2015年4月22日(水) 〈続き〉
足利市の中心部を東西に抜ける県道67号・中央通りの通六丁目にも、古い商家がわず
かに残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d1/5e509b7501f8eea0747c1f8d89a306d7.jpg)
市街地が終わる通七丁目の、山すそに見えた三宝院に寄る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/33/24f15cbb5e3ccb6ca69075f9a7ff8093.jpg)
豪壮な本堂の前に、花をいっぱい付けたモミジが新緑の彩り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/f3/c2b93278f4c991e87193bbd8cb22af5b.jpg)
墓地には、佐野唐沢城主藤原秀郷の子孫、足利五郎藤原行国の墓があるようだが、探す
のは止めて先に向かう。
近くの常念寺は、コンクリート造りの本堂が台地の斜面にたち、傍らに幼稚園がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/37/53ad2ea64c124c92d46d39344aadf0d0.jpg)
足利七福神の毘沙門天が祭られていて、何年か前の正月に、七福神めぐりで参拝したこ
とを思い出す。
創建は平安末期の康治2年(1143)と伝えられ、時宗の宗祖一遍上人(いっぺんし
ょうにん)が遊行中に荒廃した寺の再建に尽力したとか。境内には一遍上人像が立ってい
た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/e8/2e7edbbe951b52704336586f50078476.jpg)
その先は、県道の南に平行する車の少ない旧道を進む。JR両毛線と交差するところは
いったん県道で越え、再び旧道に戻り、近くの大手神社に寄る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/ad/5d67978180ce0c49eec85cf5bf9d746e.jpg)
祭神は、天岩戸(あまのいわと)開きの神話で知られる天手力男命(あまのたじからお
のみこと)。こぢんまりした開放的な境内で、社殿両側のケヤキのほかに木は少ない。
人間の手の神様として尊敬され、手を病む人や手の上達を願う者の祈願神のようで、手
の型を描いた絵馬がたくさん奉納されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/66/c92081597dbf4009245d7924dcf76c27.jpg)
南側に、渡良瀬川左岸河川敷にあったらしい足利競馬場の広い敷地が残り、その一角に
できた足利赤十字病院の大きな建物が見える。
さらに旧道を進んで、町田集落の八雲神社の横を過ぎる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/fe/db4b05bbffc3adac08f1e53d6b8d2546.jpg)
集落の西で県道に出て、北関東自動車道の下を抜けて南側の鹿島町に入り、12時17
分に鹿島神社に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/d4/b38eecaa4fbd0387bae98cbaa13512a4.jpg)
境内南側の木立の下は児童遊園地になっている。そばの、円筒状のコンクリート塊がた
くさん集められたところで昼食とした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/61/fb97c0cf9457287ab5ccb14bfdc79384.jpg)
12時45分に神社を後にして、集落の中を南東に進んで渡良瀬川に架かる鹿島橋際に
出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/65/c25bc2bc6def741f6000a12ae405d828.jpg)
橋の近くの通りのハナミズキも満開の彩り。左岸堤防には、自転車も通れる歩道が設け
られていた。
川の中ほどが栃木県と群馬県との県境。2006年4月24日、茨城県桜川市から栃木
県二宮町(現在は真岡市)に入ったが、毎年1日ずつしか、途中2年抜けた年もあり、
10年がかりでようやく栃木県を通過することができた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/ef/25d0654fc0a0d6e67a004f65e84e47e8.jpg)
右岸、太田市側の斜面林は淡い新緑が広がり、上流に霞むのは赤城山だろうか…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/57/4e55a28e381d54d6fad05209aa50b882.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/62/962c4ae7ead1350a118969ee024148c6.jpg)
堤防にはナノハナが咲き競う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/aa/269c33305b5e25495c5301eca1f29023.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/40/47bd44d172d53f54b1485413b3e6f0b7.jpg)
橋際にあるそば処を横に見て、只上(ただかり)町で北関東自動車道の下を抜けて県道
65号を出て、静かな旧道に回る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/71/d05bd7c804844f93aa48f129b7d38461.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/0b/fe4bf807ff91662350de91d17fb71d6a.jpg)
広い麦畑の横を通過して、浄水場の先で国道50号を歩道橋で越える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/32/f6b4a0356c329c4643d20d8ff33a0264.jpg)
その先、富若町には熊野神社があったので参拝した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/5e/3bd8c4b049f1063d1ff30a2eadf72ee5.jpg)
社殿左手の盛土の上に、文久元年(1861)銘の小さな祠(ほこら)が祭られていた。
集落の南端付近に、養蚕農家だったのだろうか、門構えの大きな民家が目に付く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/c9/c7a62c0d6a85c0f0fc75518d6d6f52c9.jpg)
小さい流れのところで、変則十字路を南西に真っ直ぐ伸びる道路に入る。物流センター
の前を過ぎると、行く手右手に金山城があったという金山(239m)が望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/9c/86207aa3c058e96ab1d62f1f4497b652.jpg)
国道122号を横断して東部消防署の横を過ぎ、山すその旧道を南西に進む。追分交差
点で国道407号に接し、さらに旧道を進んで熊野町に入り、無量庵に寄る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e4/f4281534385a4b871879a868dab3762f.jpg)
ちょうど東武伊勢崎線太田駅の北1㎞ほどのところだが、周辺は閑静なたたずまい。墓
地のそばのフジが、たくさん花を見せていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/b1/0bee10d8a6a7e4539dcbf7ecc590a7a3.jpg)
台地下の旧道を群馬大の北側まで進む。南に突き出た台地の階段を上がると嵩山神社だ
が、石段の途中に「社殿焼失の為参拝出来ません」の立て札。さらに少し上がったが、階
段最上部にロープが張ってあったので上がるのは止めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/f1/e0fa1b601bb92e19d31a9a0d1f38dc0e.jpg)
神社敷地の西側下部へ回ると、ツツジが色鮮やかに咲く。すぐ先でV字状に折り返して
北に伸びる道は、静かな住宅街を抜けている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/ec/1db81a5c9f4239996841d5faeabccff5.jpg)
300mほどで左折して、金山町を西進する。次の十路際に、山田屋という和菓子店が
あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/83/e2a83ba96fef30f054c3cf9b289dc3ab.jpg)
名物という焼きまんじゅうをひとつ注文し、温かいお茶とともにいただく。焼麩(やき
ふ)に醤油だれをつけたような感じで、フワフワした独特の味わいだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/18/e4a9bb923d56496af0fc7f3b2bc7353a.jpg)
太田といえば「吞龍(どんりゆう)さん」という名は、子どもの頃から知っていた。店
の人に聞いたら、この先寄る予定だった地図上の大光院だという。道理で、地図で市街地
や周辺を見ても、吞龍の字が見当たらなかったのだ。
八瀬川沿いに出て住宅街を北に真っ直ぐ進むと、広い境内の大光院に突き当たる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/ef/64a46708a4574f517061bc0e3449e9e2.jpg)
「吞龍様」の名で親しまれる大光院は、慶長18年(1613)徳川家康がその祖とし
た新田義重を追善するために創建したとのこと。大光院は義重の法号だという。寺領は
300石で、徳川幕府が定めた浄土宗の学問所「関東十八壇林」の一寺。
初代住職に迎えられたのが江戸・芝増上寺の吞龍上人。吞龍は庶民教育に心をくだき、
生活困窮者の子供を弟子の名目で養育し、その高徳により「子育て龍」として信仰を今に
集めているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/2b/abfc381f319f76d604880f3e19e068d6.jpg)
吉祥門と呼ぶ山門を入ると正面に大本堂があり、その間に吞龍上人お手植えと伝わる、
樹齢約700年の「臥龍松(がりゆうまつ)」と呼ぶクロマツの老松が、昇天する前の巨
龍のように枝を低く広げている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/70/59893a723f77b57e152870c7b3008b4a.jpg)
左手には朱塗り鉄筋コンクリート造りの開山堂が、本堂に近い大きな堂于を見せる。堂
内には、吞龍上人自作の尊像が安置されているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/38/3ff2af8a3ec962fde22113042c19f7b0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/02/15e238eab68ca7dd1135bca8a078f23c.jpg)
5月5日の花祭りを控え、境内には長いテントが幾つもつくられていた。当日の境内は
大賑わいになるのだろうが、今日は参拝者もまばらで閑散としている。
寺を出て八瀬川左岸沿いに500m近く進み、田園地帯を真っ直ぐに貫く車道を北進す
る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/20/6f5f080a52bd450ad8ad3f6701f2ef2f.jpg)
途中にはもう穂の出た小麦畑もあり、東側山すそには三枚橋病院の大きな病棟が望まれ
る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/3a/0382f80f04644dd7c7258c76ff92554b.jpg)
長手町まで進んで左折し、東武桐生線の無人駅、三枚橋駅に16時8分に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/fd/953e9531beb55dd900ac5ded7ab84d3a.jpg)
16時36分発東小泉行き上り電車で帰路につき、3時間15分ほどかけて20時近く
に帰宅した。
(天気 晴、距離 17㎞、地図(1/2.5万) 足利南部、足利北部、上野境、
歩行地 栃木県足利市、群馬県太田市、歩数 31,400)
徒歩の旅 ブログランキングへ
![にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ](http://outdoor.blogmura.com/walking/img/walking88_31.gif)
にほんブログ村
足利市の中心部を東西に抜ける県道67号・中央通りの通六丁目にも、古い商家がわず
かに残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d1/5e509b7501f8eea0747c1f8d89a306d7.jpg)
市街地が終わる通七丁目の、山すそに見えた三宝院に寄る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/33/24f15cbb5e3ccb6ca69075f9a7ff8093.jpg)
豪壮な本堂の前に、花をいっぱい付けたモミジが新緑の彩り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/f3/c2b93278f4c991e87193bbd8cb22af5b.jpg)
墓地には、佐野唐沢城主藤原秀郷の子孫、足利五郎藤原行国の墓があるようだが、探す
のは止めて先に向かう。
近くの常念寺は、コンクリート造りの本堂が台地の斜面にたち、傍らに幼稚園がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/37/53ad2ea64c124c92d46d39344aadf0d0.jpg)
足利七福神の毘沙門天が祭られていて、何年か前の正月に、七福神めぐりで参拝したこ
とを思い出す。
創建は平安末期の康治2年(1143)と伝えられ、時宗の宗祖一遍上人(いっぺんし
ょうにん)が遊行中に荒廃した寺の再建に尽力したとか。境内には一遍上人像が立ってい
た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/e8/2e7edbbe951b52704336586f50078476.jpg)
その先は、県道の南に平行する車の少ない旧道を進む。JR両毛線と交差するところは
いったん県道で越え、再び旧道に戻り、近くの大手神社に寄る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/ad/5d67978180ce0c49eec85cf5bf9d746e.jpg)
祭神は、天岩戸(あまのいわと)開きの神話で知られる天手力男命(あまのたじからお
のみこと)。こぢんまりした開放的な境内で、社殿両側のケヤキのほかに木は少ない。
人間の手の神様として尊敬され、手を病む人や手の上達を願う者の祈願神のようで、手
の型を描いた絵馬がたくさん奉納されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/66/c92081597dbf4009245d7924dcf76c27.jpg)
南側に、渡良瀬川左岸河川敷にあったらしい足利競馬場の広い敷地が残り、その一角に
できた足利赤十字病院の大きな建物が見える。
さらに旧道を進んで、町田集落の八雲神社の横を過ぎる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/fe/db4b05bbffc3adac08f1e53d6b8d2546.jpg)
集落の西で県道に出て、北関東自動車道の下を抜けて南側の鹿島町に入り、12時17
分に鹿島神社に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/d4/b38eecaa4fbd0387bae98cbaa13512a4.jpg)
境内南側の木立の下は児童遊園地になっている。そばの、円筒状のコンクリート塊がた
くさん集められたところで昼食とした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/61/fb97c0cf9457287ab5ccb14bfdc79384.jpg)
12時45分に神社を後にして、集落の中を南東に進んで渡良瀬川に架かる鹿島橋際に
出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/65/c25bc2bc6def741f6000a12ae405d828.jpg)
橋の近くの通りのハナミズキも満開の彩り。左岸堤防には、自転車も通れる歩道が設け
られていた。
川の中ほどが栃木県と群馬県との県境。2006年4月24日、茨城県桜川市から栃木
県二宮町(現在は真岡市)に入ったが、毎年1日ずつしか、途中2年抜けた年もあり、
10年がかりでようやく栃木県を通過することができた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/ef/25d0654fc0a0d6e67a004f65e84e47e8.jpg)
右岸、太田市側の斜面林は淡い新緑が広がり、上流に霞むのは赤城山だろうか…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/57/4e55a28e381d54d6fad05209aa50b882.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/62/962c4ae7ead1350a118969ee024148c6.jpg)
堤防にはナノハナが咲き競う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/aa/269c33305b5e25495c5301eca1f29023.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/40/47bd44d172d53f54b1485413b3e6f0b7.jpg)
橋際にあるそば処を横に見て、只上(ただかり)町で北関東自動車道の下を抜けて県道
65号を出て、静かな旧道に回る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/71/d05bd7c804844f93aa48f129b7d38461.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/0b/fe4bf807ff91662350de91d17fb71d6a.jpg)
広い麦畑の横を通過して、浄水場の先で国道50号を歩道橋で越える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/32/f6b4a0356c329c4643d20d8ff33a0264.jpg)
その先、富若町には熊野神社があったので参拝した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/5e/3bd8c4b049f1063d1ff30a2eadf72ee5.jpg)
社殿左手の盛土の上に、文久元年(1861)銘の小さな祠(ほこら)が祭られていた。
集落の南端付近に、養蚕農家だったのだろうか、門構えの大きな民家が目に付く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/c9/c7a62c0d6a85c0f0fc75518d6d6f52c9.jpg)
小さい流れのところで、変則十字路を南西に真っ直ぐ伸びる道路に入る。物流センター
の前を過ぎると、行く手右手に金山城があったという金山(239m)が望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/9c/86207aa3c058e96ab1d62f1f4497b652.jpg)
国道122号を横断して東部消防署の横を過ぎ、山すその旧道を南西に進む。追分交差
点で国道407号に接し、さらに旧道を進んで熊野町に入り、無量庵に寄る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e4/f4281534385a4b871879a868dab3762f.jpg)
ちょうど東武伊勢崎線太田駅の北1㎞ほどのところだが、周辺は閑静なたたずまい。墓
地のそばのフジが、たくさん花を見せていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/b1/0bee10d8a6a7e4539dcbf7ecc590a7a3.jpg)
台地下の旧道を群馬大の北側まで進む。南に突き出た台地の階段を上がると嵩山神社だ
が、石段の途中に「社殿焼失の為参拝出来ません」の立て札。さらに少し上がったが、階
段最上部にロープが張ってあったので上がるのは止めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/f1/e0fa1b601bb92e19d31a9a0d1f38dc0e.jpg)
神社敷地の西側下部へ回ると、ツツジが色鮮やかに咲く。すぐ先でV字状に折り返して
北に伸びる道は、静かな住宅街を抜けている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/ec/1db81a5c9f4239996841d5faeabccff5.jpg)
300mほどで左折して、金山町を西進する。次の十路際に、山田屋という和菓子店が
あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/83/e2a83ba96fef30f054c3cf9b289dc3ab.jpg)
名物という焼きまんじゅうをひとつ注文し、温かいお茶とともにいただく。焼麩(やき
ふ)に醤油だれをつけたような感じで、フワフワした独特の味わいだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/18/e4a9bb923d56496af0fc7f3b2bc7353a.jpg)
太田といえば「吞龍(どんりゆう)さん」という名は、子どもの頃から知っていた。店
の人に聞いたら、この先寄る予定だった地図上の大光院だという。道理で、地図で市街地
や周辺を見ても、吞龍の字が見当たらなかったのだ。
八瀬川沿いに出て住宅街を北に真っ直ぐ進むと、広い境内の大光院に突き当たる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/ef/64a46708a4574f517061bc0e3449e9e2.jpg)
「吞龍様」の名で親しまれる大光院は、慶長18年(1613)徳川家康がその祖とし
た新田義重を追善するために創建したとのこと。大光院は義重の法号だという。寺領は
300石で、徳川幕府が定めた浄土宗の学問所「関東十八壇林」の一寺。
初代住職に迎えられたのが江戸・芝増上寺の吞龍上人。吞龍は庶民教育に心をくだき、
生活困窮者の子供を弟子の名目で養育し、その高徳により「子育て龍」として信仰を今に
集めているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/2b/abfc381f319f76d604880f3e19e068d6.jpg)
吉祥門と呼ぶ山門を入ると正面に大本堂があり、その間に吞龍上人お手植えと伝わる、
樹齢約700年の「臥龍松(がりゆうまつ)」と呼ぶクロマツの老松が、昇天する前の巨
龍のように枝を低く広げている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/70/59893a723f77b57e152870c7b3008b4a.jpg)
左手には朱塗り鉄筋コンクリート造りの開山堂が、本堂に近い大きな堂于を見せる。堂
内には、吞龍上人自作の尊像が安置されているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/38/3ff2af8a3ec962fde22113042c19f7b0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/02/15e238eab68ca7dd1135bca8a078f23c.jpg)
5月5日の花祭りを控え、境内には長いテントが幾つもつくられていた。当日の境内は
大賑わいになるのだろうが、今日は参拝者もまばらで閑散としている。
寺を出て八瀬川左岸沿いに500m近く進み、田園地帯を真っ直ぐに貫く車道を北進す
る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/20/6f5f080a52bd450ad8ad3f6701f2ef2f.jpg)
途中にはもう穂の出た小麦畑もあり、東側山すそには三枚橋病院の大きな病棟が望まれ
る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/3a/0382f80f04644dd7c7258c76ff92554b.jpg)
長手町まで進んで左折し、東武桐生線の無人駅、三枚橋駅に16時8分に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/fd/953e9531beb55dd900ac5ded7ab84d3a.jpg)
16時36分発東小泉行き上り電車で帰路につき、3時間15分ほどかけて20時近く
に帰宅した。
(天気 晴、距離 17㎞、地図(1/2.5万) 足利南部、足利北部、上野境、
歩行地 栃木県足利市、群馬県太田市、歩数 31,400)
![](http://blog.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_2475_1.gif)
![にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ](http://outdoor.blogmura.com/walking/img/walking88_31.gif)
にほんブログ村