やまさんの関東百駅巡礼歩行、第35回は6月9日(土)、
茨城交通湊線の終点、阿字ヶ浦駅周辺を歩いた。
参加者は15人。10時40分に阿字ヶ浦駅をスタートした。
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カメラマン2人を除く参加メンバー。
ホームの先に100m余り線路が延びている。その途中まで
行き、線路の西側へ。ホームの端に廃車した古い2両の列車が
止めてあり、その一つに、「羽幌炭砿鉄道」と記されていた。
蛇足ながら、羽幌炭砿鉄鉄道は1970年12月25日で廃止
された。その後転用され、この線を走っていたようだ。
畑の間に住宅が点在する細道を進む。面積は狭いがうっそう
とした広葉樹に囲まれた小さい社があった。社殿の中は見えず、
「笠間神社」と記された金銀の鈴が下がっていた。
北西に向かい、もう一つの小さい社の北側にある浄妙寺に入
る。
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大屋根の本堂、精巧な木彫を施した鐘楼、ツツジ咲き枯山水
を廃した庭など、いずれも見栄えがする。
付近の民家に、この地方独特の造りがある。切妻屋根の下に
片側だけもう1つの屋根があり、柱や側板は朱系の色に塗って
ある。鬼瓦には姓が彫り込まれていた。
寺の手前にある川前(かわさき)家のりっぱな納屋もその一つ。
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作業していたご主人の話では、川前家は代々庄屋を務め、
建物は市から文化財級として認められているという。
地形図上は、さらに北に寺マークがあるので進んだが、無い。
どうやら、浄妙寺の位置を間違えて記入したらしいと推察された。
西側の一角は区画整理され、広い敷地の新しい住宅が立ち始
めている。水子地蔵尊のお堂と墓地の横を南へ進み、阿字ヶ浦
小の北側から南西へ向かう。
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一体はサツマイモ畑で、まだ植えている畑、植えて間もない畑
が広がっている。
集落の西端に進み、西久保稲荷へ。やはり小さい社で、境内
も狭い。木陰に座って昼食とする。道路際にケヤキの太い切り
株が残り、ヤドリギが何本か出ていた。
昼食後、やまさんから、この歩きの狙いなどのお話しがあり、
各々自己紹介を行った後、解散とし、午後は自由行動となった。
私は一人で、やまさんからもらった地図の次のポイント、南側
の神社に向かうことにした。植えたばかりのサツマイモ畑の間を
進むと、西側の森でキジが鳴き、上空でヒバリが数羽さえずる。
畑の尽きたところに、南南東に2㎞あまり伸びる斜面林が連な
り、林に挟まれた田んぼがあるという珍しい地勢になっている。
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山間地の谷間にある谷地田(やちだ)ならともかく、周囲は
広大な畑作地帯なので豊富な緑が目につく。
その斜面林の向こう、鳥ヶ谷の北端に目ざした神社があった。
クス、カシ、桜などに囲まれた原稲荷神社で、社殿は新しい。
周辺でホトトギスが鳴いた。
斜面林の西側を1㎞近く進み、車道に出て少し戻る。斜面林
の東側台地に上がり、真っ直ぐに伸びる農道を東に向かう。
一体はやはり広大なサツマイモ畑。冬から春先、茨城産の干し
いもが首都圏で販売されるが、この辺りはどうやらその原産地
らしい。
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その一角に、すっかり色づいたビール麦が、たわわな首を傾け
ていた。
大きなパラボラアンテナなどが並ぶ通信総合研究所横から北に
向かい、磯崎町の住宅地へ。
やはりちょっとした森に囲まれた2つの小さい神社があったが、
いずれも朱塗りの稲荷神社。今日回った神社は皆、稲荷神社だ。
ちょっとした盛り土上にある2つ目の神社の先でヘヤピン状に
折返し、四国の遍路道を思わす林の間の土道を下ると、海を見下
ろす車道に出た。
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周辺の磯浜は、中世代白亜紀層と呼ぶ、褶曲(しゆうきよく)に
より傾斜し、侵食された鋸歯上の岩が沖に向かって伸びている。
海沿いの車道は車が多いので、別の車道を台地に上がる。
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磯崎小の先に白亜の灯台が立ち、近くから、少し霞んだ日立港
が望まれる。
すぐ北は、りっぱな森に囲まれた酒列磯前(さかつらいそさき)
神社。斉衡3年(856)12月、神が大洗と磯前の海岸に出現
したので、それぞれに社を営んだ伝えられているという。
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大きな社殿正面に、「大勲位公爵桂太郎謹書」の額が掲げられ、
境内には、水戸藩九代藩主「水戸斉昭公お腰かけの石」がある。
広い境内は豊富な常緑広葉樹に囲まれ、とりわけ見事なのが、
300mの参道両側を覆い隠したツバキの巨木群。
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タブノキやスダジイも混じり、ほかでは見られぬ特異な景観を
見せている。
参道を東へ、入口に立つ鳥居前に出て、そばのT字路を南に
上がったところが比観亭(ひかんてい)跡。水戸藩六代藩主、
徳川治保が、寛政3年(1791)に東屋(あずまや)「比観亭」
を建てたところ。
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眼下に磯前漁港が見下ろせ、前方に太平洋が、北には日立港が
一望できる。
三差路から南へ500m余りで磯崎駅に着いた。次の上り列車
まで20分余りある。線路沿いを進んで出発した阿字ヶ浦駅に
着き、15時23分発勝田行きに乗る。
すでに皆さんは帰ったのか、始発の乗客は私ひとりだった。
(参加15人、天気 晴後曇、距離 11㎞、地図 ひたちなか、
歩行地 ひたちなか市)