あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

真冬並みの豊橋周辺へ(愛知・豊橋、蒲郡)〈1/3・二川宿本陣資料館〉

2023-02-23 22:23:12 | 国内旅行
 2023年2月15日(水) 〈東海道二川宿本陣資料館へ〉

 今月の旅は、愛知県蒲郡(がまごおり)市の三谷〈みや〉温泉へ1泊で行くことにした。

 自宅を8時50分頃に出て、東京駅から10時33分発東海道新幹線ひかり639号に
乗る。日中の時間帯なので自由席は空席が多い。

 
 小田原駅近くから見えた箱根の山は、うっすらと雪をまとっている。


 富士山は雲に覆われて裾野が少ししか見えなかったが、浜名湖周辺では晴れてきた。


 11時53分に豊橋駅で下車した。


 新幹線改札口と在来線や名鉄の改札口との中間にある、豊橋観光案内所で周辺のパンフ
レットなどを入手する。



 近くのコインロッカーに不要荷物を入れて1階の食堂街に下り、信州そば処「そじ坊」
でざるそば定食(870円)を注文して昼食とする。


 今日の宿泊予定は東海道本線で4駅先の三河三谷駅下車だが、夕方まで上り電車でひと
駅戻る二川(ふたがわ)駅まで行き、東海道の宿場のひとつ、二川宿にある二川宿本陣資
料館に行くことにした。

 ここでは、1月28日(土)から3月12日(日)まで、「二川宿本陣のひなまつり」
を開催中という。
           

 東海道とともに江戸・日本橋と京都を結んでいた中山道は、以前にほぼ1往復しており、
すべての宿場を通過したり一部の宿場には宿泊もしたが、東海道の宿場は、20年以上前
の伊能ウオークの際に、静岡市以東や神奈川県の宿場の一部を通過したくらいで、あまり
なじみがない。


 豊橋駅13時23分発東海道本線上り電車(4両編成)に乗り、13時29分に二川駅
で下車した。





 2階の改札から北口に下りると、駅前広場には東海道二川宿のパネルが。




 今日は冬型の気圧配置になり、北寄りの風が強くて風速は7~8mあり、気温も5~6
℃で真冬並みの寒さである。

 二川宿本陣資料館は、旧東海道を東に約1㎞ほどにあるので、東海道線や新幹線の北側
を平行に走る旧東海道を東進する。



      通りに沿った民家などには、つるしびなが下がっていた。
     

 
 道路が右左折する鍵の手になっているところには、旧二川町の道路元標と「高札場跡」
標石が。この先が二川宿の中心部になる。
     

 二川宿は、東海道五十三次33番目の宿場町。江戸日本橋から72里余(約283㎞)
で、東の白須賀宿へ約1里17町(約5.8㎞)、西の吉田宿へは1里20町(約6.1
㎞)にある。(下の浮世絵は「二川宿史跡マップ」(豊橋市二川宿本陣資料館発行)から)


 宿場としては小規模だったようで、町並の長さは東西12町26間(約1.3㎞)、天
保14(1843)年の記録では、家数328軒のうち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋
38軒だったという。


 14時頃、二川宿本陣前に着いた。資料館は幾つもの建物のある敷地の一番奥、南側に
ある。



 まずは入館料400円を払って本陣資料館に入る。
    





 入口に飾られたひな壇

 

 1階の中心部、資料館には本陣に関する展示が。










 左手に回って体験コーナーを抜ける。ここでは江戸時代の双六(すごろく)などの体験
が出来る。


 奥の企画展示室では、「おひなさまと武者人形」と呼ぶ、浜松市在住の柴田宏祐氏から
寄贈されたという「柴田コレクション」のひな人形や五月人形などがたくさん展示されて
いた。
     







     

          







 一巡して観覧を終えて資料館を出た。外は相変わらず北寄りの風が強くて寒い。


 この後は、旧東海道寄りにある本陣の建物↑に向かう。中庭の紅梅が咲き出す。




 本陣の建物のひとつ、東土蔵。


      主屋に接して井戸の建物が。
     


 一番大きな建物、玄関棟と棟続きの書院棟には、たくさんのひな段が並んでいる。
     

          

















     












 玄関棟の玄関際には、数え切れないほどのつるしびな飾りが。
     



     

          


 一番奥の上段の間、大名などが宿泊する部屋で、ほかの部屋より一段高くなっている。
 

 上段の間付近から見える中庭。

 
      上湯殿(風呂場)
     


 玄関に戻りながら、さらにほかのひな飾りも眺める。




 このように、たくさんのおひな様、飾るのもしまうのもさぞかし大変な人出と時間がか
かりそう。関係者の皆さんのご労苦に感謝します。
 
 玄関際には、三河地方の伝統行事である手筒花火(てづつはなび)の、打ち上げ後の空
筒(からづつ)を再利用した、縁起のよい「手筒花びな」もあった。


 とにかく、数え切れないほどのひな飾りを見ることが出来たが、各部屋は開け開いてあ
るので、今日の気温と風が吹き込むことでとても寒かった。

 ひととおりの観覧を終えたので、15時15分頃、二川宿本陣資料館を出た。

 本陣資料館と相対して、商家・西駒屋の建物がある。

 西駒屋は、この先にある商家「駒屋」から分家した東駒屋からさらに分家して、明治42
(1909)年に味噌、醤油の醸造業を創業した家のよう。

 明治時代後期に建築された主屋は、切妻造り平入りの三州瓦葺きで、この地特有のたた
ずまいを有しており、国登録有形文化財となっていた。

 駅に向かって戻る東海道二川宿の眺め。


      沿道の民家には、このような木造の灯籠や花飾りを並べた家が多い。
     

 15時50分過ぎに二川駅に戻った。


 2階のコンコースからは、そばの東海道新幹線の高架上を高速で通過する新幹線が、数
分間隔で望まれる。


 16時12分発東海道本線下り電車に乗り、豊橋駅に16時18分に下りた。


 コインロッカーに預けた荷物を出して、豊橋駅16時33分発下り東海道本線に乗る。

 4駅先の三河三谷駅には陽の傾いた16時50分に着く。

 
 駅から宿泊先に電話して迎えの車に来てもらい、17時頃、宿泊する松風園に入る。

     
 間もなく日没の時間、この時間にロビーではヴァイオリン演奏があるというので、ソフ
ァに座り、飲み物を頂きながら入り日を眺め、美しい旋律に耳を傾けた。


       


 2階の部屋には17時30分過ぎに入ったが、外は相変わらず風が治まらず、眼下の三
河湾は寄せる波が続いていた。                      〈続く〉    




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西武池袋線 秩父線のハイキング乗降駅の多くが無人に(埼玉)

2023-02-18 17:36:29 | 鉄道
 2023年2月18日(土)

 西武鉄道では、3月1日(水)から西武池袋線の武蔵横手(むさしよこて)駅、東吾野
(ひがしあがの)駅、そして西武秩父線の西吾野駅、正丸(しょうまる)駅、芦ヶ久保駅
の5つの駅で駅係員が常駐しなくなる、いわゆる無人化すると発表しました。


 (「西武時刻表」第31号の「西武鉄道路線図」(部分))

 これらの駅では、窓口と券売機でのきっぷや入場券などの発売はしなくなり、交通系I
Cカード(Pasumo、Suicaなど)を利用する人は、IC専用改札機にタッチして乗降する
ことになります。

 きっぷで乗降したい人は、改札口付近にある発行機から乗降車駅証明書を取って乗車し、
降車駅で駅係員か、無人駅の下車は電車の乗務員に提示して運賃を支払うことになります。

 これらの駅は地元利用者だけでなく、休日などには奥武蔵高原ヘのハイキングの下車駅
として利用する人も多く、各々の駅からのハイキングの行き先としては以下のようなとこ
ろがあり、私もこれらの駅は何度も利用しました。

 武蔵横手駅  五条の滝、物見山、鎌北湖

 東吾野駅   天覚山、鎌北湖      

 西吾野駅   高山不動、関八州見晴台、子の権現、竹寺

 正丸駅    正丸峠、狩場坂峠、伊豆ヶ岳、

 芦ヶ久保駅  芦ヶ久保の氷柱、日向山、埼玉県民の森、丸山、二子山




 芦ヶ久保の氷柱(今年は駅員配置中の2月33日(木・祝)まで)


 丸山山頂展望台から武甲山

 西武鉄道でも、「駅からハイキング」のスタート・ゴール駅として、これらの駅を利用
することもあり、今後は、その当日には駅員を配置するものと思われます。

 なお、東吾野駅と西吾野駅の中間の吾野駅は、従来通り駅員が常駐となるようです。




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冬の飛騨路〈3日目 下呂温泉を観光後 帰路へ〉〈2/2〉(岐阜・下呂市ほか)

2023-02-13 21:31:19 | 国内旅行
 2023年1月19日(木) 〈後半・帰路〉

 午前中に下呂温泉街の観光を終えて、正午前に下呂駅に着いた。


 下呂駅から12時21分発名古屋行き特急ひだ8号に乗るために1番ホームへ。こちら
は特急の来る下り、高山方面。


 進行方向の上り岐阜、名古屋方面。


 特急ひだ号が入線し、乗車する。


 発車して間もなく、駅前で買った笹すしを開けて昼食とする。

 

      列車は飛騨川沿いの山あいを南下する。
     


 美濃太田駅近くで山あいから抜けて、木曽川沿いに西へと向きを変える。


 通過した美濃太田や各務原(かがみがはら)などは、10数年前の中山道ウオークで歩
いたことを思い出す。

 岐阜駅に近づいた頃、右手山上には岐阜城が見えた。標高は329mのよう。
 

 岐阜駅に13時40分に着き、高山本線全線を乗車し終えた。岐阜駅から列車は東海道
本線に入り、折り返すように逆方向に進む。名古屋まではノンストップである。

 
 尾張一宮駅が近づく頃、東側に一宮市の北郊、木曽川左岸沿いにある木曽三川(きそさ
んせん)公園にある「ツインアーチ138」が望まれる。

 高さは「いちのみや」の語呂合わせで138mだったことを、以前歩いた一の宮ウオー
クで、この塔に上がったときに知ったことを覚えていた。


 14時04分に終着の名古屋駅に着いた。



 東海道新幹線ホームに上がり、14時31分発上り、ひかり652号に乗る。




 
 名古屋から浜名湖辺り↑↓は快晴だったので、富士山も眺められるかと期待したが、次
第に雲が増えて、富士市周辺ではすっかり曇って見られなかった。


 16時12分に東京駅に着き、山手線内回りで池袋駅へ。


 池袋駅から西武池袋線の17時発 特急むさし27号に間に合い、18時頃帰宅した。

 今回の旅で、事前に購入したJRのジパング割引の乗車券

  
 東京都区内から、埼京線、北陸新幹線、高山本線全線、東海道本線、東海道新幹線と乗り
継ぎ、一周した運賃計算距離は1,063.6㎞だった。            (了)




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冬の飛騨路〈3日目 下呂温泉を観光後 帰路へ〉〈1/2〉(岐阜・下呂市)

2023-02-12 21:12:14 | 国内旅行
 2023年1月19日(木)  〈前半・下呂温泉観光〉

 宿泊した下呂温泉の旅館、小川屋にて7時頃起床した。部屋は本館の最上階の7階、ま
ずは別棟の景観荘1階にある温泉で朝風呂に浸かる。


 部屋に戻って間もなくの7時30分過ぎ、窓を開けると快晴で、下流↑から上流へと飛
騨川沿いの温泉街などを一望した。




 8時頃、2階にある食事処「季咲亭」でバイキング朝食を済ます。


 食事を終えて3階に上がり、フロントやロビーなどを眺める。



 チェックアウトをして、10時前に小川屋を出た。玄関には、当館のキャラクターとい
う「湯けむりどんびき(蛙)」が。


 下呂温泉のこの辺りは、飛騨街道 湯之島宿だったよう。


 午前中は下呂温泉の温泉街を回ることにして、昨日駅横の観光案内所で入手した「下呂
温泉 観光案内図」を手に、北西に延びる白湯坂を緩やかに上がって行く。

 下呂温泉は、飛騨地方の玄関口として大型ホテルなど約50軒の宿が集中していて、平
安時代中期の天歴年間(947~957)には湧出していたと伝わる歴史ある温泉地。

 古くは湯治場として栄え、室町時代には京都の高僧・万里集九(ばんりしゅうく)や、
江戸時代初期に幕府に仕えた儒学者・林羅山(はやしらざん)が名湯と讃えたことで全国
に知られ、群馬県の草津温泉、兵庫県の有馬温泉と並んで「天下の三名湯」のひとつに数
えられ、なめらかな湯は肌触りがよく、美人の湯としても評判のよう。


 緩やかに右カーブするところに「ビーナスの足湯」があるが、頭部は影になっていて見
にくく、少し欠けてしまった。
     
  
     
      すぐ先には、「日本三名泉 発祥の地」碑と「温湯連句碑」がある。
          
          

  山すその温泉寺へと延びる交差点を左折してすぐ先に、加恵琉(かえる)神社があり、
いたるところにカエルが。






     

 境内の北西端の道路際には、伊能忠敬が文化11(1841)年4月に測量に来たときに
宿泊した本陣 飛騨屋 武川久兵衛宅址碑が立っていた。 
     

 その先、右手高みには「下呂発 温泉街博物館」があるが、木曜の今日は休館日だった。


     
 博物館への細道際に下呂プリンの店があり、SNSで評判なのか、若い人がたくさん来
ていた。
          


 道路の反対側の小さい広場には「鷺の足湯」があり、近くには。天保11(1840)
年に寄進されたという常夜灯が立っている。
          

      広場には記念撮影用パネルも。
      

 この消防団の建物の壁面には、下呂市のイメージキャラクター「げろぐるくん」が。




 飛騨街道湯之島宿の北側入口に立つ、ゲートをくぐる。


 その先にあった百貨店。

 
 すぐ先のY字路で商店もほぼ終わったようなので折り返し、加恵瑠神社の手前の十字路
まで戻り、左折して温泉寺への細道へ。

 寺への急な石段下まで行った、上がって往復すると予定した列車に間に合いそうにない
ので止めて、南東へ延びる高台の旧道を進むことに。


 ふり返ると眼下に、「温泉発祥の地」碑やビーナスの足湯などが望まれる。
     

 旧道が右にカーブし始める辺りには、太平洋戦争時に魚雷回天で殉職した、「海軍少佐
黒田博司生誕地」碑が立っていた。



 カーブを下り、加恵瑠神社方面に延びる通りに合流してすぐのところに高札場があり、
古い定めが復元されて掲示されていた。




      折り返して南東へ延びる湯の街通りへ。
     

 道路には、あちこちにカエルの顔を浮き出しにした舗装が。


     
      石垣や建物の軒下、商店などにもカエルが目につく。





 路傍のがけから「かれるの滝」が流れ落ち、ここにも何匹ものカエルがいる。
     

          


 少しずつ下って行くと、すぐ上の斜面に役行者堂(えんのぎょうじゃどう)があったの
で、少し回り込んで上がり参拝した。




 その下が飛騨街道湯之島宿の南端のようで、北側同様のゲートが設けられていた。


 ゲート際の趣ある手打そばうどん店に入ってみたいが、昼食には早いので通過する。


 下呂駅方面に延びる幹線、阿多野通りと交わる十字路に出た。交差点には、いま回って
きた見どころまでの距離を示すパネルが並ぶ。


 阿多野通りに沿って飛騨川に流れ落ちる支流があり、両側に遊歩道が設けられている。


      阿多野橋からの上流↑と下流↓の眺め。
     
 
 橋の南東側、左岸際には、「湯の香慕ふて 若鮎さへも 益田川すち 瀬をのほる」と
記した、野口雨情作詞の下呂歌謡の歌碑があるが、逆光で見にくい。


 右岸側の遊歩道に戻って少しずつ下って行く。


 飛騨の地酒などを販売する商店の軒下に、「雅の足湯」があった。


     
 すぐ先、別のビル際のしらさぎ横丁には「さるぼぼ黄金足湯」と「さるぼぼ七福神社」
があり、円形の絵馬がたくさん奉納されている。
          



          

     
      さるぼぼ黄金足湯


 人気スポットのようで多くの観光客が訪れている。一巡して七福神と神社↑に参拝した。


 すぐ下の交差点際、ビルの1階には温泉神社が祭られている。




     
 そばの、白鷺橋の上流側には林羅山と猿の石像が、下流側には下呂温泉を訪れたことの
あるというチャップリン像↓が。
          

 飛騨川の下呂大橋際に出た。
 

 橋を渡りながら、流れや周辺の旅館などを眺める。


 右岸に近い河床には噴泉池があるが、入浴する人は見えない。


 振り返り見る橋の左岸上流際に立つ、宿泊した小川屋(右手)のビル群など。


 橋を渡り終え、そばの土産物店で駅への近道を聞き、高山線のガード下を反対側に回り、
正午近くに下呂駅前に着いた。


 少し時間があったので、駅前の土産店で弁当と土産物を求める。
 

 (天気 快晴、距離 2㎞、地図 「下呂温泉 観光案内図」)


 今日の歩行エリア(矢印が歩行順路)

 スタートの小川屋は、中央部を流れる飛騨川の中ほどより少し右上。
                                    〈続く〉




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2023年初の積雪は10㎝前後になるか(埼玉・所沢)

2023-02-10 12:57:11 | 所沢だより
 2023年2月10日(金)

 昨日、2月9日(木)で、当ブログも2006年に開始してから満17年となりました。
開始以来多くの皆さんにご覧頂き、本当にありがとうございました。

 あと何年続けられるか分かりませんが、引き続きご覧いただますよう、よろしくお願い
申し上げます。


 さて、今朝は朝から雪になり、正午になっても細かな行きが降り続いており、夜までに
は10㎝前後まで積もりそうな気配です。

 9時55分頃のわが家の庭周辺の積雪の様子


     

          



     





      正午頃にはこれくらいに。
     



    



     







 まだ花の咲いているスイセンにも


     


 正午からのNHK総合TVのニュースでは、東京都や埼玉県南部、北部などで大雪警報
が発令されたことを伝えています。






 正午のアメダス所沢の気温も-0.4℃のようで、今日はこのくらいの温度が続きそう。
予想以上の積雪にならないよう祈りたいです。


〈追記〉
 雪は15時過ぎから雨になり、積雪は予想ほどは増えず、7㎝前後の積雪までで済んだ
よう。うすく暗くなった17時過ぎには、雨に濡れて覆われた葉も重そうに。




 一夜明けて2月11日(土・祝)、朝から晴れて暖かくなり太陽がいっぱい降り注ぎ、
雪も急速に溶けてくれました。




 11時半近く、西武池袋線の陸橋から眺めても、畑や屋根に残る雪は少なくなっていま
した。 奥の山並みは丹沢山塊


 その右手、富士山の方向



 さらに右へ、奥多摩から奥武蔵の山並みなど



 近くの畑も、雪解けが進んでいました。 









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冬の飛騨路〈2日目 高山を観光後 下呂温泉へ〉〈3/3〉(岐阜・高山市、下呂市)

2023-02-09 18:16:26 | 国内旅行
 2023年1月18日(水) (高山観光後 下呂温泉へ)

 上二之町の家並みの南端から西へ、宮川の中橋を渡って陣屋前朝市の開催される広場を
抜けて、国史跡で江戸時代の御役所である「高山陣屋」の御門前に13時35分頃着いた。

 高山陣屋は、全国に唯一現存する郡代・代官所のようなので観覧することにした。
          

 徳川幕府は、元禄5(1692)年に飛騨を幕府直轄領とし、以来明治維新にいたるま
での176年の間、25代の代官・郡代が江戸から派遣され、直轄領の行政・財政・警察
などの政務を行ったとか。

 これら政務に用いられた御役所や、郡代官宅、御蔵などをあわせて「高山陣屋」と称し
たよう。

 明治維新後は、主要建物がそのまま地方官庁として使用され、昭和44(1969)年
に飛騨県事務所が移転したのを機に、全国唯一の徳川幕府代官所を保存するため、平成8
(1996)年3月まで三次にわたる復元修理をして、江戸時代の高山陣屋の姿がほぼ蘇
ったのだという。


 御門から真っ直ぐ進んで玄関で靴をぬいで入り、幾つもの部屋を順路に従って一巡して
観覧する。




 御用場


 途中に掲示されていた観覧順路図


     









 台所




     

     

 御居間




     










 御白州

 奥にあるのは拷問の用具

     


 玄関に戻って外に出て、御門↓に向かう。



 玄関と御門の間、南側には井戸↑が、北側にサンシュユの老木があり、たくさんの実が
残っていた。


 30分近くかけて一巡し、高山陣屋を後にした。


 御門を出て、陣屋前朝市の開かれる広場を抜けて中橋に戻る。陣屋前朝市は、この時期
(11月~3月)は8時~12時頃まで開催されるようだ。



 橋際、左岸下流側に立つアカマツの根元に「高山の夜」の歌碑があった。


 橋際の両側には、まだ2台の人力車が。



 古い家並みの残る上三之町を北へ、この通り一帯は「高山市三町(さんまち)伝統的建
造物群保存地区」。次々に現れる興味深い店を眺めながら進む。
     




 この通りにも「銘酒 山車」ののれんを下げた原田酒造場がある。

 江戸末期の安政2(1855)年創業以来、10代続くという老舗造り酒屋で、「うま
い酒しか造らない」がモットーとか。







  蔵造りの建物の1階はコーヒー店のよう。



 よい時間ということもあるかもしれないが、観光客はこの日回ったエリアで一番多い。

 




 
 両側ともに興味ある店が続くので、行ったり来たりしてなかなか進まない。










     





          

     


 東西に走る幹線道路、国道168号線・安川通りに出て鍛冶橋を渡り、本町2丁目の商
店街で折り返すように次の交差点まで進む。
          

      
      交差点際、狭い参道の奥に山桜神社を見て、駅前中央通りから駅に向かう。
 
 軒下にナンテンンの実ガいっぱいの建物。


 14時55分にJR高山駅東口に戻った。

 今日の歩行エリア(高山駅は右下、矢印が歩行順路)


 (天気 曇一時小雪 一時晴、距離 5.5㎞、地図 「飛騨高山ぶらり散策マップ」)


 国の伝統的建造物群保存地域を中心に、高山市街の中心部をひととおり回ることができ
たが、興味深い商店や酒造店、飛騨の匠の技を示す作品などをゆっくりと観覧する時間は
無かった。

 さらに市内には、レトロミュージアム、休館日だった古い町並み美術館、高山昭和館、
まつりの森、まちの博物館など、ユニークな博物館や美術館も多いよう。

 さらにもう一泊してこれらを観覧するのも良さそうで、飛騨高山は予想以上に見どころ
が多く、歴史や伝統を大切にしていることの感じられる街だった。

 コインロッカーに預けた荷物を出して駅舎の2階に上がり、自由席特急券を購入して、
高山駅15時33分発上り特急ひだ16号に乗る。

 駅を出て間もなく、見えてきた宮川沿い。


 南下するので、沿線の残雪は次第に少なくなった。


 ガラガラの5号車自由席。


 下呂温泉に近い飛騨萩原駅を過ぎた辺りでは、全く残雪は見えない。

 
 16時17分に下呂駅に着き下車した。


     

 
 駅前広場にも温泉が。


 送迎バスに乗り、16時40分過ぎに下呂温泉の旅館、小川屋に着いた。


 部屋からは、眼下に飛騨川の流れや周辺の旅館などが眺められる。


 中央部山際が下呂駅の辺り。                   (完)




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冬の飛騨路〈2日目 高山を観光後 下呂温泉へ〉〈2/3〉(岐阜・高山市)

2023-02-07 11:26:04 | 国内旅行
 2023年1月18日(水) 〈高山観光・その2〉

 高山駅前から、飛騨国分寺や国分寺通り、下三之町、下二之町大新町などを経て、11
時過ぎに桜山八幡宮境内に入り、まずは手前にある「高山祭屋台会館」に入館することに
した。

 高山祭は、4月14~15日に開催される日枝神社例祭「春の山王祭」と、10月9~
10日に開催されるここ桜山八幡宮の例祭「秋の八幡祭」の二つがあり、京都の祇園祭、
埼玉県の秩父夜祭とともに“日本三大美祭”といわれている。

 ここでは、秋の高山祭で曳き出される豪華絢爛な屋台を、年3回(3,7,11月)入
れ替えて展示しているという。

 ちなみに、高山祭は国の重要無形民俗文化財に指定され、2016年12月にはユネス
コの無形文化遺産にも登録されている。


 高山祭屋台会館は、お城の上に屋台がくっついているような建物。入館料は1,000円
だが、境内に相対して設置されている桜山日光館も観覧で来る。
     

 受付では音声ガイドを無料で貸してくれるので、各屋台の前でその屋台の説明を聞くこ
とができ、フラッシュ撮影しなければ撮影も可能。


 天井の高さは11mあるという広い展示場を順路に従って回り、精巧できらびやかな屋
台をひとつずつ観覧した。
     



     

          

     

          

     



     




 2階では、高山祭の様子を紹介する10分間のビデオ映像を上映していたので視聴する。








     
 さらに2階からも屋台の上部などを間近に観覧し、ミュージアムショップを抜けて会場
を出た。




 このあとは桜山八幡宮を参拝することにして、正面の石段を上がる。


 桜山八幡宮は、仁徳天皇65年に、飛騨国に二つの顔を持つ宿儺(すくな)という賊が
現れ、それを討伐するために派遣された和珥氏(わにうじ)の祖・難波根子武振熊命(な
にわのねこたけふるくま)が戦勝祈願のために先代の応神天皇を祀ったのに始まると伝え
られ、聖武天皇が諸国に設けた護国八幡だという説もあるとか。

 江戸時代に、金森氏が当地の領主となったときには氏神として当社を保護し、宮川以北
の住民を氏子とし、明治時代に八幡神社に改称、昭和7(1932)年に県社になり、桜
山八幡宮といわれるようになったのは戦後からという。




 拝殿に参拝後は左手に回り、幾つかの摂社の前を通って別の石段から下りるようになっ
ていた。

 杉木立に囲まれた境内には、残雪がかなり残っている。


 参拝を終えた後、高山祭屋台会館の附設館である「桜山日光館」を観覧することに。


 ここでは、大正時代に、当代の左甚五郎といわれていた長谷川喜十郎など33人の匠に
より、15年間かけて製作された日光東照宮の十分の一模型を展示している。

 陽明門をはじめ本殿、拝殿、五重塔など28の建物と、鳥居などの付属物をすべて再現
していて、構造から装飾や彫刻、絵画にいたるまで忠実に再現され、その部品総数は50
万個といわれているという。


 入口の正面には、模型製作に従事した当時の匠の衣装だろうか、古い法被(はっぴ)や
纏(まとい)などが展示されていた。


 その背後、全面見通せる展示場に陽明門などの精巧な模型が並んでいる。







 通路を回ると、正面や側面、背面など全面が見られるようになっていた。


 小さいだけに、一層の精巧さが求められると思われるが、どれを見ても飛騨の匠の技の
確かさが感じられるものばかりだった。


     



     


 側面には、百物揃(ひゃくものそろい)仙人行列の部分模型も。




 10分余りで観覧を終え、桜山八幡宮境内を出た。この後は、国の伝統的建物群保存地
区の下二之町から上二之町方面に向かうことにする。


 細い通りを左右折して南西へ、下一之町を南進する。 途中には屋根に酒樽や米俵が上が
る古い日本家屋も。


 日下部民芸館の横から東に伸びる細い流れの橋を渡って下一之町を南進すると、下一之
町下組の「大八台」(だいはちたい)と呼ぶ屋台蔵がある。
     

          


      近くには、飛騨らしい興味深い雑貨を扱う店も。
     


 ひとつ西側の橋を渡って下二之町を南進する。




     
      中ほどには、下二之町中組の「神馬台」(じんまたい)と呼ぶ屋台蔵が。
            

 国文寺通りから東に延びる幹線道路、安川通りに出た。12時30分を過ぎているので、
そろそろ昼食をと周辺を見渡したら、すぐ先、上二之町に入ったところに「手打そば恵比
寿本店」が目についたので入る。


 評判の店のようで、相次いで3,4組のグループが来て、テーブルはすべて塞がる。急
ぎとろろ入りなめこそば(1,380円)を注文し、美味しくいただき昼食とした。

 帰宅後、観光案内所で入手した「るるぶFREE飛騨高山」を見たら、この店は「明治31
(1898)年創業のそば店で、職人技で作りあげる挽きたてで香り高い手打そばが自慢」
と紹介されていた。


 上二之町をさらに先へ、通りには平田酒造場と二木酒造の二つの酒造店がある。




     
      その先には、上二之町下組の「鳳凰台」(ほうおうたい)の屋台蔵が。
          

     
      さらに別の酒造店、川尻酒造場や饅頭店なども目につく。


 家並みが右に折れるさんまち通りとの交差点の手前に、「飛騨高山まちの体験交流館」
があるが、入館は省いた。



 さんまち通りとの交差点へ。近くには天守閣のような屋根の上がる建物などが。

 

 通りが右に折れてさらに上二之町の家並みが続き、宮川の中橋近くで終端となる。


 その突き当たりは、大きな和風建築の高山市政制記念館である。

 ここは、明治28(1895)年に建築された旧高山町役場で、市指定文化財になって
いた。

          
      近くには、上二之町上組の「石橋台」(しゃっきょうたい)と呼ぶ屋台の屋
      台蔵がある。
          

 西側の宮川に架かる中橋際には、客待ちの人力車が。


 
 朱塗りの中橋から望む上流↑と下流↓。


 橋を渡った左岸際に広場があり、飛騨匠のひとりと伝えられる彫刻の名手で、平安時代
初期に自作の木鶴に乗って中国へ渡ったという伝説上の人物、韓 志和(から しわ)像が
ある。
     

 この場所は人馬問屋跡でもあったようで、東屋も設けられていた。



 その先は高山陣屋で、陣屋前には高山のシンボルである朝市の開催される広場がある。
                                    〈続く〉 



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冬の飛騨路〈2日目 高山を観光後 下呂温泉へ〉〈1/3〉(岐阜・高山市)

2023-02-04 21:23:01 | 国内旅行
 2023年1月18日(水) 〈高山観光・その1〉

 宿泊した、高山市のホテルアソシア高山リゾートにて6時30分過ぎに起床した。

 窓を開けると外は全面冷たそうなガスに覆われ、小雪もチラついて遠望は利かない。

 7時過ぎから2階のレストランでバイキング朝食をする。


 食事を終えた8時過ぎには、レストランはかなり閑散としていた。



 9時発のシャトルバスに乗り、10分ほどでJR高山駅東口に着いた。バスを下りると
雪がチラついている。

 昨日は西口からホテルに向かったが、東口のこちらが高山の町並みに面している。


 駅ビル階下のコインロッカーに不要荷物を入れて、そばの観光案内所で観光地図などを
入手する。

 高山は飛騨高山藩の城下町で、その後は天領として栄え、良質な水と米に恵まれ江戸や
明治から続く酒蔵が7軒あり、先人たちが確立した優れて醸造技術を継承して酒造りをし
ているとか。

 また「飛騨の匠(たくみ)」として知られる高山は、家具造りが盛んだという。

 気温は0℃前後のようで、かなり手が冷たい。観光案内所でもらった「飛騨高山ぶらり
散策マップ」を手に、15時近くまで「飛騨の小京都」と呼ばれる高山の町並み観光をす
ることにして、9時20分頃に駅前を出た。


 観光案内所前から東に延びる駅前中央通りへ。すぐ先の交差点際に、見る方向により図
柄が変わるモニュメントがあった。
     
 正面は高山市の市章、側面では雷鳥、斜めからは未来に向かって羽ばたこうとする飛騨
高山をイメージしたものだという。
          


 
     近くには、飛騨の伝統工芸品である一位一刀彫りの「足長」像が。
     
     飛騨の象徴である一位(イチイ)材を用いて木目の美しさを生か
     し、彩色を施さない独自の根付彫刻だという。

      
 古くからの商店や、ショウウィンドウ内の変わって展示などを眺めながら少し進む。




 広い通りを北進して、国分寺東交差点際から飛騨国分寺境内へ。

 飛騨国分寺は、741 年に聖武天皇による全国への国分寺・尼寺の建立命令で、746
年に建立された高野山真言宗の寺のひとつ。

    入った近くの境内東側には、飛騨地方で唯一という三重塔が立っている。
     
 現在の塔は、飛騨の匠の祖として崇敬を集める藤原宗安の直系とされ、江戸中期以降、
四代にわたり水間相模守(さがみのかみ)を名乗った水間一門の三代目の代表作で、文政
4(1821)に再建されたもので、県指定有形文化財という。

 境内で目につくのが、国指定天然記念物で推定樹齢1,200年、高さ28mという大イ
チョウ。
     
 行基菩薩の手植えと伝えられ、秋には黄色く染まるというが、いまは枯れ枝のみ。「乳
イチョウ」の名があり、乳の出ない母親がお参りすると乳がよく出るといわれ、根元には
石像が祭られている。
     

 本堂は、室町時代中期以前と推定され、国指定重要文化財という。


 大イチョウを背にした鐘楼門は、安土桃山時代の建築とされ、高山市指定文化財とか。



 本堂近くの絵馬掛けには、子供守護を祈願した絵馬がたくさん奉納されている。



 境内中央部南側の表門から、国分寺を出た。

      その山門の横には、「なでさるぼぼ堂」がある。
     

          
 飛騨地方に古くから伝わるという、猿の赤ん坊の意味をもつ「さるぼぼ」で、猿の赤ん
坊を模した布製の人形のこと。

 「災いが去る」「家内円満・良縁」「子宝・安産」などのお守りとされており、横の庚
申堂には、それら願いを込めたたくさんの「さるぼぼ」がくくられていた。



 門前から東西に延びるアーケードのある中心街、国分寺通りを東へ向かう。周辺には興
味深い店が幾つか目に入る。




     


 宮川に架かる鍛冶橋際へ。北側、下流側と逆光の上流側を眺める。





 橋の先は安川通り、右手(南側)には、飛騨の特産品の店舗が並んでいた。






 後から回る予定の下三之町の古い家並み。



 橋から2本目に交差する下三之町の角は「古い町並美術館」で、山下清原画展が観覧で
きるようだが、水曜の今日は休館日だった。
     

      その横から、下三之町の通りへ。 
     
 途中には、国の有形民俗文化財でユネスコ無形文化遺産医にも登録されている高山祭屋
台の下三之町上組の「仙人台」や、下三之町下組の「宝珠台」の屋台蔵がある。
          



     

          


 通りの突き当たりで細い流れ沿いの通りへ。左手角の店はせんべい店で、その原料や商
品などが並んでいた。


     
     右折した北側、流れの向こうは日下部民芸館で、敷地際から熟した柿がたくさ
     さん流れに下がる。
          


 国指定重要文化財である日下部民芸館前から延びる、下二之町 大新町伝統的建物群保存
地区を進む。


 隣の吉島家住宅も国重要文化財。吉島家は、生糸や眉の売買、さらに金融や酒造業を営
んでいた商家のよう。



 さらにその先にも趣ある木造の商家が続く。



 突き当たりを右左折した角は「猫くら」と呼ぶ猫を保護している建物で、中をのぞくと
たくさんの猫が見えた。








 次の十字路を右折して東へ、桜山八幡宮への表参道に入った。背後の宮川に架かる宮前
橋際には大鳥居が立っている。



 この通りにも飛騨の匠の一位一刀彫りや春慶塗りの店などが目についた。















 二の鳥居をくぐって桜山八幡宮の境内に入り、参拝前だが手前左手(北側)にある「高
山祭屋台会館」を観覧することにした。 〈続く〉




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冬の飛騨路〈初日 飛騨古川を観光して高山へ〉(岐阜・飛騨市、高山市)

2023-02-01 22:17:59 | 国内旅行

 冬の飛騨路は、雪に見舞われることも覚悟しなくてはならないが、まだ訪れたことのな
い古い町並みを巡ることにして、飛騨古川、高山、下呂温泉の3か所を訪ねた。

========================================

 2023年1月17日(火)〈初日〉

 自宅を8時50分頃出て、西武池袋線の急行で池袋駅着は9時38分に。JR池袋駅9
時49分発埼京線で、大宮駅に10時23分に着いた。

 大宮駅からは、10時47分発北陸新幹線の特急かがやき509号、金沢行きに乗る。


 次の停車駅の長野まではノンストップ。高崎駅に近づく頃、左手には榛名山の並みが。



 高崎の市街地に入る頃には妙義山塊↑も望まれ、妙義山の左手には↓荒船山も。


 長いトンネルを抜けて軽井沢駅を過ぎた辺りでは、浅間山が右手間近に。


 さらに進んで長野駅を過ぎれば、千曲川沿い一帯は雪に覆われている。


 富山平野に入ると、雲間から立山連峰が望まれた。


 12時31分に富山駅で下車し、在来線の3番線の先方にある高山本線の2番ホームへ。


 富山駅13時02分発、名古屋行き特急ひだ14号に乗る。車両は、昨年7月1日から
デビューしたHC85系車両で、JR東海では初めてのハイブリッド気動車である。

 ちなみに、ハイブリッド方式とは、ディーゼルエンジンで発電した電力と、ブレーキ時
などで発生するエネルギーにより充電される蓄電池の電力を組み合わせて走行する方式で、
「安全性の向上」や「快適性の向上」、「環境負荷の低減」が図られるという。

 指定席、自由席各1両ずつの2両編成で、車内は両車両ともかなりの空席がある。


 発車すると間もなく、富山駅で求めた「とりべんとう」を開けて昼食をする。



 富山駅を出て、南に向かって進む車窓の左手には、雪に覆われた立山連峰が。


 越中八尾(やつお)を過ぎると次第に山間部に入り、谷間を流れる神通川沿いに進む。


 川には次々にダムが現れ、その落差を利用した水力発電所も幾つか見えた。



 高度が上がり、川沿いの残雪も増える。岐阜県に入ると神通川は分流して宮川となる。
     

 道路への雪崩を防ぐための、スノーシェッドと呼ぶ構造物が沿道のあちこちに見えた。



 14時20分に飛騨古川駅で下車した。駅の標高は約493mになる。


 駅の横の観光案内所でガイドマップを入手して、次の下り列車までの2時間足らずで、
近くの瀬戸川沿いの白壁土蔵街を中心に一巡することにする。

 飛騨古川は、戦国時代に飛騨高山藩主・金森長近が築いた増島城の城下町で、白影土蔵
に寄り添って流れる瀬戸川にはコイが泳ぎ、町並みには造り酒屋もあるとか。

 さらに、奈良時代に神社仏閣の造営に尽力した飛騨の匠(たくみ・大工)の伝統技術が
受け継がれており、いまも寺や家屋の軒先に大工の目印であるさまざまな「雲」が見られ
るという。

 駅前から南西に延びる通りは、逆光でまぶしい。



 突き当たりを右折し、広い通りを金森町交差点まで行く。左折して大横丁通りを進み、
右手への細い通り進むと突き当たりが円光寺。垣林堂と呼ぶ独特の門を入って境内へ。


 円光寺は、永正11(1514)年に道場「垣林堂」として開設され、元和7(1621)
年に当地に移り、寛文7(1667)年に現在の本堂が、元禄4(1691)年に現在の
庫裡が建設されたとか。

 九世浄超は、在京中に有栖川宮の篤い帰依を受け、当寺を同宮家の位牌所となるに至ら
しめたという。

 本堂は、山門を入った正面に堂々とした構えで。

 
 境内にはほかに鐘楼、宝物殿↓、「有栖川宮職仁親王御位牌所」碑などがある。

 
    本堂の左手背後には、樹齢700年という大イチョウが目についた。
     

    
 円光寺山門を出て、すぐ先の瀬戸川沿いへ。流れに沿って白壁土蔵などの民家が続く。




 だが、瀬戸川に期待のコイは泳いでいない。寒い時期には、近くの増島城跡の池で過ご
しているようだ。
     

 日陰には残雪が残っていて、趣ある民家の玄関周辺には雪かきが見られた。


     





 二つ目に交差する通りで右折して、宮川の支流の荒城川の右岸手前にある本光寺へ。

 本光寺の本堂は、木造建築では飛騨地域で最も大きくて、市内随一の存在感を誇るお寺
のよう。毎年1月15日に行われる飛騨古川の冬の風物詩「三寺まいり」で、先ほど訪ね
た本光寺とともにお参りする寺のひとつ。


     

 境内には、製糸業の盛んな信州に出稼ぎに行った、多くの飛騨の若い女性たちの姿を描
いた小説『あゝ野麦峠』を記念した文学碑も建っているというが、気づかなかった。
 
 
 山門を出て左手には親鸞上人像がある。



 そばの荒城川に架かる霞橋の手前には、標高493.6263m一等水準点の説明標石
があり、そばを少し探したらその水準点の位置も分かった。



 霞橋から上流側の流を眺めて折り返し、すぐ手前から北西に延びる壱之町と弐之町の境
となる通りへ。


 この通りも、市の景観条例により建物の彩りなどが規制されているようで、落ちついた
趣ある建物が続いている。


 重要文化財に登録してもよさそうな、古い洋館の病院も。





      大横町公園と呼ぶ小公園には、変わった人形が立っていた。
     



   すぐ先には、金亀台(きんきだい)と呼ぶ弐之町中組の屋台蔵がある。
     
 ちなみに、4月19日、20日に開催される古川祭には、動く陽明門と呼ばれる10台
の絢爛豪華な屋台曳行が行われ、ユネスコの無形文化遺産に指定されている。

 
 さらに趣ある旅館や和菓子店などの前を進む。




 次の交差点を右折して、朝市の開かれるという広場に着いた。

 流れの向こうは祭広場で、正面には神社のような建物があるが、時間が少なくなったの
でそばまでは行けない。

 手前には「飛騨の匠文化館」もあるが、ここも入館は省く。



 往路で円光寺の背後に見えた大イチョウの近くには、樹齢850年という飛騨槇柏(し
んぱく)と、若山牧水の句碑がある。


      大イチョウも真下から見上げ、駅に向かうことにする。
     

     
      円光寺の西北側から、瀬戸川沿いを進む。
          


 川沿いに、円光寺の「水呼びの亀」の説明パネルがあるが、どこの部分が亀かは分から
なかった。


 白壁土蔵街に平行する壱之町通りにロウソク店があるようなので、回ってみた。

     
 通りには造り酒屋や、鳳凰台と呼ぶ壱之町中組の屋台蔵、一木造りの工房などがある。


      壱之町中組屋台蔵
     


 一木造りの工房



 この店が、日本唯一のオール手造りのロウソク店で、創業から240年、現在は7代当
主がロウソクを製造しているようだが、時間が無いので外からのぞくのみとする。



 NHK連続テレビ小説「さくら」の舞台にもなったという三嶋和ろうそく店は、240年
以上続く全国でも数少ない『手作り和ろうそく』の老舗とか。

 三嶋和ろうそく店の和ろうそくは、原料すべてが天然の植物性なので、ススが出にくく
風が吹いても消えにくく、切り口が年輪状なので炎が横に流れることもなく長持ちすると
いう特徴があるようだ。

 毎年1月に行われる「三寺まいり」には、七代目店主の三嶋順二さんが心血を注いで作
った、特製の大きな和ろうそくが灯されるという。

     
      壱之町通りを少し戻り、右折して駅に向かう。


 周辺の建物を眺めながら駅前通りに入り、15時46分に飛騨古川駅に着いた。

 今日歩いたエリア


 (天気 晴、距離 3㎞、地図 「飛騨古川散策ガイドマップ」(飛騨市役所 まちづ
  くり観光課・飛騨市観光協会発行))

 16時10分発、美濃太田行き高山本線上り列車に乗る。


 
 高山駅には、陽が傾いた16時28分に着いた。


 今日宿泊するホテルの送迎車は、西口から16時30分に出発した直後なので、タクシ
ーで行くことにした。

 タクシーのドライバーに聞くと、この辺りの残雪は、昨年暮れの24日に降ったものが
残っているのだという。

 駅西口から10分ほどで、高山市街地の西南方の高台にあるホテルアソシア高山リゾー
トに17時近くに着いた。


 パークウィングと呼ぶ主要棟の最上階、13階の部屋からの眺め。


                                   〈初日 了〉
  


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