あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

残暑の中、石神井公園周辺をめぐる(東京・練馬)②

2020-08-31 18:42:50 | 江戸・東京を歩く
 2020年8月28日(金)〈続き〉

 三宝寺を出て、古くからの住宅地を西進して氷川神社に行く。応永年間(1394~
1428)に豊島氏が武蔵一の宮の分霊を祭って石神井城内に創建したといわれているよ
う。

 文明9(1477)年の石神井城落城後は、石神井郷の総鎮守として近郷5か村の人々
から崇敬されたとか。ここでも新型コロナウィルスに感染しないよう、さらに早期の終息
を祈り祈願した


 拝殿前には新嘗祭(にいなめさい)に奉納するための神饌田があり、間もなく出穂しそ
うに育っていた。



 境内には完成して間もないと思われる新しい儀式殿や、古くからの神楽殿もある。


 神社前を東に少し、三宝寺の背後からうっそうとした林間を北に入ると、フェンスで囲
まれた一角がある。東京都史跡「石神井城址」の中でも特に土塁や空堀などの文化財の保
存状態のよいところなので、保護しているようだ。

 このあたりは石神井城の中心内郭跡のよう。石神井城は平安末期から室町中期まで、現
在の台東区、文京区、豊島区、北区、荒川区、板橋区、足立区、練馬区などや周辺まで勢
力を持っていた豊島氏の居城の一つで、築城は鎌倉後期と考えられ、文明9(1477)
年に太田道灌に攻められ落城し、廃城になったという。


 フェンス沿いに北に下り三宝寺池の東南岸に出た。斜面下には「石神井城址」碑や「石
神井城跡」の説明パネルなどがある。



 池の東側にあるうっそうとした中の島などを見ながら南岸の遊歩道を西進する。
     

 中の島を中心とする三宝寺池の植物群落群は、「三宝寺池沼沢(しょうたく)植物群落」
として国の天然記念物に指定されている。
     


 三宝寺池にもカモがあちこちに見られ、中の島際に繁茂するコウホネが少しだけ咲き残
っていた。







 南岸の中央部近くには小さな社殿の水神社が祭られていた。その先の倒木にはアオサギ
がじっと立ち止まり動かずにいる。


     


 南西端近くで池に突き出した一角には朱塗りの社殿の厳島神社と浮見堂がある。


 厳島神社の前に幹を傾けて立つアカマツは、大正9年9月26日に行啓された大正天皇
のお手植えのよう。


 そばにある三宝寺池の説明パネル。この辺りからの豊富な樹木に囲まれた池の眺めは、
東京二十三区内とは思えぬ景観である。





 池の南西端からさらに北へ伸びる周遊路を、厳島神社や浮見堂などを眺めながらを進む。

 
 三宝寺池の西北端でもう一度池をふり返り周遊路を離れた。北斜面を上がり、区立「石
神井松の風文化火公園」に南端の門から入った。

 ここは、かつて日本銀行の運動場だったところ。2008年に練馬区で購入して2014
年4月に区立公園として開園したもの。園内には天然芝の多目的広場や、花と木立の広場、
松林の広場、テニスコート場、ふるさと文化館分室もある管理棟などがある。


 南側の花と木立の広場近くの一角は、気象庁のアメダス練馬観測所。都内には8か所の
観測所があるが、ここ練馬の観測地はそれらの中でも高温を観測することで知られている。
     
 12時40分頃撮ったのだが、帰宅後調べたら12時に32.8℃、13時に33.2
℃を記録していたので、33℃前後の残暑の中を通過したことになる。


 このあと管理棟内にある石神井公園ふるさと文化館分室に入り、近くに住んでいた作家
の檀一雄や五味康祐など、練馬区ゆかりの文化人の紹介パネルや作品、年表、写真などを
観覧した(撮影禁止)。


     
 公園の北側に回り松林の広場とテニスコート場の間を進み、都道8号・富士街道に面し
た正門から松の風文化公園を後にした。


 石神井郵便局の西側の通りを北北西へ、石神井台3丁目から東大泉5丁目へと住宅地を
抜ける。
     

 13時28分に隣の大泉学園駅前に着いた。駅前で昼食を済ませ、13時58分発所沢
行き下り電車に乗る。


 (天気 晴、距離 5.5㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、歩行地 練馬区、歩数
 12,500)



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残暑の中、石神井公園周辺をめぐる(東京・練馬)①

2020-08-30 17:57:02 | 江戸・東京を歩く
 2020年8月28日(金)

 今日は、西武池袋線と新宿線の練馬区内の5駅限定で発売された「記念乗車券 あり
がとう!としまえん」を購入のため、池袋線の石神井(しゃくじい)公園駅に行く。

 9時半を過ぎたので売り切れを心配したがまだ残っていたので購入し、久しぶりに都内
に来たのだがら、何度も訪れてはいるが都立石神井公園周辺を回ることにして、9時47
分に南口をスタートした。


 駅の東側から南へ、拡幅して広くなった道路を緩やかに下り稲荷神社に入る。



 コンクリート造りの拝殿の前に、「ねりまの名木」に指定されたシラカシが立っている。
シラカシとしては区内でも最大級の大きさのようで、樹高18m、幹回り3.8mという。
     

 神社前のY字路を南西に少しで都立石神井公園の東端へ。


 西へ向かって細長い石神井池(ボート池)が伸びているが東岸はカヤなどが視界を遮り、
その一角にパンパスグラス(シロガネヨシ)やフヨウが咲いていた。
     



 南岸を少しで、カヤなどの向こうにボート乗り場にスワンボートなどが望まれる。


 南岸沿いの北向き斜面には伸び伸びと枝を伸ばした樹林が続いている。



 池を眺めながら西へと南岸縁の遊歩道進む。






 ラクウショウとメタセコイアの立ち並ぶ辺りを過ぎると、池の中ほどに中の島がある。

 島に入るには二つの橋があるが、この橋は石神井支所近くに私の最初の職場があった
1950年代前半から変わらぬ姿を見せている。


 中の島の南側には野外ステージがあり、昨夜のNHKBS「ぶらり日本鉄道旅」の西武
池袋線沿線を紹介する旅の最後近くに登場していた。下の写真は8月29日(土)朝の再
放送から。



 池にはあちこちでカモが泳ぎ、西端近くまで進むとコンクリート製の彫刻が立っている。
     

 この辺りで池を離れて南側斜面上に見えた稲荷諏訪合神社に向かって上がり、新型コロ
ナウイルスに感染しないよう、さらに早期の終息を祈願する。



 そばの練馬区立「石神井公園ふるさと文化館」も何度か訪れているが入館し、2階の常
設展示室と区民の作品展示コーナーなどを一巡して観覧した(企画展示以外は入館無料)。



 30分ほど観覧して東側入口から出た。

 東側には区立「池淵(いけぶち)史跡公園」がある。公園は、練馬区登録史跡「池淵遺
跡」を埋め戻して保存整備したもの。遺跡では旧石器時代の石器ブロックや、縄文・弥生
時代の竪穴住居跡↓、中世の溝の跡などが発見されたという。



 公園内で目につくのが練馬区指定文化財の「旧内田家住宅」で、中村3丁目にあったか
やぶき住宅が遺跡復元されていて、住宅に入って内部も観覧できる。


     
 園路沿いには、区内の各所にあった庚申塔や馬頭観音など江戸時代の石造物が何基か配
置されていた。
     

 史跡公園を一巡後、ふるさと文化館内を抜けて西側の都道444号線側に出る。文化館
の建物の西北側にあった彫刻。
     

 都道を横断して古い民家の間などを回り、西南側にある道場寺(どうじょうじ)へ。以
前は開いていたた山門は、新型コロナウイルスの影響か閉じていたので右手から入る。


 道場寺は、文中元(1372)年に石神井城主豊島景村の養子輝時(北条高時の孫)が
建立したもので、輝時は自分の土地を寺に寄付して豊島氏の菩提寺としたと伝えられてい
るよう。武蔵野三十三観音霊場の第2番霊場である。


 山門の左手に立つ三重塔内には、人間国宝の香取正彦作の金剛薬師如来が置かれ、台座
にはスリランカから拝受した仏舎利が納められているという。
     

 境内にはモミジやアカマツなどが多く、豊富な緑陰が暑い日差しを遮ってくれている。


 門前の通りは交通量が多いが、歩道は南側の石神井小側のみ。車に注意しながら西に少
し進むと武蔵野三十三観音霊場第3番霊場の三宝寺(さんぽうじ)である。


 三宝寺は、応永元(1394)年に創建され、石神井城主豊島氏からの帰依(きえ)を
受けていたとか。豊島氏滅亡後は徳川家康などの保護を受けて発展したという。


 どっしりした山門は御成門で、寛永2(1625)年と正保元(1644)年に徳川家
光が狩猟の際に当山が休憩所となったことから、この山門を御成門と称するようになった
とか。

 現在の御成門は文政10(1827)年の完成、2度の火災にも難を逃れ当山第1の古
建築であるとともに、当地方でまれに見る優れた山門として練馬区登録有形文化財になっ
ている。


 山門を入り左手のお堂は大黒堂と千体地蔵堂。上階の大黒堂は何度か見ていたが、左手
階段を下った下に千体地蔵堂があるのは知らなかった。


 パネルを見て初めて知り、千体地蔵堂に入る。堂内左手中央に比較的新しい地蔵尊が祭
られ、背後には極彩色の極楽図と地獄図らしいのが描かれている。


      小さな千体地蔵尊はその両側に祭られていた。
     

 大黒堂前には「ねりまの名木」に選定された樹高17m、幹回り2.5mのアカマツと、
樹高10m、幹回り1.5mのサルスベリが立っている。

     
正面の本堂に参拝後、左手階段を上がって多宝塔にも参拝する。階段のそばには、天明
元(1781)年造立という高い台座の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が目につく。
         


 階段下から多宝塔周辺に点在する「四国八十八か所お砂踏霊場」の間を進み、本堂の左
手背後に回ると弘法大師を祭る大師堂がある。



 御成門に近い鐘楼堂のそばには、フヨウやアジサイ、ハナトラノオなどが咲いていた。





 境内東南側にある長屋門は、もとは勝海舟邸の屋敷門だったようで、新しい「海舟書屋」
の掲額があった。 


                                     (続く)




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熊野古道 伊勢路と本宮道を歩く②(三重)(2003年)

2020-08-26 18:42:02 | 熊野古道を歩く
第2日 2003年10月16日(木)
馬越峠・八鬼山越えコース  =熊野古道一の難所越え=

 尾鷲(おわせ)市街地の北端、三重県尾鷲庁舎前のバス停から国道42号線を、8時1
分発の南紀特急バスで昨日の方向に1駅戻り、海山町(みやまちょう)の鷲下(わしげ)
バス停で下りる。

 バス停からすぐに馬越峠(まごせとうげ)ヘの山道、大きくて清らかな石畳がヒノキや
杉木立の下に続いている。
     

 石室のような祠(ほこら)の中にある夜泣き地蔵↓を過ぎると、石畳は2、3人並べるく
らいの広さ。紀州藩の駕籠(かご)に合わせて1間半(2.7m)の幅をとったのだとか。


 一里塚跡もあったようだが気づかずに通過し、1時間余りで海山町と尾鷲市との境、馬
越峠(325m)に着いた。

 丸木造りの避難小屋や、自然石に彫られた江戸末期の俳人、可涼園桃乙(かりょうえん
とういつ)の句碑、熊野古道の説明板などがあるが、一帯はヒノキの木立に覆われ展望は
全く利かない。小休止だけで下りにかかる。

 上りに比べると小さめの石畳道をどんどん下る。途中、レンガ造りの地蔵堂に入った桜
地蔵があった。説明板によれば、旅人の安全を祈って奉納されたもので、以前は石積みの
祠(ほこら)だったとか。

 同じ説明板に、「熊野古道の石畳は、全国有数の多雨地帯なので、大雨による路面の流
失や崩壊を防ぎ、夏草やシダ類などの繁茂を押さえて道路を確保するためであった」とも
記されている。

 広葉樹が増え、明るくなった道を下って行くと桜並木となり、行者堂のそばに馬越公園
がある。桜も多く、今はハギが見ごろである。

 ススキやノギクなどの咲く道、眼下の尾鷲市街に向かって下り、北浦町の住宅街に入る。
新しい野口雨情の歌碑があり、そばのコスモスが咲き乱れていた。



 緩い傾斜地に続く墓地の間を下って行くと、江戸後期の念仏行者、徳本上人(とくほん
しょうにん)名号碑(みょうごうひ)がある。晩年は、江戸小石川の伝通院1世になった
人とか。
     

      場所のメモがないが、馬越の津波供養塔も残されていた。
     

 市街地に入り、朝日町から林町辺りには、黒焼きした板を壁に張った古い家があちこち
に見られた。

 水量豊かな中川を越え、火力発電所の高い煙突が左手に近づく。正面には八鬼山(やき
やま)の山塊が大きく迫ってきた。円いタンクの並ぶ東邦石油横から矢の川を渡り、川沿
いに対岸の東邦石油の東端まで進む。


 その三差路に、「ままになるなら あの八鬼山を 鍬でならして 通わせる」と八鬼山
を歌った尾鷲節の歌碑が立っていた。
     

 折り返して東邦石油の南側山すそ、桜並木の道を少しずつ下ると、越えてきた馬越峠方
面の展望が利いてきた。山頂近くの八鬼山荒神堂を遙拝するという献灯所の近くに、トイ
レがあったので小休止した。

 すぐ先から、いよいよ熊野古道一の難所という八鬼山越えの山道に入った。ススキやノ
ギク、ゲンノショウコなどの咲く緩やかな道がわずかで終わって上り坂となる。


 行倒れ供養碑を過ぎ、水場のある駕籠立場(かごたてば)でまず休憩。開けた西側、真
砂川の西側に、樹齢300年という大ヒノキが立っていた。谷筋からの風が気持ちよい。


 少し先には、清順上人供養碑がある。清順上人は、戦国期、長らく途絶えていた伊勢神
宮の遷宮を復興させた尼僧とのこと。

 七曲がり下で用意してもらった弁当を受け取り、記念撮影をする。

 
 いよいよ今日のやま場、七曲がりの急坂だ。薄暗いヒノキ林の中、苔(こけ)むした石
畳は滑りやすいので慎重にゆっくりと上る。
     
 
 七曲がりが終わって幾分傾斜が緩む。道の両側にウラジロが多くなったのに気づいた。
ずっと下からあった身の丈1m足らずの古い地蔵さん。途中で教えてもらった野田先生の
言われた「あかんべ地蔵」を確認しながら上がったら、3~4基ほど見つかった。
         

 空腹と上り続きで疲労もつのり、皆、口数が減ってきた。蓮華石と烏帽子岩のある桜茶
屋一里塚跡を通過し、ようやく九鬼峠に着いた。展望はないので、もう少し先ですること
になる。


 木々に覆われた涼しい尾根、丸太の階段や石畳の道を進むと、素朴な社殿の三宝荒神堂
がある。八鬼山日輪寺の跡で、「その歴史は千三百年もさかのぼり、西国三十三番第1番
札所の前札所として、八鬼山越えの巡礼が道中の安全を祈った」と記されていた。

 その先には立派な石畳があり、627m三角点の先で江戸道と明治道に分かれる。
 

 昼食地にと期待し、江戸道を少し入った「さくらの森」という新しい芝生広場に出ると、
山並みが入り組んだ複雑な海岸線の向こうに熊野灘の雄大な展望。皆思わず「素晴らしい
!」と感激の声。広々とした展望を前に、遅い昼食をする。




 さくらの森での記念撮影、前列右端が私。


 素晴らしい展望の後には、厳しい下りが待っていた。初めは緩やかな稜線、落ち葉がい
っぱいの道筋にリンドウが一輪、また一輪と咲いていたが、やがて急坂となった。

 転ばぬよう、杖を頼りに慎重に下る。鎖の付いた木の手すりも現れ、高度はどんどん下
がるが明治道との合流点がない。通過したのかと思っていたら、ようやく合流点に出た。
どうやら、明治道を下った方が楽だったようだ。


 その先は、沓川の源流に近い沢沿い。傾斜も緩み、やがて林道に出た。大石がゴロゴロ
する川を見下ろし、長柄(ながら)一里塚の手前から流れに沿って左岸を進んだ。


 紀勢本線の線路が近づいたところで長柄町の集落に回り、国道沿いにある三木里(みき
さと)の湾に面した小公園に着いた。休憩後、ストレッチ体操をして疲れをとる。

 湾の西側で魚がしきりに飛び跳ねている。魚を間近に見ようと堤防沿いに回り、海水浴
場の中心辺りで眺める。どうやらボラが飛んでいるようだ。

 国道に出て、郵便局の少し先にある民宿・嬉志野(うれしの)に16時15分に着いた。

〈コースタイム〉鷲下バス停8:07~18-夜泣き地蔵8:30-林道横断点8:47~9:01-馬越峠
 9:12~15-桜地蔵9:30-馬越公園(WC)9:39~50-尾鷲市街-東邦石油東北端(尾鷲節
 歌碑)10:48-献灯所先(WC)10:53~11:03-駕籠立場11:30~35-七曲がり下(弁当受
 領)11:40~56-七曲がり上12:18-九鬼峠12:49~59-荒神堂(水場)13:19-さくらの森
 (昼食)13:28~14:02-江戸道・明治道合流点15:00~11-長柄一里塚跡15:26-長柄町
 海岸の公園(WC)15:44~16:00-民宿嬉志野16:15

(天気 快晴後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 引本浦、尾鷲、賀田、歩行地
 海山町(現・紀北町)、尾鷲市)



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市内ウオーキングの途中、残暑の路傍に咲く花

2020-08-24 21:31:30 | 所沢だより
 2020年8月24日(月)

 古い熊野古道レポートを始めたばかりですが、今日の市内ウオーキングは先週までに比
べて暑さが幾分治まり、カメラを出して撮ろうとする気にもなったので、買い物と兼ねて
2時間余り回った市内で目にした残暑の路傍や畑に咲く花です。

 最初は、県道4号バイパスの梨子の木戸(なしのきど)交差点近くの民家のノウゼンカ
ズラとニチニチソウ
    

    

 交差点南側に残る畑に咲くコスモスとヒマワリ


    

         









 畑の隅にはニラも咲き出していました。


    

 県道4号バイパスを大六天方面へ、近くの民家のヒャクニチソウのような花は?
     

 咲き残るバラ


 これは何だろう


      フヨウ
     

 ヒルガオは自然に花を開いたよう


 夏の花のひとつ、鮮やかなサルスベリ


    

      路傍のヘクソカズラもよく見ると可愛らしい花を
     

         

 大六天北交差点から緑町3丁目交差点への道沿い、民家の前に




     近くの畑に咲き残るオクラ
    

 豊富な花を見せるサルスベリ


     

          見慣れぬ花も
         

            新所沢駅西口から線路沿いを東へ、こどもと福祉の未来館構内に咲くリョウブ
                  
 
     近くの畑に咲き残るのはダリアか
    

 けやき台2丁目の民家の玄関先のルリマツリ
 

 赤い実はなんだろう


 淡い彩りのフヨウ


    

 こちらのノウゼンカズラもまだ咲き残っています。






 別の民家のフヨウ


     

    

      垣根越しに見えたハイビスカス
     

 この辺りまで来ると30℃前後に気温も上がったようで、やはり暑さを感じました。
     
 



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熊野古道 伊勢路と本宮道を歩く①(三重)(2003年)

2020-08-22 22:47:52 | 熊野古道を歩く
 2020年8月22日(土)

 相変わらずの残暑と新型コロナウイルスの感染拡大が治まらず、特に最近は猛暑日が続
いているので市内ウオーキングも最小限に留めていて、新しい投稿も出来ません。

 所沢市は今日も猛暑日で、梅雨明け後今日まででの猛暑日は13日になりました。

 そこで今日からは、古いフィルムと記録の中からみつけた17年前の秋の熊野古道伊勢
路と本宮道(ほんぐうみち)を歩いたときのレポートです。

 この歩きを企画されたNさんは、その前年から参加していた中山道ウオークの主力メン
バーのひとり、三重県尾鷲市のご出身なのでこの地の事情に詳しく、古い伊勢路の面影の
残るところを選んでコース設定をされました。

 熊野古道は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として翌2004年7月に世界遺産に登録さ
れましたが、その前年であり、以来17年も経過しているので現在はコースの様子が違う
ところがあるかもしれません。

========================================

 第1日 2003年10月15日(水)
 ツヅラト峠コース  =峠から熊野灘の絶景=

 前日の冷たい雨も上がり、スタートにふさわしい穏やかな晴天となった。集合はJR・
近鉄線の松坂駅南口へ10時45分。今年4月の中山道を歩いたメンバーを中心に、19
人が集まった。

 11時05分発三重交通の南紀特急バスに乗り、JR紀勢本線とほぼ並行の国道42号
線を南西に進み、大内山村の梅が谷バス停で下りた。

 完歩を目指して全員で「エイ・エイ・オー」の檄を飛ばし、12時30分に出発する。

 すぐ先の三差路を西に、県道758号線に入り、大内山川沿いにコスモスの咲く小川口
から中野集落へと進む。刈り入れ後の田んぼに吹く爽やかな秋風が気持ち良い。

 中野橋の先の小公園で昼食。最近整備されたらしい近畿自然歩道の案内板や休憩舎、ト
イレがある。


 小公園から500mほどで栃古川(とちこがわ)との合流点。大内山川を北西に分け、
栃古川沿いに進むとすぐ消防センターがある。東側の田んぼと川の間に、イノシシ除けの
トタン板が並んでいた。

 のどかな田んぼが終わると渓谷が迫り、ツヅラト峠への登山路に入る。清流のせせらぎ
を聞きながら杉木立の下を少しずつ上がる。
     

 上り坂を20分ほどでツヅラト峠(357m)に着いた。

 休憩舎があり、南方にこれから下る長島の家並みや緑の山並み、その向こうに広がる熊
野灘の眺望。西側の稜線を少し上がった展望台からはさらに見晴らしが良い。


 最初の峠での思いがけぬ展望に皆、感激した。

 
 ツヅラトとは九十九(つづら)折りのこと。峠は、かつて伊勢と紀伊の国境。伊勢から
熊野に向かう旅人は、この峠に立って初めて熊野の海を目にしたという。その感激は今日
の我々以上だったろうと思う。


 峠での記念撮影


      
 下りはかなりの急降下、皆、用意した杖を出して慎重に下る。私も杖を使うのは初めて
だが、確かにバランスを取るのに有効である。杉や桧の木立の下、名のとおり連続するカ
ーブをどんどん下る。

 傾斜が緩くなり休耕田や田んぼが現れた。志子川を左岸から右岸に渡って志子の集落に
入るが、すぐに左岸に戻る。行く手が開けて花広場に出た。水辺にホテイアオイが咲き、
その下に一面コスモスの花畑が広がっていた。

 もう一度、志子集落へ左岸から右岸へ行き戻り、志子川と赤羽川の合流点に出て、すぐ
先で別の支流沿いに入る。山砂を採掘したのか、地形図上は山となっているところが平に
えぐり取られていた。

 田山集落近くのカーブ点で標識に従い簡易舗装の山道に入り、チョットした峠を越えて
山本集落へ。「フウラン群生地」の表示や、二郷神社、地蔵院前を通過し、今日のゴール、
JR紀勢本線の紀伊長島駅に着いた。


〈コースタイム〉梅ヶ谷バス停12:25~30-小公園(昼食・WC)12:50~13:14-ツヅラト
 峠登り口13:35-ツヅラト峠13:55~14:08-花広場15:00~05-赤羽川を離れる三差路15:24
 -紀伊長島駅15:54

(天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 間弓、長島、歩行地 三重県大内山村
(現・大紀町)、紀伊長島町(現・紀北町))



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塩の道 千国街道を歩く(柏矢町から安曇沓掛)(2003年) (長野)

2020-08-16 22:05:39 | 塩の道を歩く
 2020年8月16日(日)

 前回の投稿後に塩の道千国街道のレポートを確認したところ、全行程中で柏矢町~安曇
沓掛間の記録がないのに気づきました。そこで古い資料入りの段ボールを探してみたら見
つかったので、報告することにします。

 ただ、17年前の2003(平成15)年の記録で、デジカメではなくフイルムカメラ
で撮った写真なので、プリントををスキャナーでスキャンしました。彩りもピントもいま
ひとつですがそのまま報告しますので、ご覧いただければ幸いです。

========================================

 2003年10月1日(水)

 松本市内のビジネスホテルを出て、松本駅からJR大糸線下り電車に乗る。8時39分
に柏矢町(はくやちょう)駅で下りた。

 拡幅中の駅前通りを東へ、とうとうと流れる矢原堰(やばらぜき)を越えて、南北に走
る塩の道に入る。柏矢町の商店街は、車がスピードを出して通過するので注意して進む。

 ほどなく商店街は終わり、稲穂の向こうに常念岳が姿を見せた。


 三枚橋交差点の手前に三枚橋公園があった。もとは穂高小の跡で、大石に埋め込まれた
穂高小校歌の校歌碑↓や、国会開設運動などをした幕末から明治初期の自由民権家・松沢
求策之碑が立っていた。


 穂高神田町簡易郵便局前には、彩色した道祖神と大黒さんが並んでいる。穂高町は道祖
神の宝庫。数年前に町内をあちこち歩いたが、立派な道祖神が多かった。


 穂高町の町並みに入り、役場前の参道を進んで穂高神社に詣でる。安曇野を代表する神
社で延喜式内社(えんぎしきないしゃ)。


 太い杉木立に囲まれた境内には、海の神を祭る本殿を中心に、若宮社、地元に伝承する
ものぐさ太郎や日光泉小太郎のブロンズ、塩の道道祖神などがある。


         

 水のきれいな穂高はわさびの産地。通りにはわさび漬けの店がいくつか見られた。


 蔵造りの家の前に、大きな庚申塔や二十三夜塔などが並んでいる。
          

 民家の庭先に立派な松がある次の交差点を左折して、等々力町で大糸線の西に出る。


 穂高ギャラリーや握手像の道祖神↑前を通過して、貝梅(かいばい)集落を抜け烏川右
岸に出た。烏川と穂高川にかかる穂高橋付近は、いったん国道147号線に出て、再び大
糸線の西に回る。

 湾曲して流れる穂高川のそばに、かじかの里公園があった。カジカの養殖場があり、幾
つもの生け簀(いけす)に大小様々なカジカがたくさん泳いでいる。


 園内を回遊する流れに吊り橋が架かり、有明山などの展望の良い自然公園である。


 その先しばらくは広々とした田園地帯。まだ幾らか残る黄金田や、咲き残るコスモスの
向こうに有明山周辺の山並みが連なる。


 緩いカーブの道路に散在する青木新田の家並みには、街道らしい風情が残されていた。

 追分集落に入り、とっつきにある青嶋神社で休憩。立派なアカマツに囲まれた境内、社
殿の南側に大黒天などの石仏が並んでいた。


 無人の信濃追分駅↓の先で国道の東に出る。


 穂高川の手前に、ナカニシアートミュージアムというのがあった。池田満寿夫、横尾忠
則、草間彌生、長岡京城などの作品を展示しているらしい。


 穂高川にかかる高橋橋からは、北に爺ヶ岳、鹿島槍、五竜岳などの展望が望まれ、東側
山腹には、北アルプスの展望が良さそうな池田町立美術館の大きな建物が見える。

 石の道標に従い、十日市場集落で再び道を北にとり、刈り入れ後の田園地帯を進む。ト
ンビが数羽、ピーヒョロロと鳴きながら飛ぶ。

 昼食地にと目論んでいた内鎌(ないがま)神社の森が右前方に見えたので、あづみのの
柱という新興住宅地の横を東に入り、コサギの飛ぶ流れに沿って進んだら、會染八幡宮だ
った。内鎌神社はすぐ北側らしい。


 アカマツに囲まれた境内。解放された舞台があったので上がって昼食をさせてもらう。
正面に大きな杉玉が下がっていた。

 食事を終え、杉木立に囲まれた内鎌神社へ回る。境内に、文政11(1828)年銘の
道祖神や、斎藤瀏・史(ふみ)父娘の歌碑があった。
         

 神社の裏手からは、黄金の稲穂の向こうに爺ヶ岳、鹿島槍、西側に有明山などの展望が
広がる。


 塩の道に戻る西への道筋には、歌人で書家として知られたアララギ派の長老、岡麓終焉
の家(おかふもとしゅうえんのいえ)が残っており、庭先には歌碑もあった。


 内鎌集落を北に向かう。10月に入ったとはいえ、午後の日差しが強まり汗ばんできた。
でも空気は乾燥しているので、林中集落で木陰に入ると涼しい。


 休耕田の大豆もだいぶ色づいてきている。


 ほどなく宇佐八幡宮。「万延元(1860)年8月」と記された吹き抜けの舞台がある。
社殿前の狛犬は、丸っこい顔でユーモラスな姿だ。
         

 二十三夜塔や道祖神、養蚕大神、御岳大神といった古い石仏群が境内西側に並んでいた。


 神社の北側付近から道筋にはナナカマドの並木が続き、赤く色づいた実がたくさん付い
ている。


 池田町の中心に近づいたところに十王堂という小さなお堂があり、二十三夜塔と道祖神
が並んでいた。


 右と左に二つの枡形を曲がって、池田町の中心街に入る。「金の鈴会館」と呼ぶ池田町
観光協会近くに牛つなぎ石があるはずだが、見つからなかった。

 通りの西側にある浄念寺に寄る。上が鐘楼になっている山門は竜宮城のようなユニーク
な形。本堂の屋根にはしゃちほこが上がり、庭には大きな石灯ろうがあった。
     

 残暑が厳しくのどが渇いた。Aコープ池田店でアイスを買ってゆっくり休憩する。如意
輪観音や二十三夜塔などの石仏の並ぶ辺りで町並みは終わった。

 塩の道は再び田園地帯に入った。南正科バス停を過ぎた辺りで、爺ヶ岳や鹿島槍ヶ岳の
山容が一層迫って見える。正科の郵便局先で県道に分かれて北東に道をとる。

 すぐ先の段丘上にある竈神社に回る。大ケヤキがあるというが見つからず、太い杉木立
だけが目についた。急がぬと安曇沓掛(あずみくつかけ)駅から予定の列車に間に合いそ
うにないと分かり、焦ってきたせいだろうか。

 秋ソバが花盛りの原集落から宮本集落までは緩い上り道が続く。残り時間を気にしなが
ら息を弾ませて進み、昨年7月の塩の道歩きのスタート地、仁科(にしな)神明宮の鳥居
の前に着いた。

 もう神社に参拝する時間は無い。鳥居に向かって頭を垂れ、宮本集落を西に下る。

 高瀬川の宮本橋へ向かう道筋、西側の山腹や川向こうの田んぼのあぜに、幻想的な野焼
きの白煙が上がる。秋の安曇野の象徴ともいえるのどかな光景である。



 ゆっくりと眺める暇もなく宮本橋を渡り、大きな工場の北を回って16時05分に安曇
沓掛駅に着いた。


 5分後に来た松本行き上り電車は混んでいたが、間に合ったのでほっとする。

(天気 晴、距離 19㎞、地図(1/2.5万) 豊科、明科、信濃池田、大町南部、
 歩行地 穂高町、池田町、大町市)



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塩の道千国街道、白馬村から小谷村 16年前の夏の風景

2020-08-13 22:27:44 | 塩の道を歩く
 2020年8月13日(木)
 
 昨日と今日は午後、埼玉県内各地でかなりの雷雨となりました。所沢市でも午後から夕
方にかけてよいお湿りが続き、梅雨明け後毎日夕方続けていた日よけにしている庭のゴー
ヤーへの水やりもせずに済みました。

 でも、昨日も今日も午前中から35℃前後の猛暑になり、関東1都6県には熱中症警戒
アラートも発令されたこともあり、買い物を兼ねたウオーキングも4㎞前後しか歩かず、
さらに38.3℃になった一昨日は外出もせずに過ごしました。

 そのような最近なので、今日も古い写真の中から16年も前の2004年7月に歩いた
塩の道・千国(ちくに)街道の信州、白馬村(はくばむら)から小谷村(おたりむら)の
写真です。

========================================

 2004年7月19日午後

 JR大糸線白馬駅前から、塩の道千国街道を北に向かうことにしました。


 白馬村の産土神(うぶすながみ)である平川神社。


 その境内か近くにあった大きな庚申塔


 新田集落の水車と水神塔


 観音原と呼ばれるところに並ぶ観音塔、西国、板東、秩父の各観音霊場の観音像です。


 北隣の小谷村に入り、栂池(つがいけ)集落近くの庚申塔。



 周辺の風景


 翌日、7月20日は小谷村栂池の民宿を出て、松本から糸魚川にいたる塩の道千国街道
の中で、最も古くからの塩の道の面影の残る小谷村内を北に向かいます。


 沓掛集落集落に残る牛方宿(うしかたやど)


 親坂と呼ぶ坂道を下ったところに並ぶ庚申塔群





 千国(ちくに)集落に残る千国番所資料館と庭に並ぶ当時の牛方と牛の像。


      千国集落の外れにあった神社
     

      千国街道沿いの路傍に立つお地蔵さん。
     


 集落を出て眺める穏やかな風景。      

     
     
      役場や小谷郷土館などのある次の雨中集落の民家や周辺に咲く花
         

      虫尾阿弥陀堂と周辺の眺め
     

     

 池原集落近くの棚田


 幸田文(こうだあや)文学碑(中央)周辺

 幸田文は、明治44(1911)年8月に起きた当地、稗田山の「抜け」と呼ぶ日本三
大崩のひとつで死者23名、家屋田畑など70余町を流出した大惨事に関心を持ち、昭和
52(1977)年に訪ねてそれを「婦人の友」に「崩れ」と題して発表しており、その
文学碑。

 ただ、その文学碑も平成7(1995)年の豪雨災害で土砂により流出し、この文学碑
は翌平成8年6月に再建したもののよう。


 文学碑近くからの北方の眺め
     

 来馬(くるま)集落の常法寺本堂

 本堂には、鎌倉時代後半の制作という県宝の銅造阿弥陀如来と両脇侍立像の阿弥陀三尊
像が安置されていました。

 この日のゴールはJR大糸線北小谷(きたおたり)駅、15時46分頃の到着でした。



 16年前の記録なので、現在は変わったり無くなったものもあるかもしれません。

 なお、塩の道千国街道(長野県松本市~新潟県糸魚川市)の全行程の記録は、当ブログ
のカテゴリー「塩の道を歩く」からご覧になれます(順不同)。
 



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北海道宗谷地方、礼文島と稚内の3年前の風景

2020-08-09 20:29:41 | 国内旅行
 2020年8月9日(日)

 今日は、長崎に原子爆弾が投下されてから75年の日。全国では新型コロナウィルスの
感染拡大が止まらず、お盆に郷里への里帰りもままならぬ年となりました。コロナがなけ
れば、今日はもう東京オリンピック閉幕式だったとカレンダーで知りました。

 各地の猛暑も続く一方、一昨日8月7日(金)には北海道内では台風4号崩れの低気圧
の影響があり、特に道北の宗谷地方では激しい雨が降りました。稚内市や利尻島・礼文島
では8月1か月の平均雨量に匹敵する大雨になり、礼文町では住宅地への浸水被害なども
出たことが報道されました。

 私は、3年前の2017年7月30日~8月2日に利尻島・礼文島と稚内周辺へ4日間
のツアーに出かけたのを思い出しました。



 そこで、当時当ブログ8月16日~9月3の間に報告した写真以外のいくつかをご覧い
ただくことにしましたが、その年の11月に当時のパソコンが壊れてしまい、バックアッ
プしてなかったので写真は消え失せました。

 でも、デジカメに残っていた礼文島後半と稚内の写真だけが保存されているので、それ
らの中から紹介することにします。

 2017年7月31日(月)午後、礼文島の最北端、スコトン岬周辺の風景。



 よく晴れた日にはサハリンも望まれるという地で、翌日訪ねる北海道の最北端の宗谷岬
よりは4.25㎞南ですが、島としては日本最北端の場所になります。




    

 スコトン岬を後にして、この日の宿泊地、島の南西部で島への出入り口でもある香深港
(かふかこう)そばのホテルに入り、香深港の向こうに見える利尻島のシンボルで日本百
名山の利尻山(1,721m)を眺めました。山頂付近は雲に隠されています。


 8月1日(火)午前中は、礼文島人気のお花畑である桃岩展望台に行きました。桃岩展
望台は島の南東部にあり、標高差100m前後の一帯に本州では高山帯に咲くような夏の
花がたくさん、咲き競っていました。


         



         

              

    

 展望台への途中から見下ろす香深港周辺。この日は曇天で、花を見るには良い条件のよ
うですが、ガスがかかって遠望は利きません。


    

         



                            ↓猫岩

 この後、桃岩展望台をピークに香深港とは反対側の西岸に回り、途中バス車中から猫岩
を望みら元地海岸に回り、地蔵岩と呼ぶ鋭い岩などを眺めました。
     
             ↑地蔵岩

 香深港に戻って昼食をして、正午過ぎの稚内行きフェリーに乗り、礼文島を後にしまし
た。フェリーからの香深港。左がフェリーターミナル、右のビルが宿泊したホテル。


 2017年8月2日(水)午前は、稚内市が囲む宗谷湾の東の岬、宗谷岬と西の岬、ノ
シャップ岬の観光へ。まずは宗谷岬へ向かい、標高200m前後の宗谷丘陵へ上がります。

 丘陵一帯は国内最大級という肉牛の牧場があり、肉牛の群れを何か所かで眺めました。

 宗谷岬に近づき、岬の上にある風車のあるゲストハウス・アルメリア横を通過します。
     

 下がったところが宗谷岬、北緯45度31分22秒で日本最北端の地の碑と世界地図上
にその名を残す間宮林蔵(まみやりんぞう)の立像がありました。


     

          

 そばの花壇に咲き出したのは、ヨーロッパやアメリカに分布し千島にも野生するという
アルメリアという花のよう。


          海岸の岩の間にはエゾオグルマが咲いていました。
         

 岬から見上げる宗谷岬灯台です。


 吉田正作詞・船村徹作曲の宗谷岬音楽碑。ダ・カーポやボニージャックスの歌として知
られた曲。


      こんなお土産店も。時計の下の温度計は19.1℃。
     

 このあと、宗谷湾沿いに稚内市街地に戻ってさらに北進し、ノシャップ岬へ。紅白の煙
突のようなのは稚内灯台。高さ42.7mで道内1位、全国でも2位という高さのよう。
     

     

 岬の一帯は恵山泊漁港公園になっていて、公園の先端近くにあるイルカのモニュメント。


 向こうに見えるのが恵山港漁港と背後の自衛隊レーダー基地。



 このあと稚内駅周辺を経て稚内漁港横を通過して稚内空港に行き、帰路につきました。





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春から夏へ、わが家の庭の収穫物

2020-08-05 22:38:15 | Weblog
 2020年8月5日(水)

 梅雨が明けて連日30℃を超える暑さとなり、重ねて新型コロナウイルスの感染再拡大
が日に日に増える状況にあり、わが所沢市でも病院で最近20人を超えるクラスターが発
生し、わが家から遠いところとはいえ、市内ウオーキングも最小限にしたくなる昨今です。

 特に暑さが厳しくなってきたので、行ってみようかと思った近隣の市へのヒマワリ畑の
観覧も諦めてしまいました。

 そのような状況で外での話題もなくなってきたので、今日はわが家の庭のこの春からの
収穫物を紹介することにします。

 最初の収穫は、5月14日(木)のサンショウです。わが家の庭には鳥が運んできてき
て発芽したのかサンショウが数本あるのですが、実のなる雌木は2本だけです。
    
 その2本とも今年は豊作でした。 

 夕方に1本の木を採り始めたら暗くなり、翌日の5月15日(金)に取り残しともう1
本の分も取ったらまたかなりの収穫でした。
        

 これを連れ合いが佃煮にしたものを瓶に入れたら、これだけに。

 以後毎日食卓に1瓶ずつあがり、食べ続けています。

 長い梅雨の続いた7月の半ばからは、家の裏手のミョウガと居間の日よけに植えたゴー
ヤーの収穫が出来るようになりました。


 7月16日(木)に収穫したミョウガとゴーヤー。昨年はミョウガを取るタイミングを
逸して少し遅くなってから収穫したので、今年は7月初めから時々裏に回って成長を見回
り、ようやくこの日の初収穫となり、以後数日おきに収穫することができました。

 7月19日(日)


     7月27日(月)
    

         7月31日(金)
        

 8月3日(月)、数少なくなり、今年のミョウガはほぼ終わりのよう。
    

     ミョウガの酢漬け、さっぱりして夏の食卓にはよいものです。
     

 一方、居間の前の日よけに9本植えたゴーヤーは、7月16日(木)以後も数日おきに
わずかながら収穫が続いています。

 7月21日(火)


     7月24日(金)
    
 
         7月26日(日)
        

     7月30日(木)
    

 7月31日(金)


     8月3日(月)
    

 ゴーヤーは、まだしばらくは少しずつですが収穫できそうです。

 市販の商品のような太さも大きさもありませんが、日よけの副産物としてはまずまずで、
ゴーヤーチャンプルーなどにしていただいているところです。
 
 8月3日(月)の居間前のゴーヤーの様子、年によっては梅雨が明けても伸び方が悪く
てカーテンにならないこともあるのですが、今年は遅い梅雨明け前からカーテンの役目を
果たしてくれています。
     
 縦長に見えますが、ゴーヤーの幅は8畳横長の間いっぱいを覆っています。ゴーヤーの
手前左下が、たくさん最初に収穫したサンショウの木です。


 〈8月6日追記〉
 今日夕方に採ったもの、今年一番のゴーヤーの収穫でした。

 



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