あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ふた旅(前編)・愛媛その4

2007-01-31 19:12:09 | 四国遍路道ふた旅
 第26日 2006年12月6日(水) 晴後快晴
 <43番明石寺>
 =鳥坂峠を越えて大洲へ=



 5時50分起床、6時30分朝食。お握りと牛乳、バナナなど
のお接待をいただき、7時10分に民宿とうべやを出た。好天
だが風はやや冷たい。


 県道31号を横切り、四国横断自動車道の工事現場近くから
遍路道へ。県道31号に出て少し進み、東屋のところから再び
山道に入る。

 200mほどは、くさりがついた急登なので、ゆっくりと上がる。

 あとは傾斜が緩み、宿から約1時間で標高480mの歯長(は
なか)峠に着いた。

 下から見えた送電線の鉄塔のところだ。小さいお堂にお地蔵
さんが数体並んでいた。

 下りは、展望のない杉の樹林を進み、工事中の四国横断自動
車道のトンネル横に出た。県道31号を少し下ると、歯長地蔵堂
がある。東屋もあったので休む。


 橋を渡らず、肱川左岸沿いに500mほど進み、右岸の県道
29号に回る。そばに番外霊場導引(みちびき)大師堂があった
のでお参りする。

 1㎞ほどは右を並行する旧道を進む。

 いったん県道に戻り、再び右手の旧道へ。松山自動車道の終
点、西宇和IC下を通過し、自動車道を2度くぐる。小さい森の中
の小さなほこらに、明石寺の奥の院、白王権現が祭られていた。

 山すその真っ直ぐな参道、途中に中務茂兵衛256度石が立ち、
43番明石寺(めいせきじ)に着いた。

 杉木立などの緑が豊富で、閑静な山すそにある。山門、鐘楼、
本堂、大師堂など、みな歴史を感じさせる。数本の太いモミジが
見ごろだった。

 前半の区切りの寺でもあり、無事ここまで歩けたことに感謝し
参拝、読経する。

 山門下から杉木立の中を上り下りして、宇和の町並みに入る。

 中町の通りは、旅館や酒蔵など、江戸末期から明治初期の家
がたくさん残り、その一つ、松屋旅館には、宿泊者や来館した
明治以降の著名人の名が掲げられていた。

 JR予讃線上宇和駅近くで県道29号に出て、すぐに東側の旧
道へ。「500m先遍路小屋」の標識があったので、昼食をしよう
と進んだが気づかず、宇和加茂局のそばで、県道に合流した。

 合流点に小さい芝生広場がある。県道の車の音が多生気に
なるが、シートを敷き、民宿とうべやさんお接待の弁当をいた
だく。

 広場には、交通安全を祈願する「安全の祈り」と記された、新
しいミニ地蔵が並んでいた。


 雲ひとつ無い好天となり、気温が上がり眠気とだるさを感じる。
その先も2か所、旧道を抜け、正信バス停先で左へ、鳥坂峠へ
の遍路道に下る。日陰の小斜面に、古い東屋があったので休
憩した。

 すぐ先、宇和島街道の要衝だったという鳥坂番所跡のそばか
ら、山道となる。

 上りが続くが、傾斜は緩めで幅も広く、かなりの人々の交流
があったことがうかがえる。

 しかし上り道はさすがに暑く、4日ぶりに大汗をかく。途中から
振り返ると、今通ってきた道筋が望まれる。

 鳥坂峠は標高470mだが、展望は得られず、すぐに下りに
かかる。

 杉林をトラバースすると、日天月天社という小さいほこらと、無
料宿泊小屋がある。林道に入り、途中の標識に従い下って国道
56号鳥坂トンネル北側に出た。

 少しだけ歩道が無いが、間もなく広い歩道が付いていた。国道
をどんどん下る。上りでは大汗をかいたが、下りの日陰は涼しい。
北方の展望が開け、雄大な山波が広がりが気持ちよい。

 2㎞近く下って右手に入り、番外霊場札掛大師堂に寄り参拝
する。前回は昼食をして、工事中の松山自動車道を見下ろした
のだが、すでに開通して料金所が見える。大師堂は無人だった。

 国道に戻り、さらにどんどん下る。川沿いの旧道に入り北只局
前を通過する。暗くならないうちに宿に入ろうと、ひたすら進む。

 松山自動車道下をくぐり、大洲の町並みに入った。おはなはん
通りなどの古い家並みも急いで通過、肱川から暮れゆく大洲城を
少しだけ眺め、17時ちょうど、ときわ旅館に入った。

 古き良き旅館のたたずまい。部屋は暖かくなっていて、布団も
敷いてある。洗濯機に入れて入浴、宿の若ご主人が、乾燥後、
きちんとたたんで持ってきて下さった。

 夕食は、広い部屋に1人だけで。旅館らしいきめ細かな味と飾り
付けで、おいしくいただく。

 最後の宿は、民宿とうべやさんのお勧めで来たのだが、若主人
の温かいもてなしと合わせ、大変気に入った。

(コースタイム〉民宿とうべや7:10ー山道入口(東屋)7:45ー歯長峠
8:05~15ー歯長地蔵8:55~9:04ー導引大師9:17ー稲生の旧道へ
9:54ー43番明石寺10:30~58ー宇和加茂局手前の広場(昼食)12:13
~40ー正信バス停13:37ー鳥坂番所跡手前の東屋13:54~14:00ー
鳥坂峠14:32ー鳥坂トンネル北14:58ー札掛大師堂15:33~38ー北只
局への旧道三差路16:11ーときわ旅館17:00

(距離 31㎞、地図 宇和島、卯之町、大洲、歩行地 宇和島市
 (旧三間町)、西予市(旧宇和町)、大洲市、歩数 53,700)
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四国遍路道ふた旅(前編)・愛媛その3

2007-01-30 19:19:36 | 四国遍路道ふた旅
 第25日 2006年12月5日(火) 晴
 <41番龍光寺~42番佛木寺>
 =宇和島市内を抜ける=



 5時50分起床、6時20朝食。夕食、朝食とも、別館2階の
部屋でいただく。野菜ジュースのお接待をいただき、おかみ
さんに見送られ、7時10分に三好旅館を出発した。


 古い民家の残る岩松川左岸から、右岸沿いの国道56号に
出る。通勤の車が多く、特に進行方向の宇和島方向への列が
続く。

 この交通量では、1710mもある松尾トンネルを排気ガスを
吸いながら歩く気にならず、西側を回る旧道へ。

 緩やかな上りが松尾トンネルまで続く。前回よりやや車が多い
感じだが、国道よりはるかに良い。

 旧道の松尾トンネル(約300m)内は歩道が無く、中間には
照明もないので、足元が見えないところもある。トンネルを抜け
て下り道となる。

 真珠貝破砕工場を過ぎ、大規模な採石場の反対側に、新し
い遍路道が出来ていた。

 遍路道は1㎞以上あるだろうか、柿木の集落まで続いた。
間もなく国道に合したが車を避け、西側の旧道を進む。

 1㎞足らずで工事中となり、国道56号へ回る。車の洪水で
騒音がわずらわしい。寄松の交差点から右へ入る旧道へ。
車が少なくなり、ホッとした。

 川沿いに出る手前に、番外霊場馬目木(まめき)大師が
あったので参拝する。

 背の高いイチョウがあり、落ち葉が一杯、お堂に積もって
いた。川沿いを500mほどで、宇和島の市街地になる。

 市街の真ん中の台地上に見える宇和島城の正面から右
に回り、中心街を通過し、アーケードの通りを横断する。


 NTTドコモショップがあったので入り、毎日幾つも着信する
迷惑メール対策をしてもらい、お接待の日本茶もいただいた。


 間もなく、別格6番霊場龍光院に着く。階段を上がった台地
上にあり、宇和島城や市の中心部の展望がよい。

 樹木の少ない開放的な境内に、四国八十八か所お砂踏み
場があった。かわいいお地蔵さんもある。


 宇和島駅の東側踏切を越え、国道320号へ。和霊町局で
最後の資金補充をする。北宇和島駅前を通過し、県道57号
に入る。

 上り坂にかかったところに、コンビニステーションと呼ぶ、無
人で飲料などの自販機が並ぶ場所がある。椅子と机が用意
され、前回も食事したところなので、今回もここで昼食とし、馬
目木大師の近くで買った弁当を食べた。

 県道57号は、光満川とJR予讃線沿いに北北東に少しずつ
上がって行く。陽が差し暖かくなったので、昼食後はジャンパ
ーを脱いだ。

 県道は広めの歩道があり、車も国道よりは少ない。市内の
あちこちで見た新春の宇和島闘牛のポスターが、梅林口バス
停にも貼ってあった。

 ちなみに、宇和島市のマンホールのふたのデザインは闘牛
である。


 家並みが少なくなり、急斜面に小規模の棚田も見える。新
屋敷バス停の先に、新しい遍路小屋21号光満があったので
休憩する。

 納札が数枚置いてあり、中に、同宿だった京都の人、途中
で会った鎌倉と鶴岡の人のもあり、元気に先行されていること
を確認した。

 この遍路小屋は開設したばかりのようで、真新しいノートに
は誰も記帳して無い。私がトップで記させてもらう。

 近くに、229度目の遍路を記した中務茂兵衛の遍路石が
立っていた。周辺では、四国横断自動車道の工事中である。

 県道を5㎞余り緩やかに上がって、ようやく拡幅工事中の
峠を越えた。予讃線務田(むでん)駅の手前で県道に分かれ、
広々とした田園地帯を北に向かう。


 2㎞足らずで41番龍光寺。久しぶりに鐘を突いてから参拝、
読経。山門は無く、石段上に本堂と大師堂が並ぶ。

 正面奥に稲荷神社もあり、サザンカが咲いていた。

 墓地の横から遍路道を上り下りして、県道31号へ出る。
この辺りも両側で四国横断自動車道の工事が進んでいる。静
かな里が、数年後はどう変わるのだろうか。

 明日越える歯長峠が正面に近づいてきた。


 龍光寺から40ほどで、42番佛木寺(ぶつもくじ)に着く。昨日
午後離れてしまった鎌倉のKさんが、お参りを終えたところ。
今日は歯長峠を越え、宇和町まで行くという。

 仁王門は古く、本堂の左に大師堂が並ぶ。鐘楼の屋根は、
四国霊場でもただ一つのかやぶきである。


 お参りを終え、500m前後で民宿とうべや。16時6に着いた。
おかみさんは居らず、親父さんが一人で世話をして下さる。

 洗濯機を借り、洗濯中に入浴。夕食は17時30分から。トロロ
汁などメニュー豊富で、おいしくいただいた。部屋は4畳半と狭
いが、暖房が良く利いてよい。

(コースタイム〉三好旅館7:10ー旧道へ7:44ー柿の木バス停8:48
ー祝森公民館9:12~20ーラッキーチェーン(旧道へ)10:18ー馬目
木大師10:25~29ーNTTドコモショップ10:55?~11:15ー別格6番
龍光院11:18~40ーコンビニステーション(昼食)12:23~49ー遍路
小屋21号光満13:41~55ー務田交差点14:16ー41番龍光寺14:37
~57ー42番佛木寺15:37~58ー民宿とうべや16:06

(距離 29㎞、地図 岩松、宇和島、歩行地 宇和島市(旧津島
 町、三間町含む)、歩数 47,200)
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四国遍路道ふた旅(前編)・愛媛その2

2007-01-29 22:58:38 | 四国遍路道ふた旅
 第24日 2006年12月4日(月) 曇後晴一時雨
 =柏坂を越えて津島へ=



 6時20分起床、7時からの朝食は、おかみさんと話しながら
いただく。昨夜はかなりの風が吹き荒れたが、朝になり治まる。
7時50分に民宿磯屋を出た。おかみさんが角まで見送って下
さった。

 御荘の町外れで雨が落ちてきたので、開店前のパチンコ屋
の軒下でポンチョを付ける。御荘の街路樹には、赤い実が
いっぱい付いている。

 坂道を北に上がっていると、後から大荷物の若い男性遍路
氏が追いつき、以後一緒に歩く。

 鎌倉市の人で、仕事を辞め、自分を見つめ直したいと遍路
に出たが、予想より厳しいという。12月下旬までの通し打ち
の予定で、野宿や善根宿などに泊まり、気の合った人に出会
ったら弾くというギターを片手に提げていた。

 国道56号は通勤者が多い。海の見えるところに、内海展
望所という東屋があったので休む。しかし今朝は気温が低く、
ポンチョを付けたままでも休むと寒い。

 真珠養殖のいかだを見下ろしながら内海へ下り、一昨年の
「トレッキング・ザ・空海」前夜祭会場だった思い出の場所、
ドーム形のDE・あい・21の手前から川沿いの遍路道に入る。


 500mほど集落を進み、民家の横から柏坂遍路道へ。竹杖
があったので借用する。広い土道を緩やかに上がる。かなり
ゆっくり上がったのと寒いので、上り坂だが汗も出ない。

 ところどころに野口雨情の歌碑が立ち、この地を詠んだもの
もある。


 番外霊場柳水大師そばの東屋で休んでいたら、ヒョウがパラ
ついてきたがすぐに止んだ。

 更に緩やかに上がり標高470mの最高点を過ぎ、番外霊場
の清水大師へ。小さいほこらだけで、名前のような清水はない。


 弘法大師ゆかりの日には、地元の人がお遍路さんに茶菓子
の接待をしたという、接待松を過ぎ、ビューポイントのつわな奥
に着いた。

 一昨年の「トレッキング・ザ・空海」で月岡祐紀子さんの屋外
コンサートを聴いたところ。海を見下ろす好展望地で、鎌倉の
遍路氏も感激する。

 緩やかな下りとなり、両側にはウラジロがたくさん伸びている。
送電線の鉄塔のそばの茶道休憩所にも東屋があり、休む。寒い
ので、一度脱いだジャンパーを着る。


 さらにウラジロの茂る緩い下り道を進み、川沿いの車道に出た。
150mほど戻ると、遍路ツバキがあるが、前回見たので寄らず
に先に向かう。

 弁当が無いので、どこかで調達したいが、遍路地図では5km
ほど先まで無さそう。もう13時になった。

 太陽が出ず寒さが気になる。ゆっくり歩きでは寒いので、どん
どん進んだら鎌倉遍路氏と離れ、見えなくなった。小さいがきれ
いな流れに、小魚がたくさん泳ぐ。

 上畑地の「泰山」という銘柄を掲げた造り酒屋、赤松本家酒造
前を通過し、国道56号沿いへ。

 国道下をくぐり芳原川沿いに進む。流れには、枯れススキが一
杯茂っていた。

 畑地小の先で橋を渡り、Aコープに入ったが、パンしかない。
パンを買おうとしたら店員が、道路向こうの農産物直売所にある
かも知れないと教えてくれた。

 行くと、「かも田の市」と呼ぶ農産物直売所で、幸いに弁当が
あった。そばに、11月15日にオープンしたばかりの歌先生設計
の遍路小屋19号津島・かもたもある。

 遍路小屋で遅い昼食をして、お接待に置いてあるポットの熱い
お茶とミカンを2ついただく。オープンに来た歌先生と山下さん
が記帳されたノートも拝見し、自分も御礼の記帳をする。

 鎌倉遍路氏は来ないので出発し、国道56号の北側の集落を
抜ける旧道を進み、15時56分に津島町の三好旅館に着いた。

 ここも前回大変気に入り、2度目の宿。部屋は暖かくなって
いて、ホッとする。風呂もよく、たっぷり浸かって冷え込んだ体を
温める。

 夕食は17時30分頃から。エビ、刺身、貝など、海の幸が一杯
でおいしい。1時間近くかけてゆっくりといただいた。

(コースタイム〉民宿磯屋7:50ー内海展望所9:38~52ー柏局手前
の三差路(遍路道へ)10:07ー柳水大師11:10~27ー清水大師
11:55ーつわな奥12:17~25ー茶道休憩所13:00ー国道横断14:05
ー遍路小屋津島・かもた14:33~15:08(昼食)ー三好旅館15;56

(距離 22㎞、地図(1/5万) 宿毛、岩松、魚神山(少し)、歩行地
 愛南町(旧御荘町、内海村)、宇和島市(旧津島町)、歩数
 40,100)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その16/愛媛その1

2007-01-28 21:41:10 | 四国遍路道ふた旅
 第23日 2006年12月3日(日) 曇
 <40番観自在寺>
 =松尾峠を越えて愛媛県に入る=



 5時50分起床、6時30分朝食。今朝は冷え込んだようなので、
厚いシャツにジャンパーを着て、軍手も着用し、7時20分に岡本
旅館を出発した。

 町外れのコンビニ、ローソンで昼食を調達し、西北に向かう遍
路道へ。住宅地の一角に、国史跡宿毛貝塚跡があった。

 縄文中、後期のもので、四国で最大規模のものだという。

 住宅地の外れから急坂を上がって行くと、宿毛湾や宿毛の
市街地の展望が開ける。

 
 舗装が途切れ、落ち葉がたっぷりの道を上がり、林間から
錦集落へ下った。


 3~40戸の集落を通過し、再び山道を上り下りして、両側に
池のある小深浦に出た。集落の間を抜けて車道に合する。少し
汗ばんできたので、ジャンパーを脱いだ。

 次の大深浦には、松尾坂口番所跡の説明板が立つ。東の番
所、甲浦とともに、土佐への出入りの監視所で、当時は1日に
2~300人の旅人で賑わったという。

 ポンカン畑の間を上がり、集落を抜けて、通夜堂にもなってい
る子安地蔵堂で小休止する。いよいよ県境の松尾峠への山道
になる。

 「頂上まで900m」の標識に、「交通ルールを守りましよう」とも
書いてある。この山道にもルールが必要なのだろうか?

 林間の視界が開け、宿毛湾とその向こうで回る12基の風力
発電用のプロペラが見える。


 9時40分、松尾峠にある松尾大師堂に着いた。昔は2軒の
茶屋があり、昭和4年(1929)に下の道路が開通するまで、
この峠道は、伊予と土佐を結ぶただ一つの街道だったという。

 長かった高知県の歩みが終わり、愛媛県、旧宇和島藩領に
入る。土佐国と伊豫国宇和島藩の古い石標も残っていた。


 愛媛側は、疑木の手すりのある緩やかな下りで、快適で明る
い林間の道。

 10数人の方が3か所ほどで、この辺に多いウラジロなどを
刈り払っていた。

 聞くと、下の集落の方で、年に2度、同様な作業をしている
とのこと。お陰で快適に歩けるのだ。感謝して下る。

 愛南町(旧一本松町)の最初の集落、小山に、「史蹟小山御
番所井戸」の説明板があり、そばの民家に残っている。

 奥様に聞くと、花などへの水やりに使っているとのことだった。


 太陽が出ず北風が冷たいので、再びジャンパーを着る。正午
を過ぎたので昼食の適地を探しながら進むが、風を避ける場所
がない。

 一本松の町並みを抜け、遍路宿である札掛宿を過ぎる。

 上大道集落に、「お遍路さん、集会所のトイレを使って下さい」
との張り紙があったので寄り、パラパラしてきた雨を避け、屋根
下にシートを敷いて昼食にした。

 動かないと手がかじかみ、寒い。今日は忘年例会で、芋煮を
楽しんでいるカントリーウオークグループのKさんにメールして、
早々に出発した。

 ところが、1㎞も行かぬところに「いっぷく堂」という遍路接待
所があった。畳敷きで風も避けられる部屋がある。せっかく
なので小休止し、お茶をいただく。

 個人のものなのでへんろ地図にも掲載してない。もう少し手前
だったらと、残念なことをした。  

 僧都川沿いに出て、左岸堤防を下る。「ホタルのいる川」の表
示があり、五月になるとホタルが飛ぶようだ。


 城辺町の町並みを抜けて御荘町に入り、中心街を進んで40
番観自在寺に着いた。

 前回、山下さんにお会いし、「トレッキング・ザ・空海」という、
よい思い出となる催しを教えていただいたところ。

 本堂は鉄筋で、堂内は明るい。納経所もその中にある。右手
の大師堂には、弘法大師ゆかりの大きな五鈷と三鈷が置いて
ある。


 境内には「栄かえる」という、親子3匹のかえるの石像があ
った。

 御荘の中心街を西に進み、15時35分に民宿磯屋に着いた。
おかみさんには「トレッキング・ザ・空海」前夜祭で大変お世話
になり、改めて感謝申し上げる。

 前回も泊まった2階の部屋に入る。洗濯はおかみさんがして
下さり、その間に入浴する。夕食は1階のこたつのある部屋で。

 おかみさんと、前回の思い出や、今回のあちこちでの交流など
を話しながらいただく。

 盛りだくさんの夕食で、もったいないが少し食べ残してしまった。
今日の最高気温は10度にならなかったようで、真冬並みの寒
さだった。

(コースタイム〉岡本旅館7:20ー貝塚上の遍路道へ7:55ー小深浦
の車道8:30~38ー子安地蔵堂8:50~58ー松尾峠(県境)9:40~
10:00ー車道へ10:25ー小山番所井戸10:41ー新田の東屋11:05~
12ー新惣川橋12:00ー上大道集会所12:23~13:11(昼食)ーいっぷく
堂13:23~40ー40番観自在寺14:45~15:11ー民宿磯屋15:35

(距離 23㎞、地図 宿毛、歩行地 宿毛市、愛媛県愛南町
 (旧一本松町、城辺町、御荘町)、歩数 38,400)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その15

2007-01-27 22:40:55 | 四国遍路道ふた旅
 第22日 2006年12月2日(土) 曇後晴
 <39番延光寺>
 =宿毛市内から打ち戻り=



 今日は距離が短いので、6時20分に起床、7時朝食。部屋は
こたつだけだったので室内は寒かったが、布団は暖かだった。
7時40分に小築紫の大島屋旅館を出る。

 国道321号を北へ、宿毛市の中心街に向かうが、朝の通勤時
刻なので、マイカーが多い。出がけにパラパラしてきたので、ザッ
クカバーは付けたが、ポンチョは出さずに済んだ。


 昨日と違い、海もその向こうの山なども霞んでいる。小さい峠を
過ぎて田野浦を抜け、道の駅すくもに寄る。高床造り御殿風の遍
路小屋11号がある。


 2階に上がると、宿毛湾の眺めがよい。

 道の駅には、レストランや、平屋5棟の海産物店などがあるが、
まだ開店前だった。

 遍路小屋で、若い女性遍路が休んでいた。大阪の人で、12月
20日過ぎまで通し打ちの予定とか。お勧めの宿の情報交換など、
1時間近く話し、ホットカイロを1つもらった。


 国道を進み、右カーブした先で松田川大橋を渡る。松田川の流
れに、カモメがたくさん浮いていた。

 土佐くろしお鉄道宿毛駅横の手前で高架を右折し、市内の中心
街に入り、今夜泊まる岡本旅館にザックを預ける。

 宿毛の中心街を東に抜け、松田川の宿毛大橋を渡って、延光
寺へ打ち戻りに向かう。

 橋の向こうで、延光寺を打ち終えた鶴岡の野宿遍路氏と行き交
う。何日か前に話したことを覚えておられ、「山形県遊佐町のウオ
ーキング大会に来るときには連絡を下さい」とのことで、納札を
交換した。

 南に並行していた国道56号に合し、次の信号で南側の遍路道
に入る。三差路に標識がないが、そばの作業場の方に教えても
らう。

 宿毛市立共同墓地横を経て国道56号に出て、戻り気味に北側
の旧道に回る。雲が増えて冷えてきた。風も冷い。黄色いキクが
花盛りで、サザンカも咲いている。1㎞ほどで再び国道に合流する。

 1.5㎞近く進み、北東に向かう遍路道へ。表示が無いので少し
迂回して別の遍路道に入り、39番延光寺に着く。38番金剛福寺
からまる3日の足どりだった。

 延光寺は、高知県最後の霊場。山門を入ると、延喜11年(911)
銘の、赤亀が梵鐘を背負った像がある。


 本堂で読経を始めたら、20人前後の団体遍路がやって来た。
12月に入ったが、土日にはやはりまだ巡拝バスの遍路ツアーが
あるようだ。

 もとの遍路道を戻る。食事によい場所がないので、国道に出る
手前の路傍で、立ったままで田んぼや山を見ながら、昨日、民宿
叶崎でお接待にいただいたおむすびを食べる。おむすびは海苔
付きで、リンゴも入っていた。

 風が冷たいので軍手を着用する。松田川を渡って市街地に戻っ
た角にある、宿毛歴史館に入る。

 吉田茂元首相など、幕末から昭和にかけて活躍した宿毛出身
の著名人20人の紹介や、企画展「一豊(かずとよ)土佐入国
功名のかなたに」など、30分近く観覧した。


 館のそばに、吉田茂の父と兄、竹内綱、明太郎顕彰碑と、その
実家があった。


 市内にはほかにも、宿毛ゆかりの人の生誕地などに、表示が
出ていた。

 14時47分、岡本旅館に入る。郷土料理が名物のようだが、
水道と風呂を工事中で、夕食は無い。

 9月に、料理に腕をふるったご主人が、入院3日、66才で急逝
し、後の処理が大変だったと、おかみさんが話された。

 夕食は、近くの焼き肉店兼居酒屋で。気温が低く、平地歩き
だけで汗をかかなかったので、毎日ずっと続けていた洗濯は休
んだ。

(コースタイム〉大島屋旅館7:40ー湊漁港8:10ー道の駅すくも8:42
~9:30ー岡本旅館10:20~22ー国道56号へ10:57ー39番延光寺
12:08~30ー中村の国道際(昼食)12:47~13:05ー宿毛歴史館
14:09~36ー岡本旅館14:47

(距離 22㎞、地図(1/5万) 宿毛、土佐中村、歩行地 宿毛市、
 歩数 35,900)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その14

2007-01-26 23:30:10 | 四国遍路道ふた旅
 第21日 2006年12月1日(金) 快晴
 =月山神社から大月へ=



 5時45分起床、6時20分朝食。弁当をお願いしておいたら、
お接待下さるとのことで、ありがたくいただく。7時に民宿叶崎
を出発した。

 そばの大津大橋に出たら、海に太陽が上がったばかり。雲
ひとつ無い快晴の空に、海からのすばらしい日の出を見ること
が出来た。


 叶崎の展望台に上がると、紺碧の海と岩礁の景観が見下ろ
せる。叶崎を詠んだ野口雨情の歌碑もあった。

 国道321号の脇ノ川トンネル(708m)を抜け、小才角の湾
に向かって下る。向かい風がやや冷たい。

 小才角の道路際で、今朝水揚げしたばかりの、みずみずしい
イカをたくさん干している。


 東屋のある小才角休憩所に、「土佐サンゴ発祥の地」の説明
板がある。

 徳川時代からこの辺りにサンゴの存在が知れていたが、土佐
藩では厳重に採取を禁止し、口外も禁じられていた。明治維新
後、この禁令が解かれ、サンゴ船による採取が行われたが、
その後乱獲で、大正12年(1923)にはほとんど中止状態に
なったようだ。

 その後は、五島、台湾、奄美などで採取するようになり、当地
では今なお、加工が盛んだという。


 岬を回り次の月灘へ大きく迂回する。港を見下ろす好展望地
に、歌先生の遍路小屋14号大月があったので休む。

 漁師の使つたらしい古い双眼鏡が置いてあった。


 眼下の港では、数人の漁師さんが網を繕っている。そばの道路
際で、かまどに湯を沸かし、身の赤いサツマイモを切ったのを蒸
そうとしていた。

 聞くと、「人参いも」といい、蒸した後で干して、もち米と一緒に
ついて、正月用のもちにするのだという。

 家並みの外れの急坂が、月山(つきやま)神社への遍路道。入
口に十八丁石があり、その先にも丁石が幾つか残っていた。

 簡易舗装が終わると落ち葉道。緩やな上り下りの後、小さい
流れを渡って車道に出た。

 500m余りで番外霊場月山神社。もとは神仏混合の霊場で、
明治元年(1868)に月山神社になったという。

 本殿背後の急坂上に、名のもとになった月形霊石があり、
本殿横に、安政5年(1858)建築と推定される大師堂もある。

 車道を北に進み、右カーブ点で直進する大月遍路道へ。前回
の遍路の際、出会った山下さんが、古い資料から見つけ出した
昔の遍路道を、復活しようと地元大月町の方々に呼びかけて
復活した道である。

 新しい切り株から最近整備したことが知れ、幅広く狩り払われ
ていて歩きやすい。

 展望台まで上がると、樹間から紺碧の海や対岸の好展望が得
られる。

 下りとなり、やや暗い常緑広葉樹林を抜け、枯れた流れの先
でゴロゴロ石の浜辺に出た。

 石の上を300mほど道路の堤防下を進み、堤防の端で車道
に上がる。

 暖帯林の山すその平坦地を1.5㎞ほど進んで赤泊(あかどま
り)の小集落へ。入口の赤泊神社には、町の文化財、赤泊太刀
踊りの説明があった。

 あらかじめご連絡し、11時にお訪ねする約束のNさん宅の近く
と思われる場所で、役場からお帰りになるNさんを待つ。ほどなく
来られ、やはりすぐそばだったお宅におじゃまする。

 訪問の目的は、古い遍路札を拝見すること。Nさんのお宅は、
江戸時代からの善根宿で、その頃の遍路札が残っていることを、
大月遍路道のことを見つけた山下さんや、その知人の竜馬16
さんから聞いていた。

 奥の間に用意された、米俵一杯に詰まった遍路札を見せてい
ただく。現在の印刷した納札と違い、全部手書き。19世紀前半
の文政、天保、文化年間が多いとのこと。

 研究者によれば、全部で10,579枚あり、北は北海道から南
は鹿児島まで全国から来ていたらしい。研究資料を拝見すると、
わが埼玉県も56枚あった。

 奥様が昼食まで用意して下さり、ごちそうになる。午後は集落
の草刈りに出られるとのことで、ご多忙の中で1時間余りも、
貴重な時間をさいていただいた。深く感謝申し上げて失礼する。

 谷間を緩やかに上がって左からの車道に合し、姫の井で国道
321号に戻る。国道には広い歩道があり、車も少な目。両側の
開けた開放的で明るい道筋。日差しは暖かく、穏やかな日和で
ある。

 右から県道352号、左から県道43号と合し、間もなく道の駅
大月。Nさんも協力されたという歌先生設計の遍路小屋9号大月
がある。売店で、ここの名物ポンカンソフトを買い、休憩した。


 大月町の中心街は歩道が無い。その上車の交通量が増え、側
溝の上を歩くようになる。西側の山上で、風力発電のプロペラが
7つ回っている。町外れには、全部竹製の遍路小屋2号大月が
あった。

 日が傾き風が少し冷たくなった。大月町から宿毛(すくも)市に
向かって下り、水量豊富な福良川を渡る。15時43分、小築紫
(こづくし)の港に面した大島屋旅館に着いた。

 ピカピカに磨かれた木の階段を上がり、港に面した部屋に入る。
入浴後、港の向こうの山に夕日が落ちた。洗濯はおかみさんが
して下さる。夕食は、タイの刺身など郷土料理をおいしくいただ
いた。

(コースタイム〉民宿叶崎7:00ー叶崎トンネル西7:20ー大月町へ
7:45ー遍路小屋14号大月(月灘)8:27~35ー月山神社9:19~33
ー大月遍路道9:46ーゴロゴロ石終わり10:18ーNさん宅(待ち時間
&昼食も)10:43~12:23ー姫の井局12:55ー道の駅大月13:55~
14:15ー遍路小屋2号大月14:45ー宿毛市へ15:15ー大島屋旅館
15:43

(距離 26㎞、地図(1/5万) 土佐清水、柏島、宿毛、歩行地
 土佐清水市、大月町、宿毛市、歩数 42,400)
 
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その13

2007-01-25 19:21:55 | 四国遍路道ふた旅
 第20日 2006年11月30日(木) 晴
 =土佐清水の海沿いに行く=



 5時50分起床、6時30分朝食、朝もメニュー豊富でおいしい。

 弁当のお接待いただき、7時15分にKさんと民宿青岬を出る。

 北に進み、車道の右カーブ点で、真っ直ぐ入る遍路道へ。
石畳の上に落ち葉がたっぷりの道。少しずつ下り、最後は茂っ
た草をやぶこぎして、県道27号に出た。

 1㎞足らずで大浜。カツオ加工工場があり、よい匂い。急階段
を上がり、中ノ浜小前から中浜の家並みに入ると、「ジョン万次
郎生誕地」碑があった。帰国して150年の、平成2年に建立の
もの。

 県道27号に上がり、大きな橋の西側から遍路道に入る。落ち
葉が一杯で幅も広め、アップダウンが少なく歩きやすい。

 Kさんは、「こういう道なら、1日歩いてもいい」と言われたが
同感だ。Kさんは、昨年乗鞍岳に登り、日本百名山を完登され
たとのこと。

 海側をう回した県道27号に下り、清水港の東岸を進む。下ノ
加江へ打ち戻るKさんと、国道321号との3差路で分かれる。
Kさんとはこの5日同宿した。この先のご無事をお祈りする。

 私は今回、1日多くなるが、海岸沿いに西に向かう足摺サニー
ロードに進み、月山神社、大月経由で行くことにした。

 国道321号を反対に、土佐清水市の中心街を進む。宿を出て
から休憩してなかったので、中央公園で休憩した。

 町外れで90度右折し、加久見川沿いに進む。

 コーナンというホームセンターでウェストポートを購入。少し小さ
いが仕方ない。ファスナーの壊れたのは廃棄する。

 国道321号は広い歩道があり、交通量もそう多くないので安心
だ。風がややあり、菅笠があおられ気味になる。

 赤とムラサキのブーゲンビレアが、色鮮やかに咲く。

 ビーゲンビレアは、高知県内ではあちこちで見た。

 土佐清水の町並みを振り返りながらあしずり港沿いに進む。



 あしずり港の西南端に、道の駅ならぬ「海の駅あしずり」があっ
た。広い駐車場があるが、季節外れなのか車はほとんど無く、
売店も閑散としている。

 県道寄りの広場に、新しい「万次郎と仲間の群像」像が出来て
いた。

 緩く上って下りとなり、松崎海岸へ。岩礁に静かな波が打ち寄
せる。その先の落窪海岸は、昭和21年(1946)の南海地震で
隆起した、化石漣痕(れんこん)と呼ぶ細いひだの岩がたくさん
続き、国天然記念物に指定されている。

 国道はいったん海を離れ、暖帯林の山間に入る。

 益野川右岸沿いに出て南西に進むと、「道の駅めじかの里土佐
清水」があった。

 芝草にシートを敷き、青岬のおかみさんが、しっかり握って下さ
ったおいしいお握りをいただく。ミカンも入っていた。道の駅は小
規模で、地元産品の販売も少な目である。

 三崎の町並みを抜け、足摺宇和海国立公園竜串(たつくし)地
区の景勝地、竜串へ。民宿や旅館が数軒並び、その先に、県立
足摺海洋館がある。

 トイレを借りに入ったら、展示場の奥なので、真ん中にある大水
槽に泳ぐ魚などが見られた。そばのキャンプ場から、海を眺める。

 1㎞ほど先で県道28号を右に分け、下川口の家並みを抜ける。
小型漁船の並ぶ漁港の波止場で漁師さんが1人、網を繕っていた。

 はるか水平線に、タンカーだろうか、大きな船が見える。

 国道は、片柏トンネル(982m)、歯朶浦トンネル(649m)、貝の
川トンネル(956m)の3つの長いトンネルを抜けるが、何れも広い
歩道があり、車も少ない。


 貝の川トンネルを抜けると、太陽が山向こうに落ちた。港を囲む
大津の家並みを回って、民宿叶崎(かなえさき)に15時22分に
着いた。小漁村の民宿で、看板はない(翌朝見たら、反対側にあ
った)。

 相変わらずザックの重さが気になるので、小さい紙箱をもらい、
不要品を自宅に返送することにしたが、靴下、資料やメモ、小さ
い土産物などわずかだった。

 おかみさんが洗濯をして下さるとのことで預けて入浴する。
小さい宿だが部屋のテレビは大きく、蛍光灯も2組あり明るい。
夕食は地元産品のそぼくな料理だが、量は十分だった。

(コースタイム〉民宿青岬7:13ー県道へ7:47ー万次郎生誕地碑
8:10ー国道321号三差路(足摺病院先)9:13ー中央公園9:21~
30ーコーナン(ホームセンター)9:50~56ー海の駅あしずり10:18
~36ー落窪海岸先11:15~25ー益野小横11:49ー道の駅めじか
の里土佐清水(昼食)12:13~50ー高知県立足摺海洋館13:25~
30ー片粕トンネル入口14:21ー民宿叶崎15:22

(距離 27㎞、地図(1/5万) 土佐清水、歩行地 土佐清水市、
 歩数 47,000)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その12

2007-01-24 19:17:02 | 四国遍路道ふた旅
 第19日 2006年11月29日(水) 晴
 <38番金剛福寺>
 =足摺岬に到達する=



 5時50起床、6時30分朝食。炊き込みご飯のお握り、バナナ、
ミカン、あめなど、盛りだくさんのお接待をいただき、7時13分に
3人で久百々(くもも)を出た。

 宿の近くの遍路道は見落とし、県道27号を1㎞ほどで、右に入
る遍路道があった。トップのHさんに声をかけたが聞こえず先に
進み、Kさんと入る。
 足摺自動車学校付近で県道に戻る。次のへんろ道を緩やかに
上り下りすると、行く手に大岐の浜が見下ろせる。

 標識に従い浜に下り、木の橋を渡って砂浜を1㎞余り進む。波
打ち際の方が、砂がしまっていて歩きやすい。

 砂浜が終わり、細い流れを飛び石で渡り、岩の斜面を海沿いの
旧道に上がった。


 民宿旅路の近くから遍路道に入り、県道を横断後、以布利の家
並みや漁港のそばを通過する。流木などの流れ物の多い海岸を
進み、林間を抜けて県道に戻る。

 波静かな海を左に見ながら進む。窪津の入口にカツオ加工工場
があり、大勢の女性が蒸し上がったカツオの分類などをしている。


 そばに、「窪津では藩政時代から、勇壮な鯨の生け捕りが盛ん
だった」ことが記されていた。集落の終わりから急坂を高台に上
がると、漁港や家並みの展望がよい。


 再び県道に出ると車線が狭まり、1車線やっとのところも。しか
し車は少ないので安心だ。

 魚つき保安林を過ぎ、津呂のカーブ点にへんろ休憩所があった
ので休憩する。

 簡易宿泊所にもなっていて、布団、炊事用具、冷蔵庫、トイレ
などがあり、そばの家で入浴もさせてもらえるようだ。

 この先はKさんに分かれて先行する。11時に「雀の学校」のチ
ャイムが鳴った。風もなく穏やかな遍路日和である、海よりかなり
高みとなり、常緑広葉樹の増えた県道を進む。


 「足摺岬0.5㎞」の辺りからツバキの純林となり、狭い道路に
覆い被さるように繁茂していた。


 12時5分、38番金剛福寺に着いた。37番岩本寺から2日半、
80㎞の道のりである。先行したHさんは、すでに参拝を終えて
バスで中村へ向かったか見えない。お別れの挨拶の機会を逃し
てしまい残念。

 本堂前に池があり、本堂などの影を映す。ほかに大師堂、多宝
塔ほか幾つものお堂がある。

 納経所の女性が「歩きですか」と言われ、「遠かったでしょう」と
のねぎらいの言葉と、日本茶パックのお接待をいただいた。
間もなくKさんも着く。


 参拝を終え、そばの足摺岬展望台で岬や灯台、太平洋を眺め
てから、ジョン万次郎銅像そばのベンチで昼食。

 久百々のおかみさんの心ごもりが感じられるおむすびを、感謝
の思いでいただく。Kさんも続いて昼食をされた。

 出発間際、大荷物で野宿中心の男性遍路氏が着いた。山形県
鶴岡市の人で、「前回自転車で回ったが、車が気になりお寺以外
のことは何も記憶がないので、歩くことにした」とのことだった。

 Kさんに先行して、ホテルや民宿の並ぶ県道27号を西へ。愛知
の竹樋パパさんからのメールで、訪ねるよういわれたホテル足摺
園に寄ったが、肝心の社長さんは外出されて不在だった。

 2㎞余り先、新しい「おおどトンボ公園」で、東屋の建築中。普通
の東屋とは違う形なので、近畿大・歌先生設計の新しいへんろ
小屋だろうかと思う。


 高台の県道から遍路道に入り、海辺近くまで急坂を下り、再度
急に上がる。松尾の旧道の家並みで、奥様からミカンのお接待を
いただく。

 松尾小そばで県道27号に戻った。鵜ノ岬まで上がると、振り返
り見る、幾つもの小さい岬の連なる展望がすばらしい。

 民宿青岬に14時58分に着いた。ここも前回大変気に入り2度
目。早速洗濯機を借りて洗濯。お勧めし、泊まることにしたKさん
も20分後に着いた。

 16時過ぎに入浴、広い風呂、トイレ、部屋など、皆清潔で気持ち
よい。

 夕食は18時頃から。海の幸が盛りだくさんで、盛りつけも美しく
おいしい。

 貝入りうどん鍋、おかみお勧めのイカ料理など、質量ともこれまで
の宿で1番だった。

(コースタイム〉民宿久百々7:13ー大岐海岸下り口7:53ー海岸終わり
8:12ー以布利港先遍路道8:46~58ー以布利遍路道出口9:25ー窪津
のカツオ加工工場9:49ー津呂の遍路休憩所10:33~47ーペンション
サライ横11:21ー38番金剛福寺12:05~28ー足摺岬の公園(昼食)12:30
~13:20ー足摺サニーサイドホテル前14:10ー民宿青岬14:58

(距離 25㎞、地図(1/5万) 土佐中村、土佐清水、歩行地 土佐清
 水市、歩数 42,800)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その11

2007-01-23 18:56:58 | 四国遍路道ふた旅
 第18日 2006年11月28日(火) 晴
 =四万十川を渡る=



 5時20分起床、6時朝食。6時48分頃、2階の部屋のベランダ
から海に上がる日の出を見て、6時58分に民宿日の出を出る。

 波頭が白く岩に砕ける浮鞭(うきぶち)海岸沿いに、1.5㎞ほど
国道56号を進む。

 国道が右折する「道の駅ビオスおおかた」横を真っ直ぐに入り、
斜張橋の松原大橋を渡って入野松原へ。

 黒松の続く道。砂浜はウミガメの産卵地で、車の乗り入れは禁止
されている。浜の終わる辺りでは、サーファーが波に乗っていた。

 松原が終わり、砂地の畑にネギ科の作物が広がる。歩き遍路を
したという車の女性から、500円お接待いただく。今日泊まる民宿
久百々(くもも)にも、昨年宿泊したとのことだった。

 畑に見回りに来た奥さんがいたので聞くと、一帯の畑の作物は
ラッキョウで、砂地のラッキョウはおいしいのだという。

 ピラカンサの街路樹が終わり、体育館の先で県道42号へ。蛎
瀬橋を渡って上り坂となる。


 宿を先発したKさんに追いつき先行する。まもなく広域農道に
入った。

 緩い上りの後下る。山間を抜ける上下各1車線の道だが、車は
少ない。秋色の山並みを見ながらの気持ちよい道で、風がさわ
やか。県道339号を横断、更に下って広々とした田園地帯に出る。

 この辺り、見覚えがないと思ったら、前回は海に近い南側の県
道42号を進み、四万十川を渡船で渡ったのだった。その渡しは、
前年12月末で運行を終えている。

 農道沿いに、穂の残るススキが並ぶ。「鶴を誘致中」と記され
た池を過ぎ、四万十大橋際に出た。

 JAの店「彩市場」で、昼食用のサバ寿司を求める。Kさんも追
いつきそばの東屋で休憩した。Kさんは買ったサバ寿司を食べる
というので再び先行する。

 川幅一杯の水が緩やかに流れる四万十川。一昨日の豪雨で
濁り、清流も緑がかっていた。

 県道321号を右岸沿いに2㎞ほど進む。右折して川を離れる
辺りで、逆打ちの男性遍路と行き交う。うどん屋田子作の先に、
四万十川野島自然公園という小公園があった。

 右手の低い山に、京都の大文字同様の「大」の字が見える。

 500余年前、前関白一条教房公が、京の戦乱を避けて所領
の中村に下向し、京都に模した町づくりをして、大文字焼きも行
ったのだという。

 津蔵渕(つくらぶち)集落は、県道を挟む西側の川沿いを進む。
山間の上り坂となり、色づいたハゼなどの紅葉が、上りの辛さ
を和らげてくれる。

 新伊豆田トンネル入口に着き、正午近いので道路際で昼食を
する。

 そばの高みに今大師がある。明日お祭りのようで、のぼりや
入口の飾り付けなどの準備中。その中の1人が来て、「明日は
先祖供養の後、餅をまく」と教えてくれた。

 食べ終えた頃Kさんも着いた。一緒に出ようとしたら、ちょうど
来た足摺交通タクシーの運転手さんが、ミカンを2つずつお接待
下さる。タクシー運転手さんからのお接待は初めてのことだった。

 トンネルは全長1620mあり、四国遍路道でも長い方。歩道は
あるが、安全のためペンライトを点けてトンネルに入る。通過に
20分近くかかった。トンネルの中が市境、土佐清水市に入った。

 少し下ると「ドライブイン水車」があり、大水車が回っている。
 
 東屋とトイレがあるので小休止する。下ノ加江川沿いに出て、
下ノ加江集落は旧道を進む。

 下ノ加江局で資金補充し、そばのスリーエフにも寄り、Kさんと
分かれて先行する。川幅一杯に流れる下ノ加江川を渡ると、緩い
上りとなる。

 高みからは、下ノ加江湾や、海蝕景観という、岩に波打つ景観
を見下ろしながら進み、おかみさんのもてなしなどで人気の遍路
宿、民宿久百々に15時8分に着く。

 Kさんも10分後、さらに、明日帰途につくため今日は中村に
向かうと聞いていたHさんも、もう1泊することにしたと後から
到着し、昨日の同宿者3人が再び揃った。

 洗濯はおかみさんがして下さり、その間に入浴。夕食は18時
近くから。野菜の多い健康メニューをおいしくいただきながら、
これまでの出合いなどを3人で話会う。

 おかみさんが、「久百々」HPにアップするからと、デジカメで
3人を撮り、遍路客が作って置いていったという巾着とアクセ
サリーをお接待いただいた。

(コースタイム〉民宿日の出6:58ー松原大橋7:28ー体育館近く
のWC際8:18~25ー県道339号交差点9:16ー四万十大橋北詰
東屋10:00~15ー四万十川野島自然公園10:57~11:00ー新伊
豆トンネル入口(昼食)11:50~12:25ードライブイン水車際12:56
~13:02ー下ノ加江局&スリーエフ14:02~25ー民宿久百々15:08

(距離 31㎞、地図(1/5万) 土佐佐賀、土佐中村、歩行地 
 黒潮町(旧大方町)、四万十市(旧中村市)、土佐清水市、歩数
 47,700)
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四国遍路道ふた旅(前編)・高知その10

2007-01-22 18:02:07 | 四国遍路道ふた旅
 昨夜の雨が上がり、今日は寒の中とは思えぬ暖かい日差しが
差し込みました。

 TV放映で品切れになっていたスーパーの納豆も、番組がねつ
造と分かり、ダイエットに買う人が激減したのか、今日はたくさん
店に並んでいました。これでわが家の夜の食卓で食べ続けていた
納豆の、品不足の心配もなくなり、ひと安心です。

===========================

 第17日 2006年11月27日(月) 曇後晴一時雨
 =伊予木川から幡多十景へ=



 5時20分起床、6時から本堂でお勤め。講話は、昨日納経所
に居られた女性の副住職からうかがう。

 誰でも入れるよう広く開放している本堂のこと、本堂の天井絵
のこと、無理なく遍路をするようになど、お話しいただいた。

 終わってから朝食。手作りの巾着袋とあめ、インスタントコーヒ
ーのお接待をいただいた。7時30分に岩本寺宿坊(写真)を出る。


 昨日の激しい雨が上がった、窪川の町並みを東に進む。国道
56号に出たところに、大水車が回る水車亭という店があった。


 南に向かう国道沿いは、田園地帯になり、山すそに低くガスが
垂れ込めている。緩やかに上って小さい峠を越える。

 峰の上の、四国電力資材置き場横から片坂遍路道へ。黒潮町
(旧佐賀町)に入ったところの吉岡家に、モミジの古木があり、
よい彩りを見せていた。


 峠を越えて杉木立の中を下り、国道を横断して、市野瀬遍路道
に進む。再び杉木立下を下り、国道56号に出るところで、先発
の京都の男性と新潟の女性に追いつき、そばのバス停で休憩
する。


 お2人より先に出て国道を進む。ハゼノキの紅葉が、鮮やかな
彩りを見せる。拳(こぶし)ノ川集落入口に「四国のみち」の道標
があり、前回はその旧道を回ったのだが、そのまま国道を進む。
高台から振り返ると、旧道を回るお2人が見えた。

 佐賀温泉のそばに、遍路小屋13号佐賀と、物産センターがあ
る。

 そばの橋を渡って「四国のみち」となっている旧道に回った。

 国道よりアップダウンがなく、車も少ない。昨日の豪雨で増水し、
青みを帯びた拳ノ川沿いに進む。

 荷稲(かいな)の八坂神社には、太いクスノキが二本立っていた。
その先は前回、崩壊があり通行止めだったが、今日はその標識
も無いのでそのまま進む。紫色に熟したアケビの実があちこちに
落ちている。

 合流して伊予木川になった流れは、川幅一杯。伊予木駅そば
で橋を渡り、無人の駅で休憩する。出ようとしたら、降ってきた
ので、ポンチョを被る。間もなく本降りになったので、国道の高架
下でスパッツと雨ズボンも着用、東を回る遍路道に入る。

 気温が上がり、暖かくて蒸し暑い。レンガ造りの趣ある熊井トン
ネル入口に、「明治38年(1905)完成のトンネルは、小学生な
どがレンガを運んで作り、昭和14年(1939九)まで県道だっ
た」などの説明板があるが、大型車は通れそうもない1車線の
細い道である。


 土佐くろしお鉄道の踏切を越え、国道沿いの旧道へ。

 国道にあるコンビニ、スリーエフで昼食を求め、近くの無人駅、
土佐佐賀のベンチで食べた。


 佐賀の町外れ、海に近い伊予木川は、川幅一杯の豊富な流れ。
駅を出てからこの川の橋辺りまで、道筋がちょっと分かりにくい。

 太陽が出て暑くなった。湾になっている鹿島が浦を半円形に
回って、高みに上がる。木々に覆われた湾内の島、鹿島や、岩
を打つ波しぶきなどの展望がよい。


 この辺りは「幡多十景」の一つ、土佐西南大規模公園佐賀地区
で、海を見下ろす遊歩道が整備され、太平洋の展望がすばらしい。

 白浜海岸に下り、しばらくは波や岩を間近に見ながら進む。
旧大方町に入ると、「鯨の見える町大方町」の標識が立つ。国道
が90度右折する灘バス停で休憩した。

 7回目という大荷物の男性遍路が追いつき、少しだけ同道する。
後続の京都と新潟の2人や、宇都宮のご夫妻遍路の情報を教え
てくれた。

 伊田トンネルを抜け、有井川の町並みに入る。左手はるか先
に、長く岬が見える。あの先端が足摺岬だろうか。民家の奥さん
が出ていて、「そこにあるイオン水のペットボトルをどうぞ」と言わ
れたので、1本いただいた。

 今日の宿は民宿日の出、16時14分に着く。すっかり好天にな
り、西の海に夕日が落ちる。コイン洗濯機に洗濯物を入れて入浴。
風呂の蛇口は温度調節が容易、風呂も大きめで気持ちよい。


 18時からの夕食は盛りだくさん。仕事の男性2人と、2夜一緒
の京都・亀岡のKさんと新潟市のHさん。お2人と夕食後しばらく
話し、住所氏名を交換する。

 トイレ、風呂などに省資源を促す張り紙が貼られ、暖房はコイン
式。部屋の照明は明るく、携帯電話からのブログへの投稿やメモ
がしやすい。

(コースタイム〉岩本寺宿坊7:30ー金上野8:14ー峰の上(遍路道
へ)8:36ー市野瀬バス停9:09~25ー佐賀温泉10:10ー伊予木駅
11:36~50ースリーエフ12:31~35ー土佐佐賀駅(昼食)12:54~
13:12ー土佐白浜駅下14:16ー灘バス停14:56~15:02ー有井川駅
入口15:35ー民宿日の出16:14

(距離 30㎞、地図(1/5万) 窪川、土佐佐賀、歩行地 四万十
 町(旧窪川町)、黒潮町(旧佐賀町、大方町)、歩数 51,200)
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