あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

日本百名山・奥日光の男体山に登る(栃木県日光市)

2021-08-17 10:56:39 | ハイキング
 2021年8月17日(火)

 一昨日は第2次大戦の終結から76年、当日のことを記憶されている方はもう数少なく
なったと思われます。

 私は隣の家に行って、ラジオから流れる雑音で聞き取りにくい昭和天皇の放送を聞いた
のは、国民学校の生徒だった暑い夏の日だったことを記憶しています。

 このところ毎日、梅雨末期のような雨が続き、北九州や西日本、さらに長野県などで被
害が多数発生しており、被害を受けられた方々にお見舞い申し上げ、あわせて一日も早い
復興をお祈り申し上げます。

 わが家周辺では、激しい降雨にはなりませんが雨は毎日続いており、加えて新型コロナ
ウィルスの感染者は増大の一途をたどっており、市内の限られたエリアの買い物を兼ねた
ウオーキングのみに止めており、一昨日は雨が続いたので歩きも止めました。

 そのような日々なので投稿するものも無いので、今回はまだ在職中の25年前の今頃、
夏休みを取って出かけた日本百名山、男体山(なんたいさん)への山登りの模様です。

 わずかな行数しかない日記帳の記録と、色あせたプリントからスキャナーで取り込ん
だ写真ですが、ご覧いただくことにします。

 =======================================

 1996年8月18日(日)

 6時50分に起床し、8時29分に連れ合いと自宅を出た。上野駅から地下鉄銀座線で
浅草駅まで行き、10時20分発日光行き下り電車に乗る。前2両の快速車両は発車時に
も少し空席があった。

 12時24分に東武日光駅に着き、12時30分発のバスに乗る。第2いろは坂上のト
ンネルの先に猿が出ているようで、その影響でいろは坂の上り口付近から渋滞し、予定の
13時19分予定が遅れて13時50分頃に中禅寺湖の北東側湖畔、中禅寺に着いた。

 今日の宿は、中禅寺局前バス停からすぐ上の民宿一茂。部屋は2階の新しい部屋「せき
れい」で、眼前に中禅寺湖が見える。

 散歩に出て近くの日光二荒山(ふたらさん)神社中宮に参拝し、明日の男体山(なんた
いさん)登山の入山料500円を前払いして御札をいただく。ちなみに男体山は、日光二
荒山神社の境内地である。


      境内には、オオハンゴンソウがたくさん咲いていた。
           

 さらに中禅寺湖東岸にある立木(たちき)観音に向かうが、半袖シャツでは涼しい。立
木観音近くからの中禅寺湖北東畔と男体山。男体山には雲がかかっている。


 立木観音を拝観し、境内の冷たい延命水を飲む。


 中禅寺湖畔を戻って16時50分に民宿一茂に入る。宿の気温は23.5℃だった。

 夕食は宿の食堂で18時から。ほかの宿泊者は1人のみだったが、昨日までは満員だっ
たとか。

 明朝は早出するので朝食代わりの弁当を依頼したら、昼食の弁当は不要と勘違いしたよ
うで朝食分だけ作ってくれたので、民宿前の店で昼食用のパンを買う。でも、部屋のアイ
スボックスに、凍ったスポーツドリンクとレモンを用意してくれた。

 20時30分に就床したのだが、布団では暑くタオルケットだけでは涼しく、掛けたり
はいだりして何度か目が覚める。


 8月19日(月)

 3時45分に起床、朝食は食べずに4時23分に民宿一茂を出た。まだ暗いのでヘッド
ライトを点け、二荒山神社中宮の背後から登山路へ。いきなり樹林の中の石段が続く。

 3合目から4合目は車道を上がる。5時30分に4合目のガレのところを通過し、間も
なく樹林の間から中禅寺湖が見下ろせるようになった。


 4合目~5合目間から見下ろす中禅寺湖




 5時41分から55分まで、5合目の避難小屋で休憩する。その先は観音薙と呼ぶかな
りの急坂で、少し気分がおかしくなったが小休止したら回復した。


 6時14分に6合目を通過する。6時41分から7時15分まで7合目で朝食。握り飯
1.5個とパンを食べていたらホシガラスが近づいてきて、落としたパンくずを拾う。
     



 7時40分に8合目を通過、ガレ地が増えて周囲の樹木はコメツガが多い。




 8時05分に9合目へ。眼下の中禅寺湖が見えなくなり、赤くガレた砂礫地を上がる。


 西方に白根山〈2577.6m〉や金精峠(こんせいとうげ)方面、戦場ヶ原などの展
望が広がってきた。

 9時31分、男体山山頂にある二荒山神社奥宮に着いた。社務所は閉じている。北側の
志津(しづ)方面から2人上がってきたので、交代で記念写真を撮りあう。


 奥宮の西方にある社殿や燧ヶ岳(右)、金精峠(左)方面


 その先に標高2484.4mの男体山三角点があり、太郎山や尾瀬の燧ヶ岳(ひうちが
たけ)など北方の展望がよいが、東側はガスで見えない。
>



 山頂にあった、倒れた古い木の道標を抱えて写真を撮った後、倒そうとして右手人差し
指にトゲが刺さりチクチクする。
     

 正面中央、奥のピークは尾瀬の燧ヶ岳


 同じ山頂から北方の太郎山



 9時51分に北側の志津への下り道へ。



 樹林帯をぐんぐん下り、9時31分から51分に5合目付近で休憩してジュースを飲む。
山頂で会った2人が追いかけてきて、以後、志津小屋まで同行する。

 10時17分に4合目、10時24分に3合目、10時34分に1合目を通過する。

 10時41分、標高1785mの志津子屋に着いた。11時まで休憩し、同行の2人と
分かれた。

 西に延びる裏男体林道に入り、5分で志津乗越(のっこし)ヘ。その後は石ころの多い
車道で、陽が当たり暑い。11時38分に湯殿沢橋を通過し、ヘヤピンを曲がると木陰が
多くなった。

 12時12分、梵字半場跡(ぼんじはんばあと)へ。水場があり水量が多くて冷たい。
ここで昼食をしていたら、その水をくみに3~4台の車が来た。13時02分に出発する。


 その先は唐松林の中の林道で涼しい。13時26分に光徳(こうとく)分岐を過ぎると
細道となり、13時41分に三本松駐車場に着いた。


 正面に男体山がバッチリ見える。すぐにバスが来たので乗り、13時42分に発車した。

 バスは中宮祠(ちゅうぐうじ)で中禅寺の北西側湖畔に出て、北岸を東進する。宿泊し
た中禅寺を過ぎ、さらにいろは坂を下って14時42分に東武日光駅に着いた。


 東武日光駅発14時56分の浅草行き快速電車は混んでいたが、ボーイスカウト越谷の
団体の一角に連れ合いは座らせてもらい、次の下今市(しもいまいち)で私も座れた。

 疲れでうつらうつらしているうちに17時03分に浅草駅に着く。

 上野、池袋を経由して19時03分に帰宅した。右手人差し指のトゲを抜いてもらい、
防水してシャワーで汗を流し、20時30分に就床した。

(天気 18日 曇後晴、19日 快晴一時晴、地図 「山と高原地図 日光 奥鬼怒・奥
日光」(5万分の1・昭文社)、歩数 18日 12,700、19日 32,400)


〈参考〉男体山の最高点は2,486mと、2003年10月に国土地理院から発表され
た。現在の地形図では三角点の標高も2,484.2mになっている。







にほんブログ村 アウトドアブログへ
にほんブログ村
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2000年秋、標高2000mの行田山へ(山梨・早川)

2020-10-27 20:10:03 | ハイキング
 2020年10月27日(火)

 数日前、古い段ボールのひとつを開けたら、20年前の今日、標高2000mの山に登
山したときにもらった登山証明書が見つかったので、その記録も探してみたらあった。

 写真もあるはずだが別の段ボールなので近日中に探すことにして、とりあえず当日の記
録と登山証を紹介する。

========================================

 == 全国ただひとつ、2000mの山 行田山に上る ==

 2000年もあと2か月あまりとなった10月27日(金)、全国でただひとつだけの
標高2000mの山、山梨・静岡県境にある行田山(ぎょうだやま)に記念登山した。

 前日の10月26日(木)9時20分に西武新宿線花小金井駅で、この山行を企画した
小金井市のMさんの車に乗る。いったんM家に寄った後、国立府中ICから首都高に上が
り、渋滞もなく順調に中央自動車道に入る。

 甲府南ICで中央道を下りて国道140号線に入り、間もなくの「道の駅とよとみ」で
昼食をする。周囲は田園地帯、まだ刈り取り前の色づいた稲穂も見え、田んぼの西には櫛
形山の山並みが広がる。
 
 650円の与一公定食というのを食べたが、盛りも良く味もまずまず。道の駅がある豊
富村(現 中央市)の目玉はシルク。村内の「シルクの里公園」にある郷土資料館にはシル
クの展示室があり、この食堂にもシルク入りのシルクラーメンというメニューがあった。
道の駅には農産物直売所もある。
 
 13時に道の駅を出て、笛吹川沿いに国道を身延町(みのぶちょう)方面に向かう。市
川大門町で国道52号線に入り、釜無川(かまなしがわ)を合して富士川となった川沿い
に南下する。硯(すずり)の里、和紙の里、句碑の里などの標識や、幅広くなった富士川
を見ながら鰍沢町(かじかざわちょう・現 富士川町)から中富町(なかとみちょう・現
身延町)へ入り国道に分かれる。

 早川橋を渡って早川沿いに入ると間もなく早川町(はやかわちょう)。深い山の斜面に
長い導水管が見える。早川町は南アルプスの水を集めた早川沿いに水力発電所が多く、発
電量は山梨県内の4割を占めるという。
 
 役場の少し先で早川に分かれ、雨畑川(あめはたがわ)の沿いに入ると左岸の斜面中腹
にに付いた道は1車線になる。細いトンネルを抜けて雨畑湖の北側に出た。湖面は下がっ
ていて水はほとんど無い。湖の中間点に突き出た半島の付け根に今日の宿、ヴィラ雨畑が
あった。14時25分に着く。

 今日は気温が24~25℃くらいに上がり季節外れの暖かさ。窓を開けて外気を入れる。
湖岸の桜や周囲の山の斜面上部は紅葉が始まり色づいている。夕食は川魚の塩焼きや野菜
などが中心のヘルシー食。おいしくいただいた。


 10月27日(金)は5時半に起床した。昨日ほどではないが晴。しかし昨日見えた雨
畑湖の上流、行田山方面の稜線には雲がかかっている。

 6時過ぎに西側の山の斜面に陽が差し込み、紅葉の色が冴える。7時からの朝食を済ま
せ、7時50分にMさんの車で18㎞先の行田山駐車場に向けて出発する。

 雨畑湖の奥にある雨畑集落は、狭い道路沿いの斜面にへばりつくように昔ながらの住宅
が並ぶ。その先は、雨畑川左岸からかなり上がった斜面に急カーブの連続する林道が続い
ている。

 トンネルを抜けたら舗装がはがれて大きな穴が開いていたり、手で持てないような大き
な落石があったり対向車が来たりして、運転するMさんは気が抜けず、助手席の私も周囲
の紅葉をゆっくり眺める余裕はなく、もっぱら前方を注視する。

 数戸ずつの小さな集落を4つほど抜けると舗装が終わり、カーブミラーもなくなった。
急斜面を削って作った林道は降雨量も多いのか道路の痛みも激しいようで、何か所かで道
路の補修中。

 工事用のダンプカーが来ると行き違い出来る場所にバックしたり、ショベルカーで掘削
中のところで待ったりして、8時55分に標高1600m地点にある行田山駐車場に着く。

 林道の途中からガスがかかって見通しが悪くなったが、駐車場は雲の上。雲海の上に青
空が広がり北側の山が見えてきた。周囲の針葉樹の間に見える紅葉も見ごろ。さすがに気
温は低くて10℃前後か、手が冷たい。不要の荷物を車に置き、9時15分、「熊出没注
意」の標識が立つ行田山登山道に入った。

 しばらくは稜線の北側斜面トラバースする緩い上り道を、行田山の東北に伸びる稜線に
向かう。ブナやツガなどの広葉樹とモミなどの針葉樹の混じる林。石ころの多いところも
あるが、道は整備されていて迷うことはない。木道の連続する場所も何か所かあった。

 カラマツやツガが増えて北側の展望が開けてきた。南アルプス南部の山並みが正面に現
れ、槍ヶ岳のような鋭いピークの山も見える。しかし展望も長くは続かずガスに隠れ、や
がて全く見えなくなった。稜線が近くなり、クマザサや立ち枯れの木が増えてきた。

 行田山から八紘黎(はっこうれい)(1918m)に延びる稜線に出た頃には、木の上
にたまったしずくがポトポトと落ちてきた。トウヒやシラカバ、シラベなどの多い稜線を
20分ほど戻るように進んで、10時57分に行田山山頂に着いた。標高1999.7m、
四捨五入して国内ただひとつの2000mの山である。

 ガスで視界は全く利かない。急斜面のがけがそぎ落ちている南側の静岡県側から冷たい
風が吹き上げてくる。防寒用に雨具を着たが寒い。まず、早川町が立てた今年限りの登山
証明書申し込み用のポストに申請書を投函する。

 山梨県では行田山と呼ぶが静岡県では大谷嶺(おおやれい)と呼び、山頂には両方の標
識が立っている。Mさんと交代でそれらの前で記念撮影をして、ミレニアム記念登山の成
功を祝った。記念登山のパーティが数組、あい前後して上ってきた。

 早川町が1月1日に設置した2000年記念の石のレリーフがあったが、三角点は見つ
からなかった。大きなナナカマドの木に赤い実がたくさん実っている。

 天候が回復する兆しはなく、休んでいると一層寒いので11時40分に下山にかかる。
帰りも往路を戻る。時折ガスが晴れて遠くの山が見えるが、またすぐに見えなくなる。駐
車場に近づくにつれて天候は回復し、紅葉、黄葉の色が鮮やかになり、緑の針葉樹の間に
素晴らしい彩りを見せてくれる。13時19分に駐車場に戻った。

 朝、雲海の上に見えていた北側の布引山(2584m)と笊ヶ岳(2629m)の展望
多一層良くなっていた。駐車場の隅に湧き出ている冷たい水でのどを潤し、ポットにも入
れる。ヴィラ雨畑に戻って昼食をするつもりで弁当は作ってもらわなかったが、意外に時
間をとってしまった。カロリーメイトで少しだけエネルギーを補給して、13時45分に
帰途につく。

 往路には気がつかなかったが、雨畑集落の近くまで下がったところに見神の滝というの
があった。100m以上はあろうかと思われる断崖絶壁からほとんど垂直に落ちてくるみ
ごとな滝。都会に近ければたくさん見に来るだろうと思われる素晴らしい景観である。

 帰途、ヴィラ雨畑と早川町役場に寄って無事登頂を報告する。遅い昼食は前日も食べた
道の駅とよとみで。夕食の時間にも近い16時半を過ぎていた。

 道の駅でゆっくり食事と休憩の時間をとる。帰りの中央自動車道も順調に進む。20時
20分に西武新宿線花小金井駅前に着いた。


 山頂で投函した登山証明書申請書に基づき、11月に役場からはがき大の登山証明書が
送られてきた。


      はがき面
     

  どこで入手したか思い出せない鈴もあった。     
           


 ちなみに、今年と同じ標高、2020mの山に登山された方もおられることでしょう。



アウトドアランキング


にほんブログ村 アウトドアブログへ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりにつゆ空の高尾山へ(東京)

2019-07-14 21:45:54 | ハイキング
 2019年7月7日(日)

 しばらくつゆ空が続き、カントリーウオークグループの例会の今日も小雨模様で気温も
20℃前後で涼しい。そのためか、集合地の京王高尾線の終点、高尾山口駅に集まったの
は6人だけだった。


 今回はこの時期を考慮してカントリーウオークではなく、ケーブルで高尾山に上がり、
林間を下ろうというのが担当のTさんの企画である。

 駅前広場には高尾山の大きな案内図がある。



 駅前の観光協会で高尾山マップやコースマップなどもらう。霧雨模様だが傘を差すほど
でなく、10時10分頃スタートした。沿道のアジサイが雨模様でみずみずしい。


== ケーブルで中腹まで上がって高尾山頂へ ==

 西へ200m前後進んでケーブルカーとエコーリフトの上り口、清滝駅に行き、10時
30分発ケーブルカーに乗る。

 私は高尾山には6回ほど来ているが、ケーブルに乗ったの初めてかもしれない。


 標高201mから高低差270mを最大斜度31度という日本一の急勾配でちょうど1
㎞の距離を上がり、標高472mの高尾山駅に6分ほどで着いた。



 駅前広場からは北側の展望が開ける。遠望は利かないが、周辺の山並みや中央道と圏央
道との八王子ジャンクションなどが望まれる。


 この先は、山頂への主要路、1号路を約1・8㎞の緩やかな上り道。しっとりした沿道
にヤマユリが咲き出す。
         
  

 すぐ先で今度は南側の展望が開け、ガスで霞む八王子の市街地が見下ろせ、ガスの上が
る重畳たる周辺の稜線が望まれる。


     




 その先も沿道にはアジサイがあちこちで花を見せ、アカショウマも多い。
         


 少し進んでサル園・野草園前を過ぎると杉の古木が増える。その中に、八王子市天然記
念物で高さ37m、目通り幹囲約6m、樹齢約450年という「たこ杉」があった。
     






  

 山門を入ると左手に古い社殿があり、柱に「腰痛平癒」と「健脚祈願」と記されていた
ので手を合わせる。その先、道の両側に朱塗りの灯ろうが立ち並ぶ。




    
 下草には、オオバジャノヒゲと呼ぶ白い小さな花が咲いている。

     
 Y字路となり、左手は男坂か直線の急階段が伸びているので右手の緩傾斜の道を進む。
          



 両側の国有林は「高尾山自然休養林」で、レクリェーションの森に指定されている。樹
齢千年近いのも残る「高尾山杉並木」は東京都指定天然記念物でもある。
     


 それら杉並木は多くの人たちの杉苗志納金により維持し植え続けられているようで、志
納者の名札が延々と続き、地元八王子に住む歌手・北島三郎さんの名もあった。
     


 間もなく高尾山薬王院の大きな仁王門を入る。


 独特の風貌の「高尾山の天狗さま」が並び、手洗い所には金色の八大龍王が立ち、隣接
のお堂には結縁の願をかけたたくさんの鈴が吊されている。
     

          

  
 修行大師堂と御札所の間を抜けた背後の高みには、薬王院の本堂↑や鐘楼、愛染堂、聖
天堂などが配置され、鐘楼の四隅の柱には龍の精巧な木彫が施されていた。




         

 延宝5(1677)年の薬師堂炎上による類焼後後に再建されたと推定される大師堂は、
都の有形文化財。



 少し上がって左手に立つ本社は飯縄権現堂とも呼ばれ、向拝(こうはい)や虹梁(こう
りょう)、海老梁(えびはり)などの精巧で色鮮やかな絵模様彫刻が素晴らしい。やはり
都の有形文化財である。


 さらに1号路の石段を上がる。最奥の奥の院・不動堂は17世紀後半頃の建立と推定さ
れ、こちられも都有形文化財。


 その先は少し下りとなり、この辺りではガスが濃くなり周辺も霞んできた。
     

 最後の石段を上り、高尾山頂十三州大見晴台の広場に11時55分に着いた。

 標高599.2mの二等三角点があり、高尾山頂の標柱も立っている。よく晴れた日な
ら、富士山をはじめ相模湾や房総の山々など十三州が望めるというが、今日は全く無理。

 晴天の休日には外国人を含めて大変な人で埋まるはずだが、今日はわずかなグループの
み。西側の高尾ビジターセンター横のテーブルとベンチが空いていたので昼食としたが、
霧雨模様となる。

 40年前のこどもの日、勤務先の有志で来た時には、ここでくさやを焼いて皆で食べた
ことを思い出す。来訪者の激増している現在では考えられないことだろう。


 ベンチ横にもアジサイが咲き、「富士までに およぶ雲海 平けつゝ 大見晴らしの 朝鳥の
こゑ」と刻まれた日本野鳥の会創立者、中西悟堂の歌碑もある。

 昼食を終え、記念撮影をして12時32分に下山にかかる。


 == ぬかるみの稲荷山路から谷間の6号路を下る ==


 下りは、幾つかのルートのうちで最南端の稜線を下る稲荷山コースを下ることにした。

     
 いきなり急傾斜の木の段が続き、慎重に下る。木の段が終わりやれやれと思ったら、そ
の下はぬかるみ道となる。木道も少しだけあったが、木の根や水溜まりが多く、傾斜もあ
るので滑らぬよう慎重に足を運ぶ。

 少し下ると谷間の6号路へのトラバース路があるが、倒木があるとの表示も。でも、ぬ
かるみ道よりもと6号路に回ることにした。


 倒木はすぐ近くだったが切断してあり、難なく越えることができ、間もなく谷筋に下り
た。
     

     
 ぬかるみからは解放されたが、こちらにも岩や木の根がむき出たり、小さな流れを横切
るなど、歩きにくいところが何か所かある。




 それらをクリヤして下るうちに、次第に歩きやすくなってきた。雨に濡れてしっとりし
た樹林、たっぷりとフィトンチッドを感じながら下って行く。
     
  
     
 かなり下って行くと、左下に琵琶滝が見えてきた。滝のそばにお堂があり、お堂の前に
は綱が張られていて、滝のそばには行けない。



 傾斜が緩んでさらに下り、水量の増えた流れを見下ろしながら進む。


 古いお地蔵さんがたくさん並ぶ前を過ぎて間もなく、乗車したケーブルカーの清滝駅前
に出た。


 ゴールの京王高尾線高尾山口駅には14時38分に戻る。

 この日の八王子市の最高気温は21.4℃。梅雨時とはいえ季節外れの涼しさで、霧雨
に少しは濡れたとはいえ、7月例会としては歩きやすい一日だった。

(参加 6人、天気 曇一時小雨、距離 6㎞、地図(1/2.5万)、八王子、歩行地
 八王子市、歩数 12,400)





アウトドアランキング



にほんブログ村 アウトドアブログへ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上越国境 三国峠から谷川岳への縦走(群馬・新潟)[44年前](後半)

2016-08-13 14:42:32 | ハイキング
 昭和47年(1967)8月12日(土) 快晴後晴一時曇

 宿泊した平標山の家では、3時半頃から群馬パーティは起きて外でラジウスで朝支度に。
次いで新潟パーティなども起きだし、寝不足ながら私も4時半頃には起きる。すっかり晴
れ上がり、昨日は見えなかったはるか彼方まで見通しが良い。御来迎前の朝焼けをカメラ
に写す。
      

 5時半には朝食が出来上がり食べる。早立ちは茂原のHさん、4時半には宿を出て平標
山(たいらっぴょうやま)に上がる。次いで群馬、所沢の人、新潟と続き、トイレに行っ
ている間に皆出発してしまい、ラストで5時23分に出発した。

 男性組は皆、平標山頂に上がらずトラバースして仙ノ倉山へ向かったが、私はせっかく
なので山頂へ。オオシラビソの林と湿った草原、南方はるかに浅間山がはっきり。草原と
クマザサをひと上りで1,983.7mの平標山頂に着く。


 北に土樽、松手山への下り道、草原に池塘(ちとう)が3つ4つ、そして東から北の越
後側はびっしりと雲海が目の下に。1,500mくらいから上は良く晴れていて、巻機山や
八海山などもはっきり望める。




          平標山頂から西方、苗場山↓の展望

 宿を出るときは寒かったので、長ズボンと長袖シャツだったが、暑くなったので山頂で
半袖シャツと半ズボン、それにパンツも代える。先発隊はひとつ向こうの仙ノ倉山辺りに
もう着いているが、展望が素晴らしいので写真に時間をとられ後れをとる。


 仙ノ倉への道はのびやかな草原で、まだつぼみのリンドウなど高山植物が多い。


 平標山~仙ノ倉山間に咲くヒメコゴメグサ


           仙ノ倉山中腹からエビス大黒の頭
          

 緩やかな上りの仙ノ倉山(2,026.2m)は谷川連峰の最高峰。


 ここからエビス大黒にかけて今日の展望が最高で、南に笠雲の富士山から秩父連峰、八
ヶ岳、浅間から続く湯ノ丸方面、南アルプス、近くは白砂、沙武流など上信越国境、苗場
山へと続き、さらに北に向かって雲海の上に越後大源太山、巻機山、八海山、朝日、白毛
門方面、そして東に尾瀬、日光方面から広い裾野の赤城、近くは大峰山、南に榛名、妙義、
荒船と中部山地の山々が全望できる素晴らしい展望である。

 仙ノ倉山頂から赤城山方面


 仙ノ倉山頂から万太郎山、谷川岳方面



 すぐ東の三角のピラミダルなエビス大黒ノ頭↑へは、かなり急に感じられたが、行って
みるとそれほどでもない。

 エビス大黒の頭付近に咲く花


 エビス大黒の頭から巻機山方面


 エビス大黒の頭の下りから見る万太郎山


 途中にカマボコ型の避難小屋があり、草原にはクマザサが茂り、ハクサンフウロや白い
花などの咲くお花畑があり、コバイケイソウはもう枯れかかっている。

 避難小屋からふり返るエビス大黒の頭と仙ノ倉山


 群馬側に岩頭を見て、トリカブトなどの咲く草原を行く。もう万太郎山から仙ノ倉山へ
の緩やかな稜線も見えてきた。越後側の雲海もだんだん千切れて、はるか下には上越線の
土樽か中里方面の線路なども望まれる。

 毛渡乗越から万太郎山へは、緩やかだが長い上り道。途中で新潟のパーティを抜き、写
真もだいぶ撮ったので、一気に万太郎山へと上がり、先着の所沢氏と群馬パーティに追い
つく。群馬パーティにはかなり疲れた人もいるようで、ここで両者を抜いて一気に下る。

 万太郎山頂から一ノ倉と茂倉岳


 万太郎山下りから大障子方面


 予定では左への吾策新道を下る予定だったが、時間が早く天気も大丈夫そうなので谷川
岳まで行くことにする。1時間先発のH女史は依然見えず、皆もその早さに感心していた。

     お花畑に咲く花
    
    シモツケソウ(少しボケ)      ハクサンフウロ

 大障子への下り道、右手にあったカマボコ型の避難小屋には、落ち葉が敷いてあった。
小障子の小ピークは知らぬ間に過ぎ、休まずグングンと次のオジカ沢ノ頭まで雄大で長い
上りのクマザサなどの草原を行くと、はるか先にH女史の姿が見えたが、ガスに消える。

 そろそろ一面に曇って時折ガスが撫でる。汗もあまりかかず途中で水を1杯半飲んだだ
けで、長い上りを一気に上がり着くと手を振る姿が見え、11時23分にオジカ沢ノ頭へ。
ここにも肩にりっぱな避難小屋があった。

 Hさんは30分ほど前に着いて昼食もとり、ガスの晴れるのを待って振り返る縦走路を
カメラに納めようと待っているとのこと。私もここで、宿で作ってもらった弁当を食べる。
2つの握り飯は手にくっついてベタつく。

 そのうちに後続のIさんも上がって来て単独行3人が合流し、レモン、あめ、チョコレ
ートなどを交換しあってゆっくり休憩した。ガスの晴れ間に、たどってきた縦走路は時折
見える程度で、谷川岳方面はガスで見えない。左手の万太郎谷には、りっぱな滝が見える。
長く休んでいると風が冷たく感じられる。

 1時間の大休憩をして、3人揃って谷川岳へ向かう。ガスで展望はあまり利かなくなる。
岩の間にハクサンフウロやトリカブト、シモツケソウなどが花開き、疲れを癒やしてくれ
る。

 ひと上りで最後の肩の小屋からトマの耳へ上がると、天神平方面からの軽装の人達が
20人くらい来た。しかし平標からここまでのコースでは、単独の男女各1人しか会わず、
まったく静かだった。途中はウグイスが賑やか。

 谷川岳でも展望はほとんど利かず、20分ほどで下りにかかる。茂原のHさんの勧める
厳剛新道を下ることにして、合同3人パーティで岩の多い道を急降下し、ざんげ岩から西
黒尾根と厳剛新道の分かれ道まで一気に下ってひと休みする。ここまでの急降下で急に汗
をかいた。

 厳剛新道の下りも、石のゴツゴツした急下降、Iさんは遅れ気味なるも、Hさんはとう
とう下まで一緒についてきた。しかしラストは足が上がらず、気力で右から左へと足を運
んでいるようなもの。

 マチガ沢の支流に出てきれいな流れで汗をぬぐい、顔を洗ってひと休みしていたら小雨
がパラパラしてきたので、I氏を待たずに2人で下る。雨もほんの少しで上がり、マチガ
沢に入る舗装路に出てホッとする。初めての単独行に備えて、縄跳びで鍛えたというHさ
んは強い。

 ロープウェイ駅までの舗装路は、お互いに行ってきた山の話などしながら下り、さらに
土合までは追いついたIさんを加え、バスにも乗らずにひと下りして、16時40分に土
合駅に着く。

 延々11時間の長かった行程、下りで足がすっかり疲れた。しかし天候に恵まれ、素晴
らしい展望と種類と量はさほどでも無いがかなりあちこちにあったお花畑、緩やかな草原
のコースは道も良く、よいコースだった。

 ゆっくり帰るというHさん、越後へ下るというIさんと別れ、17時02分発高崎行き
に乗る。新潟鉄道管理局のこの列車は、旧2等車のゆったりした車両で、上越への山行で
おなじみのもの。その車両に空席を見つけ、駅で買った缶ビールを一気に飲み干すと、新
前橋駅近くまで眠り込む。谷川ロープウェイで下りたという群馬組4人も駆け込み乗車し
た。

 高崎で下りたら足がすっかり参り、階段の上り下りが辛い。高崎駅前の朝鮮料理屋で夕
食をして、駅から家に電話して19時16分発の八高線に乗る。寄居からは靴も脱いで足
を伸ばし、東飯能駅に21時18分に着く。

 飯能駅まで歩いたが、下はさすがに暑い。武蔵藤沢駅に下車して22時10分、重い足
を引きずりつつわが家へ入る。

 [コースタイム]
 平標小屋5:23-平標山頂6:05~28-仙ノ倉山7:10~30-エビス大黒の
 頭8:05~20-毛渡乗越8:53-避難小屋9:12~15-万太郎山9:48~
 10:05-大障子の頭10:40-避難小屋11:00~05-オジカ沢の頭(昼食)
 11:23~12:25-肩の小屋13:15-トマの耳13:20~42-小屋跡
 (西黒分岐)14:30~47-沢へ15:35-ロープウェイ駅16:15~20-
 土合駅16:40

 [費用]池袋~後閑 630円、急行券 200円、後閑~三国山頂バス 220円、
 土合~東飯能 630円、飯能~武蔵藤沢 50円、平標山の家1泊2食弁当
 1,550円、ビール、ジュース、高崎夕食 320円 合計 3,550円

 [距離 19㎞、標高差 -987m、累積標高差 +1,598m、-2,583m] 




アウトドア ブログランキングへ




にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上越国境 三国峠から谷川岳への縦走(群馬・新潟)[44年前](前半)

2016-08-12 18:06:06 | ハイキング
 2016年8月11日(木)

 今日は、今年から制定された新しい休日「山の日」なので、山にちなんだ話題を考えた
のですが、最近は平地のウオーキングばかりで山行の機会がありません。

 そこで古い資料と写真を探したところ、ちょうど44年前の8月11日に出かけた山行
記録とセピア色に変わってしまった写真があったので、写真はリカバリーソフトで色の再
現を試みました。

 もとの色になったとは思われませんがかなり色がついたので、アップすることにしまし
た。山行記録がかなり細かいのに比べて写真はわずかなので、いつものブログとは違いま
すが、興味のある方はご覧下さい。

========================================

 昭和47年(1972)8月11日(金) 曇一時雨、晴

 5時起床、白馬三山以来1年ぶりの山行と、連日の仕事疲れや長女の育児の相手などで
睡眠不足気味のところで準備十分とは言いがたいが、やっと3日の休みをとったので出か
ける。

 八高線で行こうか上野へ出ようかと迷ったが、高崎、後閑での乗り継ぎ時間の安全を見
て池袋へ出ることにして、西武池袋線 狭山ヶ丘駅発5時44分で行く。池袋駅6時34分
着だが、上野6時58分発には少し危ないので赤羽駅で待つ。

 赤羽駅7時05分発は旧盆が近いのでかなり一杯の乗客。前から2両目入口そばの網棚
に空き見つけてザックを上げ、昨夜作ってもらった握り飯を立ち食い。すぐ反対側に座っ
ている娘さんが酔ってゲブしていたので食べていても気持ちよくない。水も無いのでのど
の通りも悪し。

 今回は8ミリカメラは持たず、ペンタックスのみなので荷は軽い。新前橋で長野原方面
行きは切り離しとなり、後の水上行きに移る。こちらは空いていて座れた。空はほとんど
見えず、雨に会わねばと気兼ねする天候である。

 9時04分後閑(ごかん)駅着、9時25分発三国峠行き東武バスは、次の9時23分
着普通列車が7分遅れで待ち、9時35分に発車した。湯宿、猿ヶ京で降りる人がいて、
三国峠で降りた登山者はほかに一人。この人は、宿も一緒の所沢のIさん。

 三国大橋と三国トンネルの間の道を右へ、樹林帯の上りとなる。賑やかな小鳥の合唱を
聞きながら緩い山道をたどる。高度が上がるにつれ、今バスで上がってきた国道17号が
見え隠れする。


 右から旧三国街道を合すると数分で三国峠。ここには赤い鳥居の三国権現がある。猿ヶ
京温泉の客であろうか、数人の家族連れが居た。

 三国権現の横から急な上り道となり、草原状の見晴らしの良いところを上がると、群馬
側国道の見通しがだんだん良くなる。雲行きが怪しくなり、降り出してきたのでボンチョ
を被る。20分ほどの小雨で止んだが、三国山頂への道に入ったら道が見えぬササヤブ。
キャラバンシューズが濡れて水が入り込み、靴の中で踊ってくる。

 三国山を下り大源太への鞍部で昼食をとり、雨に濡れた靴下を絞り水を出す。まだ天気
は危ないので、ゆっくり休む間もなく出発し、先に行った例の男性を抜く。聞くと、やは
り平標(たいらっぴょう)山の家泊まりという。

 大源太山を過ぎた頃からまた雨になり、ガスの間に山の家が見えたので再びポンチョを
被り、小屋へ急ぐ。やがて雨も止み、14時に小屋へ入ったときには上がってしまった。


 平標山の家の小屋は、平標山の下、笹穴沢の源頭に近く、オオシラビソの林と草原状の
のどかな位置。西に、谷を隔てて苗場スキー場となる筍山、その北に横に長い苗場山、東
は明日たどる仙ノ倉やエビス大黒の頭などが望まれる。


 ガッシリした小屋には、下の法師温泉の山口さんと本多さんの2人が居り、4月から
11月初めまで登山者の世話をしてくれる。2人とも気さくなおじさんで、冗談を言って
は笑わせてくれる。

 1番バスで昼頃には小屋に着いたという、茂原から来た単独行の女性Hさんが、おじさ
んに頼まれて布団やズボンの修理をするという気さくな小屋。すぐあとに、例の単独行の
所沢のIさんも着く。

 お茶を2杯飲んでのどを潤す。コース中に水場は無く、汗はあまりかかなかったとはい
え水筒に水を入れずに来て、途中でジュースを飲んだだけだったのでうまかった。半袖に
半ズボンで上がってきたが、休んでいるとうす寒い。本多さんは、9月の陽気だと行って
いたが、そうかもしれない。雨も上がり時間もあり、カメラを下げて近くをブラつく。


      エビス大黒の頭                  東俣の頭


                 笹穴沢源流


 次のバスで、群馬県の男性4人のパーティ、その後、上から来た新潟・白根市の男性3
人パーティも来て合計10人になる。千葉・茂原の女性、私ともう一人の所沢市の単独行
男性2名が食事付きで、後着の2パーティは自炊である。

 16時頃にはもう食事の支度を始め、17時には夕食となる。単独行3人が一つの台で、
ややフニャけたご飯と、小屋の前に栽培している大根の葉の味噌汁、おかずの中身は忘れ
た。

 1坪くらいのこの野菜畑には夜、兎が来るそうで、兎除けの風鈴(といっても実は1升
ビンの下を割ってぶら下げたもの)が風に涼しい音。小屋のそばには遭難予防に鳴らす鐘
もある。



 16時40分頃、長大な苗場山を背に美しい夕焼けとなる。ランプも無く、小屋の2人
は焼酎をチビチビしながら夕食。新潟組は19時頃には寝込んだので私も寝る。

 広い方の場所に9人が布団を敷くとほぼ一杯。ストーブの反対側は狭く女性用、そちら
の卓で小屋の2人が飲んでいたが、そのうちに地元群馬のパーティが酒を持ち込んで一緒
に雑談を始め、20時頃まで話し声が賑やか。

 毛布3枚を掛けて長ズボンで寝たせいかか、その後も寝付かれずウトウト。ロウソクの
灯で話していた人達も寝込む。ひと眠りして夜半、外へ小便に起きてみたら、久しぶりの
天の川が一杯の星を回りに見せて流れ、谷の向こうに苗場スキー場の明かりがポツンと点
っていた。

[コースタイム]
 三国大橋10:30-三国峠10:55~11:03-三国山頂11:45-三国山と
 大源太の鞍部(昼食)12:05~35-北の入沢道13:10~23-平標小屋
 14:00

[距離 6㎞、標高差 553m、累積標高 +833m、-282m]   (続く)




アウトドア ブログランキングへ




にほんブログ村




 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥武蔵、丸山から金昌寺へ初冬のハイキング(埼玉)

2015-11-29 18:20:23 | ハイキング
 2015年11月28日(土)

 久しぶりに、奥武蔵の展望台ともいえる丸山へのハイキングに出かけた。自宅を7時
10分に出て西武池袋線下り電車に乗り、8時38分に西武秩父線の芦ヶ久保駅に着く。


 駅前の標高は約310m、気温は5℃前後だろうか、駅の南面が山なので陽が差し込
まずひんやりしている。ここで従兄弟のOさん、旧知のTさん、そして初めてのHさん
と落ち合い、8時49分に出発した。

 最近、標高差500m以上の山登りはしていないので、皆さんについて行けるか心配。
遅れた場合はマイペースで行くからと了解を得て、3人の計画に参加したもの。


 周辺の山並みは晩秋の彩り。北側の横瀬川の橋まで下って国道299号を西に少しで、
道標に従い北側の中道集落へ。
    

 日射しがいっぱいの南面の車道を、北に向かって少しずつ上がる。路傍に小さなほこら
が祭られていた。
         

    
 その上の野谷(のがや)集落の民家の庭先に、不規則な枝張りのピラカンサがいっぱい
の実を見せる。近くには熟して落ちそうなカキも。
         

 「横瀬町農村公園」の看板があり、背後の園内にはアジサイ園や梅林、ショウブ池など
があるようだ。



 さらに上がると南から西方の展望が良くなり、石灰岩の採掘で荒々しい岩肌を見せる武
甲山(1,304m)や、奥秩父の山並みの展望が開けてきた。
 

 周辺にユズの木が増え、熟した実を採る人もいる。


 近くにユズやギンナン、ミニトマト、カキなどを並べた無人スタンドがあり、いずれも
1袋100円だが、まだ往路なので求めずに行き過ぎる。


 標高430m付近で古い道標に従い、県民の森に向かう山道へ。

 少し上がると、頭上のモミジが青空にきれいな彩りを見せる。
    

       
 イノシシ除けのネットが張られたゲートを空けて通過し、葉の落ち始めた広葉樹林の間
を緩やかに上がる。
       

         
 やがてスギの樹林帯となり、古い大日如来碑と観音像の並ぶ先からは、防火帯のために
登山道は広くなった。
    

       
 しばらくは、東北に向かって延びる幅広い防火帯の緩やかな上り道が続く。

 標高850m付近で、等高線上を走る「奥武蔵グリーンライン」と呼ぶ舗装された林道
を横切る。広葉樹林の樹間から、西北はるかに真っ白な日本百名山の浅間山(2,568m)
の上部が姿を現した。


 西には、ひと目でそれと分かる日本百名山の両神山(1,723m)の山容も望まれる。


 標高910m付近で、北側の県民の森森林館への分岐のある三差路に着き、右への丸山
への稜線に向かう。


 北側少し下に平行するグリーラインの車道が走り、登山路下をトンネルで抜けるところ
に、新しいトイレが設けられていた。



 東南に、丸山のすぐ東のピークにある電波塔群が望まれ、トンネル上から標高差約60
mほど上り、標高960.3mの丸山山頂に11時05分に着いた。山頂には、コンクリ
ート造りのどっしりした展望台がある。


 私が、最初に丸山に上ったのは昭和32年(1957)8月23日で、南東側の刈場坂
峠(かばさかとうげ)、大野峠経由だった。もう58年も前のことで、もちろんこのよう
な展望台は無かった。以来今日で4度目になる。
    
 古いアルバムにその時の写真があった。まだ20歳台初めで、同い歳だがすでに何年か
前に先だってしまったS君と一緒だった。
         
 アルバムには、この写真の下に「丸山頂上の木に上った人猿二頭」と記されている。


 展望台からは360度の大展望で、途中から見えた浅間山や両神山↑はもとより、北に
やや霞む上毛三山の妙義山、榛名山、赤城山、東北に男体山や白根山などの日光連山が遠
望できる。


 さらに、東にはポッカリと筑波山↑、やや霞む南方には大山から丹沢山塊と奥多摩の山
並み、そして南西間近の武甲山や奥秩父の山並み、西方はるかに真っ白な八ヶ岳連峰↓の
上部、北側眼下には秩父盆地の家並みなどが望まれた。


     大山


                武甲山


                秩  父  盆  地
  

 東北東眼下には、上り口で見えた電波塔群周辺から続く、春の「外秩父七峰縦走ハイキ
ング」コース上にある、堂平天文台のドームの設けられた堂平山(どうだいらさん)
(876m)が見下ろせる。


 山頂にある幾つかのベンチでは、各々のパーティが腰を下ろして昼食を始めている。


    
 わがパーティは、大きなザックを背負ってきたOさんが、ザックの中から鍋を取り出し、
肉とエノキダケを加えた熱々のうどんを作ってくれた。
         

 それぞれ持ち寄った漬物や煮物、弁当などとともに、美味しくいただいた。
        

 記念撮影(私のカメラは露出オーバーだったので掲載省略)をして、11時50分に山
頂を後にした。展望台の北側には、長い霜柱が残っている。
    

 下山路は、距離は長いが緩やかな傾斜で西に延びる稜線上を下る、金昌寺への道を選ん
でいる。皆さんについて行けるか心配したが、何とか一緒に上がれたので、下山路も同行
することにした。

 三差路まで戻って北に少し下ると、「埼玉県民の森」の西側中央部に設けられた学習展
示館がある。


 県民の森は、丸山の北側斜面の標高660m~960mのエリア約68㏊の森林レクリ
ェーションエリアで、昭和56年(1981)5月にオープンしたもの。

 わが家ではオープン直後に家族で訪れ、近くの記念植樹地に子供3人が植樹し、さらに
翌年と平成元年(1989)5月にも来ていて、私は26年ぶり。植樹地がどこだったか
は思い出せない。少しだけ森林学習展示館に入って観覧した。




 館の横から、西に延びる下山路に入る。しばらくは、かなり葉の落ちた明るい広葉樹林
帯の中を緩やかに下る。


 北側樹間に秩父盆地の家並みなどが望まれ、豊富な落ち葉道をカサコソと気持ちよく下
って行く。


 標高530m前後までは稜線上の緩やかな下り、小さなお社(やしろ)の前を過ぎる。
       

 やがてスギの樹林帯に入り、やや斜度が強まる。その先で道は狭いV字状になり、滑り
やすいところもあり、疲れも出て来た足を慎重に踏みしめる。

 2度ほど小休止しながら下り、暗い杉林がようやく終わって、眼下に金昌寺の屋根が現
れた。


 寺の背後の墓地際はコンクリートの階段となり、下っているうちに一瞬不自然な足運び
になり、右足首の背後少し上をひねったのか、筋肉の痛みを感じた。

 段差の下りが痛いので、ゆっくりと下って秩父三十四観音霊場5番札所の金昌寺境内に
入る。

 観音堂の前に慈母観音像↓が祭られ、観音堂の横には地蔵堂もある。
    

 昨年、午歳(うまどし)総開帳の秩父三十四観音霊場巡りで、金昌寺には雪の残る3月
12日に参拝していて、1年8か月ぶりである。


 1,000体以上あるという、江戸時代の宝永年間(1704~11)から奉納された
石仏の間を下って山門を出る。


 山門の2階には、西国三十三観音の木像が飾られていた。


 右足をかばいながら、遅れ気味に皆さんについて県道11号まで行く。近くの新木鉱泉
に寄って入浴するという皆さんと別れて、先に帰ることにする。

 県道を南に少し進んで、横瀬町川東下バス停に14時28分に着いた。
    

 そばに、ドラッグストア・バイゴーがあったので入り、鎮痛用貼り薬を求め、右足下部
に貼る。14時53分発の西武観光バスで西武秩父駅に向かった。

 好天で風も無くて好展望が得られ、近年疎遠だったハイキングを久しぶりに楽しんだが、
最後の最後で足のトラブルに遭遇したのが本当に残念だ。一瞬の不注意が悔やまれる。

(天気 快晴後晴、距離 10.5㎞、地図 「山と高原地図」奥武蔵・秩父、1/2.5
 万 正丸峠、秩父、歩行地 横瀬町、秩父市、累積標高差 上り約820m、下り約
 920m、歩数 21,700)


 帰宅後、県民の森の学習展示館でもらった県民の森の地図を見たら、記念植樹地は東側
300m前後にある。来春にでも再訪して、植樹地に回ってみたい。
 



アウトドア ブログランキングへ





にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本百名山」発刊から50年、私が登ったのは幾つの山

2014-08-04 17:51:51 | ハイキング
 梅雨明け後の猛暑続きで、電車に乗ってウオーキングに出かける気にならず、もっぱ
ら市内ウオーキングのみ。それも距離を短めにしており、暑くて写真を撮る気にもなら
ず、ただ買い物を兼ねて巡ってくることが多いという、だらしないこのごろです。

 一方、四国地方では台風12号の影響で連日大雨が続き、高知県内では1,100㎜
を超える降雨量のところもあるとか。四国遍路で回った市や町の名が連日報道されてい
て、お世話になった皆さんのところは大丈夫なのか気がかりで、これ以上被害の増えな
いことを祈るばかりです。

 ということで、今日は違った話題を。

 ======================================

 深田久弥さんの名著「日本百名山」が、昭和39年7月(1964)に初版発刊以来、
今年で50年になるということで、いろいろなメディアで報道されています。

 私も、新潮社版(定価1,000円)のものを持っていますが、購入したのは昭和46
年(1971)12月28日のメモがあり、不思議なことに巻末に奥付が無く、いつ発
行のものかは分からず、帯も一部が切れてしまっています。

    
     上はカバー、下は表紙です。
    

 最近はウオーキングばかりで、百名山の山に登った多くはかなり以前ですが、自分で
は幾つ登ったのか記録を調べてみたところ、1/3にもならない31山だけでした。

 「日本百名山」に記された順であげてみると、以下の通りです。

                    登った日       トピックなど 

 14 早池峰山(1,917m)  1993年8月6日   帰路の東北新幹線で尿
                              路結石になる
 15 鳥海山(2,236m)   1994年8月18日

 16 月山(1,984m)    1989年8月8日   家族4人で  

 18 蔵王山(1,841m)   1989年8月9日   同上の翌日   

 19 飯豊山(2,128m)   1965年8月22日  テントで飯豊連峰縦走 

 23 会津駒ヶ岳(2,133m) 1969年8月18日

 25 魚沼駒ヶ岳(2,003m) 1963年9月8日

 27 巻機山(1,967m)   1964年5月4日   ほかに8回行く

 28 燧岳(2,356m)    1973年6月2日   吹雪になり遭難しそう

 29 至仏山(2,228m)   1962年6月19日  ほかに2回

 30 谷川岳(1,977m)   1972年8月12日  三国峠・平標山経由

 31 雨飾山(1,963m)   1966年6月30日  三重県鈴鹿出張の帰途

 32 苗場山(2,145m)   1968年8月2日

 33 妙高山(2,454m)   1998年8月19日  次の火打山の翌日

 34 火打山(2,462m)   1998年8月18日

 36 男体山(2,486m)   1996年8月19日

 39 武尊山(2,158m)   1959年8月20日  道迷い稜線でビバーク

 41 草津白根山(2,171m) 1965年7月29日

 44 筑波山(877m)     1956年5月5日   ほかにもう2回

 45 白馬岳(2,932m)   1958年7月30日  ほかにもう1回

 49 立山(3,015m)    1961年8月19日  富山出張の帰途

 61 美ヶ原(2,034m)   2006年6月7日   次の霧ヶ峰へ縦
                              走                        
 62 霧ヶ峰(1,925m)   2006年6月7日    

 63 蓼科山(2,530m)   1963年7月30日

 68 金峰山(2,599m)   1956年6月3日   初めての百名山

 70 大菩薩嶺(2,057m)  1957年4月23日  ほかに3~4回

 72 富士山(3,776m)   1957年8月6日   ほかに2回

 73 天城山(1,405m)   2009年11月8日  最後の百名山行き

 74 木曽駒ヶ岳(2,956m) 1966年4月30日  連休にテント泊で

 77 甲斐駒ヶ岳(2,967m) 1960年5月18日  雨で山頂未達、ほ
                              かもう1回も同様
 87 白山(2,702m)    1997年8月18日

 ということで、その多くは2,000mクラスの山、13座ある3,000m以上の
山は富士山と立山の2山だけ。北アルプスや南アルプスの名の知られた山はほとんど
登っておらず、西日本の山は全く含まれておりませんが、それぞれ登った山のことは
いろいろと思い出されます。

 山行記録は幾つか残っており、写真も少ないながらどこかの段ボールにしまってあ
るはずので、見つかったら折を見て紹介したいと考えております。





アウトドア ブログランキングへ 



にほんブログ村 アウトドアブログへ
にほんブログ村


 

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芦ヶ久保から旧正丸峠を越えて正丸駅へ(埼玉)

2013-03-25 21:49:24 | ハイキング
 2013年3月23日(土)

 所沢市にある山里探訪会と、秩父まるごと博物館共催の、第4回「武甲の里山を歩く」
に参加する。

 集合は西武秩父線の芦ヶ久保駅。所沢市周辺と秩父市の人が中心で50人前後集まり、
秩父まるごと博物館の中谷理事長の挨拶、コースを企画した山里探訪会代表の飯野さんか
らコース説明があり、2班に分かれて10時4分に出発した。


 駅前広場にはこんな張り紙があった。ここまで熊さんが来るとは思えぬが…。



 駅付近の殿界戸(とのかいと)集落は、横瀬(よこぜ)川沿いを走る国道299号に沿
って、北側の斜面に階段状に並んでいる。駅から国道に下りて東に向かう。

 公会堂の先の民家の前に、大日如来の石仏を祭った小さな大日堂があった。そのあたり
で右カーブする横瀬川左岸と国道との間には、弁天岩と呼ぶ高さ4mほどの巨岩が横たわ
っている。


 近くの白梅がちょうど見ごろである。


 少し先の大畑集落の路傍には、古い庚申塔や六十六部供養塔、馬頭尊、地蔵尊の4体が
並んでいる。


 1月から降雨が少ないので、横瀬川の流量は少ない。


 赤谷集落に入る辺りで、二二九沢(にふくざわ)と呼ぶ流れが横瀬川に流入している。
もとの名は田坂沢と呼んでいたようだが、昭和22(1947)年9月の台風で沢が氾濫
し、死者を出す大惨事を引き起こしたので、この惨事の年を忘れぬために沢の名を改めた
という。そばのお堂に、漆ヶ崎地蔵が祭られていた。


 赤谷集落から大野峠に向かう道に入る。お地蔵さんの横を上がって行くと紅梅が花を見
せる。


 近くの民家や畑は斜面にあるので、石垣で囲んでいる。


 掛樋(かけひ)からまろやかな湧水が流れ落ち、近くにまだ花の咲き残るツバキの古木
に支えられた大岩がある。


 ここに椿堂と呼ぶお堂があったようだが、現在はその先の民家の前に移され、小さい堂
内には、木造の十一面観音が祭られていた。


 国道の赤谷トンネルの手前、石垣に囲まれた急階段上には赤谷観音堂がある。通称「姥
神(うばがみ)観音堂」と呼ばれているとか。普段は見られないようだが、今日は地元の
赤岩さんに開けてもらい拝観する。


 堂内には千手観音と十六善神、馬頭観音が祭られ、「千匹猿」と呼ぶたくさんの猿の縫
い物が下がっている。


 明治年間の奉納という、旅籠や観音堂参拝風景を描いた「姥神の絵馬」や、沢山の繭玉
(まゆだま)が奉納された額などもあった。


 そばの杉の木の下には、赤岩家のものという、富士小御嶽、富士浅間、摩利支店を祭っ
た三社様のお堂もある。

 国道の、短い赤岩トンネルには入らず、右手の旧道を回る。トンネルの先にマンサクが
咲き、古いお地蔵さんのそばに、車にひかれたらしいテンの死骸が横たわる。


 家並みは途切れ、路傍にはシタザクラという、初めて見る桜とは見えない花が咲いてい
た。二子沢のそばで、国道は長さ1918mの正丸(しようまる)トンネルに入る。

 トンネル手前で国道を左に分けた県道際は、芦ヶ久保小学校の入山(いりやま)分校跡。
校庭もないような小さな空き地には現在、携帯電話のアンテナ設備が設けられている。


 分校は昭和27(1952)年4月に開校し、昭和42(1967)年3月に統合によ
り廃校したとの記念碑があり、校門も残っていた。ここで小休止して軽食の時間となり、
その後、植物に詳しいIさんが、途中で採集してきた草木をいろいろ紹介してくれた。


 県道は10分足らずで旧正丸峠への道標に従い、左に入る林道南沢線へ。入山の小集落
を抜け、南沢橋を渡って間もなく、大きな枯れ木の下に三つの石像が立っていた。


 その一つの自然石は「追分の道標」と呼ばれ、「右なぐり八王子 左子(ね)のごんげ
ん江戸」と刻まれている。右の名栗への道は、現在はほとんど歩く人は無いらしい。

 ほかの2体の石仏は、生長した木に押されて、根元で崩れ落ちそうになって立っていた。

 左手の南沢に水は無く、平成10年の県の工事による、間伐材で造られた砂防ダムが続
いている。


 林道終点に12時25分に着き、わずかな平地で昼食に。スタート時は快晴だったが、
次第に雲が全天に広がり、薄寒くなってきた。


 30分ほどで出発し、その先は細い山道となる。あたりにはカタクリの葉が沢山出てい
て、あと何日かすると花も見られそう。

 周辺の樹木は枯れ枝のままだが、ところどころにアブラチャンが沢山の小さな花を見せ
ている。斜面が崩れて歩きにくいところもあった。


 熊のひっかき傷らしい木の横を通過し、標高665mの旧正丸峠に上がった。


 ここでIさんから、上がってきた横瀬町側はコナラ、ミズナラ、ホウノキなどの落葉樹
が主で、下る飯能市側は杉やヒノキが多いなどの説明がある。


 下り道も上り同様に急傾斜は無く、緩やかな斜度が続く。杉木立の下にも、アブラチャ
ンがところどころに花を見せる。

 旧国道に下る近くに、ヤマネコノメソウと呼ぶ、初めて聞く草があった。旧国道を少し
で、再び杉木立の中の山道に入る。

 大岩と大ケヤキのところで小休止して、もう一度Iさんが周辺の植物を紹介してくれた。
すっかり摩耗した古い馬頭観音像のところには、草花が供えられている。


 背の高い杉林を抜けると周辺が開け、ツツジやアズマイチゲが咲く。


 坂本の集落では白梅が見頃で、民家のそばの畑ではフキノトウモ沢山咲き競っていた。



 近くの民家の道路側に「右大野 左ちちぶ道」と刻まれた道標が立ち、すぐ先には八坂
神社と子育地蔵尊のお堂が並んでいる。


 道路の反対側の岩にたくさんの岩松が植えられ、その上に日月と思われる石が祭られて
いた。

 国道299号に出て「高麗川源流」標識を過ぎ、14時54分に正丸駅前にゴールした。
山里探訪会代表の飯野さんから、今後の企画の紹介などがあり、散会となる。


(天気 快晴後曇、距離 8.5㎞、地図(1/2.5万) 正丸、歩行地 横瀬町、飯能市、
 標高差 上り約480m、下り約490m、歩数 15,700)
 




アウトドア ブログランキングへ


にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩秋の都民の森ハイキング(東京)

2012-12-23 11:18:04 | ハイキング
 2012年11月11日(日)

 軽いハイキングの会「カタクリの会」の最終山行は、JR五日市線の武蔵増戸(むさし
ましこ)駅に集合し、参加者15人が3台の乗用車に分乗して8時35分に出発した。

 五日市街道の都道7号から檜原(ひのはら)街道の都道33号に入り、上川乗からは都
道206号となる。南秋川沿いに進んで、9時33分に檜原村(ひのはらむら)の最奥部
にある「都民の森」の駐車場に着いた。




 標高は1,000m。駐車場の隅にあるモミジが鮮やかな彩り。


 売店の近くで今回のリーダーKさんから挨拶があり、決められた順に一列になり、スタ
ートした。




 曇り空で気温は10度くらいかと思われ、手が冷たいので手袋をする。まずは森林館に
向かったが、出だしからかなりの傾斜だ。昔からこの地域で利用されていた運材施設とい
う「しゅらの橋」↓の先から木の階段を上がると、森林館の建物があった。






 建物には入らずレストランのあるのを確認して、南に伸びる「大滝の道」に入った。こ
こからは傾斜が緩み、ウッドチップの敷かれた歩きやすい遊歩道となる。





 カーブ点まで進むと、東南方向の展望が開け、上ってきた車道や谷間の色鮮やかな紅葉・
黄葉などが見晴らせる。





 小休止して記念撮影後、気持ちよい展望を楽しんだ。



 さらに、ほぼ等高線上の傾斜の少ない遊歩道を進む。V字状に左カーブする地点の下側
に東屋(あずまや)があり、そばの大きなモミジがきれいな彩りを見せている。




 東向きの斜面を10分ほどで、三頭(みとう)沢を流れ落ちる三頭大滝のそばに着き、
滝の展望のために設けられた滝見橋から滝を眺める。


 滝の落差は約33mあり、南秋川最大の滝だという。

 小水期で流れは細めになっていて、繊細ながら見栄えのある滝だ。周辺の広葉樹はかな
り葉を落とし、一部の木がまだ秋の彩りを見せている。


 滝の上部に回り、流れに沿って進むと、三頭山への分岐点に出た。ここから西に入ると
三頭山(1,531m)への最短距離となる「ブナの路」であるが、傾斜が大きくなりそう
なので、北に向かって野鳥観察小屋方面への谷間を上がることにする。


 標高が上がり、両側の広葉樹は落葉している木が増えてきた。落ち葉を踏みしめ、とき
には石段を上がって行くと、↓カツラの大木があり、上を見上げるとこの木もかなり落葉
している。



 野鳥観察小屋まで10分と記されていたが、三頭山から下ってくるグループも結構あり、
道を譲ったり譲られたりしているうちに20分ほど経過し、小屋に近い分岐に着いた。


 細い流れの傍らに野鳥観察用らしい木製のテラスがあったので小休止して、すぐ上に1
本ある色鮮やかな紅葉などを眺める。


 ここからは、東方へ戻る「かおりの路」に向かうことにしていたが、まだ上り道が続く
とのことで、もとの道を戻ることになった。


 帰路の下りは早い。三頭山への分岐を過ぎ、三頭大滝のそばを通過し、森林館には12
時ちょうどに戻った。弁当を用意していない人は1階のレストランで、ほかの人は2階の
暖房の入った休憩室で昼食をする。

 食事を終えて駐車場に向かうが、これから上る人も多く、かなりの人出である。駐車場
のそばにある「都民の森」の大看板のところでもう一度記念撮影をする。


 駐車場に戻り、13時前に出発して車で約5㎞下り、日帰り温泉施設「数馬の湯」に入
った。ここで、直行していたKAさんとKUさんが合流し、休憩室の隅でカタクリの会の
解散式を行う。


 N会長から、会の発足の経緯や解散に至った状況などについての挨拶の後、事務局とし
て10年間尽力され、50回の山行にただ1人毎回参加のKKさんと、事務局実務に多大
のご苦労をいただいたMさんに感謝の品を贈る。

 さらにOさんから、会員有志からの記念品をN会長とKさんご夫妻に贈り、全員で感謝
申し上げ、解散式は終了し、さらに全員で記念撮影をした。


 この後、交代で温泉に入り、Kさんが持参した50回の山行アルバムを見せてもらった
り、思い出や近況などを語り合ったりして、2時間近くを過ごした。

 いつの間にか冷たい雨となり、15時に数馬の湯を後にする。JR五日市駅で電車で帰
る人と分かれ、それぞれの車は帰路につき、最後の山行を終えた。

[コースタイム]JR武蔵増戸駅8:35=都民の森駐車場9:33~53ー東屋10:25ー滝見橋
 10:35~45ー野鳥観察テラス11:12~20(往路戻りへ)ー大滝休憩小屋11:40ー森林館
 (昼食)12:00~38ー都民の森駐車場12:47~55=数馬の湯(解散式・入浴など)13:10
 頃~15:00=JR五日市駅(Kさん車)15:47=Kさん宅   (注)=自動車、ー歩行

(参加 15名(解散式は18名)、天気 曇後雨、距離 4㎞、地図(2.5万分の1)
 猪丸、歩行地 檜原村、累積標高差 約760m、歩数 6,000)



アウトドア ブログランキングへ


にほんブログ村 アウトドアブログへ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箱根旧街道の石畳道を歩く(神奈川)

2012-12-06 21:07:30 | ハイキング
 2012年10月14日(日)

 軽ハイキングループ、カタクリの会の第49回山行に参加した。山行といっても今回
は箱根旧街道歩きなので、ウオーキングといった方がよいかもしれない。

 JR五日市線武蔵増戸(むさしますこ)駅から2台の乗用車に乗り、7時35分に出発
した。圏央道から中央道に入って渋滞も無く順調に進み、富士急ハイランド近くから富士
五湖道路へ。静岡県に入って富士五湖道路と国道138号との接続点付近にある道の駅
すばしりで休憩した。

 富士山東麓のこの道の駅は、昨年4月23日開駅という新しい施設である。途中で一時
見えた富士山は、雲に隠れて見えなくなっていた。

 国道138号を東南へ。御殿場市内で国道246号と東名高速道と交差し、乙女峠下を
抜ける乙女トンネルで神奈川県箱根町に入る。

 仙石原からはススキ見物で賑わう県道75号を進んで芦ノ湖湖畔に下り、東岸を回って
元箱根の八丁駐車場に10時10分に着いた。


 今日のリーダーKさんから挨拶があり、駐車場を出発して芦ノ湖湖畔に下る。国道1号
を少し進んで、日本橋から24番目という葭原久保(よしわらくぼ)の一里塚付近から、
杉並木の旧街道に入った。



 元和4(1618)年頃、徳川幕府が植林した、杉の古木が約420本残っているとの
ことだが、10分ほど進んで戻ることにした。


 旧街道から国道に戻ると、芦ノ湖の向こうに富士山が姿を見せ、マストの高い観光船が
近くの波止場に入って来るのが見える。


 東北には駒ヶ岳のまろやかな山容と、山頂付近のロープウェイ駅などが望まれる。


 国道をまたぐ箱根神社の大鳥居の横から、右手の車道に入る。



 杉並木が終わり旧街道は石畳の上り道となる。傾斜はそう急ではないが見た目よりも
歩きにくいので、ときどき休憩してゆっくりと進む。


 権現坂を過ぎて間もなく、旧東海道の説明板があり、箱根周辺の旧東海道の道筋の変遷
について記されていた。


 「箱根八里は馬でも超すが こすに越されぬ大井川」の石碑↓や、切れた樹間か駒ヶ岳
を眺めたりして、石畳は間もなく標高900m付近でピークを超える。


 「石だたみについて」の説明板もあり、この道が江戸時代初めに整備された当初は箱根
に群生するハコネダケという細竹を敷き詰めていたが、費用と労力がかかるので、延宝8
(1680)年に石だたみの道になり、江戸末期の文久2(1863)年に14代将軍
家茂が京都に上洛の際、全面的に改修したという。




 石畳が終わって車道を横切り、間もなくかやぶき屋根の甘酒茶屋に着き、外の丸木のベ
ンチで昼食にする。


 ほかに何組ものグループも来ており、薄暗い茶屋の中や外のベンチで食事中だった。


 甘酒茶屋は創業300年余り、江戸時代から12代続く老舗とのことで、砂糖や添加物
を一切使わない甘酒や力餅が評判だという。 甘酒は400円、力餅450円、ほかに、
みそおでん、ところてん、しそジュース、抹茶ジュースもある。


 甘酒茶屋の隣には、茶屋より小さいがやはりかやぶき屋根の民俗資料館があり、旅人で
賑わった当時の茶屋の様子などが展示されていた。

 ちなみに、文政年間(1818~30)、東海道の箱根地域には「甘酒茶屋」が9か所
設けられていたとのこと。しかし、明治13(1880)年に開通した国道1号などに
より街道を行く人々が減少して、現在ではこの1軒だけが残っているだけという。


 食事を終えて記念撮影をして、甘酒茶屋を後にする。さらに下り道が続き、猿すべり坂
のあたりで県道を横切り、石畳道は東側を平行して下って行く。路傍にはあちこちに野菊
が花を見せている。


 甘酒橋を過ぎ、さらに進むと上を走る県道732号沿いの店が見え、急階段がある。上
がってみるとそばが食べられる見晴茶屋があり、駐車場からは少し霞んではいるが小田原
の町並みや相模湾が望まれた。



 緩やかな上りとなった後、県道のヘヤピンカーブが続くところは、急階段などで県道の
南側を下る。


 橿木坂(かしのきざか)で国道1号の上を越え、七曲がりと呼ぶ国道がヘヤピンカーブ
するところを2回アンダーパスし、さらに石畳を下る。



 濡れて滑りやすい石畳道となり、注意して下って行くと、畑宿(はたじゆく)一里塚の
説明板が立ち、近くに和風の休憩舎↓や寄木(よせぎ)会館などのある畑宿の集落に出た。


 寄木会館に入って寄木細工の技術や作品などを見たかったが、すぐにバスが来たので
乗って戻ることにする。小田原から帰宅するSさんご夫妻とあわただしく分かれ、3時間
ほど歩いたところをバスは13分で元箱根に戻った。

 海賊船乗り場のトイレを借りた後、駐車場に戻って帰路につく。元箱根から少しだけ
往路とは違う車道を経由したが、その後は往路を戻る。帰路も立ち寄る予定だった道の駅
すばしりは、入口の表示が見つからずに通過し、谷村SAに寄る。ここで解散となり1台
は武蔵増戸駅に向かい、もう1台はKさん宅に直行することになった。

 箱根路や富士五湖道路などは順調だったが、中央道に入って猿橋付近から渋滞が始まり、
ノロノロ状態が続く。小仏トンネルを抜けてようやく渋滞から解放され、武蔵増子駅グル
ープより遅れて19時13分に青梅市内のKさん宅に着いた。
 
[コースタイム]JR武蔵増戸駅前7:35=富士五湖道路入り8:33=道の駅すばしり8:50~
 9:10=元箱根・八丁駐車場10:10~20ー杉並木折り返し10:40ー日輪寺横10:55ー石畳道へ
 11:05ーピーク11:30ー甘酒茶屋(昼食)12:02~44ー猿すべり坂12:55ー甘酒橋13:07ー
 橿木坂13:32ー畑宿バス停13:58~14:00=元箱根14:13ー元箱根八丁駐車場14:35頃=国道
 246号下(御殿場)15:29=谷村SA16:18~31=談合坂入口17:15=藤野PA18:25~30=Kさん
 宅19:13 (注:= 自動車、ー 歩行)

(参加 11名、天気 曇一時晴、距離 5.4㎞、地図(1/2.5万) 箱根、歩行地
 神奈川県箱根町、標高差 上り150m、下り490m)



アウトドア ブログランキングへ


にほんブログ村 アウトドアブログ 散歩・ウォーキングへ
にほんブログ村
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする