あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

新緑の秩父路を歩く

2007-04-30 23:19:59 | カントリーウオーク
 「昭和の日」の振り替え休日の今日も、好天に恵まれ、私が出
かけた埼玉県秩父市の最高気温は27.5℃になったとか。

 秩父路は、シバザクラが見ごろな羊山公園へ行く人で、電車も
車道も賑わいましたが、私はNさんと、秩父鉄道大野原駅~黒谷
駅間、東側山麓の里道を歩いてきました。



 10時過ぎ、大野原駅をスタートし、国道140号線の東に回り、
まず、近くの広見寺に行きました。

 新緑がみずみずしい境内、大きな本堂、りっぱな鐘楼や新しく
豪壮な山門などがあり、秩父曹洞宗発祥の寺とのことでした。

 新緑の林に沿って斜面を上がり、広々とした聖地公園横に出ます。
少し霞んではいますが、日本百名山・両神山がよく見えました。


 聖地公園の八重桜も見ごろです。


 谷間に下って行くと秩父札所3番常泉寺です。龍の彫刻を施した
本堂の彫刻がみごとでした。


 横瀬川の深い谷にかかる橋を渡ります。みずみずしい新緑
が流れを覆っていました。


 東側の山すそに4番札所金昌寺があります。山門に大きな
ワラジが奉納されていました。境内は石仏がたくさん並んで
います。


 境内はモミジの新緑に覆われ、ボタンなども咲いていました。


 山麓の山田集落を北に向かいます。古くから地元住民の頼り
にされていると思われる水野医院の、りっぱな建物が目につき
ました。


 無人の2番札所の納経所になっている光明寺本堂です。寺は
南面する武甲山と相対しているので、山号は向嶽山です。


 さらに北に進み、栃谷にある秩父札所1番四萬部寺(しま
ぶじ)で昼食にしました。朱塗りの本堂は、秩父きっての名匠
によるものだとのことです。


 新緑の木立の向こうに武甲山の北面が望まれます。石灰石の
採掘ですっかり削り取られた面ですが、逆光でその様子はよく
分かりません。


 大野原の文化体育センターを経て、横瀬川野東麓、黒谷集落に
進みます。気温が上がり、午後の日差しが暑く感じられます。

 民家の続く黒谷の里道に、こんな標識が幾つか立っていました。


 黒谷駅に近いかやぶき屋根の古民家、内田家住宅です。内田家
は代々庄屋を務めた名家ですが、現在は無人です。秩父市の文化
財として近く公開されるようです。


 黒谷から美の山へ上がる登山道の途中にある、日本最初の銅の
産出地、和銅遺跡に回りました。

 奈良時代、この地から産出された自然銅が朝廷に献上され、
年号も「和銅」に改められたことで知られています。

 この銅により鋳造されたわが国最初の貨銭が「和同開珎」(わ
どうかいちん)です。

 近くの聖神社境内には、そぼくな和銅博物館があり、和銅遺跡
から発掘された銅鉱のほか、国内各地の鉱山の産出物が展示
されていました。 

 黒谷駅に15時半頃着き、御花畑駅経由、西武秩父駅から16
時30分発の西武鉄道秩父線で帰途につきました。電車は、シバ
ザクラ見物帰りの乗客でいっぱい。飯能駅まで座れませんでした。
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つつじの塩船観音寺へ

2007-04-29 22:31:47 | ウオーキング
 さわやかな晴天の今日、お出かけになった方も多いかと思い
ます。 私は、ツツジの寺で知られる東京・青梅市の塩船観音寺
へ出かけました。



 最寄り駅は、JR青梅線河辺(かべ)駅か東青梅駅です。私は、
河辺駅で下車しました。駅の北側に、26日にオープンしたばかり
の東急があり、そこで弁当を調達して、北に向かいます。

 東急の横から、電線を地中化した幅広い市道を1km近く進み、
突き当たりのT字路の少し東側から住宅街を北に入ります。

 霞川の橋からは、奥多摩の山のよい目印になる大岳山などの
山並みが望まれます。


 豊富な杉木立に囲まれた春日神社や、吹上小、吹上中などの
横を通過、観光客でにぎわう塩船観音寺の山門前に着きました。


 塩船観音寺は、大化年間(645~650)に若狭国の八百比丘
尼が1寸8分の千手観音を安置したのが開山と伝えられる古寺
で、貞観年間(859~877)には安然和尚が十二の坊舎を建て、
興隆を極めたと伝えられているようです。


 国重文の阿弥陀堂(上)に参拝し、左横を進むと東京都天然記
念物の大杉が2本立っています。左の木は、幹回り9.6m、高さ
38.6mあり、都内有数の杉の巨樹です。


 山門同様かやぶき屋根の薬師堂(下)の上に、これもかやぶき
屋根で国重文の本堂がありますが、本堂は修復中でした。


 本堂の左手に回ると、護摩堂弘誓閣を馬蹄形に囲むようにして、
背後の斜面がたくさんのツツジに彩られていました。

 全体的には少し早めですが、右(東)から斜面の遊歩道を展望
台まで上がります。






 奥多摩の山並みの向こうに、真っ白な富士山の上だけが望まれ
ました。

 西斜面から対面のツツジを見下ろしながら下り、途中で昼食に
しました。




 5月3日の大祭には、本尊の開扉や、柴灯護摩供、火渡り荒行
などが行われるとのこと、いっそう賑わうことでしょう。

 なお、塩船観音寺は、関東八十八ヶ所霊場の第72番霊場と
なっていることを知りました。

 関東1都6県にわたり、四国八十八ヶ所より長い、1550kmに
及ぶという霊場めぐりにも、興味が湧いてきました。
  

 


 

 

 

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四国遍路宿の夕食(3)

2007-04-28 17:32:23 | 四国遍路あれこれ
 =2006年11月29日~12月6日=

 2度目の四国遍路前半は、残り1/3を切りました。19日目の
11月29日(水)は、おにぎりのほか、バナナ、ミカン、あめなど、
たくさんのお接待をいただいて久百々を出発し、足摺岬にある
38番金剛福寺に到達しました。

 この日の宿は、岬を回って5kmほど先にある民宿青岬に、2度
目のお世話になりました。

 民宿とは思えぬ鉄筋2階建ての大きくて清潔な宿。夕食は、今回
の遍路宿で1番と思われる豪華メニュー、歩き遍路にはもったい
ないような食事です。

 詩歌やエッセイなど、書くことが好きと言われる、おかみさんとの
会話もはずみました。

 11月30日(木)は、初めてのルート、海岸を大回りして月山神社
を経由、39番延光寺に向かいます。この日は、土佐清水市の西南
端にある、初めての民宿、叶崎(かなえさき)です。

 小さい漁村の民宿らしい、そぼくな雰囲気が気に入りました。

 第21日目の12月1日(金)は、大月町を抜け、宿毛(すくも)
市の南端、港に面した大島屋旅館泊まりです。港に面した部屋
から、港の向こうの山に落ちる入り日がきれいでした。

 夕食は、タイの刺身など、郷土料理をおいしくいただきました。
 
 12月2日(土)は、宿毛湾沿いに北に進み、宿毛市の中心街に
ある岡本旅館泊まり。午前中に着いたので、ザックを預け、軽装で
39番延光寺まで往復しました。

 岡本旅館は、宿毛の郷土料理が名物のようですが、この日は、
水道と風呂の工事中で夕食は無し。近くの焼き肉兼居酒屋で夕食
を済ませました。
 
 第23日、12月3日(日)は、かなり冷え込み、寒い1日でした。
高知・愛媛県境の松尾峠を越えて愛媛県に入りましたが、昼食は
ふるえながら集会所の屋根下で食べました。

 宿は、愛媛最初の霊場、40番観自在寺の先、民宿礒屋です。

 前回、隣町での遍路の催しに参加させてもらうため、おかみさん
には大変お世話になりました。今回は1人ですが、こたつに入って
おかみさんと話ながら、心づくしの夕食をおいしくいただきました。

 翌12月4日(月)も、寒い1日でした。前回、津軽三味線奏者で
ご自身も遍路をされた月岡祐紀子さんの、「遍路組曲」などの演奏
を聴いた、思いで深い峠を越え、宇和島市に合併した旧津島町の
三好旅館にお世話になりました。

 この宿は、古き良き旅館の風情をたっぷり残し、お遍路に暖かく
接して下さり、料理も盛りだくさんの、お勧めの宿の一つです。

 25日目の12月5日(火)は、宇和島市の中心街を抜け、41番
龍光寺から42番佛木寺までお参りして、近くにある初めての宿・
民宿とうべやです。

 親父さんが一人で切り盛りしていますが、歩き遍路に気持ちよく
対応して下さり、気に入りました。

 遍路宿では初めて、とろろ汁をたっぷりいただきましたが、おい
しくて、疲労回復にもよいようです。

 第26日、12月6日(水)は、前半の最後、43番明石寺を経て、
「おはなはん」の町、大洲市のときわ旅館でした。

 とうべやさんに相談して勧められたところですが、若いご主人や
大おかみさんなどが気持ちよく接して下さり、おいしい食事とあわせ、
ここもお勧めの宿です。


 翌12月7日、雨の中JR内子駅まで歩き、帰途につきました。

 前半の宿は、どこも歩き遍路に暖かく接して下さり、歩き疲れた
体がリフレッシュでき、食事も満足なところばかりでした。

 明日以降は、今年2月中旬から3月上旬に泊まった、後半の遍
路宿の夕食も順次ご紹介します。      (続く)



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新緑の所沢市西南部を歩く

2007-04-27 22:12:17 | 所沢だより
 さわやかな晴天となった今日は、20日前に交通事故にあった
際に配達をしていたのと同様、もとの勤め先のOB会から、こん
どは総会案内の配布依頼が来たので、事故当日と同じ、所沢市
西南部の18戸に配布に回りました。

 配布エリアは、狭山丘陵の北東端にあり、結構起伏が多く、緑
の林や畑などが多い住宅地で、新緑の彩り豊かです。

 畑の麦は、もう穂がかなり伸びています。4月というのに、もう
こんなに育っているのは、やはり、今年が暖かいからのようです。


 端午の節句も近づき、民家の庭先にあるかしわの葉も大きく
なってきました。


 7日にはまだ淡い若芽だった狭山丘陵の一角、トトロの森
6号地は、新緑の彩りがかなり色濃くなってきました。


 その先の谷間に、近くの保育園児が遊びに来ています。
都会では味わえぬ、いっぱいの緑を肌で感じられるひとときです。


 次の丘陵に上がると、ショカッサイがまだたくさん咲いていま
した。


 標高110mほど、今日のピークに近いところに出ました。東方に、
所沢市街の中心部が遠望できます。


 近くの住宅地のモミジが、やわらかな新緑を見せています。


 東京都の水がめの一つ、狭山湖の堰堤に近い上山口の
民家の庭に、大きなキャラボクがあります。高さ3m、南北の
枝張り9.1m、樹齢300年以上という大樹で、所沢市文化
財に指定されています。


 集落の背後、丘陵上部に近い林の中にある堀口天神です。
OB会の会報配布などで通過するときは、いつも立ち寄って
お参りしているところです。

 
 稜線に出て、林に沿って進むと、ウワミズザクラが咲いて
いました。いつもの年だと、確か5月になってから咲いたよう
に思います。


 稜線を北から北東に下って行くと、畑の間に古くからの住宅
が点在しています。その一角で八重桜が花を開いていました。


 近くの住宅の庭で、ツツジが鮮やかな彩りを見せています。


 この辺りは狭山茶の産地でもあります。八十八夜も近づき、
茶の若葉もかなり伸びてきました。

 前回同様、途中の店で牛乳を買い、レシートの時刻を確認し
交通事故現場までの時間を計ってみたら、18分ほどでした。
やはり事故の時刻は、私の計算通り13時20分前後です。
警察で言われた14時10分とは、50分も違います。(4月
25日のブログ参照)

 最後の1戸の配達を終え、事故現場付近を振り返ったところ
です。向こうから手前に向かって路側帯を歩いて来て、背後
からの車のミラーにあたったのです。

 今日の歩行距離は約14.3km、累積標高約480m
(240mの山を上り下りしたのに相当)でした。



 

 
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四国遍路宿の夕食(2)

2007-04-26 22:08:35 | 四国遍路あれこれ
 今日は、交通事故で枠が変形したデジタルカメが使えるもの
かどうか、東京・浜松町の富士フイルムサービスステーション
に行き、診断してもらいました。

 その結果、故障は無く、使えると分かり、ひと安心です。

 蛇足ながら、富士フイルムサービスステーションは、連休明け
の5月7日(月)から、池袋東口の明治通り近くに移転します。

 首都圏の方で、富士のデジカメやフイルムカメラを直接修理
に出したい方、連休以降はご注意下さい。

 場所:豊島区南池袋1丁目10番13号 新井ビル1F
 電話:0570-000-081(ナビダイヤル)

 1日休んだ、四国遍路宿の夕食を継続します。

=============================

 四国遍路11日目の、2006年11月21日(火)は、「真っ縦」
と呼ぶ急斜面を上がる27番神峰寺(こうのみねじ)を経て、
安芸市の清月旅館に泊まりました。

 遍路宿では珍しい、富山の薬売りの方(男性)と一緒の夕食で、
お遍路の人を含め、いろいろな方との交流の話を興味深く聞き
ながら、食べました。

 12日目は、28番大日寺、29番国分寺を回り、遍路ルートから
少し迂回して南国市御免の旅館稲吉屋泊です。

 前日の宿で一緒の、富山の薬売り氏に勧められた宿でしたが、
この日もその薬売り氏が同泊で、思いがけずの再開を喜びあい
ました。

 第13日の11月23日(木)は高知市内に入り、途中からの雨の
中、30番善楽寺から32番禅師峰寺(ぜんじぶじ)までお参りし、
桂浜に近い民宿まさご泊まりです。

 初めてでしたが、民宿とは思えぬりっぱな建物で、夕食も新鮮
な海の幸が豊富でした。

 11月24日(金)は天気も回復し、33番雪蹊寺からから35番
清滝寺まで回り、土佐市の浦ノ内湾に面した、ここも初めての宿・
民宿汐浜荘でした。

 やはり海のそばだけあり、海の幸をおいしくいただきました。

 歩き始めて半月、15日目の11月25日(土)は、宿に荷を預け
て36番青龍寺を往復、須崎市に入って浦ノ内湾沿いに進み、市
の西端にある民宿あわ泊。

 久しぶりに、2人の歩き遍路さんと一緒で、話しながらの夕食で
したが、写真は撮り忘れました。

 16日目の11月26日(日)は、激しい豪雨の中を歩きました。
2回の遍路、計90日近い日程の中で、これほどの雨にあったこと
は、ほかにありません。

 長い国道歩きで、トラックからの雨水シャワーの洗礼をたっぷり
受けました。

 到着した37番岩本寺宿坊では、係の人がたくさんの新聞紙を
用意して下さり、3回靴の中に新聞紙を入れ替え、乾かしました。

 広い清潔な部屋、大きな風呂、夕食ももりだくさんで、気に入って
2度目、お勧めの宿坊です。

 翌11月27日(月)、雨も上がり、幡多十景の一つという鹿島ヶ浦
の海の展望を楽しみ、ここも2度目、黒潮町の民宿日の出に泊まり
ました。

 西ノ海に落ちる夕日を眺め、前日と同じ京都のHさん(男性)、新潟
のHさん(女性)との同宿でした。

 夕食のメニューも、海の幸がたっぷりです。

 第18日、11月28日(火)は、民宿日の出から、その名のとおり
すばらしい日の出を眺めてスタート、足摺岬を目指します。

 清流四万十川の四万十大橋を渡り、四万十市(旧中村市)から
土佐清水市に入り、歩き遍路に絶大の人気、久百々(くもも)に宿
をとることが出来ました。

 宿泊メンバーは、またまた同じ3人、人気おかみ心づくしの野菜
たっぷりメニュー、ヘルシー食をごちそうになりました。(続く)

 



 

 
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交通事故調書について

2007-04-25 21:12:14 | Weblog
 4月7日(土)に遭遇した、交通事故の被害者側調書(正式の
書類名は不明)作成のため、出頭するよう言われていたので、
午前中に所沢警察署に行きました。

 調書に記入する内容は、警察の担当者の言うことでほぼ了解
できましたが、事故発生時刻を14時10分頃と言われました。

 私の記憶では、直前に途中で買った牛乳のレシートが12時
50分台で、そこから歩いて15分ほど、遅くも20分後には現地
にいたはずなので、「13時15~20分頃のはず」と説明しました
が、目撃した第3者の証言を重視したのか、この時刻で統一し
たいと言われ、了解しました。

 しかし、調べが終わった後、待っていた加害者に聞いてみたら、
やはり、14時までに市内の友人宅に行く予定で走行していて、
13時20分~30分くらいと記憶していたので、そのように言った
のだが、同じように警察官に言われ、了承したとのことでした。

 救急車は間もなく到着して、私は救急病院に搬送されたよう
(自分は意識なし)でしたが、警察は1時間以上も来なかったと、
加害者や近所の方は言っております。
 
 立ち会って下さった重要な目撃者はJAFの方のようでしたから、
日常、故障対応や事故への対処が多く、時刻のことは普通の人
以上に気にしているはずなので、待たされた時間を考えると、
40分以上も遅い時刻を告げると言うことも、不自然です。

 消防本部に、救急隊が記録していた発生時刻を問い合わせれ
ば、多分13時20分~30分頃になっているはずです。

 どうも、警察の到着が遅れたので、到着時刻に合わせて発生
時刻を第3者にも了解させて遅らせ、14時10分にしたように
思えてなりません。

 今回の場合は、時刻のことで後々で問題になることはないもの
と考え、強く主張することもせず、了解したのですが、もしも、ほか
の事件などで、このように警察側から一方的に念を押されて、
あるいは、なかば強制的に言われて、しぶしぶ調書に押印する例
もあるのではないかと思い、証言の信憑(しんぴょう)性や、報道
された内容が本当なのか、疑わしいことが結構あるのではないか、
という疑問がわいてきました。

 夕食後、連れあいとこのことを話していて、牛乳を買ったときの
レシートのありかが分かりました。

 これが、当日、現場の手前にある店で購入した牛乳のレシート
です。時刻は12時59分になっています。ここから現場までの距離
は1.47㎞ほどで、当日の私の歩行ペースだと、15分~20分後
の13時15分~20分頃には現場を歩いていることになります。

 このレシートの保管場所を忘れていて、警察には持って行かなか
ったので、私の思う時刻をもっと強調することも出来ませんでした。

 警察に事情聴取をされると言うことは、私にとっては過去、あまり
記憶のないことでしたが、改めて、本当のことも認めてもらえない
ことがあるのだということを感じました。
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四国遍路宿の夕食(1)

2007-04-24 23:13:58 | 四国遍路あれこれ
 交通事故にあってから2週間あまり、救急入院した病院へ
退院後2度目の受診に出かけました。

 残っていた右手甲の傷もほぼ回復したので、今後は、特に
身体に異常がなければ通院しなくてもよいということになり、
ひと安心です。あとは、後遺症が出ないことを祈るばかりです。

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 今日から、「四国遍路いろいろ」というカテゴリーを設け、遍路に
関するもろもろの情報をご覧いただくことにします。

 最初は、2度目の四国遍路の前半、昨年11月11日からの遍路
宿の夕食メニューを紹介します。

 1日中歩いて到着した宿での、入浴と夕食は、当日の疲れを取り
去り、明日の活力の源となる、大事で楽しみなひとときです。

 遍路第1日、2006年11月11日(土)、昼近くに1番霊山寺を
出発し、6番安楽寺の宿坊に泊まりました。
 すっかり暗くなって到着し、まもなくの18時からの夕食でした。


 2日目、11月17日(日)は、11番藤井寺まで参拝し、JR高徳線
鴨島駅に近いさくら旅館泊まり。家庭的な雰囲気の若いご主人が
手をかけて下さった夕食をいただきました。

 前回、翌日の弁当の包み紙に心のこもったメッセージを書いて
下さったおかみさんは、旅行中とかで、お会いできませんでした。

 第3日の11月13日(月)は、最初の「遍路転がし」、11番焼山
寺を越え、さらに玉ヶ峠も越えて下った植村旅館。ここも2度目
です。

 この宿も、お遍路さんに気持ちよく対応して下さいます。

 4日目の11月14日(火)は、徳島市街の中心に近い、東横イン
徳島眉山口泊、夕食は町に出て、駅前のそごう地下で食べました。

 第5日、11月15日(水)は、番外霊場、星の岩屋を回り、20番
鶴林寺の北麓、勝浦川畔の旅館かえで泊まり。

 あちこちが痛く、体を動かすのが辛いというおかみさんが、心を
込めて作って下さったハスの茎の酢の物、焼き鮎、大根やさつま
いも、コンニャク、卵などの煮物などと、コップ1杯の梅酒という、
ユニークな夕食でしたが、写真は取り忘れました。

 6日目、11月16日(木)、第2の遍路転がし、20番鶴林寺、21
番太龍寺の2つの山越えをして、22番平等寺そばの、山茶花
(さざんか)泊です。ここも前回気に入り2度目です。

 食卓にも部屋にも、お湯のポットと冷水が用意されており、その心
配りを大変嬉しく感じました。

 お遍路1週間目、11月17日(金)、徳島県最後の宿は、JR牟岐
駅前のあづま、やはり2度目です。

 話し好きで、ご自身も遍路をされている、おかみさんとの会話が
楽しみです。ここでも、食前酒に梅酒を出して下さいます。

 8日目の11月18日(土)、徳島県から高知県入りし、今回の地方
選挙(4月22日)にて、放射性廃棄物処分場の誘致可否を争って
話題になった、県境の東洋町にある民宿谷口に泊まりました。

 近くの生見(いくみ)海岸は、サーファーがたくさん訪れるところです。

 第9日、11月19日(日)、いよいよ室戸岬が近づきました。雨に
なりましたがたいしたこともなく、岬の手前のロッジ室戸岬泊まり。

 初めてですが、前日の民宿谷口ともども、気持ちよい対応をして
いただき、料理も結構でした。

 10日目の11月20日(月)は、室戸岬の24番発御崎寺から、
26番金剛頂寺まで回り、中山峠を越えて奈半利まで。3回のアッ
プダウンと距離も長かったので、すっかり暗くなった18時半近くに
山本旅館着となり、おかみさんには大変心配をおかけしてしまい
ました。

 それにもかかわらず、気配りの利いた対応をして下さり、夕食も
盛りだくさん。部屋やトイレ、風呂など皆きれいで、2度目の今回
も、とても気持ちよい宿でした。

 写真は、メニュー全部を撮ろうとするので、ひとつひとつの皿が
小さく見えますが、実物はどこもボリューム感があり、写真以上に
盛りだくさんです。         〈続く〉
  

 






 

 


 
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庭のサクラソウが見ごろ

2007-04-23 23:14:43 | 所沢だより
 わが家の庭にあるサクラソウが見ごろになりました。

 連れ合いが、何年か前に1鉢買ってきたのを、毎年株分けして
増やし、現在は40鉢を越えました。

 もう少し色が濃いと見栄えがするのですが、幾分白みがかって
います。それでもたくさん並ぶときれいです。





 

 


 西洋サクラソウも1鉢だけあり、小さい花がやはり見ごろになり
ました。


 ちなみに、サクラソウは「埼玉県の花」に選定されています。

 埼玉県で、サクラソウの自生地として知られているのが、さい
たま市郊外、荒川の河川敷、田島ヶ原で、国の特別史蹟です。
 
 下の地図の「さくら草公園」が、田島ヶ原です。最寄り駅はJR
武蔵野線西浦和駅になります。


 さくら草公園の見ごろは過ぎたようです。下記で確認できます。
http://www.scvb.or.jp/mogitate/2007/04/post_116.html
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四国遍路道ふた旅(後編)・徳島(終結)

2007-04-22 21:34:18 | 四国遍路道ふた旅
 今日は、カントリーウオークグループの、私とNさんが担当する
6月例会の下見に行く予定でしたが、一昨日までの予報で、雨
が降りそうだったので延期しました。でも雨は降らず、強風が
吹き荒れました。

 四国遍路道ふた旅、結願して1番に戻り、一周の輪を結んだ
最終日のレポートです。

==========================

 第20日 2007年3月9日(金) 晴
 3番金泉寺~1番霊山寺
 =四国遍路一周の輪を結ぶ=



 6時20分起床、7時朝食、先に出発されるMさんを見送り、
7時50分にJR高徳線板野駅前のばんどう旅館を出る。

 板野の町外れに、小さいかやぶき屋根の平屋が残っていた。


 1㎞足らずで3番金泉寺。朱塗りの色鮮やかな山門をくぐる。

前半の遍路初日、昨年11月11日以来、4か月ぶり。境内は、
クスやカシなどの広葉樹が多い。朝早いので、まだ参拝者は
いない。

 納経所前に、屋島の平家追討に向かう途中に立ち寄った、
弁慶が持ち上げたという「弁慶の力石」があった。


 境内を東に出て、2番に向かう。県道12号の北を並行する
遍路道、今朝1番を出発した、歩き遍路の方々と次々に行き交
う。若い人、ご夫婦らしいペアなど、いずれも真新しい遍路装束
が目につく。季節がら、花粉除けのマスクをした人も多い。

 沿道にはナノハナ、トサミズキやボケなどが花開いていた。


 2㎞あまりで2番極楽寺。やはり山門は朱塗り。樹齢千年を越
すという長命杉に紅白の綱が巻かれ、「…綱を通じて杉の霊気を
受けて下さい」と記されていたので、無事結願を感謝して霊気を
受ける。


 境内に、安産を祈願したお守りがたくさん下がっていた。


 東に少しで、ドイツ村公園の案内があった。一度訪ねたいと思
っていたが、今日は時間があるのでよい機会、寄ることにする。

 第1次世界大戦に参加した、当時敵国のドイツ兵士953人が、
俘虜となり、1917年から3年間過ごした坂東俘虜収容所跡。
ベートーベンの第九交響曲日本初演の地としても知られている。

 園内には、当時の面影を残すセンダンの大木や、兵舎の基礎
に使われたレンガ積みが、そのまま残っていた。中央にある石
積みの橋は、当時、ドイツ兵士が造ったドイツ橋を模したもの
だという。


 奥の少し高いところには、日本各地で死亡した85名のドイツ
兵士の合同慰霊碑が立っていた。

 東側の県道41号に出て、高松自動車道の北に回り、道の駅・
第九の里鳴門ドイツ館にも寄る。

 南側に、鳴門市で少・青年期を過ごしたという賀川豊彦の「鳴門
市賀川豊彦記念館」がある。


 ほかに、坂東俘虜収容所で兵舎として使われた建物で、国有形
文化財を移築した物産館、白亜の大きなドイツ館などが並んで
いる。


 物産館でささやかな土産品を求めるに留め、賀川豊彦記念館と
ドイツ館の入場までの時間はないので省略した。


 高松自動車道の側道を進み、大鳥居の立つ大麻比古神社前を
通過し、1番霊山寺に着く。

 本堂と大師堂に参拝、読経して、無事結願して戻って来られた
ことに感謝、本堂内の納経所にある歩き遍路用のノートに、結願
の記帳をする。


 この境内にも、88番大窪寺同様、原爆の火が燃え続けていた。

 11時、連絡してあった岡山市のIさんが迎えに来て下さる。
Iさんの車で、鳴門市内を東へ。国道11号に入って瀬戸内に回り、
海鮮料理店で昼食。ハマチ定食を注文する。

 この店は2度目、新鮮なハマチの刺身と、たっぷりわかめの入っ
た澄まし汁を味合う。
 
 国道11号沿いの、遍路した足取りを思い出しながら高松市内
まで戻る。フェリー乗り場から、宇野行き宇高フェリーで1時間の
船旅を楽しむ。

 トラックが多いようで、船室に上がった乗用車の乗客は、数人
だけだった。

 宇野から岡山市内へ向かい、16時過ぎ、Iさん宅に着いた。

 Iさんは、私より先に通し打ちで歩き遍路をされている。夕膳に
は、結願を祝っていただき、お赤飯が盛られていた。

 遍路の思い出話をしながら、奥さん手作りの盛りだくさんの
夕食をおいしくいただいた。

(コースタイム〉ばんどう旅館7:50ー3番金泉寺7:58~8:20ー2番
極楽寺9:00~20ードイツ村公園9:30~48ー道の駅第九の里鳴門
ドイツ館9:55~10:10ー1番霊山寺10:20~48

(距離 7㎞、地図(1/5万) 川島、徳島、歩行地 板野町、鳴門市、
 歩数 12,100)

 今回、後半の歩行日程は20日(最終日は半日足らず)、歩行
距離535㎞(1日平均約27.5㎞)だった。       〈後半完〉
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小田原の石垣山一夜城歴史公園へ

2007-04-21 23:12:27 | 地図
 再び25℃近くまで気温の上がった今日、再発足した「地図を歩く
会」の第2回例会で、神奈川県小田原市の石垣山一夜城歴史公園
を訪ねました。



 集合は、JR東海道本線早川駅へ11時だったのですが、私は、
途中乗換駅、府中本町駅で予定の南武線に乗れず、1電車遅れて
しまい、11時9分に到着、すでに皆さんは出発後でした。

 駅を出て、小田原方向に少し戻り、東海道本線と東海道新幹線の
ガードをくぐって、南に上がる急斜面にとりつきました。

 新幹線の近くに、曹洞宗の古刹、海蔵寺があることが、持参した
ガイドブックに記されていたので、寄るつもりでしたが、標識が無く、
入口も分からず、ミカン畑に進んでしまったのであきらめました。

 ミカン畑を貫く農道際には、暖かい日差しを受けてタンポポがたく
さん花を見せていました。


 ミカン畑の間の急斜面が続くので、どんどん高度が上がります。


 柿の若葉が、軟らかな新緑を見せていました。
 少し上がって振り返ると、小田原の町並みが現れました。


 ツツジの向こうには、大山や丹沢の山並みも望まれますが、丹沢
の山頂付近は雲で見えません。


 右からの車道に合し、少し上がると国史跡・石垣山一夜城歴史
公園の入口です。

 太い杉木立やスダジイなどの間を上がって、二の丸跡に出ました。
広い芝生地になっていて、歴史探訪やグループできた人などが、昼
食をしていました。

 わがグループの皆さんは見えません。どうやら海蔵寺に寄って
いる間に、私が先に上がってしまったのかも知れません。

 二の丸から、上の本丸跡への斜面にはシャガがたくさん咲いて
いました。本丸跡に上がると、さらに一面シャガのお花畑です。

 石垣山は、東国では最初の総石垣の城で、一夜にした築かれた
というので「一夜城」の名がありますが、実際には約80日は費やし
たと考えられるようです。

 ここに本陣を構えた秀吉が100余日をかけ、東に見下ろせる北条
氏の小田原城攻めをして、天下統一の総仕上げをしたところです。

 本丸跡の東側にある展望台からは、小田原城や小田原の町並み、
そして江ノ島から三浦半島方面に伸びる海岸線がよく見えました。


 二の丸跡に戻り、芝草の真ん中にシートを広げ、昼食にしました。
食べ終える頃、皆さんが上がってきて合流しました。

 昼食を済ませ、もう1度皆さんと本丸跡に上がり、南側に下って
公園の上り口に戻りました。


 帰路は、小田急線入生田(いりゅうだ)駅に向かいます。車道を
少し南に進み、工事中の広域農道に入ります。

 道路際にスダジイの古木が残っていました。かつて神奈川県の
低地ではスダジイのような常緑広葉樹を主体の林が広がっていた
ようです。古代人には、スダジイの実は貴重な食料でした。


 工事中なので車の心配はなく、安心して歩けます。正面に、雲を
被った箱根の二子山が見えてきました。


 北側の斜面は、針葉樹の間に新緑のやわらかな彩りがちりばめ
られています。


 その先で、拡幅中の道路が切れ、旧道沿いとなり、下の杉林を
切り開いて、拡幅工事が続けられています。

 旧道の斜面にホウチャクソウが花を見せています。


 マムシグサやゼンマイなども伸びていました。

 ヘヤピン状に折返して下って行くと、急斜面に茶畑がありました。
1番茶の収穫も間もなく出来そうです。


 その下には、石積みの急斜面にミカン畑が続いています。

 梅畑の梅の実が、かなりふくらんできています。小田原は、梅の
特産地でもあります。

 独特の積み方で丹念に摘んだ石垣に植えてあるのは、シキミの
ようです。


 箱根の芦ノ湖を源とする早川まで下り、国道1号に出て、15時
ころ、小田急線入生田駅に着きました。

(天気 晴、距離 5.5km、地図(1/2.5万) 小田原南部、箱根、
 歩行地 小田原市) 




 

   

 


 

 

 
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