奏風景は撮れませんでした。

 今年のプログラム、右側に指揮者、ピアノ、編曲者などの名がありますが、それまで入
れると読みにくくなりそうなので省きました。
        

 指揮は岩佐義彦さん、ピアノ伴奏は大下さや香さんです。演奏会は13時30分に始ま
り、第2ステージの後15分余りの休憩があり、第4ステージ後にアンコール曲の演奏も
あり、終演は15時40分頃になりました。

 今年のプログラムでは、ロシア民謡と西部劇名曲集が組み込まれ、会場に訪れた年代の
多くの人たちにとっては懐かしい曲をたくさん聴かせてもらいました。

 第4ステージの西部劇名曲集では、団員の皆さんはいつもの白いユニフォームをダーク
系の服装とカウボーイハットに変えて演奏し、見る目も楽しませてくれました。

 ちなみに、所沢メンネルコールの団員は60人前後のようですが、長く参加しているメ
ンバーが大多数のようで、平均年齢は70歳を超えたと、プログラムの最初で団長は述べ
ておられます。

 でも演奏では、お歳を感じることのない、声量いっぱいに見事なハーモニーで観客の皆
さんを楽しませてくれました。

 また、第4ステージの冒頭には、プログラムにない国際口笛コンクールで2回優勝され
ているという口笛奏者の柴田晶子さんが登場し、わずかな時間ながら素晴らしい口笛での
演奏を披露してくれました。


 終演後の会場出口付近は、出演者とお知り合いの方々とのコミュニケーケーションの場と
なり、しばらくの時間賑わいました。

 私もIさんにお祝いとお礼を申し上げるなどして、会場を後にしました。


 蛇足ながら、このあと所沢航空記念公園の日本庭園に入ったら、アジサイがたくさん咲
いていたので、その幾つかを紹介します。




     








 日本庭園のアジサイは、まだしばらくの間楽しめそうです。


 なお、この後10日前後投稿を休みます。7月5日以降にまたご覧下さるようお願い申
し上げます





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続カタツムリ歩行でJR市川大野駅の周辺を歩く(千葉)

2017-06-24 21:50:14 | カタツムリ歩行
 2017年6月18日(日)

 午後は雨の予報だが、「続カタツムリ歩行」の第45回例会に参加した。集合はJR武
蔵野線の市川大野駅。私はこの駅に下りたのは初めて。Iさんも来られたので、一緒に
10時2分にスタートした。


 駅のすぐ南側、南に延びる市道とJR武蔵野線に挟まれた斜面林上の細い台地に、市川
市万葉植物園があったので入る。


 市川市は、古くは国府が置かれ国分寺も建立された由緒ある地。真間(まま)の手児奈
(てこな)の伝説も残されていることなどから、ゆかりの万葉植物園を開園したようだ。

 園内には、約155種類の植物を万葉時代の自然がしのばれるように構成し、万葉人の
文化に親しめるように万葉植物の栽培区を設けているという。


     
 植物の傍らには、各々万葉集に歌われたゆかりの歌のパネルもあり、それを読んで万葉
の人たちの暮らしなどをしのぶことも出来る。ゆっくり一巡してそれらの数々を観賞した。
     

     
        







       
      


                

    
    





    
 ほかのグループの人より先に入ったはずだが、時間をかけて見ているうちに次々に訪れ
た皆さんも去り、出たのは最後になり、もう10時50分近くになっていた。

      
 植物園のさくに沿って細い林間の道を南に進み、折り返すように回ってJR武蔵野線の
上を北東に進む。


 この辺りの民家は、どっしりした門構えの家や、広い庭に植栽が豊富な家などが目に付
き、花をきれいに植え込んだ家も多い。


     
 県道9号・船橋松戸線に出て、近くの浄光寺に入る。門前にイチョウなどの古木が枝を
広げ、大きな山門を入ると市川七福神の毘沙門天が立っていた。
        

 浄光寺は、平安時代に平将門(たいらのまさかど)がこの地に築城し、城内に毘沙門天
を安置するお堂としたのが起源とのこと。鎌倉時代には日蓮上人が近くの中山に来て、日
蓮宗に改宗したと伝えられているという。

 仁王門にある運慶作の「願満無乳仁王大力神」は市川市の重要文化財。お乳の病気(乳
がん)平癒や、子育て祈願として古来から信仰を集めているようだ。


 広い境内の正面にどっしりと本堂が構え、その前面両側には寺が経営する浄光寺幼稚園
の建物や遊具がたくさんあり、園児は伸び伸びと育てられそう。


 庫裡(くり)の前に、近くの5つの寺で集められる「カシワの守スタンプラリー」のリ
ーフレットがあったのでもらい、最初のスタンプを押す。

 県道を北へ、駅前からの通りとのT字路の北側には本光寺がある。

 本光寺は、日胤(にちいん)上人が正平16年(1361)に中山から閑居の地として
堂宇を創立し、中山法華寺から寺号許可を得ているという。


 境内は何やらきらびやかで、ほかの寺とは少し違う雰囲気がある。

     
 「本光寺の五行パワースポット巡り」の看板があり、木のスポット↑のほか、火、金、
土、水の各スポットがあるという。

 木のスポット「蘇りのご神木」は駐車場際に、火のスポット「不動明王は」と金のスポ
ット「金大古久天(きんだいこくてん)」は本堂に、土のスポット「慈愛之塔」は山門の
左手に、水のスポット「きずな之湧水」↓は駐車場内にあった。
           

     
 ほかに、動物供養塔や、100を超えていそうな各種の御札(おふだ)御守り、多彩な
絵馬、歴代上人をまつる御廟所(ごびようしょ)などが目に付いた。




 東側近くのT字路を南東へ、少し下って左手台地上の天満天神宮に上がった。ここも平
将門が天慶元年(938)に京都の北野神社を勧請(かんじょう)したと伝えられる古社。

 拝殿は屋根の切妻面にあり、ほかの神社と少し違う雰囲気。拝殿の前には、明治7年
(1874)に奉納された狛犬(こまいぬ)が並んでいる。
     
 背後の梅林に上がり、水分補給を兼ねて小休止した。

 鳥居下の道路をさら少し進む。次の十字路を左折してV字状に折り返し、住宅地をくね
くねと台地上に上がる。ゴールの大野町三丁目の三社宮には、11時55分に着いた。



 春日神社など3社を祭っているようで、鳥居の横には、わらじの下がる小さい石の祠
(ほこら)がある。
        


 西側の空き地で昼食後、記念撮影とミーティングをして、12時50分頃散会した。


 雲行きが怪しくなり雨が来そうだが、午後は作品展の案内をもらっているJR総武線の
市川駅前の図書館まで、歩いて向かうことにした。


 本光寺前に戻り、市川大野駅前を通過する。すぐ先左手の木々に覆われた斜面上にも、
三社宮があったので寄る。

 奈良の春日大社、愛知の熱田神宮、兵庫の野口神社のご神体を祭る社で、屋根を塗り替
えて間もないようで、朱塗りが色鮮やか。
    

 境内には、2つの力石(ちからいし)があった。


 大野町二丁目の交差点際には、鳥居はあるが社殿のない迎米(むかいごめ)馬頭観世音
がある。

 鳥居際には「帝釈天」と刻まれた天保13年(1842)銘の石塔が、ほかに正面に3
体、右手にも3体の石塔が並んでいた。
       

 700mほどで県道51号に合し、立体交差の県道180号の下を抜ける。次の菅谷交
差点で西側の曽谷一丁目の住宅地へ。


 家並みの中に加茂神社↑が祭られ、曽谷三丁目との境付近には安国寺があった。

 曽谷の領主、曽谷教信(そやきょうしん)が文応元年(1260)が館の傍らに立てた
ようだが、関係者以外は入山禁止だったので、門前からコンクリート造りらしい本堂を眺
めた。


 そばの十字路を左折してすぐ先は蓮正寺。本堂前にフジの古木があるが、由緒などを記
したものは無い。道路を挟んで七面大明神↓が小さい祠に祭られ、背後は池になっていた。


 雷鳴が気になっていたが、この辺りから降り出したので傘を差す。でも幸い、ゴールま
で本降りにはならずに済んだ。


 ユリなどきれいな鉢植えの並ぶ民家前を通過して百合台公園横に出た。曽谷三丁目と六
丁目との間を進み、右折して百合台小の東側を通過し、国分川(こくぶがわ)の橋を渡る。


 須和田一丁目で真間川沿いに進んだが、次の橋で建設中の東京外環道工事現場に行く手
を阻まれた。

 工事中のフェンス沿いに南下し、菅野六丁目と三丁目の間の市道で幅広い工事現場↓を
横断して西進する。


 交番のある交差点左折して南へ、市川真間駅の西側踏切を通過し、JR総武線の市川駅
北口に14時55分に着いた。

      
 南口に回り西側に立つ高層ビル、ザ タワーズ ウェスト3階にある市川市市川南口図書
館に入り、図書室の壁面に並ぶ、ご案内をいただいた「放浪のお絵描きおじさん 百田稔
(ももだみのる)作品展」を拝見する(撮影禁止)。
     

    
 ちなみに百田さんは、40年間勤めた鉄鋼会社を退社後の2004年に、旧東海道を
「ひとりで冒険お絵描き歩き旅」を始めた。以来、旧中山道、九州・四国一周、熊野古道
など12回の歩き旅をされ、歩いた日数は335日、距離は4,385㎞になるという。

 70歳になった昨年は、マイカーで北海道一周のお絵描き旅も完走し、今回はその総集
編の作品展である。

 私は、百田さんの作品展については「やまさん」から教えてもらい、これまでに市川真
間の相田みつをギャラリーで何度か拝見したので、見覚えのある作品もあった。

 自分で訪ねたり知っている場所もたくさん描かれていたが、書棚との間の狭い空間に展
示されていたので、見にくかったのが少し残念だった。ほぼ見終えた頃に、午後も回り残
した寺を巡ったIさんも電車で来られた。

 16時近くの上り総武・中央線各駅停車で帰路につく。

(天気 曇後雨、距離 2.5㎞+7㎞、地図(1/2.5万) 松戸(例会)、船橋
(午後)。歩行地 市川市、歩数 16,800)




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羽生市北西部、利根川右岸や葛西用水沿いを歩く(埼玉)

2017-06-21 11:52:33 | カントリーウオーク
 2017年6月11日(日)

 4日前に梅雨入りしたが雨の心配は無さそうな今日、カントリ-ウオークグループの第
244回例会に参加した。今回は私とMMさんの担当、集合は秩父鉄道の新郷(しんごう)
駅で、4組に分かれて10時5分にスタートした。

 
 == 上新郷を北に抜けて「道の駅はにゅう」へ ==

 商店のない閑散とした駅前を北へ、県道128号を横断して新郷一小前に出る。広い校
庭の西側には2基の大きな碑が校庭側を向いて立っていた。横からで読みにくいが慰霊碑
と忠魂碑のよう。


 碑の横から北西に少しで、法性寺がある。山門は近年の改築のようで新しい。





 門を入った右手に、手の届く高さだが横にくねくねと枝を伸ばした松の古木がある。自
然に伸びたとも思えぬ枝張りだが、人の手を加えたのだろうか…。


 墓地の間を抜けて西に回り、県道7号が90度曲がる交差点を西へ、今日は休業の造り
酒屋の前を通過して祥雲寺に入る。


 創建は慶長9年(1604)とされ、本尊の木造聖観音立像は寛文12年(1672)
に寄進されたとか、羽生市(はにゅうし)の指定文化財である。


 本堂前には新しい「ぴんころ地蔵」があり、祈ると長生きし(ぴんぴん)大往生(ころ)
するというので、手を合わせて祈った。
        

 東側に隣接して大きな円筒タンクが2つ立ち、横に「もろ味」と書かれた小さいタンク
がある。大きいタンクも味噌か醤油のもろみが入っているのかもしれない。


 そばのハギがもう花を見せていた。



 北に少しで住宅地の西に出ると、30㎝前後に延びた水田が広がる。小さい流れ沿いか
ら県道59号に回り、愛宕神社前交差点際にあるその愛宕神社境内へ。
     
 幾つか社殿があり、どれが愛宕神社か迷ったが、交差点側の盛土上に祭られていた。

 交差点から北に延びる県道7号の西側歩道沿いに松並木が続き、中ほどに「勘兵衛松」
の石碑が立っていた。

 この通りは、中山道鴻巣宿から分かれて忍(おし)(行田市)を通り、上新郷、川俣関
所を経て館林、佐野方面に至る日光脇往還(日光裏街道)で、寛永5年(1628)に徳
川家光の日光社参の折、忍城主が家臣の勘兵衛に命じて植えさせた松が続いていたという。

 明治8年(1875)には69本あったようだが現在は1本だけ残り、あとは近年に植
えたものらしい。でも、県の天然記念物に指定されている。


 流路いっぱいに水をたたえた葛西(かさい)用水沿いを西へ、次の橋を渡り田んぼの中
の農道を北進する。

    
 路傍のトラノオが開花し始めていた。そばの麦畑はもう収穫期である。
 


 田んぼでえさを探すサギを見ながら進んで葛西用水の分流を渡り、少し迂回して利根川
右岸堤防下にポツンと祭られた白山(はくさん)神社に行く。




      
 拝殿の周囲はよく茂ったケヤキが3本だけで、その前に最近完成したばかりの新しい社
殿がある。ケヤキの下で暑さを避けて小休止、吹き抜ける風が気持ちよい。


     
 背後の利根川右岸堤防に上がり、アシの茂る河川敷やその向こうの流れ、対岸の群馬県
明和町周辺の広大な展望などを楽しみながら国道122号の昭和橋際まで行く。




 他のグループの3人も、堤防下のあぜ道を同じ方向に向かっていた。


 橋の手前は県指定旧跡で、「川俣関所址」碑が立っている。川俣関所は慶長年間
(1596~1615)に設けられ、明治2年(1869)までの約260年間続いたら
しい。
         
 江戸に人質になっている諸大名の夫人の脱出を防ぎ、江戸の安全を図るため鉄砲の入る
のを厳しく取り締まったという。

 国道を横断して東側にある昼食地の「道の駅はにゅう」に入り、建物左手にある情報ス
ペースの内外で昼食をする。



 道の駅の物産販売施設(売店)では、地元羽生市内や近隣の市町などの農水産物やその
加工品、菓子や飲み物などを販売しており、小さいレストランもある。


 情報スペースの北側広場も県指定旧跡で、「川俣締切阯」碑が立っていた。

 川俣締切とは、それまで分流していた利根川流路のうち、会の川(あいのかわ)筋を江
戸開府前の文禄3年(1594)に締め切ったとのこと。

 近世以前の利根川は武蔵・下総国境を南へ、東京湾に注いでおり、千葉・茨城県境を東
進する現在の流路は、利根川東遷事業と呼ぶ大規模な流路変更と河川改修により付け替え
られたものである。

 「川俣締切阯」碑の横には、新しい「羽生の作詞家 関口義明先生の顕彰碑」がある。

 碑の前のボタンを押すと関口義明作詞、新井英一作曲、井沢八郎が歌う「ああ上野駅」
のメロディが流れる。来訪者が次々に押すので、昼食中に10回近くも聞いただろうか…。

 昼食を終えて物産販売施設で買い物をしたりして、ミーティング後、13時10分に出
発した。

 == 利根川右岸から葛西用水沿いに ==

 利根川右岸堤防をさらに東へ、間もなく利根川河口から150㎞地点の標識があったの
で、記念撮影をする。



 好天で日差しが一杯だが堤防上は風爽やか。ときどき通過するサイクリストに注意し、
広々とした展望を楽しみながら進む。


 東武伊勢崎線の鉄橋下を通過し、近くの葛西用水公園に下り休憩した。




 公園の堤防際には「葛西用水元圦(もといり)跡之碑」がある。葛西用水は、県内の見
沼代用水、愛知県西三河地方の明治用水とともに日本三大用水と称され、万治3年(1660)
に関東郡代 伊奈忠克により開削されたもの。

 昭和43年(1968)に埼玉用水完成に至るまでの308年間通水し、穀倉地帯を潤
し、羽生市の治水にも極めて大きな関係があり、市の史跡になっている。


 公園の池の北端には、用水路の取水口であったレンガ積みのアーチが残され、池にはヒ
シがたくさん葉を見せてていた。
    

 上流5㎞ほどの利根大堰から取水された、埼玉用水からの豊富な流れを見せる葛西用水
沿いの車道を南東に少しで、本川俣集落の長良神社へ。拝殿の左手前に大きなイチョウは
あるが、ほかに樹木は少ない。


 境内西側に羽生市指定文化財の、「松平大和守(まつだいらやまとのかみ)生祠(せい
し)」と呼ぶ小さい石の祠(ほこら)がある。生祠とは、領主の徳を称えるために領主の
生存中に領民がまつったもの。
      

           
 当地は天明6年(1786)7月に起きた竜蔵堤の決壊や、寛政3年(1791)8月
の再決壊による水害に見舞われたが、領民の窮状を知った松平大和守直恒は、食料を与え
租税も5年間免じている。この恩に報いようと領民や年寄、名主などが寛政6年(1794)
に建立したという。

        
 そばのサワラにたくさんの実が付いていた。その先、川俣小近くの民家には、大きなサ
ボテンが花を見せていた。
       


 次の橋で左岸から右岸に回り、さらに用水沿いを進む。住宅が増えて県道60号を横断
し、すぐ先の橋を渡り、拝殿の横から大天白(だいてんぱく)神社境内に入る。

 弘治3年(1557)、羽生城主木戸伊豆守忠朝の夫人が安産祈願に創建したと伝えら
れ、以後安産、子育ての神として信仰されているようだ。
    

 この境内には、下総(しもうさ)佐倉藩の藩主、堀田相模守生祠がある。相模守正順
(まさより)は宝暦3年(1753)に藩主になり、寺社奉行、大坂城代、京都所司代な
ど幕府要職を16年も務めた大名で、45年間にわたり藩政を行ったという。
         
 佐倉藩は遠隔な飛地が多く、当地は宝暦13年(1763)に佐倉藩の領地となり、こ
の生祠は明和8年(1771)に領主崇拝のあらわれとして建立され、その後の利根川の
氾濫にもかかわらず現在まで残っていたようだ。


 境内に接した南側一帯は大天白公園で、池の周りに古木のフジが60本以上も藤棚に枝
を伸ばし、花の見頃な4月下旬~5月上旬には藤まつりが開催されている。



 公園を南に抜けて近くの清光寺に行く。山門、本堂、鐘楼など昨年11月に再建された
ばかりで、白木が真新しい。


 鐘楼のそばに、清水卯三郎の墓がある。清水卯三郎は、文政12年(1829)に現在
の羽生市中央町に生まれ、薩英戦争では通訳として薩摩藩とイギリスとの和平交渉に奔走
した。

 その後パリ万国博(1867)には商人でただ一人使節団に加わり、美術工芸品などを
出品して日本の名を世界に広め、帰国後は明治政府に日本での万国博開催を訴える建白書
を明治政府に出すなど、商人ながら常に世界に目を向け、わが国の文化振興、発展に貢献
した人だという。
         
 一方、国民への知識の普及をはかるため分かりやすい平仮名表記を唱えたかな文字論者
で、墓碑の文字は直筆によるものらしい。

 参道を南へ、県道60号を横断して市街地の中央部を南進する。通りには、昭和を思わ
せる民家や商家が幾つか目に付いた。



 駅に通じる通りを横断し、東側から最後のポイント、建福寺に入る。大きな山門も本堂
もコンクリート造りながら豪壮な構え。


 まずは本堂内に入って参拝する。天井は、植物文様をデザインした格天井になっていた。


 墓地の南側には、市の史跡「田舎教師の墓」がある。田山花袋(たやまかたい)の名作
「田舎教師」の主人公、林清三こと小林修三の墓で、明治34年(1901)に熊谷中を
卒業して市内東部の弥勒(みろく)小に奉職し、間もなくここ建福寺に下宿して6㎞の田
舎道を通ったという。
         

 境内の東屋(あずまや)で小休止後、北側の駅前通りに出て左にすぐ、ゴールの東武伊
勢崎線と秩父鉄道の羽生駅に15時37分に着いた。


(参加 14人、天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 加須、館林、歩行地
 羽生市、歩数 18,800)


 今回は市内の2つ神社で「生祠」というものを初めて知った。市内にはほかにも、城主
や旗本をまつった5つの生祠があるという。

 カントリーウオークを始めて25年目、県内を初め国内のたくさんの寺社を訪ねている
が、生祠という言葉は知らなかった。だが帰宅後調べたら「広辞苑」にも記されていた。

 歩いてみると、まだまだ新しい発見が期待できるかもしれない。




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続カタツムリ歩行で北総鉄道の大町駅周辺を巡る(千葉)

2017-06-19 18:02:54 | カタツムリ歩行
 すでに次の例会にも参加しており、1か月近く日にちの経過してしまったレポートです。

========================================

 2017年5月21日(日)

 快晴となった今日は、「続カタツムリ歩行」の第44回例会に参加した。集合は北総鉄
道の大町駅で、9時53分にスタートした。


 南西に延びる国道464号を少しで、りっぱな長屋門を構える民家があった。

 周辺には実のふくらんできたナシ畑が多く、直売する梨園の看板も幾つかみられる。こ
のお宅もそのひとつかもしれない。


 すぐ先のY字路を左へ、近くの看板の横からうっそうとした樹林を谷間に下ると、大町
公園である。

 下った谷間に湧水があり、南に向かう谷間の湿地を潤し、両側は豊富な斜面林に覆われ
ていて、周辺のナシ畑などからは想像できない緑がいっぱいの空間が広がっていた。
     

 あちこち咲く、野生のキショウブが見頃である。




     
    





 オニグルミだろうか、実がかなりふくらんでいる。


         湿地の水たまりには、オタマジャクシが見えた。
        



 標識に従い、左手斜面を上がると観賞植物園があり、大きな温室が設けられていたので
入ってみた。



 約200種の熱帯植物や約150のサボテンなどが植えられているようで、5日前に行
った新宿御苑の熱帯植物園ほどではないが、これだけの規模のものが市営で運営されてい
るところは珍しいのではなかろうか…

     

           たくさんあったランの一部  
          

 2月上旬に奄美大島の熱帯林で見た、ヒカゲヘゴに似た木のよう。 


    

        

             新宿御苑でも見たサンゴノホタン
            



    

        

              ウツボカズラの1種 ネペンテス            
             

     メキシコ原産のフェロカクツス・ポトシー
    

           固いトゲが痛そうな金鯱(キンシャチ)         
           

      

 湿原の遊歩道に戻り、さらに先に進む。




 公園の中心部付近にはバラ園があり、ちょうど花が見頃で咲き競っていた。




    







          



    







 バラ園の東側には、細いがきれいな流れがある。


 振り返り見るバラ園。


 バラ園の南側は池が広がり、穏やかななたたずまいを見せている。




 池の南端から遊歩道は東南に向きを変えて公園の南口に向かう。樹林下のカルミヤが開
花していた。
    





 モミジの若葉
 

 南口を出て300mほどのT字路を右折して西方へ、この通りにも梨園を経営する個人
の大きな建物が幾つか見られた。



 市川市動植物園入口前に出て、その先のT字路を右折して梨園沿いに少年自然の家の方
向に進む。


    


 突き当たりのT字路際が少年自然の家↑、大町自然公園の西側になる。そのT字路を左
折して北西に向かい、豊富な木々の間の細道をゴールに向かう。
     

 木々が途切れた右手にも、大規模な梨園らしい民家の入口があった。



 ゴールの日枝神社には、12時2分に着いた。


 昼食を済ませ、記念撮影とミーティングをして、13時頃散会となる。


 帰路は一人で、前回4月のこの歩きのスタート地、東松戸駅に向かうことにした。

 「大町梨街道」と呼ぶ国道464号を南西に進む。両側に並ぶ大町集落の多くが梨園で、
「大重園」「大高園」などの看板が続き、民家の背後には大規模なナシ畑が広がる。


 大きな長屋門の残る民家。


 うっそうとした屋敷林を持つ「宇佐美角右衛門梨園」の入口。


 大町梨街道を1㎞ほど進み、地蔵堂の立つT字路を右折して北西にある駅方向へ。防風
林だろうか、ネギ畑の向こうにりっぱな広葉樹の並木が続いていた。


 先月来たときには、花が散って間もなかった伝法寺のシダレザクラは、すっかり緑に覆
われていた。


     

 門前のお宅に咲く花。
 

 私の午後のゴール、JR武蔵野線と北総鉄道の東松戸駅には、13時55分に着いた。
 

 (天気 快晴、距離 3.8㎞+2.6㎞、地図(1/2.5万) 松戸、歩行地
  市川市、松戸市、歩数 13,600)


 この日、群馬県館林市では35℃の真夏日を記録し、市川市も29℃くらいかと思われ、
午後はこの時期としては季節を先取りした暑さだった。





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春の北陸路3都市めぐり③ 富山市内を自転車で(富山)

2017-06-14 12:45:32 | 国内旅行
 2017年5月19日(金)

 今朝は雲ひとつない快晴である。宿泊した新高岡駅前のビジネスホテルを8時10分に
出て、新高岡駅8時37分発北陸新幹線上り はくたか556号に乗る。


 次の富山駅には、わずか9分後の8時46分に着いた。




 今日も貸し自転車を利用して市内を回ることにして、観光案内所で申し込み方法を聞く。
最寄りの申込所、南口の富山地鉄ホテル2階フロントで申し込み、利用方法などの説明を
受けて鍵を借りる。

 駅前の駐輪場に行ったら、自転車はママチャリ形とはいえ特注のガッシリした造りで重
そう。体力の落ちた連れ合いは、スタンドを建てるのも大変という代物だ。


 とりあえず駅前から、セントラム(市内電車環状線)の走る通りを南下して、県庁前公
園の駐輪場へ。ところがここで、駐輪用のラックに取り付けるのにひと苦労する。駐輪は、
当然スタンドを立てるものとして立てたが、うまくラックに入らない。力を掛けてなんと
か納めることができたが、何とも扱いにくい自転車だ。


 今日最初の目的地は、県庁前公園から西に200mほどの「高志(こし)の国文学館」
で開催中の、『大伴家持生誕1300年記念企画展「官人(つかさびと) 大伴家持」』
で、10時頃入館した(500円)。
          

 ちなみに「高志」とは、古く「越(こし)」と読んだ北陸地方の総称で、古事記に記さ
れているのが「高志」で、後に越前、越中、越後国に分割され、現在の福井、石川、富山、
新潟県にあたり、大伴家持が越中国主だった時期は、能登は越中国に併合されていたのだ
という。

 富山県は、万葉歌人・大伴家持(おおとものやかもち)が223首もの歌を詠(よ)ん
だ越中万葉ゆかりの地。堀田前衛や源氏鶏太、角川源義などの作家を輩出し、宮本輝「蛍
川」、新田次郎「剱岳 点の記」など富山を舞台にした作品も多く、滝田洋二郎や藤子・
F・不二雄など、映画や漫画ゆかりの人も生んでいる。

 高志の国文学館は、これら富山ゆかりの作家や作品の魅力を発信し、「ふるさと文学」
に親しむなどの目的で開館したという。

 大伴家持は、日本最古歌集「万葉集」の編さんに深く関わったとされ、奈良に都のあっ
た時代に貴族の嫡流として718年に生まれた。

 大伴氏は天皇の護衛にあたり活躍した祖先伝承をもち、家持は奈良時代を代表する歌人
であるとともに政治に携わり、波乱の歴史を生きたひとりの官人だったという。

 大伴家持は746年に越中守(国司)に任命され、751年までの5年間務めている。

 この企画展では、家持が赴任した各地の博物館などが所蔵する貴重な資料を一堂に展覧
し、困難な時代を懸命に生きた良心の叫びともいえる数々の歌とともに、官人家持の実像
を紹介するという。

 館内は撮影禁止なので、リーフレット記載の写真で、その一端を紹介する。


    

          

    

 企画展を1時間半ほどかけてゆっくり観覧し、常設展示室での富山ゆかりの文学の紹介
や、ゆかりの作家の直筆原稿、「知の蓄積」と呼ぶ関連書籍が埋め尽くされた壁面などを
観覧した。

 ライブラリーコーナーに、無料配布の小冊子2つがあったのでもらう。
     

           


 こちらはライブラリーコーナーと外の眺め。



 その後館外に出て「万葉の庭」と呼ぶ庭園を一巡し、ヤマボウシやエゴノキなどの咲く
気持ちよい新緑下の散策を楽しんだ。
    

        

 12時半頃、高志の国文学館を後にした。

 県庁前公園に戻る途中、右手にガラス張りの奇怪なビルが見えた。回ってみたら、県の
福祉関連の団体が入る建物だった。


 県庁前交差点を横断して、富山県庁と県庁前公園の間を進む。県庁前公園の南西端近く
に、標高7.8mの三角点があった。
    


 噴水の上がる公園内を通過してふり返ると、北日本新聞社の大きなビルが望まれる。


 公園内には「お野立所」の標石もあり、「大正13年(1924)秋、摂政宮だった昭
和天皇が、ここで県下の児童らの体操や運動競技をご覧になった」ことなどが記されてい
た。


 13時が近いので食堂はないかと探しながら県庁正門前を通過して、公園に接するNH
K富山放送局に入る。軽食の場所はあったが物足りないので出た。



 県庁↑の東側には富山市役所庁舎↓があり、展望塔に上がるのも目的のひとつ。1階外
に小さな食堂があったがここもメニューはいまひとつ。先に展望塔に行くことにして専用
エレベーターで上がった。


 地上から約70m、ガラス張りの展望塔からは快晴の青空の下に富山市街が360度の
大展望である。

          NHK富山放送会館

              横に細長いのが富山駅



          手前は県民会館、その向こうは県庁 

 そして東から東南には、残雪の立山連峰の長大な眺めが広がる。

   パノラマ左


                パノラマ中


                             パノラマ右

                
      剱岳      剣御前 別山  大汝山 雄山  浄土山 (パノラマ中左)
      2999m      2777m 2880m 3015m 3003m 2831m    



 眼下には県庁前公園や、午後訪ねる予定の富山城址公園↑の緑の一角も見下ろせる。し
ばらくの間、雄大な展望を楽しんだ。


 13時半頃市役所を出て南に向かい、松川の橋を渡る。


 食事処を探しながら進むと、富山城址公園の東側の小さいビルに、名古屋コーチンの店
という「酒彩 十六夜(いざよい)」という店があった。これ幸いと入り、地魚の刺身定食
(800円)を注文して遅い昼食を済ませた。
    

 道路の向こう、城址公園に入ろうとしたが両側の信号まで少し離れている。車が途切れ
るタイミングで車道を横断して、石垣の間から公園に入った。


 すぐ先右側は富山市佐藤記念美術館。もう一つ城址公園内にある、富山市郷土博物館と
の共通券(310円)を求めて入館する。

 佐藤記念美術館は、昭和32年(1957)に県内砺波市(となみし)出身の実業家・
佐藤助九郎氏を中心に、同社創業100周年記念に建設したもの。

 平成14年(2002)に富山市に寄贈され、富山市佐藤記念美術館と改名したという。




 県内から移設された柳汀庵(りゅうていあん)と呼ぶ茶室や、助庵と呼ぶ和室を観覧後、
二つの展示室での企画展「富山ゆかりの絵画・工芸品」で、日本画、茶器、貝細工、蒔絵
などの作品を観覧した。


 ガラス張りのロビーからは、日本庭園や郷土博物館になっている富山城天守閣どが望ま
れる。ロビーにも幾つかの展示物があった。




       

 美術館と博物館を挟む一帯は富山城の本丸跡。日本庭園や本丸亭↓と呼ぶ茶室などを眺
めながら西側の西の丸方面に向かう。


 西の丸の北側には、富山藩第2代藩主、前田正甫(まさとし)像が立っていた。前田正
甫は文武の振興を図り、新田開発や産業育成など藩政の充実に注力し、富山売薬の基礎を
築いた人物としても有名とか。
     
 立像は昭和29年(1954)に高岡鋳芸社により造られ、台石を合わせた高さは約10
mになるという。

          近くには、やはり大きな「殉職警防団員乃碑」もある。、
          


 本丸の南側に回り、石垣の横から富山市郷土博物館に行く。建物は昭和29年に開催さ
れた富山産業大博覧会の記念に、恒久建造物として建設されたとのこと。

 旧本丸鉄門(くろがねもん)の石垣上に建てられた鉄筋コンクリート造りで、望楼を乗
せた三重四階の天守、二重二階の小天守など城郭の意匠でまとめられていて、戦後の天守
閣建設のさきがけとなったものらしい。

 郷土博物館は中心市街地のランドマークとして市民に親しまれ、近年には耐震改修工事
も行われ、平成16年(2004)に国の登録有形文化勢に登録されている。

 共通券で入館し、富山城の築城から明治以降の城郭の変遷まで、400年以上にわたる
歴史資料などを一巡して観覧した。

       織田信長の黒印状

       
        前田利長の兜(かぶと)

 企画展示室では、現在の広告チラシにあたる、明治時代の「引札(ひきふだ)」の数々
が展示されていた。



 4階の天守展望台に上がると周辺が展望できるというので階段を上がったが、周囲を金
網で覆われていて写真撮影には向かない。市役所の展望塔のような高さも無いので、立山
連峰もビルの間にわずかしか望めなかった。



 15時半過ぎに富山市郷土博物館を出た。北側の佐藤記念美術館↑、周辺の緑や池など
を見ながら進み、もう一度郷土博物館を振り返り、東側の千歳御門から公園を出た。




 近くにあった貸し自転車のステーション(駐輪場)から別の自転車を借りて、セントラ
ムの走る通りを駅前まで乗る。


 駅前のステーションで、ラックに戻すのにまたひと苦労する。いくら力を入れてもうま
くセットできない。ふと横の自転車を見たらなんと、スタンドは立てないでセットしてあ
った。

 自分の自転車同様、自転車はスタンドを立てて駐車するものとばかり思っていたのだが、
ここは違うのだ。受付時に注意するとともに説明書にも記して欲しいものだ。

 駅構内に戻り、預けて置いた荷物をコインロッカーから出す。構内の売店で少しの土産
物と夕食の弁当などを求めて改札を入る。

 富山駅17時6分発北陸新幹線上り東京行き、かがやき512号の指定席に乗り帰途に
ついた。


 駅を出て間もなく、右手に立山連峰が望まれる。しばらくその展望を楽しみ、間もなく
長いトンネルに入る。





 トンネルの合間には、白馬連峰北部や妙高山周辺らしい山並みも望まれた。


 次の停車駅長野から大宮まではノンストップで1時間足らず、大宮駅に18時54分に
着き、自宅には20時30分過ぎに戻った。

(天気 快晴、地図 富山市観光ガイドマップ)


 なお、この日訪れた「高志の国文学館」には、10日後の5月29日(月)、前日の富
山県魚津市での植樹祭のために来県された、天皇・皇后両陛下も来館し観覧されている。




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東村山 北山公園の花菖蒲苑へ(東京)

2017-06-12 18:30:01 | Weblog
 2017年6月12日(月)

 毎年のようにこの時期に訪ねている東村山市の北山公園菖蒲園、市のサイトで昨日の開
花状況は「見頃です」となっていたので、午前中に出かけました。

 わが家から歩くと1時間余りの道のりで、11時前に西側の北山小の方から北山公園に
入りました。





 
 ざっと見たところ見頃を過ぎた花もありますが、まだ見頃の花がたくさん残っています。






    



       

    

 月曜日ながら、地元や近くと思われる人が、たくさん観賞に来ていました。








       

 菖蒲園の北側、西武鉄道西武園線の線路際にはアジサイも増やしていて、ほとんどの花
が開花しています。




    



    

 もう少し東側にも回ってみましょう。


    

       

           

     



       

 カメラ派に比べて、スマートフォンで撮っている人の方がかなり多く、時代の変化を感
じます。






    





 東側にある小さい池では、スイレンが見頃に。




    

 東端近くにいつも咲く黄色い花菖蒲。



 40分ほどで一巡して、北山公園の菖蒲園を後にしました。

 帰路は、東京・埼玉都県境の八国山緑地の東端近くを回り、観賞と往復で約3時間余り、
約9㎞のウオーキングでした。
 



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渡良瀬川を渡り、古河公方ゆかりの古河市内を歩く(埼玉・茨城)

2017-06-07 21:38:15 | カントリーウオーク
 春の北陸路③とその2日後に参加した続カタツムリ歩行のレポートがまだアップできま
せんが、次の例会が迫ってきたカントリーウオークグループの5月例会の模様を先に報告
します。

========================================

 2017年5月28日(日)

 埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの、第243回例会に参加した。集
合は東武日光線の新古河(しんこが)駅で、4組のグループに分かれて10時15に東口
を出発した。

 
 == 三国橋を渡って古河総合公園へ ==

 東武線と渡良瀬川(わたらせがわ)右岸堤防に挟まれた狭い道を南に少しで、向古河鷲
神社へ。利根川の氾濫に備えてか、社殿は少しの盛土上にある。



 渡良瀬川の堤防に上がって折り返し、埼玉・茨城県境の三国橋↑を渡る。河川敷は広く、
沸き立つ雲の下に渡良瀬川はゆうようと流れ、緑と青空の展望が気持ちよい。
     



 橋を渡り終え、橋際の国交省利根川上流河川事務所横を走る日光街道の細い旧道を少し
進む。事務所前には、70年前の昭和22年(1947)9月のカスリーン台風の記憶を
呼び戻す、写真入りパネルが掲示されていた。


 近くの民家際に「史跡古河城桜門址」碑が立ち、道路を挟む北側のI家には、塀まで届
くような大きなかめが放置されていた。



 渡良瀬川の左岸堤防に上がり、正面に新三国橋を見ながら南下する。橋から500mほ
どで「古河城本丸跡」の説明パネルがあり、堤防から堤内の総合運動公園一帯の草地が本
丸だったと分かる。


 ちなみに古河城は、古河公方(こがくぼう)足利成氏(あしかがしげうじ)が康正元年
(1455)に古河に移り整備拡張し、一応の完成をみたのは土井利勝が本丸御三階櫓
(ごさんがいやぐら)を造営した寛永12年(1635)のことという。

 明治7年(1874)、前年発効された廃城令によりすべて取り壊され、明治43年
(1910)からの渡良瀬川改修工事により、二の丸、本丸、三の丸、東西の帯郭(おび
くるわ)なども失われたようだ。

 新三国橋の下を抜けて300mほど進み、クリーンセンターの先で堤防を下りた。クリ
ーンセンターの大煙突上部には金属の装飾が取り付けられ、夜間は下部の照明により光り
輝くのではないかと思われた。
     

 その南側、「松月院御所塚(しょうげついんごしょづか)」と呼ぶ市の史跡周辺は松月
院公園。塚には2基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、そのひとつは5代足利公
方義氏(よしうじ)の孫、義親(よしちか)の妻となった松月院の墓塔と推定されている
という。


  

 わずかに残る水田の間を東へ、古河公方公園(古河総合公園)の西北側、牧の入口から
公園に入る。

 広大な公園は面積は約25㏊あり、四季折々に美しい花が咲くようだが、中でも公園全
体に咲くハナモモで知られ、毎年3月下旬~4月上旬には「桃まつり」が開催されている。


 北側、花菖蒲田に続く池にはコウホネが咲き初め、たくさんのスイレンが清楚な花を競
っていた。
    




 ツツジの咲き残る坂を上がると若葉あふれるハナモノの桃林で、実がかなりふくらんで
いる。


    

 若木のハナモノの間を南西へ、カシなどに覆われた「徳源院跡」の木の下に、茨城県史
跡の「古河公方足利義氏墓所」があり、3基の宝篋印塔が残っていた。
       


 帯状に整備したツジの植え込みに覆われた富士見塚に上がったが、富士山の方向には木
々が伸びていて見えそうにない。


 南側の池を見下ろすと、池の中の東屋(あずまや)に先着のメンバーが見える。管理棟
の横を進んで池の南側から回り込み、昼食地の東屋に12時ちょうどに着いた。


 昼食後、公園内を自由に回る時間があったので、まずは南側の緩斜面を上がり民家園に
行く。ここには県指定文化財の旧中山家と、国指定重要文化財の旧飛田家とが移設されて
いる。


 旧中山家は県内坂東市(ばんどうし)からの移築で、猿島(さしま)地方に多い直屋
(すぐや)といわれる形式の大型農家。延宝2年(1674)に建てられた可能性が高い
という。
        
 土間にはかまどや農機具があり、土間横の部屋には大型の機織り機が残る。


 曲がった丸木を組み合わせた天井の梁の巧みさに、大工の確かな腕前がしのばれた。



 旧飛田家は、茨城県常陸太田市(旧金砂郷村(かなさごうむら))にあったもの。18
世紀後半の建立と推測され、常陸地方によくみられる曲り屋で、茨城県下の曲り屋形式の
農家でも最も古いものとされているようだ。





 民家園から南西に下ると、緑に囲まれた御所沼の南端辺り。三方を御所沼に囲まれた広
葉樹林は「公方様の森」と呼ばれ、鎌倉公方足利成氏(しげうじ)が1455年に移り住
んだ館跡で、以降「古河公方」と呼ばれるようになったという。



 民家園と公方様の森の接するところには、「史跡古河公方館址」碑が立っていた。公方
様の森の一部も散策して昼食地に戻る。


 ミーティングをして、13時15分に昼食地の東屋を出た。

 == 古河の中心街を巡る ==

 管理棟の横から北東へ、ハナモノの林を抜けた台地上の虚空蔵堂(こくぞうどう)↓に
立ち寄り参拝し、隣接する子安地蔵の横から公園を出て北東に向かう。


 新三国橋に通じる国道354号を横断してさらに北東へと進み、原町を通過して県道
261号・日光街道へ。古河台町郵便局の先の浄善寺に入り、緑陰で小休止した。


 境内には、市の名木古木で推定樹齢350年、樹高22m、幹回り3.6mのイチョウ
の古木が高く枝を伸ばし、本堂前には格好良い植え込みと手押しポンプ井戸があった。
     

 南からの広い市道に合したところに「日光街道古河宿」と記された木製の灯ろうがあり、
「この辺りは江戸時代に5㎞ほど松並木が整然と続き、美しい景観だった」ことなどが記
されていた。
     

 次の「日本三長谷観音参道」碑の立つT字路で日光街道に分かれ、西への細道へ。すぐ
先の道路際に、市の名木古木で推定樹齢100年、樹高19m、市内最大というカエデが
高く枝を伸ばして立っていた。
          

 小さい十字路を南に少しで、足腰の神様という子(ね)ノ権現神社があり、小さな社殿
の横にわらじが幾つか奉納されていた。


 次のT字路の北側が、日本三長谷観音のひとつの長谷観音。明応年間(1492~
1500)、初代古河公方成氏が鎌倉の長谷観音から勧請(かんじょう)した、木造十一
面観音像が祭られているという。


 観音堂の横を北へ、すぐ先を右折すると緑豊富な一角となり、道路を挟んで古河歴史博
物館と鷹見泉石(たかみせんせき)記念館がある。



 鷹見泉石記念館は、古河藩が藩士たちのために用意した武家屋敷のひとつ。隠居後に、
蘭学にいそしんだ鷹見泉石が最晩年を送った家とのこと。長屋門を入って記念館内や庭園
を観覧した。




 鍵の手状に北北東に進み、古河文学館前を経て古河一小の校門前へ。校門と塀は歴史を
感じさせる赤レンガ造り。以前は何に使われていたのだろうか…。


 北側の通りの角は古河街角(まちかど)美術館。短時間ながら入館し、昨年の茨城県美
術展の古河市出品者作品展などの展示を見た。


 近くには古河文学館の別館として、作家「永井路子(ながいみちこ)旧宅」が公開され
ていたので、ここにも少しの時間だけ入り観覧する。



 西へ少しで、中央町一丁目の正定寺(しょうていじ)へ。古河藩主土井利勝が開いた寺
で、本堂裏手の墓地には、土井家累代の墓が仕切られることもなく並んでいた。


 スタート直後に渡った三国橋の北側、渡良瀬川左岸堤防際の永井寺にも寄る。桜並木の
参道を入ると、堂々たる本堂が構え立つ。

 永井寺は寛永3年(1626)に、当時の古河城主・永井直勝が開基したとのこと。墓
地には、直勝や幕末の書家・小山霞外の墓があるという。


 境内右手から背後に回り、再び渡良瀬川左岸堤防に上がる。堤内(河川敷)には古川ゴ
ルフリンクスが広がり、堤防際堤外には ユニークな建物のクラブハウス、古川リバーサ
イドクラブが目に付く。


 そのクラブハウスを背にした堤防上に、渡良瀬川上流からの公害問題に立ち上がった
「田中正造翁遺徳乃賛碑」が立っていた。


 北側の雀神社横の堤防上には、万葉集で歌われた東歌の中で、古河の地名を含む2首の
歌碑を刻んだ「万葉古河の歌碑」がある。
     


 歌碑の横の急階段を下り雀神社境内へ。うっそうとした鎮守の森の木の上の、ミミズク
を狙って望遠レンズで狙うカメラマンがいた。教えてもらった木の上を見上げたら、確か
にミミズクらしいのを確認できた。
     

 雀神社は、貞観年間(859~76)に出雲大社から勧請したものといわれ、古河公方
足利成氏をはじめ、歴代の古河藩主や徳川将軍家の崇敬も厚く、朱印地15石を賜ったと
いう。

 境内を東に抜けて北へ、宮前町で桜並木の続く通りを東側の横山町三丁目まで進む。北
側の本性寺に入ったが、本堂は改修中だった。


 長い境内を東側の県道261号・日光街道に抜けて南下する。

 通りには、蔵造りや千本格子などの古い建造物が何棟か目に付き、国の登録有形文化財
の商家もある。


 国登録有形文化財の武蔵屋(うなぎ料理店)。



 ゴールのJR宇都宮線古河駅西口には16時38分に着き、駅前で記念撮影をして散会
した。

(参加 13人、天気 晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 古河、歩行地 埼玉  
 県加須市、茨城県古河市、歩数 24,500)




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春の北陸路3都市めぐり② 高岡市内を徒歩と自転車、路面電車で(富山)(後半)

2017-06-05 18:13:12 | 国内旅行
 2017年5月18日(木)
 == 高岡市内を徒歩と自転車、万葉線電車で巡る(後半) ==

 40分ほど観覧して、15時近くに高岡御車山会館を出た。正面の富山銀行の建物は、
東京駅を設計した辰野金吾の監修で大正3年(1914)に建てられ、土蔵造りの街並み
に溶け込んでいる。







 一帯は商都高岡を支えた職人たちの町のようで、明治33年(1900)の大火以降に
土蔵造りの建物が造られたという。




 土蔵造りの町並みが尽きた交差点の東南側、NTTビルの敷地内に「大橋八郎先生」と
記された胸像と「春風や 安住の地の 故郷あり  越央子」の句碑があった。
     
 大橋八郎は明治18年(1885)当地本町に生まれ、岡田内閣の法制局長官、林内閣
の内閣書記官長の後、NHK第4代会長として終戦時の玉音放送に携わり、電電公社第2
代総裁として戦後の通信事業近代化に貢献するなど多くの業績を残すとともに、越央子の
号で俳諧でも高名をはせた人だったという。

 大橋さんが電電公社総裁だったことは知っていたが、ほかのことは帰宅後調べてみてそ
うだったんだと思い返した。


 その交差点を右折して西北に少しで日蓮宗大法寺があり、さらに西北に進み千保川(せ
んぼがわ)の横田橋を渡る。



 近くから東北に延びる細い通りは、「金屋町(かなやまち)重要伝統的建造物群保存地
区」に指定されていて、千本格子(せんぼんごうし)の家並みが続いている。



 金屋町は、今日の高岡の地場産業の基礎を築いた高岡鋳物発祥の地で、400年の伝統
が息づく町並みは、よく映画やテレビの舞台にもなっているようだ。


 駅に通じる昭和通りに出て千保川の鳳鳴橋を渡る。橋の中央には名の通り羽ばたく鳳凰
像があった。



 こちらまで土蔵造りの町並みの続く山町筋を横断して末広坂にかかると、万葉線と呼ぶ
市街電車がやってきた。


 15時50分頃高岡駅古城公園口に戻り、自転車を駐輪場に戻して観光案内所に鍵を返
し、何とか利用時間終了の16時に間に合う。

 日没まで時間があるので、市街電車万葉線で公園の北端に近い停留所まで行き、高岡古
城公園と高岡大仏も訪ねることにした。

 万葉線の始発駅と運転台



 高岡駅前16時始発の万葉線電車は、片原町交差点で90度右折して国道156号を北
東へ、1㎞余り先の広小路停留所で下りた。





 南東に少しで高岡古城公園に入る。

 高岡城は、加賀藩2代藩主前田利長が慶長14年(1609)の大火で焼失した富山城
に代わり翌年築城されたが、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となる。しか
し城跡は残り、町民からは「古御城」として親しまれていたようだ。

 明治になり民間に払い下げられたが、市民の保存運動により古城公園として残り、中心
市街地に約21万㎡という広大な面積を有しているという。城はないが堀や石垣は築城時
のままで、築城時の堀が完全な形で残るのは、江戸城、弘前城に並ぶ貴重な存在のよう。


      
 よい緑陰となっている桜並木の下を進むと、幾つかの彫刻が木の下に配置されていた。


 西外堀と西内堀の間を朝陽橋で渡る。西外堀には幾つかの噴水が見えた。




      

          
 西側の高みに上がると、「瑞龍前田公遺徳碑」と前田利長の騎馬像があり、その南側の
広い芝生地が本丸広場である。
      



 遺徳碑の近くには「本丸の井戸」が残っていた。



 本丸広場の東側に回り、1,300年余りの歴史を有するという射水(いみず)神社に
参拝した。


 境内の紅梅は樹齢約400年、春先には幹から直接花をつけ、樹木全体に力強く咲くと
いう。



 17時を過ぎたので帰路につくことにする。公園の南西側、市民会館の横を下って南外
堀の駐春橋を渡り、古城公園を後にした。





 200mほどで高岡大仏の極楽寺へ。高岡大仏は、20有余年の歳月を経て昭和8年
(1933)に完成した青銅の大仏である。

 総高15.85m、重量65トンあり、伝統ある高岡の鋳物技術の粋を集めたもので、
銅器日本一のまち高岡の象徴とされ、奈良・鎌倉の大仏とともに日本三大仏に数えられて
いるという。

 境内には、文化3年(1806)に完成し町民に時刻を知らせた時鐘もあり、市の指定
文化財になっていた。
      



      
 高岡駅に向かって進み、アーケードの続く御旅屋通りを抜ける。


       
 途中の広場に「楽隊の窓」と呼ぶ「ブレーメンの音楽隊」に似た彫刻や、「桃太郎と仲
間たち」、「オオカミと7匹の子やぎ」をテーマにした彫刻などが目に付いた。




 JR高岡駅に戻り、通学の高校生で満員の18時9分発城端(じょうはな)線城端行き
下り気動車に乗り、4分で次の新高岡駅に下りた。

 昨年春開通した北陸新幹線の新高岡駅↓の高架下に交差しているが、改札は無人である。


 駅前の、開業して間もないビジネスホテルに入ったのは18時20分前後だった。

(天気 晴、地図 駅からちょっと町歩き~たかおか散策絵図~、高岡市街地MAP、高
 岡まち歩きマップまわるん)




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春の北陸路3都市めぐり② 高岡市内を徒歩と自転車、路面電車で(富山)(前半)

2017-06-04 22:37:02 | 国内旅行
 第2日 2017年5月18日(木)
 == 高岡市内を徒歩と自転車、万葉線電車で巡る ==

 宿泊した敦賀駅に近いビジネスホテルを8時10分に出た。敦賀発金沢行き下り特急サ
ンダーバード3号に乗る予定だったが、調べていた時間を10分後と間違え、8時22分
発で間に合わない。



 幸い、間もなくの8時40分発金沢行き特急しらさぎ51号があったので、その自由席
に乗る。



 沿線に見える麦畑は実りの季節を迎え、田植えを終えて間もない早苗田の田んぼもあち
こちに広がる。


 10時5分に金沢駅に着いた。4分後発車のIRいしかわ鉄道からあいの風とやま鉄道
直通の泊(とまり)行き普通電車に急ぎ乗る。

 北陸新幹線の開業で旧北陸本線の在来線が県別に名前を変えて、第3セクター化された
路線である。

    
 途中の倶利伽羅(くりから)駅には「木曽義仲ゆかりの地」の看板が見えた。今日の目
的地、高岡駅には10時48分に着く。

 コンコースから見下ろす駅構内は広い。コインロッカーに荷物を預け、観光案内所で今
日も貸し自転車を借りることにした。

 高岡市内の見どころは古城公園口(北口)側が主だが、南口である瑞龍寺(ずいりゆう
じ)口にも国宝瑞龍寺や前田家墓所がある。

 貸し自転車は両側に駐輪場があるが(1日200円)、反対側に行くにはエレベーター
で2階のコンコースに上がり、長いコンコースを通過しなければならないという。

 そこで、南側の瑞龍寺などへは徒歩で往復し、その後北口から自転車で巡ることにして、
11時15分に瑞龍寺口をスタートした。


 南の北陸新幹線新高岡駅方面に延びる駅南大通りを500mほど進み、西は瑞龍寺へ東
は前田利長墓所を結ぶ「八丁道」と呼ぶ通りを西進する。この通りは真ん中が歩道で両側
が車道である。


 中ほどまで進むと前田利長の銅像があった。前田利長は、初代利家と妻まつとの間に生
まれた長男で、主君信長の4女永姫を妻に迎え、その4年後に高岡の守山城に移ったとの
こと。
        
 その後、豊臣方と徳川方が対立したため、前田家の存続を図るため母まつを人質として
江戸に送るなどしており、関ヶ原の合戦後、加賀、越中、能登の3国を有する大名として
遇されている。

 間もなく、八丁道の突き当たり、曹洞宗瑞龍寺の総門前に着いた。

 瑞龍寺は、加賀藩2代藩主前田利長の菩提寺で、3代利常により約20年かけて寛文3
年(1663)に建立されたとか。

 建立以来約350年、日本で唯一、七堂伽藍(しちどうがらん)と呼ぶ江戸初期の禅宗
の寺院形式を残す建築物として高く評価され、山門、仏殿、法堂は国宝に、禅堂、大庫裡
(おおくり)、大茶堂、回廊が重要文化財に指定されている。

    


 総門を入り、正面の山門↑をくぐると、正面に仏殿から法堂↓へと続き、右手には大屋根
を修理中の大庫裡と鐘楼、大茶室が、左には禅堂が回廊を通して結ばれている。


 大庫裡


 禅堂

 回廊に囲まれた境内は芝生の中に石灯ろうのみで、樹木は最奥に立つ法堂の左手背後に
限られる。

 山門と大庫裡、鐘楼をのぞく各々の建物内にも入り、安置されている仏像や絵画、天井
画などを拝観した。
     

         







 法堂の左手回廊から背後に出ると、瑞龍寺石廟(せきびょう)と呼ぶ5つの廟があり、
前田利家、利長と織田信長、信忠父子など5人の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が凝灰
岩(ぎょうかいがん)の石廟に祭られている。




 奥が法堂、手前は仏殿(いずれも国宝)

 一巡して総門前に戻ると、ケヤキの新緑がみずみずしい。12時20分過ぎに瑞龍寺を
後にした。
      

 瑞龍寺門前から南へ、新高岡駅方面に延びる瑞龍寺通りの家並み。



 八丁道を少し戻り、左手にあった「紀乃井」と呼ぶ味噌醸造所の売店で味噌ソフトクリ
ームを求め、乾いたのどを潤した。
       


 八丁道沿いには、シャチホコを乗せたりっぱな民家や、紅葉のような彩りのモミジなど
が目に入る。
    

 瑞龍寺でかなりの時間を経過したので前田利長墓所への参拝は省き、高岡駅瑞龍口に戻
る。


 長い2階のコンコースを抜けて北側の古城公園口に下る。こちらには中層のビルなどが
目に付き、交差点の北西側の一角に万葉歌人、大伴家持(おおとものやかもち)の銅像が
立っていた。

 大伴家持は、越中国主(今の県知事)として天平18年(746)年から5年間、国庁
のあった高岡(伏木)に滞在し、多くの優れた歌を詠(よ)んでいるという。

 そばのビルの1階にあった「北前(きたまえ)そば高田屋」で昼食をする。

 私はしらす飯と、連れ合いは親子丼とそばのセット(各890円)だったが、美味しく
て食べきれないほどのボリュームもあり満足した。
        

 ビルの前は「ドラえもんの散歩道」で、幾つものドラえもんが並ぶ。ちなみに高岡市は、
ドラえもんの作者である藤子・F・不二雄氏の出身地である。


 近くの駐輪場で貸し自転車を借り、西北への「すえひろーど」を700m余り進み、左
折して土蔵造りの町並みが続く山町筋(やまちょうすじ)に入る。


 山町筋は国の重要伝統的建造物群保存地区となっており、その建物のひとつ、高岡御車
山(みくるまやま)会館に入館(300円)した。


 館の前に並ぶ貸し自転車。私たちが借りたのは、左手のいわゆるママチャリタイプであ
る。


 館内中央の吹き抜け空間には、国指定重要有形・無形民俗文化財の「高岡御車山」の実
物7基のうち1基が展示されている。
     

 これら御車山は、毎年5月1日の關野神社の例大祭である高岡御車山祭りを神輿(みこ
し)とともに曳廻(ひきまわ)されるもので、当日は7つの町内のものが勢揃いするとい
う。

 この日展示されていたのは二番町のもの。ほかの6基は4輪だが、この山車だけが2輪
で、金光品では最上品といわれているよう。
     
 間近からなので全体像が撮れず、2輪なので車の大きさが目に付いたが、写真ではとて
もその大きさを理解してもらえそうにない。
       
 なお、重要有形・無形文化財両方の指定を受けているのは京都祇園祭、嵩山祭、日立風
流物、秩父祭、嵩山御車山祭の五件だけとか。昨年12月にユネスコ無形文化遺産登録さ
れた「山・鉾・屋台行事」33件のひとつでもある。

   
 隣には、市民の総意で造ったという「平成の御車山」も展示されていた。



 館内にはほかに、7つの御車山のミニチュアが並び、漆工、金工、染織といった分野ご
との技法や部材の紹介、御車山祭の行事や歴史、前田家との関わりなどのパネル展示もあ
った。




    

        

           

 蛇足ながら御車山会館には、9日後の5月27日(土)、翌日の県内魚津市での全国植
樹祭のため来県された天皇・皇后両陛下も来館されている。(続く) 




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