あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

散歩道などに咲く初夏の花(埼玉・所沢)

2009-06-30 22:23:34 | 所沢だより
 今日は6月30日、もう今年の半分が過ぎてしまいました。前半は
あまりよい話はありませんでしたが、後半には、もう少し明るい話題
が増えるよう望みたいものです。

 ここ2,3日、締め切りに追われたハイキング誌への原稿づくりに追
われ、梅雨どきということもあり、一昨日は10週ぶりにウオーキング
などへの外出をせず、在宅の日曜日でした。

 午前中の雨もやんだので、午後は市内へウオーキングに出かけま
した。久しぶりに回ったところに、いろいろ花が咲いていたので、わが
家の庭と合わせて、花の写真をご覧いただくことにしましょう。

 まずは、わが家の庭に咲く花を3つほど。


 まだ、パンジーも咲き残っています。




 午後歩いた所沢新町の畑には、幾つもの花が咲いていました。








 オミナエシも咲き出しています。










 思いがけず、ソバの花が咲いていました。



 しかもこの畑の1辺は100mくらいはありそう。こんな広いソバ畑が
所沢市内にあるとは知りませんでした。

 

 
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週刊「東洋経済」が鉄道特集を

2009-06-29 22:46:27 | 鉄道
 5年余り使用していたメガネのレンズが汚れたのと、視力の変化で
見にくくなったので、22日に地元大型スーパー内の眼鏡店で新しい
レンズを注文し、今日出来上がったので、行ってきました。

 眼鏡枠は以前から使っていたものに、レンズだけ入れ替えることに
したので、費用もレンズ代だけで済みました。

 お陰で、汚れがなくなり、世の中が明るくクリアーになったようで、
パソコンの画面もはっきり見えるようになり、写真もきれいに感じられ
るようになりました。

============================

 2009年6月29日(月)

 経済にうとく、お金にも縁の薄い私は、経済関係の雑誌や本を入手
したことは、ほとんど記憶にありません。

 ところがどうしたことか、今日発売の「東洋経済」7月4日号を買って
来てしまったのです。

 なぜかというと、今朝の新聞広告を見て、鉄道のことがかなり掲載
されているらしいと分かったからです。



 確かに、全体で156頁のうち65頁が鉄道関係の記事です。特集
「「鉄道」進化論」として、大きく4つのテーマに分けています。
 
「鉄道を世界に売り込め」、「鉄道で変わる日本の未来」、「大都市
鉄道網の期待と不安」、「変貌遂げる「駅」の現在」の4つです。

 「鉄道を世界に売り込め」では、世界最高という日本鉄道技術を、
アメリカやブラジルなどで計画されている高速鉄道網に売り込めるか
といったこと。

 「鉄道で変わる日本の未来」は、新幹線の延長や開業に伴う青森や
札幌、北陸、博多などの経済界はどうなるのかとか、リニア新幹線の
建設ルートを巡るJRや地域の思惑、高速道路値下げによるJR各社
の旅客減少、知恵と工夫で生きている地方の中小私鉄の実情など。

 「大都市鉄道網の期待と不安」では、成田空港への新線と新型車両
による乗客争奪戦、新線ラッシュの関西鉄道の期待と不安、列車はデ
ザインの時代に、通勤電車の混雑と遅延の特効薬はなど。

 「変貌を遂げる「駅」の現在」は、駅チカや駅ナカと地元との共存共栄
について、さらに興味深い、3大都市圏駅力(駅力)ランキングなど。

 ほかに、最近の「鉄道本ブームの源流」といったものもあり、全体を
通して、鉄道について幅広く経済や地域との関係を扱っています。

 まだ一つ一つ読んだわけでなく、とりあえず主なタイトルだけの紹介
ですが、興味のある方は、書店をのぞいてみてください。

 ちなみに、駅力ランキングを見ると、私の最寄り駅の評価は、利便性
C,市場性D,総合格付けはDでした(評価の最高がAAAで最低がE)。

 このような雑誌を買うということは、私も多少「鉄」かぶれなんでしょう
か…

 でも、休日の高速道路料金を1,000円にしてCo2の排出量を増やし、
路線バスや物流の運行を妨げるより、鉄道の割引パスでも発行しても
らいたいと思っている人種であることは確かです。


 



 

 

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第13回日本ウオーキング学会大会へ(東京)

2009-06-27 23:42:29 | ウオーキング
 2009年6月27日(土)

 今日は、東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで
開催された、日本ウオーキング学会大会に参加しました。

 まず、9時から11までは、センター棟(下)309教室での「一般研究
発表Ⅰ」へ。


 最初は、「歩行者が多い園路の要件」というテーマで、JWA歩行文化
研究所のSさん。


 船橋市の高根公園は、市内の同規模の公園に比べて歩行者数が3
~5倍多いので、歩行者300名ににアンケートをとったとのこと。

 その結果、この公園のように木陰があり、路面が土で風通しもよく、
樹木に覆われているが明るく、周回路になっていることが、多くの歩行
者に好まれている要因だと分かったようです。

 公園でのウオーキングコース造りをする、自治体の関係者には、ぜひ
参考にしてもらいたいものです。

 次は、日本ウオーキング協会のKさんの、「地球一周4万㎞完歩者の
生活と意見」。

 日本ウオーキング協会会員で、昨年度に地球一周4万㎞完歩達成者
76名に、アンケートをした結果の報告でした。

 達成までの期間は、5年未満から15年以上まであり、10年未満
と10年以上は同数、開始年齢は40歳代から70歳代まで、達成年
齢は53歳から86歳までのようです。

 そのほか、地球一周を目的としたきっかけや、途中での身体のトラ
ブルの有無なども聞いたようです。全体的には、自然体で無理なく安
全重視タイプと、目標を高くして毎日を意識して達成を目指した信念
の強いタイプに分けられるとのことでした。

 ちなみに私も、昨年10月末に4万㎞に到達して認定してもらいまし
たが、アンケートはそれ以前に実施したようです。私の場合、17年
かかっているので、自然体での達成を目指した方です。

 そういえば、今日はここで日本ウオーキング協会の総会も開催中で、
その中で、4万㎞達成者の表彰もあるようですが、私には声はかかり
ませんでした。たぶん、表彰は正会員だけなのではないかと思います
(私は正会員でなくて賛助会員)。

 3番目の発表は、日本ウオーキング協会のOさん。お住まいの金沢
を3時に出て駆けつけたとのこと。87歳とは思えぬかくしゃくたる方で、
テーマはKさんに似た、「四万キロで得たもの」。

 自分のコースをつくり、記録を積み重ねるとともに、国内外の大会へ
の参加、金沢~日本橋、九州横断、淡路島縦断などロングウオーク
も加えて、42,500㎞を歩かれたとのこと。

 そのための健康食品の摂取、ウオークは気力・知力・読図力の3力
に気を配ることなど、ユニークな実践内容を発表されました。

 4人目は、「健康をプロデュースするウオーキングの実践的研究」と
題して、日本ウオーキング協会のUさん。


 もと教員のOさんは、50歳代で糖尿病になり、克服するため60歳
からウオーキングを始め、すでに6万㎞を歩かれているようです。

 いかにして「心の健康」と「体の健康」づくりをしてきたかについて、
ご自身で実践してきたことを、歩きながら使っているという麺棒を改良
した棒や、交通安全のためのユニフォームなどを使いながら報告し、
ウオーミングアップとクールダウンの重要性なども述べられました。

 筑波大の I 先生のテーマは、「H.D.ソローにおけるウオーキング思
想」について。

 ソローは、19世紀半ばのアメリカのナチュラリストであるとともに、
未知の空間の探索のためにウオーキングを実践し、彼の思想である
シンプルライフが、今日再評価されているとのこと。

 「野生によって世界は存続している」という簡潔な一文に、ソローの
思想が集約されており、アメリカの長距離歩道「アパラチアントレイル」
は、ソローの意志を受けて作られたようです。 

 続いて、『「早宮小学校」での「歩育」を含むスポーツ教育推進活動
の効果』について、日本ウオーキング協会のYさん。

 平成20年度に東京都が指定した「スポーツ教育推進校」100校の
ひとつである、練馬区立早見小からの要請を受け、「正しいウオーキン
グ、ラジオ体操、ストレッチ」の導入のために実践したことの報告でした。

 導入して半年後の運動会の行動を先生と評価してみると、入場行進
やラジオ体操、表現体操、徒競走などいずれも、リズミカルな動き、躍
動感、力強さなどが目立ったとのこと。

 小学生は体が柔らかで、すぐ身につけられるので、スポーツ教育の
効果は高いと結論づけておられました。

 次は、『「歩育」・21世紀から新たなるレクリェーションの創造を目指
してPart-1』と題して、大阪府レクリェーション協会のHさん。

 30年にわたり、大人を主体とした”歩く”身体活動「トリム」は、大きな
成果をあげたが、21世紀型の新たな活動として、レクリェーションとウオ
ーキングを融合させた「歩育」を提唱し、2005年から実施しているよう
です。

 大阪府レクリェーション協会の3つの理念、「健康づくり、関係づくり、笑
顔づくり」を生かし、府民のライフスタイルの質の転換を目指し、下の「歩
育」の普及推進活動を図っておられるとのこと。



 月2回の活動には次第に参加者が増え、特に子どもの参加者が最近
は2割以上になっているようです。参加者の増加に伴い指導者が不足
してきたので、その育成も図っておられるとのことでした。

 最後の8番目は、静岡理工科大のTさんの「園児、小学生、中学生の
通学方法と歩くことへの意識調査」について。


 静岡県袋井市の幼稚園、小学校、中学校の通園・通学の実態や、歩
いて感じることなどのアンケート調査の結果などについてでした。

    【通学方法の実態】(幼稚園児は父兄の回答)

 幼稚園児 歩き49% 自転車送迎11% 自家用車送迎40%
 小学生  歩き95% バス通学  3% 自家用車送迎 2% 
 中学生  歩き56% 自転車  41% 自家用車送迎 2% 

 幼稚園児では、自家用車送迎のうち、通園距離1㎞以下で29%、
 1.1~1.3㎞では47%になっていて、いかに歩かないかが明らか
になったとのこと。

 歩くことへの抵抗感については、以下のような結果。

 小・中学生は、わずか10分のところへも多くは自転車で、幼稚園児
については、半数近くが自動車で送迎するとの結果でした。

 幼稚園児の徒歩通園を増やすには、安全の確保と、(特に)親の歩く
意識を高める必要があること、小・中学生には、ウオーキングイベントな
どへの参加を促し、ウオーキングに興味を持たせることが必要で、加え
て、安全・安心な歩きやすい環境の整備が大切だと言われました。

 次は、カルチャー棟(下)に移動して、小ホールでのトレイル紹介へ。

 トレイル紹介は、私も昨年「四国遍路1200㎞への道」と題して発表
させてもらいました。

 今回の最初は、『熊野古道の紹介ー熊野古道の魅力と健康効果』と
題して、(財)和歌山健康センターのKさん。


 熊野古道の健康効果については、木々に覆われ、適度な凹凸とクッ
ション性の高い道であること、道幅も広く歩きやすい、紫外線量は市街
地の1/50であることなど、平地公園でのウオーキングに比べて数段
高く、良質の温泉もあり、健康・保安に有効であると言われました。

 次に、熊野古道のルートである中辺路、大辺路、小辺路、伊勢路など
について多くの写真で紹介されました。

 さらに、語り部や熊野セラピストと呼ぶ方たちの案内も利用でき、地元
食材を使った古道弁当のこと、古道の多くは木々に覆われているので、
雨の日でも無理なく歩けることなどが紹介されました。

 私も、数年前に伊勢路を、昨年秋には人気ルートの中辺路を、各々数
日歩いているので、その魅力もよく分かり、次はどこを歩こうかなと思い
ながら話を伺いました。

 2番目は、船橋市の市会議員をされているというHさんの、『パシフィッ
ク・クレスト・トレイル紹介』でした。

 このトレイルは、アメリカ合衆国の西海岸を、南はメキシコ国境から北
はカナダ国境までを貫く、全長2,657マイル(約4,200㎞)あり、大部分
は徒歩と馬のみが通行できる自然歩道とのこと。

 道標など、コースはほぼよく整備されているようですが、標高4,000m
を越える残雪のシェラネバダ山脈(下)から、海抜0m地帯まで、気温も
40℃を越える南カリフォルニアの砂漠から、氷点下のカナダ国境の山岳
地帯まで大きな変化に富んでいるようです。


 Hさんは25歳のとき、2003年4月21日から9月9日まで、単独で踏破
され、全コース踏破は日本人では初めてとのこと。下は、全コース踏破者
に授与される踏破証で、ホールロビーに掲示されていました。


 トレイルの生活は、基本的にはバックパッキングによる野営で、1日8
~9時間、平均30㎞程度歩き、必要な食料・燃料などの装備を携行し、
数日おきにトレイル沿いの集落などで補給する必要があり、水や食料の
確保に綿密なペース配分が求められるとのこと。

 1シーズンで全コース歩くには、約半年かかることから、気候の関係
で南から北へ向かうことになり、費用は約120万円かかったようです。

 トレイル・エンジェルと呼ぶ、四国遍路での「お接待」のようなボランテ
ィアや、全世界から来るハイカーとの交流も大きな楽しみで、全行程で
なくてその一部を歩くハイカーも多く、60代以上の中高年ハイカーも見
受けられるとのことでした。

 このトレイルについては、下のHさんの Web Site に紹介されています。

 http://www.sam.hi-ho.ne.jp/taketo/pct_report.htm

 正午過ぎ、トレイル紹介は終わりました。半日だけの参加でしたが、
ウオーキングに関する興味ある発表を、いろいろ聞くことが出来ました。


 
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鳩ヶ谷を訪ねる(埼玉)

2009-06-25 23:17:54 | ウオーキング
 2009年6月25日(木)

 今日は、埼玉県南東部の鳩ヶ谷市を訪ねました。



 東京メトロ南北線と直通運転している、埼玉高速鉄道で鳩ヶ谷駅にて
下車しました。駅のそばの地図を見たら、近くに鳩ヶ谷市立郷土資料館
があるのに気づき、まずそこへ向かいます。

 国道122号岩槻街道を少し北へ、鳩ヶ谷郵便局の手前を右折して東
に向かい、見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり)を越えま
した。


 鳩ヶ谷小の北側を進み、県道105号日光御成道に出て、近くの交差点
際にある鳩ヶ谷市立郷土資料館へ。入館は無料です。


 展示室は2階、鳩ヶ谷の原始から近代に至る代表的文化財や、鳩ヶ谷
宿と本陣の模型、農家のくらし、商家のようすなどが展示されていました。

 これは、市の西を流れる芝川でとれる布袋竹を使って18世紀後半から
続いているという、魚釣り用の竿である「和竿づくり」関係の展示です。


 観覧を終え、日光御成道を南に向かいました。街道沿いに残る古い建物
は、北西本店と呼ぶ酒屋さん。近くには、昭和初期のものかと思われる洋
館の民家もありました。


 下り坂にかかるあたりには、御成坂公園と呼ぶ小さなスペースがあり、
からくり時計の時計塔が立っています。


 背後のへいには、御成道を通った大名行列をイメージしたモザイク画も
3枚あり、御成道の歴史を記したパネルもありました。


 昭和橋交差点で御成道を分かれ、今日の目的地の鳩ヶ谷市消防本部
に向かいます。行くきっかけは、この朝日新聞6月16日付け埼玉版の
記事でした。



 「なぜ火の見やぐらを」というと、当ブログではまだ紹介したことがあり
ませんが、10年くらい前から私は、全国各地に残る火の見やぐらの写
真を撮り続けていたのです。撮った数は、500枚前後かと思います。

 ウオーキングでご一緒したことのある方の中には、ご存じの方もかなり
おられるはずです。まだ撮りっぱなしで整理してないのですが、いずれ当
ブログでも紹介したいと考えており、この消防署の望楼のような火の見
やぐらは、極めて少ないので貴重な記録と思い出かけたのです。

 消防署の表側、左手にNTTの建物がある通りから見た望楼。


 市役所に向かう広い通りの県道58号からは、全体が見られます。


 市役所でも、関連の展示をしていると記事にあるので行ってみました。
これが鳩ヶ谷市役所です。

 市役所の玄関ホールには、6月1日現在の人口は61,422人、世帯数
26,465、市制施行は昭和42年(1967)3月1日と掲示されています。

 受付でもらった市のガイドマップによれば、面積は6.22㎡で全国の市
の中で2番目に小さいとのこと(1番狭いのは、近くの蕨市)。

 人口や面積の割には、りっぱな7階建ての庁舎です。

 同じホールで、「消えゆく火の見やぐらを偲んで」と題する展示をしてお
り、壊される望楼の図面、ほかにあった火の見やぐらの写真、消防服や
帽子などが展示されていました。
 

 正面にあった手押しで放水する消防ポンプ車。私も、中学3年生のときに、
埼玉県中部の村の中学校で、少年消防クラブのメンバーとなり、このような
手押しポンプの操作訓練をしたことを思い出しました。


 会場におられた消防本部の方が、「あの望楼に上れますよ」と言われた
ので、もう一度望楼のところに戻りました。

 消防隊員の方に話したところ、ヘルメットを付けた上で隊員の付き添い
で上がれるとのこと。らせん階段をぐるぐると25mの望楼上まで上がり
ました。

 望楼の上かららせん階段を見下ろしたところ。


 電話網の充実などで、すでに1974年には望楼勤務は廃止されたとの
ことですが、望楼上からの四方の眺めはまだかなり利きます。
 こちらは南方の眺め。


 反対側、北方の展望。


 消防署の望楼は、消防署の建物と一帯になったものが多かったように
思いますが、この望楼は専用の建物になっている貴重なもの。

 このような貴重な近代化遺産が、また一つ消えて行くかと思うと、大変
残念ですが、耐震診断で危険と指摘されたのでは、致し方ないかもしれ
ません。


 でも、望楼から眺めるという得難い体験ができたので、来た甲斐が
ありました。

 この後は、埼玉高速鉄道の走る国道122号線の西を並行する道など
を南下し、都県境の新荒川大橋を渡って東京・北区に入り、JR赤羽駅
まで歩き、帰途につきました。

(天気 曇後晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 赤羽、歩行地 鳩ヶ谷市、
 川口市、北区、歩数 15,300)

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所沢駅に流鉄(旧 総武流山電鉄)の車両が

2009-06-22 18:06:01 | 鉄道
 昨日、6月21日(日)14時過ぎ、カタツムリ歩行の帰路での西武
池袋線下り電車の乗り継ぎのため、所沢駅で待っていたら、5番
ホームの外側の側線に、どこかで見たような塗色の電車が止まって
いました。


 どこの電車だろうと車両をよく見たら、うしろ(上の写真の手前側)の
車両に、こんな標識が貼ってあるのに気づきました。

 手前のホームから撮ったのをトリミングしたので、ちょっと読みにくい
かもしれませんが、西武鉄道武蔵丘検修場を出発して、JR武蔵野線
の新秋津駅まで回送する車両のようです。

 新秋津からは武蔵野線を馬橋まで回送のことも記されており、流鉄
(りゅうてつ)の車両と分かりました。

 「流鉄」とは、旧総武流山電鉄が昨年8月1日に改称したということ
を、今日調べてみて分かりました。

 なお、武蔵丘検修場のことは、「西武電車フェスタ」という催しで6月
7日(日)に行ったので、当日のブログで報告しました。

 話が飛びましたが、どうやら西武鉄道の3つ扉の廃車した電車を、塗
り直して(内部の改装などもあるかもしれません)流鉄に売却したので
はないかと思われます。

 車両番号は、機関車側が5001,うしろが5101です。西武鉄道の
電気機関車は、「赤い電機」と呼ばれるE31(先頭)とE34の重連、
2両の電車を隣の新秋津駅までの3㎞ほど回送するのに、重連が必
要なんでしょうか…。
 

 ちなみに、ここ所沢駅と隣の秋津駅近くまで、西武池袋線の線路は
3本あり、そのうちの1本が秋津駅近くから右カーブしてトンネルをくぐ
り、JR新秋津駅構内で武蔵野線に接続されてます

 3本目は、JRと西武鉄道間での回送電車の受け渡し用の専用線に
なっているのです。



 このことは、下の朝日新聞6月20日(土)埼玉版の連載記事「線路
は続くよ」にも出ています。



 蛇足ながら、この日参加した「カタツムリ歩行」の事務局Dさんのお住
まいが流鉄の沿線。これも何かのご縁かも知れません。

 
 
 
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カタツムリ歩行 南浦和(埼玉)

2009-06-21 20:47:31 | カタツムリ歩行
 雨模様の今日、6月21日(日)は、JR武蔵野線沿線を歩き続けて
いるカタツムリ歩行の、第185回例会に参加しました。



 集合は、JR武蔵野線と京浜東北線が交差する南浦和駅です。

 10時過ぎに出発、駅東口に出ると、「平和の塔」と呼ぶ3人の少年
像の彫刻がありました。

 昭和24年(1949)、浦和駅前に設置したのを、昭和47年(1972)
にこの地に移し、当初のセメント像をブロンズ像に複製したとのこと。

 東側の南浦和三丁目に入り、すぐ近くの弁天公園にあった彫刻。
何を表現しているのかは記されていません。

 木の切り株に彫ったというイメージでした。

 公園の周囲には大きな桜が十数本ありますが、ほかにくるみの木も
あり、たくさん実を付けていました。


 その先、小松原高校の、道路に面したコンクリートブロックには、生徒が
描いたらしい壁画が…。 


 りっぱなクヌギなどが豊富に残る広葉樹林の横を下って、藤右衛門川
沿いに出ました。

 もとの流れだったと思われる小さい流れに沿って進み、川の両側に設
けられた上谷沼調整池の間に入り、藤右衛門川左岸を下流に向かって
進みます。

 正面のビルの手前が調整池の東端(下流)。手前のあし原では、ヨシ
キリがにぎやかでした。

 この近くで、散歩に来ていた64歳の男性としばらく話を…。今日は父
の日ですが、娘さんからお金のプレゼントをもらったと、メッセージ入りの
袋を見せてくれました。いい娘さんで、お幸せですね。

 東端まで進んで振り返ったところ。手前は、洪水時には冠水するサッ
カーグランド。

 地形図上には、このあたりに6.0mの三角点表示があるので、探し
たのですが見つかりませんでした。

 もとの道を途中まで戻り、小谷場中の横から小谷場の住宅地へ。
ジャガイモ畑に、ジャガイモの花がたくさん咲いていました。


 近くの住宅の玄関先には、こんな花が…。先月、東京・ひばりヶ丘
を歩いたときにあった、アンティチョーク(チョウセンアザミ)に葉は似
ていますが、花は全く違います。

 アカンサスという花のようです。

 今日のゴールは川口市小谷場の稲荷神社。12時5分に着きました。


 稲荷神社なので、狛犬はお狐さま。足元の円いのは何でしょうか。


 神社の周囲は、うっそうとしたシラカシやケヤキ、ツバキなどの広葉
樹林に覆われていて、川口市保存樹林になっていました。


 雨に濡れた社殿横のカシ。この幹を眺めながら、社殿のひさしで雨を
避けて昼食をしました。


 昼食を終えて記念撮影、ミーティングをして散会となりました。


 神社前の民家の入口にあったフクロウ。


 いつものカタツムリ歩行なら、帰路に少し寄り道をして隣の駅まで
歩くことが多いのですが、雨模様なので、今日は真っ直ぐ南浦和駅
に向かいました。

(天気 雨、距離 4㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市
 南区、川口市)
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散歩道に咲くアジサイ(埼玉・所沢)

2009-06-19 22:13:10 | 所沢だより
 いま、家の周辺はアジサイの花盛り。昨日、6月18日(木)午後、
ウオーキングに出かけた道すじに咲いていた、アジサイの数々です。

 家の近くにあるお寺のそばの、民家に咲くカシワバアジサイ。


 お寺の駐車場付近のスミダノハナビ(隅田の花火)。


 本当に、夜空に開いた花火みたい、…。


 民家の庭先にあったガクアジサイです。


 これはどこだったかな?


 別の場所には、大株のガクアジサイが…。




 2色の花が混じっていました。


 別の色のガクアジサイ。




 この色は、今年あちこちで見かけます。


 大規模な戸建て住宅地のある家にも、カシワバアジサイが。




 この色の花は、あちこちで見られます。




 うっとうしい梅雨ですが、花を見ながら歩くのは楽しいものです。

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第4回ワンデル(青少年国際野外旅行研究会)へ

2009-06-18 22:16:12 | Weblog
 昨日、6月17日(水)夜は、今年2回目になる第4回ワンデル(青少年
国際野外旅行研究会)に参加しました。

 場所は、JR中央線 水道橋駅に近い日本ユースホステル協会の会議
室です。

 参加者は8人でした。


 今回は3人のメンバーから、それぞれの歩き旅について発表がありま
した。

 最初は、兵庫県姫路市から参加の「出がらし紋次郎」さん。

 「自分なりの長距離ウオークをしてみたい」との考えから、思いつい
たのは、小学生時代に住んだ神奈川県横浜市の、ランドマークである
山下公園から、現在の実家である兵庫県姫路市までの歩き旅です。


 コースは、国道や車道を出来るだけ避けることにして、5万分の1地形
図を中心に、首都圏自然歩道や東海自然歩道、鉄道廃線跡の資料など
で検討したとのこと。

 現在まで、数日ずつ6回に分けて歩いた30日間、約500㎞の中間報
告を行いました。

 この旅は野宿が中心でしたが、衣服の洗濯や休養して体調を整えるた
めに、3~4日に1回は宿に泊まることにしたとのこと。

 装備の軽量化にも努め、(費用は2の次で)すべて軽量な品物を選んだ
結果、5回目には、テントを含めても7.5㎏に抑えることが出来たようです。 

 装備の一部を持参して、メーカーや重量などの説明もありました。


 この旅を経験したことにより、ぐちを言わなくなり、感謝の心が高まった
と紋次郎さんは言われました。

 横浜から姫路までは、新幹線ひかり号なら3時間足らず、それを歩いて
道半ばで30日。この先、どんな出会いやふれ合い、発見などがあるので
しょうか、ゴール後の報告も楽しみです。

 ちなみに、この歩き旅のことは、出がらし紋次郎さんの下記のブログ
「歩き屋・DEGA-MONブログ」に、掲載されています。

 http://pub.ne.jp/dgmnwalkon/


 次は、「第2次 21世紀の朝鮮通信使 ソウルー東京 友情ウオーク」に
ついて、日本隊の副隊長で、この歩きの企画者でもある遠藤さんから。


 今回は、4月1日(水)に韓国・ソウルをスタートして、4月20日(月)
に釜山に着き、船で対馬経由博多に上がり、博多から大阪まで、鞆の
浦(福山市)、牛窓(瀬戸内市)など朝鮮通信使ゆかりの地をバスで移
動、大阪を4月28日(火)に出て、主に東海道を歩いて5月20日(水)
に東京・日比谷公園にゴールした、50日間1,158㎞の行程でした。

 韓国、日本そして在日韓国人などが三位一体となり、徳川時代に朝
鮮通信使がたどった日韓善隣外交の道を振り返りつつ歩んだものです。

 遠藤さんが、この催しを企画するに至ったきっかけとして、1979年制
作の「江戸時代の朝鮮通信使」という自主映画と、「辛基秀と朝鮮通信
使の時代」(上野俊彦著 明石書房発行)という図書を読んだことによる
とのことでした。

 朝鮮通信使は、江戸時代初めの1607年に始まり、12回260年に
及び、「平和と友好」の関係を続けてきました。

 一般の人にあまり知られていない、この朝鮮通信使のことを、日韓両
国民にもっと知ってもらい、両国間の関係にプラスになるようにとの思い
から、その道をだとり、その思いを発信しようと考えたとのことです。

 すでに2年後には3回目が計画されており、遠藤さんは21世紀まで
継続して行きたいと言われました。

 この歩きについては、報道担当の金井三喜雄さんの以下のブログ「第
2次 21世紀の朝鮮通信使 ソウル-東京 友情ウオーク」にて報告され
ています。

 http://blog.goo.ne.jp/kanai4655/

 蛇足ながら、私も最終日の5月20日(水)のみ参加し、そのレポート
は、当日の当ブログにて報告しました。


 最後は、鎌倉からソウルまでの2328キロを歩いた間宮さんの報告。



 間宮さんは、最後の5年間を韓国・ソウルで広告会社の仕事をされ、
仕事を終えた後、何をしたらよいかと考え、赴任中お世話になった方々
へのお礼として、感謝の気持ちを伝えたいということから、この徒歩の
旅を思いついたとのこと。

 歩き旅のコースとして、今の自宅からもとの自宅だった韓国・ソウル
まで歩こうと考え、ルートとしては、朝鮮通信使の道や、姉妹都市巡り
なども検討されたようですが、日韓ともに「さば街道」があることを知り、
ひとつの海を挟んで同じような文化を共有していることを、歩くスピード
で確認しようと考え、2005年の3~5月に実行されました。

 総行程2,338㎞を、休養日を含めて80日間かけて歩いておられ
ます。

 ザックの重量は15㎏になったとか。捻挫などのトラブルにも遭遇し
たようですが、車で行くのとは違い、歩くことによって見つけたものや
触れたものが多いと言われました。

 間宮さんのこの歩きについては、下の講談社+α新書に詳しく記さ
れていますので、興味のある方はご覧下さい(2005年10月発行)。



 以下の Web Site でもご覧になれます。
http://www.kamakura-seoul2005.com/

 間宮さんのブログ「鎌倉から、こんにちは」もあります。
http://blog.kamakura-seoul2005.com/

 3人のお話、「ふつうの人」にはなかなか実行出来そうにないものばか
りで、いずれも大変興味深く拝聴しました。
コメント (4)
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カントリーウオーク新河岸(埼玉)

2009-06-17 14:50:36 | カントリーウオーク
 2009年6月14日(日)
 
 梅雨入り後4日、埼玉県内を中心にカントリーウオークをしているグル
ープの第164回例会を開催する。



 集合は東武東上線の新河岸(しんがし)駅。参加者15人は4組に分
かれ、10時8分にスタートした。

 =新河岸川沿いを福岡河岸記念館へ=
 
 狭い駅前から線路に沿って西に向かい、最初の踏切を越えて「砂」の
住宅地へ。比較的新しい住宅が多いが、新河岸川近くまで行くと農家
らしい家も残っていた。

 アシのいっぱい茂る池の南側、自治会館の横に小さな流れがあり、
週末にはホタル狩りが開催されるとの張り紙がある。


 池を背にした厳島神社は弁財天が祭られ、社殿と比べて不釣り合い
な大きい鈴が下がる。横の梅の木から、熟した大粒な梅が落ちていた
ので、幾つかいただいた。

 そばの住宅地を北に抜け、新河岸川の右岸堤防に上がった。対岸に
は別のグループも見える。4月下旬に歩いたときには、ナノハナが花盛
りだったが、いまは草が伸びて緑一色である。


 最初の橋のところで堤防を離れ、日枝神社と観音堂の境内へ。道路
際に2枚の大きな板碑があり、仏像らしい姿が線刻されていた。


 近くの三差路際には、江戸との舟運に関わったと思われるS家の古
い建物が残り、そばまで、新河岸川の流れにつながる堀割が入り込ん
でいた。


 再び新河岸川右岸に出る。すぐ先の斜面林下に、「寺尾河岸 紫陽
花の途(みち)」の看板があり、大きなアジサイの株が10数株、花を
いっぱいに咲かせていた。


 大きく枝を広げた斜面林の下を進むと、河原のあし原でヨシキリが鳴
く。葦原中のところで川を離れる。


 川崎集落を抜け、養老橋の近くにある、ふじみ野市立福岡河岸記念
館に入る。

 江戸時代から明治時代中ごろまで新河岸川舟運で栄えた、福岡河
岸の回漕問屋だった福田屋の建物を公開しているところ。

 2階建ての大きな主屋(おもや)、県内でも例の少ないという木造3階
の離れ、展示場になっているがっしりした文庫蔵。広い土間のある台
所などを観覧し、当時の回漕問屋の規模や遺産の一端を知る。

 県道56号に出て、大日本印刷と新日本無線の広い工場横を通過、
昼食地のふじみ野市役所に12時半に着いた。玄関横の広いスペース
にシートを広げて昼食とする。

 =新河岸川を折り返して上福岡歴史民族資料館へ=

 午後は、いつものように全員一緒に13時半に出発とする。午前中に
寄らなかった人は先発して福岡河岸記念館を見て。そばの養老橋際で
合流する。橋のそばには、国登録文化財になっている回漕問屋吉野屋
の土蔵も残っていた。



 橋を渡って桜並木の続く左岸堤防に回り、まず、古市場の連光寺に
立ち寄る。

 西側には朱塗り高麗門の総門が、正面には仁王門があり、仁王門の
奥に、遠くからも目につく大屋根の本堂がある。


 広い境内の植栽はきれいに整えられ、その中で、数本のカシの高木
や、本堂背後の杉の大木が目についた。

 干支の動物と一緒にポーズをとった12体のお地蔵さんが並んでいた
ので、それぞれ自分の干支の後に並んでもらい、記念撮影をする。


 再び左岸堤防へ。梅雨に入ったが湿度はそう高くなく、向かい風が
さわやか。しかし雲が暗くなり、ひと雨来そうで心配になってきた。

 富士見川越道路の下を越えると、桜並木は無くなった。渋井の観音
堂で小休止して水分補給をする。堂の回りに樹木は無く、周囲は緑の
田園地帯が広がる。

 すぐ先にゲートがあり、左に分かれる新河岸川放水路の分流点になっ
ている。放水路では、たくさんの釣り人が糸を垂れていた。

 放水路を越えて左岸をさらに少し進み、福岡橋で右岸に折り返す。
橋のたもとにある大杉神社周辺は、新河岸川舟運の船頭をしていた人
が多かったとか。神社は、その舟運関係者の守護神として、あつい信仰
を集めていたという。

 境内は狭いが、堤防側に明治時代の俳人、雪中庵(せつちゆうあん)
梅年(ばいねん)の句碑が立っていた。


 さらに草の伸びた右岸を1㎞余り戻り、ポンプ場のところで堤防を降
りた。中丸一丁目の住宅地を抜け、長宮一丁目にあるふじみ野市立
上福岡歴史民俗資料館に入館する。

 展示室には、上福岡の古代から近世までの歴史を示す土器や板碑、
古文書、機織り機や手づくりほうき、新河岸川の舟運に関わるものなど
が展示されていた。


 近くの交差点を北に渡って長宮氷川神社へ。長徳9年(995)に出雲
大社から勧請(かんじょう)したのが始まりで、「長宮」の名のもとは、
参道が4丁16軒(約465m)に及んでいたからだという。


 うっそうとした鎮守の森を背にした本殿の前庭には、「出会いの泉」と
呼ぶ新しい石像や、みこしを納めたガラス張りの御輿蔵(みこしぐら)が
あり、森の裏手に回ると、ご神木の「夫婦欅(めおとけやき)」が立って
いた。

 この先、まだ回る予定はあったが、16時近くなったので切り上げて駅
に向かうことにする。再開発中の上ノ台団地を回り、駅に近い交差点の
交番際でミーティング。ゴールの東武東上線上福岡駅には、16時47分
に着いた。

(参加 15人、天気 晴後曇、距離 12㎞、地図 与野、歩行地 川越
 市、ふじみ野市)
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関東百駅巡礼歩行 JR水郡線 谷河原駅(茨城)

2009-06-16 15:49:28 | 関東百駅巡礼歩行
 2009年6月13日(土)



 関東地方の、ふだんは降りる機会の少ない駅を訪ねる、「関東百駅巡
礼歩行」の第56回に参加した。

 集合はJR水郡(すいぐん)線の谷河原(やがわら)駅、片側だけのホー
ムの両側は、緑濃い田んぼが一面に広がる。ホームで記念撮影をして、
10時15分に出発した。


 駅の北側は谷河原町集落の東端、まず、そばの西光寺に入る。

 山門に「親鸞聖人御旧跡二十四輩二十四番本跡」の看板がある。境
内の庭木はよく整えられ、大石の上に、親鸞上人像が立っていた。

 寺の横から、台地に向かって緩やかに上がる。路傍に「馬力神」と記
された石碑が並ぶ。ほかではあまりみたことのないもの。


 三差路を左折して西に向かい、集落の中を少しずつ下る。格子状に木
を組んだ板張りの壁面を持つ家が多く、これもこの地方特有の造りか。
大谷石造りの土蔵も幾つか見かけた。

 集落を見下ろす高台に、杉、ケヤキ、カシなど豊富な樹林に囲まれた
元白羽神社があった。

 しめ縄は、二つの縄を真ん中で結んであり、初めて見るもの。その土
地だけにあるものを見つけるのも、百駅の楽しみの一つである。

 集落の西端で田園地帯に下り、自然堤防に草の伸びた渋江川沿いに
進む。シロツメクサがたくさん咲き、チョウが何組か舞う。田んぼの稲は
しっかり根づき、一面緑の広がりが気持ちよい。


 猪ノ手集落に入って再び台地上に出て、アジサイの咲く集落を進む。
山菜のようなものを干しているのが見えた。聞いてみたら、素昆布だ
という。道理で、甘酸っぱい香りが漂っていたのだ。


 正午のチャイムを聞きながら、県道61号際にある坂東三十三観音
霊場第二十二番札所の佐竹寺に着いた。

 寛和元年(985)、花山天皇の勅願により開山されたと伝えられる
古寺。古い仁王の立つ山門をくぐると、正面に重厚なかやぶき寄せ棟
づくりの大きな本堂がある。

 天文15年(1546)、佐竹義昭により再建されたもので、火頭窓(か
とうまど)や柱、組み物など桃山時代建築の先駆として注目されるもの
という。国の重要文化財である。

 柱や扉などに数えきれぬほどの千社札が貼られ、あんな高いところに
もと思われるところにもある。

 参拝後、本堂背後の板張りに腰を下ろし、昼食にした。

 山門前から北に回り、黒米を無人販売する家の横から天神林町集落へ。
集落の南側、芝草の細道沿いに、廃屋になった民家が数戸あった。

 集落の北側に、「山寺の水道」の説明板があり、「この地方は水に恵ま
れなかったため、徳川光圀公が命じて、約2㎞の水道を施行したが、約
300前に一部トンネル式水路にした工法は、類例のない特色である」
などと記されていた。

 この水道は、現在も近隣の農家で利用されているようだ。


 近くに小さい神社があり、その鳥居には太い丸太を使っているが、木の
皮をはいだだけで加工せずに組んだ、そぼくな造りだった。

 宮ヶ作の小集落からは、緑の林と田んぼが見晴らせ、気持ちよい展望。


 田んぼの北に上がった草地に、「久昌寺遺跡」の石碑と、説明板がある。

 徳川光圀公が生母の菩提寺として、水戸から移した久昌寺の跡で、北
関東における日蓮宗の法城だったという。現在の久昌寺には、この後訪
ねた。

 近くの標識に従い、西山荘に向かうことにしたら、すぐ先に岩をくり抜い
た道があった。

 頭がつかえそうな岩穴のトンネルを抜け、その先は竹林などの林間を
上がる。

 峠を越え、そばの十字路を北に向かい、杉などの繁った谷間を下って、
西山荘の入口に出た。

 水戸黄門で知られる徳川光圀が、元禄4年(1691)から晩年の10年
間、隠居所とした遺跡。光圀公は、ここで大日本史の編さんをするかた
わら、領民にも接し、いろいろな事業もすすめたという。

 モミジや梅、下草には笹など、緑がいっぱいの広い敷地内に、かやぶ
き平屋の質素な建物が3、4棟あり、心字池と呼ぶ池をめぐらしている。
各々のかやぶき屋根の上には、ショウブが並んでいた。

 梅園の間の遊歩道を進んだ「西山の里 桃源」の菖蒲池は、ちょうど花
菖蒲が見ごろ。車で来た人も多く、花にカメラを向けていた。

 桃源の駐車場の少し先から、南への坂道を西山公園に上がる。桜など
の植栽が多く、光圀公の遺徳をしのんで建立されたという義公廟付近か
らは、こずえ越しに常陸太田の市街が望まれる。


 廟の前から急階段を下り、そばの久昌寺へ。コンクリート造りのどっしり
した本堂。鐘楼付近からは、やはり市街地の眺めがよい。


 予定の列車に間に合うようにと先を急ぎ、眼下の太田二高を半周して
源氏川沿いに下る。そばの橋を渡り、左岸沿いの遊歩道へ。アシの伸び
た川原でヨシキリが鳴く。

 運動公園の対岸まで進み、国土交通省の建物の横で県道に出て、15
時5分、JR水郡線の枝線の終点、常陸太田駅に着いた。

(参加 4人、天気 曇後晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 常陸太田、歩行
 地 常陸太田市)
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