あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

クロアチアとスロベニアの旅⑤ クロアチアの世界遺産スプリットとドブロヴニク観光後ムリニへ(前半)

2019-01-23 17:34:48 | クロアチア・スロベニア旅行
 2018年10月17日(水) 
 == クロアチアの世界遺産スプリットと
               ドブロヴニク観光後ムリニへ ==

 今朝は晴天で青空が広がる。ススプリット郊外のホテル カタリーナ ドゥーゴポリェに
て6時30分に起床し、7時10分からホテルのレストランで朝食を済ませる。9時出発
予定だったが、全員早くバスに乗ったので8時56分にホテルを後にした。


  
 今日午前中は、ホテルから近い世界遺産スプリット(Split)の観光である。スプリット
は人口約35万人、アドリア海沿岸のダルマチア地方では最大の港町で、古代ローマ皇帝
ディオクレディアヌス(245?~316?年)の宮殿がそのまま旧市街になったという
珍しい起源を持つ町で、1979年に世界遺産に登録されている。

 宮殿だったスプリットに人々が住むようになったのは、ローマ帝国が滅亡して異民族が
大挙してこの地に入り込んだ7世紀のよう。

 頑強な城壁に囲まれた宮殿内に避難してきた人々は、宮殿の基礎部分はそのままにして
その上に建物を増築する形で町を築いて住みつき、いつしか宮殿自体がひとつの町へと変
貌した。その後はここが宮殿跡と知らずに多くの人が生活し、第二次世界大戦で連合軍の
爆撃を受け、ディオクレディアヌス宮殿の地下部分が露出して発見されたという。


 9時20分に、スプリット中心部南東側のフェリー乗り場近くに着いた。バスを下りて
ヤシの並木の続く「プロムナード」と呼ぶ海岸通りから港の周辺を眺める。


 その後、近くにあったディオクレディアヌス(Dioklecijanova palača)宮殿の模型で説明
を受ける。

 旧市街にあたる宮殿の広さは南北215m、東西180mあり、周囲は厚さ2m、高さ
20mの巨大な城壁に囲まれていて、東西南北に4つの門があり、それぞれ「銀の門」
「鉄の門」「青銅の門」「金の門」(東西南北順)と呼んでいたという。

     
 城壁に囲まれた宮殿の、南側中央部の「青銅の門」から城内に入った。


 右手に八角形の大聖堂と高さ60mの鐘楼があり、大聖堂は8世紀に現在の形に改築さ
れたとか。また、鐘楼には上ることができて、頂上からは素晴らしい展望が楽しめるという。
     


 その先を回って中央部にあるかつての宮殿の中庭だったペリスティル(Peristil)広場へ。
周辺にはコリント式と呼ぶ円筒形の柱が並ぶ。
     

         
 ペリスティル広場の突き当たり、4本柱のところは皇帝の私邸の玄関だったところで、
その真ん中を抜けるとドーム天井がポッカリと抜けた広場がある。
     


 私邸の前庭にあたり、このスペースはドームでよく音が反響するため、クラッパの合唱
が行われていた。
    
 クラッパとは、ダルマチア地方に伝わる、無形文化遺産にも登録されている伝統的な男
性アカペラ合唱グループのこと。演奏後CDを購入したら、一緒に記念写真撮影に応じて
くれた。
    

 西北側の洗礼室前に回ると、ディオクレディアヌス帝がエジプト遠征の際に持ち帰った
スフィンクスの像がある。
    

     
 その横から細い通りを北に抜けて、西側の鉄の門から場外に出た。
     


 その先はナロドニ広場だが、先に進まずに城内に戻り、細道を北から東へと進む。
     

     
 北側の金の門から出ると、巨大なグルグール・ニンスキ(Gurgura Ninskog)像が立っ
ていた。
         
 「クロアチアのロダン」とも言われるイヴァン・メシュトロヴィッチの作品とか。グル
グール・ニンスキ司教は10世紀の人で、それまでラテン語のみで行われていたミサにク
ロアチア語を導入し、スラブ言語の保護に貢献したとされるクロアチアの英雄のひとりだ
という。

 金色の「左足の親指に触れると幸運が訪れると」言われていて、スプリットを訪れる必
ず人々が訪れる名所のよう。多くの人に触れられたので、左足の親指だけがピカピカに光
っている。


 再び城内に戻り、ペリスティル広場周辺のチョコレート店やネクタイ店などの説明を受
ける。




     
 西側の鉄の門を出てナロドニ広場へ↓。旧市庁舎付近で10時50分からフリータイム
となり、12時30分にフェリーの切符売り場付近に集合することとなった。


 まずは、ナロドニ広場から西進して魚市場へ。建物の中の市場は、そろそろ営業を終え
ようとしている感じ。



 その横のテント下の店の方が活気があり、アドリア海の新鮮な魚介類が並び、地元の奥
様方などたくさんの人が買い物に訪れていた。



 市場は、1843年に宮殿内からここに移転してきたという。

     
 その先の長い建物の中ほどから門を入ると、コの字型の美しいルネッサンス様式の建物
に囲まれた共和国広場と呼ばれるところ。ここはヴェネツィアの聖マルコ広場をイメージ
して作られたようで、右手(西側)↓はホテルとして使われているという。



 開かれた南側に抜けて広場を振り返り↑、噴水のある広場へ出た。


     
 右手に教会があり、前方から西側は海に面してヤシの並木の続くプロムナードで、人出
も多い。



 近くの岸壁にはたくさんのヨットが係留され、その向こうには大きなフェリーらしい船
も見える。




     
 そろそろ昼食の時間だが、レストランに入る時間は無さそう。共和国広場の↑東側の通
りを進んで鉄の門から中に入り、パン店で昼食用のパンを購入する。


    

 鉄の門を出て南側の、ブラチェ・ラディッチ(Braća Radić)広場にはマルコ・マルリッ
チ像があった。
     
 マルコ・マルリッチ(Marko Márulić)(1450-1524)はクロアチアの古典作家
で、代表作『ユディタ』(en:Judita)はスプリットで書かれ、1521年に出版されてお
り、スプリットは最初のクロアチア文学の近代作品が生み出されたのだという。


 近くのプロムナードに回り、気温が上がっているのでヤシの木陰のベンチを探して11
時30分近くから、パンと飲み物で昼食とする。


 昼食を終え、南側の青銅の門からペリスティル広場↓を経て東側の銀の門を出て南に回り、
たくさんの露店が並ぶ青空市場へ。
     
  

 野菜や果物、花から衣類や日用雑貨などを扱い、地元の人や観光客で賑わう。





 それらを見ながら集合地のフェリー切符売り場付近に戻った。



 予定通りの12時30分にバスは出発して、南東へ約227㎞の最後の観光地ドブロヴ
ニク(Dubrovnik)に向かう。〈続く〉





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クロアチアとスロベニアの旅④ プリトヴィツェ湖群とシベニク観光後ドゥーゴポリェへ(後半)

2019-01-21 10:14:31 | クロアチア・スロベニア旅行
 第4日 2018年10月16日(火) 
 == クロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園とシベニク観光後
                         ドゥーゴポリエへ〈続き〉 ==

 プリトヴィツェ湖群国立公園内の観光を終え、バスは南へと向かう。正午近くに昼食を
する「Vila Velebita」と呼ぶ小レストラン(BISTRO)に着き、屋外のテーブルでサラダと
ピーマンの肉詰めの食事をする。

 店の入口では、等身大かと思われる木彫りの熊が迎えてくれた。


 13時にレストランを出た。しばらくは緩やかな丘陵と草原の広がるところを進み、陸
軍の演習場らしい横も通過する。


 周辺の山並みは石灰岩だろうか白い岩肌が目立つようになり、高度も上がる。



 広い湖の横を過ぎ、14時50分から15時30分までレストラン「KRKA」やカフェ、
売店などあるサービスエリアで休憩した。今日は気温が上がって晴天なので暑さを感じる。
沿道の温度表示は23~24℃台になってきた。



 サービスエリアからは、ヨットの並ぶ港や背後の家並み、近くのコンクリート橋などが
眺められる。


    
 敷地内には紅葉した葉に熟した実のたくさんついた木があり、近くには古い馬車のよう
なものが放置されていて、実が熟し始めたオリーブの木もあった。


    

 サービスエリアを出て間もなく、15時45分にアドリア海に面した小さな街シベニク
(Šibenik)の、港のそばのバスターミナル付近の駐車場に着いた。


 シベニクはダルマチア地方の中央部にあり、クルカ川(全長73㎞)がアドリア海に流
れ込む河口に開けた歴史の古い町で、人口は約35,000人とか。天然の良港を持つこと
からアドリア海の要塞として、また内陸部とアドリア海を結ぶ海上交通の要として発展し
てきたという。

 シベニクが初めて文献に登場するのは、11世紀の中世クロアチア王国のウラジミール
4世の時代で、アドリア海東岸で最も古い町のよう。その後、ハンガリーの支配を経て、
15世紀初頭から400年間ヴェネツィア共和国に支配されたが、1649年のペスト蔓
延で町の人口は4分の1にまで激減したようだ。

 ヴェネツィア共和国が滅亡するとハプスブルク帝国の支配下となり、第1次世界大戦後
はユーゴスラビア王国の一部に、第2次世界大戦中はイタリアファシスト政権とナチスに
占領され、戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部となり、1990年にクロア
チア共和国として独立を果たしているという。


 まずは、バスターミナルの西端付近から北西側斜面に立つ旧市街の町並みなどを眺める。


 北側の小公園に上がると独特の姿の銅像がある。
    
 台座には「PETAR KRESIMIR Ⅳ 1058-1074」と記されているので、11世紀のクロア
チア国王ウラジミール4世のよう。

 城壁の一部かと思われる横を進んで西北に広がる旧市街に入る。車の通れそうにない石
畳の細い通りを西北に進み、広場に出た。
     

 さらに進んで時計塔のある教会の前に行く。聖イヴァン教会(Sv.Ivana)で、15世紀
に建てられたゴシック・ルネッサンス建築の教会。
     
 鐘楼にはシベニクで最初の大きな機械時計があり、階段の手すりには建築家ニコラ・フ
ィレンティナッツによるというライオンの彫刻が施されていた。
     


 古い町並みが続き、その一角に犬の水飲み場というのがあった。細い通りをさらに進ん
で、独特の鐘楼に四つの鐘が目につく聖バルバラ(Sv.Barbare)教会前に出た。
      
 15世紀に建てられたゴシック様式の教会で、二つの鐘楼はバロック様式のよう。


 西北に少しで、北側に市庁舎のあるレプブリカ(Repblike)広場へ。9つのアーチが連
なる市庁舎は、ヴェネティア支配時代の建築という。


 南側は、シベニクのシンボルともいえる世界遺産の聖ヤコブ(SV.jakova)大聖堂である。

 大聖堂の建築には1431年から1535年までの100年以上を要し、途中何度も建
築責任者が変わっているとか。

 レンガや木材など一切使わずに石材だけで建築されていて、石造建築の教会としては世
界最大だという。

     
 外観で特徴的なのは、周囲に施された71人もの人間の頭部で、建築当時の市民の有力
者をモデルにしたといわれているようだ。北側の入口は「ライオンのドア」と呼ばれ、ア
ダムとイブやライオンの像があった。
     

 ここで16時30分から17時40分までフリータイムとなったので、まずは目の前の
大聖堂を拝観することにする。
     
   
     
 中に入って幾つかの祭壇や半円形の天井とドーム、精巧な彫刻の数々、宗教画、洗礼台
などを10分ほどで観覧した。
         

     

         

     

         

     


 通ってきた道筋を中心に戻ることにして、沿道の店をのぞいたりしながら進む。



 気温が上がり喉が渇いたが、ちょうどアイスクリームを販売していたので買ってその店
で味わう。


     
 さらに細道の両側に並ぶ店をウィンドショッピングしながら進む。
    

         


 市役所前を通過して、最初の公園を経てバスターミナル近くの岸壁まで戻る。



 岸壁沿いを少し回り、日が傾いて逆光に照らされた海や、近くの船なやヨット、対岸の
標識灯、海岸沿いの建物などを眺めた。
     



     



    




 バスに乗り17時45分に出発して、10分ほどで夕食のレストラン 「ANTIN GUST」
に着いた。早めの夕食のメニューは、サラダ、イカのグリル、チョコレートケーキだった。



 夕食を終えたこるには外はすっかり暗くなる。18時55分にレストランを後にして、
約67㎞東南東の今夜の宿泊地ドゥーゴポリェに向かう。

 明日訪ねるスプリットの街の北東側にあるドゥーゴポリェのホテル、カタリーナドゥー
ゴポリェ(Katarina Dugopolje)には19時46分に到着した。

  
                    (天気 曇一時雨後晴、歩数 14,900)





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湘南ひらつか七福神巡り(神奈川・平塚)

2019-01-19 17:21:24 | 七福神めぐり
 2019年1月14日(祝・月) 

 毎年、新春2日に七福神巡りをしていたが、今年は用事で行けなかった。そこで好天の
予報の今日、「湘南ひらつか七福神めぐり」に出かけることにした。

 自宅から2間10分、途中横浜駅での乗り換え1回で9時47分にJR東海道線平塚駅
に着く。


 駅構内に観光協会がないか探したが見つからず、駅の改札で聞いて少し離れた市民セン
ターにあると分かる。10時ちょうどに平塚駅北口を出た。

 駅前から西に延びる紅谷(べにや)パールロード商店街を少し進み、北側の広い通りに
回ったら市民センターの看板が見えた。

 その建物の手前に、「東海道五十三次 平塚宿の江戸見附跡」の説明板とわずかな石垣
が残っていた。この通りは旧東海道のよう。

 平塚宿の見附は2か所あり、江戸側の入口が江戸見附で、京側にあるのを上方(かみが
た)見附と呼んだとか。平塚宿はこの間の東西約1.5㎞に、江戸時代を通して200軒
を超える町並みが続いたという。

 そばの市民センターに入るが、今日は休館日。守衛さんに聞くと観光協会は閉鎖したと
のこと。七福神めぐりのマップがないかと話したら、「湘南ひらつか観光マップ」がある
というのでもらった。

 用意してきた簡単な七福神めぐりの地図と見比べ、西南西側近くの平塚1丁目にある妙
安寺に向かう。

 同じ通りの少し先に、枝を広げたクスノキなどの立つ緑地があり、「平塚小学校蹟の樟
樹」の説明板立っていた。

 それによれば「ここは、明治13(1880)年に崇善館を移設して平塚小学校とした
旧地で、明治28(1895)年に校庭の一隅にクスノキの種をまき、その種子を明治
27~28年の日清戦争講話記念に県知事が県下各学校へ配布した」ことなどが記されて
いた。

 背後には、その崇善館らしい和洋折衷風の建物↑がある。

 県道61号を跨道橋で超えて南西側の通りに回り、最初の七福神、大黒天の妙安寺(み
ょうあんじ)へ。

 創建は1624年頃で、徳川家康の側室の養珠院お万の方の奥女中だった妙安尼が開基
とか。身延山久遠寺(くおんじ)の末寺で、平塚鬼子母神として親しまれているという。

 北向の本堂で、石柱の門を入ると境内で作業中のご住職が声をかけて下さる。庫裡(く
り)で七福神の色紙に最初のご朱印をいただき、本堂内に祭られた大黒天も案内してもら
う。
         

 本堂の左手前にも、新しい大黒天像が祭られていた。
  

 東海道に戻ってすぐ、神奈川銀行の前に、「平塚宿本陣旧跡碑」があった。この本陣の
主は代々加藤七郎兵衛を名乗り、14代将軍家茂は2回休憩し、明治元(1868)年と
翌2年には明治天皇が東京行幸と遷都に際して小休止したという。

 次の交差点から細道に入るとすぐ、なまこ壁の消防団第1分団の建物があり、その前に
は「平塚宿問屋場跡」の説明板が立っていた。


 その横を北に進み、「平塚の塚緑地」と呼ぶ小公園に寄る。

 北側にクロマツが立ち、その下に平塚の地名の起こりのことを記した「平塚の塚」の由
来が記されていた。


 道路を挟んで西中町公園があり、その西側が毘沙門天を祭る春日神社である。

 春日神社は、1191年頃、源頼朝が馬入川(ばにゅうがわ)の橋供養のために建立し、
旧東海道平塚宿の鎮守社として信仰を集めたとか。源頼朝夫人、北条政子の安産祈願でも
知られているようだ。


 拝殿には精巧な木彫が施され、境内には春日稲荷神社や春日天満宮などの末社がある。
七福神の毘沙門天は拝殿左手の毘沙門堂とその前に祭られていた。
         

 境内には、カワラケに息を吹きかけて投げ割って厄をはらうという厄割石というのもあ
る。
     

 南側の空き地では間もなくどんど焼きをするようで、正月の松飾りやしめ縄などが積み
上げられていた。


 左手から背後の国道1号線に出た。緩やかな右カーブの後、葉の落ちたケヤキの街路樹
の続く歩道を東に向かう。


 検察庁交差点の先に光圓寺があったので立ち寄る。本堂は横長の独特な造り。


 本堂前に「手向の塔」と呼ぶ大きな石塔が建っている。平塚市の戦没者供養塔のよう。
         

 西北からの道と合した八幡宮交差点の北側は、3つ目の七福神、弁財天を祭る平塚八幡
宮である。

 石鳥居をくぐり、大きな弁天池の横へ。弁天池への入口に琵琶を弾く弁天立像があった。
         


 二の鳥居を入った正面が拝殿で、境内にはほかに若宮社、神明社など7つの社があり、
正月には開運七社詣でをする市民が多いよう。


 平塚八幡宮は、380年頃に起きた大地震の被害を受けた民の平穏と地鎭を願い、第
15代応神天皇を祭る社として建立されたとか。

 歴代天皇や源頼朝、徳川家康など武家の崇敬も厚く、武運や勝負、安産や子育ての神、
さらに震災や厄災からの守り神としても崇敬されているという。


 境内西側では年に一度のどんど焼きをしていて、門松や注連(しめ)飾りなどが燃やさ
れ、どんな由緒かその火に竹竿に吊した五色の団子のようなものをかざしていた。

 広い境内にはほかに、ご神木のイチョウ、全国の神社の絵馬を展示↓したパネル、多種
の縁起物を販売する店などが目についた。


     
 神社を出て、東南側の宮の前交差点を跨道橋で横断する。少し先の吉野家に12時35
分に入り、30分足らずで昼食をした。

 さらに東へ、近くの松原小入口交差点で緩やかに右カーブする国道1号を離れ、直進す
る車道へ。国道129号を横断して、相模(馬入)川右岸に接した「馬入ふれあい公園」
に立ち寄る。


 西側には、サッカー場と大屋根の市立体育館「ひらつかサンライフアリーナ」がある。


 馬入川右岸堤防に上がり眼下の運動場やモーターボート係留施設、対岸の茅ヶ崎市の建
物、下流に架かる国道1号線の馬入橋など眺める。


 堤防上には「馬入の渡し跡」碑が立ち、「江戸時代、幕府は大きな河川に橋をかけるこ
とを禁止し、相模川(馬入川)や多摩川(六郷川)では「渡し船」、酒匂川(さかわがわ)
では「徒歩渡し」などで渡っていた」ことなどが記されていた。


 碑の周辺からは北に、丹沢山塊やその東に立つ日本三百名山で関東百名山の大山(おお
やま)(1252m)が望まれる。



 公園の南側入口に戻り、そばのホテルサンライフガーデンの教会↑横を進み、近くにあ
る次の七福神、布袋尊の連光寺(れんこうじ)へ。


 本堂は近代的なコンクリート造り。その前に、屋根まで届きそうな大きなサボテンが目
につく。


         
 にこやかな布袋尊は左手お堂に祭られ、その横には七福神の乗る石像の新しい宝船もあ
る。


 南側の馬入交差点で馬入橋に延びる国道1号線を横断し、南側の細道を橋際に進むと、
「陸軍架橋記念碑」が立っていた。
         
 大正12(1923)年9月1日の関東大震災で倒壊した馬入橋の架橋工事のため、豊
橋と京都の陸軍工兵大隊が派遣されて10月3日に完成し、馬入側を担当した第十六大隊
(京都)の事績を称えたものと記されていた。


 細道を南に回り、JR東海道本線の2本の鉄橋下の草道を東に抜けて右岸堤防上に上が
る。

 東海道本線の鉄橋や対岸の茅ヶ崎市側の林などを眺めながら進むと、西側に平塚競輪場
が見えた。

 堤防を下り、そばにいた警備員に聞くと、今日は和歌山競輪場外レースを開催中で、無
料開放しているので入ったらと勧められた。


 それではと入口を入り、スタンドに上がってほんの数分だけレースを観戦する。スタン
ドはがら空きで観客は数えるほど。





 ほぼ毎年、20数年続けていて今日で37回目の私の七福神めぐりの途中で、競輪場に
入ったのは初めてのことだった。

 南側の札場町(ふだばちょう)に入り、港公園の横を進んで御宇気神社に寄る。社殿は
小さく境内もわずかだが、豊富な緑陰に覆われている。


     
 社殿前の平塚市保存樹木のタブノキの古木に、この社の歴史が偲ばれた。

 その先の乗蓮寺にも立ち寄る。山門の両側に、わらじを下げた独特の姿の石像が並び立
っていた。




 南東すぐ先が、5番目の七福神、寿老神を祭る長楽寺(ちょうらくじ)。

 大きな本堂は幅広い階段上にあり、その右横に大山が望まれる。七福神の寿老尊は、左
手のお堂の前に立つ。


         


 境内右手に、神奈川県指定有形文化財「長楽寺の庚申塔」(下の写真の左端)がある。
紀年銘はないが、県内にある同様の四臂青面金剛(よんぴしょうめんこんごう)と二猿
(ににえん)の石塔が承応2(1653)年~明暦4(1656)年建立のことから、同
時期のものと考えられるよう。

 その右手には江戸期のものらしい数基の石塔が並び、左手には「大震災焼死者供養塔」
が立っていた。

 寺の南側から北西に延びる県道607号を進む。国道129号を超える歩道橋上からは、
正面に大山や丹沢の山並みが望まれる。


 すぐ先近くに次の七福神、恵比寿神の平塚三嶋神社がある。創建は1千年以上前で、平
安時代にはすでに漁業者の信仰を集めていたとか。江戸時代に盛んだった「大山詣で」で
は、海路から訪れる人々の道中の安全祈願所として参拝されていたという。

 一の鳥居を入ると、クロマツの立ち並ぶ参道の先に平塚市保存樹木のクスノキが立つ。



 二の鳥居を入り正面の拝殿に参拝する。拝殿には鶴などの精巧な木彫が施され、恵比寿
神は拝殿左手に釣り竿を持って微笑んでいた。


         

              

 境内には、厄除け開運や流行病など種々の病気を癒やす疫(やく)神社↓や、伊弉諾
(いざなぎ)神社などが祭られている。


 最後の七福神、福禄寿の善性寺(ぜんしょうじ)は、県道を挟んだ西側のはずだが見つ
からず、少し探して北西側にあった。

 善性寺は1661年頃日栄上人が創建し、当初は三浦郡横須賀にあったが1942年に
当地に移転したとか。別名「湯吞寺」と呼ばれ、別棟に国内外の著名作家による湯吞みや
茶器などが拝観できるという。

         
 新しい福禄寿は、本堂右手ににこやかに立ち、本堂の扉を開いてみたら、堂内にも祭ら
れていた。


    
 本堂の扉には、寺院では珍しいステンドグラスが数枚はめ込まれている。庫裡で最後の
御朱印をいただき、15時19分に寺を後にする。


 同じ通りをさらに北西へ、最後に左カーブして「人魚の像」のある平塚駅南口広場に入
り、15時32分にJR平塚駅にゴールした。
     



 ちなみに、七福神めぐりの色紙は500円、朱印代は1か所300円である。


 今日歩いたエリアは、平塚駅を中心に東西3㎞、南北2㎞足らずの範囲にあり、平坦な
市街地で道路が広くて主要道には幅広い歩道もあり、気温も10℃前後で風も弱く、歩き
やすい七福神めぐりだった。

(天気 快晴、距離 10㎞、地図「湘南ひらつか観光マップ」、「湘南ひらつか七福神
めぐり」リーフレットの地図、歩行地 平塚市、歩数 21,300)


 なお、「湘南ひらつか七福神めぐり」の公式サイトはこちらを。
 





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クロアチアとスロベニアの旅④ プリトヴィツェ湖群とシベニク観光後ドゥーゴポリェへ(前半)

2019-01-15 18:06:05 | クロアチア・スロベニア旅行
 第4日 2018年10月16日(火) 
 == クロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園とシベニク観光後
                            ドゥーゴポリエへ ==

 クロアチアの中央部内陸のプリトヴィツェ湖(Plitvika jezera)群国立公園内にあるホテ
ル イェゼロにて6時30分に起床した。7時10分頃ホテルのレストランに行き8時近く
まで朝食をする。

  

 8時50分にホテルを出発して、世界遺産プリトヴィツェ湖群(Plitvička jezera)国立公
園内を約2㎞、標高差約60m、歩行時間約2時間の軽いハイキングに出かける。
     

 プリトヴィツェ湖群国立公園は、クロアチアで最古かつ最大の国立公園。80%が森林
で覆われ、大小16の湖と92の滝がエメラルドグリーンの幻想的な景観を作り出してお
り、1979年に世界遺産に登録されている。

 16の湖は、山間から流れ出て来る水が標高639m~503mまでをおよそ8㎞にわ
たって南北方向に流れる中で形成され、上湖群と下湖群があり、湖群は約2㎞にわたって
広がり、最大の滝は下流のプリトヴィツェ川に流れ込んでできたヴェリキ滝と呼ぶ国内最
大の大滝で、湖群の最下流にある湖からコラナ川へ流れ出すという。

 今日のハイキングは、それの中の下湖群の観光である。


 9時過ぎに、下湖群最下流部南側のチケット売り場前に着く。すでにたくさんの観光客
で賑わい、ポチポチと雨が落ちてきて傘を差す人もいる。


 「入口1」と呼ぶ最下流北東側の入口から入り、湖群に向かって少し下がると落差の大
きな滝など3つの滝と湖などが紅葉を始めて木々の間に望まれる。


     
さらに下った展望台からは、右手に落差78mで国内最大のヴェリキ滝が間近に眺められ、
正面の遊歩道の下に3筋の垂直に落ちる滝が、左手に幾筋かに別れた滝が一望である。




     
 流れに向かってジグザクの遊歩道を下って行くと左手上流側の湖や三つの滝の滝壺など
も見えてきた。


     

         

 対岸の垂直な斜面には、張り付くように紅葉の木々が色づく。
  


 最下部の次の「カルジェロヴァツ(KALUDEROVAC)」湖と呼ぶ標高508m、広さ
2㏊の滝の湖面際に下り、下流側の木道を渡って対岸に向かう。最下段のノボコヴィッア・
ブロッド(NOVAKOVIĆA BROD)湖(標高504m、0.3㏊)沿いを進む。湖には幾
つもの魚が見られた。


     

 上から見えた真ん中と左手の滝の下にある展望台に着き、間近に落下する滝を眺めたり
記念撮影などする。
     


 少し戻って往路の反対側、カルジェロヴァツ湖の西岸の遊歩道に向かう。


 湖岸に沿った木道を進むと、こちらにも魚影が見られる。南端近くまで進んだところに
は、次の湖からの落差の少ない滝が現れた。


    
 三つ目の滝はガヴァノヴァツ(GAVANOVAC)湖で、標高514m、面積0.9㏊と
記されていた。湖にはマスらしい魚が見える。


     
 遊歩道は対岸へと進み、幾つもの落差の少ない滝の横を通過する。


         


 次の湖はミラノヴァッツ(MILANOVAC)湖で、標高524m、面積3㏊。対岸に垂直
の断崖が望まれる。


     

         







     

     
  
    
 さらに先には、この公園に寄付をしたオペラ歌手の名前を記したプレートが岸壁に埋め
込まれていた。

 東岸を南端付近まで進み、落差10mのミラノヴァチュキ(MILANOVAČKI)滝の横を
上がる。
     


 その上は下湖群最大のコズイヤク(KOZJAK)湖で、北端から湖畔を離れて西岸を高み
に上がって行くと、木々の切れ目から湖の一部が望まれた。



 500m前途進んで10時36分に、「P3」と名付けられた船着き場近くの広場に着
いた。

 ここには土産物店やカフェなど幾つもの建物、休憩用テーブルや椅子などあり、観光客
も多い。ここで11時までフリータイムとなる。





 11時に集合して船着き場に行き、遊覧船に乗り11時03分に船は出た。



 広い湖の周囲を囲む山並みや木々など眺めながら船は南東へと進み、11時23分頃
「P1」と呼ぶ船着き場に着いた。










     

         


 林間を歩いて公園入口「ST2」を11時36分に出て、近くで待機していたバスに乗
り、4分ほどでホテル イェゼロに戻る。





 すぐにもう一度バスに乗り、11時44分にホテルを出発して、南へ約187㎞のアド
リア海沿いの都市シベニクに向かう。〈続く〉






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クロアチアとスロベニアの旅③ リュブリャーナとポストイナ観光後プリトヴィッツェへ(後半)

2019-01-10 22:11:53 | クロアチア・スロベニア旅行
  第3日 2018年10月15日(月) 
== スロベニアの首都リュブリャーナとポストイナ鍾乳洞の
               観光後クロアチアのプリトヴィッツェへ〈続き〉 ==

 10時25分にバスはスロベニアの首都リュブリャーナ出発し、南西に約48㎞のポス
トイナに向かう。

 



 車中では雨になり、この後の天候が心配されたが11時過ぎには止み、11時10分に
ポストイナ(Postojnska)に着いた。


 ここでは、ポストイナ鍾乳洞の観光である。ポストイナ鍾乳洞は全長約27㎞、最深部
は地下115mになり、ヨーロッパ最大規模を誇る鍾乳洞のよう。

 鍾乳洞は、10万年ほど前からピウカ川の水を吸収した石灰岩が少しずつ削られて形成
されたとのことで、鍾乳石が1㎜成長するのに10~30年かかるといわれている。

 スロベニア有数の観光地として、世界各地から年間30~50万人の観光客が訪れると
いう。


 11時15分頃チケット売り場前で一旦解散し、11時50分に鍾乳洞入口の広場に集
合となる。


 土産店をのぞいたりしながら進んで階段を上がり、たくさんの国の国旗の立ち並ぶ入口
付近へ。




         
 周辺にはいろいろな草花が植えられていて花を競い、川を挟んで両側の色づく樹木など
も一望できる。
    




 時間までに集合して、斜面に開かれた入口から洞内に入り、12時発の長い編成の観光
用トロッコに乗る。

 トロッコは2㎞ほどを5~6分で走行するが、屋根のない車輌がカーブの多い線路を岸
壁すれすれに進むので、スリル満点だ。

 洞内の気温は年間を通して10℃前後のようなので寒さも感じるが、車中からも多彩な
彩りや形の鍾乳石群が眺められた。

 トロッコを下りて、約1.7㎞という周遊路を各々のペースで決められた時間までに1周
することになる。


 受付で借りた音声ガイド(日本語)を、数字で表示された見どころで聞きながら進むと、
様々な色の鍾乳石が上から、石筍(せきじゅん)が下からと年代に応じて成長している。




     


 形も様々で進むにつれてその変幻自在で規模の大きさに驚かされる。
     

         

     



     




 広い空間や狭いところ、アップダウンもかなりあり15分余り進むと橋を渡る。
     







     
 さらに進んで少しずつ回り込んで往路の橋を下から眺め、13時頃一週を終えると洞内
に売店があった。
         






 売店には鍾乳洞ゆかりの土産物が並び、著名な来訪者や古い写真なども展示されている。




    


 13時10分頃のトロッコに乗って入口に戻り、20分後にバス乗り場に戻るよう案内
されたので、13時20分過ぎに入口を出てバス乗り場に戻る。





 13時40分にバスは出発して近くの昼食地に向かい、13時47分に「Erasmus」とい
うレストランに入り、スープとローストビーフの昼食をした。





 昼食を終えてバスは14時45分に出発して、国境を越えて南東へ約206㎞のクロア
チアのプリトヴィッツェ湖群国立公園の宿泊するホテルに向かう。
 国境までは高速道路に入らず、カーブの多い山間や鉄道線路も見られる一般道路を行く。

 15時37分にスロベニア側国境ゲートに着き、10分ほどで通過したがクロアチア側
ゲーとでは少し待たされ、30分余りの16時16分に通過した。





 そのあとは首都ザグレブ方向への高速道路を進み、17時33分から55分までサービス
エリアに入ってトイレ休憩をする。売店には「Marché」の看板が出ていた。



 日没となって周辺は次第に暗くなり、18時32分に高速道路を出た。宿泊する、プリ
トヴィッツェ湖群(Plitvika jezera)国立公園内にあるホテル イェゼロ(Jezero)には19時
37分に着いた。


 部屋に入って少しの時間休み、20時20分頃から21時頃までホテルのレストランで
遅い夕食をした。

 高速道路の温度標示は、国境通過後間もなくの16時25分は16℃だったが、日没後
の18時09分には10℃まで下がっていた。 (天気 曇一時雨、歩数 12,400)




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クロアチアとスロベニアの旅③ リュブリャーナとポストイナ観光後プリトヴィッツェへ(前半)

2019-01-04 15:17:09 | クロアチア・スロベニア旅行
 第3日 2018年10月15日(月) 
 == スロベニアの首都リュブリャーナとポストイナ鍾乳洞の観光後
                       クロアチアのプリトヴィッツェへ ==

 スロベニアの首都リュブリャーナ中心街の東北東にある、ラディソン ブルー プラザ
ホテルのレストランで朝食を済ませ、8時45分にバスでホテルを後にした。今朝は曇天
である。
     

 今日の行程は、リュブリャーナ中心街の散策後、バスで約48㎞移動してポストイナ鍾
乳洞の観光、そして国境を越えてクロアチアに戻り、宿泊地のプリトヴィッツェ湖群国立
公園へ向かう予定である。
  

 午前中はリュブリャーナ市内の観光で、市内中心部に入り9時5分にバスを下りた。


 街の名「リュブリャーナ(Ljubljana)」は、市内を流れる全長41㎞のリユブリャニッ
ァ川にちなんで名付けられ、人口は約30万人、標高は298m前後とか。

 500年にわたる神聖ローマ帝国の支配後、オーストリア・ハンガリー二重帝国に組み
込まれてハプスブルク家のもとで発展を遂げ、ルネッサンス、バロック、アールヌーボー
など各様式の建築物が調和した小さな芸術の都だという。

 リュブリャーナに住む日本人女性ガイド〇〇さん(名前はメモ忘れ)の案内で、三本橋
の方に向かう。
         

   
 広場に入って旧市庁舎↑の前を通過し、青いドームの聖リュブリャーナ大聖堂(聖ニコ
ラス大聖堂)の前に出た。

 13世紀に創建され、船乗りや漁師が守護聖人ニコラウス(サンタクロース)に捧げた
教会とか。

 火災により何度か再建を重ね、現在の建物はイエズス会の建築家ポッゾにより1706
年に建設されたもののよう。


 東側のヴォードニコフ(Vodnikov)広場には、日曜以外の毎日に開催される青空市場が
ある。

 たくさんのテントの下に青空市場が開催されていて、新鮮な野菜やたくさんの果物、生
活用品などが目に入り、多くの市民が訪れていた。
    

            

    

        

 広場の北東側に架かるのが「龍の橋(Zmajsi most)」。1895年のリュブリャーナ大
地震で崩壊した「肉屋の橋(Mesarski most)」の代わりに1901年に建てられたアール
ヌーボー様式の橋である。

 リュブリャーナ初の鉄筋コンクリート製で、橋の四隅にはリュブリャーナの象徴である
龍の像が据え付けられいた。
         


 南側高台にそびえるリュブリャーナ城を眺めながら青空市場の横を戻り、次の「肉屋の
橋」を渡る。

 2010年落成の新しい橋で、欄干にはカップルが「愛の誓い」を願って付けた南京錠
がたくさん並んでいて、恋愛スポットとして知られているという。


         
 橋を渡ったところに、地元芸術家のブロンズ彫刻があった。


 東側の「龍の橋」↑や、これから行く「三本橋(Tromostovje)↓」などを眺めで橋の南に
戻ることにする。



 リュブリャーナ大聖堂などを見ながら西に少しで、リユブリャニッァ川が90度カーブ
する辺りに架かるのが「三本橋」である。

 南東側の旧市街と西側の新市街を結ぶ小さな3本の橋だが、この川に架かる橋では最も
人々の往来が激しく有名な橋のよう。中世から何度も改善され、1930年代に建築家ヨ
ジェ・ブレチニクにより歩行者用の2本の橋が付け足されて現在の姿になったという。

 橋の北西側はプレシェーレン(Preernov)広場で、リュブリャーナの中心にあたるとこ
ろ。

 広場に面して、鮮やかなピンク色のフランシスコ会(Franciskanska)教会がある。

 1646~1660年に建てられ、イタリアの影響を受けたルネッサンス建築の教会の
よう。

 広場の三本橋のたもとには、19世紀スロベニア最大の詩人フランツェ・プレシェーレン
とミューズの銅像がある。
         
 ちなみに、プレシェーレンの書いた詩が、スロベニア国歌の歌詞になっているという。
広場を囲む建物にもユニークなものが見られた。


     

 三本橋を渡って旧市街に戻り、正面高台にリュブリャーナ城を見上げる。
     

 下には市庁舎があり、その前にベナチア出身の有名な彫刻家フランシスコ・ロッパが建
築したという噴水がある。
     
 だがこれはイミテーションとのことで、本物はナショナルギャラリーにあるようだ。


 広い通りから細い通りへと進み、再びリュブリャーナ大聖堂(聖ニコラス(Sv.Nikolaja)
大聖堂)に向かう。


     


 大聖堂前に出て、扉の彫刻や建物の装飾などガイドさんから説明を受けたが、メモして
ないのでその内容は紹介できない。
     

         


              


 9時50分過ぎから10時15分までフリータイムとなる。少しだけ川を眺めた後、青
空市場のあるヴォードニコフ広場に戻り、市場の生花を眺めたり周辺の商店をのぞいたり
する。


         



         

     
        
 リュブリャーナの観光を終えて10時25分にバスは出発し、南西に約48㎞のポスト
イナに向かう。                             〈続く〉





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咲き出した所沢航空記念公園のロウバイ園と神明社初詣(埼玉・所沢)

2019-01-03 16:31:24 | 所沢だより
 2019年1月3日(木)

 今日も晴天となったので、市内ウオーキングで所沢航空記念公園から所沢駅周辺などを
巡ることににしました。

    
 所沢航空記念公園に入り、中心部の放送塔の南西側、日本庭園の東に接したロウバイ園
に回ったら、もう何本かのロウバイが開花していました。


    



 ロウバイには2種あるようで、その説明パネルも何枚か園内に。




    





 まだこれからの木の方がたくさんなので、しばらくの間、花が楽しめそう。


    



    

         



         

 ロウバイ園を東に抜けて、所沢駅方面に向かうことにしました。


 所沢の中心街に入り、プロペ通りから所沢駅前まで進んで折り返し、元町交差点から北
へ、旧市役所の建物の背後に回って所沢の総鎮守である所沢神明社を参拝することに。
     


 下の階段を上がるとかなりの列が伸びていて、これでは参拝に時間がかかるかと思った
のですが、この列は手水舎へのものだったのでその横を上がると、拝殿前の列はわずかで
した。 


     
 拝殿の西側では、所沢の縁起物のメーカー「面亀(めんかめ)」が、だるまなどを販売
しています。
    

        

     


 参拝後、境内を一巡してみました。


 拝殿前のおみくじのピラミッド
 

 東側には甘酒などの露店が。


 お守り頒布所で、毎年いただいている交通安全のお守りを分けていただきました。




 南側から出ることにして石段を下ります。手水屋への列はまだたくさん。



 南東側中段には人形殿があり、拝殿の両横に納められた人形が並んでいます。



 人形殿前にもいくつかの露店が出ていました。




 南側石段下から西へと帰路に向かいました。

 歩き始めの頃は風も無く穏やかな日和でしたが、正午前後から北西の風が強まり、真冬
の寒さを感じながらの市内ウオーキングとなりまし。
 
 





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平成最後の元日 六本木ぐるぐるウオーク2019へ(東京)

2019-01-01 22:14:18 | ウオーキング
 2019年1月1日(火・祝)

 皆様、よい新年をお迎えでしょうか。昨年も当ブログをたくさんの方にご覧いただき、
本当にありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。

 晴天に恵まれた首都圏の元旦の今日は、NPO東京都ウオーキング協会主催の『「謹賀
新年」六本木ぐるぐるウオーク 2019」』に参加しました。

========================================

 JR中央線四ツ谷駅に9時27分に着き、南西側5分ほどにある集合場所の四谷見附公
園へ。


 公園の中央に、新宿区立公園で最大の木というプラタナスの大木が立っている。この公
園が大正時代に赤坂離宮前記念公園として開園した頃からあったようで、新宿区の「みど
りの新宿30選」に選定されているという。
     




 10時から出発式が始まり、最初にNPO東京都ウオーキング協会会長の大塚さんから
新春の挨拶がある。
         

 そのあと、コース説明やストレッチ体操をして10時15分にスタートした。 


 南西に向かい、すぐ先で学習院初等科の正門前を通過し、学習院沿いに鮫河橋坂を緩や
かに下る。
     


 緑豊富なみなみもと町公園横を過ぎると上り坂となり、東宮御所の正門前を過ぎる。      


 東宮御所の一角に、紅葉の彩りが残っていた。



 権田原交差点で右折して明治神宮外苑に入り北北東へ、この周辺では新年恒例の催しか、
20㎞競歩の大会を開催中で、選手が次々に通過し、横断する場所ではウオーカーは少し
待たされる。


 その間を横断して聖徳記念絵画館前を過ぎる。



 すぐに緩やかな左カーブとなり、2020年の東京オリンピック主会場として建設中の
国立競技場横を南へと回る。競技場の外観はかなりできあがっていた。



 神宮第二球場の先には、ヤクルトスワローズのホームグランドで東京六大学野球のメッ
カ、神宮球場が。正式名称は「明治神宮野球場」のよう。、


 続いて秩父宮ラグビー場前を過ぎる。


 外苑前交差点で左からの青山通りに合する。
 

 青山通りをすぐ先の青山三交差点で左折して南東への外苑西通りに入り、少しで西側を
平行する細い通りをしばらく進む。普段通過したことにない住宅地の間の通りだ。
      

 その細い通りの一角、南青山四丁目にあった小さな店のウィンドウに並んでいたもの。



 高架になっている都道413号・赤坂通の下を通過し、次の西麻布交差点を左折して六
本木通りを東北東へと向かう。   
     

 六本木六交差点の先で六本木通りに分かれて北西に延びる通りへ。間もなく六本木西公
園前を通過する。


 近くの路傍に古いお地蔵さんが残っていた。
 

 すぐ先で、外苑東通りとの交差点に出た。地下は都営大江戸線の六本木駅だが交差点の
向こうには六本木ミッドダウンの超高層のイーストビルが。
     


 その横をさらに東北へ進み、桧町公園横へ。少しだけ公園をのぞいてみる。




     

 公園の東北端でひとつ東側の通りに回り、緩やかなカーブ道を進んで氷川神社前へ。参
拝しようとしたが参拝者がたくさん並んでいたので鳥居際で頭を下げた。


 参道には、ご神木のイチョウだろうか高木が立っている。
   

 変則X字路を左折してすぐ先のY字路の北側に、勝海舟と坂本龍馬の師弟像があった。
敷地は現在、特養ホームになっているよう。
        

 北北西に進む通り、氷川公園辺りから望まれるのは国際新赤坂ビルのよう。
     


 地下を東京メトロ千代田線の走る赤坂通を横断して、一ツ木通り↑を進み、赤坂見附交
差点へ。



 ここで左折して内堀通に入り、西から西北へと回って紀伊国坂を上がる。


 紀乃国坂交差点付近からの北方、上智大学周辺のビル。


 左側は赤坂御所沿いで、閉じたままの門は東門だろうか。


 坂を上がりきり、若葉東公園前を過ぎる。


 その辺りから東側の眺め。やはり上智大学のビルだろうか。



 四谷中前交差点を左折すれば、スタート地でゴールの四谷見附公園。12時25分にゴ
ールした。


 ぐるぐるウオークなので、さらに同じコースを1~2周することもできるが、アンカー
がすぐ後に到着したように私の歩きはスローペースなので、1回で終わりとする。

 初歩きの御神酒を少しだけいただいて公園を去り、JRと東京メトロ丸ノ内線の四ツ谷
駅に向かい、東京メトロ四ツ谷駅12時40分発で新宿方面に向かった。

(天気 快晴一時晴、距離 10㎞、地図 大会配布地図(1万分の1)、歩行地 新宿区、
 港区、歩数 13,800) 
     
 





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クロアチアとスロベニアの旅② ザグレブとブレッド湖観光後リュブリャーナへ(後半)

2018-12-30 16:09:55 | クロアチア・スロベニア旅行
 第2日 2018年10月14日(日) 
 == クロアチアの首都ザグレブ市内観光とスロベニアのブレッド湖観光後、
                       首都リュブリャーナへ(後半) ==
 
 バスはクロアチアの首都ザグレブから西北西に約53㎞移動し、途中国境を越えて隣国
スロベニア(Slovenia)に入り、首都リュブリャーナ(Ljubljana)に向かって高速道路を
移動する。


 車中、添乗員のSさんから両国についての話があり、国全体の森林率は日本68%だが
スロベニアは62%でクロアチアは34%、農地はスロベニア24%、クロアチアも24
%、主要農産物は麦、トウモロコシ、砂糖大根、ジャガイモなどのほか、スロベニアでは
ホップ、クロアチアではオリーブなど。石灰岩の土地が多いので土地はやせていて、畜産
が盛んとのこと。

 国境までは40分余り、クロアチア側ゲートではドライバーのチェックのみだったが、
スロベニア側ゲートでは全員下車してパスポートチェックを受け、11時55分頃通過し
た。

 スロベニアに入って間もなく、高速道路の途中にあったサービスエリアに12時22分
に着き、12時40分までトイレ休憩となる。


 ちなみに、スロベニア共和国はクロアチアの北西側にあり、西にイタリア、北にオース
トリア、東北にハンガリーと接していて、1991年に旧ユーゴスラビアから独立し、
2004年にEUに加盟している。

 面積は四国とほぼ同じの約2万273㎢、人口は約206万人、首都はリュブリャーナ、
言語はスロベニア語で、宗教はローマ・カトリック教が95%、通貨は€(ユーロ)で1€
は約135円である。



      
 さらに進んでリュブリャーナ市内に入り、13時30分に昼食地の「Via Bona」と呼ぶ
レストランンに着き、14時30分までスープとターキーのグリルの食事タイムとなる。


 14時35分に出発して北西に約53㎞進み、スロベニアの北西端に近いブレッド(Bled)
湖畔東部の駐車場に15時35分に到着した。


 ブレッド湖は、東西約2.1㎞、南北約1.4㎞、最深は30mで、周囲を一周できる6
㎞の遊歩道もあり、湖にはサケ、マス、ナマズ、ウグイなど19種類の魚が生息するとか。

 アルプス山系の東端、2,000m級の山々が連なるユリアン・アルプスを背にしたス
ロベニアを代表する景勝地で、国立公園に指定されているという。

 山々を映す澄み切った湖は「アルプスの瞳」と讃えられ、中世にはハプスブルク家の保
養地として整備が始まり、近年では旧ユーゴスラビアのチトー大統領もこの地をこよなく
愛したという。

 現地ガイドのマンタさんの案内で湖の南面を西に向かう。
  


 湖畔からは紅葉に彩られた木々や湖畔の建物、北東約100mの高さの断崖上に立つ
11世紀建造のブレッド城や聖マルティヌス教会、背後のユリアン・アルプスの山並み、
さらにこれから行くブレッド島に立つ聖母マリア教会などが望まれる。
     







 色づき始めた広葉樹の下を進んで行くと、ユーゴスラビア時代にチトー大統領の別荘だ
ったホテルがある。



 近くのボート乗り場からの眺め。









 そのボート乗り場から15時50分頃、「プレトナ」と呼ぶ手こぎボートに乗る。この
ボートは普通のボートとは逆に、前方に向かってオールを押して漕ぐ。
     

 ボートはすぐ先に見える「ブレッド島に向かい、15分ほどで島の波止場に着いた。

 聖母マリア教会に向かっては99段の急階段が伸びている。階段を上がって教会内を拝
観することにした。
     
 聖母マリア教会ができたのは8~9世紀のようだが、現在のバロック様式の教会に改築
されたのは17世紀とか。この教会はスロベニア人の憧れの結婚式の場所のようだが、花
婿は教会まで続く階段を花嫁を抱きかけながら上らなければならないのだという。


 白亜の教会に入り、黄金の祭壇の聖母マリア像や周辺の豪華な絵画などを拝観した。
     





     



       

    


 教会を出て周辺の風景や近づく手こぎボートなども眺める。




 元チトー大統領の別荘だったホテル。


     
 16時45分に再び手こぎボートに乗り、南岸の乗り場に戻った。




 もとの道をバス駐車場に向かい、駐車場周辺に戻り17時20分頃から30分ほどのフ
リータイムとなり、周辺の土産物店や湖岸などを一巡する。

 ある土産物店店頭で歓迎してくれたクマちゃん。
     

 噴水


 ブレッド湖の模型






 湖畔のホテル



 太陽が西に傾き、ユリアン・アルプスの山並みは夕日であかね色に染まる。


 湖岸に建つブレッド村役場↑前には、2013年6月に秋篠宮殿下ご夫妻が植樹された
桜の若木が育っていた。
     

 17時50分に集合してバスは18時にブレッド湖を後にする。

 バスは往路を約53㎞戻って首都リュブリャーナに入り、宿泊するラディソン ブルー
プラザホテルに19時07分に着いた。


 19時45分から20時30分頃まで、ホテルのレストランで夕食をする。
                         (天気 晴、歩数 12,300)





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クロアチアとスロベニアの旅② ザグレブとブレッド湖観光後リュブリャーナへ(前半)

2018-12-29 14:00:03 | クロアチア・スロベニア旅行
 第2日 2018年10月14日(日) 
 == クロアチアの首都ザグレブ市内観光とスロベニアのブレッド湖観光後、
                       首都リュブリャーナへ(前半) ==

 クロアチアの首都ザグレブのホテル アイにて6時に起床し、7時からレストランで朝
食をする。

 ホテル9時出発予定のバスは、皆さんが早めに集合したの8時50分に出発した。


 今日は、ザグレブ市内を観光後、西北西に約140㎞移動してスロベニアの首都リュブ
リャーナ市内で昼食を済ませ、北西約53㎞のブレッド湖の観光後、リュブリャーナに戻
って市内のホテルに宿泊の予定である。
 

 観光するバスのドライバーはイリカさん、ガイドはマルティナさんとのこと。

 ちなみに、クロアチア共和国はアドリア海を挟んでイタリア半島の付け根付近と相対す
る位置にある。1992年に旧ユーゴスラビアから独立し、2013年にEUに加盟して
いる。現地時間は、この後訪ねるスロベニアともに夏時間で、日本より7時間遅れである。

 面積は九州の約1.5倍の5万6590㎢余り、人口は約428万人、首都はザグレブ
で、言語はクロアチア語、宗教はローマ・カトリックが88%、ほかにセルビア正教など、
通貨の単位はクーナ(Kn)で1クーナは約20円という。

 首都ザグレブは、北東側の丘の上に建てられたカプトル(KAPTOL)と北西側のグラデ
ツ(現ゴルニィ・グラード(GoRNJI GRAD))という中世都市が起源で、カプトルは
1094年にハンガリー王ラディスラブ1世が建設した宗教都市、一方のグラデツは
1242年にハンガリー王ベーラ4世により自由都市として認められた商工都市で、19
世紀になり合併してザグレブとなり、その後南側にも市域が広がり、現在はヨーロッパで
最も成長著しい都市のひとつのよう。


 9時過ぎにはザグレブの中心街に入り、9時6分にズレニェヴァツ公園前でバスを下り
た。北に進んでイェラチッチ(Jelačića)広場(共和国広場)へ。

 広場の中央には、オーストリア帝国時代の軍人の政治家で、現在のクロアチアの国民的
英雄であるイェラチッチの騎馬像が立ち、像の周辺にはマラソン用のアーチが並ぶ。
     

 今日はザグレブマラソンが開催されるという。


 少し歩いて広場の西にある「ウスピニチャ(Uspinjača)」と呼ぶ世界一短いケーブル
カーに乗る。
     
 1890年に開通したもので長さはわずか66m、標高差30.5m、あっという間の
約30秒で上に着いた。

 そばにロトゥルシュチャク(Lotrščak)塔がある。かつてグラデツ地区を囲んでいた、
13世紀建造で唯一残る城壁の一部の見張り塔。毎日正午には巨大な大砲による空砲の轟
音が市街に響き渡るという。
     


 塔の付近からはザグレブ市外の大展望が広がり、南側に旧市街から新市街まで望まれる。




 周辺には土産物などの露店もある。


 北に進むと、ザグレブで一番美しいバロック様式の教会とも言われる聖カタリーナ教会
があり、純白な外観が印象的だ。
     

 ロトゥルシュチャク塔の北側にはナイーブアート美術館がある。クロアチアでは農家の
人々が農閑期に自分たちの日常生活や身の回りの風景を描いたのが始まりで、絵はガラス
板に描かれ、絵の具をガラスの裏側からのせて描き、表から観賞するのだという。

 

 その先が聖マルコ(Marka)広場で、北側の聖マルコ教会はゴルニィ・グラード地区の
象徴的な建物である。

 屋根にはモザイクの紋章が施されていて、左はクロアチア王国、ダルマチア地方、スラ
ヴォニア地方の紋章、右はザグレブ市の紋章で、1880年の改築工事により新たに加え
られたという。



 広場の左手は首相官邸↑、右手は国会議事堂↓で、二つの建物にはクロアチア国旗とEU
の旗が掲げられている。


 聖マルコ広場から東に少し下って石の門へ。ゴルニィ・グラードは中世にはグラデツと
いう王国自由都市で、敵の侵入を防ぐために城壁に囲まれていたが、この門は当時の数少
ない出入り口だったところ。
     
 当初は木造だったが18世紀に石で固めた現在の姿になったとか。

 門の外側に、クロアチア初の歴史小説「宝石商の娘」の主人公というドラ・クルピチェ
ヴァのブロンズ像が立っている。
     

 門の中の礼拝堂にはザグレブの守護神という聖母マリア像が納められていて、毎日たく
さんの市民が祈りを捧げに訪れているようだ。
         


 南東に下る途中の花壇に聖ユライの騎馬像があり、馬の下は龍のよう。聖ユライはキリ
スト教の聖人のひとりで、毒を吐く龍を退治したという伝説のシーンを再現したとか。



 坂を下ると花をたくさん並べた花市場があり、中心にはギターを弾く銅像が。
     
 ペトリツァ・ケレンブッフの像で、クロアチアの作家・ミロスラブ・クルレジャの詩集
「ペトリツァ・ケレンブッフのバラード」に登場する主人公という。


 その下には野菜や果物、肉や魚、加工食品や雑貨などを販売する露店がたくさん並んで
いた。


 賑わう広場から東へ、聖母被昇天大聖堂前に出る。13世紀から18世紀にかけて建造
されたザグレブのシンボルともいえる大聖堂。
     
 2つの尖塔は高さ100m以上あり、現在の外観は1880年の地震後に修復されたよ
う。
     

     
 大聖堂前の前の広場に立つ塔には、黄金の聖マリア像が載っていた。
         

 南西に下って10時にイェラチッチ広場に戻り、20分間のでフリータイムとなる。
ちょうどザグレブマラソンのランナーがスタートしたところで、コース沿いにはたくさん
の人が見送っている。


 広場の隅にザグレブ市街の市外の立体地図があった。


     
 周辺の土産物店の店頭などをのぞきながら広場周辺を一巡する。






 広場の中央にあるイェラチッチ総督像も間近に眺めた。
     
 イェラチッチ総督は19世紀半ばに将軍として軍隊を率いてハンガリーと戦い、独立を
勝ち取った国民的英雄である。




 集合場所のズレニェヴァツ公園に戻り、水道が通った1872年直後に完成したという
ザグレブ最初の噴水や、1884年にアドルフ・ホルツウェル医師からザグレブに送られ
た大理石製の百葉箱など眺めてバスを待つ。
    

       

               

 バスは間もなく到着し10時36分に出発した。 〈続く〉





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