あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

第8次中山道ウオーク 日本橋にゴール

2007-10-31 22:09:15 | ウオーキング
 10月10日(水)、京都・三条大橋を出発した第8次
中山道ウオーク、最終日の今日は、さいたま市の別所
沼会館をスタートし、15時40分、東京・日本橋にゴー
ルしました。

 レポートは明日報告しますが、とりあえずはゴール
したメンバーの記念写真です。
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四国遍路には幾らかかるか

2007-10-30 19:43:26 | 初めての四国遍路アドバイス
(3)四国遍路費用は幾らくらいか

 私の場合、宿泊は旅館や民宿、宿坊、ビジネスホテ
ル、公共の宿といった遍路用の宿泊施設を利用し、
食事が可能な宿は夕食、朝食とも依頼した。

 2度の遍路ともほぼ同じくらいの日程を要し、費用
もほぼ同様だった。

 費用別内訳は下記のとおり(百円以下切り捨て)。

          初 回     2回目

 宿泊費     276,700     296,600

 飲食費      33,000     33,900

 納経料・賽銭  33,500      33,800

 交通費      50,300     45,700

 その他      48,800     29,800

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

   計      442,400     439,900

 〈注〉宿泊日数は、初回44泊、2回目48泊(帰路の
    大阪市内含む)。

    宿泊費では、初回の3日間だけビールを飲んだ
    が、以後は飲まなかった。毎日アルコール類を
    飲用すると、宿泊費はその分プラスされる。
   
    
    飲食費の多くは昼食代である。    


    飲料は、自宅から水溶性の粉末飲料を用意して
    行き、宿で水に溶かして飲用したので、飲料費
    は、かなり少なめになっている。

    納経料は、1か寺で300円。88カ所だけでも
    26,400円になる。賽銭(さいせん)は、本堂と
    大師堂に10円か5円。ほかのお堂や、別格霊
    場、番外霊場、神社などの分もを含む。



    交通費は、主にJRの新幹線(東京~岡山)、
    特急の自由席をジパング割引〈通常の3割引〉
    で利用した。初回の後半往路には、東京~松山
    間の空路を、3か月前予約の超割〈11,000円〉
    を利用した。


    東京から四国への夜間急行バスを利用すれば、
    さらに割安に四国へ入れる〈四国遍路の人で、
    利用者はかなりいる〉。

    「その他」の主なものは、宿の洗濯機使用料、
    自宅への不要荷物の返送料、初回前半のひざ
    痛対処(サポータや薬代)、帰途の土産代など。
    
    
コメント (2)
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四国遍路の歩き方

2007-10-29 23:18:38 | 初めての四国遍路アドバイス
 初めて四国遍路をしてみたいという方へのアドバイ
ス、2回目は、88カ所をどう回るかについてです。

=======================

(2)四国遍路の歩き方

 四国遍路のやり方としては、1番札所霊山寺(りょう
ぜんじ)から88番札所大窪寺までを通して歩く「通し
打ち」と、何回かに分けて歩く「区切り打ち」がある。


 通し打ちでは、普通の人で全行程に40~50日かか
る。時間に余裕のある人は通し打ちをすれば、達成
感も大きく、往復の交通費も最小で済む。

 注:「打ち」「打つ」とは、昔の遍路が札所に参拝を
終えたときに、千社札(せんじやふだ)を札所の柱など
に打ち付けたことからきた言い方。


 一気に歩きとおす時間や資金の余裕がない、ある
いは体力的に自信がないという場合などは、1度に
1週間とか数日、または県単位といったように、分け
て歩く「通し打ち」にするとよい。



 期間も1年間とか数年間など、自分の事情に応じ
て計画することが出来る。


 私は2回とも、前半は43番明石寺(めいせきじ)まで
参拝してJR内子駅まで歩くという方法で、前半と後半
との2度に分けての区切り打ちをした。


 宿泊をどうするか。一般的には旅館、民宿、宿坊、
ホテルなどの宿泊施設に泊まりながら歩く人が多い
が、費用の大半もこの宿泊代が占めことになる。


 一方、テント泊や、野宿、無料や安価な遍路宿に
泊まれば、費用は少なくて済むが、宿泊場所の確保
や食事の面、雨天の際などでのハンディがある。

 若い人なら、これらのハンディに挑戦するのもよい
経験になるだろう。

 どの札所から歩き始めてもよいが、初めての場合
は、1番札所霊山寺からはじめて、88番大窪寺で
結願(けちがん)(全部の札所を歩き終えること)する
人が多い。


 明日は、四国遍路をするのに、いったい幾らくらい
費用がかかるのか、という疑問にお答えする。
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カントリウオーク常陸太田②

2007-10-28 17:17:51 | カントリーウオーク
 2005年10月30日(日) 
 =日立電鉄廃線跡を大甕(おおみか)へ=



 記念撮影をして8時33分、おかみさんと、道案内も
してくれるというワンちゃんに見送られ、常陸太田の
まんだらじ旅館を出発する。


 台地から東に下ってまんだら橋を渡り、宮本町の角
にあるセブンイレブンで、予約してあったハンバーグ
弁当を受け取った。

 東側の台地上が常陸太田市の中心街、民家の横か
ら急坂を上がると、若宮八幡宮があった。

 応永元年(1394)に城主・佐竹義仁が鎌倉の鶴岡
八幡宮の分霊を城中に奉っていたのを、宝永5年
(1708)この地に移したもの。

 鳥居の横には推定樹齢600年という大ケヤキが
あり、本殿の近くにも太いケヤキが立っている。
明日から菊花展が始まるとのことで、よしずで囲まれ
た小屋に鉢植えの菊が並び始めていた。

 こま犬は珍しい赤銅色の焼き物である。

 郵便局前の三差路を南に向かうと、看板が右書き
の高瀬理髪店や、黒塗りの蔵造りで裏手にレンガ造
りの煙突の見える建物、なまこ壁土蔵造りの民俗資
料館別館(下)など、古い建物が幾つも残っていた。


 「太田町成田山道」と記された石標の角から、石畳
の道を塙町に下る。

 塙坂下の四つ角にある竹製品などを並べた家も、
黒瓦のどっしりした古い建物だった。


 東バイパスに出て、警察署の南に少し進んだところ
が、3月末で廃止された日立電鉄の終着、常北太田
駅跡。

 構内のホーム横や側線に、廃車した車両、20数両
が残っていた。

 日立電鉄は、日立市の鮎川駅~常北太田駅間の
18.1㎞に14駅があったが、今年(2005年)3月
末で営業を終えた。

 最初の開通は昭和22年(1947)秋、今回歩かない
鮎川~大甕間で、将来は日立市街地へ乗り入れの
計画だったが、資金調達や採算面で頓挫(とんざ)した
ようだ。

 駅のそばにいた同年輩風の男性によると、「以前は
日立製作所への通勤や、たばこ、米、ソバなどの貨物
輸送で賑わった」という。

 常北太田駅構内(上)は、線路が残り架線は取り外
されていたが、国道の南側から先は、架線が残って
いて線路が外されていた。

 線路沿いに山下町を少し進んで東側に回り、国道
293号に出る。ひこばえの伸びた田んぼの間を進み、
里川橋を渡って次の小沢駅跡で休憩する。

 Sさん、Kさん、Mさんがコーヒーを沸かしてくれた。
駅ホームは残っており、駅の前後とも線路はないが
架線はそのままになっていた。


 両側にセイタカアワダチソウの咲く廃線跡を500m
ほど進み、田んぼのあぜ道を南に回って茂宮川を越
える。


 常陸岡田駅跡の東側から国道に出て、近くのセブン
イレブンのトイレを借りた。

 廃線跡に戻って先に進む。国道のガードを過ぎた山
すその辺りに、ガシマケの石仏があるという。探しなが
ら行ったら、線路の南側、線路を背にしてトタンで囲ん
だ小屋に5体の石仏が並んでいた。

 ガシマケとは「餓死負け」のこと、天保(1830~)の大
飢饉(ききん)で東北から流れ来て、行き倒れたり餓死
した人を供養した石仏らしい。

 すぐ先の鷹房(たかふさ)神社に132段の急な石段
を上がって参拝。康平年間(1058~)、源頼義が奥州
征討の途次、建てたという古社である。

 社殿は豊富な杉木立を背にして建っていた。下る車
道の横には、柿がたわわに実をつけていた。


 住宅前の小さな流れにタニシやシジミ、カワニナなど
が見える平宿の集落から川中子(かわなかご)駅横を
過ぎ、廃線跡の南側に出る。


 ひこばえが田植え後のような緑の彩(いろどり)を見
せる田んぼの間を進み、日立市に入る。


 廃線跡を横断、常磐自動車道をくぐり、大和田町1丁
目へ。古い家並みの残る通りから南に入って大橋駅跡
に12時46分に着く。

 ここで昼食となり、下りホームに腰を下ろし、皆同じ
ハンバーグ弁当を平らげた。

 13時15分に出発、南側の国道6号に出て、コンビ
ニ、サンクスでトイレを借りる。

 茂宮町の集落北側から茂宮川沿いに出て、休耕田
がススキやセイタカアワダチソウの雑草地に変わった
川沿いを進み、茂宮駅跡から線路沿いの車道に入る。

 川の右岸を歩いた人と合流した三差路際のグランド
に、トイレがあったので小休止。さらに廃線沿いに
南高野駅跡を通過、JR常磐線を越えて廃線跡と分
かれた。

 久慈町3丁目からみなと町へ、日立港に近いなぎさ
公園で休憩、Mさんから柿とまんじゅうをいただく。
歩き疲れてきた体には甘いものが何より。

 漁協などのある海岸沿いを進み、久慈浜海水浴場
から台地に上がり、灯台の立つ古房地(こぼうち)公
園に着いた。松のこずえの間から、広々と太平洋の
展望が広がる。

 公園には、いわし揚繰網を改良し、いわし漁獲高
を激増させたという三代芳松の立像や、「何事も 
思ふことなく いそがしく 暮らせし一日(ひとひ)を
忘れじと思ふ」と詠(よ)んだ石川啄木の歌碑があった。

 西に向かって住宅街を1㎞ほど、16時11分、JR
常磐線大甕駅に着いた。

 16時54分発上り電車で帰途につく。

(参加 22人、天気 曇り後晴、距離 18㎞、地図
 (1/2.5万) 常陸太田、日立久慈、日立南部、歩行地
 常陸太田市、日立市)
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カントリウオーク常陸太田①

2007-10-27 17:00:24 | カントリーウオーク
 関東地方、今日は季節外れの台風20号の接近で、
冷たい雨となりました。この雨の中、カントリウオーク
の仲間は、福島県会津地方の廃線跡歩きに出かけて
います。

 私は、用事が2,3あり不参加となりましたが、会津
でも雨の中を、歩いたのでしょうか。

 そのレポートを報告することが出来ないので、同じ
ように一昨年の今ごろ歩いた、茨城県常陸太田市内
から日立市への廃線歩きを含めたカントリウオークに
ついて、紹介します。

======================
 
 =常陸太田市内と、日立電鉄廃線跡を歩く=

 2005年11月29日(土)
 常陸太田市内の旧跡を巡る



 JR大宮駅集合の14人は、8時41分発宇都宮線に
乗り、水戸線経由で水戸駅に11時29分に着く。

 一方、常磐線組の7人は、上野駅9時10分発に上野
と柏から乗り、宇都宮駅11時13分着、全員が合流し、
JR水郡線常陸太田駅に12時47分に着いた。


 予報では雨も心配されたが、雲は高目でどうやら持ち
そう。駅から北北西へ、西バイパスと呼ぶ車道を500m
ほど進み、県道61号から、山吹運動公園に隣接する
「そば越路」に入る。

 県推奨銘柄の秋そばを、手刈り天日干しして石臼(い
しうす)で引き、1日12食限定という「常陸あきそば」、
今日の担当、Mさんが依頼して特に21食分用意して
もらった。

 まずアルカリイオン水で香りをかいでから、つゆで味
あう。

 歩く前なので、もう少し食べたかったが、限定品だけ
あり、十割そばの味には、みな満足した。

 食べた終えた人から出発となり、早めの私は先発し
た。ひこばえの伸びた田んぼの間を進み、宮作集落
の手前を南東に向かう。

 天神林町近くの林に「山寺水道」の碑があり、集落
には説明板が立っていた。

 それによれば山寺水道は、寛文8年(1668)、水戸
藩主、徳川光圀(みつくに)の命で構築した用水、暗
渠(あんきょ)により水を集め岩樋をもって送り、延長
は2000mに及ぶ、当時としては類例のない工法で、
現在も近隣の農家を潤しているという。


 ツリガネニンジンの咲く静かな集落、畑の間を抜け
ようとしたらキジが飛びだした。

 県道61号に出てすぐ先の、坂東三十三番観音霊場、
佐竹寺に参拝する。

 佐竹寺は、寛和元年(985)、花山天皇の勅願により
開山と伝えられる古寺。天文15年(1546)佐竹義昭
によりこの地に再建され、安全、厄除けの仏様として
巡拝者が絶えないとという。

 りっぱな仁王門をくぐった正面に、かやぶき寄せ棟
造り、国宝の本堂がどっしりと構えている。


 本堂前に童顔のお地蔵さんがたくさん並び、境内の
大イチョウにはギンナンがいっぱい色づいていた。


 北側の民家の前に、古代米の黒米、赤米の無人ス
タンドがあり、1袋100円で売っている。健康食品なの
で、黒米を一つ買い求めた。

 佐竹寺で9人に増えた一団が、もとの道を天神林町
の途中まで戻り、二つの三差路を西から北に進んで
白馬寺に行く。

 かやぶきにトタンを被せた本堂。周囲に大きな木立
はなく開放的。サザンカが花を開き、ホトトギスもたく
さん咲いていた。庫裡(くり)の犬数匹が、にぎやかに
吠えたてる。

 車の少ない2車線の車道を北へ、標識で右手の林
に上がって西山荘(せいざんそう)を目指す。広葉樹林
と赤松の混交林を行くが、なかなか出ない。

 三差路を左に進むと、市営斎場横の車道に出た。
 地図を確認、先ほどの三差路を右に行けばよいと
分かり、戻ってさらに三差路の先に進む。

 再度三差路を左折したろうか、ふみ跡が細くなり
これも違うかと思ったら、下に遊歩道が見えた。

 顔も埋まるほど伸びた熊笹の間をかき分けて遊歩
道に下った。ひと安心した同行のメンバー。

 
 ここはもう西山荘。水戸藩主を退いた徳川光圀公
が元禄4年(1691)から亡くなるまでの10年間、
隠居生活を送った、かやぶき屋根の西山御殿と邸内
を回る。

 谷間にある邸内は、松、モミジ、梅、ツツジなどの
豊かな木々と三つの池をめぐらしている。

 現在の建物は文政2年(1819)の再建というが、草
の伸びたかやぶき屋根や土壁が周囲の木々に溶け
こみ、落ち着いたたたずまいを見せている。


 かやぶきの守護宅資料室で、ここで編纂(へんさん)
した「大日本史」原稿など黄門様ゆかりの資料を見て、
これもかやぶきの通用門を出た。

 小さい流れ沿いに梅園の続く公園の東屋(あずまや)
で休憩、Sさんがいつものようにコーヒーを湧かして
くれた。

 公園の出口では、水戸市から歩いてきた「水戸黄門
様漫遊ウオーク」の一行、数10人がゴールし、盛大な
歓迎を受けていた。

 国道293号に向かう三差路に、寒桜が小さい花を
開いていた。次の三差路を右折、南に上がり、色づく
桜と芝生に覆われた西山公園に入る。

 義公廟の前から急階段を下り、公園下を北に進ん
で、16時51分、今日の宿、まんだらじ旅館に着いた。

 まんだらじ館の夕食メニュー。


(天気 曇り、歩行 21人、距離 8㎞、地図(1/2.5万)
 常陸大田、歩行地 常陸太田市)

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四国遍路の参考図書

2007-10-26 22:23:41 | 初めての四国遍路アドバイス
 今日から、新しいカテゴリーを設けました。「初めて
の四国遍路アドバイス」です。

 これから四国遍路をしたいという方、特に歩いての
四国遍路をしてみたいと考えておられる方に、参考に
なるようなことを、私の2度の歩き遍路の経験の中か
ら、ご紹介しようというものです。

 市販の図書などにはないこと、極めて初歩的なこと
なども、思いつくままランダムに紹介したいと思います。

 ご覧いただいた中で、こんなことを知りたいというこ
とがありましたら、コメント欄に投稿していただければ、
分かる限り次回以降に紹介するつもりです。

 初回は、四国遍路の参考図書についてです。

======================
(1)四国遍路の参考図書

 四国遍路に行くにあたっては、まず、歩いての四国
遍路とはどんなものなのか、という情報を集めなくて
はならない。

 大きな書店には最近、四国遍路関連の図書が多数並
んでいるので、その中から歩き遍路に関連ありそうな
ものを選んで入手する。

 また、公立図書館にも四国遍路関連の図書は配備さ
れているところが多いので、借用するのもよい。

 図書ではないが、一番手っ取り早く知り多い情報を
得るのは、経験者に素朴な疑問でも聞いてみることで
ある。

 私も、もと職場が同じで退職後すぐに四国遍路をし
た知人に、メールで何回か問い合わせて、いろいろな
知識を得ることが出来、それが大変役立った。

 それらのこともいずれ後述するが、私が入手して手
元にある四国遍路関連図書を幾つか紹介する。

「四国遍路ひとり歩き同行二人」(解説編、地図編)
              へんろみち保存協力会発行

 現地に行ったら、この地図がないと歩けないといっ
てもよいくらい、歩き遍路に必要な情報が盛りこまれ、
遍路宿の一覧もあるので、宿を探すのに無くてはなら
ぬもの。

「四国八十八カ所を歩く」
                 山と渓谷社発行

 1番から88番札所まで順次、コースの案内や宿の
情報など、豊富な写真とあわせて盛りこまれている。
これは改訂2版だが、現在はさらに改版されている。

「四国八十八カ所」(るるぶ情報板)
              JTBパブリッシング発行

 これも2005年3月版だが、改版が出ているかも
しれない。各札所の概要や見どころなどが、1頁か
1/2頁で要領よく紹介されている。

「週刊 四国八十八カ所遍路の旅」(全30冊)
                     講談社発行


「お遍路入門」   加賀山耕一著 ちくま書房発行


「巡礼・遍路がわかる事典」 
        中山 和久著 日本実業出版社発行

 四国に限らず、巡礼や遍路に関連した用語や基礎
知識を知りたいときに、大変重宝する。

「これがほんまの四国遍路」
          大野 正義著 講談社現代文庫


 以下の6冊はいずれも、実際に歩いた人の歩行
記。これに類するものは多数刊行されている。

「四国遍路」    辰濃 和男著    岩波新書


「平成娘巡礼記」  月岡祐紀子著    文春新書


「歩く四国遍路千二百キロ」
          西川阿羅漢著  現代書館発行


「女へんろ元気旅」   森 春美著  JDC発行

「四国遍路巡礼記」   村上 護訳  教育社発行

「歩き遍路の独り言」
         後藤 典重著 新ハイキング社発行
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四国霊場を巡る遍路道(14)

2007-10-25 21:58:52 | 四国遍路あれこれ
 「四国霊場を巡る遍路道」の最終コースは、結願
(けちがん)を迎える88番大窪寺周辺を紹介します。

======================



 88番大窪寺への最後の険路、女体山(774m)
を越え、大窪寺へ向かっての下り道。山頂と、大窪寺
奥の院・胎蔵峰との間です。


 こちらは初回の道。女体山への遍路道は、台風
被害で通行禁止。そこで県道3号と国道377号を
迂回し、大窪寺まで2k余りのところから入った
車道。


 88番大窪寺に無事結願して翌日、大坂峠越えで3番
金泉寺経由1番霊山寺に向かいました。

 大窪寺から国道377号を南東に5kmほど下った、
五名トンネル入口です。新しいトンネルなので、広め
の歩道ができています。


 五明トンネルを抜けて県道40号を進み、1.5km
ほど先の中尾峠は、ショートカットする土道の遍路道
を下ります。


 初回は、白鳥温泉の先の分岐を県道132号に入り、
四国霊場総奥の院・與田寺にお参りしました。

 白鳥の町並み近くに進み、JR高徳線が近づいたあ
たり。古い道しるべが立っていました。

 間もなく国道11号に入ります。

 こちらは2度目のルート、與田寺へは回らず、宮奥
池経由の県道40号を進み、JR高徳線讃岐相生駅の
東で、與田寺方面からの遍路道と合します。

 ここは、その合流点の手前、遍路道は線路沿いに
左にカーブし、線路下をくぐるガードのところで、左手
からの遍路道と合流します。


 線路を離れると間もなく、香川・徳島県境の大坂峠
への上り道となります。その上り口付近。


 峠越えは、遍路だけでなく県境(国境)を越える人
たちの要路だったので、香川県側は幅広く歩きやすい
道が残っていました。



 徳島・香川県境の大坂峠(260m)です。


 県境からさらに、標高360mの稜線に向かって上
がって行きます。


 峠を下った翌日、3番金泉寺、2番極楽寺を経て、
1番霊山寺に戻り、四国遍路道一周の輪を結びました。


コメント (2)
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四国霊場を巡る遍路道(13)

2007-10-24 22:01:24 | 四国遍路あれこれ
 9月26日以来、1か月近く中断していましたが、「四国
霊場を巡る遍路道」の続きを再開します。

=======================



 四国遍路も終盤、最高所にある66番雲辺寺からの
下り道で香川県内に入りました。

 70番本山寺から71番弥谷寺へ向かう道筋。しばら
くは車の多い国道11号を進みますが、この県道31号
に入ると道幅も狭まりますが、交通量は減り、歩きやす
くなりました。


 少し飛んで、78番郷昭寺の参拝を終え、門前町とも
いえる宇多津(うたづ)町の古い家並みを抜ける遍路道。

 これは初回の写真ですが、2度目の時はこの通りは
「うたづのおひな祭り」で賑わっていました。

 宇多津町の隣は坂出市。市の中心街ではアーケード
を抜けて行きますが、ここもシャッター通りになっていま
した。


 79番高照院から80番国分寺へ向かう国道11号。

 広い歩道があるので、車の危険からは避けられます
が、車道は片側2車線で、交通量は相当なものです。

 80番國分寺の参拝後、背後にある稜線に向かって
上り、自衛隊宿舎のそばから81番白峰寺へ向かう林
間の遍路道です。


 白峰寺から自衛隊宿舎そばまで戻り、82番根香来へ
は、その先に向かいます。しばらくは稜線上の気持ちよ
いへんろ道が続きます。上の写真は雨模様の2度目、
下の写真は晴れていた初回のものです。


 標高365mの山上にある82番根香来寺から、JR
予讃線鬼無駅付近へ下がり、83番一宮寺への道は
2つありますが、こちらは、香東川の右岸の河川敷を
行く歩行者と自転車の専用道です。


 一宮寺から84番屋島寺への道は、高松市の中心街
を通過します。中心街を東に抜けたあたり。

 朝のラッシュ時で、市内に向かう車で混雑し、歩道は、
次々に来る通学の高校生の自転車に対向しなくては
なりませんでした。

 国道を離れて琴電志度線の潟本駅横を過ぎ、屋島
山上にある84番屋島寺へ向かって、簡易舗装の遍路
道を上がります。

 朝の遍路道では、毎朝ウオーキングをしているらし
い地元の方々と、次々に行き交いました。

 屋島寺から東に出て、眼下に見える平家の合戦場、
壇ノ浦の奥に下り、東側の五剣山(八栗山)の中腹に
ある85番八栗寺を目指します。

 鳥居をくぐると、八栗寺への上り坂となります。

 右はケーブルカー乗り場。歩かずにケーブルカーに
乗れば数分で八栗寺に上がれます。

 いよいよ最後の霊場、88番大窪寺へ向かう道。
前山ダム際にある「おへんろ交流サロン」に寄った後、
女体山(774m)越えの遍路道に入りました。

 譲波休憩所を過ぎ、車道に分かれて山道にかかり、
しだいに傾斜がきつくなります。


 車道を2度横断し、いよいよ女体山への最後の急登
となりますが、台風被害で崩壊した遍路道は修理中。

 通行禁止の立て札があったのですが、工事の方の
許可を得て通過させてもらいました。

 これは2度目のとき。初回は台風被害で通行止の
ため、この道は進めず、南側の県道3号を迂回して
大窪寺へ向かったのでした。   (続く)

 


 
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カタツムリ歩行 流山おおたかの森(千葉県)

2007-10-23 21:37:06 | カタツムリ歩行
 2007年10月20日(土)

 JR武蔵野線とその近くの鉄道沿線を、カタツムリの
ようにゆっくりじっくりと歩いている、カタツムリ歩行の
10月例会に参加した。



 集合はつくばエクスプレスの流山おおたかの森駅。
東武野田線の駅とも交差している。

 先週、別のグループで歩いた、新鎌ヶ谷駅同様、ここ
も新しい駅なので、駅周辺は区画整理中である。

 駅前に、高島屋やイトーヨーカドーの食品館、紀伊
国屋書店、ロフト、ナムコなどの入った大規模複合施
設が出来ていた。近くには、3棟の高層マンションも
ほぼ完成していた。

 駅を出て、南側のその複合施設前やマンションの近
くの公園を抜ける。古くからあった池は雑草に覆われ
つつあったが、わずかの水面にダイサギが立っていた。

 駅名になっている「おおたかの森」のかなりの部分は、
つくばエキスプレスの高架造成で消え、残りは線路の
西側になるが、今日は回らず、線路の東側を南へ向か
い、市野谷の散在する住宅地を目指す。


 コスモスが色鮮やかに咲く畑の先の道路沿いに、太
いクヌギが10本ほど並んでいる。

 その通りを南に進むと温室が3棟あり、クリスマスの
花、鉢植えのシクラメンがたくさん咲き始めている。

 オーナーの坂巻さんの話では、6000鉢ほどあり、
近くの県道沿いに直売所もあるとのことだった。


 少しだけの屋敷林の間を抜けると、ご夫妻でみずみ
ずしいホーレンソウを収穫しており、その先の畑では、
キクがたくさんつぼみをつけ、間もなく咲き出しそう。

 畑にいた奥さんの話では、食用菊もあり、品名は
「もってのほか」というのだそうだ。

 再び屋敷林の間を抜け、県道の先を少し進むと、行
き止まりに。トップのやまさんは、竹林の間を下り、や
ぶこぎをして小さい流れを越える。同行の数人も後に
続き、やぶを上がって畑に出た。


 このあたりは、流山市と柏市との市境が入り組んだ
ところ。畑に出ると、南側に雑草地と豊富な森が見下
ろせ、柏市とは思えぬ、緑あふれる景観である。


 畑の先で新興住宅地を抜ける。住宅の一角で、自宅
前に植えたトウガラシを収穫していた。


 カブの若葉がみずみずしい畑もある。


 南に進み、カトリック豊四季教会横を下って、先ほど
の流れの下流に出た。畑の隅で蜂蜜を直売している。

 この近辺や、柏市、我孫子市などで10万匹のミツ
バチが集めたとのことで、レンゲ、アカシヤ、ナノハナ、
ソバなどの花からの、はちみつを販売していた。

 流れに沿って畑と雑草地の間を進む。すぐ先には、
大根やキャベツ、レタスなどの農産物を並べた無人
販売所もある。

 その先で、林間の道へ上がろうとしたら、故障した
乗用車が立木に止まっていた。

 上の道から進んできたが、立木の下は階段になっ
ていて下りられず、急ブレーキで停車したのだろうか。
この付近の道路不案内な人の仕業らしい。


 その林間を進み、畑の先にある今日のゴール地、
天形星(てんぎようせい)神社に12時15分に着いた。

 江戸時代初期の創建で、この地、野々下と長崎
の氏神様。杉やケヤキ、カヤ、桜などの豊富な樹林
に囲まれ、社殿も趣がある。

 参道には古い石碑が並んでいる。社殿横にシート
を敷いて昼食にした。

 いつものように事務局のDさんが記念撮影後、
ミーティング。

 山浦敬子さんのオカリナ演奏に合わせ、秋の歌を
みんなで合唱し、13時20分頃散会した。

 帰路、私はひとりで南西に向かう。流山総合公園、
つくばエクスプレスの流山セントラルパーク駅、総武
流山電鉄の平和台駅を経て、江戸川左岸に出る。


 千葉・埼玉県境の流山橋を渡り、14時50分に
JR武蔵野線三郷駅に着いた。

(天気 快晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 流山、
 歩行地 流山市、柏市、三郷市) 
コメント (2)
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カントリーウオーク新鎌ヶ谷(千葉県)

2007-10-22 23:41:23 | カントリーウオーク
 2007年10月14日(日)
 
 埼玉県内を中心にカントリーウオークを楽しんでいる
グループの10月例会。今回は、千葉県鎌ヶ谷市と柏
市周辺を歩いた。



 集合は東武野田線新鎌ヶ谷駅。ほかに新京成電車
と北総鉄道の新鎌ヶ谷駅もある。

 コース地図をもらい、4組に分かれて、10時10分に
スタートした。
 
 =大津川沿いに塚崎運動場へ=
 
 最新の地形図上でも、駅周辺には鎌ヶ谷市役所以
外はめぼしい建物は無さそうだったが、ACRO 
MALLと呼ぶ大規模な集合商業施設などが出来て
いた。


 南北に走る東武野田線の東側を少し進んで国道
464号を横断、北総鉄道の南側線路沿いを少しで
線路の北に回り、市制記念公園の横から林間を北
に向かう。

 林は公園予定地になっていて、シラカシ、クスダモ
など豊富な広葉樹や、太い杉などが残っていた。

 粟野の交差点に出て、大津川左岸を少し進むと雑
草地になる。マンションの西側の車道を回り、再び
大津川左岸沿いの遊歩道に戻った。

 セイタカアワダチソウの咲く湿地沿いなので、しばら
くは幅広い木道が続く。


 大津川の流れは行く手の北で手賀沼に流れ込んで
いるが、このあたりは何の汚れか、流れの底が黒づ
んでいる。

 鎌ヶ谷市で、雑排水対策緊急モデル事業を昭和62
年(1987)から実施しているとの掲示があるので、
当時よりは水質は改善されたのかもしれない。

 鎌ヶ谷市北部公民館横の白幡橋を渡って川沿いを
離れ、右岸の大境集落沿いの旧道を、次の橋まで進
む。この辺も雑草地が多く、ガマの穂がたくさん並んで
いた。

 佐津間幼稚園そばの橋を渡って、中佐津間一丁目
の新興住宅地の間を抜ける。畑にフォックスフェイス
が色づいた実をつけていた。

 植えられたフォックスフェイスを見たのは初めてだ。

 沼南高柳高の北で、大津川右岸の堤防沿いに入る。
川沿いは刈り入れ後の田んぼとなり、緑のひこばえ
が延びていた。


 わら細工に使うのだろうか、脱穀後のワラ束を干し
た田んぼもある。


 堤防の草がかなり伸びていて、ちょっと歩きにくい
ところもあり、関根集落あたりは、田んぼに沿った車
道を進む。対岸の中島集落に、かやぶき屋根の寺が
見えたので、回ってみた。

 沼南幼稚園を経営する福寿院で、本堂はりっぱな
かやぶき屋根。旧沼南町有形文化財の観音堂や、
明治25年(1892)から高柳学校、のち風早南部小
発祥の地の石碑、動物供養碑などがあった。

 右岸の馬洗戸集落に戻り、善龍寺に立ち寄る。大
きな本堂の前に、格好良く枝を広げた五葉松の古木
がある。

 文久元年(1861)に、上野寛永寺の輪王寺公現法
親王から下賜されたものらしい。

 北側の交差点に出て階段を上がり、鎮守の森に囲
まれた神明社も訪ねる。現在の社殿はトタン屋根だが、
鎌倉時代末期の嘉元から徳治(1303~8)のころの
造営とされ、伊勢神宮との関係が密接だったという。

 境内の大サカキは県の天然記念物。樹齢1300年
を越えると推定され、この神社の創建の古さがおし量
られる。

 もとは神社の境内だったと見られる北側の塚崎運動
場が今日の昼食地。12時42分に着き、駐車場そば
の太い木の下にシートを敷いて食事をする。

 =増尾湧水群と増尾城址へ=

 後半の行程は短いのでゆっくり休み、13時40分に
出発する。

 大津川右岸に並行する旧道を、谷津から新屋敷集
落へと進み、橋を渡って大津川左岸堤防を行く。

 川に沿ってひこばえの延びた田んぼが続く。流量が
増えた河岸にはセイタカアワダチソウが咲き競い、
流れには、カルガモが見える。


 川を離れ、宮根集落の林間を台地上に上がり、秋
祭りの提灯が下がる広畑八幡宮へ。鎌倉時代の建久
4年(1193)、柏市近郊一帯の総鎮守として創建した
という。

 杉木立の参道を進むと、りっぱな社殿が鎮座して
おり、境内には、高さ数mの富士山があり、山頂に
「富士浅間大神」碑が立つ。

 神社の北側は、宮根遺跡。弥生時代の住居跡の下
から縄文時代の住居跡が見つかり、両時代の移行期
のものとして、柏市内でも数少ない貴重な遺跡らしい。

 さらに進むと、芝浦工大柏高校の北に増尾湧水群
がある。北側が豊富な森に覆われた台地下の2カ所
から湧水が出ている。

 一帯は芝生広場になっていて、遊歩道もあるが、
湧水量は少な目で、現在は飲用には不適らしい。

 芝生広場で記念撮影をした。


 その北側の台地は、増尾城址総合公園。うっそうと
した森の中に周遊出来る散策路があり、ところどころ
にフィールドアスレチックの設備が設けられていた。


 ゴールが近いので、城址公園の芝生地でいつもより
長めのミーティングをする。近くの名戸ヶ谷病院横バス
停に16時42分に着き、間もなくのバスでJR常磐線
柏駅に向かった。

(天気 曇、参加 16人、距離 12㎞、地図(1/2.5万)
 流山、歩行地 鎌ヶ谷市、柏市(旧昭南町含む))
コメント (2)
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