あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行 西武秩父線 西吾野駅(埼玉)

2011-05-31 11:08:50 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年5月28日(土)

 関東百駅巡礼歩行の第74番に参加した。集合は、西武秩父線の西吾野(にしあがの)駅。
1日中雨の予報か、参加者は4人と少な目。でも、宇都宮や茅ヶ崎からも来られたので、参
加の可否はその人の気持ち次第ということか…。


 10時50分、標高約250mの西吾野駅をスタートした。


 駅周辺は、奥武蔵の山に囲まれた谷間にあり、豊富な新緑が広がり、ツツジやシャクナゲ
などが雨に濡れて咲いている。


 駅近くの天神社に立ち寄り、国道299号に出て南に向かう。国道に面した民家に「ロック
ガーデンカフェ」の看板が出ていた。


 国道を500m足らずで、「子(ね)の権現」の看板のところから、細い流れに沿った谷間の
狭い車道に入る。道沿いは湿気が多いのか、花の咲き出したユキノシタが至るところで見ら
れる。


 道路沿いの大岩ノ下に、六面体の古い石仏が立つ。この谷間でただ一つの集落、小床(こ
ゆか)には寺もなく平地が少ないので、山林に個々の家のものらしい墓地が点在している。

 墓地の一つに、可愛らしい2体のお地蔵さんが立っていた。


 民家の庭先にコデマリが咲き、路傍にはシャクヤクや花菖蒲、ヤマアジサイなどの花が見ら
れる。


 クリンソウの咲く一角もあり、シャガもあちこちで目についた。


 集落の一番奥に、朱塗りの鳥居が立つ小さい社があり、その手前左手から杉木立の山道に
入った。杉はまださほど太くはないが、よく枝打ちされ、幹のかなり上部まですっきりしている。


 少しずつ高度を上げ、右からの山道と合した小さい峠の三差路に、自然石に「天寺へ十二
丁」と刻まれた古い道しるべが残っていた。


 少し下ってからさらに緩やかに上りが続く。下久痛集落からの山道と合したあたりからは、高
度が上がって一面濃いガスに包まれ、幻想的な風景となる。


 やがて車道に出た。青葉戸からの登山路の先から斜面の山道を上がると、車道と合流して
子の権現天龍寺境内へ。13時5分に到着した。


 山門の手前に、見事な大杉が立つていた。県天然記念物、二本杉のひとつで、樹齢およそ千
年といわれているという。横に並ぶもう1本は枯れていた。

 山門の先、両側に大きな仁王像が屋根無しで立ち、さらに進むと正面に、かやと杉皮とを交互
に重ねて葺(ふ)いた、重厚な屋根が特徴的な本坊がある。


 子の権現・天龍寺は、延喜11年(911)年に子の聖(ねのひじり)が十一面観音を祭って創建
したという。当時から足腰守護の神仏として信仰されているようだ。


 標高は約630m、境内には、日本一の黄金色のわらじや、大きな下駄2足が奉納されている。
十一面観音を祭る観音堂には本物のわらじが、その前にも、ミニわらじがたくさん奉納されていた。


 そばに、開放された閻魔(えんま)堂があり、えんまさんがにらんでいた。観音堂の背後に回り、
広い屋根の下で雨を避けて昼食にした。


 13時50分に下山にかかる。雨は幸いずっと小降りだが、ガスは相変わらず濃い。

 山門近くに土産店が1軒開いていて、奥武蔵の土産物や山菜、農産物などを販売している。女性
お2人は、山菜などを求めた。

 帰路は、東側の青葉戸へのコースへ。やはり杉木立に覆われた林間の山道だが、往路より斜度
が幾分急なので、滑らぬよう注意しながら慎重に下って行く。

 山道の最後は、石段を降りて降摩橋を渡り、車道に出た。青葉戸最奥の住宅があり、さらに下って
行くと、数戸の住宅の一角に「浅見茶屋」と呼ぶ茶店があった。


 昔の茶屋の風情がたっぷりの店なので、入って小休止することにした。やまさんが購入した手造り
の草餅をごちそうになり、お茶をいただく。


 建物は築150年を超え、店も3代続く家族だけで運営している。分厚い木製のテーブルや、厚い木
の板に張られたメニューも、茶屋の雰囲気をいっそう引き立ててくれる。思いがけぬ店だった。

 そばに朱塗りのお堂があり、さらに下って行くと、350年前から住んでいたと記された小さいが一風
変わった家屋があったが、休業となっていた。

 高松宮殿下と歌人佐佐木信綱の歌が刻まれた歌碑の立つ、東郷公園の横を過ぎ、高麗川と国道
299号、そして西武秩父線とが平行する芳延橋際に出る。

 橋は渡らず、手前の高麗川右岸に沿った狭い道を進む。西武線に接した高見に上がると、中尾の
集落や行く手の線路が見下ろせる。


 山砂を採取する採石場のそばを通過し、駅の近くに咲くモミジの花などを眺めながら進み、15時45
分に吾野駅に着いた。


 かなりの雨を予想したが、始終小降りで済み、土の道も滑ることなく、新緑や初夏の花を一杯眺め
ながらのハイキングを楽しんだ。

(参加 4人、天気 雨、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 正丸峠、原市場、歩行地 飯能市、歩数
 18,800、累積標高差 約1,040m)


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織田氏の城下町 小幡を訪ねる(群馬・甘楽町)

2011-05-27 10:51:29 | カントリーウオーク
 5月22日(日)
 
 宿泊した富岡市の大島鉱泉で7時から朝食、玄関前で記念撮影後、宿のマイクロバスで東隣
の甘楽町(かんらまち)の麻場城址(あさばじようし)駐車場まで送ってもらい、8時50分に出発
した。


 麻場城は、戦国時代初期の、この地の豪族、白倉(しらくら)氏の居城。東方にあった仁井屋
(にいや)城と合わせて「白倉城」と呼ばれ、典型的な別城一郭(べつじょういっかく)(双子城)
だったという。

 東北端の駐車場から北斜面を上がり、笹曲輪(ささくるわ)から空堀の橋を渡って本丸跡に入
る。現在は、広い芝生地の中心に広葉樹が2本立つのみだった。


 二の丸を経て農道に入り、近くに立つサイロを眺めながら西に下って白倉川沿いに出た。右岸
から左岸に回り、天神集落の白倉神社で最初の小休止をする。



 色鮮やかなポピーの咲き競う民家の横を南へ、上信越自動車道の手前を上がる。今日も早くも
蒸し暑くなってきたので、文化会館のそばで水分補給をした。

 上信越道の橋を渡り、農道を南へ。路傍に、クサフジの色濃い花がたくさん咲く。



 野沢菜を収穫中のご夫妻の畑の横を通過、下引田から標高257m三角点のある台地に向かっ
て農道を上がる。

 展望が一層開け、西側眼下にこれから向かう小幡(おばた)の家並みなどが見下ろせるが、今日
もちょっと霞んでいる。


 この辺り、地形図上は桑畑だが、養蚕を止めたいま、大きく伸びて実を付けたクワの間に篠竹
(しのだけ)などが茂り、山林のようになっていた。


 ピークの西側を下って行くと、黄色いクサノオウが咲き、ワラビ畑にワラビが伸びている。路傍の
ワラビはよかろうと、軟らかそうなところを少し摘んできた。

 小舟集落を南に抜け、広々とした畑作地帯を西へ、庭谷川を越えて西側の低い台地に上がる。
かやぶき屋根にトタンを被せた赤城神社に、背後から入って休憩する。


 晴れていた空に雲が広がり、蒸し暑さは和らぐ。赤城集落を南に進み、県道46号に出て少しで、
織田氏7代の墓地に上がった。

 この地小幡は、元和元年(1615)に織田氏の所領となり、その後約150年にわたり治められた
とのこと。


 墓地には、織田信長の二男、織田信雄(のぶかつ)から七代信富(のぶとみ)までの五輪塔が並
び、そばの菩提寺、崇福寺(そうふくじ)の位牌(いはい)堂には、歴代城主の位牌が安置されて
いた。

 県道を越えて、西に平行する雄川堰(おかわぜき)の遊歩道に回る。清流のところどころに、民家
の洗い場が残っている。きれいな流れに沿って上流に向かうと、「吹上の石樋」(ふきあげのいしとい)
と呼ぶ、下の小さい流れと交差するところがあった。


 慶応元年(1865)、7か月と約250人の手間を費やして造られた、長さ6mの巨大な一枚岩を組
み合わせたもの。

 遊歩道をさらに上流に向かい、川岸にニセアカシアの咲き競う先にある、雄川との合流点まで行
き、雄川堰の取水口を確認した。


 ちなみに雄川堰は、水田の潅漑用水や、名勝楽山園、生活用水、防火用水として利用されていて、
日本名水百選、疎水百選に選定されている。

 空を覆っていた雲が黒ずみ、間もなく雨になりそう。取水口から500mほど戻り、雄川の橋を渡っ
て左岸に回り、長厳寺(ちようごんじ)に行く。

 七福神の毘沙門天の寺で、境内右手の斜面を上って行くと、垂直の岸壁に大きな磨崖仏(まがい
ぶつ)が彫られていて、下には古い石仏が幾つか並んでいた。


 境内に戻って本堂の左手奥に回ると、大岩の上に松の生えた岩を乗せた、天狗岩もある。

 寺から雄川右岸に下ったら、予報通り雨になった。宿から届けられた弁当をもらい、右岸の遊歩
道を先に進む。次の橋の先にあった東屋の中で昼食にする。


 食事を終える頃には本降りになった。雨具を付けて、13時に出発する。橋まで戻って左岸に回り、
両岸に広がる甘楽総合公園に入り、下流に向かう。桜並木が続き、川岸のヤマボウシが、たくさん
花を付けていた。

 さらに川岸を進み、国指定文化財の名勝・楽山園(らくさんえん)に入る。織田信雄が造った江戸
時代初期の池泉回遊様式の庭園で、広い芝生地の中心に池を設け、高台には二つのかやぶき屋
根の茶屋があり、趣ある景観が広がる。


 東北には、復元されたばかりの中門や拾九間長屋があり、その中門から楽山園を出た。

 第二中に沿った長い塀沿いに進み、喰い違い郭(くるわ)のところで左折して武家屋敷の残る一角
に進む。

 奥方や腰元が住んでいたという松平家や、最も昔の様子を残すという高橋家↓の横を通過する。
高橋家の裏手には、ムクロジの高木と御殿ザクラの大木が残されていた。


 石積みの垣根が続く中小路を東へ。県道46号に出て北に少しの十字路際に、赤煉瓦の大きな建
物があった。

 大正時代の倉庫を改装した歴史民俗資料館。道路を挟んで町営無料お休み処もある。ここで30分
の自由時間とする。


 歴史民俗資料館には、原始から近現代に至る甘楽町ゆかりの資料などが展示されている。中には、
小幡氏の武具、木彫の円空仏3体、神仏混交時代の神輿(みこし)、養蚕の用具など、珍しい展示も
あった。


 交差点の北側からしばらく、雄川堰に沿って桜並木が続き、古い民家や商店などが残っている。


 すこし行き過ぎて戻り、東側高台にある小幡八幡宮に参拝する。織田三代信昌の時代に創建された
神社で、例大祭には屋台や神楽で賑わうようだ。


 下町付近まで進んだ頃、雨が上がり、西方に妙義山の岩峰などが望まれるようになった。


 雄川堰に沿った県道197号を進んで、上信越自動車道の下を抜け、甘楽町役場の北にあったホー
ムセンターの広場で雨具を脱ぐ。

 堀向で県道に分かれ、雄川堰沿いの遊歩道を小川集落まで行く。国道254号を横断し、上信電鉄
上州福島駅に16時12分に着いた。雨で気温が下がり、駅の温度計は20℃を示していた。

 16時21分発上り電車に乗り、高崎駅発17時26分などの高崎線上りで帰路についた。

 (天気 曇雨後晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 上野吉井、富岡、歩行地 甘楽町、歩数
  21,100、累積標高差 約460m)


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旧富岡製糸場から貫前神社などを巡る(群馬・富岡)

2011-05-25 22:12:45 | カントリーウオーク
 しばらく当ブログへのアップができなかったのは、今日紹介するウオーキングへの2日間
の不在のほか、6月8日に迫った大きな家事に追われて、時間がとれなかったためです。

 この後も、6月中はその家事の片付けなどで、従来より投稿間隔が長くなるかもしれませ
んが、どうかご了承いただきご覧下さい。

======================================

 埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの、春の特別例会と呼ぶ1泊のカントリー
ウオーク旅は、5月21日(土)~22日(日)、上信電鉄沿線の富岡市と甘楽町(かんらまち)を
訪ねた。
 
 5月21日(土)

 JR大宮駅高崎線ホームに集合、8時4分発高崎行きに乗る。高崎から上信電鉄に乗り換え、
10時21分に上州富岡駅に下車した。

 10時30分に上州富岡駅をスタートする。駅のトイレは、上信電鉄の古い凸型電気機関車を
模した、ユニークな形状である。


 西に向かい、少し国道254号も回って、まずは龍光寺へ。精巧な木彫が施された山門を入る
と、右に子育ての呑龍堂(どんりゅうどう)が、正面に大きな本堂が立つている。

 呑龍堂の近くには、根回り9.5m、樹齢380年以上と推定される大イチョウが、大きく枝を広
げていた。


 境内には、県指定重要文化財の板碑があり、北側の墓地には、この後訪ねる富岡製糸場の
工女の墓、30基が並んでいた。


 国道を越えて南に進むと、JR横川駅の峠の釜飯で知られる「おぎのや」や、上州名物のうど
ん店など古い建物が残り、通の西側一帯が、レンガ塀に囲まれた旧富岡製糸場である。

 富岡製糸場は、現在、世界遺産暫定リストに記載され、明治5年(1872)の建設時のまま
の建物などが残されている。

 明治政府の掲げた殖産振興の一役を担い、欧米と日本の工法が融合して出来た製糸工場で、
当時は世界最大規模を誇っていたという。


 工場内部の見学は省略して、正門周辺の東繭倉庫、女工館、検査人館、製糸場などの建物
外観を見るのみに止めた。ちなみに、見学料は500円である。

 工場の東南にある蓮照寺境内↓を抜けて、住宅地を東南に向かう。あちこちの家に色鮮やか
に咲くテッセンなどを眺めながら鏑(かぶら)川左岸段丘上に出る。


 南に新緑の山並みが広がるが、温度が上がってやや霞んでいる。



 神田水道橋で鏑川を渡って、神田の住宅地を西に抜ける。気温は30度近いと思われ、日差しが
暑い。

 次の桐渕橋を渡り返して川の北側に戻り、西小に近い交差点際にあった東屋(あずまや)で休
憩した。国道254号バイパスの南を平行する車道を西に進む。


 七日市集落の蛇宮神社に12時17分に入り、広い境内の中ほどに立つ大ケヤキの根元で昼食
とする。


 13時7分に出発して北に向かい、富岡高の横から国道バイパスに出た。富岡高は七日市藩邸
跡のようで、構内東北側に古い屋敷門が残っていた。


 バイパスを少しで北に入り、上信電鉄上州七日市駅の西側踏切を越える。鏑川支流の高田川
右岸沿いに出て、標高205m三角点があり、サクラなどの新緑に覆われた一峰公園の稜線上に
上がった。


 戦没者の慰霊を祭った、三重塔のような富岡市忠霊塔があり、そばのサクラの木陰で小休止
する。

 木の間からは、南にカーブする鏑川や、霞んではいるが、その先に広がる山並み、北側眼下の
大型店舗などが望まれる。


 稜線を走る車道を南西の国道254号の交差点に下り、国道パイパスを越えて、一ノ宮の台地
に向かって右に回り込んで上がる。

 社会教育会館の南側生け垣際に、絶滅の危機にあるという日本翁草(にほんおきなぐさ)が花
穂を並べていた。


 すぐ西側に、新緑が一杯で広い境内の上野(こうづけ)一宮である、貫前(ぬきさき)神社がある。
安閑天皇元年の西暦531年の創建という古社。社殿は徳川家光により寛永12年(1635)の造
営、境内は北斜面の森を含めて約2万6坪という。

 朱塗りの総門を入って急石段を数10段下り、東西に廻廊(かいろう)を配した楼門の中に、国の
重文に指定された、檜皮葺(ひわだぶき)の本殿が鎮座するという珍しい配置である。


 境内一面に杉の古木が並び、総門の西には、ともに市の名木十選に認定されたイチョウの大木
と、樹齢約千年と推定されるスダジイの古木が↓元気に枝を広げていた。


 神社の前を西に進み、猿田彦大神や庚申塔など石塔の並ぶ先から、標高230.5m三角点の北
を回って中村集落に下る。

 車道を横断して宮崎集落に入った。集落の中ほど、宮崎神社には、樹高約25m、樹齢約800年、
市の名木十選の一つ「宮崎神社の大杉」が枝を高く伸ばしていた。


 集落西の高台にある宮崎浄水場の西から南下し、宮崎公園に入って休憩する。園内に、中山道
の裏街道として利用された「姫街道」の一部を利用した、「関東ふれあいの道」の案内板が立って
いた。

 園内の斜面を下り、国の重要文化財、旧茂木家住宅へ。大永7年(1527)の建設といわれ、板葺
(いたぶき)、石置き屋根の民家としては我が国最古と言われているという。


 希望者のみ住宅の中に入り、平屋ながら天井のない高い内部の構造などを参観した。

 公園内で記念撮影をして、今夜の宿に向かう。


 地形図上に高塔マークの記された、水道タンク横から東へ。標高200mを超える畑作地帯なので、
周辺の展望が広がり、残暑は厳しいが向かい風が心地よい。



 大麦の間に、コンニャクイモを植え付けているご夫妻がおられた。この地の名産、下仁田ネギの種
を取るらしい、大きなネギ坊主の並ぶ畑や、よく育ったネギ畑などの間を少しずつ下って行く。

 田島集落で、国道254号と上信電鉄を横断して東に抜ける。鏑川の西岸浸食がけ上に、「和合の
大イチョウ」と呼ぶ、樹高約29m、5本の主幹の集合体という珍しいイチョウの大木が立つ。

 鏑川の流れを見下ろしながら、橋際の緑陰で小休止した。


 対岸に多いニセアカシアの花を見ながら橋を渡り、上高瀬集落を南下する。鏑川の支流の、さかさ
の橋を渡り、今夜の宿、大島鉱泉に、16時48分に着いた。

 (参加 19人、天気 快晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 富岡、上野吉井、松井田、下仁田、
  歩行地 富岡市、歩数 16,800、累積標高差 約440m)


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立川・阿豆佐味神社から武蔵砂川駅へ(東京)

2011-05-17 15:02:43 | 江戸・東京を歩く
 2011年5月15日(日)(続き)

 カタツムリ歩行会の第204回例会の散会後、午前中一緒に歩いたメンバー中の4人で、時間切れで行
けなかった流泉寺を回って武蔵砂川駅に向かうことにした。

 自動車の交通量の多い五日市街道を西に向かう。阿豆佐味神社のすぐ南西、多摩信用金庫の敷地内
に、「庶民教育記念之誌」があり、江戸時代の阿豆佐味天神社の神官、宮崎常次郎が、この地に寺子屋
を開いて、近隣の子どもたちに手習いを教えたことなどが記されていた。


 近くの大きな民家のブロック塀に、「オープンギャラリー 蔵の美楽館 自由にご覧下さい」の表示があっ
たので、立ち寄ってみた。

 南側の土蔵の1階が、その美楽館(びがくかん)。母屋に居られたご主人、Tさんが気づかれて案内して
いただいた。

 壁面には、Tさんご自作の玉川上水の四季、先月、昭和記念公園の花を描いたという「がんばろう日本」、
昨年の今頃、私もツアーで訪れたトルコ、カッパドキア風景などの版画や、油絵が飾られている。


 壁際と真ん中のテーブルには、ここを訪れた方からいただいたという、折り紙や武者人形、絵画や歴史
資料の冊子など、それぞれの方の作品、またTさん自作の陶芸作品など、多彩な作品が展示されていた。

 いろいろなことに興味を持っているというTさんは、さらに珍しい楽器を3つ紹介して下さった。

 ヤギの皮を張り、細くしぼんだ反対側が空いている太鼓は、縁(ふち)と中心とのたたき具合を変えると、
かなり変化のある音が出せる。


 1世紀くらい前、ロシアの人が作ったという電子楽器「テルミン」は、木箱の上にかざした右手の左右の
動きで音階が代わり、左の金属のループ部分の上を左手で上下することにより、音量が変わるという。

 Tさんが演奏され、私たちも音の出具合を確かめさせてもらったが、大変興味深い楽器だった。

 最後は草笛の演奏。オオムラサキの葉を唇に当てて音を出すのだが、やってみると音を出し続けるのが
難しく、かすかに音がしただけだった。


 入口に吊された鳥の飾り物は、Tさんがマレーシアで入手したものとか。風に揺られて心地よい音を聞か
せてくれる。ゆっくりと観賞と実演を楽しませてもらい、いろいろな話を伺い失礼した。

 五日市街道を西へ、左からの車道と合して少しで砂川三番交差点を通過する。すぐ先の南へ延びる車道
との三差路際に、キウイやブルーベリーを売る「馬塲ファーム」と呼ぶ店があった。

 南側の畑で栽培したというキウイやブルーベリーのほか、それらの蜂蜜入りジャムなども販売している。


 幾つもの蜂の巣や大きなカボチャ、もみ付きの稻わらを被せた酒びん、季節の花なども飾られていて、
素朴な店構えだが直売ということで、購買欲をそそられる。


 目的の流泉寺はすぐ先にあった。立派な山門をくぐると広い境内は樹木が多く、最奥の本堂から道路際
の庫裡(くり)まで4棟の建物が並び、いずれも堂々たる造りである。ほかにも二つのお堂や鐘楼があり、
地元砂川の人々の信仰の厚さがうかがわれる。


 興味をひかれたのは、本堂前に並ぶ数10体の羅漢像。


 制作は平成に入ってのもののようだが、いろいろなポーズの像が並び、なかには眼鏡をかけた像、カメ
ラを持った像などもあり、制作者がどのような想いや意図で刻んだものか、想像をかき立てられ、見ていて
も飽きない。


 境内には、西砂川尋常高等小の校長を明治33年(1890)から大正9年(1910)まで21年間も務めた、
初代校長、小安傳先生の顕彰碑や、墓参りの水をくむのための手押しのポンプ井戸など、珍しいものも見
られた。

 本堂の前、広葉樹の木に花が開いていた。なんの木なんだろうか。


 門前の信号を渡った北側は、花木生産販売の滝島園。「季節の花 お気軽にお立ち寄り下さい」の看板と、
道路際のスペースに並ぶシャクナゲの苗木や、きれいな草花の苗の彩りにひかれて、ここにも立ち寄る。


 背後や西側を立派な屋敷林に囲まれた農家、奥さんが出てこられたので、お話を伺う。

 以前は養蚕をやっていたとのことで、養蚕に使った「うだつ」と呼ぶ二つの小さい屋根を持った3階建ての
納屋や、立派な蔵も残っている。


 奥さんの教育の成果か、息子さんやお孫さんも農家を継ぎたいと考えているという。

 大きな生け垣と道路との間の敷地内を砂川用水が流れていて、カモが来たりして夏も涼しいという。荷物に
なるので買うことは出来なかったが、魅力ある苗木が色々と揃っていた。

 西隣は、奥様の話では庄屋だったとか。さらに広大な屋敷で、門の奥の邸内は立派なケヤキが10数本も
あり、モミジなどほかの木々も皆大きく育っている。




 やはり邸内を砂川用水が流れ、敷地を囲む背の高い生け垣にも目を見張らされた。


 五日市街道に分かれ、庄屋さんの生け垣に沿って北に向かう。広い美影橋公園の先で、玉川上水に江戸
時代からかかるという見影橋を渡る。

 当時は、玉川上水の上流から4番目の橋だったので「四ノ橋」と呼ばれ、また、名主の屋敷に近いことから
「旦那橋」とも呼ばれていたという。どうやら名主というのは、滝島園の奥様のいう庄屋さんのことと思われた。

 橋の北で西武拝島線のガードをくぐり、近くのスーパー・マルエツで飲物を買って小テーブルで休んで、乾
いたのどを潤す。そばの武蔵砂川駅には、16時近くに着いた。

 (天気 晴、距離(玉川上水駅から) 4㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 東大和市、立川市)


【追記】 朝のカタツムリ歩行会の受付にて、「カタツムリ歩行200回特集号」という記念誌をいただいた。

 事務局を続けていただいている土井さんが、ご多忙の中まとめられたもので、カタツムリ歩行会の2006
年2月の第151回例会~2010年12月の200回例会まで50回の記録と、この歩きを企画された「やまさ
ん」こと山浦正昭さんや、事務局の土井さんご夫妻、さらにレギュラー参加者など21人のメッセージが盛り
込まれた、134頁に及ぶ冊子である。



 この5年間の例会模様が全て分かり、それぞれの会員の思いや行動などが記された貴重な資料である。
私も投稿させていただいたが、毎回の例会の企画と実行に合わせて、大変お世話になっている土井さんに、
厚く御礼申し上げます


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カタツムリ歩行 西武拝島線 玉川上水駅(東京)

2011-05-16 22:13:46 | カタツムリ歩行
 2011年5月15日(日)

 JR武蔵野線とその周辺の駅を歩くカタツムリ歩行の、第204回例会に参加した。この日はさわや
かな五月晴れ。集合地の西武拝島線玉川上水駅を、10時8分頃スタートして、線路の北側を西に
向かう。

 佼正霊園の広大な墓地に、たくさん花を見せるピラカンサが目につく。


 線路の南に見える集合住宅の屋上は、緑化のためか、植えて間もないと思われる広葉樹がたくさん
並んでいた。


 佼正霊園の墓地をのぞくと、卒塔婆が極めて少ないことにDさんが気づく。この墓地に関係する宗
教では、必要ないものなのだろうか…。


 拓大一高の前を通過して、国立(くにたち)音楽大学の正門に回った。この日は、「オープンキャン
パスを開催中」の看板がある。滅多に入る機会は無さそうなの立ち寄ることにした。門前に立つてい
た人に断り中に入る。

 でも、オープンキャンパスに向かうのは女子高校生とその母親らしい人が多く、どうやら、来年以降
の入学希望者向けの催しのようだ。


 正面に大きなメタセコイアが立っていた。成長の早い木と聞いていたの、大学が国立からここに移転
してきたとき植えたもので、時期は30年くらい前では無いかと推測したが、帰宅後調べたら1978年
にこの地に移ったと分かり、自分の推測が当たっていたことが分かった。

 構内にはほかに、正門から伸びる桜並木や、大きく枝を広げたマテバシイなど緑が多く、やわらかな
新緑の彩りが気持ちよい。

 正門に戻って線路沿いの車道を西へ、線路を挟んで続く音大の敷地の西端にある踏切を渡る。玉川
上水の千手橋から、流れに沿って続く左岸の緑道に入った。

 先月歩いた下流の東大和市駅付近では、上水の流れは素堀のままの深い掘り割りだったが、この辺
りは両岸を護岸した浅いが幅広い流れになっていて、あふれるような新緑が清々しい。

 ちなみに玉川上水は、江戸町奉行の委託により加藤庄右衛門と清右衛門兄弟が、羽村~四谷大木
戸の約47㎞を、承応2年(1653)から翌年6月までの短期間の工事で完成させたもの。この周辺の
新田開発には、この上水からの分水が利用され大発展したという。

 緑道には、JR東日本・西武鉄道・多摩モノレール共催の立川駅~西武球場前駅間のウオーキングに
参加の、ウオーカーが次々に通過して行く。


 われわれも同じ方向に向かうのだが、緑道に多いエゴノキの花や、足下に咲く小さい花に目をひかれ、
名前を調べたりしてなかなか進まない。



 足下では、ホソバオオアマナ(上写真)、セイヨウジュウニヒトエ(下写真)、ムラサキサギゴケ、ショカッサイ
などの花が見られた。


 緑道の北側の民家の方が植えたらしい、シャクナゲも見頃である。



 ここでゆっくりしたので、時間が無くなった。400mほどの次の橋で玉川上水を離れ、砂川四丁目のゴー
ルに向かう。


 上水に近い畑にはウドが育ち、ツツジの苗木がたくさん花を見せる。その先の畑では、かなり背を伸ばし
た小麦の穂が、風にゆれていた。


 五日市街道沿いにあるゴールの阿豆佐味(あずさみ)天神社には、12時ちょうどに着いた。境内の中心
にある手水鉢付近の「ナンジャモンジャ」とも呼ぶ、ヒトツバタゴが花盛り。


 社務所のそばに腰を下ろして昼食をする。しかし食事半ばに社務所の人が出てきて、ここでの食事は禁止し
ているという。謝って急ぎ食事を終えた。

 阿豆佐味天神社は、寛永6年(1629)頃、現在の瑞穂町から勧請(かんじよう)されたもので、現在の
立派な本殿は18世紀前半の建築と考えられ、立川市内の木造建築物では最古のものの一つという。


 境内にはほかに、浅間神社や八坂神社など8社の合祀(ごうし)された社殿と、水天宮の社殿がある。こ
の砂川地区で、明治から昭和にかけて盛んだった養蚕の守り神である蚕影(こかげ)神社もあったようで、
その説明板が立っていた。

 そばの手水鉢は、弘化3年(1846)、鶴見の名工飯島吉六作という、唐子が担ぐ珍しい型のもの。江戸
末期の貴重な文化財である。



 記念撮影とミーティングをして、12時50分頃散会となる。

 このあと、午前中一緒に歩いたメンバー中の4人で、時間切れで行けなかった流泉寺を回って武蔵砂川
駅に向かうことにした。これについては、次のブログで紹介する。


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3度目の四国遍路(後編)・(香川その7・完)

2011-05-14 21:19:30 | 3度目の四国遍路
 間(あいだ)に、最近のウオーキングの模様を入れたため遅れましたが、今回の四国遍路
最終日のレポートをご覧いただくことにします。

======================================

 第19日 2011年3月14日(月)
 =別格20番大瀧寺=

 5時40分起床、昨夜作ってもらったおにぎり弁当(二つだが大きい)を食べ、不要な荷物は
預けて6時40分に樺川荘本館を出た。


 ウグイスやキジの鳴く里を眺めながら、上俵北川沿いの県道106号を進む。さぬき温泉の
建物↓を過ぎると、人家が途切れる。


 三つの橋を渡り返し、さらに左岸沿いを少しずつ上がる。


 町道野田大相線を左に分け、緩いヘヤピンカーブの続くところには、カーブごとに住宅が並
び、合わせて10戸ほどあった。

 高度が上がると展望が開けた場所があり、通過してきた民家や谷間が見晴らせる。


 旅館を出てからずっと歩き続けたので、道路の右手斜面にコンクリート片が10個余り積ま
れたところで小休止した。さらに上がったT字路に、↓「六角堂」と呼ぶ若者の集いの家があり、
その三差路を左に折れる。



 稜線沿いとなり、西側の斜面に点在する集落を見下ろし、緩やかに上り下りしながら進み、林
道が上がってきたところに合流した。


 少し遠方の山並みも望まれるようになり、雪の残る山も見える。


 その先の日陰には、道路上に雪が残っていた。


 徳島県美馬市との県境、標高920mのピークから少し下って、別格霊場20番の大瀧寺に着い
た。霊場の標高としては、八十八か所の最高地、66番雲辺寺と同じ910mにある。

 本堂↑はさほど大きくはなく、大師堂と納経所は、改築して間もない民家風の建物。納経所で、
ご住職から「おーいお茶」のボトルと、まんじゅう二つをお接待いただいた。


 納経所の上に、別格霊場二十寺の証明書が掲げてあった。聞くと、いただくには2千円だという。
そばにあった東北関東大地震の義援金箱に、ささやかながら募金する。


 境内からは、南下に吉野川中流域が見下ろせ、南西には残雪の山並みも見える。


 すぐに下山にかかったが、林道への分岐で、帰路は右に少し上がるのを忘れていた。そのまま
林道を30分ほど下ってから、往路の六角堂に着かず、おかしいと気づく。

 路傍の電柱番号を見たら、林道を下った集落を示す名前と知り、がく然とする。急ぎ分岐まで
戻ったが、約1時間のロスタイムとなる。

 分岐点で右側(上の写真では左側)を見ずに、自然の流れの方向に向かってしまったのが誤りの
原因。別格を含めすべて結願した後の気の緩みだろうか…。こんな誤りは、3度の遍路でも初めて
のこと。良い戒めになった。


 往路の県道に入ると、下りが続くので楽だが、1時間のロスで急ぎ、気疲れした。往路で休んだ
ところで正午を過ぎたので、ご住職にいただいたまんじゅうを、口に入れて昼食代わりとする。


 宿に14時までに戻れば、レストランが開いていると聞いていたが、間に合いそうにないので、昼
食はあきらめて下る。

 樺川荘本館には、14時20分に戻った。ちょうどオーナーが塩江町まで行くところで、自家用車に
便乗させてもらえるという。車で5分ほどの「道の駅しおのえ」まで、送っていただいた。

 お陰で、今日中に帰宅できる予定の、高松駅行きバスに乗れそう。道の駅で土産を買い、近くの
塩江郵便局で、衣類やずだ袋などをゆうパックにして発送する。


 15時30分発高松駅行き琴電バスは、途中で3、4人しか乗車せず、経営は厳しそう。16時32
分に高松駅に着いた。

 みどりの窓口でジパング倶楽部の割引切符を購入し、16時40分発の快速マリンライナーに間
に合う。お陰で、岡山駅でも時間の余裕がとれ、18時20分発の新幹線ひかりに乗る。

 このひかり号は岡山発の最終便なので、途中駅からの乗客は少なく、がらがらの自由席2号車。
22時40分に東京駅に着き、日付が変わる頃に帰宅した。

 【コースタイム】樺川荘本館6・40ー橋(15・8㎞点)7・15ーヘヤピンカーブ下(18・8㎞点)8・05ー
  六角堂近く9・02~08ー六角堂9・25ー別格20番大瀧寺10・03~25ー誤った六甲天満原林道
  から折返し11・07ー林道への三差路11・14ー六角堂の先(往路休憩点)12・14~25ー町道野田
  大相線分岐13・15ー橋(15・8㎞点)13・48ー樺川荘本館14・20
 
 (天気 晴、距離 22㎞、歩行地 高松市、徳島県美馬市、歩数 43,500、遍路地図 106ー2)

        【完】


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館林市 県立つつじが岡公園の満開のツツジ(群馬)

2011-05-11 20:33:42 | ウオーキング
 5月4日(水)に歩いた館林市のウオーキング模様については、翌5月5日にアップしましたが、コース
のハイライトともいうべき、県立つつじが岡公園の満開のツツジの模様を、改めて紹介します。


 温室の前にある「つつじ」の植え込みを見て、裏手に回ると、「館林つつじまつり」の期間中(今年は4月
15日~5月15日)の入場口があり、600円の入園料を払って入園しました。



 南側の斜面一面に大きなツツジが咲き競っていました。園内のツツジは、1万株あるといわれています。


 斜面上に付けられたツツジの間の遊歩道を、東に向かいます。

 このあたりは、「新公園」と呼ばれ、昭和5年(1930)に完成したエリア。江戸・大久保で作られたキリ
シマツツジ系の品種が数多く保存されているとのことです。

  北側には、芝生広場の向こうに、東西に長く延びた城沼が望まれます。


 太いツツジの枝には、八重霧島とか本霧島、ヤマツツジ、桔梗咲き霧島、花車など、ツツジの種類を
紹介した札が下がっていました。



 新公園の先は、ツツジの巨木群が多く、昔から自生していたヤマツツジと、寛永4年(1627)、第3代
の館林城主、榊原(松平)忠次をはじめ、歴代城主たちが、各地から移植して長年保護育成した、樹齢
のもっとも古い、日本一のヤマツツジの巨木群が見られます。











 城沼には、たくさんの遊覧船が出ていましたが、船上からのツツジ見物もよいかもしれません。






 見どころの近くには、東屋があり、周辺のツツジが一望できました。








 ツツジ群と北側の城沼の間には、広い芝生広場があり、ツツジ見物を終えた人たちが休憩しています。


 花のない時期、この公園には2回訪れましたが、さすがこの時期のツツジは見事です。暑い日差しで、
ツツジもしおれそうでしたが、来てみた甲斐がありました。


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新緑の飯能をカントリーウオーク(埼玉)

2011-05-10 21:23:39 | カントリーウオーク
 2011年5月8日(日)

 埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの、第183回例会は好天に恵まれた。集合地の西武
池袋線飯能駅には、久しぶりの21人が集まり、4組に分かれて、10時10分に駅前をスタートする。

 ==飯能河原から奥武蔵自然歩道へ==

 駅の北側、線路沿いを西に向かう。仲町二丁目に、秋の飯能まつりに曳(ひ)かれるという山車(だし)の
保管庫があった。


 こども図書館の横から、名栗川の割岩(われいわ)橋を渡る。


 右岸のフジが花を見せ、下の飯能河原には、行楽の人がかなり見える。その河原に下って冠水橋を渡り、
左岸にある水天宮の小さな社の前を通過して、観音寺へ。


 江戸時代には、高麗(こま)郡三十三か所霊場として信仰をあつめたという。境内の、クジャクの羽を光背
(こうはい)にした石像や、四国八十八霊場のお砂踏所、屋根下に収まる白象像などが目についた。


 近くの諏訪八幡神社には、縁結びのご神木になっている、丹荘樹(たんしょうじゆ)と呼ぶカシの大樹が立
っていた。


 市民会館と郷土資料館の間を抜けて、北側の能仁寺(のうにんじ)に入る。綱吉から五十石の朱印状を賜
るなど、徳川家の信任あつく、末寺も20か寺を数えたという。


 山門を入ると、中心に立派な本堂がある。広い境内の庭木はよく整えられ、モミジなどの新緑とツツジが
色鮮やか。東屋周辺で、集まってきた各グループとも水分補給をする。


 寺の東側から、天覧山への登山路が始まり、好天に誘われ、多くのグループが次々に上って行く。


 ヤマツツジの咲き競う登山路を上がり、中間の広場を過ぎると、山頂直下の岸壁に、元禄年間(1688~)
に徳川綱吉の生母、桂昌院(けいしよういん)が奉納したという十六羅漢が祭られている。


 標高195mの天覧山は、明治16年(1884)、明治天皇が近衛兵演習を視察のために登頂されたところ。
展望台があり、奥武藏や奥多摩の山並み、飯能の市街地などが一望できる。


 ちょうど山頂に到着したグループのメンバーで、記念撮影をする。



 林間の遊歩道を北側から東に下り、西武池袋線のガードをくぐる。国道299号を横断して奥武蔵自然歩道
に入った。

 新緑あふれる林間を緩やかに上がり、切り開かれて新しいベンチなどが作られているところを過ぎる。滝不
動尊方面への分岐点、松や広葉樹林下の平坦地が今日の昼食地。12時10分に着き、落ち葉の上にシー
トを敷いて昼食とする。


 ==宮沢湖を回り趣ある社寺をめぐる==
 
 13時15分に出発する。新緑の広葉樹林下の奥武蔵自然歩道をさらに進み、高麗峠(177m)を通過する。


 武蔵丘ゴルフ場の金網が現れた辺りで、Sさんが両足にけいれんを発症する。皆でペースを落とし、ゴルフ
場の池の横から、ゆっくりと小さい尾根を上り下りして、宮沢湖の西岸に下った。

 宮沢湖は、昭和10年(1935)から16年にかけて作られた貯水池で、面積は16.4haあり、飯能、日高、入
間市に潅漑用水を供給しているという。

 静かな湖面には、釣り人のボートがたくさん並んでいる。


 北側の谷間や、近くに咲くフジの花などを見ながら堰堤(えんてい)を通過し、東側の簡易な飲食店や釣り堀
などのあるところから、Sさんはバス停に向かう。気温が上がり暑くなったので、休憩所でしばらく休憩した。

 開花間近なトチノキの並木の近くから林間に上がり、県道30号の西側斜面をトラバースする遊歩道を南に
向かう。

 中居集落の東端あたりで県道に出て、間もなく集落の山すその里道に入って清泰寺へ。方形屋根の法羅堂
に、鎌倉時代の木造阿弥陀如来が祭られているという。


 山すそを西へ、少し先には、ツツジが咲き格好良い老松が目につく宝蔵寺があった。寺では、小石に1文字
から数文字の経文を書写して埋納された一字一石経が、6万個も出土されているという。


 梅林のそばなどを通過して次の中山集落に入ると、上杉家の家来で、集落の名のもととなった中山氏ゆかり
の加治神社がある。2対ある狛犬の、奥の右手の犬の笑い顔が可愛らしい。


 住宅地を南西に進み、国道299号バイパスの南にある心応禅寺へ。広い境内には、手入れされた樹木が多
く、どっしりした本堂と禅寺らしい山門が目につく。


 その山門を出て左手に、カメが甲羅を干す弁天池があり、中の島に朱塗りの弁天堂が祭られていた。弁天島
の橋で記念撮影をする。


 西武池袋線の、車の通れぬ踏切を渡って八幡町に入った。ここも境内は広く、今日回った寺では一番の大本
堂が、どっしりとした構えを見せていた。


 近くの八幡神社には、新緑の若葉がみずみずしい大クスが立つ。ここで締めのミーティングをして、中心街に
入り、17時ちょうどに、飯能駅前にゴールした。

(天気 晴、参加 21人、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 飯能、歩行地 飯能市、歩数 22,800)


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館林の「野鳥の森ガーデン」(群馬)

2011-05-09 22:39:34 | ウオーキング

 5月4日(水)に、館林の茂林寺からつつじが岡公園へと歩いたレポートについては、5月5日に
報告しましたが、その中で、茂林寺沼の北側に3月26日(土)からオープンしたばかりの、「野鳥
の森ガーデン」について、もう少し紹介することとします。

 「野鳥の森ガーデン」は、分福茶釜で知られた茂林寺の北に広がる、茂林寺沼と低層湿地の北
側につくられた新しい花の庭園です。

 手元にある2万5千分の1地形図では、ここはもと笹原ゴルフ場があった場所のよう。「8万㎡の
園内に、60万株の花々が咲き誇り、7つのバラの物語が奏でる日本屈指のガーデン」というのが、
キャッチフレーズになっています。

 以前からあった英国の教会風の建物、聖ペテロ&パウロ協会の先、ここが入口となっていました。



 バラはこれからですが、いまはシバザクラが見ごろのことで、入園しました。まずは、その「芝桜の
ガーデン」へ、園内の中央にあり、面積も最大です。



 好天に誘われ、たくさんの人が来園していましたが、なるべく花を中心に撮ってみました。





 芝桜のガーデンを一巡の後、南側の「水辺のガーデン」へ回りました。


 池の中心で、スイレンが開花しています。


 池を囲んでレンガ塀があり、向こうの庭園が望まれます。


 近くの「ナチュラルガーデン」には、いろいろな花が咲いていましたが、これは遊歩道沿いに続く
赤花のトキワマンサク。


 近くには、白花のトキワマンサクの垣根も続いていました。


 


 庭園の南端付近に売店があり、冷たい飲み物などを購入して休憩する入園者の皆さん。


 付近に咲いていた珍しい花。向こうに見えるレンガ造りの建物が、入園口。


 南端にあるのが「スプリングガーデン」、黄色と白の花がいっぱいでした。


 白バラの天蓋だったでしょうか。まだ花は全く見えません。


 園内の北西端、茂林寺川に沿ったエリアは、ネモフィラが見せる「青のガーデン」。




 青のガーデンの北端には、「ブルーボーダー」と呼ぶ一角があり、ヤグルマギクなどが咲き競って
いました。



 青のガーデンを最後に、ゆっくりとたくさんの花を楽しみ、野鳥の森ガーデンを後にしました。

 なお、「野鳥の森ガーデン」の場所は、館林市堀工町1050 電話 0276-55-0750
 開演時刻は8時~18時(入園は17時まで) 
 入園料は花の咲き具合の見ごろ期にあわせて500円~1800円の変動料金となっています。

 野鳥の森ガーデンの詳細については、「野鳥の森ガーデン」のウェブサイトをご参照下さい。



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「皇女和宮と中山道展」へ(埼玉・さいたま市)

2011-05-07 21:25:45 | ウオーキング
 小雨模様で気温も低めの今日、5月7日(土)、さいたま市大宮区にある埼玉県立歴史と
民俗の博物館で開催中の、特別展「皇女和宮と中山道展」を観覧に出かけました。

 中山道といえば、2002年から2009年にかけて毎年実施された中山道ウオークに、私
は2008年を除いて一部区間ずつでしたが、毎回参加して歩いており、結果的にほ東京
~京都をほぼ1往復しました。

 その中山道ウオークの沿道でも、あちこちで皇女和宮ゆかりの史跡などを見ていたことも
あり、この展覧会を参観することにしたのです。

 会場の埼玉県立歴史と民俗の博物館は、大宮公園内にあるので、JR大宮駅から歩いて
向かいました。

 賑やかな商店街を抜けて、2㎞近く真っ直ぐに伸びる参道の中ほど、二の鳥居のところか
ら参道に入ります。


 参道の両側には、りっぱなケヤキ並木が続いています。最後の三の鳥居が見えてきました。


 鳥居をくぐり、玉砂利を踏んで進み、池の間の朱塗りの橋を渡ります。


 色鮮やかな山門を入り、武蔵一宮の氷川神社神域へ。


 博物館に向かう前に、正面の本殿に参拝しました。 


 山門と本殿の間の建物。舞楽を奉納する神楽殿でしょうか。


 左手に出て、大宮公園の中ほどを北に、博物館に向かいました。


 桜の頃は花見客で賑わう、ソメイヨシノがいっぱいのところも、今日は通過する人もわずか
です。


 博物館の入口付近に立つ、特別展ののぼり。


 今日は、南側のこの入口から入館しました。


 今まで入っていた、北側の入口の表示です。


 構内にある、復元した縄文時代住居。


 さて、「皇女和宮と中山道展」は、幕末の緊張した幕府との融和を図るために、仁孝天皇の
第8皇女の和宮が、第14代将軍徳川家茂(いえもち)の御台所(みだいどころ=妻)となるた
めに中山道を下ってから、今年が150年になるのを記念して開催されたものです。



 古代東山道以来、中山道は、官道として日本の歴史に大きな役割を果たし、江戸時代には、
日光例幣使(れいへいし)、朝鮮通信使、琉球使節なども通行しました。

 また、京の宮家の姫君たちも将軍に嫁するために通行するなど、京と江戸を結ぶロイヤル・
ロードともいうべき街道でもありました。

 この展覧会では、こういった歴史、交通政策や庶民の旅などを含め、歴史的・文化的役割を
見直そうと企画されたとのことで、幅広く興味ある展示の数々を見ることができました。

 特別展を観覧後、埼玉の歴史を知る常設展も一巡、遅い昼食をして館を出ました。
 
 博物館の南側のボート池は、1月から水質浄化のために、かい堀して水を抜いたようですが、
「泥の乾きが遅いので、まだしばらく続ける」との看板が出ていました。




 サクラの並ぶ一角に戻り、氷川神社との間にあった日本庭園に入ってみました。


 新緑はいっぱいですが、ツツジは数株だけで、彩りはわずかです。


 その中で色鮮やかだったのはこれ、レンゲツツジでしょうか?


 でも、珍しい花も咲いていました。

 ハンカチの木でした。


 氷川神社の横に戻り、往路に渡った橋を眺めながら参道に向かい、大宮駅から帰路につきました。


 ちなみに、この特別展は、5月8日(日)で終了です。

 (天気 小雨、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市大宮区)


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