あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

北本市東部 早春の彩り(埼玉)

2016-02-29 21:07:25 | ウオーキング
 2016年2月27日(土)

 担当する例会の下見として、北本市東部を一巡して来ました。実施するかどうかは一考
の余地がありそうですが、あちこちで梅が見頃だったので、梅を中心に歩いたところで見
かけた花や植物などを紹介します。

 駅に近いT寺境内に咲く紅梅と白梅


    



    

        



 中山道沿いの民家に咲き出したミツマタ


       東に延びる通り沿い、民家の若木の紅梅
      

           

 近くの畑にはナノハナが。




 こちらの畑では、大根がどんどん空に向かって足(首?)を延ばしていました。


    

 向こうの梅林では、白梅が見ごろです。



 この花が全部実を付けたら、随分たくさんの実になるのでしょうが…

 天神集落にある天神様境内の紅梅と白梅。


    

        

 運動公園のメタセコイアは、まだ枯れ枝のまま。


 北に向く路傍、少し高みの畑に咲くナノハナ


       西進する道路際の畑には小さなスイセンが。
      

 駅に向かう中山道沿いの家、大きくなったつぼみはハクモクレン?


 駅に着いたのは、陽も傾いた17時を過ぎていました。





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続カタツムリ歩行で吉川美南駅の東部を歩く(埼玉)

2016-02-22 10:25:20 | カタツムリ歩行
 2016年2月21日(日)

 JR武蔵野線周辺を歩く「続カタツムリ歩行」の今年最初、通算31回目の例会に参加
した。集合はJR武蔵野線で最も新しい吉川美南(よしかわみなみ)駅。2014年3月
17日開業なので、間もなく2年になるという生まれたての駅である。

 駅の東側はまだほとんど開発が進んでおらず、駅2階のコンコースからは、はるかに筑
波山が望まれる。


 10時8分に東口をスタートして、北に延びる第二大場川の左岸沿いを北に向かう。線
路近くの流れ際に、ケヤキだろうか伸び伸びと枝を伸ばした大きな木が残っていた。


 すぐ先にも、もう1本がある。



 500mほど進と川幅が広がっていた。振り返れば、駅の西側に大きなマンションが望
まれる。


 川の周辺は、古くから早場米の産地として知られた二郷半領(にごうはんりょう)で、
広々とした水田風景が広がる。


 川沿いを1㎞前後進んで県道52号を横断し、木売(きうり)新田に入る。川沿いに、
こぢんまりしたかやぶき屋根の稲荷神社が祭られていた。
    

 社殿前の青面金剛は、文化9年(1812)の造立のよう。
  
 
          境内の白梅には、おみくじも結ばれていた。
         

 神社の前の通りを東へ、次の交差点を右折して南に向かう。街路樹に赤い実を付けた木
もある。
    

 県道52号に出てすぐ先に、富(とみ)新田の稲荷神社があった。ここも社殿は小さい
が、わずかに残る松が歴史を伝えてくれる。
      

        

 新しいおキツネさんの耳は、聞き耳を立てて立っていた。
  

 境内の水神塔(左)は天明3年(1783)、右の石塔には文化元年(1804)と刻
まれている。
    

 稲荷神社の西北すぐ近くには、吉川市の配水場らしい大きな水道タンクが望まれる。


 県道のすぐ先には、こんな店があった。自宅の近くなら、自分もそろそろお願いしなく
てはならないかとも思う。


 東に延びる次の通りに、古くからこの地にお住まいと思われる大きな民家が見えたので、
近づいてみた。


 


 広い屋敷の南西端から道路上に松の古木が伸び、そばのレモンが南側の細い流れの上ま
で枝を伸ばしている。
    

 屋敷の西側の畑に伸びたナノハナが、見頃になっていた。


 吉川美南高の横を通過して、2つ目の角にも小さな稲荷神社が祭られていた。


 道路際の地蔵堂↓とともに、5年前の2011年3月11日の東日本大震災のときに社
殿が倒れて、修復したようだ。
     

 ここから県道を離れ、東に延びる旧道を進む。近くの民家の前の白梅が見頃に。
    

 700mほどで大場川に突き当たり、右岸沿いの道に入る。


 対岸にある、モーターで攪拌している池は、吉川特産のナマズの養殖場らしい。


 南北から高圧送電線が集まる北葛飾変電所横を過ぎ、車道を横断した先は川の右岸の自
然堤防上の芝の道となる。横断する道路が市境で、吉川市から三郷市に入った。

 向こうに見える木の手前で川を離れて、田んぼの中を南に伸びる農道へ。振り返り見る
大場川↓の流れ。


 半田集落の中心にあるのが萬音寺。三郷七福神・早稲田回りの最初の寺だという。

 ゴール後のミーティングにて地元のIMさんによれば、ここのご住職は三郷市長とか。

 あわせてIMさんの話では、三郷には七福神めぐりのコースが3つあるが、こちらの早
稲田回りコースでは正月7日に回ると、ある寺で七草がゆが振る舞われるという。

 左から大師堂、七福神の寿老人、それに水子地蔵尊。


        

 本堂正面の入口付近には、6地蔵が並ぶ。


 寺よりひとつ北側の通りを西進して少し北へ、ゴールの半田稲荷神社には12時10分
に着いた。今日回った4つの稲荷神社の中では最も大きな社殿である。


 半田稲荷神社は、一説によれば古河公方(こがくぼう)が室町初期にこの二郷半領を掌
握するため、自ら勧請(かんじょう)した葛飾・金町の半田稲荷神社の分霊を、重臣に命
じて祭らせたことに始まるとか。

 近世では、延宝2年(1674)に天神、弁天(現在の厳島神社)を末社として勧請し
たほか、享保3年(1718)に正一位稲荷大明神に叙せられたという。これらの末社は、
拝殿の横や背後に祭られていた。

 また、社殿の棟札によれば、寛政12年(1800)に社殿を再建したようだ。


 昼食を終えて記念撮影後、ミーティングをして、次回のゴール後にはオカリナと歌の集
いを開催することなどの話があり、13時過ぎに散会となった。


 (天気 晴、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 越谷、歩行地 吉川市、三郷市、
  歩数 10,500)


 帰路は、皆さんは最寄りの新三郷方向に向かったが、私は三郷のIIさんと線路の西側
に出て吉川美南駅に戻ることにした。

 吉川美南駅と新三郷的との中間辺りにある、線路下を通過する車道を西に抜けて右折し、
大型家電店ケーズデンキ前を通過する。


 すぐ先、吉川美南駅西口から延びる通りを少しで流れに沿って西北に進むと、駅周辺の
開発に伴い作られた大きな調整池があった。


 アシの茂岸辺には、カルガモなどの野鳥がたくさん見られる。


    

 池の西岸沿いに進む。




 池の北東側は、広い芝生地の広がる吉川美南中央公園。中央部にある数mの高台に上が
り、池を一望する。

 期待した奥多摩や奥武蔵、上毛三山、日光などの山並みは、周辺の住宅に隠されて見え
ない。


 公園の東北端に、彩りの新しい建物が見えたのでそばまで行ったら、消防署だった。


 公園内には「エディケーションボード」と呼ぶ足裏を刺激する健康器具があり、裸足に
なった市民がその上を回っていた。


 調整池を見下ろす中央部の高台。

 
 吉川美南駅西口には14時3分に戻った。


 上りホーム後部からは、西口広場にあった風で動く彫刻が望まれる。


 14時11分発、府中本町行き上り電車に乗る。


 (トータル距離 9㎞、同 歩数 16,200) 


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多々良沼へ白鳥観察のウオーキング(群馬)

2016-02-18 22:34:18 | カントリーウオーク
 2016年2月17日(水)

 カントリーウオークの仲間と、館林市と邑楽町(おうらまち)にかかる多々良(たたら)
沼への白鳥観察ウオーキングに出かけた。

 東武伊勢崎線久喜駅に集まったのは6人、10時発館林行き下り電車に乗る。館林です
ぐの電車に乗り継ぎ、10時34分に次の多々良駅で下りた。


 駅前に並ぶ、市内の茂林寺(もりんじ)ゆかりのタヌキに見送られ、10時45分に駅
を出る。
    

 南側の国道122号を横断して稲荷町から日向町を経て、県立館林美術館の西端付近に
ある日向橋で多々良川を渡る。



 流れに泳ぐカモなどを見下ろしながら、川沿いを南西に延びる桜並木の遊歩道を進む。


 東側は広々とした田園地帯で、その向こうに松林の防風林が長く続いている。



 イチゴ狩り農園の長いビニールハウスの横を通過して、多々良沼の東北端の多々良橋際
に出た。眼前に多々良沼が広がるが、冬で降雨が少ないためか、湖面は狭まっているよう
に見える。



 そばにある野鳥観察棟に入ると、多々良沼の白鳥などの写真が展示され、白鳥ガイドマ
ップも置いてある。はく製のコハクチョウも、ケースに入って展示されていた。


 この辺りからは白鳥は見えないので、西進する車道の沼側に設けられた、新しい遊歩道
を進む。車を気にせずに歩けるので安心だ。

 この沼での白鳥観察を勧めてくれた、以前の中山道ウオークのメンバーで邑楽町在住の
KKさんからのメールによれば、この遊歩道は最近沼を一周できるように完成したばかり
という。

 晴れていた空に雲が増えて陽が陰り、やや強い向かい風が冷たい。観察棟から1㎞ほど
で江尻橋を渡り南へ、すぐ先に多々良沼西岸の湿地に続く小さな水辺、ガバ沼がある。 


 沼辺に邑楽町の観光物産販売所↑や観察棟と駐車場などがあり、望遠レンズを付けたカ
メラマンが何人も並んでいた。





 沼には16~17羽の白鳥と、たくさんのカモなどが望まれるが、デジカメの望遠レン
ズでは、何の白鳥かは確認できない。


 ちなみに多々良沼に飛来するのは、コハクチョウを中心にオオハクチョウやアメリカコ
ハクチョウ、コブハクチョウなどだという。

    
 観光物産販売所には毎日の飛来数が記されていて、今日午前は55羽らしい。2月では、
7日午後の140羽、14日午後の135羽、2日午後の133羽の3日間だけ、100
羽を超えているようだ。

 少し南下して、甚兵衛川の向野橋を渡る。川の南岸沿いの遊歩道を東南へ、駐車場の北
側のベンチ付近に12時03分に着き、昼食とする。


 西側、鶉新田(うずらしんでん)集落にある梅林の白梅が満開になっていた。



 雲が切れて、再び青空が広がる。北に白いのは日光の山か、近くは↓足利周辺の山だろ
うか、西北には赤城山が望まれた。


 食事を終えて12時34分に駐車場際を去り、さらに先に向かう。芦原の間の細い流れ
が湖に流れ込む辺りに、35羽前後の白鳥が見えた。


 わずかな水の浅瀬だが、魚でも来るのだろうか…。


 その先、西から沼に突き出た小さな半島の突端に、朱塗りの浮島弁財天の社殿が祭られ
ていた。

 鎌倉幕府没落の折、執権北条高時の弟、四郎慧性がある夜、崇拝する江ノ島弁財天が夢
枕に立ち、この地に逃れて再興を図るべしとのお告げを受けてたどり着き、恩林寺を建て
て北条家の菩提寺とし、江ノ島弁財天を勧請して鎮守として建立したのだという。


 弁財天堂の南側水辺には、20羽前後の白鳥が寒そうに首をつぼめて立っていた。


 この周辺も水が少なく、浅瀬が西に広がる。



 天気が回復して遠望が良くなり、北に冠雪した日光の男体山↑の山容がはっきりしてき
た。


 赤城山↑の左手(南)には榛名山↓も望まれる。


 「藤棚の小径」と呼ぶ遊歩道を西に向かう。芝生地に2本ある、サクラのつぼみがかな
りふくらんできた。
    

 藤棚の小径には、かなりの樹齢と思われる幹の太いフジが続いている。


 藤棚の終わった広場に「町指定史跡 鶉古城跡」の標柱と説明板が立っていた。

 多々良沼に突き出た「荒間崎」と呼ばれる半島部に築かれた城で、元弘3年(1333)
5月、北条高時が鎌倉に滅ぼされたとき、弟慧性らが逃れ来て築城したとか。

 のち多々良氏が入り、戦国時代には館林城主の重臣小曽根氏が小田原北条氏の来功に備
えたが、天正18年(1590)の館林城落城に伴い廃城になったという。

 そばの、「小城の泉」と呼ぶ石積みの前で記念撮影をした。


 西に延びる新しい遊歩道沿いには、多々良町で設けた健康増進用の変形の椅子などが幾
つか続く。
    


 盛土上に東屋のあるところで新しい遊歩道は左折して南へ、さらに東へと回り込み、邑
楽町から館林市に戻る。


 遊歩道は、湖岸と車道との間を緩やかなカーブで続いている。


 町と市境付近のアシの茂る小さな水辺に、1羽のアオサギが立っていた。
  


 少ない水辺などを眺めながら広葉樹の並ぶ遊歩道を東進し、成島町の北側を進む。北成
島町の北で、以前からあった松林の間を抜ける多々良沼自然探勝路に入った。


    
 アカマツの下には野外彫刻が次々に並び、「彫刻の小径」とも呼ばれている。
        

 多々良沼の東端の駐車場付近には、人工の池が設けられていた。



 車道を横断した東側には芝生の盛土上に展望所があり、北側に広がる田園地帯の向こう
に、赤城山やスタート直後にそばを通過した、県立館林美術館↓などが望まれる。


 彫刻の並ぶ林の中を少し探したら、次の横断道路の傍らに田山花袋の歌碑があった。
        
 碑の文字もそばの説明を記した石板の文字も読みにくいが、どうやらこの松林のことを
読んだ歌のようだ。

 多々良沼を反時計回りにほぼ一周したので、南側の東武小泉線の成島駅に向かうことに
する。西高根町の住宅街に入り、高根中央公園の北側を通過して北成島町へ。

 駅まで700m付近まで進んだが、14時38分発上り電車には、わずかに間に合いそ
うになく、その後は約1時間後になる。皆さんの了解を得て、東側の館林駅に向かうこと
にした。

 小泉線の線路際に進み、線路の北側沿いの道を東進して国道122号の陸橋下を抜け、
小泉線と伊勢崎線との合流点付近で伊勢崎線の踏切を渡る。館林駅には15時06分に着
いた。

 電車時刻を勘案するのが遅れ、皆さんには2㎞ほど余計に歩いてもらうことになってし
まった。間もなくの15時14分発上り久喜行きで帰路についた。

(参加 6人、天気 晴一時曇、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 足利南部、佐野、
 館林、歩行地 館林市、邑楽町、歩数 18,900)




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岩槻の市街地から南東側郊外をめぐる(埼玉・さいたま市)

2016-02-13 23:43:24 | カントリーウオーク
 2016年2月11日(祝・木)

 埼玉県内を中心に歩く、カントリーウオークグループがスタートしてから満23年目の
今日、第230回記念例会を開催した。集合地の東武アーバンパークライン(旧野田線)
岩槻駅では、駅舎の橋上化工事が進行中である。


 初参加の上尾市の2人を加えて参加者は21人。20人を超える参加は3年前の記念例
会以来だ。4組に分かれ、駅前に飾られた「ミミズク土偶」を見て、10時15分に駅を
出た。
        
 
 == 貝塚を回り久伊豆神社へ ==
 
 駅前通りを南東へ。人形店には、3月のひな祭りを控えてひな飾りが並ぶ。

 岩槻人形は江戸時代頃から起こり、現在の生産量は日本有数の位置を占めるという。


 駅入口交差点で右折して県道2号・日光街道に入る。拡幅された通りには、蔵造りなど
の古い商店が幾つか見られる。




 岩槻藩高札場跡に高札風の掲示板があり、江戸時代のことや「日光御成街道岩付宿絵図」
などが掲示されていた。


    


 古い洋風建築の岩槻郷土資料館や八雲神社↑前を通過して、すぐ先の交差点を南東へ。
突き当たりが「岩槻大師」と呼ぶ弥勒密寺で、山門には大きな提灯(ちょうちん)が下が
る。
       

 奈良時代開創の古寺で、関東三十六不動霊場第31番札所とか。本堂地下仏殿では、四
国八十八か所お砂踏み遍路が出来るという。



 鐘楼の周囲に小さな三十六童子像が並び、境内には人形大師なども祭られ、山門を囲む
塀の中には小さな十三仏が並ぶ。山門近くの枝垂れの白梅が見頃になっていた。
       

 南に下って国道16号を渡り、そばのニトリでトイレを借りる。原町の住宅街を東へ、
城南一丁目の岩槻高の南東端から左にカーブする道を進むと、左手の広い空き地が国史跡
の真福寺(しんぷくじ)貝塚である。

 縄文後期から晩期にかけての貝塚・集落跡で、台地には貝塚が直径100mの円形に分
布し、多数の住まいも予想されるとか。貝塚には貝や動物、魚の骨などが残され、駅前に
飾られたミミズク土偶も、この地から出土したものという。

 道路の西側、樹林帯と畑の間の地図に無い土の道を西進する。周辺には樹木畑や広葉樹
林が増え、穏やかな景観が広がる。


 西側の道路際に、小さな鶴姫神社の社殿があった。岩槻城主太田氏の娘、鶴姫が若くし
て亡くなり、生前彼女が好きだったこの場所に祭ったものらしい。
      


 古木の桃の並ぶ畑や、盆栽用の松を育てる樹木畑の横などを通過して柏崎小の南を回り、
サクラやケヤキなど豊富な木々に囲まれた、昼食地の久伊豆(ひさいず)神社に12時9
分に着いた。


 なんとここは、グループ発足の23年前の今日の昼食地。当日は雲ってうす寒い日だっ
た。「やまさん」こと山浦正昭さんのお声がけで集まった初対面の15人が昼食をして、
記念撮影もしたことを思い出す(下の写真は、当日やまさんが撮って会報準備号に掲載し
たもの)。

 当日のメンバーで、今日も参加は5人だけ。

 拝殿は修復工事をするのか、パイプの足場が組まれていた。その周辺と本殿付近で昼食
をする。

 
 == 目白大前から巻の上バス停へ ==


 ミーティングと記念撮影を終え、13時15分に午後のコースに向かう。柏崎小東側の
車道を少し南下して西へ、地図上の水田は休耕地に変わっていた。

 南に延びる細い水路沿いの土の道に入り、真っ直ぐに600mほど進む。この辺りは古
代は海の中で、東側に続く緩やかにカーブする台地が陸地の縁だったという。


 密生した竹林の横や、何種類かの樹木畑の横などを通過する。わずかに左カーブしたこ
ろの雑草地に枯れたガマの穂がたくさん残り、それを刈る人が来ていた。



 車道を横断して東側の台地に上がり、地図に無い土道を進む。


    

 北側の大きな白梅が満開である。



 目白大学↑の南側を通過し、わずかに残る旧武州鉄道(蓮田ー神根(川口市))の廃線
跡を確認する。
      
 武州鉄道は大正13年(1924)に開業したが、昭和13年(1938)に営業廃止
しており、わずか14年の営業だったという。

 畑や住宅の間の細道を抜けて、大規模な老人福祉センター、槻寿苑の公園で休憩する。


 東側に続く環境センターの北側を進み、県道214号を横断して笹久保集落へ。南側に、
Jリーグ一部、浦和レッズの本拠地「埼玉スタジアム2002」が望まれる。


 少し迂回してNTTの建物横を通過し北東へ。畑の隅に早春を彩るフクジュソウが咲い
ていた。
        


 自転車をたくさん積み重ねた集積地の横を進み、右カーブする辺りで東側の畑に入ると
貝殻らしい小さな白い破片が目に付く。この辺りは黒谷(くろや)貝塚だったようで、白
い破片は縄文時代の貝だろうか…。



 黒谷久伊豆神社↑と光善院前を通過し、その先の細道を入る。南北に長い田園地帯を前
にした台地の下り際は、昔はいわゆる姥捨ての地だったとか。言われてもその痕跡は何も
感じられぬ空き地だ。



 田園地帯の西側を走る黒谷落と呼ぶ流れ沿いに出た。桜並木の続く道を進んで、和戸住
宅公園の池の南側で小休止する。



 池のすぐ北にある今日の担当のAさん宅の横を過ぎ、田んぼの中を東に抜けて伊藤パン
の工場の南側を通過して、ゴールの巻の上バス停に15時34分に着いた。

 間もなく来た岩槻駅行き朝日バスに乗る。

(参加 21人、天気 快晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、歩行地
 さいたま市岩槻区、歩数 19,500)


 市街地に入った東町二丁目バス停でバスを下り、近くのスーパーで飲み物を調達して、
今日の担当のAさんが貸し切ってくれたカフェに入り、23周年の記念の集いを開く。




 2時間ほど歓談して外に出た頃にはすっかり暗くなり、西の空には上弦の月が望まれた。




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「埼玉の自然」写真展と水彩画の「水繪塾合同展」へ(埼玉・さいたま市)

2016-02-12 21:30:00 | ウオーキング
 2016年2月10日(水)

 快晴ながら北寄りの風の冷たい1日でしたが、さいたま市で開催中の2つの展覧会観賞
などのために、埼玉県の県庁所在地、さいたま市に出かけました。

 JR川越線の日進駅に上り電車で着き、11時に駅を出て東に向かいました。JR川越
線と高崎線を踏切で横断し、東北・上越・北陸など新幹線とJR宇都宮線の高架下を東に
抜け、中山道・県道164号の東側にある、さいたま市の「プラザノース」と呼ぶ建物に
入ります。

 ここには、さいたま市北区役所などが入っていて、2階の展示場では最初の目的である
『第30回私が見つけた「埼玉の自然」フォトコンテスト』の入賞・入選作品展が展示さ
れていました。


    

 第30回記念賞を初め、優秀賞3点、特選3点、準特選20点、奨励賞20点、入選
101点、それに招待者の8点という多数の作品が展示されており、いずれも埼玉県内で
撮影したしたものです。



 季節感あふれた作品、貴重なシャッターチャンスを生かした作品、さらに気づきにくい
自然や動植物、昆虫などを独自の目で捕らえた作品もあり、さすがと感心させられ、自分
自身での写真撮影の際の大変参考になりました。



 さいたま市プラザノース1階の案内所の横には、さいたま市北区ゆかりのものが展示さ
れています。


 サッカー日本リーグ、昨年2部で優勝して1年で1部に復帰した、大宮アルディージャ
のマスコットキャラクター。
    

 プラザノース前の街路樹は、まだ冬模様のまま。


 プラザノースを後にして、中山道の西側、東大成町二丁目を新幹線の高架下まで進んで
左折し、線路の東を平行する道路を南に進みます。2つ目の高架下を横断する道路際から
は、線路の向こうにある鉄道博物館構内に展示された、引退した特急車両が望まれます。


 そのガードの歩道を線路の西に抜け、すぐ先を左折したところに、八雲神社があったの
で、参拝しました。


 神社の横から大成町三丁目を南下します。近くの交差点際にある民家のシダレウメが見
頃です。


    

 大宮駅近くまで進むと、駅の北側辺りにロケットのようなものが見えました。ハテ、駅
のそばにロケット発射基地はないはずだが…、いったいこれはナンじゃロー?!
       

 さて、次の目的地、大宮駅西口のソニックシティに入ります。


 ここに県の観光コーナーがあり、県内のパンフレットが入手できると思われたからです。
1階に「埼玉県物産観光館 そぴあ」があったので、入ってみました。



 県内の特産品、土産品などを直売していますが、パンフレットは入口の外に少ししか無
く、私が入手しようとした市町村の観光パンフレットはありませんでした。

 物産館の人に聞いたら、地下1階の観光協会にあるだろうとのことで、下りてみます。

 こちらは「埼玉県物産観光協会」の看板、でも、入口横のパンフレット置き場には、や
はり市町村のパンフレットは無い。

 室内の人に声をかけて用件を伝えたら、事務机の奥にあるロッカーを開けて、ここにあ
るので、欲しいものを選んで下さいとのこと。そこでウオーキングの参考になりそうな市
町村のパンフレットを何点かもらいました。

 あわせて、『このようなパンフレットを、誰でも自由に選んでもらえるような場所に置
き、東京駅八重洲口近くの「ふるさと情報プラザ」のようにして欲しい』との要望も伝え
てお願いしました。

 さらに第3の場所に向かい、大宮駅西口付近から桜木町一丁目を南下して上落合九丁目
で国道17号に入りました。

 県道56号との交差点の南東側に立つ、S4タワーと呼ぶマンションらしい建物は34
階くらいあり、はるかに見上げる高さ。
      

 この辺りは現在さいたま市中央区ですが、合併前は旧与野市だったので、マンホールに
は当時のものが残っていました。
    

 上落合五丁目まで進と、JR線路の東側にさいたま新都心のビル群が近づきます。


 JRの高架線が右に緩くカーブして、正面に埼京線北与野駅が近づいた手前で、次の目
的地、北与野駅西口の大型書店「書楽」のあるビルへ。


 もう14時を過ぎたので昼食をしなくてはと思い、2階に上がったら、イタリアン&カ
フェ「AGRICO(アグリコ)」があったので入りました。


 店の前に並んでいたメニューから、日替わりランチのポークジンジャー(690円)を
注文。


    
     スープはお代わり自由、料理ともに美味しくいただきました。

 さて、お腹もふくれたので1階に下りて書店・書楽に入ります。


 西北の隅にある地図コーナーで、これから使う予定の2.5万分の1地形図4枚を購入。


 埼京線には乗らずに東側のけやき広場に上がり、JRさいたま新都心駅から京浜東北線
上り電車で南浦和駅まで行きました。


 15時過ぎ南浦和駅に下車し、西口から真っ直ぐに伸びる文化通りへ。この辺りはさい
たま市南区、もとは浦和市だったのでマンホールも当時のものが残っています。
    
 デザインのサクラソウは、さいたま市の花であるとともに埼玉県の花でもあり、さいた
ま市桜区の田島ヶ原のサクラソウ自生地は、国の特別天然記念物になっています。

 蛇足ながら、わが家でも連れ合いが毎年鉢植えのニホンサクラソウを育てていて、春先
には花を見ることができます。

 文化通りの終わった突き当たりに、今日最後の目的地、さいたま市文化センターがあり
ました。ここに来たのは初めてのこと。


    

 この展示室で今日から、「太陽と大地の水彩画研究会」の「第17回水繪塾合同展」が
開催されました(会期は14日(日)まで)。従来は浦和駅西口の埼玉会館で開催してい
たのが、今年は会場が変わったので私にとっては初めての会場です。
        


 広い展示室で、大宮西口教室、浦和金曜教室、大宮土曜教室、東大宮水曜教室の4つの
教室に学ぶ35人の、この1年間に描いた作品150余点と、指導されていた佐藤義夫先
生の遺作4点が展示されています。




 描いたところは埼玉県内がほとんど。ほかに信州(長野県)の安曇野や白馬村、上田市
郊外の塩田平など、カントリーウオークで訪ねたところが多く、懐かしい場所を描いた作
品がたくさん見られました。

 大宮西口教室の会員で、カントリーウオークのメンバーTさんは6点を出展。

 多くの会員の出展は3点~5点、Tさんのほかに6点出展の人は2人だけ。Tさんの制
作意欲の高いことがうかがわれます。

 この回を長い間主宰されてきた講師の佐藤義夫先生は、新春1月7日に逝去されたとの
こと。先生の遺作4点も会場入口横に展示されていました。


 塾生の皆さんは、先生の遺志に応えるべく予定通りこの合同展を開催し、同時に今後の
活動について塾生一同の意見集約を計り、精進努力されるとのこと。毎年この合同展の作
品を観賞させてもらってきた私としても、今後も続けられることを期待したいと思います。

 これで今日の予定はすべて終わり、16時15分頃会場を後にして帰路に向かいます。
文化センター北側の道路を西に進むと、根岸一丁目の西端辺りに神社がありましたが、何
という神社かは分かりません。


 道路を挟んだ西側、少し下がったところには根岸薬師堂が並んでいます。

 境内には、足立七十六番の大西不動尊も祭られて、薬師堂の右手の地蔵堂には、お地蔵
さんが並んでいました。


 さらに西進して笹目川を渡り、JR武蔵野線と埼京線の武蔵浦和駅に16時54分に入
り、武蔵野線上り電車で帰路につきました。


 (天気 快晴、距離 8+3=11㎞、地図(1/2.5万) 上尾、岩槻、浦和、
  歩行地 さいたま市北区、中央区、南区)





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当ブログ まる10年を迎えての御礼

2016-02-09 16:50:54 | Weblog
 2016年2月9日(火)

 今日は日射しが暖かで南からの風も感じられ、所沢でも正午過ぎには10℃を超えたよ
うです。

 正午前後、市内ウオーキングで所沢航空記念公園に入りました。昨年末から開花を始め
たロウバイ園のロウバイも、さすがに峠を越えた感じですが、まだかなりの木が咲いてい
ます。








 でも、ロウバイの見頃は終わったようなので、東南にある梅林に回ってみました。ロウ
バイ園のロウバイは100本くらいあるのですが、こちらの梅の木はずっと数が少なく、
20本余りかと思われ、まだ3,4本が花を見せているだけです。


 白梅はこの1本が咲き始め。


 紅梅が3本花を見せていて、左の木が一番色が濃いようです。




 右の木は少し薄めの色。


 北側の紅梅です。

 もう少ししたら、梅林の彩りも豊富になることでしょう。


 ところで今日は、当ブログを開設して以来ちょうど10年を迎えました。

 2006年2月9日に初めて投稿してから、お陰様でたくさんの皆さんからの暖かいご
声援をいただき、それを励みにして続けることが出来ました。いつもご覧いただいている
皆さんに厚く御礼申し上げます

 ちなみに、きのうまでの10年間のデータを集計してみました。

 ご覧いただいた皆さん、ご訪問者の数はのべ938,455人で、1日平均では257
人がご覧いただいたことになります。

 ご覧いただいた総ページ数は4,195,075で、1日平均では1,148ページ、お
一人の方が1回平均4.5ページ近くご覧下さったことになります。

 一方、私の投稿した総数は10年間で2,296なので、1か月あたり投稿数は約19
回ということになります。当初は毎日のように投稿していたのですが、最近は減っており、
今後は月平均投稿数は減少すると思われます。

 アップした写真の枚数は32,754枚でした。当初は1枚の画像を50㎅で、最近は
100㎅でアップしており、総容量は2.292ギガバイトになりました。

 1回(ページ)の投稿で何枚画像を使ったかというと、平均14枚余りとなります。

 このようなたくさんの投稿を、無料でさせてもらった「gooブログ」にも感謝しなくて
はなりません。

 また、いつもご覧いただいたいる以外の皆さんにも、情報を参考にされている方が結構
おられるようで、時々のぞくことが出来る当ブログへのアクセス状況の中で、例えば四国
遍路に関する情報をご覧いただく方の多いことも分かりました。

 また、当ブログにアップした写真を使わせて欲しいとのご要望も幾つかいただきました。

 その例としては、環境問題をテーマにした図書にて四国遍路の際撮った写真が使われ、
所沢市内の春のサクラの写真が、所沢市内に工場があり本社が長野県の精密工業の社内報
の表紙に、さらに京都で取ったサクラの写真が関西の私鉄のPR誌に掲載されました。

 ほかに、ドイツを歩いた時の古城の写真が、その地名と同じケーキを販売している関西
の洋菓子メーカーのPR用ウェブサイトに利用されています。

 実は、無料で投稿できる画像容量は3ギガバイトまで。あと残りは0.7ギガバイトほ
どになり、それ以上になったら有料に移行したいと画像がアップできなくなりますので、
近い将来には有料に移行させてもらうことになりそうです。

 私自身平均寿命に近づき、あと10年続けることは想像できませんが、これからも認知
症予防にもなればとも思い、出来るだけ話題を探して投稿を続けたいと考えております。
今後も興味がありましたら引き続きご覧下さりますよう、よろしくお願い申し上げます

 あわせて、投稿内容の誤りなどありましたらご指摘下さるよう、サポートについてもよ
ろしくお願いいたします




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「あしがくぼの氷柱」を見に行く(埼玉・横瀬町)

2016-02-05 21:17:04 | Weblog
 2016年2月5日(金)

 このところ真冬の気温が続いているので、見ごろになっただろうと思い、「あしがくぼ
の氷柱」を見に出かけた。
       
    
 西武池袋線と秩父線の下り電車に乗り、10時48分に芦ヶ久保駅に下車する。

 北斜面で日射しの少ない駅のホーム周辺は、まだ10㎝以上の積雪が残っていた。


 駅を出て、線路の北側沿いの道路を西に向かう。




 小さい流れの谷間に出て、受付の小屋で環境整備協力金の200円を払って入場券をも
らい、線路下を南側に抜けて遊歩道の鳥居をくぐる。


 その先を左に回り込むと、小さな丘の上が氷柱の展望台になっていて、駅からは10分
ほどで到着する。


 展望台に上がり、日影になっている南西側斜面の氷柱を一望する。




 こちらは少し左手の斜面。



 
 今週初めに降った雪がたっぷりと氷柱を覆い、見栄えが期待したほどで無いのが残念。




 北側眼下には西武秩父線の線路が望まれ、受付の後通過してきた回遊路も手前に見える。


 その北側、日当たりの良いの樹林の斜面には残雪は見えない。



 展望台の広場には、甘酒か紅茶のサービスコーナーや、ストーブが用意されていた。


 西武秩父線の飯能行き上り列車が、左手にあるトンネルを出て姿を見せた。


 展望台の左手から少し下り、中段を巡る新しい展望路が出来ていたので回ってみる。




 こちらからは、いっそう間近に氷柱が見られる。




 誰が作ったのか、手で持てるくらいの可愛い雪だるまが並んでいた。


     

 展望台からの東側斜面の広葉樹林。


 そろそろ戻ることにして、少し下がって中段から眺める。




 中段から見上げる展望台広場。


 西側斜面を間近に。




 さらに下ると、光の差し込んだ氷柱が見られる。


 通過する、西武秩父線上り池袋行き特急ちちぶ27号。






 わずかながら樹氷もあった。




 駅の近くまで戻ったら、正午になったので道の駅「果樹公園あしがくぼ」に寄り、直売
所で地元秩父の漬物と和菓子を求めた。



 食堂に回っての昼食は、山菜そば(600円)。


 道の駅の北西側すぐ近く、国道299号にある観光案内所にも回って、秩父地方のパン
フレットを幾つか入手した。


 観光案内所付近からの道の駅「果樹公園あしがくぼ」。



 12時半過ぎ、西武秩父線芦ヶ久保駅↑に戻る。駅前広場からの北側斜面の眺め。


 12時53分発上り飯能行き電車で、帰路についた。

 ちなみに、秩父地方にはこのほか2つの氷柱が公開されている。ひとつは秩父市大滝の
「三十槌(みそつち)の氷柱と中津川の氷壁」
       
       詳細は「秩父観光なび」で検索を。

 もうひとつは、小鹿野町(おがのまち)河原沢の「尾ノ内百景氷柱」。

 詳細はこちらで(シーズンが終了後は見られなくなるかもしれない)。

 2つとも町中からは距離があるので、交通事情についてはよく調べてからお出かけを。
 



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横浜瀬谷八福神めぐり(神奈川)

2016-02-02 11:31:29 | 七福神めぐり
 2016年1月31日(日)

 前日の天気も回復して気温も10℃前後になりそうなので、月末ながら今年2回目の七
福神めぐりに出かけた。

 自宅を8時過ぎに出て所沢と横浜で乗り換えて、10時10分に相鉄本線の瀬谷(せや)
駅に下車する。駅構内には、大きな七福神めぐりの絵が掲示されていた。
    

 相鉄線に乗ったのは何年ぶりだろうか…。首都圏の私鉄の中で私にはご縁の薄い鉄道で、
ここ20年くらいは乗ったような記憶が無い。

 駅にあった相鉄の「駅からさんぽ 横浜瀬谷八福神めぐり」のパンフレトをもらう。
18頁あり、八福神巡りマップのほか、寺の紹介、特典付飲食店案内、御朱印を押すスタ
ンプ帳、相鉄沿線のお勧めどころなどが掲載されている。


 10時18分に北口を出た。突き当たりの通りを右折して、瀬谷小の東側にある八福神
の最初、ダルマ大師の長天寺へ。

 創建は、室町時代の応永元年(1394)、八福神のダルマ大師は、釈尊以来28代目
のインドの高僧とか。中国に渡来し武帝に謁見後、少林寺の壁に面して9年、禅宗の開祖
といわれ、七転八起のダルマで親しまれている。
    
 どっしりとした本堂の前に、ダルマ大師が鎮座し、本堂内右手と小さいお堂にも祭られ
ていた。
     

 境内には、クリスマスローズが咲く。


 明治22年(1889)、近隣の3村が合併して瀬谷村となった時には、初めての村役
場が当寺の客殿に置かれ、大正5年(1916)まで使用されたという。

 瀬谷小の北に回り、相沢四丁目から五丁目へと住宅街を抜ける。本郷四丁目で真っ直ぐ
に北に延びる「海軍道路」と呼ぶ県道18号へ。右側歩道沿いには桜並木が続いている。


 瀬谷西高の先で西北への旧道に入る。西側にある平地林近くから、北に延びる直線の農
道へ。

 小さい流れを横断して上がると一面の畑が広がり、ナノハナが咲いていた。
      

 上瀬谷小の南を西進して、竹村町の住宅地を西に抜ける。狭いが車の多い県道401号
を南に少しで、大天の妙光寺があった。

 白雉3年(652)の開基という古寺。弘安5年(1282)9月には日蓮聖人が一泊
し、聖人の教化を受けて改宗したとか。

 本堂はコンクリート造り。大黒天堂に並ぶ鐘楼に吊された鐘は、正中2年(1325)
の鋳造で県の重要文化財。


 山門近くのクチナシが、たくさん実をつけていた。


 県道を南に少し、Y字路に小さい北向地蔵堂があり、赤布をまとった5体のお地蔵さん
が窮屈そうに並んでいた。
    

 そこで県道に分かれて右手に下ると、すぐ先が恵比寿神の善昌寺である。

 善昌寺は鎌倉の光明寺の末寺で、室町時代の天文2年(1533)の開山、本尊・阿弥
陀如来は、江戸時代から雨乞いの阿弥陀さんとして信仰を集めているという。

 恵比寿神を祭るお堂は山門を入った右手にあり、背後はわずかながら竹林になっている。
      

 山門の手前左手、墓地に立つタブノキの巨木が目に付き、横浜市の名木古木に選定され
ていた。
    

 境内の枝をたくさん延ばしたイチョウも、市の名木古木である。本堂前には、大
きく枝を広げたシダレザクラがある。
      

 「かまくら古道」と呼ぶ、緩いカーブの続く旧道を南下する。両側には古い屋敷やケヤ
キなどの高木が多く、古道らしい雰囲気にあふれている。

 広い屋敷の前に「瀬谷銀行跡」の説明板があった。瀬谷銀行は明治40年(1907)
に創業、30年にわたり地域金融事業の中心になり、実業界・政界に大きな影響を与える
とともに、地域の発展に寄与したとのこと。

 ここは、その頭取だった小島家の屋敷で、小島家は江戸中期から中瀬谷村村役を務め、
さらに明治から昭和初期まで村行政に功績を残したという。

     
 その先にもケヤキの古木の多い民家が目に付き、古い唐箕(とうみ)を大きな納屋の壁
面に吊した家もある。




 次の本郷一丁目に入った辺りに神明社があり、拝殿の右手にイチョウ高木が立っていた。


   
 その下に、西南戦争から太平洋戦争までの戦死者の名を刻んだ忠魂碑があり、礎石は、
天平13年(741)に建立された相模国分寺の講堂の礎石だという。
       

 さらに600mほどで、日枝社が祭られていた。


 社殿右手に、市指定天然記念物で樹高35m、胸高周囲5.4m、推定樹齢300年以
上というケヤキがあり、枝振りも良く幹の中ほどに幾つかの大きなヤドリギが付いていた。
     

 小さい流れを越えて本郷二丁目に入り、毘沙門天の徳善寺に行く。
     
 堂々たる山門を入ると、広い境内は樹木が多く古寺らしいたたずまい。



 徳善寺は弘治元年(1555)の創建、毘沙門天を祭るお堂は山門を入った左手にあり、
そばのミツマタが咲き出していた。


 周辺にも庭木の多い旧家があり、大きな夏ミカンだろうか、たくさんの実をつけていた。
     

 高架の相鉄線の下を抜けて瀬谷六丁目を進み、東西に走る県道40号・厚木街道との交
差点に出た。

 交差点際には、八福神巡りのパンフレットに掲載の、お勧めの店のひとつ「瀬谷そば」
があった。


 13時近いので入り、お勧めの鴨汁つけそば(800円)を注文する。八福神巡りパン
フレットを見せると、コロッケをひとつサービスしてくれた。
    

 13時14分に店を出た。厚木街道を東に少し、次の交差点の手前が弁財天の宝蔵寺で
ある。

 治暦2年(1066)の開基で、慶安2年(1649)には徳川3代将軍家光から、寺
領6石などの御朱印を受け、拝領の駕籠(かご)も現存するという。現在の本堂は、天保
15年(1844)の再建とか。「ぼけ封じ富士見楽寿観音第5番札所」でもある。
    
     
 弁財天堂には新しい石像の弁財天が祭られ、境内の青銅の楽寿観音像も新しい。
        

     

 「瀬谷そば」のある交差点まで戻り、かまくら古道を南に少しで、布袋尊の西福寺へ。

 創立は天文3年(1534)と思われるとか。極楽浄土とされる西を正面として境内が
扇状に広がっているので、西福寺と名付けられたらしい。


 この境内も樹木が多く、中でも本堂の左手前に立つスダジイは樹齢1,000年とされ、
「千年シイ」と呼ぶ市の名木古木である。


 境内に入って右手、布袋尊を祭るお堂の横にも、微笑む石像の布袋様が鎮座していた。


 南側にある左馬社(さばしゃ)は、西側に流れる境川流域の村々で疫病が流行した際に、
境川の東西に点在する神社を回って厄よけをした民間信仰「七サバ神社」のひとつで、祭
神は佐馬頭(さまのかみ)・源頼朝だという。

 西福寺が佐馬社の別当寺なので当時の神仏混交の姿が残り、境内の吊鐘は瀬谷区内唯一
で、厄除け、虫除けに鐘を突いて祈願したとか。
     
 江戸時代の鐘は太平洋戦争で供出し、現在の鐘は昭和32年(1957)の鋳造という。

 さらにかまくら古道を南へ、北新集落の南端で県道45号・中原街道に接し、街道に面
して福禄寿の宗川寺(そうせんじ)がある。

 開山は寛永2年(1625)、山門を入ると左右に立つイチョウは「夫婦銀杏(めおと
いちよう)」と呼び、市の名木古木。縁結びや安産祈願の信仰を受け、近隣からの参詣が
多いという。
     

 福禄寿を祭るお堂は右側イチョウの横にあり、境内にはソメイヨシノやシダレザクラの
古木もある。
       

 中原街道を横断して、道は緩やかに左にカーブする。1㎞ほどで相沢川を渡り、軍用道
路から延びる県道18号を跨道(こどう)橋で越える。


 東側の石段を上がると、最後の寿老人を祭る全通院勢至堂(せいしどう)である。

 午前の最後に訪ねた徳善寺の別院で、勢至菩薩を本尊としているとか。棟札によれば、
寛政9年(1797)に現在のお堂が建立されたと記されているという。
       

 明治22年(1889)の町村制で近隣の3村が合併して瀬谷小のエリアが広がったた
め、境内に下瀬谷分教場が設置され、昭和18年(1943)まで多くの児童が通学した
ようだ。

 境内には、横浜市の名木古木に指定されているフジの古木もある。


 14時半過ぎ、八福神を巡り終えた。あとは駅に戻るのみ。そばの下瀬谷橋際にバス停
があり、20分間隔でバスがあるが、時間も早いので県道18号を北へ戻ることにする。
交通量は多いが歩道があり、最短なので県道を進み、15時11分に瀬谷駅南口に着いた。


(天気 曇後晴、距離 11㎞、地図 (1/2.5万)座間、相鉄の八福神めぐり地図
 ほか、歩行地 横浜市瀬谷区、歩数 21,700)




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