あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

2年前のきょうの四国遍路から(香川県)

2009-03-06 23:04:04 | 四国遍路道ふた旅
 今日、3月6日(金)は、夕方までかなりの雨量だったので、外出も
せず家に閉じこもっていました。

 そんなわけで今日の話題がないので、ちょうど2年前の3月6日に
歩いた、2度目の四国遍路後半の写真から、未公開のものを何枚か
拾い出してみました。

 この日は、88番大窪寺への参拝を翌日に控えた、結願(けちがん)
前日でした。

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 2007年3月6日(火)
 =四国遍路 84番屋島寺から86番志度寺へ=

 朝、高松市内の宿を出て、市街の東にそびえる屋島に向かって上が
る。上り口の中ほどにある番外霊場・不喰梨(くわずのなし)。
 

 その近くから見下ろす高松市街の展望。


 屋島山上にある84番屋島寺境内には、可正桜(かしょうざくら)と呼ぶ
桜の古木がある。

 高松藩士・松平半左衛門可正が寛文6年(1665)に数本植えたもの
のうち、ただ一つ残っている木。

 屋島寺の大師堂。境内は広く、幾つもの堂塔があった。


 屋島山上から、東の壇ノ浦に向かって下った川の先にある、番外霊場
須崎寺。境内に、「遍路の父」と呼ばれる信念の墓が立つ。

 信念は、江戸時代初期の僧で、四国遍路を20数回して、遍路の案内
書をつくった人。

 牟礼北小の先から、細い遍路道を進むと、「うどん山田家」という店の
前を通過する。名物らしく、たくさんの車が来て止まっていた。 


 私は、手前のスーパーで買った弁当を、ここで食べた。

 雨でなければ昼食時はいつも、マメの出来ぬよう靴も靴下も脱ぎ、足
の裏や靴下と靴を乾燥させるようにしていた。

 昼食地のすぐ先にある鳥居をくぐって、85番八栗寺(やぐりじ)に上が
る。多宝塔のそばの紅梅が見ごろだった。


 本堂の左手には鳥居があり、その奥に喜天が祭られ、神仏習合の
名残が見られる。 


 大師堂の先から寺を出て、車道を緩やかに下って琴電沿いに行くと
瀬戸内海の展望が得られ、対岸の本州も望まれる。


 古い家並みの残る志度の町中に、平賀源内の旧邸が残っていた。


 さらに進めば、86番志度寺。山門と本堂は国の重要文化財。これは
大師堂。山門の近くには、大きな五重塔も立っている。


 この日は、近くのいしや旅館に泊まり、翌3月7日(水)無事88番
大窪寺に結願することが出来た。

〈注〉カテゴリー欄の「四国遍路ふた旅(後編)」に、当時の詳細な
レポートが掲載してあります。
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四国遍路道ふた旅(後編)・徳島(終結)

2007-04-22 21:34:18 | 四国遍路道ふた旅
 今日は、カントリーウオークグループの、私とNさんが担当する
6月例会の下見に行く予定でしたが、一昨日までの予報で、雨
が降りそうだったので延期しました。でも雨は降らず、強風が
吹き荒れました。

 四国遍路道ふた旅、結願して1番に戻り、一周の輪を結んだ
最終日のレポートです。

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 第20日 2007年3月9日(金) 晴
 3番金泉寺~1番霊山寺
 =四国遍路一周の輪を結ぶ=



 6時20分起床、7時朝食、先に出発されるMさんを見送り、
7時50分にJR高徳線板野駅前のばんどう旅館を出る。

 板野の町外れに、小さいかやぶき屋根の平屋が残っていた。


 1㎞足らずで3番金泉寺。朱塗りの色鮮やかな山門をくぐる。

前半の遍路初日、昨年11月11日以来、4か月ぶり。境内は、
クスやカシなどの広葉樹が多い。朝早いので、まだ参拝者は
いない。

 納経所前に、屋島の平家追討に向かう途中に立ち寄った、
弁慶が持ち上げたという「弁慶の力石」があった。


 境内を東に出て、2番に向かう。県道12号の北を並行する
遍路道、今朝1番を出発した、歩き遍路の方々と次々に行き交
う。若い人、ご夫婦らしいペアなど、いずれも真新しい遍路装束
が目につく。季節がら、花粉除けのマスクをした人も多い。

 沿道にはナノハナ、トサミズキやボケなどが花開いていた。


 2㎞あまりで2番極楽寺。やはり山門は朱塗り。樹齢千年を越
すという長命杉に紅白の綱が巻かれ、「…綱を通じて杉の霊気を
受けて下さい」と記されていたので、無事結願を感謝して霊気を
受ける。


 境内に、安産を祈願したお守りがたくさん下がっていた。


 東に少しで、ドイツ村公園の案内があった。一度訪ねたいと思
っていたが、今日は時間があるのでよい機会、寄ることにする。

 第1次世界大戦に参加した、当時敵国のドイツ兵士953人が、
俘虜となり、1917年から3年間過ごした坂東俘虜収容所跡。
ベートーベンの第九交響曲日本初演の地としても知られている。

 園内には、当時の面影を残すセンダンの大木や、兵舎の基礎
に使われたレンガ積みが、そのまま残っていた。中央にある石
積みの橋は、当時、ドイツ兵士が造ったドイツ橋を模したもの
だという。


 奥の少し高いところには、日本各地で死亡した85名のドイツ
兵士の合同慰霊碑が立っていた。

 東側の県道41号に出て、高松自動車道の北に回り、道の駅・
第九の里鳴門ドイツ館にも寄る。

 南側に、鳴門市で少・青年期を過ごしたという賀川豊彦の「鳴門
市賀川豊彦記念館」がある。


 ほかに、坂東俘虜収容所で兵舎として使われた建物で、国有形
文化財を移築した物産館、白亜の大きなドイツ館などが並んで
いる。


 物産館でささやかな土産品を求めるに留め、賀川豊彦記念館と
ドイツ館の入場までの時間はないので省略した。


 高松自動車道の側道を進み、大鳥居の立つ大麻比古神社前を
通過し、1番霊山寺に着く。

 本堂と大師堂に参拝、読経して、無事結願して戻って来られた
ことに感謝、本堂内の納経所にある歩き遍路用のノートに、結願
の記帳をする。


 この境内にも、88番大窪寺同様、原爆の火が燃え続けていた。

 11時、連絡してあった岡山市のIさんが迎えに来て下さる。
Iさんの車で、鳴門市内を東へ。国道11号に入って瀬戸内に回り、
海鮮料理店で昼食。ハマチ定食を注文する。

 この店は2度目、新鮮なハマチの刺身と、たっぷりわかめの入っ
た澄まし汁を味合う。
 
 国道11号沿いの、遍路した足取りを思い出しながら高松市内
まで戻る。フェリー乗り場から、宇野行き宇高フェリーで1時間の
船旅を楽しむ。

 トラックが多いようで、船室に上がった乗用車の乗客は、数人
だけだった。

 宇野から岡山市内へ向かい、16時過ぎ、Iさん宅に着いた。

 Iさんは、私より先に通し打ちで歩き遍路をされている。夕膳に
は、結願を祝っていただき、お赤飯が盛られていた。

 遍路の思い出話をしながら、奥さん手作りの盛りだくさんの
夕食をおいしくいただいた。

(コースタイム〉ばんどう旅館7:50ー3番金泉寺7:58~8:20ー2番
極楽寺9:00~20ードイツ村公園9:30~48ー道の駅第九の里鳴門
ドイツ館9:55~10:10ー1番霊山寺10:20~48

(距離 7㎞、地図(1/5万) 川島、徳島、歩行地 板野町、鳴門市、
 歩数 12,100)

 今回、後半の歩行日程は20日(最終日は半日足らず)、歩行
距離535㎞(1日平均約27.5㎞)だった。       〈後半完〉
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四国遍路道ふた旅(後編)・香川その8/徳島

2007-04-20 19:19:48 | 四国遍路道ふた旅
 第19日 2007年3月8日(木) 晴
 =香川・徳島県境の大坂峠を越える=



 5時20分起床、6時朝食。おにぎりをお願いしておいたら、
お接待して下さるとのこと。

 朝食時、食堂に、メルボルンオリンピックの記念絵皿が飾って
あるのに気づく。

 聞くと、おかみさんのお孫さんが、ソフトボール全日本チームの
正捕手、乾選手とのこと。昨年9月14日に紹介されたスポニチ
紙を見せて下さった。

  出発前、部屋の窓から東の山上に上る日の出が見えた。
おかみさんの、「また来なさいよ…」の声に送られ6時40分に
民宿八十窪を後にした。

 明け方に雪がちらついたとかで、屋根や田畑はうっすらと白い。


 よく晴れたが風が冷たく、今日も真冬波の寒さ。予想最高気温
は9℃だという。

 国道377号を南東に向かって下る。今日は、1番霊山寺に戻る
ため、大坂峠越えをして、3番霊場近くまでの予定である。

 前回は、行き違いがやっとの1車線だったが、上下各1車線の
新ルートになったところが多い。ウグイスが澄んだ音色でさえずる。
国道沿いに、町石が幾つも残っていた。


 長野で国道に別れ、五明トンネル(468m)を抜ける。天井が高く
歩道も幅広い。どのトンネルも、このようだと安心なのだが…。


 県道2号に入り南へ向かう。香川県東かがわ市から徳島県阿波
市への県境に、徳島県天然記念物「境目のイチョウ」が立つ。高さ
16m、樹齢は600年を越えるという。


 そばの角から東に向かって進み、中尾峠のところは1㎞足らず、
右手の遍路道を下る。


 黒川沿いに出て、白鳥温泉と黒川温泉前を通過、下山バス停で
左からの国道377号に入った。

 福森の集落は右手の旧道を抜け、依田神社で小休止する。近く
の福永小校庭で体育中の児童は、11人だけだった。

 西山から県道40号に入る。国道もこの県道も、上下各1車線
で歩道もあり、車は少なく歩きやすい。

 山間を抜けて、田んぼの上でヒバリがさえずる広い田園地帯に
出た。高松自動車道引田(ひけた)IC近くの、成松神社にベンチ
があったので昼食とし、八十窪お接待のおにぎりをいただく。


 海沿いの引田の町並みに並行する道路になったので、多少車
は増えたが、さほどでもない。馬宿川の橋を渡ると、正面は光洋
精工の広い工場敷地となり入れず、右岸を少し進んで東に向かう。

 JRの北側にある番外霊場東海寺に回って参拝する。源平の
屋島合戦の折、義経や弁慶などが当山に1泊したという。


 線路の南に戻り、さらに東へ。これから上がる大坂峠の上に、
二つの送電塔が見える。

 JR讃岐相生駅近くを通過、海沿い国道11号からの遍路道と
合し、大坂峠への山道にかかる。

 ここまで広い歩道付きの車道が続き、見どころは東海寺だけだ
ったが、車が少なく歩きやすかった。

 峠への上り道も幅広く、傾斜も緩くて歩きやすい。木の間から、
引田の町並みや海が見下ろせる。


 キブシがあちこちに花を開いていた。


 香川県東かがわ市と、徳島県鳴門市との県境、大坂峠付近は、
常緑樹の気持ちよい林間の道が続く。


 峠から右に回り込んで上がり、送電線鉄塔そばのピークに着き、
休憩する。その先は、丸木の段を下り、県道1号を横断後、疑木
の段の急降下となる。

 JR高徳線の線路沿いに出て、無人の阿波大宮駅で最後の休憩
をする。まもなく県道1号に入ったが、こちらも車は少ない。

 板野町の町並みに入り、16時30分、JR板野駅前のばんどう
旅館に着いた。女性遍路が先着したばかりという。名簿を見ると、
なんと私と同じ所沢の方。今日1番をスタートしたらしい。

 2階の部屋は洗面所付き。風呂も2階。夕食は18時から1階の
食堂で。所沢のMさんと話しながら食べ、夕食後、おすすめの宿
を教えてあげる。

 Mさんは、千メートル級の山へご主人とよく行かれるとのこと、
今回は51番くらいまでの区切り打ちを予定されているという。

 今朝5時に家を出て、新幹線経由、大阪から徳島へバスで来た
が、予定より遅れたのでここ泊まりとなったとのことだった。

(コースタイム〉民宿八十窪6:40ー長野三差路7:35ー境目の大
イチョウ7:53~8:00ー黒川温泉8:50ー県道132号との三差路
9:19ー西山(国道318号との交差点)10:11ー宮奥池10:18ー小海
簡易局11:20ー成松神社(昼食)11:28~52ー東海寺12:37~50ー
JRガード横13:25ー大坂峠(県境)14:13ー大坂峠休憩所(鉄塔横)
14:32~42ー阿波大宮駅15:22~30ー太郎橋15:55ーばんどう旅館
16:30

(距離 35㎞、地図(1/5万) 高松南部、三本松、川島、歩行地
 香川県さぬき市(旧長尾町、白鳥町、引田町)、徳島県阿波市
 (旧市場町)、板野町、歩数 56,900)
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四国遍路道ふた旅(後編)・香川その7

2007-04-19 20:21:29 | 四国遍路道ふた旅
 第18日 2007年3月7日(水) 晴
 87番長尾寺~88番大窪寺
 =女体山を越えて無事結願=



 5時50分起床、6時半朝食、7時10分に、いしや旅館を出発
した。86番志度寺前で一礼して、南へ向かう県道3号に入る。

 片側に歩道はあるが、車は多い。今朝も冷え込んで手が冷た
い。JR高徳線オレンジタウン駅が見下ろせるが、階段のオレン
ジの屋根は色あせていた。

 4㎞近く進んで県道3号に別れ、東に並行する旧道へ。この先
行く87番の奥の院、玉泉寺に寄って参拝する。

 本堂前にフジの古木が枝を広げている。ご住職が堂内で朝の
お勤め中で、ホラ貝が鳴り響いていた。

 近くで県道に回り、ミニストップで昼食を求める。旧道に戻り、
鴨部川沿いに出る。雲が増えて太陽が隠れ、風が冷たい。

 お遍路さん休憩所のところで左折し、まもなく87番長尾寺に
着く。

 大ワラジの奉納された山門の上に鐘があるが、突くひもはない。
広い境内だが、松の木と香川県の保存木「クスの大木」以外は
樹木は少ない。

 大師堂のそばに、静御前の剃髪塚が、仁王門前には二つの
大きな経幢(きょうどう)があった。

 更に南に向かい、県道3号を1㎞ほど進む。塚原交差点から東
に並行する旧道の遍路道へ。小さいお堂の一心庵近くに、吹き
さらしのお遍路さん休憩所があった。


 いったん県道3号に出て、再び東側の遍路道に回る。


 前山ダムの堰堤が近づき、県道3号に戻り、ダムの南西側にある
「前山おへんろ交流サロン」に入る。

 館長代理の藤井さんから、歩き遍路への「四国八十八ヶ所遍路
大使任命書」第1242号をいただき、お茶と菓子もごちそうになる。
古い遍路札や衣装、写真などの展示も見て、40分ほど滞在した。

 藤井さんと一緒に出て、ダムの東側から入る女体山越えの遍路
道を、少しだけご案内いただく。来栖神社の先の休耕田に、サル
が10匹くらい出ていた。

 譲波公民館そばにあった譲波休憩所に、古い木のテーブルと椅
子があったので昼食とする。

 川沿いを緩やかに上り、車道に分かれて土道へ。棚田のフキノ
トウが、たくさん花を見せていた。上り坂の途中には、この辺に
多いと記されていたホオノキの落ち葉がたくさんあった。

 峠を越えて下りとなり、車道に出る。再び土道に上がると、すぐ
先で「四国のみち」の崩壊か所の工事中。通行止の表示もあるが、
工事中の人の了解を得て、通らせてもらう。


 木の段を上がって行くと、背後の高松市街や志度町の展望が、
木の間越しに見える。2、3日前に降ったのか残雪が現れた。


 最後は岩を手で確保しながらの急坂を上がり、標高776mの
女体山頂に着いた。

 北方の眺めがよく、左手の讃岐富士から、屋島、八栗山、志度湾
へと広大な展望が得られる。

 山頂に東屋があり、そばに標識が立つている。


 大窪寺に向かっての下りにかかる。

 車道を横断後、さらに下って右に入り、奥の院、胎蔵峰の小さい
社にお参りする。


 さらに少し下ると展望台があり、南側の山並みの展望がよい。

 15時26分、88番大窪寺の大師堂そばに下った。山を背にした
本堂と、左手の大師堂に参拝する。

 暖かく接して下さった遍路宿や納経所、お接待や励ましをいただ
いた地元の方々、そして気持ちよく送り出してくれた妻や家族など、
多くの方々のお陰で、2回目も元気に無事結願できたことに感謝し、
参拝、読経する。


 大師堂のそばに、核兵器廃絶の願いをこめた「原爆の火」が点り、
背後に、八十八ヶ所をお大師様とともに歩いた金剛杖を奉納した
宝杖堂がある。境内東側には、県の保存木、大イチョウが立つ。

 冷えてきた16時ちょうど、そばの宿、八十窪に入る。部屋は2階
の桜の間。暖房機があり、トイレ、洗面所付きで明るい。

 洗濯機を借り洗濯中に入浴。ところが蛇口から湯が出ず、浴槽
の湯で洗う。出てから、おかみさんに話したら、どうやらボイラー
を止めてあったらしい。「もう一度入る?」と言われたが、よいこと
にした。

 夕食は18時から。昨夜いしや旅館で同宿の京都・長岡京市の
男性も結願されてご一緒。私より2時間も早く着いたとか。

 おかみさんの心づくし、お赤飯などのごちそうをおいしくいただ
いた。

(コースタイム〉いしや旅館7:10ーオレンジタウン駅入口7:45ー
玉泉寺8:05~15ーお遍路さん休憩所8:40~44ー87番長尾寺9:00
~25ー塚原の宝政寺9:42~55ーお遍路さん休憩所10:10~12ー
前山お遍路交流サロン10:50~11:30ー来栖神社11:53~55ー譲波
休憩所(昼食)12:10~30ー峠13:17~20ー女体山頂14:18~32ー奥
の院・胎蔵峰14:58~15:05ー88番大窪寺15:26~56ー民宿八十窪
16:00

(距離 21㎞、地図(1/5万) 高松南部、歩行地 さぬき市(旧志度
 町、長尾町)、歩数 36,700)
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四国遍路道ふた旅(後編)・香川その6

2007-04-18 20:54:50 | 四国遍路道ふた旅
 今日も真冬並みの寒い1日でした。冬の間着ていて、洗濯屋
さんに出そうと袋に入れていた厚手のジャンパーを、昨日から
また着ています。

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 第17日 2007年3月6日(火) 晴
 84番屋島寺~86番志度寺
 =屋島から八栗山へ=



 6時20分起床、7時からサービスのおにぎりと味噌汁の朝食。
今朝はバナナもついていた。7時40分、東横イン高松中新町を
出発する。

 東に向かい、1㎞ほどで川沿いの遍路道に入って国道11号へ。
通勤の車が多く、歩道は通学、通勤の自転車と行き交う。風が
やや強く、時おり菅笠が飛ばされそう。


 春日川の橋からは、左前方に屋島が近づく。琴電志度線の潟
本駅横を北に上がり、屋島への遍路道にかかった。

 地元の人たちの毎日の登山路になっていて、次々と来る人たち
と「お早うございます」の挨拶を交わす。歩き慣れているのと、背に
荷物がないので、上りの人も次々と私を追い抜いて行く。

 弘法大師ゆかりの、「屋島御加持水「や「食わずの梨」を過ぎる
と、高度が上がり、枯れ木越しに高松市街地の展望が広がる。

 簡易舗装の道は結構傾斜があり、後半はジグザグに上がって、
84番屋島寺に着いた。

 広い境内には、本堂、大師堂のほかに、三躰堂、千体堂など、
多くのお堂があり、近代的な建物もある。朱塗りの本堂は鎌倉
期のものとか。

 山門に戻らず東に抜けて、展望台に出る。眼下に壇ノ浦と周辺
の家並み、正面にこれから行く五剣山(八栗山)も望まれる。

 下りは、木の段の急降下。杖を頼りに慎重に下る。途中で屋島
ドライブウェイを横断し、壇ノ浦近くの屋島東町の家並みに下った。

 車道を横断した先に、義経に仕えた源氏の武将、佐藤継信の墓、
その先には安徳天皇社と、壇ノ浦の源平合戦ゆかりのものが続く。

 県道150号に入り、少し先で川を渡って東へ。橋の先にあった
スーパーマルナカで、昼食を仕入れ、近くの須崎寺に寄る。

 遍路の父、信念の墓があり、本堂前の大イチョウは、県の保存
木。新しい塀に、源平合戦の絵図や、その説明パネルがある。

 牟礼北小の先で、細い遍路道を上がると、「うどん山田家」の前
に出る。昼どきとあり、車の客がたくさん来ていた。


 八栗山ケーブルの、八栗山麓駅下の芝生地にシートを敷き昼食。
冷たい風が来るが日差しもあり、そう寒くはなかった。


 ケーブルの左手を、八栗山に向かっての上りとなる。


 簡易舗装の車道をゆっくりと上がり、85番八栗寺に着いた。

 山門の正面、八栗山を背にして本堂があり、大師堂は右手の少
し先、隣の多宝塔そばの紅梅が見ごろだった。


 本堂の左手には、鳥居の奥に歓喜天の建物があり、神仏混合の
様相を見せる。

 大師堂の先から寺を出て、緩やかな傾斜の車道を下る。そばの
林には、キブシの花が多い。今日は真冬並みの気温で風が冷たく、
午後も厚手のシャツが脱げない。

 二ツ池親水公園まで下って県道145号に入る。琴電八栗新道と
JR高徳線讃岐牟礼駅の間で、国道11号へ。1㎞足らずで琴電の
北に回ると、瀬戸内海が迫り、対岸の本州の山が近くに見えた。


 古い屋敷の多い志度の町並へ。私の遍路用品の購入先、「表装
の詠智会」があったので寄る。奥さんに、菅笠、白衣、頭陀袋など
を通販で購入した旨話すと、「2回の歩き遍路をしたにしてはいず
れもきれいですね」との評。お接待に鈴のお守りをいただいた。


 平賀源内邸前を過ぎ、大きな石灯ろうのある角を通過し、番外
霊場地蔵寺に寄る。境内に、志度寺の十一面観音を刻んだ残り
木を埋めたのが芽生え、樹齢千年以上という夫婦柏が立つ。


 15時過ぎ、今日の宿、いしや旅館に着いた。ここも前回気に入
り2度目の宿。建物は国の有形文化財である。ザックを預け、少し
先の86番志度寺に行く。

 境内は広く、山門と本堂は国重文。りっぱな五重塔もあり、多く
のお堂や石仏が並ぶ。山門手前に、平賀源内の墓所、常楽寺が
ある。

 参拝、納経を終え、国道11号に回って志度局へ行く。2度目の
不要荷物の返送と、最後の資金補充をした。

 16時01分、いしや旅館に戻った。中間の建物の2階の部屋に
入る。ストーブが入っていて暖かく、広くて照明も明るい。今日は
気温が低く、汗をかかなかったので洗濯は省略した。

 夕食は18時から。同宿は、民宿岡田で一緒の京都・長岡京市
の男性。今回は香川県内の区切り打ち、1日25㎞平均にして、
無理しないようにしているという。

 日本ウオーキング協会会員で、私も参加した外秩父七峰縦走も
されたとのこと。車道の遍路道の改善要望のことなども話す。

(コースタイム〉東横イン高松中新町7:40ー春日川の橋8:32ー潟本
駅横8:49ー屋島上り口9:05ー84番屋島寺9:42~10:05ー展望台
10:10~15ー佐藤継信墓10:40~48ースーパーマルナカ11:10~22ー
洲崎寺11:24~30ー八栗ケーブル下芝生(昼食)11:52~12:20ー85番
八栗寺12:48~13:13ー二ツ池親水公園13:43ーふさざき駅・はら駅
間(休憩)14:19~25ー地蔵寺14:52~55ーいしや旅館15:02~05ー
86番志度寺15:10~34ー志度局ーいしや旅館16:01

(距離 22㎞、地図(1/5万) 高松南部、高松、歩行地 高松市
(旧高松市、庵治町、牟礼町)、さぬき市(旧志度町)、歩数
 38,800)
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四国遍路道ふた旅(後編)・香川その5

2007-04-17 19:22:31 | 四国遍路道ふた旅
 今日は1日冷たい雨で、気温も15℃に達せず、寒い1日でした。

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 第16日 2007年3月5日(月) 雨後晴
 81番白峰寺~83番一宮寺
 =高松市内の霊場を巡る=



 6時20分起床、7時朝食。7時25分頃東横イン中新町を出た。
雨なのでポンチョを被る。近くのローソンでおにぎりと牛乳を買い、
栗林公園北口駅7時43分発に乗る。

 高松駅で乗り換え、8時8分国分駅に着く。電車の中で雨用
ズボンとスパッツも付け、8時17分に国分駅をスタートした。

 雨は小降りになり、生暖かい風。ポンチョを着ているので、
少し歩くとむし暑い。昨日お参りした80番国分寺駅境を東に
抜け、国分寺跡にある創建当時の伽藍配置を復元した10分の
1模型を見る。


 車道を山すそに向かう道には、松の苗木畑が多い。


 簡易舗装の遍路道となり、山腹の石鎚神社公衆トイレそばまで
続く。

 その先は、幅広い土道となり、緩やかな上り。丸木の段があり、
「まむし注意」の標識が立つ。台車を引いて上る若い男性遍路を
追い抜く。「大変ですね」と声をかけたら、焼山寺は1日がかり
だったという。

 ジグザグの急登となり、振り返ると国分寺の町並みや南側の
山々の展望が展望が広がる。

 展望台に着き小休止後、稜線上の県道180号に上がった。
片側1車線ずつの舗装路だが、車はほとんど通らない。南西側、
自衛隊善通寺駐屯地の射撃訓練中らしく、激しい射撃音が時々
響く。

 前回より先まで県道を進み、右カーブ点で、駐屯地の境界沿い
に進む遍路道へ。500m足らずで県道の先方に出て横断、北に
下ると、自衛隊古田へい舎横に出た。

 西に向かい、緩やかに広葉樹の間を下って行くと、鎌倉時代
末期の摩仁輪塔と、馬などの乗り物を降りるように促す下乗石
がある。

 間もなく81番白峰寺(しろみねじ)である。

 標高260mの山の中腹、石段の上に本堂と大師堂があり、
十二支の守り本尊が並ぶ。


 石段下の北側に、崇徳天皇御廟所の頓証寺殿がある。

 気温が下がって寒く、梅はまだ咲き始め。山門を出て北側に
あるトイレ付近からは、瀬戸大橋が見えるのだが、今日はガス
で遠望は出来ない。

 もとの道を自衛隊古田兵舎そばまで戻り、その延長上を東に
向かう。アップダウンが少なく、歩きやすい落ち葉道。1丁ごとに、
きちんと町石も残っている。


 「陸軍用地」の標石も何個か残っていた。

 19町石を過ぎて上りとなり、県道281号に上がる。雨は小降
りとなり回復の気配。その代わり風が強まる。県道を少しずつ
下り、のぼりの並ぶ足尾大明神前を通過、最後は遍路道を進ん
で、82番根来寺(ねごろじ)に着いた。

 ここも標高365mの山腹にあり、境内は豊富な樹木に覆われ
ている。本堂の両側には回廊を巡らし、中に小さい万体観音像
が並ぶ。本堂前の白梅が見頃だった。

 境内西側に、昭和50年(1975)頃枯れ、樹齢約1600年と
いう白猴欅(はっこうけやき)が、屋根掛けで保存されていた。


 参拝、納経を終え、山門の横にシートを敷いて昼食。雨は上が
ったが風が冷たい。震えながら急いで食べ、下りにかかる。

 今回は直接、次の一宮寺に向かわず、別格霊場、香西寺(こう
ざいじ)も回ることにした。山門のすぐ左手、「四国のみち香西口」
の標識に従い、広く緩やかな道を下る。

 途中で自宅に電話し、半世紀近く前、職場の研修機関で1年間
一緒だった、近くに住むMさんの電話番号を聞く。Mさんに電話
したが、午前、散歩中に足をくじき外出できないとのこと。残念
ながら会えなかった。

 下に見える高松市街は晴れてきた。瀬戸内海の展望も広がり、
大型船も見える。柑橘畑の多い集落に下り、山すその道を東へ
回る。風が強く、菅笠が飛ばされそう。

 遍路標識が無く、途中で200mほど行き過ぎ、おかしいと気
づいて戻り、下の池に向かう。桑崎池など幾つかの池のそばを
抜け、別格19番、香西寺に着いた。

 本堂は、400年ぶりの改修中で、隣の小さなお堂が仮本堂。
その隣に大師堂が並ぶ。参拝客も多いのか、納経所には遍路
用品がたくさん並んでいた。晴れてきたので、雨具をしまう。

 山門のそばには、たくさんの水子地蔵が並んでいる。

 納経を終えたら14時45分、次の一宮寺までは11㎞ほど。
今日も17時までに納経を終えたいと、ビッチを上げることにする。

 香西局の先で県道177号に出た。さらに左からの車道に合し
て車が増える。JR予讃線鬼無駅そばで東に回り、駅で小休止
した。

 木津川の東に出て、右左右左と数度曲がり、南に向かう。香東
川左岸敷きの歩行者と自転車専用の道に入った。

 高松自動車道と二つの橋下を通過する。川の流れは少ない。

 自転車道を離れ、県道12号香東大橋を渡って東へ。一宮町の
町並みに入り、16時30分に83三番、一宮寺に着いた。

 大師堂の奥に、昨夏落成の白木の真新しい護摩堂が出来て
いた。境内に、悪人が頭を入れると抜けなくなるという薬師如来
の石像がある。無事納経できホッとする。


 東側の山門を出て北に向かう。県道172号が遍路道だが、
歩道がないので東に並行する国道19号に回った。角にある
「セルフうどんはすい」に入ろうと思ったが、17時閉店だった。

 ひたすら国道を進み、18時27分、東横イン高松中新町に
入る。今日も納経時刻を気にして後半急いだので、疲れて眠い。

(コースタイム〉東横イン高松中新町7:25ー栗林公園北口駅
7:43=高松駅7:49~53=国分駅8:08~17ー国分寺跡8:27
~30ー上り口8:53ー展望台9:27~33ー陸自古田兵舎下り口
10:01ー81番白峰寺10:18~45ー兵舎横分岐11:01ー足尾大明神
11:53ー82番根来寺(昼食)12:12~40ー桑崎池東北の池13:35ー
別格19番香西寺14:09~35ー鬼無駅15:12~16ー高松自動車道
下15:53ー香東大橋16:15ー83番一宮寺16:30~56ー東横イン
高松中新町18:27

(距離 31㎞、地図(1/5万) 丸亀、玉野、高松南部、歩行地
 高松市(旧国分寺町、高松市)、坂出市、歩数 54,500)
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四国遍路道ふた旅(後編)・香川その4

2007-04-16 21:48:13 | 四国遍路道ふた旅
 今日午前、救急入院した病院へ再診に行きました。脳外科は、
今のところ特に問題なく、2~3か月の間に脳内の出血による副
作用がなければ大丈夫とのこと。

 あと、手の甲の擦過傷がまだ全治していないので、来週初め
再訪することにしました。
 診断結果により通常生活に戻れるので、ひと安心です。

===========================

 第15日 2007年3月4日(日) 快晴後晴
 76番金倉寺~80番国分寺
 =宇多津のひなまつりを見る=



 5時20分起床、好天である。6時から御影堂でお勤め。
講話では、お大師様が一夜の宿を乞うたが断られ、十夜ヶ橋の
下で寝た話から、その異聞もあるとか、辛いことがあっても考え
方を変えてみると楽になる、というようなお話があった。

 昨日は11人ほどの坊さんだったが、今朝は日曜だからか6人
だった。戒壇巡りは省略して、6時45分頃に食堂に行く。

 食事を終え、連泊した善通寺宿坊を7時28分に出た。善通寺
市街を東に進み、JR土讃線の東に出て、北へ向かう遍路道へ。

 田や畑、住宅地の混在する道は、車が少なく歩きやすい。高松
自動車道の北に進み、間もなく76番金倉寺(こんぞうじ)に入る。

 正面に本堂、左に大師堂があり、広い境内に、ほかの幾つか
のお堂がゆったりと配置されている。

 本堂には、手で引くとカタカタ音のする願供養念珠が下がる。
鐘楼は、柱が何本もある変わった造り。

 境内には、善通寺師団長だった乃木大将が、客殿に仮住まい
中、来訪した静子夫人に会わず、途方に暮れた夫人がたたずん
だという「妻返しの松」の2代目がある。

 暖かいので厚手のシャツを脱ぐ。今朝は軍手も不要だ。

 寺の西から、さらに北に向かう。多度津町に入ってすぐの、葛原
八幡宮に、県天然記念物でご神木の、太いクスノキがあった。

 その先は麦畑が多く、濃い緑一色で色鮮やか。これが、名物さぬ
きうどんの原料になるのだろうか。

 やはり車の少ない静かな車道を進み、77番道隆寺(どうりゅうじ)
へ。

 境内には、坂東、秩父、西国、計百観音の細身の石像が並んで
いた。


 寺の背後から東に向きを変え、県道21号に入る。一転して車の
交通量が増え、歩道もない。金倉川の先で、南に並行する遍路道
を少しだけ抜ける。

 丸亀の市街地に入り、城乾小近くに、近大、歌先生設計の「遍路
小屋18号城乾」があった。朱塗りで屋根のない独特の造り。

 ここから、近くに住む、昔の職場が一緒のFさんに電話し、市街
地の東にあるうどん店で会うことにした。


 丸亀市の中心、市役所前を通過、丸亀城を右に見て、土器川を
渡る。橋からは、南に霞む讃岐富士がよく見える。


 その先のうどん店前でFさんと落ち合い、うどんとおでんの昼食
をお接待いただき、30分ほど近況を交換した。

 県道33号を東へ進み、宇多津町に入る。間もなく78番郷昭寺。
高台なので、瀬戸大橋や宇多津の町並みの展望がよい。


 周辺の通りは、第4回「うたづの町屋とおひなさま」という催しを
開催中。

 民家や商店の玄関、店先、通りに面した部屋などに、きれいな
ひな段などが飾られ、観光客もたくさん訪れていた。

大束川の少し先で、ひな飾りは終わる。

 JR予讃線の北に進み、県道33号の南に並行する旧道で、
坂出の町並みを抜ける。中心の本町商店街にはアーケードが
あるが、衣料関係の店以外は閉めた店が多い。

 呉服店の奥さんに聞くと、「人が来なくなり、このようになって
しまった」と嘆いておられた。

 中心街を抜け、再びJR予讃線の南に回ると、番外霊場、八十
場(やそば)の水が、石垣の間から流れ落ちている。

そばにある八十場の名物、ところてんの店は、日曜休業で、食
べられなかった。

 ほどなく白峰宮に着く。ご神木の太いクスノキは、県の保存木。
地続きで79番高照院。境内は松が多く、本堂横の桜が見ごろ
だった。


 さて、次の国分寺まで7㎞近くあるが、15時になったので少し
急ぐことにする。

 線路の南側に沿った旧道を進み、加茂川駅の手前で県道33
号に回る。次の信号で橋を渡り、川の右岸沿いに進んで国道11
号に入る。

 上下2車線の広い車道で、歩道との間はナンキンハゼとシャリ
ンバイの植え込みがある。ピッチを上げて緩やかな上りを進み、
高松市に合併した旧国分寺町に入る。

 16時20分、80番国分寺に着き、ホッとする。広い境内には、
りっぱな松が並び、本堂は鎌倉中期の造りで国重文。銅鐘は創
建当時のもので、やはり国重文。ほかの寺は無料で撞けるが、
ここは有料である。

 大師堂内に、納経所と遍路用品の並ぶ売店がある。納経を終
え、ゆっくりと境内を回り、17時6分頃国分駅に着いたら、予定
外の17時8分発高松行きがあった。

 急いで切符を買い乗車、次の端岡(はしおか)駅で快速に乗り
換える。高松駅でも3分の乗り継ぎで高徳線へ。栗林公園北口駅
で下車し、17時42分頃、連泊する東横イン高松中新町に入った。

 10階のデラックスツィンの禁煙室で、部屋も広い。19時から
カレーライスの夕食サービスがあり、近くのローソンで買い足しの
ものも食べて補食とする。

(コースタイム〉75番善通寺宿坊7:28ー76番金倉寺8:19~45ー
葛原八幡宮9:02ー77番道隆寺9:35~57ー天満宮(讃岐塩屋駅先)
10:30~33ーヘンロ小屋丸亀城乾10:50~11・05ー土器川東のさぬ
きうどん(昼食)11:30~12:05ー78番郷昭寺12:39~13:04ーサテイ
坂出店13:55~14:05ー79番高照院14:45~15:00ー加茂川駅前15:22
ー80番国分寺16:20~52ーJR国分駅17:06~07=予讃線(端岡乗換)
=高松駅=高徳線=栗林公園北口駅ー東横イン高松中新町17:42


(距離 27㎞、地図(1/5万) 丸亀、歩行地 善通寺市、多度津町、
丸亀市、宇多津町、坂出市、高松市(旧国分寺町)、歩数 
55,100)
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四国遍路道ふた旅(後編)・香川その3

2007-04-13 12:52:37 | 四国遍路道ふた旅
 交通事故の後遺症として、いま1番気になるのが右手の甲
の傷です。3cm四方あるか無しですが、なかなかかさぶたが
つかず、入浴は止めていました。

 1週間になるので、昨夜は薄いビニール手袋をして、患部を
濡らさないようにしながら入浴しました。

 パソコン入力も、回復を遅らせるかと思いつつ、キーボードを
たたいてしまいます。

==========================

 第14日 2007年3月3日(土) 曇後晴
 75番善通寺
 =満濃池と金刀比羅宮へ=



 5時25分起床、6時から大師堂に当たる御影堂(みえどう)
にてお勤め。団体20数名、そして若いペアと私が参加。講話
では、「世界での争いには宗教間の対立が多いが、いろいろな
宗教も神も受け入れてくれれば、争いは無くなる」と言われた。

 そのあと、11人ほどの坊さんが、見事なハーモニーで声明
(しょうみょう)を唱える。お勤めを終え、「南無大師遍照金剛」
を唱えながら、真っ暗な階下の戒壇巡り。お大師様誕生地の
下では、お大師様の声が聞こえる。朝食は、7時頃になった。

 お勤めに参加した普段着の若いカップルは、東京北区の人。
昨日朝早く自宅を出て、JRの「青春18きっぷ」を使い、昨夜、
ここまで来たという。今日は、金刀比羅宮や高松を観光する
とのことで、お遍路ではなかった。

 7時45分に宿坊を出て、まず宿坊のある75番善通寺に
参拝。本堂は、御影堂や宿坊のある一角とは、道路を隔て
た東側の境内にある。

 広い境内には、五重塔や、巨大なクスノキ2本、新しい五百
羅漢などがあり、弘法大師生誕の霊地としての尊厳を感じる。

 納経を終え、いったん宿坊に戻る。白衣を脱いで普段着と
なり、今日の予定地、満濃池と金刀比羅宮に向かうことにする。

 市街地を1㎞余りのJR善通寺駅まで行き、8時52分発に
乗る。次の琴平駅で1両の阿波池田行きに乗り換え、もう1つ
先の塩入駅で降りた。

 駅前のT字路を左へ、車の少ない車道を東に向かう。田園が
広がり、田んぼやナノハナ畑を眺めながら3㎞余りで満濃池に
着く。


 まず、満濃池のほとりにある別格霊場17番、神野寺(かん
のじ)に入り、参拝し納経する。本堂のみで大師堂はない。

 
 そばの池を見下ろすところに、弘法大師像と昭和25年
(1950)3月15日の昭和天皇行幸碑がある。

 満濃池は、弘法大師空海が、弘仁12年(821)、3か月で
築いたという潅漑用の池。
 現在の堤高は32m、堤長155.8m、貯水量15,400
立方mだという。

 堤防上を神野寺とは反対方向まで行き、かなり水量の少ない
池を一望した。

 帰路は、金刀比羅宮経由で善通寺まで歩くことにする。
 北に向かって下り、県道200号を2㎞ほどで金倉川沿いの
車道へ。こちらも車は少ない。

 3㎞ほどでJR土讃線の南に出て、琴平の町並みに入った。

 土産店や旅館、うどん店などの並ぶ門前町から上り坂が始
まる。2つ並ぶうどん店の奥の店で、さぬきうどんの昼食を
した。


 金刀比羅宮の大門を入り、寄進者名の刻まれた大きな石柱
の並ぶ石段を上がる。

 江戸の昔、飼い主にかわって「こんぴら参り」をしたという
「こんぴら狗」の像が立っていた。

 
 表書院、旭社前を通過し、御本宮まで進み参拝する。


 傍らの見晴台からは、讃岐平野が見晴らせるが、今日は霞
んでいて、讃岐富士も下の方は見えない。


 さらに石段を奥の院まで上がり、朱塗りの色鮮やかな社殿に
参拝した。


 御本宮まで戻り、南側の絵馬殿へ。金刀比羅宮は海の神、
航海の安全を祈願した船会社などの奉納額が並び、その下に、
堀江謙一さんが平成8年(1996)の太平洋単独無寄港横断に
使った、2万枚のソーラーパネルを貼ったモルツマーメイド号が
奉納されていた。


 大門を経て県道208号に戻り、北に向かう。JR土讃線の
線路際で県道を分けると、車は減って歩き易くなった。

 サクランボのなる桜が満開の、線路沿いに3㎞近く進む。昨日
上がった捨身ヶ嶽禅定のある我拝師山が近づいてきた。


 善通寺市街に入り、自衛隊駐屯地横を過ぎ、護国神社を少し
のぞき、15時57分、善通寺宿坊に戻った。


 温泉の大浴場は、昨日同様私1人だけ。洗濯機、乾燥機も空い
ている。夕食は、17時35分頃食堂へ。

 前の席は、山形県鶴岡市の男性で、NHK教育TVの「はじめて
のお遍路」を見て、それに合わせて明日から善通寺をスタートし、
交通機関も利用した通し打ちで歩き遍路をするとか。すでに全部
の宿を予約したという。

 今日は早く宿に戻れたので時間の余裕があり、ホッとする。

(コースタイム〉75番善通寺宿坊8:20ーJR善通寺駅8:52=琴平
駅8:57~9:15=塩入駅9:20~25ー別格17番神野寺9:53~10:07
ー満濃池10:08~30ー水戸(すいど)交差点11:02ーJR土讃線踏
切11:40ーさぬきうどん(昼食)11:54~12:12ー大門12:33ー金刀比
羅宮御本宮12:40ー奥社厳魂神社13:05~12ー絵馬殿13:42ー
大門13:54ーJR線路際14:23ー線路離れる15:11ー護国神社15:35
~38ー75番善通寺宿坊15:57

(距離 22㎞、地図 丸亀、池田、歩行地 善通寺市、まんのう
 町(旧満濃町、仲南町)、琴平町、歩数 39,500)
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四国遍路道ふた旅(後編)・香川その2

2007-04-11 15:51:02 | 四国遍路道ふた旅
 交通事故の後遺症としては、意識障害などはありませんが、
右手の甲の傷が、昨夜包帯を外してみたら、かさぶたも一緒
にはがれてしまったので、入浴は止めました。パソコン入力も
静かにしないと、回復が遅れそうです。

=========================

 第13日 2007年3月2日(金) 晴
 70番本山寺~74番甲山寺
 =弘法大師修行の地や行場へ=



 5時20分起床、6時朝食。6時45分に若松屋別館を出る。
しばらくは、財田川左岸沿いに進む。

 雲が多くて日が差さず、手が冷たい。対岸の県道49号は車
が多いが、こちらは散歩やランニングの人が時々で、車も少なく
歩きやすい。冷えた空気で、対岸の更に北の山に煙らしいもの
がたなびいている。

 4㎞余り進み、川を渡って70番本山寺(もとやまじ)に入る。
本堂(下の写真)は香川県唯一の国宝とか。四国霊場では数少
ない五重塔もある。

 八脚の仁王門も国重文。ほかにも重文があり、歴史の古いこと
が分かる。杉木立の上で、カラスが賑やかに鳴く。

 国道11号に出て、しばらくは北に進む。相変わらず車が多い。
少し先で右手の旧道、さらに池の横から左手の旧道が新しい
遍路道になっていて、こちらは車を気にせずに進める。

 旧道沿いにある幾つかの池には、アオサギが多い。

 再び国道11号に出て、スーパーマルナカで昼食の弁当を仕入
れ、近くの高瀬郵便局で資金補充をする。

 高瀬川の先から国道に別れ、県道221号へ。県道といっても、
車の行き違いが出来ぬほど狭い。しかし車は少ないので安全だ。


 青空が広がり、暖かくなってきた。県道を離れて正面に山すそ
が近づき、上り道となる。

 山門から500余段の急な石段を上がって、71番弥谷寺
(いやだにじ)。この上がりは、さすがに汗が増える。中間に、
納経所もある大師堂、さらに石段の上に本堂が立つている。

 本堂からは、南西方の展望がよい。本堂の横の大岩には、
3体の真崖仏が刻まれている。


大師堂は、靴を脱いで参拝、読経し、堂内の納経所で納経印
をいただく。背後に、お大師様が修行したという岩屋がある。

 下の山門まで戻り、少し下った俳句茶屋で、名物のところ
てんを食べ、へんろ道に入る。


 広葉樹林や竹林などを下り、池のそばに出た。前回の昼食地
だが、土の道は舗装されていた。

 今回もここでシートを広げて昼食。暖かい日差しを浴び、池を
眺めながらのんびりと食べる。

 高松自動車道下を南に回り、側道を少しで、2つの池の間か
ら国道11号と県道48号を少し抜ける。72番の横を進んで先
に73番出釈迦寺(しゅっしゃかじ)に行く。

 境内は狭く、本堂と大師堂は並び立つ。納経後、納経所に
ザックを預けて奥の院に向かう。

 新しい奉納者銘入りの石灯ろうが並ぶ急坂、折り畳み杖を
頼りに、ゆっくりと上る。香川の保存木・カヤの大木、弘法
大師ゆかりの柳の水などを過ぎ、標高350mの奥の院・捨身
ヶ嶽禅定(しゃしんがたけぜんじょう)に上がった。

 居られた若い僧侶の勧めで、本堂内に入って参拝、読経。
納経印をもらった後、その僧侶に教えてもらい、弘法大師が
修行したという行場に向かう。

 急傾斜なので、杖は置いて行くように言われ、くさり3箇所
と垂直に近い感じの岩をはい上がって、「捨身誓願の地」と
記された絶壁の中腹に着く。

 石仏が数体あり、周辺の展望が絶景である。

 「下りは前向きに」と言われたので、そのようにして慎重に
下る。下の納経所に戻ったのは、山門に入ってから2時間
近かった。

 預けたザックを受け取り、すぐ下の72番曼陀羅寺(まんだ
らじ)へ。

 東側の山門から入ると、正面に本堂、左に大師堂が立つ。
山門そばのしだれ梅が、よい彩りを見せる。

 県道48号を東に少しで、田んぼの中の遍路道を進み、74
番甲山寺(こうやまじ)に着く。

 ここも比較的狭い境内。正面に本堂、左手に大師堂があり、
その奥に新しい毘沙門堂が出来ていた。

 少し汚れた川沿いを進んで、善通寺市の町並みに入り、75
番善通寺に17時5分に入った。

 納経時刻は終わっていたので、直接宿坊に入る。前回2泊
した宿坊、受付を済ませ、2階226号室に入る。

 受付で連泊をお願いしておき、17時からの夕食後、確認に
行ったら、明日も使える洋間の261号に変えて下さった。
この部屋はテレビ付きのツイン室で、ベッドも2つある。

 風呂は17℃の単純アルカリ泉を沸かした温泉風呂。夕食後
入ったら、広い温泉にほかに1人だけだった。

 夕食の席は、車で回る3人のグループだけで、歩き遍路は
いない。洗濯機、乾燥機とも4台あり無料。夕食メニューもよく、
お勧めの宿坊である。

 今日は、弥谷寺と捨身ヶ嶽禅定への上り下りで疲れたのか、
このメモを書く間も、眠気が来てたまらなかった。

 今日も、4日遅れで歩くSさんと、携帯電話で情報交換する。
このところ毎日連絡している。

(コースタイム〉若松屋別館6:45ー70番本山寺7:43~8:10ー
国道南側旧道の火の見8:44ースーパーマルナカ9:32~41ー
遍路石(70番から9㎞地点)10:33ー71番弥谷寺11:15~12:01ー
俳句茶屋12:03?~12:13ー高松自動車道北側の池(昼食)12:31
~13:00ー73番出釈迦寺13:39~53ー捨身ヶ嶽禅定14:27~15:03
ー73番出釈迦寺戻り15:28ー72番曼陀羅寺15:35~55ー74番甲
山寺16:21~44ー75番善通寺宿坊17:05

(距離 27㎞、地図(1/5万) 観音寺、仁尾、丸亀、歩行地
 観音寺市、三豊市(旧豊中町、三野町)、善通寺市、歩数 
 48,100)
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四国遍路道ふた旅(後編)・香川その1

2007-04-06 23:32:14 | 四国遍路道ふた旅
 第12日 2007年3月1日(木) 快晴後晴
 66番雲辺寺~69番観音寺
 =四国霊場の最高地に上がり香川県へ=



 5時50分起床、6時30分朝食、おにぎりのお接待をいただき、
「また来なさいよー」との岡田さんの声に送られ、7時9分に民宿
岡田を後にした。

 雲ひとつ無い快晴で冷え込み、大霜で田んぼや草が白い。
徳島自動車道下をくぐり、遍路道へ。

 広葉樹の落ち葉道で歩きやすい。同宿の高知県の若い女性
が追い抜いて行く。

 ウグイスの美声が、上りの辛さを和らげてくれる。松の落ち葉
道となり、更に上がって送電線の走る稜線上の車道に出た。逆
打ちの男性遍路が、相次いで2人下ってきた。

 雲辺寺(うんぺんじ)近くまで上がると、山並みに霞を被った
東側の山並みの展望がすばらしい。

 2時間足らずで、66番雲辺寺に上がった。

 標高910m、四国八十八ヶ所の中で最高所にある寺である。
境内からも東方の山並みの展望が得られる。
 


 林立する太い杉木立の間に幾つかのお堂が立つ。参拝を終え、
東に回ると、新しい五百羅漢像が並んでいる。


 稜線を進み、2基並ぶ電波塔のひとつ目の先から下り道へ。
香川県に入った。少し下がると、今回回る予定のロープウェイの
山ろく駅経由、萩原寺への分岐がある。

 その道を下って行くと、枯れ枝の間から観音寺の町や瀬戸内
海が見えてきた。落ち葉がたっぷり積もっていて歩きやすい。

 中間辺りは、少し傾斜がきつく石も増えたので、注意して下る。
長いロープウェイのケーブルを見上げ、塔の下で反対側に回る
と、再び歩きやすくなり、ロープウェイの山ろく駅に下った。

 ここからも、観音寺市街の展望がよい。

 あとは車道、緩やかな台地を下って行くと、雲辺寺ヶ原史蹟
広場があり、もと陸軍善通寺師団の演習地だったことが記され
ていた。振り返るとロープウェイのロープがよく見える。

 かんきつ畑の間を下る道はのどかで、気温も上がり遍路日和
となる。潅漑用の大谷池近くまで下り、別格16番、萩原寺に東
から入る。

 本堂は東側にあり、斜面を少し下ったところに大師堂がある。
境内は広く木々が豊富。参拝を終えたら正午近いので、茶店の
近くの椅子で昼食とし、民宿岡田お接待のおむすびをいただく。

 ロープウェイ山ろくへの下りで、予想以上に時間を費やし、17
時までに68,69番の納経に間に合うか心配になってきたので、
午後はペースを上げることにする。

 県道241号に出て、畑作地帯を北に急ぐ。粟井の交差点で右
折し、さらに東側の山すそ、岩鍋池近くまで進んで左折、67番
太興寺(だいこうじ)に着く。

 東側の山門を入ると、樹齢1200年というカヤの大木と、県の
保存樹木の大クスが立つ。

 正面の本堂は修理中で、右手の少し小さい天台大師堂が仮
本堂になっていた。

 バスの団体が来たので、急いで納経所に行ったら、先に納経
印を押してくれた。納経所前の、サクランボが実るという桜が見
ごろ。

 寺の西側に回って、観音寺の中心街に向かう。国道377号を
横断、すぐ横の道を豊田小そばの交差点まで進み、さらに西に
向かう。

 田んぼや畑、点在する民家の間の車道だが、車は少ない。水
が満々とした仁池のそばの心光院は、前回、同行のIさんと休ん
だところだが通過する。


 県道6号に入り、高松自動車道の近くに、「手打ちうどんおお
きた」がある。入りたかったが、やはり17時の納経時刻が気に
なり通過した。

 国道17号との交差点際のスーパーマルヨシに入り、草餅と
牛乳を買い、昼食の補食とした。

 JR予讃線の踏切を越え、観音寺の市街に入った。急いだお
陰で、今日の宿、若松屋別館に16時前に着く。ザックを預け、
財田川の橋を渡り、68番神恵院(じんねいん)、69番観音寺
に入る。

 同じ境内に2つの霊場があるのはここだけ。神恵院本堂は
コンクリートづくりの四角い建物。境内の真ん中に根の巨大な
クスノキが立つている。

 納経を終え、観音寺側の本堂と大師堂の間の石段を上がり、
背後の車道に出て、展望台に上がる。

 眼下の有明浜に、大きな寛永通宝を砂で描いた「銭形」が見
下ろせる。付近は、枝の曲がった老松が何本もある。

 車道をぐるりと回ったが、前回も寄らずの琴弾八幡宮の下に
出てしまった。もう一度上がる気にもならず、そのまま戻ること
にした。

 17時5分、若松屋別館に入った。この宿も、前回気に入り2
度目。「3階のどこでもいいですよ」とおかみさんに言われ、1番
奥の部屋へ。小さいトイレと洗面所付きだった。

 入浴し、18時10分からの夕食は1階の食堂で。出張者4人
のほか、遍路も2人いるようだが、素泊まりとのことだった。

 1人でおいしい料理をいただきながら、冬山にも行くという
おかみさんに、山の話を聞く。おかみさんは、ホームページも
開設しているので、私のブログも紹介する。洗濯は、出張者の
後になった。

(コースタイム〉民宿岡田7:09ー稜線の車道へ8:22ー66番雲辺
寺9:05~35ーロープウェイ山ろく駅10:48~53ー別格16番萩原寺
(昼食)11:53~12:10ー国道377号へ12:56ー67番大興寺13:35~
14:00ー豊田小際交差点14:45ーマルヨシセンタ15:03~13ー若松
屋別館15:51~54ー68神恵院・69番観音寺16:04~32ー琴弾公園
ー若松屋別館17:05

(距離 30㎞、地図(1/5万) 伊予三島、観音寺、歩行地 三好
 市、香川県観音寺市(旧大野原町、観音寺市)、三豊市(旧山本
 町)、 歩数 51,600)
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