あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

クロアチアとスロベニアの旅② ザグレブとブレッド湖観光後リュブリャーナへ(後半)

2018-12-30 16:09:55 | クロアチア・スロベニア旅行
 第2日 2018年10月14日(日) 
 == クロアチアの首都ザグレブ市内観光とスロベニアのブレッド湖観光後、
                       首都リュブリャーナへ(後半) ==
 
 バスはクロアチアの首都ザグレブから西北西に約53㎞移動し、途中国境を越えて隣国
スロベニア(Slovenia)に入り、首都リュブリャーナ(Ljubljana)に向かって高速道路を
移動する。


 車中、添乗員のSさんから両国についての話があり、国全体の森林率は日本68%だが
スロベニアは62%でクロアチアは34%、農地はスロベニア24%、クロアチアも24
%、主要農産物は麦、トウモロコシ、砂糖大根、ジャガイモなどのほか、スロベニアでは
ホップ、クロアチアではオリーブなど。石灰岩の土地が多いので土地はやせていて、畜産
が盛んとのこと。

 国境までは40分余り、クロアチア側ゲートではドライバーのチェックのみだったが、
スロベニア側ゲートでは全員下車してパスポートチェックを受け、11時55分頃通過し
た。

 スロベニアに入って間もなく、高速道路の途中にあったサービスエリアに12時22分
に着き、12時40分までトイレ休憩となる。


 ちなみに、スロベニア共和国はクロアチアの北西側にあり、西にイタリア、北にオース
トリア、東北にハンガリーと接していて、1991年に旧ユーゴスラビアから独立し、
2004年にEUに加盟している。

 面積は四国とほぼ同じの約2万273㎢、人口は約206万人、首都はリュブリャーナ、
言語はスロベニア語で、宗教はローマ・カトリック教が95%、通貨は€(ユーロ)で1€
は約135円である。



      
 さらに進んでリュブリャーナ市内に入り、13時30分に昼食地の「Via Bona」と呼ぶ
レストランンに着き、14時30分までスープとターキーのグリルの食事タイムとなる。


 14時35分に出発して北西に約53㎞進み、スロベニアの北西端に近いブレッド(Bled)
湖畔東部の駐車場に15時35分に到着した。


 ブレッド湖は、東西約2.1㎞、南北約1.4㎞、最深は30mで、周囲を一周できる6
㎞の遊歩道もあり、湖にはサケ、マス、ナマズ、ウグイなど19種類の魚が生息するとか。

 アルプス山系の東端、2,000m級の山々が連なるユリアン・アルプスを背にしたス
ロベニアを代表する景勝地で、国立公園に指定されているという。

 山々を映す澄み切った湖は「アルプスの瞳」と讃えられ、中世にはハプスブルク家の保
養地として整備が始まり、近年では旧ユーゴスラビアのチトー大統領もこの地をこよなく
愛したという。

 現地ガイドのマンタさんの案内で湖の南面を西に向かう。
  


 湖畔からは紅葉に彩られた木々や湖畔の建物、北東約100mの高さの断崖上に立つ
11世紀建造のブレッド城や聖マルティヌス教会、背後のユリアン・アルプスの山並み、
さらにこれから行くブレッド島に立つ聖母マリア教会などが望まれる。
     







 色づき始めた広葉樹の下を進んで行くと、ユーゴスラビア時代にチトー大統領の別荘だ
ったホテルがある。



 近くのボート乗り場からの眺め。









 そのボート乗り場から15時50分頃、「プレトナ」と呼ぶ手こぎボートに乗る。この
ボートは普通のボートとは逆に、前方に向かってオールを押して漕ぐ。
     

 ボートはすぐ先に見える「ブレッド島に向かい、15分ほどで島の波止場に着いた。

 聖母マリア教会に向かっては99段の急階段が伸びている。階段を上がって教会内を拝
観することにした。
     
 聖母マリア教会ができたのは8~9世紀のようだが、現在のバロック様式の教会に改築
されたのは17世紀とか。この教会はスロベニア人の憧れの結婚式の場所のようだが、花
婿は教会まで続く階段を花嫁を抱きかけながら上らなければならないのだという。


 白亜の教会に入り、黄金の祭壇の聖母マリア像や周辺の豪華な絵画などを拝観した。
     





     



       

    


 教会を出て周辺の風景や近づく手こぎボートなども眺める。




 元チトー大統領の別荘だったホテル。


     
 16時45分に再び手こぎボートに乗り、南岸の乗り場に戻った。




 もとの道をバス駐車場に向かい、駐車場周辺に戻り17時20分頃から30分ほどのフ
リータイムとなり、周辺の土産物店や湖岸などを一巡する。

 ある土産物店店頭で歓迎してくれたクマちゃん。
     

 噴水


 ブレッド湖の模型






 湖畔のホテル



 太陽が西に傾き、ユリアン・アルプスの山並みは夕日であかね色に染まる。


 湖岸に建つブレッド村役場↑前には、2013年6月に秋篠宮殿下ご夫妻が植樹された
桜の若木が育っていた。
     

 17時50分に集合してバスは18時にブレッド湖を後にする。

 バスは往路を約53㎞戻って首都リュブリャーナに入り、宿泊するラディソン ブルー
プラザホテルに19時07分に着いた。


 19時45分から20時30分頃まで、ホテルのレストランで夕食をする。
                         (天気 晴、歩数 12,300)





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クロアチアとスロベニアの旅② ザグレブとブレッド湖観光後リュブリャーナへ(前半)

2018-12-29 14:00:03 | クロアチア・スロベニア旅行
 第2日 2018年10月14日(日) 
 == クロアチアの首都ザグレブ市内観光とスロベニアのブレッド湖観光後、
                       首都リュブリャーナへ(前半) ==

 クロアチアの首都ザグレブのホテル アイにて6時に起床し、7時からレストランで朝
食をする。

 ホテル9時出発予定のバスは、皆さんが早めに集合したの8時50分に出発した。


 今日は、ザグレブ市内を観光後、西北西に約140㎞移動してスロベニアの首都リュブ
リャーナ市内で昼食を済ませ、北西約53㎞のブレッド湖の観光後、リュブリャーナに戻
って市内のホテルに宿泊の予定である。
 

 観光するバスのドライバーはイリカさん、ガイドはマルティナさんとのこと。

 ちなみに、クロアチア共和国はアドリア海を挟んでイタリア半島の付け根付近と相対す
る位置にある。1992年に旧ユーゴスラビアから独立し、2013年にEUに加盟して
いる。現地時間は、この後訪ねるスロベニアともに夏時間で、日本より7時間遅れである。

 面積は九州の約1.5倍の5万6590㎢余り、人口は約428万人、首都はザグレブ
で、言語はクロアチア語、宗教はローマ・カトリックが88%、ほかにセルビア正教など、
通貨の単位はクーナ(Kn)で1クーナは約20円という。

 首都ザグレブは、北東側の丘の上に建てられたカプトル(KAPTOL)と北西側のグラデ
ツ(現ゴルニィ・グラード(GoRNJI GRAD))という中世都市が起源で、カプトルは
1094年にハンガリー王ラディスラブ1世が建設した宗教都市、一方のグラデツは
1242年にハンガリー王ベーラ4世により自由都市として認められた商工都市で、19
世紀になり合併してザグレブとなり、その後南側にも市域が広がり、現在はヨーロッパで
最も成長著しい都市のひとつのよう。


 9時過ぎにはザグレブの中心街に入り、9時6分にズレニェヴァツ公園前でバスを下り
た。北に進んでイェラチッチ(Jelačića)広場(共和国広場)へ。

 広場の中央には、オーストリア帝国時代の軍人の政治家で、現在のクロアチアの国民的
英雄であるイェラチッチの騎馬像が立ち、像の周辺にはマラソン用のアーチが並ぶ。
     

 今日はザグレブマラソンが開催されるという。


 少し歩いて広場の西にある「ウスピニチャ(Uspinjača)」と呼ぶ世界一短いケーブル
カーに乗る。
     
 1890年に開通したもので長さはわずか66m、標高差30.5m、あっという間の
約30秒で上に着いた。

 そばにロトゥルシュチャク(Lotrščak)塔がある。かつてグラデツ地区を囲んでいた、
13世紀建造で唯一残る城壁の一部の見張り塔。毎日正午には巨大な大砲による空砲の轟
音が市街に響き渡るという。
     


 塔の付近からはザグレブ市外の大展望が広がり、南側に旧市街から新市街まで望まれる。




 周辺には土産物などの露店もある。


 北に進むと、ザグレブで一番美しいバロック様式の教会とも言われる聖カタリーナ教会
があり、純白な外観が印象的だ。
     

 ロトゥルシュチャク塔の北側にはナイーブアート美術館がある。クロアチアでは農家の
人々が農閑期に自分たちの日常生活や身の回りの風景を描いたのが始まりで、絵はガラス
板に描かれ、絵の具をガラスの裏側からのせて描き、表から観賞するのだという。

 

 その先が聖マルコ(Marka)広場で、北側の聖マルコ教会はゴルニィ・グラード地区の
象徴的な建物である。

 屋根にはモザイクの紋章が施されていて、左はクロアチア王国、ダルマチア地方、スラ
ヴォニア地方の紋章、右はザグレブ市の紋章で、1880年の改築工事により新たに加え
られたという。



 広場の左手は首相官邸↑、右手は国会議事堂↓で、二つの建物にはクロアチア国旗とEU
の旗が掲げられている。


 聖マルコ広場から東に少し下って石の門へ。ゴルニィ・グラードは中世にはグラデツと
いう王国自由都市で、敵の侵入を防ぐために城壁に囲まれていたが、この門は当時の数少
ない出入り口だったところ。
     
 当初は木造だったが18世紀に石で固めた現在の姿になったとか。

 門の外側に、クロアチア初の歴史小説「宝石商の娘」の主人公というドラ・クルピチェ
ヴァのブロンズ像が立っている。
     

 門の中の礼拝堂にはザグレブの守護神という聖母マリア像が納められていて、毎日たく
さんの市民が祈りを捧げに訪れているようだ。
         


 南東に下る途中の花壇に聖ユライの騎馬像があり、馬の下は龍のよう。聖ユライはキリ
スト教の聖人のひとりで、毒を吐く龍を退治したという伝説のシーンを再現したとか。



 坂を下ると花をたくさん並べた花市場があり、中心にはギターを弾く銅像が。
     
 ペトリツァ・ケレンブッフの像で、クロアチアの作家・ミロスラブ・クルレジャの詩集
「ペトリツァ・ケレンブッフのバラード」に登場する主人公という。


 その下には野菜や果物、肉や魚、加工食品や雑貨などを販売する露店がたくさん並んで
いた。


 賑わう広場から東へ、聖母被昇天大聖堂前に出る。13世紀から18世紀にかけて建造
されたザグレブのシンボルともいえる大聖堂。
     
 2つの尖塔は高さ100m以上あり、現在の外観は1880年の地震後に修復されたよ
う。
     

     
 大聖堂前の前の広場に立つ塔には、黄金の聖マリア像が載っていた。
         

 南西に下って10時にイェラチッチ広場に戻り、20分間のでフリータイムとなる。
ちょうどザグレブマラソンのランナーがスタートしたところで、コース沿いにはたくさん
の人が見送っている。


 広場の隅にザグレブ市街の市外の立体地図があった。


     
 周辺の土産物店の店頭などをのぞきながら広場周辺を一巡する。






 広場の中央にあるイェラチッチ総督像も間近に眺めた。
     
 イェラチッチ総督は19世紀半ばに将軍として軍隊を率いてハンガリーと戦い、独立を
勝ち取った国民的英雄である。




 集合場所のズレニェヴァツ公園に戻り、水道が通った1872年直後に完成したという
ザグレブ最初の噴水や、1884年にアドルフ・ホルツウェル医師からザグレブに送られ
た大理石製の百葉箱など眺めてバスを待つ。
    

       

               

 バスは間もなく到着し10時36分に出発した。 〈続く〉





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クロアチアとスロベニアの旅① 羽田空港からワルシャワ経由ザグレブへ

2018-12-28 15:49:24 | クロアチア・スロベニア旅行
 
 出かけてから2か月以上経過してしまいましたが、10月中旬に訪れたクロアチアとス
ロベニアの旅の模様を順次報告します。

 なお、往路の機内で日本時間から現地時間にデジタルカメラの設定を変えた際に、誤っ
て画像にも日時を表示する設定にしたので、多くの画像に時刻が出ていて目障りですが、
ご了承下さい。

========================================

 秋の行楽シーズンとなった10月13日(土)~20日(土)、『[ドブロヴニク線就
航記念企画]ポーランド航空利用 クロアチア・スロベニア ゴールデンルート8日間』と
いう阪急交通社トラピックス企画のツアーに参加した。

 第1日 2018年10月13日(土)
 == 成田国際空港からワルシャワ経由ザグレブへ ==

 自宅からだと最寄り駅の初電でも、隣の所沢駅からの成田空港行きシャトルバスで8時
15分の集合時刻に間に合わないので、成田空港近くの東横イン成田空港新館に前泊し、
ホテルから6時50分発成田空港行き送迎バスに乗る。

 成田空港第1ターミナルで下車して4階出発ロビー南ウィングに上がり、Iカウンター
のポーランド航空受付カウンターで個人チェックイン手続きを済ませ、Kカウンターの阪
急交通社受付カウンターへ。今回の添乗員はSNさん、参加者は定員いっぱいの29名と
いう。


 10時15分発ワルシャワ行きのポーランド航空L080便は、到着便の遅れでちょうど
1時間遅れて11時15分に成田空港を離陸した。


 機種はB878-9 Dreamliner(24/21/259人乗り)で飛行時間は11時間10分の予定。機内
はほぼ満席である。

 航空機は新潟市上空から北海道・奥尻島西方を経てシベリア大陸に入り西進、ハバロフ
スク、スタノヴォイ山脈、トゥルハンスク、モスクワ北方、ベラルーシなどの上空などを
通過する。


   

       
 その間、日本時間12時45分頃に昼食↑、19時10分頃に夕食↓の機内食が出た。
    

       

  



 中継地、ポーランドのワルシャワ空港には予定より3分遅れの14時28分に着いた。
ポーランドは現在夏時間で日本より7時間遅れ、日本時間では21時28分である。

 乗り継ぎのクロアチア・ザグレブ空港行きポーランド航空L0613便乗り場の12N搭乗
口付近に移動する。



    
 16時50分発ザグレブ便は50分余り遅れて日没前後の17時44分にワルシャワ空
港を離陸した。




    
 機首は中距離用のEmbraer195型機(112人乗り)である。


 窓からは夕暮れのワルシャワの町並みや近郊の農村地帯などが見下ろせる。








 次第に暗くなり、飛行機は南南西に進んでクロアチア(Kroatia)の首都ザグレブのザグ
レブ(Zagreb)空港には30分遅れの19時ちょうどに着いた。クロアチアも日本時間よ
り7時間遅れである。



 預けたスーツケースを受け取り迎えのバスに乗り込み、20分ほどで初日の宿泊先、ホ
テル アイに20時10分に入る。


 日本時間では深夜14日3時20分、さすがに眠気が強いのでシャワーもせずにベッド
に入った。                          (歩数 8,500)






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天皇陛下が皇太子当時の婚約発表と結婚式当日の新聞

2018-12-25 19:03:15 | アーカイブ
 2018年12月25日(火)

 平成最後の天皇誕生日のおととい12月23日(日)と、きのう12月24日(月)夜
19時30分から、NHKテレビで「天皇 運命の物語」が放映されたので、ご覧になっ
た方もおられるかと思います。

 このうちきのう12月24日(月)は「いつもふたりで」のサブタイトルで、ご結婚前
後から天皇即位までの期間の話題で、特に前半は皇太子殿下の妃殿下選びのことでかなり
の時間をとっていました。

 実は、皇太子殿下の婚約発表は、当ブログで前回紹介した東京タワー完成の日より、約
1か月前の昭和33(1958)年11月27日(木)のことでしたから、東京タワー完
成と同様、60年前になるのです。

 当時私は、勤務先の研修期間があった三重県鈴鹿市で入寮しながら専門教育を受けてい
たのですが、昼食時のニュースでそのことを知ったのか、授業終了後の夕方に最寄り駅の
近鉄白子(しろこ)駅まで夕刊を買いに行った記憶がありました。

 その新聞があるはずと思い昨夜探してみたら、古い新聞やアルバムをしまった段ボール
の中に見つかったので紹介します。

 60年もたっているので頁によってはかなり黄ばんでおり、また1頁が1枚の写真なの
で本文は読めませんが、全体のイメージだけでもと思い今日の話題とすることにしました。

 昭和34(1958)年11月27日(木) 毎日新聞中部本社第一夕刊から
 

 

 

 

 

 
 
 以上、1面から6面の広告までの全頁

 さらに、翌昭和34(1959)年4月10日(金)に行われたご結婚式の模様と、そ
のあとの馬車によるパレードの模様などを報じた当日の夕刊2紙もありましたので、その
一部を紹介します。

 最初は結婚式の報道が主の朝日新聞東京本社版夕刊から
 
 第1面 

 
 第3面

 
 第4面と5面

 
 第7面

 次はパレードを中心にした毎日新聞東京本社版第二夕刊から
 
 第1面

 
 第2面

 
 第3面

 
 第4面の祝賀広告

 この日は休日となったので、私もパレードを見に出かけて通過する写真を1枚だけ撮り、
持っているはずですが、その所在は今のところ不明です。

 これらのことをご存じの方は、もう少なくとも70歳以上の方ではないでしょうか…。

 




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東京タワー 今日60歳の誕生日を迎える

2018-12-23 21:31:07 | Weblog
 2018年12月23日(日)

 天皇誕生日の今日、天皇陛下は85歳の誕生日を迎えられましたが、長い間、東京のシ
ンボルで観光名所でもあり続ける東京タワーも、今日で60歳の還暦を迎えました。
    
 東京タワーは港区芝公園にある総合電波塔の愛称で、正式名称は日本電波塔です。高さ
333mのこの塔は、60年前の今日、昭和33(1958)年12月23日に竣工した
のです。

 翌昭和34(1959)年1月から、NHK教育テレビジョン(現在のNHKEテレ)
のVHF放送が開始され、昭和45(1970)年に日本テレビ放送網が送信所を移転し
て、東京のNHK及び民間放送のすべてがこの塔から電波を出すようになりました。

 地上デジタル放送の開始に伴い建設された東京スカイツリーの完成に伴い、あの東日本
大震災直後の平成23(2011)年7月24日に地上アナログ放送が終了し、2013
年5月31日に地上デジタル放送も東京スカイツリーに送信所を譲ったのですが、現在も
東京スカイツリーの予備送信所としての機能は持っているようです。

 オレンジ色と白に塗り分けられた東京タワーは、観光による収入が5割を超えていて、
開業翌年の昭和34(1959)年には513万人の来塔者を記録して、上野動物園の
入場者数360万人を大幅に抜く記録を作り、東京スカイツリー開業後の現在も年間約
230万人が訪れるという、東京名所のひとつとして頑張っているようです。

 首都圏多くの人が一度は展望台に上がったことがあると思われ、首都圏以外の方でも、
東京見物や修学旅行、出張の機会などで訪れた方も多いのではないでしょうか。

 私はずいぶん前に2~3度上がったように記憶し、しばらくご無沙汰していたのですが、
11月7日(水)に久しぶりに地上150mの展望台「メインデッキ」に上がる機会があ
りましたので、そのとき撮った写真を紹介することにします。

      東京タワー下の駐車場に到着して見上げると。
     

 地上150mのメインデッキに上がり、いよいよ展望開始。北側の眺め、右手、上が細
くなっているビルは愛宕グリーンヒルズ。


      東北に東京スカイツリー(高さ634m)の上部が。
     

 北側、近くの緑地は愛宕山で、真ん中の白い建物はNHK放送博物館。


 東側ビルの間から隅田川の橋が。


 展望台に貼ってあったかなり前の展望状況(年代不明)を2枚、左上の緑地は日比谷公
園か?


 これも同じ頃の東側、浜松町駅方面のようで、中央上部の高層ビルは霞が関ビルに次ぐ
2番目に造られた超高層ビル、浜松町駅そばの貿易センタービルのよう。


 東北側眼下、芝公園周辺


 少し引いてみると芝公園内のプリンスホテルが一望


 増上寺境内


 隅田川の一部


 隅田川をまたぐレインボーブリッジ方面


 眼下、芝公園の紅葉樹など


 レインボーブリッジ付近を少しアップで


 芝公園南側付近の紅葉など


 羽田空港をズームアップ、何機かの飛行機が見えています。


 こちらも眼下の芝公園の木々


 もう一度増上寺のみを


 南側のビル群


 上の写真の中央部をズームアップすると横浜のランドマークタワー周辺か?


      南側、赤羽橋交差点方面
     

 メインデッキはこんなつくり


 メインデッキの売店に並ぶ東京タワー土産の数々






 もう一度北側を眺めて、メインデッキから地上に下りました。

 
 なお、渋谷、新宿方面など西側は、工事中で眺めることができませんでした。

 久しぶりに眺めた東京タワー・メインデッキからの眺めは、予想以上に展望が狭まった
感じでした。それは、周辺に100mを超えるような超高層ビルが増えたため、遠方の展
望が遮られてしまったからと思われます。

 充分な展望を得るためには、250mにあるトップデッキに上がった方が良さそうです。

 ちなみに、メインデッキの入場料は900円、その上、地上250mのトップデッキ
(メインデッキ入場を含め)は2,800円です。





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羽村草花丘陵と周辺の寺社などを巡る(東京・羽村、あきる野、福生)

2018-12-21 22:46:36 | ウオーキング
 2018年12月19日(水)

 師走も後半に入ったが晴天で寒さも緩むとの予報なので、ウオーキングに出かけた。

 自宅から1時間10分で、JR青梅線羽村(はむら)駅に9時48分に着いた。6分後
に出発して東口にある西友で弁当を求める。


 初めに、近くにある五ノ神社を目指して周辺を少し迂回したが見当たらず、駅前に戻っ
たらなんと西友と道路を隔てた東側だった。

 神社の創建は推古天皇9(601)年と伝えられる古社。宝亀年間(770~80)に
熊野五社権現を祭ったところから五ノ神の地名が生まれたといわれるとか。駅東口一帯の
地名は五ノ神である。

 現在の本殿は、青梅の宮大工・小林藤馬が嘉永2(1849)年に着工し、文久2
(1862)年に竣工されたと推察され、江戸時代後期のこの地方の社寺建築の特徴がよ
く伺えるようで、羽村市有形文化財に指定されていた。


 神社の南側に、東京都指定史跡「まいまいず井戸」がある。まいまいずとはかたつむり
のこと、井戸に向かって降りる通路の形が似ていることから名付けられたもの。

 鎌倉時代のものと推定され、昭和33(1958)年の町営水道開設まで使用されてい
たという。地表面の直径約16m、底面直径約5m、深さ約4.3mで、地表面から周壁
を約2周して井戸に達するようになっている。

 駅に戻って自由通路で西口に出た。交番横から少し進むと羽村市観光案内所があったの
で入り、市内の地図などをもらう。


 すぐ先の交差点で新奥多摩街道と旧鎌倉街道を横断し、右手高台の稲荷神社境内へ。
     
 稲荷神社の創建時期は不明だが、江戸後期の「新編武蔵風土記稿」に「稲荷社」と記さ
れているとか。もとは南側の禅林寺西南にあったのを明治39(1906)年に移築し、
平成2(1990)年に拝殿覆殿など大改築したという。



 境内西側からは、多摩川を挟んでこれから向かう草花(くさばな)丘陵や奥多摩の大岳
山などが望まれる。


 西南側から道路に下り、道路の東側台地下の禅林寺(ぜんりんじ)へ。創建は文禄2
(1593)年、当地の島田氏の先祖、島田九郞右衛門が自分の寺として開基したとか。


 禅林寺は、「大菩薩峠」の作者、中里介山(なかざとかいざん)の菩提寺でもある。
庫裡(くり)の前の案内図に従い、本堂左手から裏のヒノキ林を上がり、段丘上の細道を
50m余り進んだ墓地の一角にあった。
         
 中里介山は、明治18(1835)年に近くの羽中(はねなか)四丁目の水車小屋で生
まれた。大正2(1913)年から長編小説「大菩薩峠」を書き続けたが、未完のうちに
昭和19(1944)年に59歳で没している。

 境内には、「天明義挙(てんめいぎきょ)の碑」がある。江戸時代の三大飢饉のひとつ
天明飢饉の際、天明4(1784)年2月、羽村の名主・組頭を中心に近郷40か村を巻
き込んだ農民一揆の犠牲者9名を「義民」としてたたえて、明治27(1894)年に建
立されたという。
         

 もとの道を次のY字路まで進むと、塔のある洋館風の建物がある。バス停の名から「東
会館」のよう。


 左折してすぐで奥多摩街道に出た。玉川上水沿いを東へ、次の羽村堰入口交差点で玉川
上水を渡る。
     


 右折して玉川上水と多摩川左岸の間を進むと、玉川上水の取入口の羽村堰(はむらぜき)
があり、取水された玉川上水にはかなりの水量で流れていた。




 羽村堰は「投渡堰(なげわたしぜき)」と呼ばれる方式で、普段は主柱に丸太や木材を
渡して水流を堰き止めるが、増水時にはそれらを外して土手や水門の崩壊を防ぐ仕組みの
よう。

 取水堰際に、牛枠(うしわく)(川倉水制(かわくらすいせい))の説明板とその実物
大模型がある。

 牛枠とは治水技術のひとつで、水の勢いを弱め堤防が壊れるのを防ぐ仕組みのようだ。

 多摩川左岸側には、羽村取水堰(投渡堰)が平成27(2015)年に「土木学会選奨
土木遺産」に選定された選定証があった。

 周辺には東屋(あずまや)も設けられ、そばの松の木の傍らに、玉川上水を作った「玉
川兄弟の像」がある。玉川上水完成後、兄弟はその功労により「玉川」姓を与えられてお
り、手前が弟の清右衛門で、後が兄の庄右衛門だという。
         
 玉川上水は、江戸の人口増加による飲用水不足の対処策として、老中松平信綱が町奉行
神尾元勝などに多摩川の引水を計画させ、承応2(1653)年に多摩郡羽村の庄右衛門、
清右衛門に命じて、ここに堰を設けて江戸までの水路を完成させたものである。

 
 多摩川左岸沿いを南進し、羽村堰下橋を渡る。橋の近くに、どんど焼きに使われるらし
い針葉樹の生葉を集めた三角錐ができていた。



 右岸を500m近く逆行し、羽村市郷土博物館に入る(入館無料)。堤防を挟んた多摩
川右岸河川敷にも、牛枠が数個並んでいた。


 羽村郷土博物館は、羽村市の自然、風土、歴史、文化に関して資料の収集、保存、調査
研究を行い、その成果を展示や学習会、資料集の刊行などで公開しているとか。


 常設展示室では、「多摩川とともに」「玉川上水を守る」「農村から都市へ」「中里介
山の世界」のテーマに分けた展示があり、企画展示室では特別展「御札と旅~羽村人の祈
り~」を開催中。

 写真撮影は可だがネットへのアップは禁止とのこと。まいまいず井戸の模型、江戸時代
の玉川上水の水門、養蚕設備、現在の水門、中里介山の作品や資料など、ここならではの
貴重な展示を撮ったが、公開できないのが残念だ。

 北側の屋外展示場には、赤門と旧下田家住宅がある。赤門は江戸時代中頃の創建といわ
れ、中里介山の大菩薩峠記念館の正門。記念館が閉館後の昭和59(1984)年にここ
に復元したとという。



 旧下田家住宅は、市内羽西(はねにし)にあった下田氏の家を譲り受けたもの。弘化4
(1847)年の建築で、多摩西部の古い民家の造りをよく残し、1210点の生活用具
や養蚕用具などとともに、国の重要有形民俗文化財に指定されている。




 25分ほど観覧して、12時02分に郷土博物館を出た。西側の雑木林下を進むと、博
物館のもう一つの屋外展示、旧田中家長屋門がある。

 もと丹木村(現八王子市丹木町)の千人同心田中郡次家の門で、門扉やくぐり戸、柱や
梁など200年以上前の建設当時のものも残っているようだ。

     
 間もなく「羽村草花丘陵コース案内図」があり、山道に入る。次第に坂道となり木の段
などあり、上り詰めたところに小さな社の羽村神社が祭られている。
     
 昔は浅間社と称され、西多摩村の南の山林にあったとか。


 標高約220mのこの付近は浅間山と呼び、北側は絶壁で展望が良く、多摩川の流れを
見下ろし、その向こうに羽村市から東方の狭山丘陵などが一望できる。





 すぐ南のピークが東屋のある浅間岳山頂で、標高235.2mの三角点がある。
         

     
 その先しばらくは、南東に向かって立川国際カントリーゴルフ場との境界に沿った稜線
上を進む。周辺はクヌギなど広葉樹が多く、右手樹間からゴルフ場が見える。


     


 夏の台風の強風で倒れたらしい倒木をまたぐ。ゴルフ練習場やゴルフ場のクラブハウス
が近づいた辺りで左手の樹林が切れ、眼下に多摩川の堰下橋や羽村堰、その向こうの住宅
やビル、狭山丘陵、下流の羽村大橋などの展望が開ける。






 さらに目をこらすと、少しガスで霞む新宿副都心周辺だろうか、高層ビル群も望まれた。


 間もなくゴルフ場入口付近の車道に出た。そこから車道を下ろうかと思ったが、その先
の石段を上がる山道に道標があり、目的地の妙見堂や大澄山(だいちょうざん)が記され
ていたので、そちらに上がることにする。
     

     
 急な石段を上がると鳥居があるが社殿は無く、台座らしいところに「朝日山妙見堂」の
表示がある。もしかしたらここもこの夏の台風で壊されたのだろうか…。



 前方に下り、さらに急石段を上がったりして林間を進むと右手の視界が開け、雲をまと
った富士山上部や丹沢や奥多摩の山並みなどが望まれる。


 再び針葉樹林や竹林の間などを抜けて、羽村大橋の南側近くの都道250号に下った。
標識に従い羽村大橋の西側近くまで進み、変則五差路で折り返すようにU字状に回り、多
摩川右岸沿いの都道29号を南下する。

 近くに八雲神社への標識があるはずだが見つからない。少し先で西側を平行する旧道に
回るが、その先にも無いので大澄山に上がるのはあきらめる。


 そのまま進むと慈照寺の横に出た。13時55分に慈照寺の山門を入り、大きな本堂に
参拝する

 慈照寺は、文治4(1188)年、畠山重弘の娘で畠山重忠の伯母にあたる円寿院のた
めに創建されたと伝えられ、天正18(1590)年の八王子城落城の際に伽藍は焼失し
たという。

 本堂の左手手前には東京都天然記念物の「慈照寺のモッコク」が立っている。
     
 通常モッコクは低木か小高木だが、この木は樹高21.5m、幹周2.4mあり、これ
だけの高さのものは珍しいようだ。

 時間も経過したのでここで昼食をさせてもらうことにした。本堂左手から裏手の墓地に
回ると、頃合いの切り株があったので腰を下ろし、遅い昼食とする。

 広い墓地は本堂裏手一帯に高台まで広がり日当たりも抜群で、永眠するには格別な場所
のように思えた。


 切り株の横には8体のお地蔵さん↑が並び、さらに境内あちこちにお地蔵さんが祭られ
ていた。


 14時17分に山門を出た。草花集落の次の十字路を左折し、Y字路を左に下って多摩
川の永田橋際に出る。

 橋を渡り北に延びる車道を少しで、地図にない堰上明神社が。社殿は小さいが樹木は結
構あり、境内は永田児童遊園になっていた。
     


 近くには、文政5(1822)年創業で銘酒「嘉泉」や「田むら」などの蔵元、田村醸
造場があり、白壁切妻屋根の大きな建物が数棟並んでいた。



 すぐ先が、臨済宗建長寺派の長徳寺である。閉じた山門の右手から境内に入ると、正面
に大きな本堂が構え立つ。

 「花の寺」のようで、本堂左手には四季に咲くたくさんの花の写真と時期が大きなパネ
ルになっている。12月はスイセンとツワブキのようだが、どこに咲いているのか目に入
らなかった。

  
 傍らの鐘楼は重厚な四脚の独特の造り。門のそばには大きなアカマツがあり、手入れ中。
掲示板に「健康十訓」が掲示されていて、読むと納得させられる。


     
 すぐ北のY字路で左折して玉川上水沿いを進む。左手前方が開けた多摩川左岸河川敷が
「福生(ふっさ)かに坂公園」になっていて、10数人の家族連れが訪れていた。



 公園に下って再び多摩川左岸堤防に上がり、右手に斜面林を見ながら進む。前方羽村大
橋の向こうには、秩父の武甲山だろうか三角形のピークがよく見える。


 老人ホームの先で堤防から下り、市立競技場の横から東側の斜面林に上がり、玉川上水
の新堀橋際へ。斜面林に覆われた玉川上水の流れを眺め、右岸沿いの遊歩道を逆行して南
に向かう。
     
 流れに沿った右手の広葉樹林は福生加美水上公園になっていて、稜線上にも遊歩道があ
る。少し進むと「富士山の見える丘へ 徒歩1分」の表示があるので上がった。

 富士山の方向は逆光だが、強風になびく山頂付近の雲と富士山上部が見えたので、そば
の立木の影から撮ってみた。


 足下には小さい鐘があり、「富士山が見えたら 鐘を1回幸せを願って」と記されてい
たので1回だけ鳴らす。
         

 すぐ先の斜面には「福生市指定史跡 玉川上水旧堀跡」の標石が立っている。上水の完
成から約90年経過した元文5(1740)年、多摩川の出水により市内で玉川上水の土
手がしばしば崩壊したので、約613mほど現在の新しい水路が造られたという。


 近くには『中西悟堂「野鳥村」構想の地』の説明板もあった。日本野鳥の会を創設した
詩人で野鳥研究家の中西悟堂が、昭和19(1944)年に福生で暮らし、この付近に野
鳥研究所を兼ねた「野鳥村」の構想を持ったところのよう。第二次世界大戦の悪化などで
断念したが、中西の遺志を継承する活動は現在も続いているという。


     
 そばの車の通れぬ加美上水橋を渡って玉川上水から離れる。橋のたもとに「加美大橋の
歴史」を刻んだ標石があった。

 昭和2(1927)年2月、大正天皇の陵墓造営に必要な多摩川石を運搬するため、福
生駅から多摩川の羽村境まで1.8㎞の砂利運搬専用線が敷設され、通称「ガード下」と
呼ばれる鉄橋がここに架けられたとか。1日2回電気機関車が4~5両の貨車を引いて通
ったが、昭和34(1959)年に砂利運搬は停止したとのこと。

 東進して福生四小前から南側の通りに回り、新奥多摩街道に面した福生神明社へ。


 拝殿には、先ほど通過した田村醸造場の銘酒・嘉泉の菰樽が奉納され、拝殿前には芭蕉
の「春もやや けしきととのふ 月と梅」の句碑が立っていた。
         

 境内西北側にご神木の2本のクスノキが目につく。約100前、地元の清水寛二氏が自
らの青梅農林高卒業記念に植樹されたものだという。
     

 新青梅街道を福生一小横まで進んで福生駅前交差点を左折し、JR青梅線の福生駅に
16時ちょうどにゴールした。


(天気 快晴一時晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 青梅、拝島、歩行地
 羽村市、あきる野市、福生市、歩数 23,500) 





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西武池袋線の新型特急車両「Laview」を小手指車輌基地で(埼玉・所沢)

2018-12-17 21:53:36 | 鉄道
 2018年12月17日(月)

 来年3月から西武池袋線と西武秩父線で運行することになった新型特急車両「Laview
(ラビュー)」が完成したことが、西武鉄道から10月29日に発表されていたので、何
度か小手指車両基地に見に行っていましたが、間近で見ることができませんでした。

 今日は、朝のうち降っていた雨があがり暖かくなってきたので出かけたところ、運良く
小手指(こてさし)車両基地の西南端近くに留置されていたので、撮ってきました。

 基地の南側道路の小手指駅よりから。手前の2本の線路は西武池袋線の本線。


 現在運行している10000系特急電車(ニューレッドアロー)から25年ぶりの登場
で、車輌形式は「001系」、建築家・妹島和世氏の監修により開発したようです。




 特徴的な先頭車両の形は球面形状で、前面ガラスは曲線半径1,500㎜の三次元曲面ガラス
を採用しており、客室窓は等間隔で縦1,350㎜✕横1,580㎜の大型窓ガラスで、沿線の景色を
大パノラマで楽しめるようになっているとのこと。



 編成の真ん中辺りの真新しいパンタグラフ。


 反対側、基地の西南端に近づいた辺り。


 電車基地の西南端に回って金網越しに上から。





 左は東京メトロ有楽町線乗り入れ用の6000系車輌。1992年からの導入。

 正面から


 右手(南側)の高いところが池袋線の線路で、上り40000系車輌が通過しました。
昨年(2017)3月から導入された最新の車輌です。


 続いて下り線には30000系(スマイルトレイン)が。

 スマイルトレインは2008年4月からですから、もう10年選手になります。



 この時間の小手指車両基地最奥部の留置状況。


 製作車両数は8両✕7編成 56両で、2018年度に16両、2019年度に40両
が日立製作所で製作されるようです。






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武蔵浦和駅の南側から道満グリーンパーク周辺を歩く(埼玉)

2018-12-11 09:40:16 | カントリーウオーク
 2018年12月9日(日)

 埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの、第259回忘年例会に参加した。

 集合はJR武蔵野線・埼京線の武蔵浦和駅。参加者13人は全員一緒に10時10分に
出発した。

 昼食地で忘年の宴をすることにして、まずは駅の南西側にあるスーパーマルエツに入り、
各々飲み物やおつまみなどを購入する。

 南進し、ロッテ浦和工場や沼影小、ロッテ球場横を進む。


 各種競技大会出場や優勝の幕の並ぶ内谷(うちや)中の角を右折して西へ、突き当たり
の県道79号朝霞蕨線を南に少しで、内谷五丁目の普門寺に入る。

 足立板東観音霊場第15番札所のようだが、境内は狭く本堂も小ぶりで植栽も少ない。


 本堂右手に古い地蔵菩薩像などの石像が6基並び、その中の地蔵像には延宝5(1676)
年↘と安永5(1776)年、念仏供養塔には延享元(1744)年と刻まれていた。
         

 すぐ先、県道が南東へカーブした東側、戸田市に入りすぐの美女木(びじょぎ)一丁目
には安養寺があった。ここも本堂は小ぶりで植栽も少なめだ。


         
 新しい地蔵堂には、美女木村講中が享保16(1731)年に奉納したお地蔵さんが祭
られ、そばのスイセンが咲き出していた。

 美女木郵便局前を進み、首都高埼玉大宮線に近い妙厳寺に行く。

 開基は明応2(1493)年といわれ、江戸時代には寺領6石の御朱印を下付されてい
たとか。


 境内には、戸田市有形文化財の十六羅漢が風通し良い建物に並ぶ。本堂内には戸田市指
定絵画の妙厳寺涅槃図があるようだが、法事中だったので確認は省いた。


 境内には何色かのキクが花盛りで、イチジクやサクランボなどの果樹もある。
         

 山門際には享保19(1731)年造立の傘を被った地蔵像が祭られていた。
         

    
 道路を挟んで東側の美女木公園で小休止する。ドウダンツツジが紅葉し、ソメイヨシノ
はほぼ落葉している。


道路側にはキクが飾られた庚申塔が祭られていた。



 少し戻って西へ、国道17号新大宮バイパスの上を首都高が走る間をこ道橋で渡り、美
谷本小の南東にある徳祥寺(とくしょうじ)へ。

 江戸時代初期の開山と伝えられ、本尊聖観世音菩薩は「三宝谷の観音様」として知られ、
足立板東観音霊場の第16番札所である。

 本堂左手壁面には、文政5(1822)年に奉納され、戸田市指定文化財の「千手観音
供養図絵馬」が掲げられていた。
    


 境内には、宝暦11(1761)年造立↓の地蔵菩薩像などたくさんの石仏が並び集めら
れている。
         

 古くからあるらしい農業機械店前を通過して、近くの美女木八幡神社に東側の石鳥居か
ら入る。
     

 社殿東側の広葉樹林下は市指定天然記念物うばゆりの自生地のようで、柵があって入れ
ない。


 美女木八幡神社の創建は鎌倉時代と伝えられる古社。文治5(1189)年に源頼朝が
奥州下向時に当地に立ち寄った際、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したた伝えられているとか。

 社宝の銅鐘は、市内唯一の国の重要美術品で県文化財に指定されていて、現在は郷土博
物館に展示されているようだ。

     
 境内西側の大イチョウの黄葉が見頃で、境内にはケヤキの高木も何本か目についた。



 南側の山門から出て、両側に葉の落ちたソメイヨシノの並ぶ荒川左岸排水路の道満(ど
うまん)橋を渡る。

 カラスムギが一面に伸びた荒川左岸堤防に上がると、眼下にヤクルト総合グランドが目
に入る。


 その向こう、道満グリーンパークの木々の上には秩父の武甲山や外秩父の堂平山や笠山、
奥武蔵の山並みなどが広がる。     堂平山      笠 山 



 北北東を眺めると、首都高埼玉大宮線の上にさいたま新都心の高層ビル街が望まれた。
堤防上を少し進むと、かなり雲を被ってはいるが富士山も姿を見せてくれた。



 南に見える幸魂(さきたま)大橋に向かって進み、少し手前で堤外(彩湖(さいこ)側)
に下る。


 彩湖・道満グリーンパークの南側、バーベキュー広場に入り、12時35分に広場の隅の
クヌギの木のそばに着いた。

 シートを広げて買ってきた飲み物とつまみなどを広げ、それを囲んで輪になり、忘年昼
食地とする。

 NAさんの音頭で乾杯し、この1年の歩きなどを振り返りゆっくりと歓談のひとときを
楽しむ。

 歩いていた午前中はほとんど陽が差さなかったが、宴を始めた頃から雲が切れて日差し
が届き、温かみも感じられるようになった。


 ほろ酔い気分となり、記念撮影とミーティングをして、14時30分に出発した。


 メタセコイヤやクヌギなどが色づき、落ち葉がいっぱいの園内を北へ。


 観賞池の東側に出て池の真ん中に架かる木橋で横断する。






 国内の絶滅危惧種「トダスゲ」の増殖地横を過ぎて観賞池の北に進み、たくさんのパン
ジー咲く花壇の横を南から東に回った。





 平成元(1989)年と記された「道満グリーンパーク竣工記念碑」の東側から公園を
出た。荒川左岸堤防に上がり、再び公園や西方の山並みなどを振り返る。




 美女木七丁目と八丁目の間の車道を進んで荒川左岸排水路の番匠免橋を渡り、ゴールの
彩湖・グリーンパーク入口バス停に14時53分に着いた。
         

 ここで解散して、バスで帰途につく人、もう少し歩いて西浦和駅に向かう人など三方に
分かれる。私など6人は最短距離で西浦和駅に向かい、後半は国道17号新大宮バイパス
の東側を進み、15時35分にJR武蔵野線の西浦和駅に着いた。


 この日のさいたま市の最高気温は10.1℃、3週前の暖かな11月例会より10℃下
がり、真冬並みの気温だった。 

(参加 13人、天気 曇後晴、距離 6㎞(西浦和駅まで通算8㎞)、地図(1/2.5万)
 浦和、赤羽、歩行地 さいたま市南区、戸田市、歩数 11,900(通算16,000))





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