あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

春の花あふれる金泉寺周辺(埼玉・所沢)

2015-03-30 20:56:30 | 所沢だより
 2015年3月30日(月)

 そろそろ樹齢150年の金仙寺(こんせんじ)のシダレザクラが見頃になったかなと、
今日は市内ウオーキングの距離を少し伸ばして、市の西郊、三ヶ島地区の金泉寺まで出か
けました。

 早稲田大学所沢キャンパスの入り口付近にも、シダレザクラの古木のある寺、常楽院が
あるので、まずはそちらに立ち寄ってみたら、もう少しで満開というところでした。




 早稲田大学所沢キャンパスの北側を回り、その西側台地にあるのが金仙寺です。石段を
上がって行くと、まず目に付いたのは左手のハクモクレンの高木。
     

 市内のほかのところは、ハクモクレンは盛りを過ぎているのですが、ここはちょうど見
頃でした。
    

 本堂の前のシダレザクラも、間もなく満開というところ。明後日からは曇や雨模様の予
報からすると、今日明日が眺めるには一番よいかもしれません。






        

 シダレザクラの下にも、色々な草花が植えられていて、花を競っていました。
まずはショカッサイ。
    

 ハナニラもあちこちにありました。


     東側のがけ際では、ミツマタなど4色の花の饗宴。
    

       この位置からは3色
      

      

 クリスマスローズも何色かの花が咲いています。


    

 もう一度シダレザクラを見上げて。




     ソメイヨシノはまだ5分咲き前後でしょうか。
    

      本堂の西に回ると、墓地の隅ではハナモモの若木が満開に。
         

 その先の畑は、いろいろな花が植えられていて、見頃の花がたくさん見られます。
    

        わが家の庭にも咲いているムスカリ。  
        

 毎年描かれる花文字。今年は「〇(まる)い心で」と描かれているようです。


 そばのハナモモ。


       この細い枝に咲く花はなんだろう?
      

 寺の駐車場の南側斜面。


 本堂の左手には、もっと色濃いミツマタがあったのですが、今年は無くなっていました。
    

 寺の西側の高台は、比良の丘という好展望地ですが、ここにはいろいろな花が咲き競っ
ています。


 真っ赤で色鮮やかなのはボケの群落。


 桃はいろいろな花が並んでいます。


    

         

 まさに花の饗宴。






      


 
     レンギョウ
    





 この木だけ、やわらかな若葉の彩りを見せていました。


 金仙寺の西側入り口付近に戻ります。


     北側の道路に回ると、本堂裏手には少しだけでしたがカタクリが。
    

      

        黄色い花のカタクリは初めて見ました。
        

 もう一度境内に戻り、サクラの花を見上げて。


    

        

 十分眺めたので帰路につくことに。わが家からは往復12㎞の市内ウオーキングでした。




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上尾市東北部も花の季節に(埼玉)

2015-03-29 14:37:49 | ウオーキング
 2015年3月28日(土)

 今日は好天で、気温も20℃を超えるという予報なので、カントリーウオークグループ
の6月例会の下見に出かけました。

 コースは、JR高崎線の北上尾駅から上尾駅にかけて、高崎線の東側、上尾市東北部の
エリアです。回った社寺や公園の紹介は例会当日として、今日は、あちこちに咲いていた
花をご覧いただくことにします。

 まず目に付いたのが、住宅地周辺の畑に咲くボケ。


    

 昨日も見た見頃なミツバツツジを今日も。


    

 上集落の上氷川神社境内には、若木のサクラが。


    

 菅谷五丁目まで行くと住宅が少なくなり、ナノハナ畑がありました。


 南側の菅谷一丁目には、もっと広いナノハナ畑が。


 上尾市民球場やテニスコートなどのある上平(かみひら)公園に入ると、色々なサクラ
があちこちに咲き競っています。


    



    

 シダレザクラは何本もあり、市民球場のそばの木の下では、花見を楽しみながら昼食を
する女性グループも。


 児童公園の近くのシダレザクラ。


 市民球場のレフト側スタンド周辺のソメイヨシノは、まだ咲きはじめ。私はそばのベン
チで昼食をしました。


 池のある方に回ると、色濃い花が咲き競っています。


 池の向こうに咲くサンシュユの高木。


    

 午後最初に回った密蔵院のソメイヨシノも、かなり花を見せていました。


 近くの平塚公園で、花を背にしておしゃべりを楽しむグループ。


 最後に訪ねた、駅の近くの遍昭院のハクモクレンは、盛りを過ぎていましたがまだたく
さんの花を見せていました。
      

 およそ15㎞を巡り、上尾駅から16時半過ぎの上り電車で帰路につきました。
 



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プラム、サクラ、ハクモクレン、コブシなど花開く(埼玉・所沢)

2015-03-27 17:15:00 | 所沢だより
 2015年3月27日(金)

 2~3日前の冷え込みから一転、所沢のアメダスの最高気温値は19度近い暖かさとな
りました。

 正午前後に、市内ウオーキングで住宅地や畑の多いところを巡ったら、春の彩りがそち
こちに見られました。

 上新井会館に近い樹木畑では、プラムが数本、花を広げています。




 上新井公園の近く、民家の庭先にあった早咲きのサクラは、ちょうど見頃に。


    

 国道463号バイパスを西へ、誓詞橋(せいしばし)近くまで進んだら、北側の畑の中
に予想通りハクモクレンの大木が花を見せていました。



 誓詞橋交差点から北へ少し、西側の畑のあぜ道からの眺め。


 所沢市内でも、1、2を争うハクモクレンではないかと思われます。


 この先は畑道なので、木のそばまで行けませんでしたが、花の盛りは少し過ぎたよう。
    

 所沢西郵便局に向かう市道際の、民家のミツバツツジも見頃に。
    

 西武池袋線の踏切を渡り、小手指車両基地沿いを進んで北中小前を通過しました。校舎
の背後の梅の木には、まだ花が残っていました。
     

 国道463号(通称行政道路)の近く、農家の庭に咲く2本のコブシは、盛りを過ぎた
よう。


    

 国道を東進して、西友小手指店に寄ります。北側の駐輪場そばのポトマックサクラが、
予想以上に開花していました。


    


 もうあと3日もすれば見頃になりそうです。

 あとはわが家に向かっての帰路となります。蛇足ながら、澄み切った上空を見上げたら、
上弦の月が見えていました。


 3月も終わりに近く、いよいよ春本番です。 




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三浦海岸駅の南側をカントリーウオーク(神奈川)

2015-03-23 20:40:26 | カントリーウオーク
 2015年3月22日(日)

 山浦敬子さんが、毎年春秋に2回ずつ開催している「アートウオークセラピー」、今年
最初の通算41回目に参加した。

 集合駅は従来は京浜急行久里浜線の終点、三崎口駅からだったが、今年はひとつ手前の
三浦海岸駅となる。今日は15℃を超えて暖かな日射しになるとの予報、10時ちょうど
に東口をスタートする。


 駅の南、松原地区を少し進むと大きな建物がある。「マホロバマインズ三浦」と呼ぶリ
ゾート施設で、三浦半島の海の幸などを味わえる食事、地下1500mから湧き出る天然
温泉や温水プール、宿泊などができる施設のようで、その先には別館もある。


    
 別館の前の小公園を抜けて、南側の台地に広がる畑作地帯に出た。あぜ道にオキザリス
がたくさん咲き、ツクシもあちこちに芽を出していた。
        

 付近にはキャベツ畑が多く、もうかなりよく育っている。


 国道134号を横断して、さらに南側へ。斜面に見慣れぬ大きな葉っぱの野菜が10数
本植えてある。以前どこかで見たことがあるが、名前は思い出せない
    

 畑の一角のナノハナも花盛り。


 台地の南端まで進み、農作業小屋の横から下の稲荷小路集落に向かう。斜面林の間にわ
ずかに認識できる踏み跡をみつけて下り、民家の庭先を通り抜けさせてもらい、私と山浦
敬子さんだけが道路に出た。

 後続の4人は畑にいた人に声をかけられ、そこは自宅への私道だから下っては困ると言
われたようで、戻ってしまった。

 戻るのはまずそうなので、敬子さんが携帯電話をかけたが応答はない。2人でそれぞれ
東側と西側の道路を回って確認に行くことにして、集合地を近くの神社と決め、私は東側
の神社横から回って台地に出たが、一面畑のどこにも4人は見当たらない。

 どこからか下ったようなので、少し戻ったら中間に下る道があった。

 その辺りからは、南東に近くの岬の展望や、東方に霞む房総半島などが遠望できる。


 稲荷小路集落に下ったら近くの寺のところに4人が見え、西に回った敬子さんも戻り、
全員が合流することができた。

 集落の農家の前の畑は、ツクシの大群落が埋めツクシている。


    

 そばの三浦観音霊場9番札所、宝昌寺に入ると、色濃い桜の若木が見頃に。


 本堂の左手から、背後の新しい墓地の最上部まで階段を上がり、11時20分過ぎで少
し早いがここで昼食とした。



 台地上の畑の標高に近いので展望がよく、眼下に寺周辺の家並みなどを見下ろし、集落
の向こうの畑、東南には先ほども台地上で見た岬方面が望まれる。




 記念撮影をして、12時05分に出発した。やまさんは、今日も姿を見せなかった。
    

 すぐ東に接する仲里集落から、台地の東側を南に延びる畑の横の旧道を進む。途中から
地図上の破線の道を台地に上がるつもりだったが、廃道になったのか見当たらず、そのま
ま南西へと緩やかに上がる道を行く。

 周辺のこずえのあちこちから、賑やかにさえずるウグイスの声が気持ちよい。


 畑が終わり両側から迫る緩やかな谷間をさらに進むと、東側の林の間にクリスマスロー
ズ園があり、たくさんの株が花を競っていた。


 この先にお住まいのご夫婦が、個人で切り開いた造ったとのこと。ご主人がおられたの
で、声をかけて拝見する。
    

        

 
 これだけの花を手入れするのは大変だろうと思われ、感謝申し上げて先に向かう。

 その先の畑のあぜにも、ツクシが顔を見せている。


 少しずつ高度を上げ、当ヶ作の新興住宅地に入る。東側山林に、住宅のこどもさんのた
めの手作りの遊具が設けられていた。

 整った公園で遊ぶより、このような自然の中で遊べるのはよい環境ではないだろうか。

 道は、台地上で国道134号が折り返し、県道26号と合する引橋交差点に出た。折り
返して国道を北に向かい500ほど、陣場集落のY字路際にある「三浦生鮮ジャンボ市場」
に入り、トイレを借りる。



 市場内は地元で水揚げされた魚や魚介類、新鮮な野菜などが並び、買い物客で賑わう。 


 さらに国道を800mくらい、下宮田交差点で国道を離れ、内込集落の旧道を北に進む。
畑の中の一軒家の庭のツバキは、1本の木から3色の花が咲く珍しいもの。

 接ぎ木でもして、このような花を咲かせるのだろうか…。


 その先の畑では、家族で大根を収穫していた。



 京浜急行線の線路を跨道橋で越えて北側に回り、線路沿いに続く小松ヶ池公園に入る。

 広葉樹の間の遊歩道を下って、小さい池のほとりに出る。池には小さい魚がたくさん泳
ぎ、池の縁から湧水がブクブクと出ていた。


 そばの枯れ枝でウグイスがさえずる。ウグイスを撮ったのは初めてだ。


 公園内でも、花盛りのナノハナが見られた。



 小松ヶ池の西側はヨシが生い繁り、その先に水辺が広がる。



 期待して来た池畔の河津桜の並木はすでに葉桜となり、花も盛りを過ぎていた。
    

 池の北側には、三浦半島では珍しいと思われる谷地田が残っている。


 河津桜の並木が終わる辺りには、水神塔や開拓記念碑などが並んでいた。
        

 線路際をさらに水深の新興住宅市沿いに進み、14時12分に三浦海岸駅に戻った。

 (天気 晴、参加 6人、地図(1/2.5万) 浦賀、歩行地 三浦市、歩数
  14,700)



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伊豆の湯の町 伊東を巡る(静岡)〈続き〉

2015-03-21 20:30:50 | JR東日本駅からハイキング
 2015年3月18日(水) <続き>

 市役所の食堂で昼食を済ませ、駐車場の隅から北東に接する日蓮宗の霊跡本山で広い境
内に幾つもの堂宇のある佛現寺に入る。


 日蓮聖人が伊東配流(はいる)の3年間、伊東家鬼門除けの毘沙門堂で修行し、42歳
の弘長3年(1263)に赦免されて鎌倉に帰ったが、その草庵跡がここ佛現寺だという。

 霊跡本山にふさわしい堂々たる本堂に相対して、新しい多宝塔が立ち、ほかに釈迦本仏
殿、毘沙門堂紫雲殿、常経殿、鐘楼、庫裡などが豊富な木々の間に広がる。
      

 寺には、「天狗の詫び証文」と呼ばれる判読不能の巻物が保管されているとか。

    
     境内の、コブシやムラサキモクレンが花を見せる。
          

 多宝塔の横から石段を下がり、市街地に入って北東に進む。信号のある交差点際の魚屋
さんに、幾つかの魚の生干しやみりん干しが並んでいた。
    


 松川の下流の橋近くに八幡神社が祭られ、隣接して静岡県内最古の交番建築という「伊
東観光番」と呼ぶ交番があった。
      

 橋のたもとの小公園には、伊東市の友好都市であるイタリアのリエティ市から2001
年に贈られたという、大きな「オリーブオイルの石臼」と、オリーブ娘と呼ぶ石のモザイ
ク画が置かれ、公園には10数本のオリーブの木もある。




 松川右岸の最下流沿いの遊歩道を進むと、江戸城築城石が数個並んでいた。

 江戸城大修築工事は慶長10年(1605)から半世紀にわたり、伊豆各地から石を切
り出したとか。特に伊東は20家に及ぶ西国大名により、56か所の石切場が開かれ、石
舟数千が伊東と江戸とを往復したという。

 並ぶ築城石には、大名の所有を示す刻印や、石を割ったときの穴や切り込みが残されて
いて、〇に十字は島津家のものらしい。
        

 海辺を走る国道135号の手前には、英国人ウィリアム・アダムス(日本名 三浦按針
(みうらあんじん))の事績を顕彰した「按針音頭」の歌碑がある。


 国道に出て右折して、ローソンのそばで交差点を渡り、海側の歩道を橋際に戻ると、小
スペースに幾つかのモニュメントが設けられていた。


 「日本初 洋式帆船建造の地」碑は、1604年頃、ウィリアム・アダムスが家康の命
を受け、ここ松川河口で日本最初の洋式帆船2隻を建造したことにちなむもの。

 傍らに「海の男 ウィリアム・アダムス」像もある。
  

 ウィリアム・アダムスは、オランダの東洋遠征艦隊の主任航海長として1600年4月、
いまの大分県臼杵市に漂着し、徳川家康に信頼されて航海術、砲術、天文学、数学などを
教えたという。

 4年後、ここで帆船2隻の建造をした功績などにより、三浦郡按針村(現在の横須賀市)
に250石の領地を与えられ、名を三浦按針とし、その後中国や南方貿易を営むなどして
おり、それらの業績を称えて碑が建造されたらしい。


 波間に浮かぶカモメの群れを見ながら渚橋を渡る。北東に突き出たなぎさ公園に入り、
園内にある伊東出身の彫刻家・重岡建治氏の彫刻を眺めながら海沿いを回り、北側の港の
横から国道に戻る。





 さらに進む国道沿いには、磯料理の店や干物製造直売所が幾つか並んでいる。


 二つ目の信号横の海辺には、木の下杢太郎が読んだ「海の入日」の詩碑が立っていた。
    

 国道を離れて南西への通りを進み、中ほどにあった「伊東市立木下杢太郎記念館」に入
館する。


 医学者にして、詩や戯曲、小説、評論、随筆、美術など広い分野で優れた業績を残した
木下杢太郎(本名 太田正雄)をたたえ、その資料を展示公開するため、生誕百年の昭和
60年(1985)に開館したもの。


 土蔵造りなまこ壁の建物は明治40年(1907)の建築。奥には天保6年(1835)
に建てられ、伊東市内に現存する最古の民家で、市指定文化財になっているた生家が、当
時のままの状態で保存されている。

    
 展示室を一巡し、杢太郎自筆の書状や全集、ノート、遺愛品、古書、「百花譜」と呼ぶ
植物画などを見る。
        


 また、真菌やハンセン病、皮膚腫瘍などの研究で高い評価を得たという、皮膚科の医学
者で東京帝大教授も務めたという太田正雄に関わる展示も見て、いままであまり知らなか
った木下杢太郎の、偉大な業績の数々をうかがい知ることができた。


 奥の生家にも回り、生活用具の並ぶ部屋や、杢太郎誕生の間↓なども観覧する。


 松川に近いスクランブル交差点まで戻る。西南に少しの、観光案内などをしているとい
う「伊東ふれあいセンター」に行くが、水曜は休館日だった。



 往路のアーケード街を抜け、湯の花通りの入口の市川製茶店に入って土産物を求める。
湯の花通りも逆行して、伊東市観光案内所には14時9分に戻った。


 10分後に発車の熱海行き上り電車は、往路と同じ伊豆急線からの「リゾート21」車両。
往路同様、約4時間かけて18時過ぎに帰宅した。

 下田など伊豆半島東岸には何度か訪れているが、いつも通過していた伊東市内を初めて
巡り、知らなかった伊東の歴史や旧跡、ゆかりの人など、多くの理解を深めることができ
たウオーキングだった。

(天気 晴、距離 7㎞、地図 駅からハイキング地図(1/2.5万 伊東)、歩行地
 伊東市、歩数 12,800)




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伊豆の湯の町 伊東を巡る(静岡)

2015-03-20 21:39:21 | JR東日本駅からハイキング
 2015年3月18日(水)
 
 春の「青春18きっぷ」で、JR伊東線の終点、伊東駅まで行き、JR東日本「駅からハ
イキング」の「あったか伊東、文化・歴史に触れる一日」コースに参加した。

 自宅を6時2分に出て、JR池袋駅7時9分発の湘南新宿ラインに乗る。戸塚で乗り継
ぎ、熱海からは伊豆急下田駅へ直行の「リゾート21」車両で、10時04分に伊東駅にて
下車する。



 駅前の伊東市観光案内所で受付を済ませてコース地図をもらい、10時15分に出発し
た。気温は20℃を超すという予想で暖かい。

 観光客向けの土産物店の並ぶ駅前通りを西に少しで、南東への細い通り「湯の花通り」
に入る。


 通りには「お湯かけ七福神めぐり」の七福神が7か所の商店前にあり、流れ出る温泉を
七福神にかけ、スタンプを押して行くと七福神ステッカーがもらえるらしい。
        

 300m近く進んで車の多めの通りを横断すると、その先は高いアーケードの通り。人
出はそう多くはないが、シャッターの下りた商店は見当たらない。
      

 スクランブル交差点のある五差路に出て、東に延びる唯一の細い通りへ。すぐ先に、昭
和初期の情緒を残す純和風木造3階建ての長い建物が残っている。

 昭和3年(1928)に創業された温泉旅館「東海館」で、その後、何回か増築を重ね
たが、平成9年(1997)に温泉旅館としての営業を終了したとか。

 2001年からは、日帰り入浴施設や常設展示室、会議室など伊東市の文化施設として
利用されており、伊東市の指定文化財である。


 隣接する木造3階の建物は「ケーズハウス」と呼び、築100年の国登録有形文化財の
建物を改装した温泉掛け流しの宿で、海外からの利用客が多いという。

 近くの橋を渡って折り返し、松川右岸に設けられた松川遊歩道を南に進む。


 対岸のケーズハウスと東海館の湯の町情緒あふれる建物が一望でき、遊歩道のヤナギが
柔らかな芽を吹き始めている。
      



 松川遊歩道は「静岡県まちなみ50選」に選定されており、「杢太郎(もくたろう)に会
える道」とも呼ばれ、上流の通学橋までの約400mには、伊東市出身の医学者で文学者
の木下杢太郎の誌や、戯曲・絵画・俳句などの作品が紹介されている。
    


 開花はまだだがソメイヨシノの並木も続き、来週末からの夜間にはぼんぼりも灯るよう
で、その準備が進められていた。対岸のがけ地に立つ桜が、かなり花開く。
    

 最初の橋を渡った先に、音無(おとなし)神社があった。

 安産の神、育児の神、縁結びの神として信仰されているようで、拝殿の長押(なげし)
に刺さるひしゃくは、それら宿願の御礼として奉納されたものとか。
      

 境内には、市指定天然記念物で高さ12mと14mのタブの巨樹が並ぶ。暖かい伊豆で
も、このような巨大なタブは珍しいという。
      

   拝殿の左手にはカシの古木もあり、タブとともにご神木である。
  

 境内には、音無神社伝承絵巻の説明板と新しい絵巻が掲示されていて、祭神・豊玉姫命
(神武天皇の祖母)の伝承のことや、鎌倉時代、伊豆に流浪の日々を送った源頼朝と領主
伊東祐親の娘八重姫とのロマンスなどが記されていた。

 次の岡橋で遊歩道を離れ、市立図書館横の道路を東進し、南側に山を背にした葛見神社
に入る。

 延長5年(927)制定の延喜式神明帳(えんぎしきしんめいちょう)に記載された古
社で、当時伊豆の東北部を葛見の庄と称し、その初代地頭工藤祐孝(伊東家次=伊東家の
祖)が社殿を造営し、守護神として伊東家の厚い守護と崇敬を受けてきたという。

 拝殿はコンクリート製、拝殿の左手奥に、目通り周囲20m、樹齢千年以上といわれ、
全国でも有数な老クスとして知られる、国天然記念物の大クスが立ち、その巨大な幹など
に圧倒される。
      

 神社の先のY字路を右に入って突き当たりには、東林寺がある。


 平安末期の伊豆国の武将、伊東祐親(すけちか)が、わが子河津三郎の菩提を弔らうた
めに仏門に入った寺とか。

 久安年間(1145~51)に久遠寺として開創され、伊東祐親の法名にちなんで東林
寺と改めたという。境内には、それらのことを記した掲示がある。

 Y字路に戻り、左の道に回って斜面を上がり、U字状に回り込む。ヘヤピンカーブ点の
辺りで、リスが道路に顔を見せた。
    

 ほぼ上がりきると、北の谷間に伊東市の中心街方面の展望が開けてきた。


     右折してすぐに、伊東祐親の墓地がある。
    
 伊東祐親は、源頼朝の挙兵に際して平家側に味方したが捕らわれの身となり、寿永元年
(1182)2月、相模三浦郡の女婿、三浦義澄の邸内で自害したとされているという。

         墓地には、皇太子浩宮殿下の御見学記念碑も立っていた。
          

 広い通りに出て左折し、東小の横を進んで歩道橋を渡る。正面のユニークな建物は、チ
ェックポイントのある伊東市役所である。



 市役所の手前は物見塚公園になっていて、伊東祐親像がある。ここは伊東家館跡と伝え
られ、園内のコブシが花を見せ始めていた。


 1階の総合案内所で、チェックポイントのスタンプを押す。8階からは市内が一望でき
るというのでエレベータで上がり、北側ロビーから伊東の中心街や伊東港などを一望する。


 8階には食堂もあった。正午近いので入り、窓際から市街を見下ろしながら最上メニュ
ーの海鮮ちらし丼(980円)で昼食をする。
    

 天井の高い1階ロビーでは、市民の手作り作品が展示されていた。 〈続く〉





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写真展を見て中山道浦和宿周辺を巡る(埼玉)

2015-03-18 22:14:48 | ウオーキング
 2015年3月17日(火)

 20℃を超える暖かい日射しとなった今日は、さいたま市役所構内での写真展を観覧に
出かけ、あわせて周辺の町並を一巡しました。

 2日前の「続カタツムリ歩行」の帰路に乗ったJR武蔵野線・埼京線の武蔵浦和駅に、
11時39分に下車し、2月にも歩いた「花と緑の散歩道」を別所沼公園に向かいます。
     
 上着の入らない暖かさですが、ソメイヨシノの桜並木は、まだつぼみ。

 さいたま市営別所沼公園のメタセコイアも、まだ枯れ枝のまま。


 でも、池の南西端に近い色濃い桜は見頃になっていました。


    

 別所沼の北側に回ると、岸辺にサギが…。



 東側の台地に上がり、高砂四丁目から仲町四丁目の住宅街を北に進んで、さいたま市役
所構内に入り、さいたま市民ギャラリー(左の建物)で開催中の「写真クラブうらら」の
写真展を観賞しました。
        

 このクラブは、さいたま市三室(みむろ)公民館に籍を置く写真グラブとか。カントリ
ーウオークのメンバーのNさんもその一人で、Nさんから教えてもらい訪ねたもの。

 会場では、Nさんなど6人の作品25点の、美しい風景写真が展示されていました。

 さいたま市役所の東側は国道17号。その国道側に並ぶハクモクレンは、もう見頃に。




 北に向かう国道には、浦和レッズや大宮アルディージャがありサッカーの盛んなさいた
ま市らしく、消防用マンホールのデザインはサッカーボール。
    

 NHKさいたま放送局や埼玉りそな銀行本店の横などを通過して、県営北浦和公園に入
ります。公園の南東側入口には、旧制浦和高校の正門が残っていました。

 旧姓浦和高校は、大正10年(1921)に20番目の官制高等学校として設立され、
昭和25年(1950)3月で閉校されるされるまで、この地にあったもの。その跡地が
県営北浦和公園になったのです。

 公園内にある県立近代美術館は、整備のため4月10日まで閉館中。
      

 美術館の東側にある池、まだ春の彩りは見られません。


 公園内も来週の3月23日まで緑化環境の整備中で、入れないエリアがあちこちに見ら
れました。

 折り返して南方に向かうことにして、国道17号から分かれて南東への道へ。その分岐
点に、さいたま市指定史跡「浦和宿石橋と供養塔」が立っています。
        
 江戸時代、中山道浦和宿から与野へ通じるこの道に、宝暦12年(1762)に造られ
た石橋があり、石橋と道路が末長く守護されるよう建てられたもの。

 正面に「奉造立石橋 道普請供養仏」と記され、左側面に「是よ里与の川越道」と刻ま
れているようですが、いまはツツジが茂っていてよく見えません。


 その道を進んで中山道に入りました。仲町交差点近くで右手に延びる「市場通り」↑に、
物売りのような姿の像がありました。
        
 この通りの奥の慈意稲荷で、戦国時代から昭和の初めまで毎月2・7の日に市が開かれ
てていたとか。そこでは農産物や各種生活必需品が取引されていたようで、この彫刻も農
産物を売る商人のようです。

 仲町交差点の先が、中山道浦和宿の中心部。現在も、さいたま市の中心の繁華街として
賑わっています。


 その先の須原屋書店に入りましたが、購入しようと思った地形図は品切れ。近くで昼食
をして、西側の玉蔵院(ぎょくぞういん)に行きました。山門はさいたま市指定文化財。


 山門を入った左手には、珍しい形の鐘楼が。


 西側の通りの先に、本堂や地蔵堂があります。本堂前のシダレザクラは多くの市民に知
られている名木ですが、まだつぼみのままでした。


 南側の地蔵堂の前に2基のお地蔵さんが立っていて、左手↓のは元禄9年(1696)
の造立。右は正徳6年(1716)の造立でした。
        

 地蔵堂前の手水鉢は、天明2年(1782)9月の奉納と刻まれています。
  

        
      中山道浦和宿の歩道には、こんな標石やタイルが。
    

 JR京浜東北線・高崎線浦和駅への交差点を過ぎた岸町七丁目には、古い商家が幾つか
残っていました。



 
 その先にある調(つきのみや)神社(あるいは「つきじんじゃ」)に入ります。この神
社の狛犬は犬ではなくてウサギです。
        

 調神社は、天照大神、豊受気姫命、それに素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とし、
第9代開化天皇のときに創建され、延喜式神明帳にも記された古社で、朝廷や武門の崇敬
が篤かったようです。


 社名の「調」は「貢(みつぎ)」に同じで、貢物を納めるための倉が古代建てられたこ
とに由来するとか。

 また、読みは斎宮(いつきのみや)に由来するという説もあり、その音から「ツキ」に
恵まれる神社として信仰されているよう。

 また「ツキ」を「月」にかけたことによる月待信仰が古来よりあり、狛犬ならぬコマウ
サギがいる神社として有名で、浦和区の観光名所になっていて、鳥居を建てないことでも
知られているとか。


 りっぱな神楽殿があり、境内はケヤキなどの大木に囲まれています。



 手水舎の水もウサギの口から流れ、東側の池の噴水もうさぎでした。
    

 池の南側には、高浜虚子の指導を受け、大正・昭和初期を代表する女性俳人、長谷川か
な女の「生涯の 影ある あさの 天地かな」の句碑が。
      
 長谷川かな女は40年余りこの調神社の近くに居住し、句集・随筆の発刊を通じて、旧
浦和市民並びに埼玉県民の教養の向上と文化活動の普及発展に寄与し、浦和市名誉市民や
埼玉県文化功労賞などを受賞しています。

 すぐ先で中山道を離れて西側の岸町七丁目から六丁目へと進み、県立浦和商高の西側か
ら白幡沼沿いの遊歩道に入ります。

 すぐ北側の、岸町小の児童の通学路にもなっているよう。

 白幡池も、まだ春の彩りは感じられません。


 池の南側を西進し、15時03分にJR武蔵浦和駅に戻りました。

 (天気 快晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市南区、
  浦和区、歩数 15,100)


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続カタツムリ歩行で北戸田駅周辺を歩く(埼玉)

2015-03-15 22:30:39 | カタツムリ歩行
 2015年3月15日(日)

 JR武蔵野線とその周辺を半日歩く、「続カタツムリ歩行」の第22回例会に参加した。

 集合はJR埼京線の北戸田駅。今日は一人で歩くことにして、10時05分に西口をス
タートした。


 駅のそばに、「水の華 空の誌」と名付けられた彫刻がある。
   
    昭和63年(1988)2月に設置したもの。

 南に少し進むと、空き地の隅の紅梅が花盛り。


 近くの公園は拡張工事中で、新しい児童遊具などができていた。


 ここ戸田市は、1964年の東京オリンピックのボート競技が開催された戸田ボートコ
ースがあり、マンホールにもボートがデザインされていた。
    

 笹目川の左岸に出て、遊歩道を南へ進む。駅方向をふり返る眺め。


 谷口橋の次の橋を渡り、笹目一丁目に入る。



 笹目北公園には、戸田市民憲章が掲示されていた。


 公園の南側に、広大な敷地に塀を巡らした豪邸、M邸があった。道路際の表前から奥の
門へのアプローチの向こうに大きな邸宅が見えるが、全貌はわかりにくい。


 表門のそばの紅梅が花盛り。


 さらにひとつ南の通りには、同姓の別のM邸があり、やはり広い屋敷にりっぱな塀を巡
らした豪邸に目をひかれる。


 その南側に、谷口稲荷神社がある。

 この地、惣右衛門地区の鎮守で、創建時期は不明だが享保5年(1720)には正一位
の神位を授けられたという。

 背後の本殿は天保9年(1838)の再建で、平成13年(2001)に改築したとか。
        

 境内には、嘉永5年(1852)に奉納されたという幟立石(のぼりたていし)、力石
(ちからいし)が並んでいた。
    

 近くの民家の門扉に下がるセイヨウサクラソウが見頃に。
    

 谷口稲荷の南西にある真福寺へ。稲荷神社の別当寺院とのこと。

 墓地には、「惣右右衛門」の名の起こりの、旧惣右衛門村名主の代々の墓があるとか。

     境内のハクモクレンだろうか、つぼみがかなりふくらんでいた。
    

 ここから折り返すことにして、笹目川に向かう。畑の中にあったヒカンザクラのつぼみ
を、ヒヨドリがついばむ。
    

 北側の民家の庭先の、色濃い桜はもう満開。


    

 笹目川左岸に出て、遊歩道を北進する。


 遊歩道には100m間隔くらいに6~7点の彫刻が並んでいたが、説明などはない。
    

         

 新幹線と埼京線の高架橋が近づき、昨日から金沢まで延伸された北陸新幹線の車両が通
過するのが見える。


 その高架橋の下を斜めに通過すると、前方に外環道(首都圏外環状自動車道)(がいか
んどう)が現れる。


 笹目川の流れでは、カルガモが気持ちよさそうに泳いでいた。


 外環道をこ道橋で越えて北側に回ると、眼下に浦和南高校が見下ろせ、運動場ではサッ
カーの練習中。


 隣接する辻小の東側を斜めに入り、辻熊野神社に北側から入った。見覚えがあるなと思
ったら、昨年12月21日のこの例会のゴールの場所だった。

 東側の車道に出て、南東への道をゴールに向かう。旧家らしい民家の広い庭に紅梅が2
本、見頃の花を見せている。


 外環道下を抜けたところに小さめの一里塚公園があり、「旧中山道一里塚の碑」が立っ
ていた。


 さらに進んだ高圧送電線下の小さい流れには「中山道蕨宿一六橋」の説明板があり、こ
の通りが中山道だったと分かる。
        
 それによると、この橋は見沼(みぬま)用水の分流、通称「一六用水」に架かっていた
ので一六橋と名付けられたとか。

 「一六」という名称は、南北朝時代~戦国時代(14~16世紀)にこの辺りで、1と
6の日に「市(いち)」が開かれたことによると伝えられているという。

 明治初年の「武蔵国郡村誌」には、長さ5尺(約151.5㎝)、幅5尺の石造りの橋
と記されているようだ。

 その先の交差点を越え、ゴールの春日神社の隣にある宝蔵院へ。

 山門は閉ざされていて、境内へは南側から入る。


 境内には寺の由緒などの説明はない。

 北側の通りに回り、錦町五丁目のゴールの春日神社には12時ちょうどに着いた。


 社殿には、蕨市文化財で享保年間(1716~26)に造立されたと考えられる「木造
三十番神立像(さんじゅうばんしんりつぞう)」が奉納されていて、蕨市を代表する文化
財のひとつだという。

 境内の春日公園には、蕨市平和都市宣言10周年記念の平成7年(1995)に建立さ
れた平和祈念碑が立っていた。
        


 昼食を済ませ、記念撮影とミーティングを終え、12時40分前に散会となった。

 (天気 曇 距離 5㎞、地図(1/2.5万) 赤羽、浦和、歩行地 戸田市、さい
  たま市南区、蕨市、歩数 8,800)


 帰路は、JR武蔵野線と埼京線の交差駅、武蔵浦和駅に向かうことにした。ゴールまで
の道を折り返して辻三丁目まで戻り、さらに六辻水辺公園の遊歩道を通過する。


 その先も、国道17号の西側近くを平行する車道を進み、昨年12月例会で訪ねた白幡
観音堂に立ち寄る。青空が広がり、暖かくなってきた。


 近くの民家のシダレウメが満開。


 JR武蔵野線近くまで進んで笹目川の橋を渡り、JR武蔵浦和駅には13時44分に着
いた。

 (通しの距離 8㎞、歩数 14,300)




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所沢航空記念公園 梅園の梅が見頃に(埼玉)

2015-03-11 17:31:20 | 所沢だより
 2015年3月11日(水)

 今日は東日本大震災から4年の日、あの日私は3度目の四国遍路中で、高松市内の霊場
を巡り、ビジネスホテルに夕方入ってからテレビを見て、大変な災害だと知りました。

 東京都内にいた連れ合いと子ども3人にメールで連絡を取ったのですが、長男をのぞい
てはその日、帰宅することができずにそれぞれ都心や都下の駅などで避難して夜を明かし
たことを、夜遅くなって消息がわかったのでした。

 あれから4年、東北や北関東の沿岸など、復興がなかなか進んでいないようですが、1
日も早くさらに復興のピッチが上がることを祈っています。

 それにしても1番気になるのは、東京電力福島第1原子力発電所の廃炉作業がサッパリ
進んでいないことです。汚染水がしょっちゅう海に流れ出ても、止めるすべがなかなか見
つからないようで、こんな状態でほかの原子力発電所を再稼働して、もしも大地震で津波
に見舞われたらどうなるのだろうかと、気になるばかりです。

 話は変わり来週はもう彼岸ですが、ようやく所沢航空記念公園の梅林の梅が見頃になっ
てきましたので、今日はその梅の様子です


 公園の中央部にある梅林には、10数本の梅の木があり、見た目は見頃ですが、近づい
てみるとすでに見頃を過ぎた木も何本かありました。


 紅梅の中で一番濃い色の花。


 こちらは少し淡いピンク。


          

      

 白梅も数本が見頃に


    

        

 奥のシダレウメはこれからのよう。


        

 その近くの紅梅。


      

          
       
      

 ほかにも何本かが花を見せていました。


    

         こちらはまだこれから。
       

 木の下で、花を見ながらおしゃべりを楽しむ2人。




    


 お彼岸近くまで、梅見が楽しめそうです。




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佐貫から龍ヶ崎へカントリーウオーク(茨城)

2015-03-09 22:26:59 | カントリーウオーク
 2015年3月8日(日)

 真冬並みの寒さであいにくの小雨模様となったが、カントリーウオークグループの第
221回例会に参加する。今回の集合はJR常磐線の佐貫(さぬき)駅。3組に分かれて
10時5分に東口を出た。


 == 若柴宿を抜けて蛇沼公園へ ==

 
 区画整理された佐貫三丁目から佐貫四丁目の住宅地を進むと、江川の流れに近い通りに
日本相撲協会の式秀(しきひで)部屋があった。

 もと小結の大潮が、年寄・式守秀五郎を取得して1992年に時津風部屋から分家して
創設したという。まだ関取は十両が1人で、幕内力士はいないようだ。

 少し戻って細い流れの江川の協和橋を渡る。


 幅500m前後の田園地帯を横断して延命寺坂を上がり、若柴町の静かな集落に入る。


 周辺の住宅は、広い屋敷に塀を巡らした古くからのりっぱな家が並ぶ。


 そばの八坂神社のところに「若柴宿(わかしばしゆく)案内図」があり、この通りが水
戸街道の宿場だったとわかる。

 江戸の千住宿から七つ目の宿場で、両端が屈曲したクランクの中の直線部約500mの
範囲、屈曲部の両端に八坂神社と金龍寺があり、隣接する藤代宿、牛久宿が各々約4㎞と
近いことから、本陣は置かれてなかったという。


 小さめの社殿の八坂神社に参拝して、その横の三差路から南西へ向かう。集落内には花
が見頃の梅の木が多く、古木も目に付く。


 すぐ先には、珍しい名の「鬮(くじ)神社」への標識があった。
    

 コンクリート造りのトイレの上に乗用車の置かれた、スズキのサービス店横を過ぎる。


 少しの平地林を抜けて戸別住宅の並ぶ龍ヶ崎ニュータウンに入り、松葉五丁目で県道
243号を歩道橋で越えて若葉公園へ。小さい東屋(あずまや)で雨を避け小休止した。


 長山中の東側から、蛇沼(へびぬま)へ下れそうな未舗装の道があったので進んだが、
沼の西側堤防下で行き止まり。戻って長山三丁目から四丁目の南側車道を進む。

  
 路傍にフキノトウが花を見せ、アセビもピンクの花をいっぱいつけていた。
  


 蛇沼の北側台地上にある蛇沼公園に11時50分に入る。ほかのグループもほぼ同時に
着き、東屋にシートを広げて昼食にした。

 

 == 女化神社から馳馬町の古寺へ ==

 公園内は豊富な落葉広葉樹に覆われ、雨で濡れた梢の間から静かなたたずまいの蛇沼が
見下ろせる。12時40分に公園を後にした。



 木々の切れ目から北に突き出た蛇沼を見下ろし、長山八丁目の住宅地の東端を回り、ニ
ュータウンを離れる。

 真っ直ぐに伸びる車道を東進し、県道48号を越えてすぐ先、牛久市内の龍ケ崎市飛地
にある開放的な境内の女化(おなばけ)神社に入る。


 装飾の多いりっぱな拝殿で、背後の本殿は2階建ての覆家(おおいや)の中。
    

 拝殿には4枚の大きな絵馬が奉納され、狛犬は子連れのキツネである。

 社務所でもらった縁起によれば、建久(1190~9)の頃、源頼朝が富士の裾野に狩
りにいった際、夢の中に霊狐が現れて命乞いして消え、翌朝白狐が頼朝の前に現れたので、
常陸国高見が原の稲荷の祠(ほこら)に住むようにと言ったとか。

 時移り永正6年(1509)、猟師に撃たれそうな狐を助けた忠五郎の家に、老僕と若
い女が宿を求めてきたので宿を貸したが、老僕がいなくなり、女は耕作など手伝い心も顔
立ちも美しいので忠五郎と結婚し、3人の子を設けた。

 中秋のある日、末子に乳を飲ませていた時、遊びから帰った長子が姿を見て、自分の母
親が狐だっのに驚き泣き叫び、母親は子に自分の正体を知られたのを恥じて、歌を1首残
して居なくなった。

 忠五郎に恩義を感じた若い女性が女性に化けて恩に報いたこの神秘を、語り伝えて人呼
んで「女化原」といい、「女化稲荷」と称するようになったという。


 明るくなっても止まなかった雨がようやく止んだので、梅の咲く鳥居の前で記念撮影を
した。

 桜の多い境内から、南南東へ真っ直ぐ500m余り進む。右折して細いあぜ道を抜け、
車の途切れを待って交通量の多い県道48号を横断する。
        
 県道際に、交通安全の守り神なのか?こんな石像が立っていた。


 さらに先へ、緑に覆われた牧草用らしい麦畑などの間を進む。左折しておびただしい竹
に侵食された杉の平地林を抜け、大羽谷津の谷地田を横切り、中根台の住宅地へ。


 県道243号の南側にあった、北竜台公園で小休止した。


 中根台の住宅地と大正堀川沿いの田んぼの間、静かな車道を中根台中下まで進む。


 田んぼの中を横断して馳馬(なれうま)町の古くからの集落に上がると、常光院があっ
た。

 堂々たる本堂で、庫裡(くり)も趣ある造り。松や芝生など庭の植栽もよく手入れされ
ていて気持ちよい。


 本堂左手のお堂の前に、合掌する可愛いお地蔵さんが立っていた。
    

 集落内の細道を抜けて、南側の来迎院(らいごういん)へ。永正14年(1518)の
開山で、本山は比叡山延暦寺。寛政3年(1791)には、上野の寛永寺から200両を
下賜され、本堂と庫裡を再建したという。


 山門を入って右手にある多宝塔は、推定500年前の建立とされ、関東地方に唯一残る
最古の多宝塔で、国指定重要文化財である。
      


 豪壮な本殿には、阿弥陀如来三尊が祭られていた。


 境内にはほかに、願かけ地蔵や寝釈迦撫仏(ねしゃかなでぼとけ)、六地蔵、稲荷大明
神、弁財天、水子地蔵などがある。


 台地下の旧道を抜けて県道4号の交差点に出て、すぐ北の県道西側にある龍ケ崎市立民
俗博物館に行き、20分ほど観覧する。


 屋外には、佐貫~龍ヶ崎間を昭和46年(1971)まで走ったSL4号機や、農具な
どを展示する「まで屋」と呼ぶ農家の納屋、商家を模した建物、水車小屋などが移築され
ている。



 館内の展示室には、原始・古代から近代までの龍ヶ崎ゆかりの道具や資料、パネルや写真
など、貴重な資料や龍ヶ崎独特のものもあり、なかなか充実した展示だった。


    



 県道の下を東に出て、文化会館↓や市立中央図書館の横を抜ける。


 愛宕中の前から田園地帯を南下して県道5号を横断する。左手には龍ヶ崎市役所などが
望まれる。

        龍ヶ崎市役所


 関東鉄道竜ヶ崎線を陸橋で越えて南に回り、同線の終点の竜ヶ崎駅に16時3分に着い
た。




 16時20分発1両のディーゼル車で佐貫駅に戻り、上野行き上り電車に乗る。


(参加 12人、天気 雨後曇、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 牛久、龍ケ崎、
 歩行地 龍ケ崎市、牛久市、歩数 24,200)




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