今日、3月6日(金)は、夕方までかなりの雨量だったので、外出も
せず家に閉じこもっていました。
そんなわけで今日の話題がないので、ちょうど2年前の3月6日に
歩いた、2度目の四国遍路後半の写真から、未公開のものを何枚か
拾い出してみました。
この日は、88番大窪寺への参拝を翌日に控えた、結願(けちがん)
前日でした。
=============================
2007年3月6日(火)
=四国遍路 84番屋島寺から86番志度寺へ=
朝、高松市内の宿を出て、市街の東にそびえる屋島に向かって上が
る。上り口の中ほどにある番外霊場・不喰梨(くわずのなし)。
その近くから見下ろす高松市街の展望。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/00/1042aef76d07bcb919a8146fab06f5f2.jpg)
屋島山上にある84番屋島寺境内には、可正桜(かしょうざくら)と呼ぶ
桜の古木がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/7a/281466202b9781462bd8b5fd6ba3798e.jpg)
高松藩士・松平半左衛門可正が寛文6年(1665)に数本植えたもの
のうち、ただ一つ残っている木。
屋島寺の大師堂。境内は広く、幾つもの堂塔があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/ae/ea140fe92c34a9e0cd63b96808b3e8a9.jpg)
屋島山上から、東の壇ノ浦に向かって下った川の先にある、番外霊場
須崎寺。境内に、「遍路の父」と呼ばれる信念の墓が立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/f0/610e23e3be69b95e849b997369e5cefd.jpg)
信念は、江戸時代初期の僧で、四国遍路を20数回して、遍路の案内
書をつくった人。
牟礼北小の先から、細い遍路道を進むと、「うどん山田家」という店の
前を通過する。名物らしく、たくさんの車が来て止まっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/3c/d99a35449016b3da7ddcb5b4cea69a83.jpg)
私は、手前のスーパーで買った弁当を、ここで食べた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/2c/22a2f6b7c73e60c11df9b51d358b4f10.jpg)
雨でなければ昼食時はいつも、マメの出来ぬよう靴も靴下も脱ぎ、足
の裏や靴下と靴を乾燥させるようにしていた。
昼食地のすぐ先にある鳥居をくぐって、85番八栗寺(やぐりじ)に上が
る。多宝塔のそばの紅梅が見ごろだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/2a/e406a197bb1f430098a857b0ac50af7d.jpg)
本堂の左手には鳥居があり、その奥に喜天が祭られ、神仏習合の
名残が見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/46/46cc180e0f3689a07f3a42f2afc18975.jpg)
大師堂の先から寺を出て、車道を緩やかに下って琴電沿いに行くと
瀬戸内海の展望が得られ、対岸の本州も望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/85/eaf150bf36249db6d21450a4c3978e2a.jpg)
古い家並みの残る志度の町中に、平賀源内の旧邸が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/a3/78f0cfedf0295ffca1cfa3c75ab95c0e.jpg)
さらに進めば、86番志度寺。山門と本堂は国の重要文化財。これは
大師堂。山門の近くには、大きな五重塔も立っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c8/2147387030117fbfd00da82c14d378fc.jpg)
この日は、近くのいしや旅館に泊まり、翌3月7日(水)無事88番
大窪寺に結願することが出来た。
〈注〉カテゴリー欄の「四国遍路ふた旅(後編)」に、当時の詳細な
レポートが掲載してあります。
せず家に閉じこもっていました。
そんなわけで今日の話題がないので、ちょうど2年前の3月6日に
歩いた、2度目の四国遍路後半の写真から、未公開のものを何枚か
拾い出してみました。
この日は、88番大窪寺への参拝を翌日に控えた、結願(けちがん)
前日でした。
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2007年3月6日(火)
=四国遍路 84番屋島寺から86番志度寺へ=
朝、高松市内の宿を出て、市街の東にそびえる屋島に向かって上が
る。上り口の中ほどにある番外霊場・不喰梨(くわずのなし)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/25/313727098055f6db73961863397297b5.jpg)
その近くから見下ろす高松市街の展望。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/00/1042aef76d07bcb919a8146fab06f5f2.jpg)
屋島山上にある84番屋島寺境内には、可正桜(かしょうざくら)と呼ぶ
桜の古木がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/7a/281466202b9781462bd8b5fd6ba3798e.jpg)
高松藩士・松平半左衛門可正が寛文6年(1665)に数本植えたもの
のうち、ただ一つ残っている木。
屋島寺の大師堂。境内は広く、幾つもの堂塔があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/ae/ea140fe92c34a9e0cd63b96808b3e8a9.jpg)
屋島山上から、東の壇ノ浦に向かって下った川の先にある、番外霊場
須崎寺。境内に、「遍路の父」と呼ばれる信念の墓が立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/f0/610e23e3be69b95e849b997369e5cefd.jpg)
信念は、江戸時代初期の僧で、四国遍路を20数回して、遍路の案内
書をつくった人。
牟礼北小の先から、細い遍路道を進むと、「うどん山田家」という店の
前を通過する。名物らしく、たくさんの車が来て止まっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/3c/d99a35449016b3da7ddcb5b4cea69a83.jpg)
私は、手前のスーパーで買った弁当を、ここで食べた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/2c/22a2f6b7c73e60c11df9b51d358b4f10.jpg)
雨でなければ昼食時はいつも、マメの出来ぬよう靴も靴下も脱ぎ、足
の裏や靴下と靴を乾燥させるようにしていた。
昼食地のすぐ先にある鳥居をくぐって、85番八栗寺(やぐりじ)に上が
る。多宝塔のそばの紅梅が見ごろだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/2a/e406a197bb1f430098a857b0ac50af7d.jpg)
本堂の左手には鳥居があり、その奥に喜天が祭られ、神仏習合の
名残が見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/46/46cc180e0f3689a07f3a42f2afc18975.jpg)
大師堂の先から寺を出て、車道を緩やかに下って琴電沿いに行くと
瀬戸内海の展望が得られ、対岸の本州も望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/85/eaf150bf36249db6d21450a4c3978e2a.jpg)
古い家並みの残る志度の町中に、平賀源内の旧邸が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/a3/78f0cfedf0295ffca1cfa3c75ab95c0e.jpg)
さらに進めば、86番志度寺。山門と本堂は国の重要文化財。これは
大師堂。山門の近くには、大きな五重塔も立っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c8/2147387030117fbfd00da82c14d378fc.jpg)
この日は、近くのいしや旅館に泊まり、翌3月7日(水)無事88番
大窪寺に結願することが出来た。
〈注〉カテゴリー欄の「四国遍路ふた旅(後編)」に、当時の詳細な
レポートが掲載してあります。