2014年9月28日(日)
夏休みを挟んで2か月ぶり、カントリーウオークグループの第216回例会に参加する。
集合地の東武東上線の若葉駅東口を10時10分にスタートした。
== 緑豊富な駅東口の街並みを抜け坂戸市民総合運動公園へ ==
駅前を北東に延びる幅広い市道には、幹の太くなったトチの街路樹が続き、歩道も自転
車レーンが区切られ歩きやすい。交差する道路も幅広い直線で、駅の新設に伴い開発され
て良好な住宅地になったことがうかがえる。
その中心部にある富士見公園は、開発前の山林を残したのか大きく伸びた広葉樹に覆わ
れれ、良い緑陰になっているが、利用している市民の姿は少ない。
次の交差点を左折した広い通りはさらに豊富な街路樹が続き、残暑を忘れさせてくれる。
すぐ先の千代田公園もユリノキなどの高木に覆われているが、富士見公園ともども、デ
ング熱には感染してはいないだろうが、幾つも飛ぶ蚊の攻勢が気になった。
公園の北側に回ると、咲き出した大きなキンモクセイが、かなり強い香を漂わせている。
富士見工業団地の中心部を貫く通りを西北に少しで右折、次の広いT字路を左折して住
宅地を北西へ。住宅が少なくなり、畑にはちょうど見頃のコスモスやキバナコスモスが咲
き競う。
そばの旧道を入ると、豊富な木々に囲まれた広い境内の大智寺(だいちじ)がある。
大きな石灯ろうの横からどっしりした山門を入ると、正面の本堂はなんと、カトリック
教会かと思われる寺らしくない造り。
正面は開かれていたので法事の行われていた堂内をのぞくと、祭壇は仏教スタイルだが、
その上部はステンドグラスになっていた。
境内には古い石灯ろうや物見やぐらのような鐘楼↑、弘法大師立像などがあり、本堂で
は11月8日(土)に、ソプラノ歌手やマリンバ演奏の大智寺音楽会が開催されるという。
東側の長屋門の前には、石造の布袋様がほほえんでいた。
近くの神社マークのところの神社は見つからず、県道74号を横断し、民家の裏手に大
きな柑橘の実る横を通過して、昼食地の坂戸市民総合運動公園に11時55分に着いた。
相撲場の横の芝生広場にある桜の緑陰で昼食とする。
== 塚越から下広谷を経て鶴ヶ島駅へ ==
昼食を終えてミーティングを済ませ、13時ちょうどに総合運動公園を後にする。東進
して、北側に広がるひこばえの伸びた田園地帯を眺めながら進み、勝呂(すぐろ)小の背
後から東に回る。
古くからの農家の多い石井集落の北東端辺りをV字状に折り返す。周辺にはキバナコス
モスが咲き、例年より早めに色づいた柿の実があちこちで目に入る。
家並みの中心部、そこだけ高くなっていた上部に、勝呂神社が祭られていた。
神社の創建は第10代崇神(すじん)天皇の時代、建淳河別命(たけぬかわけのみこと)
が東夷平定にあたり、命の死後この地に御陵を築いて東北鎮護の神とし、その後、加賀一
の宮の白山比(はくさんひめ)神社の神霊を勧請したという。
つまりこの地は建淳河別命を祭った円墳で、円径は約50m、高さ4.2mほどの上に
勝呂神社が祭られており、円墳は「勝呂神社古墳」と呼ばれているようだ。
江戸時代には郷土の産土神(うぶすながみ)として人々に崇敬され、三代将軍家光から
慶安2年(1649)にご朱印状を賜わり、以後代々の将軍もそれに従ったと伝えられると
いう。
昭和40年代(1965~)までは古墳上の社殿右手に大杉があったというが、今はそ
の傍らに霊石が祭られていた。
東側の民家にも、たわわに実った柿の木が見え、そばの畑にはコスモスとキバナコスモ
スが見頃である。
南に向かい、小さい流れの白山橋を渡って塚越集落に入り、りっぱな杉木立や数本のシ
ダレザクラに囲まれた大宮住吉神社へ。
北武蔵十二郡の総社として古い歴史のある神社で、神社の神職は南北朝時代から代々、
勝呂家が大宮司を努めてきたとか。
神社に伝わる大宮住吉神楽は、2月の大祭に大宮司と集まった神職が、古事記、日本書
紀、古語拾遺集(こごしゅういしゆう)などの神話を題材にして創作したという。
境内から北東間近に、大きな社殿の西光寺が望まれるが、回るのは省略した。
南側の道路を隔てて弁天池があり、Tさんが手をたたいたら大きなコイがたくさん近寄
ってきた。池畔のススキが秋の風情を見せる。
馬頭尊の並ぶ前を通過し、塚越集落をさらに南進すると、民家のプラムだろうか、白い
花が狂い咲きしている。
住吉中の西北側道路際にペチュニアが咲き競っていたので、今日の記念撮影をした。
若葉駅前から延びる市道に入り、右手に見える中国風の建物のそばに行く。「聖天宮
(せいてんくう)」と呼ぶ中国、台湾の伝統宗教である道教の宮殿で、昭和56年
(1981)から15年かけて平成7年(1995)に開廟したもので、現存する道教の
お宮では国内最大級とか。装飾品は台湾から運び、台湾の宮大工により建造されたという。
拝観料は300円だが時間の都合などあり入らず、暑くなった残暑を避けてそばの緑陰
で小休止した。
高圧送電線の集まる新坂戸発電所の西側で圏央道の下を抜け、広い広葉樹林の先にあっ
た若葉霊園前で最後の休憩をする。
県道256号を横断し、広谷小の東側から流れの左岸沿いの道をたどって上流へ。
広谷新町の新興住宅地↑を抜けて駅に近い南精進の住宅地を進み、16時4分にゴール
の東武東上線の隣駅、鶴ヶ島駅に着いた。
(参加 15人、天気 快晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 川越北部、歩行地
坂戸市、鶴ヶ島市、川越市、歩数 24,500)
快晴で日陰は爽やかだったが、午後は気温が上がり日差しが暑く感じられ、帰路の電車
で2つ先の川越市駅の温度計は28℃を超えていた。
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夏休みを挟んで2か月ぶり、カントリーウオークグループの第216回例会に参加する。
集合地の東武東上線の若葉駅東口を10時10分にスタートした。
== 緑豊富な駅東口の街並みを抜け坂戸市民総合運動公園へ ==
駅前を北東に延びる幅広い市道には、幹の太くなったトチの街路樹が続き、歩道も自転
車レーンが区切られ歩きやすい。交差する道路も幅広い直線で、駅の新設に伴い開発され
て良好な住宅地になったことがうかがえる。
その中心部にある富士見公園は、開発前の山林を残したのか大きく伸びた広葉樹に覆わ
れれ、良い緑陰になっているが、利用している市民の姿は少ない。
次の交差点を左折した広い通りはさらに豊富な街路樹が続き、残暑を忘れさせてくれる。
すぐ先の千代田公園もユリノキなどの高木に覆われているが、富士見公園ともども、デ
ング熱には感染してはいないだろうが、幾つも飛ぶ蚊の攻勢が気になった。
公園の北側に回ると、咲き出した大きなキンモクセイが、かなり強い香を漂わせている。
富士見工業団地の中心部を貫く通りを西北に少しで右折、次の広いT字路を左折して住
宅地を北西へ。住宅が少なくなり、畑にはちょうど見頃のコスモスやキバナコスモスが咲
き競う。
そばの旧道を入ると、豊富な木々に囲まれた広い境内の大智寺(だいちじ)がある。
大きな石灯ろうの横からどっしりした山門を入ると、正面の本堂はなんと、カトリック
教会かと思われる寺らしくない造り。
正面は開かれていたので法事の行われていた堂内をのぞくと、祭壇は仏教スタイルだが、
その上部はステンドグラスになっていた。
境内には古い石灯ろうや物見やぐらのような鐘楼↑、弘法大師立像などがあり、本堂で
は11月8日(土)に、ソプラノ歌手やマリンバ演奏の大智寺音楽会が開催されるという。
東側の長屋門の前には、石造の布袋様がほほえんでいた。
近くの神社マークのところの神社は見つからず、県道74号を横断し、民家の裏手に大
きな柑橘の実る横を通過して、昼食地の坂戸市民総合運動公園に11時55分に着いた。
相撲場の横の芝生広場にある桜の緑陰で昼食とする。
== 塚越から下広谷を経て鶴ヶ島駅へ ==
昼食を終えてミーティングを済ませ、13時ちょうどに総合運動公園を後にする。東進
して、北側に広がるひこばえの伸びた田園地帯を眺めながら進み、勝呂(すぐろ)小の背
後から東に回る。
古くからの農家の多い石井集落の北東端辺りをV字状に折り返す。周辺にはキバナコス
モスが咲き、例年より早めに色づいた柿の実があちこちで目に入る。
家並みの中心部、そこだけ高くなっていた上部に、勝呂神社が祭られていた。
神社の創建は第10代崇神(すじん)天皇の時代、建淳河別命(たけぬかわけのみこと)
が東夷平定にあたり、命の死後この地に御陵を築いて東北鎮護の神とし、その後、加賀一
の宮の白山比(はくさんひめ)神社の神霊を勧請したという。
つまりこの地は建淳河別命を祭った円墳で、円径は約50m、高さ4.2mほどの上に
勝呂神社が祭られており、円墳は「勝呂神社古墳」と呼ばれているようだ。
江戸時代には郷土の産土神(うぶすながみ)として人々に崇敬され、三代将軍家光から
慶安2年(1649)にご朱印状を賜わり、以後代々の将軍もそれに従ったと伝えられると
いう。
昭和40年代(1965~)までは古墳上の社殿右手に大杉があったというが、今はそ
の傍らに霊石が祭られていた。
東側の民家にも、たわわに実った柿の木が見え、そばの畑にはコスモスとキバナコスモ
スが見頃である。
南に向かい、小さい流れの白山橋を渡って塚越集落に入り、りっぱな杉木立や数本のシ
ダレザクラに囲まれた大宮住吉神社へ。
北武蔵十二郡の総社として古い歴史のある神社で、神社の神職は南北朝時代から代々、
勝呂家が大宮司を努めてきたとか。
神社に伝わる大宮住吉神楽は、2月の大祭に大宮司と集まった神職が、古事記、日本書
紀、古語拾遺集(こごしゅういしゆう)などの神話を題材にして創作したという。
境内から北東間近に、大きな社殿の西光寺が望まれるが、回るのは省略した。
南側の道路を隔てて弁天池があり、Tさんが手をたたいたら大きなコイがたくさん近寄
ってきた。池畔のススキが秋の風情を見せる。
馬頭尊の並ぶ前を通過し、塚越集落をさらに南進すると、民家のプラムだろうか、白い
花が狂い咲きしている。
住吉中の西北側道路際にペチュニアが咲き競っていたので、今日の記念撮影をした。
若葉駅前から延びる市道に入り、右手に見える中国風の建物のそばに行く。「聖天宮
(せいてんくう)」と呼ぶ中国、台湾の伝統宗教である道教の宮殿で、昭和56年
(1981)から15年かけて平成7年(1995)に開廟したもので、現存する道教の
お宮では国内最大級とか。装飾品は台湾から運び、台湾の宮大工により建造されたという。
拝観料は300円だが時間の都合などあり入らず、暑くなった残暑を避けてそばの緑陰
で小休止した。
高圧送電線の集まる新坂戸発電所の西側で圏央道の下を抜け、広い広葉樹林の先にあっ
た若葉霊園前で最後の休憩をする。
県道256号を横断し、広谷小の東側から流れの左岸沿いの道をたどって上流へ。
広谷新町の新興住宅地↑を抜けて駅に近い南精進の住宅地を進み、16時4分にゴール
の東武東上線の隣駅、鶴ヶ島駅に着いた。
(参加 15人、天気 快晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 川越北部、歩行地
坂戸市、鶴ヶ島市、川越市、歩数 24,500)
快晴で日陰は爽やかだったが、午後は気温が上がり日差しが暑く感じられ、帰路の電車
で2つ先の川越市駅の温度計は28℃を超えていた。
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