あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

アジサイが見頃な所沢航空記念公園の日本庭園(埼玉・所沢)

2018-06-13 21:58:50 | 所沢だより
 2018年6月13日(水)

 今日の市内ウオーキングでは、いつもよく巡るコースの一つである所沢航空記念公園に
正午過ぎに入りました。

 そろそろアジサイが見頃ではないかと思い、公園の中ほどにある日本庭園に回ってみた
ら、やはりたくさん咲いています。最初は茶室「彩翔亭(さいしょうてい)」周辺のアジ
サイ。







 ところどころにガクアジサイも。




       






 彩翔邸の南西にある東屋からさらに南側斜面を回ります。



 ところどころにあるビオウヤナギも見ごろです。






         





 花の色もいろいろと。






    

         

 日本庭園の一番南東側あたり。








    

       
 
    





    



 池の北東側に回り、池とその周辺の花も眺めました。






 ハナショウブは見頃を少し過ぎたよう。
     

          

       

          

    



 日本庭園を東側出口から抜けて、さらに航空記念公園を南口から出て、所沢駅方面に向
かいました。





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妻沼郊外の田園地帯と国宝建造物のある妻沼聖天山などを巡る(埼玉・熊谷)

2018-06-11 23:07:10 | カントリーウオーク
 2018年6月10日(日)

 梅雨入り後4日目、埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの第254回例
会に参加した。


 集合はJR高崎線・秩父鉄道の熊谷駅。10時15分発妻沼(めぬま)行バスに乗り、
10時40分に道の駅めぬまバス停で下りた。

 道の駅には「めぬま物産センター」と「めぬまアグリパーク」の建物、そしてバラ園な
どがある。

 物産センター↑には近在の新鮮な野菜などが並び、アグリパーク↓にも地元物産品などが
豊富である。




 外で販売していた植木類



 バラ園のバラは盛りを過ぎていた。それらを一巡後、小雨模様なので雨具を付けて11
時にスタートした。
 
== 田園地帯にある集落の寺社を巡る ==

 国道407号を横断して西へ、周辺の田んぼはまだ水入り前で、遮るもの無い展望が広
がる。



 まずは、最初の集落八木田の観音寺に行く。本堂前に鉢植えのハスがたくさん並び、1
輪だけが花を開いていた。芝生にはネジバナがたくさん咲いている。


    
 
       


 集落を抜けてさらに西へと田園地帯を進む。田のあぜにピンクの小さな花が目につき、
すっかり熟した小麦色の田んぼも残る。



 次の飯塚集落に入り、太田小の南西にある太田神社へ。旧太田村の総鎮守として、大正
4(1915)年に周辺21の郷社を合祀してこの地に鎮座したという。



 境内では、アジサイやガクアジサイが雨に濡れて咲き、キャラブキの葉には何匹かのア
マガエルが目につく。
    

 
 大田小の東まで戻って北へ、田んぼの間やネギ畑の横などを進んで福正寺集落に入る。


 無住の安養院横を通過して流れ豊富な備前渠用水路を越える。


 12時25分に昼食地の妻沼運動公園に着く。体育館↓の屋根下を借りて昼食にした。


 == 妻沼市街の近代化遺産を見て国宝建造物のある妻沼聖天堂へ ==
 
 昼食後にミーティングをして、13時10分に運動公園を出た。幅広い歩道のある車道
を東進し、国道407号を横断する。

 北側の妻沼行政センター交差点から東に進んで商工会館の駐車場に入り、二つの近代化
遺産の建物を見る。


 手前の井田記念館は、メヌマポマードの創始者で元衆議院議員の井田友平氏の旧宅。昭
和31年(1956)に旧妻沼町に寄贈され移築したもの。建物前には井田友平氏の胸像
もあった。
         

 建物のそばに咲くアジサイ
 

 東側交差点際には、国登録有形文化財の坂田医院旧診療所の建物がある。昭和6(1931)
年に建てられた産科医院で、鉄筋コンクリート平屋の洋風近代建物。

 昭和50年代(1975~)前半まで使われたが、改造せずに建設当初の状態を残して
おり、この地方の近代建築の貴重な遺構だという。

 建物横に、2006~7年のテレビドラマで映画化もされた「映画 東京タワー、オカ
ンとボクと、時々、オカン 撮影地」の標柱が立っていた。

 バス通りより一つ西の通りに回って北に500mほど進み、山門をくぐって妻沼聖天山
歓喜院(めぬましょうでんざんかんぎいん)の本坊本堂の境内に入る。


 日本三大聖天の一つで、平家物語にも登場する武将・斉藤別当実盛(さねもり)が治承
3(1179)年に本尊の聖天を祭ったのが始まりとか。

 本坊は、斎藤実盛の子・良応僧都が、本尊に仕える行者の修行の場として開創されたと
いう。
       
 雨に濡れしっとりした境内にはマキなど大きな樹木が多く、静かなたたずまい。本坊の
屋根下で休憩後、記念撮影をした。


 山門前から東側の御本殿などのある広い境内に向かう。山門近くの道路際に、埼玉県指
定文化財で鎌倉時代のものと推定される、高さ1.78m、幅59㎝の板石塔婆(いたい
しとうば)が保存されていた。
         

 商店などの並ぶ「聖天様南通り」を横断して広い境内に入り、中心部の仁王門↓に30
分後の14時50分集合としてフリータイムとする。



 正面が埼玉県内唯一の国宝木造建造物の御本殿で、安永8(1779)年の完成のよう。
拝殿と相の間、奥殿からなり、建物の各部材や壁面は全て彫刻で装飾された江戸中期の貴
重な文化遺構。8年前に8年間の修理工事の完成により、創建当時の華麗な色彩が復元さ
れている。



 左手受付から入り(拝観料700円)、「埼玉日光」とも呼ばれる、相の間と奥殿の精
彩で華麗な彫刻の数々を拝観した。










 境内にはほかに、ケヤキとエノキの寄り添う「夫婦の木」↓、平和の塔、鐘楼、大師堂、
中門、護摩堂、貴惣門(国指定重要文化財)など見るべきものが多い。
       

 大師堂


 護摩堂


 中門
 

 14時50分に仁王門を去り、正面の貴惣門方面へ。中門の東側は工事中。貴惣門の手
前には斎藤実盛公像がある。



 側面に破風を3つ重ねた独特の貴惣門↑を出て、そばのゴール、妻沼聖天前バス停に14
時56分に着いた。バス停広場には「めぬま夏祭り」の大きなタイルが画がある。


 妻沼聖天山の周辺には聖天山にちなむ土産店など多いが、バス停前にも和洋菓子の店頭
製造販売する梅月堂があり、聖天太鼓や縁結びあげまんじゅうなど販売している。


 15時5分(7分遅れ)発バスで熊谷駅に15時40分に着き、15時56分発上り小
田原行特別快速電車に乗る。

 前日の熊谷の最高気温は33.2℃の暑さだったが、今日日中は18℃前後で雨も小降
り、この時期の歩きとしてはまずまずのコンディションだった。

(参加 12人、天気 小雨、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 深谷、妻沼、歩行地
 熊谷市、歩数 15,400)






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「旅のスケッチ展」を観て「 あげお花しょうぶ祭り」へ(埼玉・上尾)

2018-06-08 22:37:14 | ウオーキング
 2018年6月8日(金)

 カントリーウオークの仲間のMさんから、旅のスケッチ展の案内をいただいたので、出
かけました。


 会場はJR高崎線の上尾駅東口↑を出てすぐ、アリコベールサロン館2階の上尾市民ギ
ャラリーです。正午近くに到着しました。


 スケッチグループ”風”の「第17回旅のスケッチ展」で、Mさんはこの代表として皆さ
んを指導しておられます。
       


 会場では、Mさんをはじめメンバー18人の方々が各々4点ほど描かれた、旅のスケッ
チ作品74点が展示されていました。






 描かれた作品の多くは関東周辺の知られた場所で、新宿御苑など都内や横浜、鎌倉、埼
玉県内、さらに信州安曇野や上高地などでした。








 会場に飾られていたきれいな生花
    

         

 30分ほどで会場を後にして上尾駅に戻ったら、構内に市内の上尾丸山公園で6月2日
~10日の間、「あげお花しょうぶ祭り」を開催中のポスターが目に入りました。

 では行ってみようかと思い、西口にあった市役所の出張所で観光地図をもらい、近くの
飲食店で昼食をして、13時頃西口からほぼ西南西方向に延びる広い市道を進みます。

 駅近くのマンホール


 気温が上がり28℃前後かと思われる暑さですが、通りには遮るような街路樹が無いの
でちょっときつい道のりです。

 上尾道路を横断した先辺りで、畑にたくさんのユリが咲いていました。


    

 平方北小の先で北に向かったのですが、使い慣れた2万5千分の1地形図で無い観光地
図だったので少し迂回して遠回りしてしまい、14時11分に上尾丸山公園の南口から公
園内へ。

 まずは、春先には「さくらまつり」が開催されるというソメイヨシノの下を進みます。



 その先で、右手に修景池が現れ、左手には園内を長く右カーブしながら伸びる池に沿っ
て進みます。







 途中右手は芝生広場となり、その先には斜面から落ちる滝も望まれます。




 さらに右カーブしながら進み、池の北端に達するとその先がショウブ田でした。



 ショウブ田の面積は約2,800㎡で、約50種1万株の花ショウブがあるとか。



 ショウブ田の南側にはたくさんのアジサイも植えられ、それらの花も見頃です。




 花のピークは越えた感じですが、まだたくさん花が残っていました。




 アジサイとハナショウブを見ながら進みます。


    



 ハス池のスイレンも咲き出していました。
    

        





   



       

    

       



 ショウブ田を一巡したので戻ることにします。


 メタセコイアの林になっているところ。
    

 公園の南口に14時56分に戻り、南側を回って往路に戻ります。上尾道路に近い「ま
まがみ」バス停に15時21分に着いたところでバスが来たので乗りました。

 上尾駅前に15時31分に着き、15時40分発上り電車で帰路につきました。

 (天気 晴、距離 9㎞、地図 「あげおの観光 2018」、歩行地 上尾市、歩数 
  15,900) 
 



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菖蒲まつり開催中の北山公園菖蒲園へ(東京・東村山)

2018-06-05 16:19:45 | Weblog
 2018年6月4日(月)

 今年もハナショウブの季節となり、ネットで調べたら見ごろになったという東村山市の
北山公園へ、ハナショウブを見にウオーキングを兼ねて出かけました。

 会場でもらった「東村山 菖蒲まつり」のリーフレット
     

 わが家からはほぼ南の方向にありますが、真っ直ぐ行ける道はないので、地形図を拡大
コピーしてなるべく近そうな道を選び、いくつかのアップダウンを越えて1時間15分ほ
どの行程で、北山公園の西北端から公園に入ります。




 5月12日(土)のカントリーウオークグループの例会で来たときには、ほとんど咲い
ていなかったのですが、今日はちょうど見ごろ。平日でもかなりの人出です。


       

     

    



    

        



       









 北側の、西武鉄道 西武園線の線路際にはアジサイも植えられていて、やはりほぼ見ごろ。










 近くにある、この時期だけ設けられる小さな展望台に上がり、一望しました。








 展望台を下りて、さらに周辺の菖蒲田を回ってみることに。


    

        

    

       




    







     

 東側の東屋(あずまや)の周辺が、一番見ごろで花も多いように思われました。








     

         

     

         


 菖蒲園内を一巡して、表口ともいえる東南側に出て帰路につきました。

 帰りは、往路より東側の斜面を幾つか上がり折りして戻り、往復9㎞、観覧時間を含め
て3時間余りのウオーキングとなりました。

 なお、菖蒲まつりは6月17日(日)まで開催されますが、今週前半がいちばん見ごろ
ではないかと思われます。






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坂田ケ池総合公園から房総風土記の丘へ(千葉・成田、栄)

2018-06-04 17:10:31 | カントリーウオーク
 2018年5月27日(日)
 == 坂田ヶ池総合公園から房総風土記の丘や龍角寺へ ==

 今日は、TさんとYさんは歩かず帰るとのことで、成田山表参道で唯一の酒造店・長命
泉の前で記念撮影し、駅前で分かれた。


 JR成田線成田駅9時15分発我孫子行きに乗り、次の下総松崎(しもうさまんざき)
駅で9時21分に下りた。昨日の大佐倉駅同様、駅周辺に商店は無く、民家も少ない。




 駅前には、古い「関東ふれあいの道」のコースガイドが2二コースある。9時30分に
スタートする。線路沿いを北西にすぐ、田んぼのあぜにハナショウブが花開いていた。
       

 線路に平行する大竹集落の旧道を進む。この道は成田山へ向かう「旧成田みち」らしい。
沿道には梅の木が多く、たくさん実った木もある。ムラサキシキブやモチノキも花を見せ
ていた。
    

         


 1㎞近く進み、坂田ケ池からの流れ沿いの緑道へ。気持ちよい緑陰の道を上がり、ほど
なく坂田ケ池の西端に出た。大きなハナミズキにたくさんの花が咲き残る。






 上がってきた緑道を含め、池の周辺一帯は「坂田ケ池総合公園」になっている。池の南
側斜面を上がると広い芝生広場だが、人影は見えない。



 さらに進んでキャンプ場の横へ。たくさんのテントが並び、宿泊したグループも多そう。


 キャンプ場東端付近から南側の谷をまたぐ釣り橋があるが渡らず、林間を進んで池の東
端の堰堤(えんてい)付近に下り、駐車場で小休止した。



 堰堤に沿って西北に回り込み、車道に出てすぐ先で北東に延びる谷地田沿いに進む。
       

 龍角寺一丁目の戸建て住宅地の南西端に上がると、大きなヤマボウシに花がいっぱい。


 西に少しで岩屋古墳の南側に出た。岩屋古墳は国史跡・龍角寺古墳群のひとつで、7世
紀中頃の方墳(ほうふん・正方形の古墳)。

 一辺は78m、高さ13.2mで3段築成になっていて、古墳時代終末期の方墳として
は全国第1位の規模という。


 南側には東石室と西石室の二つの石室が近接してあり、西石室↑は内部をのぞけるが、
東石室↓は崩れているのかロープが張られ、そばに近づくことはできない。




 西に100m余り、車道の西側に「千葉県立 房総風土記の丘」の看板があり、「房総
風土記の丘の由来」や「体験博物館 千葉県立房総のむら」の案内板などが立っていた。

 房総風土記の丘は、岩屋古墳をはじめとする竜角寺古墳群(約120基)と、白鳳仏で
名高い龍角寺をとりまく緑豊かな自然環境の中につくられた県立博物館とのこと。中央部
の資料館のほか、重要文化財の建物や植物観察園などあり、全長5㎞ほどの遊歩道で巡れ
るという。


 周辺一帯は豊富な広葉樹の樹林が広がり、近くに国重要文化財の旧学習院初等科正堂が
ある。内部にも入れるが、入口から内部を一覧するのみとした。


 気温が上がり暑くなったが、その先西方に延びる遊歩道は、木々の下で暑さを忘れさせ
てくれる。
       

 遊歩道の両側には次々と古墳が現れ、中には「99号墳」のように、径12m、高さは
0.9mという、標示が無ければ古墳と分からぬ規模のものもある。


 樹林の切れ間から南西側に印旛沼の一部が望まれ、さらに80号台の古墳の横を進むと、
再度印旛沼の見えるところがあった。




       
     

 11時30分に「風土記の丘資料館」前に着き、57号墳そばの樹林下で昼食にする。
周辺にも幾つかの古墳が望まれた。







 昼食後に資料館に入り、原始から古代、中世にかけての遺跡から出土した埴輪や土器、
瓦などと、関連する資料や写真などの展示を観覧した(大人300円・65歳以上無料)。








 12時30分に出発して、さらに樹林下を北に延びる「白鳳道」を進む。すぐ近く右手
に、復元した竪穴住居が望まれた。


 県道18号・成田安食線バイパス下をトンネルで抜ける。近くに、竜角寺古墳群で最大
で千葉県内で最も新しいと考えられるという前方後円墳・浅間山(せんげんやま)古墳が
あり、墳丘に上がる石段も設けられていた。


 樹林帯から出て竜角寺集落を進み、集落の北側にある龍角寺境内に入った。
       
 龍角寺は、和銅2(709)年の大干ばつの年に龍神が来て自分の身を三つに切り人々
を助け、その頭を納めたのが名の起こりで、関東で最も古い寺院のひとつとか。

 当時は東側に高さ33mほどの三重塔か五重塔があり、本尊薬師如来坐像は709年造
立で、県内最古の白鳳時代のものという。

 現在の拝殿は小さく、背後に本尊を祭る収蔵庫がある。境内に居られたボランティアガ
イドの方が、それら寺の歴史や本尊のことなど拝殿前で説明してくれた。

 聞いているうちに時間が経過し、背後にあるという金堂跡や塔心礎などは見逃した。

 集落を南に少し戻り、西北に下る細道に入ると侵食の進んだ竹林となり、おびただしい
竹が両側を覆う。
       

 下りきって谷地田の南端に出て北西に向かい、途中で谷地田の東側から西側に回る。


 500m前後で車道に出て、逆V字状に折り返し南に向かう。二つ目の神社そばの素羽
鷹神社バス停横から西側の酒直(さかなお)集落へ。道路際に静かなたたずまいの多宝院
があり、立ち寄り参拝した。




           

 集落内をS字状に進んで西に抜け、酒直台一丁目の新しい住宅地と田園地帯の間を西進
する。


 さらに気温が上がり暑いので、次の白山集落の東端にあった草地の小公園に入り、緑陰
で休憩した。


 集落の中ほどでJR成田線の線路に平行する旧道に合し、線路沿いに進む。線路上を横
断する車道下を抜けてすぐ、上町集落の斜面にたくさんの庚申塔が並び、上に小さなお堂
も祭られていた。


    



 「旧成田みち」の石柱の立つ道を進み、安食(あじき)駅に14時20分に着いた。

 多くの人が近くのコンビニで冷たい飲み物を仕入れて駅前で乾杯する。下り電車で帰る
Tさんと別れ、残り全員は14時56分発上野行直通電車で帰途についた。
    

(参加 11人、天気 晴、距離 8㎞、地図 成田、歩行地 成田市、栄町(さかえ
 まち)、歩数 17,500○、累積標高差 上り・下りとも 約130m)


 数日後、「房総風土記の丘」の「体験博物館 房総のむら」に寄らなかったことに気
づく。駅を出て間もなく、私同様以前に来たというIさんと、その後の房総のむらのこ
とを期待していたのだが、昼食後は白鳳道を進んでバイパスしていて、すっかり忘れて
いた。

 時間の余裕もあり、この日一番の見どころだったような気もして、房総の商家や民家、
武家屋敷、農家や水車小屋などのある「むら」に立ち寄れなかったのは、ちょっと残念
な思いがした。




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本佐倉城跡から宗吾霊堂へ(千葉・佐倉、酒々井、成田)

2018-06-02 17:32:12 | カントリーウオーク
 5月最後の週末、カントリーウオークグループの「特別例会」と称する1泊のウオーキ
ングに参加した。

========================================

 第1日 2018年5月26日(土)
 == 本佐倉城跡から早苗田の間を抜けて宗吾霊堂へ ==

 京成本線の大佐倉(おおさくら)駅に11時に集合する。駅は無人で、駅周辺に商店は
無く民家も少ない。全員時間前に着いたので、10時58分に駅前を出発した。


 駅の周辺でホトトギスとカッコウが鳴き、この日はこの先歩いた本佐倉城跡などあちこ
ちでもたくさん耳にする。 

 線路沿いを少し、北への細道を上がり、大佐倉集落の中心部にある宝珠院に入る。

 開基は不詳のようだが、永徳3(1383)年の中興と伝えられ、天和3(1683)
年には京都・醍醐寺三宝院の直末となり、幕府から朱印30石を拝領し、佐倉藩内真言寺
院12ヶ寺などの筆頭になったとか。

 本佐倉城(もとさくらじょう)千葉家の祈願寺としての由緒を残し、佐倉藩堀田家(ほ
ったけ)とも縁ある寺院でもあったようだ。

 佐倉市保存樹のタブやイチョウ、タラヨウなど豊富な新緑が境内を覆い、アジサイが咲
き出し、ツツジはヤマボウシも花を見せていた。


 東南に下り京成線をこ道橋で越えて線路の南側沿いを東へ、築堤になった線路下を抜け
て折り返し、宝珠院の東側にある勝胤寺(しょういんじ)に回る。

 勝胤寺は、これから行く本佐倉城の3代城主・千葉勝胤(ちばかつたね)が菩提寺とし
て建立したとのこと。

 本堂前には、千葉家の遠祖である平忠頼が産湯につかったと伝わる、「千葉水」が流れ
出ている。



 境内のアジサイやガクアジサイが咲き出し、ツツジも咲き残っていた。


 本堂左手墓地の奥の樹林下には千葉家供養塔の五輪塔が並び、最奥に千葉勝胤の宝篋印
塔(ほうきょういんとう)がある。





 京成本線の南側に戻って早苗田の横をすぐ、民家横の屋根掛けの下に5基の石像が並ぶ。


 そばのT字路際には古い道しるべの標石が残り、「根古屋ヲ経て南酒々井・・」などの文
字が読めた。


 南側一帯に広がる台地のこんもりした森が本佐倉城跡で、台地下まで進んで、その北側
凹部付近から城跡へ。

 「国指定史跡 本佐倉城跡 東光寺ビョウ」の標柱横から入り、山すそを進むと「本佐
倉城跡全体図」や、「マムシ注意!」の掲示などがあった。


     



     

 さらに「セッテイ虎口(こぐち)」を上がり「金明竹(きんめいちく)の小径」に出た。
     
 周辺はその金明竹の林で、節(ふし)と節の間に緑と薄黄色の縞模様が表れた特徴的な
竹が群生していた。
         

     
 竹林の間を「セッテイ空堀」に下るとホタルブクロが咲く。
                  
     
 城北側の玄関口「東光寺ビョウ」に回り、北側の田園地帯やその先の順天堂大のある台
地などを一望した。



 東側の「Ⅳ郭虎口」から再び南進して「大堀切」を抜け、城山に向かう。「城山虎口」
を入って「城山門跡」を過ぎ、本丸のあった広い草地の「城山」に上がり、その規模を確
認する。







       
 いったん下って南西側の「奥ノ山」へ上がる。ここも広い草地が広がり、その南端の
「妙見宮跡」近くにあったベンチに12時30分に着き昼食にした。


 13時5分に昼食地を後にした。南西側の「倉跡」から南東に下り、根古屋集落際に出
る。ここには「国指定史跡 本佐倉城跡」の大きな標石と説明板があり、城跡見学の表口
のよう。飲料水の自販機も、城跡ゆかりのデザインである。


         


 城跡と谷地田の間を北東から北西へと回り込む。早苗田の間を北進して京成本線の北に
抜けた。


 さらに広がる早苗田の間を、北側の順天堂大の建物や斜面林など眺めながら東進する。
休耕田となってアシの伸びた辺りでは、ヨシキリがひときわ賑やか。



 農水省酒々井排水機場の横を通過し、京成酒々井駅方面からの車道を横断する。1本北
側の農道に回って少しずつ向きを北東へと変え、柏木集落西部の斜面林が近づいた辺りで
山すその道路へ。

 近くに「袈裟掛けの松伝承」の説明板があり、承応2(1653)年に江戸の将軍に直
訴した佐倉宗吾の子どもを逃がした際の動静についてなどが記され、植え替えられたゆか
りの松が立っていた。
     


 斜面林が切れた辺りに桑の木があり、熟してきた赤い実がたくさん付いていた。


 T字路に出て、すぐ先の公津地区スポーツ広場で小休止する。


 野球グランドの横を進んで宗吾四丁目の戸建て住宅地に上がる。隣の宗吾三丁目の北端
から東に回り、車道に並行する細道を北に抜け、宗吾霊堂の参道入口から境内に入った。

 宗吾霊堂は、真言宗豊山派東勝寺の管理する仏堂とのこと。

 承応年間(1652~6)に下総佐倉藩の悪政で生活に苦しむ人々を救うため、公津村
名主の木内惣五郎は徳川4代将軍家綱に直訴し、10万の命を救う。だがその罪で承応2
年に本人と4人の子は刑に処され、その遺骸を現在の墓のところに埋葬したようだ。

 百年後の1752年、佐倉藩主堀田正亮から「宗吾」の法号を送られ、立派な仏位を得
て宗吾を祭る宗吾霊堂としたという。


 参道を入ってすぐ右に、その宗吾父子の墓がある。正面の山門は、宗吾霊350年祭記
念事業として、昭和53(1978)年に完成したものとか。


 さらに進んで、大きな宗吾霊堂に参拝した。


       

     
 霊堂の左手前に咲くヤマボウシは、「佐倉義民伝」の上映記念に歌舞伎役者が奉納した
もの。霊堂左手奥には「宗吾御一代記念館」があるが、入館は省いた。


 薬師堂↑などを見ながら参道を戻り、宗吾霊堂交差点から南西に延びる県道137号に
平行する旧道を進む。稲荷神社の先で再び車道に入って南東へと緩斜面を下る。


 車道を覆う宗吾霊堂の山門を抜けて、今日のゴール、京成本線の宗吾参道駅に15時54
分に着いた。


 16時15分発の下り電車で、宿泊するホテルのある京成成田駅に向かう。

(参加 13人、天気 曇、距離 9㎞、地図 酒々井(しすい)、成田、歩行地 佐倉
 市、酒々井町、成田市、歩数 18,000、累積標高差 上り130m、下り140m)




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風景画展を見て新緑とバラの新宿御苑を巡る(東京)

2018-05-31 16:35:43 | Weblog
 2018年5月30日(水)

 カントリーウオークの仲間のTさんが事務局をされている、スケッチハイキンググルー
プ「どんぐりの会」の第22回風景画展の案内をいただいたので、出かけました。


 場所はJR新宿駅や東京メトロ丸ノ内線新宿御苑駅に近い、新宿御苑の新宿門横にある
新宿御苑インフォメーションセンターのアートギャラリーです。

     

 会場では、Tさんなどメンバー10人の方が4点~3点ずつ出展された、関東甲信地方
で描かれた39点が展示されていました。


 この会場を使用するにあたっては、新宿御苑の絵も必ず含むことが条件のようで、各々
1点ずつ御苑内の風景もあり、見慣れた風景や訪ねたところが多く、気軽に鑑賞させても
らいました。





 なお、会期は6月3日(日)までです。

 この催しは毎年あり、いつも鑑賞後は新宿御苑内を巡ることにしているので、今日は午
後は雨の予報でポツポツしてはいましたが、いつものように回ることにして新宿門から入
りました。


 新緑みずみずしい園内、東側の大木土門の方に向かう苑路沿いではアジサイが開花し始
めたところ。




 近くのビオウヤナギは見ごろに。


       

 春先は花に彩られたソメイヨシノも、新緑に覆われています。




 広い芝生が広がるイギリス式庭園の北端に立つユリノキの高木。明治9(1876)年
頃に最初に植えられたもので、樹高約35m、幹回り約3.9m、樹齢約100年以上で、
苑内では最も高い木のようです。
     

 東北側にある大温室を見ながら大木戸門方面へ。


 大きなタイサンボクがあり、見ごろを過ぎた花がほとんどでしたが、幾つかの花はまだ
白い花を見せていました。
    

 大木戸門から入ると突き当たりにある大木戸休憩所から見下ろす、玉藻池周辺の眺め。



 黄色い葉はクスノキの新芽でしょうか。

 池の畔に咲くワルナスビ、北アメリカ原産のよう。
    


 南に回り、フランス式整形庭園の北西端付近からの新宿副都心のビル群。



 フランス式整形庭園の中央部にあるバラ花壇では、最盛期の半分くらいの感じですが、
まだいろいろな色のバラが花を競っていました。
    

        

         



      

         





         


      

    













 バラ花壇のそばにあった大きなアジサイ。
    

 御苑の東南端部で「下の池」を回って西に向かいます。


 ツツジ山のツツジは、もうほとんど咲き終わり。
       



 その辺りから見た「中の池」に映る木の陰。


 高木の下に咲くアジサイ。



 池の畔から北西に斜面を上がり、西休憩所前を経て新宿門へ。門を出る頃から本降りに
なってきました。





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春の北陸路の旅③ 日本一の木彫の町 井波を訪ねる(富山・南砺)〈後半〉

2018-05-30 22:17:31 | 国内旅行
 2018年5月11日(金) 〈続き〉

 八日町通りにある蕎麦懐石の松屋で食事を終えて再び交通広場に入り、観光案内所で井
波関連のパンフレットを幾つかもらう。

 帰りに予定したバスは13時16分だが、お勧めという彫刻総合会館まで往復する時間
が無い。次の16時14分発のバスで帰ることにして、彫刻総合会館に向かう。






 八日町通りを次の交差点まで進んで左折し、住宅地を抜ける路地を進む。家並みの間か
ら北西に、残雪の山並みが望まれた。


 さらに進むと交差点際に「安政義人慰霊之碑」が立ち、「義人長崎茂右エ門磔之地」碑
もあるが、どのような人かの説明はない。その横には2基の古い石仏も並んでいた。
      


  

 穂の出始めた麦畑の横を進んで緩斜面を上がり、井波の町並みを囲む環状1号線の南東
部、北川交差点の北東側一帯に、「井波彫刻総合会館」と「道の駅 木彫りの里創遊館」
がある。
     
 

 駐車場の隅にある木彫の大きな七福神像を見ながら奥に進み、まずは井波彫刻総合会館
へ(入館料500円)。



 館前にも、木彫の大きなおひな様や龍、風神、世界最大という幅11m、高さ1mでク
ス製の井波彫刻欄間「十二支の図」などが目に入る。
     



 入館して、瑞泉寺の伽藍(がらん)配置をモデルにしたという館内の展示室を巡る。木
彫品は欄間や衝立(ついたて)、パネル、獅子頭、天神様、現代の彫刻や工芸品など多彩
で、クス、ケヤキ、桐などを原料として250年を超える伝統ある井波彫刻の粋を集めた、
200点を超える作品の数々を鑑賞した。作品は直売しており、数万円から1千万円を超
えるものまである。

 館内には、荒削りから仕上げまでに用いる200本以上のノミと彫刻刀も並んでいた
(館内撮影禁止)。

 観覧を終え、南西側斜面にある「芸術の森イヴェント広場」と呼ぶ広い芝生地で休憩す
る。ここにも木彫りの彫刻作品が何点か展示されている。




 東側には4棟の「匠工房」があり、各々に木彫の工房が設けられていたが、観覧は省く。



 最後に「道の駅 いなみ木彫りの里創遊館」に入り、売店に並ぶ数々の木彫品や地元産
品などを見た。







 北川交差点から細道を南西に下り、大門川河川公園に行く。


     
 カーブする大門川沿いの公園では、4年に一度、「いなみ国際木彫刻キャンプ」が開か
れるようで、園内には作品のいくつかが残されている。
          

     


 下流の池から上流の滝まで、園路を往復してきれいなせせらぎなどの間を巡る。流れの
南側斜面では、白フジがたくさん花を見せる。
     

          
 この斜面上一帯は井波城址で、明徳元(1390)年に瑞泉寺が創設された場所とか。

 文明13(1481)年には一向一揆の拠点になったが、天正9(1581)年に佐々
成政(ささなりまさ)に攻められて井波城となり、やがて前田利家の手で落城しという。
現在は古城公園になり、井波八幡宮や招魂社などがあるようだ。

 城址下を南西に少しで、その古城公園に上がる。うっそうと茂る樹林に「松島大杉」と
呼ぶ杉の古木が立っていた。幹が一本立ちのスギでは県内十指に入る大杉のようで、幹回
り7.6m、樹高40.4mあり、推定樹齢は450~530年という。
     

          
 大杉の横を上がった広い緑地に神武天皇かと思われる銅像が立ち、奥に招魂社が祭られ
ている。



 道路を挟んで南側の金城寺には「なでぼとけ」の相性で信仰を集めているという「おび
んずるさま」が祭られていた。
         


 城跡らしい石垣があり、その間の小さい門を入ると「臼浪水(きゅうろうすい)」と呼
ぶ井戸があった。

 瑞泉寺を開創した棹如上人が京都へ向かう途中、乗っていた馬の足かきにより湧き出た
といわれ、「井波」の地名や瑞泉寺発祥の地とされるところとか。

 天保年間には小庵と庭園も築かれ、歴史ある風情に多くの文人墨客が足跡を残したとい
う。奥には平成5(2003)年に再建した仏堂がある。


 その先の石段を上がり、井波城本丸跡に建てられた井波八幡宮に参拝する。


 本殿西側の高みには、文久元(1861)年に地元蚕業者がカイコの霊をともらうため
に建立した蚕堂(かいこどう)がある。

 総ケヤキ造りの一間社切妻造(いっけんしゃきりづまづくり)で、特色ある神社の小堂
構造のようだが、覆屋の中なのでよく見られないのが残念だ。

 鳥居の横には、南砺市の「巨木・名木100選」のひとつ、八幡宮の大杉が目につく。
     


 神社を出て西に少しで井波城の石垣が残り、瑞泉寺の山門前に出た。


 再び八日町通りの家並みを眺めながら北西に下る。途中「池波正太郎ふれあい館」があ
るが、残り時間が足りず入館は省く。15時50分に交通広場に戻った。


 16時14分発高岡駅前行きバスに乗り、17時16分に新高岡駅に着いた。急ぎ17
時24分発北陸新幹線富山行きつるぎ720号に乗る。
    



 富山駅で18時15分発かがやき514号に乗り継ぎ、東京駅には20時3分に着く。
自宅には22時ちょうどに帰宅した。

(天気 快晴、距離 3.5㎞、地図 井波散策MAP(2万5千分の1 城端)、
 歩行地 富山県南砺市)


 ちなみに、4日後の5月15日の朝日新聞夕刊〈アートトリップ〉コーナーに、「雲水
一疋龍」と題する井波の木彫りの技などの記事が掲載された。
   

 さらに5月24日(木)には文化庁が、地域の文化の魅力をストーリー仕立てで発信す
る「日本遺産」に、「宮大工の鑿(のみ)一丁から生まれた彫刻美術館・井波」が認定さ
れた。




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春の北陸路の旅③ 日本一の木彫の町 井波を訪ねる(富山・南砺)〈前半〉

2018-05-29 22:49:43 | 国内旅行
 2018年5月11日(金)

 最終日は、散居村(さんきょそん)で知られた砺波(となみ)平野(富山県)の南端に
あり、古い町並みの残る日本一の木彫りのまち、井波(いなみ)を訪ねることにした。

 今朝は快晴になり、宿泊したJR北陸新幹線新高岡駅前のビジネスホテルの部屋からは、
西方に白山(はくさん)らしい残雪の山並みが望まれる。



 新高岡駅南口から8時54分発小牧堰堤行きバスに乗る。少し西進して国道156号線
に入り南南西へ、途中JR城端線の中間の主要駅、砺波駅前を通過する。

 左右に広がる散居村の風景を眺めながらさらに南南東に進み、予定より10分余り遅れ
て10時7分に井波中央バス停で下りた。

       
 そばの変速五差路交差点の南西側は交通広場で、「花鳥の塔」と呼ぶ木彫の塔が目につ
く。広場には観光協会があり貸し自転車も用意されている。


 南側の八日町広場と呼ぶ小公園には湧水があり、白壁には透かし彫りの木彫が並ぶ。


 その横から、町の中心部を南に真っ直ぐに伸びる石畳の八日町通りに入った。



 通りの両側には幾つもの彫刻工房が並び、作業の様子を見られる工房もあり、木彫品の
直売もしている。





 通りにある酒店など古くからの建物や柱などには様々な彫刻が見られ、バスの標識や木
彫りの表札、七福神など、いたるところで木彫りの製品が目に入る。



 古い洋館の富山銀行井波支店の横の路地を入ると、突き当たりが黒髪庵(くろかみあん)
と翁塚(おきなづか)のある浄蓮寺である。

 黒髪庵は、越中の俳人数百人の寄進により文化7(1810)年に建てられたとか。境
内のかやぶき屋根は芭蕉堂で、町の俳人により明治15(1882)年建立のよう。


 傍らに、これから行く瑞泉寺の11代で芭蕉の門弟だった浪化(ろうか)上人が、近江
の義仲寺(ぎちゅうじ)にある芭蕉の墓から小石3個を持ち帰り建てた翁塚があり、その
後遺髪も納められたという。
       

 六日町通りの中ほどに、井波美術館があったので入館する。建物は、大正13(1924)
年に県下初の鉄筋コンクリート造りで建てられた旧中越銀行井波支店。
     

 井波は木彫りの町であるとともに、多くの芸術家が集う美術の町でもあるようで、館内
には彫塑、現代工芸、造形など地元作家の現代美術品が展示されていた(無料)。


     
 美術館前の公衆電話ボックスにも木彫が施され、入口横には「倒立」と題する木彫の彫
刻もある。
         


 少し先で、公開されていた国登録有形文化財の斎賀家住宅に入る。軒の出の大きい屋根
を支える登梁出桁(のぼりばりだしげた)造りで、間口4間・奥行8間の木造2階建て主
屋は江戸時代末期の建築と考えられるとか。
     
 道路側のミセには衣類物などが並び、右手の石敷の土間を進むと吹き抜けの一角もあり、
廊下の奥には昭和13(1938)年建築の土蔵がある。



 さらに緩やかな上り坂の通りを木彫の看板や七福神など見ながら進む。
    

         

                 

 上がりきった正面が、真宗大谷派井波別院の瑞泉寺(ずいせんじ)である。


 瑞泉寺は、明徳元(1390)年に本願寺5代棹如(しゃくにょ)上人により開創され
た寺院で、北陸地方の真宗木造建築の寺院では最も大きな建物のよう。

 寺は一時、越中一向一揆(えっちゅういっこういっき)の拠点になるなどして興亡の時
を迎えたが法灯を守り続け、秀吉の保護を得て勢力を復旧したという。


 豪壮な山門は、江戸後期の文化6(1809)年に地元井波の大工により完成したもの。
山門の各所には数々の優れた彫刻や文様が施され、総ケヤキ重層入母屋造りの建物は県指
定重要文化財である。
    

 正面の本堂は明治16(1883)年の再建で、単層入母屋造りの建物は北陸随一の大
伽藍(だいがらん)とか。



 境内右手には昭和9(1936)年建立の瑞泉会館があり、近くのフジ棚に古木の白フ
ジが咲き残り、別のフジ棚のムラサキのフジもわずかに花を残していた。






 本堂前から振り返る山門


 本堂に上がって内部を拝観し、渡り廊下で結ばれた太子堂にも参拝する(各々撮影禁止)。
本堂上部の木彫。


 太子堂



 太子堂側面上方の蟇股(かえるまた)などには、井波彫刻の粋を示す精巧な木彫が随所
に施されていた。







 境内は緑が多く、ツツジなども咲き新緑がみずみずしい。







 太子堂の前の鐘楼堂や、山門の右手にある勅使門とも呼ばれる瑞泉寺式台門などにも、
井波彫刻の素晴らしい木彫が目につく。


 なお、鐘楼堂の大梵鐘は口径1.24m、重さ3.372トンあり、北陸随一という。

 11時30分過ぎに瑞泉寺を後にする。八日町通りの様々な木彫を探しながら八日町広
場近くまで戻り、蕎麦懐石の松屋に入り昼食にした。





 注文した田舎そば(1100円)。

                                    〈続く〉





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春の北陸路の旅② 源平倶利伽羅合戦の歴史国道を歩く(石川・津幡、富山・小矢部)〈後半〉

2018-05-24 18:49:49 | 国内旅行
 2018年5月10日(木)〈続き〉

 12時半に倶利伽羅峠の休憩舎を出て、東方に下る旧北陸道に向かう。


 近くにこのような説明板があり、津幡町側の倶利伽羅公園↓にあった高木翁のことが記
されていた。
       

 「源平合戦慰霊の地」碑もあり、その先には、源義仲が角(つの)に松明(たいまつ)
をつけた牛の群れを先頭にこの山を駆け抜けて、京都から下った平家10万の大群を破っ
たことを模した、火牛の計〈かぎゅうのけい〉像が並んでいた。





 
 さらに「芭蕉塚(ばせをつか)」もあり、松尾芭蕉が奥の細道を訪ねてこの地を通った
元禄2(1689)年7月15日に詠んだ、「義仲の 寝覚めの山か 月かなし」の句碑
が立っていた。
    

         


 近くには大伴家持(おおとものやかもち)が天平勝宝2(750)年に詠んだ「砺波山
ほととぎすの歌」の短歌と長歌の歌碑もある。
       



 そばの樹林が開けたところは「新幹線ビュースポット」で、好天ならばその向こうに白
馬岳や剣山、立山連峰も望めるようだ。




 歴史国道は、その先で車道をV字状に回り矢立山方面に向かうのだが、災害箇所があり
通行止めになっていて、北側の大池経由の迂回路を回るようになっていた。


 緩やかな木の段を上がって砺波山山頂近くを進んで砂坂を下る。
    





 坂の途中には「六号名号」「砂坂地蔵」「弘法の水」などの説明板があった。
     

          


 熊除けに鳴らすための金属製一斗缶が2箇所に吊され、鳴らすための木の棒もあったの
でたたいて熊に注意を促した。


 砂坂を下りきって車道のY字路に出た。進む予定だった東に延びる歴史古道は通行止め
で、北側の埴生(はにゅう)大池への道が歩行者の迂回路になっていた。この道は、小矢
部市の「ふるさと歩道」でもある。


 標高160m前後の等高線沿いにカーブを繰り返しながら北に進む。こちらにもタニウ
ツギがあちこちに咲き、ヤマアジサイやフジの花もそちこちで目に入る。
    

 「黒坂口」の標示があり、寿永2(1183)年5月11日に木曽義仲隊2万の軍は、
この辺りに陣をしいたよう。すぐ先に周囲を新緑に囲まれた埴生大池が現れた。


 池は、倶利伽羅不動寺創建時以来の由緒があるようで、加賀藩時代から広範囲の水田に
供給しており、近年では平成5年に5年かけた改修を終えているという。


 堤防の南側には、堤防の決壊を防ぐ人柱となった「おまん」のための地蔵堂が祭られて
いた。



 大池北側の三差路を右折して下り道となる。「木曽義仲軍勢進軍の道」の標柱が立ち、
この道も歴史的な街道であると知れる。
       



    

 道は流れ沿いになり、細い流れの「横引の夫婦滝」が流れ落ちていた。
     

 すぐ先の送電線下付近に「鳩清水」の説明板があり、義仲軍が白鳩の導きでこの水を飲
んで英気を養い戦に挑んだと伝えられているとか。ここで小休止した。
       


 近くのY字路の先も流れ沿いに進み、流れから離れた辺りで田園地帯へ。
       




 再び流れが近づき埴生集落に入り、小矢部市指定史跡「竹岳亭焼窯跡」↑のすぐ先で埴
生八幡宮の鳥居をくぐる。


 左手に「倶利伽羅源平の郷埴生口」の建物があるが、あとで寄ることにした。そばに大
きな木曽義仲の銅像がある。

 昭和58(1983)年に、源平倶利伽羅合戦800年を記念して建立したもの。日本
一の源義仲像で、騎馬像としても全国有数な大きさのよう。

 参道の反対側にある手洗鉢に注ぐ「鳩清水」は、倶利伽羅山中の「鳩清水」滝からのも
ので、3㎞の山道を経てここに流れ出るとか。

 木曽義仲が祈願の折、白鳩が飛来し、その案内で源氏勢が清水を得たと伝える霊水だと
いう。全国名水百選で、「とやまの名水五十五選」にも選ばれている。

 社殿正面に向かって103段の急石段を上がる。埴生八幡宮(護国八幡宮)は、奈良時
代の養老年間(717~24)に宇佐八幡宮の分霊を勧請(かんじょう)したのが始まり
とか。

 天平時代には越中の国守大伴家持が祈願したと伝えられ、寿永2(1183)年5月、
木曽義仲が埴生に陣をとり、倶利伽羅山に2倍の軍勢をしく平維盛(たいらのこれもり)
の大軍と決戦するにあたり、当社に祈願して著しい霊験があり、このことは平家物語、源
平盛衰記、謡曲木曽など、多くの古典文学で語られているようだ。


 正面の拝殿から奥に幣殿、釣殿、本殿と続く社殿は、慶長年間(1596~1615)
や正保3(1646)年、前田利長が寄進して完成したもので、全部が国指定重要文化財
である。無事、倶利伽羅峠越えを終えることができたことに感謝して拝礼する。

 拝殿には、木曽義仲と巴御前のNHK大河ドラマ化実現に向けての署名帳があったので、
私も署名した。
    


 急石段を下り、改めて「倶利伽羅源平の郷埴生口」の建物に入り、義仲ゆかりの展示や、
4つの「みち」に関するパネル、ここの工事の際に発掘された小判や金貨などを観覧する。








    


 埴生集落を貫く車道を東北へ、県道42号に入りさらに進む。
    

 北陸新幹線の手前に「砂川一里塚跡」の石柱があり、小公園になっていた。


 北陸新幹線の高架下と、あいの風とやま鉄道(旧北陸本線)下の地下道を抜けて、石動
町(いするぎちょう)で国道471号に入る。


 市街地を400mほどで、あいの風とやま鉄道の石動駅に15時30分に着いた。




 次の列車まで30分ほどあるので近くの寺院3つほど回り、16時4分発泊(とまり)
行き電車に乗る。


 高岡駅に16時19分に着き、16時45分発JR城端(じょうはな)線城端行下り電
車に乗り換える。車輌は昨日の氷見線同様の「忍者ハットリくん」のラッピング車である。


 次の新高岡駅に16時48分に着く。駅構内を一巡してから南口すぐそばにあるビジネ
スホテルに17時過ぎに入った。


 歴史国道の核心部の、道の駅竹橋口から埴生八幡宮間の3分の2前後は車道だったが、
車に出会ったのは倶利伽羅峠での観光客の車1、2台と、迂回路の埴生大池の先で2台く
らい。歩行者も倶利伽羅峠の休憩舎で昼食を終えた頃に来た20人ほどのグループのみ。

 コースは良く整備されていて、迷うような所や滑りそうな急斜面などは無く、標識や歴
史的な案内板も多く、歴史に残る多くの人たちの歩みや行動も知ることができ、来て良か
ったと思える歴史国道だ。(下図は金沢市・小矢部市・津幡町共同編集「行ってみたい金
沢と木曽義仲ゆかりの地を訪ねる旅」パンフレットから)

 1日のウオーキングコースとしても余裕ある歩きができ、熊に出会うこともなく予想以
上に満足した一日だった。

【コースタイム】中津幡駅8・05ー杉瀬八幡神社8・22ー道の駅8・55~9・15ー山道へ
 9・35ー城ヶ峰休憩舎10・24~30ー山森集落入口10・45ー手向神社下11・12ー倶利伽羅
 不動11・20~28ー倶利伽羅公園戻り11・47ー展望台と休憩舎(昼食)12・00~12・30ー
 砂坂下(通行止地点)13・05ー埴生大池13・22ー鳩清水13・50~14・02ー埴生八幡宮
 14・29~49ー倶利伽羅源平の郷埴生口14・50~15・00ー石動駅15・30

(天気 雨曇後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 石動、倶利伽羅、歩行地 
 石川県津幡町、富山県小矢部市、歩数 31,300、累積標高差 上り 約490m、
 下り 約460m)




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