あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

道北 利尻・礼文と稚内周辺の旅③ 礼文島観光後稚内へ(後半)

2017-08-30 22:56:48 | 国内旅行
 2017年8月1日(水) (続き)
 == 礼文島の観光後フェリーで稚内へ ==

 礼文島香深港から稚内に向かう今日のフェリーも、今までと同じサイプリア宗谷。稚内
と利尻・礼文の2島を結ぶフェリーは3隻あり、船の規模や船室の配置などははほぼ同じ
だが、サイプリア宗谷は最も新しい平成20年(2008)5月の就航である。


 フェリーは定刻通り出港した。すぐにデッキに出て離れ行くフェリーターミナルや宿泊
したホテル礼文を眺める。稚内までは1時間55分の予定である。






    
 次第に礼文島は遠ざかり、海上はるかに雲のかかった利尻山が望まれるようになり、し
ばらくすると雲も少なくなった。





 14時を過ぎて稚内が近づき、出漁する漁船が次々に稚内港から高速で出て行く様子が
見える。フェリーが港に入る頃には、さらにたくさんの漁船が出航していった。



 あとからの稚内のガイドさんの話では、今日は8月1日でイカ漁の解禁日で、イカ釣り
の船団約60隻が出航したとのこと。どうりでたくさんの船が出航したのだと分かった。

 北海道のイカ釣りというと函館が知られていたが、現在は函館よりもここ稚内の方が漁
獲量ははるかに多いという。


 定刻より4分遅れて14時24分に稚内港に着岸した。港に入る頃は曇天だったが、下
りたら晴天になった。

 再び宗谷バス稚内営業所のバスに乗る。ドライバーは広瀬さん、ガイドは高橋さんとの
こと。14時35分に観光バスは稚内港から出発した。この後は、稚内市の南にある豊富
町(とよとみちょう)のサロベツ原生花園の観光後、稚内市郊外のホテルに向かう予定で
ある。

 稚内の市街地を西に抜け、日本海の海岸線沿いの道道109号を南下する。逆光の日本
海の向こうに、再び利尻山が姿を見せてくれた。


 ガイドの高橋さんが、利尻町沓形出身という昭和前期の作詞家・時雨音羽(しぐれおと
は)の歌を披露され、そのあと皆で時雨作詞の小学校唱歌「スキー」を合唱する。

 ちなみに、時雨音羽作詞の歌としては『出船の港』『鉾をおさめて』『君恋し』『浪花
小唄』などが知られているが、これらをご存じの方の多くは光輝?高齢者かもしれない。


 さらにバスは、たくさんハスの咲く沼や緑豊富な草地、原始の姿をとどめているという
緩やかな砂丘林沿いに進む。





 豊富町に入ると長い直線道路が続き、牧草地には刈り取ってロール状にした円塊がたく
さん見える。

 この辺りには牛の牧場が多く、冬期にはこの干し草が牛の飼料になるようだ。


 まもなく道道から離れて内陸部に5㎞ほど入り、15時29分にサロベツ湿原センター
の駐車場に着いた。




 サロベツ湿原は約6,700㏊ありJR山手線の内側より広く、日本三大湿原のひとつ。
低地における日本最大の高層湿原で、南にあるペンケ沼やパンケ沼は、オジロワシやタン
チョウなど海を越えてくる渡り鳥の貴重な憩いの場でもあるという。

 この湿原は、1万年ほど前は海とつながる大きな湖で、そこに生えた植物が枯れて分解
されぬまま泥炭となって積み重なり、約6千年かけてできたとのこと。栄養分が乏しく、
厳しい環境に適した様々な植物が次々に花を咲かせるという。

 湿原センター入口の温度計は22.5℃を示す。湿原を巡る内周約800mの木道を、現
地ガイドさんの説明を聞きながら時計回りに一周することにした。


 360度の展望の得られる湿地の中の木道を進むと、見慣れぬ船のような機械が残って
いた。

 かつて湿原から泥炭を採掘するために使用された浚渫船(しゅんせつせん)とか。木道
沿いにはノリウツギがたくさん花を見せる。
    


 木道沿いの湿地帯にはクサレダマ、ギボウシ↑、モウセンゴケ↓などが咲いていた。
    


 さらに外周を回る木道と分かれて西に進むと間もなく、逆光の利尻山が広大なすそ野を
見せて望まれる。





 好天で暑さを感じるが吹く風はさわやか。枯れたバイケイソウ↓が増え、コース半ばに
は展望デッキがあり、360度の湿原と利尻山が一望である。









 さらに進むと樹林帯となり、エゾニワトコ↓が赤い実を付け、キツリフネが咲いていた。
    



 ほかにサワギキョウ、ツルコケモモ、ハンゴンソウ、ナガバナワレモコウなどの花を確
認した。


 湿原センターに戻り、少しの時間に飲み物などでのどを潤したりして、16時10分に
バスは出発した。



 稚内市内に向かう帰路は内陸部に入り、沿道に白樺林などの見える国道40号線を北上
する。


 稚内駅や稚内港のある稚内市街中心部と稚内空港との間、小さな岬である声問(こえと
い)岬のつけ根にある今日の宿、ホテルめぐまには17時59分に到着した。


 夕食は1階のレストランふきのとうで18時30分から。


 テーブルに並べきれぬほどのメニューで、海の幸が一杯。最後の夕食はこれまでに増し
て盛りだくさんで、ゆっくりと美味しく味わった。


     
 ホテル1階のロビーラウンジや廊下など、いたるところに吊しびなが飾られ、それぞれ
の調度品や飾り物、置物も、どれも気配りの感じられるものばかりだった。






    

        

    

        


    

 部屋に戻って外を見ると、宗谷湾を隔てて向こうの稚内中心部方面の灯火が見えた。

                              (歩数 10,800)




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道北 利尻・礼文と稚内周辺の旅③ 礼文島観光後稚内へ(前半)

2017-08-29 23:19:25 | 国内旅行
 2017年8月1日(火) 礼文 曇、稚内 晴
 == 礼文島を観光後フェリーで稚内へ ==

 礼文島の南西端に近い、香深港そばのホテル礼文で5時50分に起床した。今朝は曇天
で、香深港の向こうに見えるはずの利尻山は低い雲に隠されている。


 6時45分からホテル1階の食堂、礼文館で食事をする。


 出発予定の8時より皆さん早く集まり、バスは7時54分にホテルを出発した。ドライ
バーは小林さん、ガイドはキノさんで、午前中は礼文島の残りの観光地、お花畑の桃岩展
望台と、西岸の元地(もとち)海岸を巡る予定である。

 島の南部東岸沿いの海岸線をほんの少しで左折して、島の南端近くの細い部分の中央部
にある高みに上がり、8時04分頃バスを下りた。

 ここから約2時間、距離約2㎞、標高差約100mほどを上がり下りして、礼文島人気
のお花畑である桃岩展望台まで、フラワーガイドの説明を聞きながら往復することになる。

 23名の参加者は2組に分かれ、担当ガイドは男性の木村シンヤさんと女性のあいもと
さんの2人、私たちは男性ガイドの木村さんに従い後発組となる。

 事前に添乗員の辻本さんからもらってあった「花はな本」を手に、イヤホンガイドを耳
にして説明を聞きながら上がって行く。「花はな本」は、礼文島・利尻島に咲く花の写真
が190点近く掲載されていて、季節ごとに分けてある。


 遊歩道に入ると「桃岩登山口」の大きな説明板があり、コース概要の説明と地図、花の
写真などが掲示されていた。


    
 少し進むとエゾカワラナデシコ↑が咲き、この花はこの先でもたくさん見た。最初に注
意されたのは、足下にはクサウルシ↓が多いので、触れてかぶれないようにとのこと。本
州で見るウルシの木とは違うので、見落としてしまいそう。
    

 エゾノシシウドも多く、上の方まであちこちに咲いていた。
 

    
 ほかにオオイタドリ↑、シオガマギク、エゾゴマナ、イブキトラノオ、ミソガワソウ、
オニシモツケなど次々に咲き競う花が目に入る。
 
シオガマギク


    エゾゴマナ
    

        イブキトラノオ
        
 
                ミソガワソウ
                

オニシモツケ




 高度が上がりお花畑の向こうに海が見えてきたが、ガスもかかって近くの山もしっとり
している。でも、晴れるとこの時期では暑いし、花の彩りも曇天の方がよいという。




 さらに進むと、駐車している私たちのバスが見下ろせる。



 アカツメクサ↑があちこちに咲き、オトギリソウやチシマゲンゲ、チシマアザミも花を
見せ、ヤマハハコももうすぐ咲きそう。

    オトギリソウ
    

        チシマゲンゲ
        
      
              チシマアザミ
              

        ヤマハハコ
        


 オオサカモチ↑、コガネギク、アキカラマツ、トウゲブキも花を見せ、1輪ながらレブ
ンウスユキソウも咲き、清楚なエゾウメバチソウもある。

    コガネギク
    

          アキカラマツ
          

    トウゲブキ
    

                 レブンウスユキソウ
                  

    エゾウメバチソウ
    


 エゾノコギリソウ、小さいがたくさんのダイモンジソウなどを見ながら進んで、車道の
終点となる桃岩展望台近くまで上がった。

     ダイモンジソウ
     


 ここにも「桃岩展望台コース(桃岩口)」の大きな説明板があり、周辺に咲く花や周辺
へのトレッキングコースの紹介、桃岩のこと、代表的な花の写真などが掲示され、近くに
トイレも設けられている。




 さらに遊歩道を少しで桃岩展望台、周辺にはエゾノヨロイグサやエゾノシシウド、エゾ
ニュウなどが多く、ガスに霞む緩やかな斜面に咲き競っていた。

エゾニュウ


 間近に桃岩が眺められるが、ガスが濃くて上半分ははっきりしない。

 桃岩は、礼文島の地層では比較的新しい時代のもので、地下のマグマが地表部を押し上
げ冷やされながら球状の巨大な岩塊に成長したものとか。

 展望台には、この場所に来られたときのことを詠(よ)まれた高松宮妃殿下の歌碑があ
った。



 傍らにレブンソウの群落↑が花を競い、周辺にはミソガワソウやエゾノコギリソウ、ト
ウゲブキなども花を見せていた。

     ミソガワソウ
     

              エゾノコギリソウ
              

     トウゲブキ
     

 花を見ながら往路もゆっくりを下って行くと、次第にガスが晴れて下の香深港周辺が望
まれる。


 下りは、ショートカットで上がった遊歩道には入らずに車道をぐるりと戻る。桃岩近く
に回り込むと、香深港とは反対の西岸の展望も得られるようになり、切り立つ断崖も見下
ろせ車道のないのもうなづける。


                  
 こちらの車道沿いにはマツヨイセンノウ↑、ヨツバヒヨドリ、シオガマギク、チシマフ
ウロなどが見られた。

    ヨツバヒヨドリ
    

           シオガマギク
           

    チシマフウロ
    


 バスのところまで戻り、10時33分に出発した。東岸まで下って昨年開通したという
新桃岩トンネルを抜けて、礼文島の南端に近い西岸の元地地区に向かう。

     
 桃岩展望台の西側に出て、反対側からの桃岩↑や切り立つ海岸にある猫岩↓などを車中か
ら眺めて少し戻る。              猫 岩 


 島の西岸南側でただひとの小集落、元地海岸に開けた元地集落には10時55分頃着い
た。


     
 集落の北側には地蔵岩と呼ぶ鋭い岩が立っている。海から見ると手を合わせたお地蔵さ
んのように見え、以前はそばに行けたようだが現在は立ち入り禁止で、少し離れた手前か
ら眺めた。高さは約50mあるという。

     
 近くにはカセンソウ↑とハマベンケイ↓が咲いている。
    


 浜辺には利尻昆布がたくさん干してあり、バスを下りたところの浜辺は「メノウ浜」と
呼ばれ、メノウ石を拾うことができるとのこと。少しの時間探したが誰も見つけられなか
ったようだ。


 近くの砂浜にはたくさんのカモメが休んでいた。11時10分に元地海岸を後にする。

 これで礼文島の観光を終え、バスは10分ほどで香深のフェリーターミナルに着いた。


 今日の昼食はターミナル2階にあるすし処「武ちゃん寿司」で、ほっけのちゃんちゃん
焼をいただく。
    


 昼食後はターミナルの待合室でフェリーを待ち、香深港12時25分発稚内行きフェリ
ーに乗る。(続く)




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所沢市民体育館で大相撲所沢場所を開催(埼玉)

2017-08-26 17:11:52 | 所沢だより
 2017年8月26日(土)

 8月最後の土曜日の今日、正午過ぎに市内ウオーキングで市内並木の所沢市民体育館の
そばを歩いていたら、いつもと違う賑わい。ハテ何かと見たら、今日は大相撲所沢場所が
開催される日でした。


      この場所のチラシ
     
     

 私は入館する予定もなかったので、外の様子だけを撮りました。会場の市民体育館の前
には何軒かの出店が並んでいます。


     

      出店に食べ物を買いに来た力士も…
     



 所沢市内で大相撲の巡業が行われるのは43年ぶりのようです。主催するテレ玉(テレ
ビ埼玉)のテント


 特別協賛の西武鉄道では、直営店のテントが


 会場入口の2階への階段横には、地元出身の幕内上位力士の北勝富士や、ほかの力士の
のぼりが並んでいました。




      入口下の立て看板
     

       

 チケット売り場の値段表の一部


 この情報をアップする頃には、もう場所は終わっています。




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東京・西新宿での「生誕140年 吉田博展」へ

2017-08-24 22:19:44 | 美術館・博物館等の観覧
 2017年8月23日(水)

 東京都心でも真夏日になりそうとの予報が出ていた今日ですが、会期の残りが少なくな
ったので「生誕140年 吉田博展」の観賞に出かけました。

 会場は、JRや小田急線の新宿駅西口に近い、超高層ビルの損保ジャパン日本興亜美術
館です。
     


 
 ビル入り口の階段横には、小さな花がたくさん咲いていました。


 美術館専用のエレベーターで42階まで上がります。会場に入る前に、東側の窓から眼
下に新宿駅や、その向こうの新宿御苑の森、さらに東京タワーや東京スカイツリーなどを
眺めました。

      道路を挟んで新宿駅寄りのコクーンタワー
     

 新宿駅周辺


 新宿御苑方面




                    東京タワー(333m)
        

       暑さに霞む東京スカイツリー(634m)


     「生誕140年 吉田博展」のリーフレット
     

 吉田博(1876~1950)は、明治から昭和にかけて風景画の第一人者として活躍
した人で、生誕140年を記念する回顧展です。

 福岡県久留米市に生まれ、10代半ばで画才を見込まれ上京して洋画塾に入門し、仲間
から「絵の鬼」と呼ばれるほど鍛練を積み、1899年にアメリカに渡り数々の作品展で
水彩画の技術と質の高さが絶賛されたとか。
 
 その後も欧米を中心に渡航を重ね、国内や世界各地の風景に取材した油彩画や木版画を
発表し、太平洋画会と官展を舞台に活躍活動を続けたようです。

 自然美をうたい多彩な風景を描いた吉田博は、毎年のように日本アルプスに登るなど、
とりわけ高山を愛して題材とする山岳画家としても知られました。

 会場では、水彩、油彩、木版へと展開させていった明治20年代(1887)の初期か
ら晩年の昭和22年(1947)までの作品181点が展示されており、国内では日本ア
ルプスを初め、東京や関東近辺、信州、富士山ほか、海外ではアメリカ、ヨーロッパ各国、
東南アジアや中国など、さらに第二次大戦中の従軍期の作品もあり、知られた地域だけで
なく今は消えてしまった貴重な風景や風俗なども描かれており、多彩な風景画を観覧でき
ました。

 会場内は撮影禁止なので、リーフレット裏面に掲載されていた数枚の絵を紹介します。

     「雲海に入る日」油彩
    

                 「日本アルプス十二題 剣山の朝」木版 
                

     「渓流」木版
    

          「印度と東南アジア フワテプールシクリ」木版       
           

                 「瀬戸内海 帆船 朝」木版     
                 

           「穂高山」カンバス      
          

      「冬木立」水彩
     

             「ヴェニスの運河」油彩
            

 1時間前後ゆっくりと観覧して会場を後にしました。下った1階ロビーはゆったりとし
た休憩コーナーになっていて、中央の柱のところのスライドでは、吉田博の木版画につい
ての紹介をしていました。




 ビルを出ると周辺は西新宿の超高層ビル街なので、それらのビルが自然に目に入ります。

                               東京都庁

     



 新宿駅西口に戻って地下街で昼食後、東口に抜けて紀伊國屋書店に入り、地形図を2枚
購入しました。


 銀座や八重洲方面にも行こうかと考えていたのですが猛暑なので止め、西武新宿駅から
14時過ぎの電車で帰路につきました。





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道北 利尻・礼文と稚内周辺の旅② 利尻島観光後礼文島へ〈後半〉

2017-08-23 18:56:30 | 国内旅行
 2017年7月31日(月) 
 == 利尻島を観光後フェリーで礼文島へ〈続き〉 ==

 利尻島の鴛泊(おしどまり)港を出て間もなくの船から望む利尻山も、山頂付近は雲に
隠されている。




 フェリーは西に向かい、間もなく礼文島の長い島影が近づく。



 今日も2等船室は空席が多い。13時35頃、逆に礼文島香深(かふか)港からから利
尻島鴛泊港に向かうフェリーと行き違う。



 次第に緩やかな山並みが長く延びる礼文島が近づき、南北に長い礼文島の南端近くの東
側にある香深港のフェリーターミナルに入る。





 ターミナルのそばに立つ7階のビルが、今日の宿となるホテル礼文のよう。ターミナル
の左手には、宗谷バスの観光バス5台並び、その1台が我々のツアーのものらしい。

 定刻より2分早い13時48分に着岸した。

 礼文島を巡るバスも、稚内や利尻島と同じ宗谷バスの礼文営業所の観光バス。今日のド
ライバーはトウマさん、今日明日ともガイドはフジイさんとのこと。13時55分にフェ
リーターミナル横を出発した。

 礼文島は南北約30㎞、南北約8㎞の細長い島で、島の一周は約72㎞だが西側は断崖
が続くので、島を一周する道路はないとのこと。
         
 全島が礼文町で人口は2,629人、6割が漁業に従事しているが、労働力は不足して
いるよう。利尻島のような火山島ではなくて海底から隆起した島で、畑はわずかで自家用
程度しか作れないという。

 島の最高峰は礼文岳で標高490mだが、日本一低い高山帯を楽しめる山と言われてい
るとか。

 島の南東端に近い香深から、バスは島の東側海沿いを北上する。ちょうど中ほど辺りで、
日食観測記念モニュメントの横を通る。終戦直後の昭和23年(1948)5月9日の金
環食を観測した場所で、当日は日米の観測者が1,500人も来島し、雲が多くて観測が
危ぶまれたが、10時27分にわずか0.7秒だけ観測でき、観測者や島民を喜ばせたと
いう。


 さらに北進して、島の北東部にある高山植物園前に14時14分に着いた。礼文島は海
抜0mから高山植物が咲く希少な島、固有種も多くて本州では高山でしか見られないよう
な花が数多く見られるようだ。

 この高山植物園では、礼文に生息する高山植物の主な花を観賞でき、人工増殖により自
然の開花期以外にもレブンアツモリソウが観賞できるという。
        
 木造の建物に入ると、無菌培養されたそのレブンアツモリソウが咲いている。

 建物を抜けて植物園に入り、広い園路を一周する。








     
 園内には、ツリガネニンジン、ハマナス↓、レブンウスユキソウ、シラネニンジン、チシ
マワレモコウ、レブンソウ、エゾカワラナデシコなどが咲く。
    

         レブンウスユキソウ
        

    

        

         エゾカワラナデシコ
        








 広々とした草地に吹く風が暑さを和らげてくれ、その向こうには礼文岳も望まれた。




14時40分に植物園を後にする。真ん中が私たちのバス。



 バス車中からの展望


 島の北部にある久種湖(くしゅこ)や緩やかな丘陵の横を通過して南西に回り、西北部
の西上泊(にしうえどまり)集落ある澄海岬(すかいみさき)近くの駐車場に14時50
分に着いた。

 漁港に沿って回り込み、いろいろな花咲く草地の急斜面を上がると、紺碧の海に突き出
た岩礁や絶壁など、海食崖(かいしょくがい)と呼ぶ自然が作り出した複雑な地形が見下
ろせ、一帯は西上泊園地とも呼ばれているようだ。


    







    
 周辺にはエゾオグルマ↑が多く、ほかにチシマワレモコウ、ツリガネニンジン、エゾカ
ワラナデシコ、チシマフウロなどが花を見せている。




 15時15分に駐車場を出て、緩やかな丘陵の間やレブンアツモリソウ群生地横などを
通過する。



 島の北西側先端まで進み、島の最北端であるスコトン岬の駐車場に15時30分に着く。


 よく晴れた日にはサハリンの島影が望めるというが、晴天ながら今日は雲もありそこま
では見通せず、近くのトド島だけははっきりと見える。







 最北端の展望台には、「最北限の地スコトン岬」の標柱が立っていた。北海道の最北端、
宗谷岬よりは4.25㎞南だというが、島としては日本最北端の地である。




 東側に島の東北端側から突き出た金田ノ岬(かねだのみさき)が望まれ、駐車場に戻る
途中には民宿スコトン岬の建物が見下ろせる。



 駐車場からふり返ると、緩やかな草原の向こうに礼文岳が望まれた。眼下の海面では、
漁に行くらしい小舟が勢いよく走り去った。


 15時58分にスコトン岬を後にして、東南端に近い香深港そばの宿に向かう。迂回路
はないので往路をそのまま戻り、東海岸を南下する。25分ほど走ると、海を隔てて利尻
岳が再び姿を見せたが、あい変わらず山頂付近は見せてくれない。


 今日の宿泊地、ホテル礼文には16時30分過ぎに着いた。部屋に入って窓を開けると、
香深港の向こうにやはり利尻山が望まれる。間もなく、稚内からの最終のフェリー、ボレ
アース宗谷が入港してきた。



 夕食は、ホテル1階の食堂・礼文館で18時30分から。今日も地元海産物が中心のヘ
ルシーメニューで、みな美味しくいただいた。




    


                              (歩数 10,000)




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道北 利尻・礼文と稚内周辺の旅② 利尻島観光後礼文島へ〈前半〉

2017-08-21 22:06:16 | 国内旅行
 2017年7月31日(月) 晴
 == 利尻島を観光後フェリーで礼文島へ ==

 利尻島の西部、利尻町沓形(くつがた)のホテル利尻にて6時に起床し、7時から食事
処ヒナゲシで和食セットの朝食をする。


 8時50分に利尻バスの観光バスに乗り、ホテルを出発した。バスのドライバーは板垣
さん、ガイドは山岸さん、午前中は利尻島の観光である。

 利尻島は、島の北部から東側一帯が利尻富士町、西側が利尻町の2町に分かれていて、
総人口は4,739人とか。島内にはクマやヘビはいないという。

 中央にそびえる利尻山を中心に、円形に近い利尻島には海岸線沿いに一周する全長54
㎞の道路があり、昨日今日で反時計回りに一周することになるようだ。

 今朝は、島の西側中央部、アナログ時計の9時辺りの位置にある沓形から南西に向かう。


バス車中から途中に人面岩↑や寝熊の岩↓、弁天宮を祭る龍神の岩などを見下ろしながら
進む。


 龍神の岩



 さらに特産利尻昆布を干す風景や、利尻山からの湧水「霊峰湧水」の横などを通過する。

 霊峰用水



 間もなく雲間から利尻山が姿を現した。最初の観光地、島の南端の仙法志御崎(せんぼ
うしみさき)公園には9時15分過ぎに着いた。


 仙法志御崎は、20万年前に海中から噴火した利尻山の溶岩により形づくられた奇岩が
並び、雲が無ければ利尻山と奇岩との風景が見られるようだが、今日は雲が多くて利尻山
の全景は見られない。







 海辺の草原にはたくさんの花が咲き、海水を囲んだ生けすには2頭のイルカが泳いでい
た。



 9時50分までフリータイムとなり、そばにあった利尻昆布の加工直販店、畑宮商店に
入り、多くの人が天然昆布やその加工品などを求めた。店内では、とろろ昆布の作業工程
も見られる。









 買い物を終えた頃には、利尻山の展望も幾分良くなる。



 バスは島の南端から東北東に5㎞ほど進み、島の南東にあるオタトマリ沼に10時頃到
着した。

 オタトマリ沼は、近くの三日月沼を含めて沼浦湿原と呼ばれている。この湿原は、海の
水際の爆発的噴火で爆裂火口ができ、噴火の際の火山砕屑物(さいせいぶつ)が周辺を取
り囲む丘をつくり、その窪地に水がたまってできたという。

 その後、この沼に植物が入ってきたが、気温が低いなどの理由でバクテリアの働きが不
活発なため、植物が枯れても十分分解されずに堆積し、泥炭層が形成されて湿原になった
ようだ。

 沼の向こうに利尻山の鋭峰が見えるはずだが、上部は雲に隠されて全貌は見られない。
沼のスイレンが花を開いていた。






 沼辺のレストハウスでは、くま笹ソフトクリームやウニ鮨(すし)が人気のよう。


 バスの出発際には、利尻山の上部もかなり見えるようになった。


 北海道土産として人気の菓子「白い恋人」のパッケージの写真は、近くの「白い恋人の
丘」(沼浦展望台)からの雪の利尻山を撮ったものらしい。

 10時27分にオタトマリ沼を後にして、島の東岸を北に向かう。利尻山の南東面にあ
る万年雪が見えるようになった。



 島の最東端にある石崎灯台や、島の北東部、雄忠志内(おちゅうしない)の廃校後の小
学校校舎を活用して、日本名水百選に選ばれた利尻富士の雪解け天然ケイ素のミネラルウ
オーター「リシリア」をつくっている「利尻名水ファクトリ」前を過ぎる。




 その先、野塚岬近くの野塚展望台には「ラナルド・マクドナルド上陸記念碑」があり、
バス車内から眺める。

 江戸末期の嘉永元年(1848)6月、アメリカの捕鯨船の水夫、ラナルド・マクドナ
ルドは日本にあこがれ、ひとりで下船してこの地に上陸した。

 しかし日本は鎖国中なので捕らえられ、稚内宗谷から松前、長崎に送られて幽閉された
が、長崎で半年間に英語通詞(通訳者)に教えた英語のお陰で、のちの黒船来航時に、教
えられた主席通詞、森山栄之助の流ちょうな英語にアメリカ側は驚いたとか。森山はのち、
福沢諭吉にも英語を教えたという。

 記念碑は、このことを小説「海の祭礼」にしたという作家、吉村昭さんのことばで刻ま
れていた。


 間もなくの10時58分、次の観光地である姫沼(ひめぬま)園地の駐車場に着いた。
ノリウツギがあちこちに咲き、吊り橋を渡って原生林に囲まれた姫沼の北岸に行く。
     



 ここは、利尻山の「逆さ富士」の景勝地として知られるようだが、今日は雲が多くて山
頂付近は見えない。

 姫沼は、大正6年(1917)に点在する小沼と湧き水を利用して造られた人工の湖で、
ヒメマスを放流したことから姫沼と名付けられたという。

 一周約1㎞の探勝路があるので希望者は一周することになり、ほとんどの人が参加した。
     
 左から時計方向に回る探勝路の多くは木道になっている。ウグイスやコマドリのさえず
りを聞きながら回る緑豊富な探勝路だが、気温が22~23℃位に上がり、陽の差し込む
ところでは暑さを感じる。










 一周した後は休憩舎に入り、姫沼に咲く写真の展示などを見た。



 もう一度沼から利尻山を眺めたが、山頂付近だけはやはり望めない。駐車場に戻り、
11時36分にバスは出発した。これで利尻島の観光は終了である。


 外周道路の姫沼展望台に出て、車中から昨日午後フェリーで到着した鴛泊港やペシ岬を
眺める。島の一周を終えて鴛泊に戻り、フェリーターミナルの先にある郷土料理の名取本
店に11時50分に入った。


 今日の昼食は生ウニ丼、コレステロール値の高い私は、普段は卵類は控えめにしている
のだが、利尻特産のウニはおいしいとあっては遠慮するのは残念なので、たっぷり入った
ウニを全部平らげた。
    


 食事を終えてバスの来るまで、店の横から浜辺を見下ろすと、ここでも利尻昆布を干し
ている。北の方から、この後乗船するはずのフェリーが近づくのも見えた。


 間もなく迎えに来たバスに乗り、近くの鴛泊港のフェリーターミナルには12時半過ぎ
に着いた。



 港に近づいたフェリーを見たら、昨日と同じサイプリア宗谷である。港の北側間近には、
独特の形容のペシ岬が望まれる。



 フェリーターミナル2階の待合室で時間を待ち、13時05分発礼文島(れぶんとう)
の香深(かふか)港行きフェリーに乗船し、利尻島を後にした。


 香深港までは約45分の予定である。(続く)




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道北 利尻・礼文2島と稚内周辺の旅① 羽田~稚内~礼文

2017-08-16 13:44:40 | 国内旅行
 夏本番の時期の7月30日(日)~8月2日(水)、阪急交通社企画の「往復ともに
ANA稚内空港直行便利用 利尻・礼文2島に泊まる熟年じっくり離島4日間」というツ
アーに参加した。以下、その旅の記録である。


 第1日 2017年7月30日(日) 稚内 晴、利尻島 曇
 == 羽田空港から稚内空港へ直行し、フェリーで利尻島へ == 



 小雨模様の自宅を9時過ぎに出て、西所沢駅9時18分発上り電車を隣の所沢駅で下り
る。東口駅前から9時40分発羽田空港行き高速バスに乗り、羽田空港第2ターミナルに
は予定の11時15分より早い11時05分頃着いた。

 第2ターミナルビル2階の出発ロビーにある阪急交通社受付カウンターに行き、受付を
済ませる。今回の添乗員は辻本さん、参加者は23人という。


 荷物検査などを受けて、稚内便の搭乗口であるやや離れた501番ゲートそばまで移動
し、そばの売店で軽い昼食を食べて搭乗を待つ。


 稚内空港行きANA573便は、予定の13時05分より遅れて13時23分に羽田空
港を離陸した。


 機種はAIRBUS A321型機、標準座席数は194のようだが、今日はかなりの
空席がある。



 稚内空港への到着近くには左手窓から利尻富士が望まれ、右側眼下に緑の草原や平地林、
たくさんの発電用風車などを見下ろし、予定通り14時55分に稚内空港に着陸した。


 稚内は晴天で、誘導路を移動中にも利尻富士の全景が見られた。



 稚内空港は、稚内の中心街の東側、宗谷湾の中心近くにある。中心街に向かうため観光
用の宗谷バスに乗り、15時14分に空港を出た。

 バスのガイドのミナトさんによれば、稚内は先日まで低温の日が続いたが、4~5日前
からようやく夏らしくなり、今日は気温25℃くらいに上がっているとか。緯度が高いた
めか紫外線量が多く、本州中央部より3倍くらいは多いという。


 バスは広々とした草原地帯を通過して市街地に入り、JR稚内駅に近い稚内港の北防波
堤ドームのそばで下りた。

 稚内港は、日露戦争でサハリン(旧樺太)南部が日本領となって以来サハリンへの重要
な港であり、サハリンとの往来が途絶えた戦後も国際貿易港として栄え、2011年には
外国貿易船の入港数は道内初の5万隻を突破したという。

 稚内港には、北防波堤ドームと呼ぶ独特の建造物がある。ここが旧樺太(からふと)航
路の発着場として使われていた1936年に、道路や鉄道への波の飛沫を防ぐための波除
け用に建設されたもの。



 全長427m、高さ13.6m、70本の円柱が連なるアーチ型ドームで、古代ローマ
建築を思わせる世界的にも類のない構造物として、北海道遺産や土木資産に選定されてい
るとのこと。


 ドームの前には稚泊(ちはく)航路記念碑があり、そばにSL、C655 49号機の
主動輪も展示されていた。


 記念碑には、「稚泊航路は大正12年(1923)5月、当時の樺太・大泊港との間に
国鉄稚泊航路として開設、宗谷海峡167㎞を約9時間かけて航行し、終戦直後の昭和
20年(1945)8月24日に使命を終えた」ことなどが記されている。


 C55 49号機は、昭和12年(1937)3月に製造されたSLで、昭和20年ま
では稚泊連絡船への接続列車を、戦後は急行「利尻」をけん引するなどして活躍したとい
う。

 ドームそばの岸壁には、海上保安庁の巡視船「りしり」が接岸していた。



 近くに見えるビルはシーポートプラザで、隣接する2つのドーム型建物は水夢館と呼ば
れ、レジャープールや競泳プール、サウナ、トレーニングジムなどがあるようだ。



 15時53分にバスは出発して、5分ほどで南側近くのフェリーターミナルへ。



 2階の待合室で待っていると、間もなく乗船する利尻島の鴛泊(おしどまり)港行きフ
ェリーが入ってきた。



 乗船したフェリーは「サイプリア宗谷」で、総トン数3,555トン、夏期の旅客定員
は550人、8トントラック21台と乗用車55台が搭載できるというが、今日の2等船
室はかなりの空席がある。定刻の16時40分に稚内港を離れた。


 出港して間もなくデッキに出て、離れ行く逆光の稚内港や宗谷湾沿いの丘陵などを眺め
る。船は次第に左に方向展開して南に向かう。







 出航して40分近く、左手前方に利尻島のシンボルで日本百名山のひとつ、「利尻富士」
とも呼ばれる利尻山(1,721m)が望まれるようになった。





 利尻島に近づくにつれて曇ってきたが、島影は次第に近づく。







 西側には南北に長い礼文島の島影も望まれ、定刻の18時20分に利尻島の北部にある
鴛泊港に接岸した。岸壁にある温度計は22.1℃を示す。





 すぐに迎えの観光バス、利尻バスに乗り、円形の島の西側中部にある沓形(くつがた)
港そばにある、ホテル利尻には18時48分頃到着した(上は沓形付近からの礼文島)。


       

 荷物を部屋に置いて間もなくの19時10分から、ホテル2階の食事処ヒナゲシで夕食
に。



 メニューは地元利尻産の新鮮な海産物が中心で、みな美味しくいただく。


     

        



 食事中に西の空はあかね色に輝き、明日の天気を約束してくれているようだった。


 ロビーには、映画「北のカナリア」の撮影で宿泊した俳優などのサインが並んでいた。


                               (歩数 8,600)




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イギリス8日間の旅⑦ ロンドン発機内泊して成田へ

2017-08-11 15:27:57 | 英国旅行
 2017年7月2日(日)~3日(月)
 ロンドンからのBA機で機内泊して羽田へ帰る

 連泊したロンドン、ヒースロー空港そばのホテル、ルネッサンス ロンドン ヒースロー
にて6時10分に起床し、7時頃からホテルのレストランで朝食をした。

 レストランからは目の前に、ヒースロー空港に駐機中の飛行機が望まれる。


 今回の旅では前半は雨だったが、帰国日の今日になって快晴となった。8時15分にホ
テル↑を出発してヒースロー空港に向かい、8時40分前後にヒースロー空港の出発ロビ
ーに入った。




 スーツケースを預けて出国審査を受け、帰国便であるBA(British Airwas)便専用のタ
ーミナル5へ、A14ゲート付近↓からTransit Trainと呼ぶ空港内移動用の車両で10時30
分前に移動し、搭乗するC53ゲート前で待つ。




     
 予定より遅れて搭乗し、誘導路から滑走路に向かう途中、かつての超音速旅客機コンコ
ルドらしい機体↓が駐機されているのが見えた。

 帰国後調べたらやはりそうで、製造番号208号・量産型8号機で、1984年にはワ
シントン~ニース間の最長航続距離を記録しているという。

 ちなみに、コンコルドはイギリスとフランスが共同開発した超音速旅客機で、1969
年3月に初飛行し、原型機4機を含め20機が製造され、通常の旅客機の飛行高度の2倍
の高度55,000~60,000フィート(16,800~18,300m)を、音速の2倍
のマッハ2で飛行したが、採算ラインに乗らずに1976年11月に製造中止となり、
2003年11月26日のヒースロー空港着陸をもって全機が退役したという。

 さて、我々の乗った帰国便のBA007便、羽田行きボーイング777-300型機は、
予定の11時40分より遅れて12時10分にロンドン・ヒースロー空港を後にした。羽
田までは約11時間35分のフライト予定である。

 離陸後間もなく、左側の窓から見下ろすイングランド南東部の眺め。






 私たちの座席は主翼後部付近だったが、周辺の座席はかなり空席があったので空いてる
席に移動して、トイレに行くにも並んでいた人に迷惑を掛けずに自由に出入りすることが
出来た。

 最初の機内食は13時30分頃に出た。夜間帯になるとライト消えたがあまり眠れず、
座席前面のディスプレイで映像を見たりイヤホンで音楽を聞いたりして過ごす。

 イングランドから欧州西部を北上し、北欧のノルウェーからスウェーデン上空を経てシ
ベリア北部を西から東へと大半の時間通過して日本海に出る。北海道西部を南下する頃に
もう1度、朝食に相当する機内食が出た。

 羽田空港には、予定の翌7月3日(月)7時15分より早い6時52分に着陸した。空
港周辺は雨は上がっていたが雲が低く、機外に出ると蒸し暑い。


 預けたスーツケースも比較的早めに出てきて宅配便に依頼し、7時55分発の所沢駅東
口行き高速バスに急ぎ間に合う。

 高速バスは途中渋滞もなく所沢ICまで1時間足らずで通過し、所沢駅には9時19分
に着いた。高速バスの存在は知ってはいたが利用したのは初めて。乗換え無しで自宅の隣
の駅まで来られたのは何よりだ。

 久しぶりの蒸し暑さが気になったが、所沢駅前のスーパーで昼食などの買い物をして、
帰宅したのは10時15分だった。    (歩数 羽田空港途中まで 5,800)(完)

========================================

 行程に従っての今回の旅の紹介は終えましたが、ほかにまだ撮った写真がたくさんある
ので、幾つかのカテゴリーに分けて、さらに何度か紹介します。 




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イギリス8日間の旅⑥ ロンドン市内とウィンザー城へ

2017-08-09 21:27:43 | 英国旅行
 2017年7月1日(土) 曇後晴
 ロンドン市内とウィンザー城の観光

 ロンドン、ヒースロー空港そばのホテル、ルネッサンス ロンドン ヒースローで6時10
分に起床した。7時過ぎからホテルのレストランで朝食をして、8時14分にバスはホテ
ルを後にする。

 今日は、午前中にロンドン市街中心部の観光後、午後は自由行動で、希望者はオプショ
ナルツアーとして、英国王室の居城である郊外のウィンザー城の観光が計画されている。
     

 ロンドン西郊のヒースローから東に進んでロンドンの中心部に入り、やや北側にありロ
ンドンで最も美しい公園というリージェンツ・パーク(The Regent's Park)へ。

 公園の南側にあるクイーン・メアリーズ・ガーデンズ(Queen Mary's Gardens)のバラ
を見ることにして、9時10分頃にバスを下りた。

 リージェンツ・パークは王立公園で、総面積は約500エーカー(約2㎢)あり、公園
内には野外劇場や運河、スポーツ施設、学校なども設けられていて、バラ園のバラは約
400種類、3万本あるという。

     
 池の横を進んでゲートを入ると何色ものバラが見頃で、芝生地の間に色を競っている。

9時45分にゲート前に集合することにして、各々バラ園を巡って多彩な花の彩りを鑑賞
した。






     
 バラ園の横にはいろいろな花の咲く植え込みもあり、そちらにも回って眺める。
         







     


 バスは南東に向かい、大英博物館前で下車した。大英博物館は、世界人類の貴重な遺産
を数多く収集・展示しており、世界最大規模の博物館といわれている。

 たくさんのコレクションを見て回るには何日もかかるようだが、今日は10時05分か
ら約1時間だけしか時間がとれないので、見どころだけを観覧することになった。

     
 館内のガイドはイツコさん、イヤホンガイドで説明を聞きながら、ギリシア、アテネ、
アッシリア宮殿、エジプトのミイラ、イースター島関連の展示を中心に巡り、少しのフリ
ータイムもある。
          





          

     



     



        エジプトのミイラ
        

           イースター島のモアイ像
          


 11時10分に館内のライオン像付近に集合して、館を出てバスに乗る。
  

 中心街を南に進んでテムズ川(River Thames)沿いに出た。対岸に2000年のミレニ
アム記念に旧ロンドン市庁舎の前につくられたというロンドン・アイ(London Eye)が
望まれる。高さは135mあり世界最大級のよう。


 テムズ川の西側、ウェストミンスター橋近くでバスを下り、ウェストミンスター寺院
(Westminste Abbey)前に行く。
     
 ウェストミンスター寺院は、ウィリアム王から現在のエリザベス2世まで、ほとんどの
王の戴冠式が行われた場所とのこと。現在の建物は、エドワード王が1050年に建てた
ノルマン様式の修道院が原型で、その後13世紀にゴシック様式を取り入れて現在の姿に
建て替えられたという。




 背後には、イギリスの国会議事堂である時計塔のビッグ・ベン(Big Ben)とヴィクト
リア・タワーが望まれる。


 周辺は大変な観光客で迷子になりそう。イヤホンガイドを頼りに離れないように注意し
て12時ちょうどまで周辺の建物などを眺めた。



 
 再びバスに少し乗り、西側のバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)前で下りた。バッ
キンガム宮殿は、ヴィクトリア女王以来の歴代イギリス国王の宮殿で、いまのエリザベス
女王も週末にウィンザー城へ、夏にはスコットランドのパラモル城に行く以外はここに住
まれているという。



 もともとはバッキンガム公爵が建てた邸宅だが、1762年に当時の国王ジョージ3世
が購入し、現在の姿になったのは1912年らしい。部屋の数は650もあり、夏の間に
はその一部が公開されるよう。宮殿の前もたくさんの観光客で賑わい、そばの広場には幾
つかの彫刻があった。
     

         

     


 12時30分にバスに乗り、ウェストミンスター駅前↑から北へ向かい、ナショナルギャ
ラリー前↓を通過して、北側の通りにあるLulivoというレストランに13時頃に入り、13
時40分まで昼食をした。


 午後はフリータイムとなったが、自由にロンドン市内を回る3組6人以外の私たちを含
めた17人は、オプショナルツアーのウィンザー城観光に参加することにした。

 13時52分にバスは出発して高速道路M4号線を西へ、ヒースロー空港の北側を通過
してさらに進み、南に折れて間もなくの14時45分にウィンザー駅近くの駐車場で下車
した。


 ウィンザー駅の横を進んで賑やかなウィンザーの町並みを抜けて、台地上にあるウィン
ザー城(Windsor Castle)の南西側、ヘンリー8世門の前を緩やかに上がる。

 中央部南側にある入場門では空港並みの厳重なチェックを受け、日本語ガイドの案内で
城内に入った。

ウィンザー城は、イギリス王室の所有で約4万5千㎡の床面積を持ち、現存する城で人が
居住するものとしては最大という。城は11世紀にウィリアム1世により建てられた木造
の城が最初で、ヘンリー2世が木製の防壁を石造りにし、城の中心部である中央の塔も建
設された。

 1350年からエドワード3世により一部を残して取り壊されて再建され、その後も建
物の追加、改修が行われ、現在の形が完成したのは19世紀初めだという。(下のイメー
ジ図はウィンザー城の英文リーフレットから)


 ラウンドタワー(Round Tower)と呼ぶ中央の高い塔には、エリザベス女王が滞在中で
あることを示すエリザベス家の旗が上がっている。
     

 女王は週末にはほとんど、バッキンガム宮殿を出てウィンザー城で過ごされているよう
だ。


           
 門を入って緩やかに上がると、ジュビリー庭園と呼ぶ半円形の堀割にバラや草木の植え
込みが続き、その向こうに円筒形のラウンドタワーが近づく。


 
 ラウンドタワーの左手にあるノルマン門から建物内に入り、公開されているワーテルロ
ーの間、国王の客間、国王の正餐の間、王妃の公式会見の間、聖ジョージ・ホール、接待
の大広間など15を越える部屋を、20分近くで一巡して観覧した(建物内は撮影禁止)。

 城内のショップで、日本語の公式ガイドブックを求めた。オールカラーで72頁あり、
ウィンザー城の歴史、城内各部屋や展示物などの説明と写真が多数掲載されている。


 さらにガイドさんの説明を聞きながら門に向かい、門を出てフリータイムとなり16時
55分にウィンザー駅近くに集合することとなった。

 ヒースロー空港が近いので、ときどき上昇中の飛行機が望まれる。






 観光客で賑わうウィンザーのわずかな距離の町並みや、駅周辺を見て回る。駅構内には
古いSLが展示されていた。





 駅のホーム横を抜けてバスに戻り、17時過ぎにホテルに向けて出発した。


 テムズ川を渡って高速道M4号線に入る。夕方のラッシュ時となり途中一時渋滞したが
市内に戻り、ハイド・パーク↓やバッキンガム宮殿に接したグリーン・パーク横を通過する。


 中心街の広場、ピカデリーサーカス近くで自由行動の6人と合流して、18時50分に
The Bunch of Grapesというパブに入り夕食をした。

 19時50分を過ぎても、外はまだ明るい。

 19時52分にバスに乗って再び西へ、ヒースロー空港そばの連泊のホテル ルネッサン
ス ロンドン ヒースローには20時20分に戻った。          (歩数 8,100)




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イギリス8日間の旅⑤ バースとオックスフォード観光(後半)

2017-08-05 16:23:07 | 英国旅行
 2017年6月30日(金)
 バースとオックスフォード観光後ロンドンへ(続き)

 バース市街を出て、国道A46号から高速道M4号に入り、さらにA34号、A144
号線などを経て、バースの東北東約131㎞のオックスフォード(Oxford)市内に入り、
15時02分にバスを下りた。午後は大学の町オックスフォードの観光である。




 オックスフォードは13世紀に最初のカレッジが造られ、ケンブリッジととともにイギ
リスの学問の中心都市として知られている。

 オックスフォード大学と呼ばれているが、ひとつの大学ではなく、教授や学生が同じ寮
に寄宿しながら専門的な学問を学ぶ「学寮」(カレッジ)の総称で、市内には40余りの
カレッジがあるという。

     
 少し歩いてMartyrs Memorialという塔の前に出た。16世紀に悪名高いメアリー1世により
火あぶりの刑にされた、3人の英国教会の司教を追討する碑とか。


 さらに進むとイギリス国旗が掲げられ、1964年開業の5つ星ホテルというMacdonald
Randolph Hotelと、道路を挟んでアシュモリアン博物館(Ashmolean Museum)がある。


     
 ブロード・ストリート(Broad St.)に入り、皇太子妃雅子殿下が外務省入省後に留学さ
れたというベリオール・カレッジ(Bellil Collede)前を通過する。



 人混みの多い通りを進むと、チューダー様式の木組みの家が現れた。
 


 細い路地を進んでカヴァード・マーケット(Covered Market)に入る。
     


 1772年に造られたという屋根付きの市場で、食料品や野菜、果物、肉屋など、生活
用品が求められる小さい店がたくさん並んでいる。




 マーケット前から南進して、クライスト・チャーチ(Christ Church)の前に出た。
     
 オックスフォードに数あるカレッジの中でも飛び抜けた名門校で、何人もの首相も輩出
しているとか。
        

 12世紀に修道院として始まったのでチャーチと呼ぶようで、1546年にはヘンリー
8世が学寮と聖堂をひとつにした現在のカレッジを創設したという。


 門を入り広大な構内を巡る。広い芝生地や花咲く庭園のようなところを通過した。




     
 有料の見学用ゲートをくぐり、寮生たちが食事をする大食堂グレート・ホールに入った。



 そう広くはないが、周囲のシャンデリアの下に卒業した著名人らしい肖像がたくさん並
ぶ。テーブルには、すぐに食事が出来そうに食器などが用意されていた。
     








 広い中庭を眺めてから外に出た。


     
 近くには、皇太子浩宮殿下が2年間留学してテムズ川の水運史を研究されたという、マ
ートン・カレッジ(Merton College)がある。

 1264年にウォルター・ドゥ・マートンが設立した名門校で、オックスフォードでも
最も古い歴史を持つカレッジのひとつらしい。


 幾つかのカレッジを眺めながら進むと、次々と塔のある建物が望まれる。




     




 円形の塔の前に来た。ラドクリフ・カメラ(Radckiffe Camera)と呼び、隣接するボード
リアン図書館(Bodleian Library)の読書室で、医師ジョン・ラドクリフの遺産を投じて
1749年に建てられたという。


 さらに幾つかのカレッジらしい建物を見ながら進んで、インフォメーションセンターの
あるブロード・ストリート(Broad St.)に16時30分頃着き、17時までフリータイム
となった。
     

         



 近くの店のウィンドウには、オックスフォードの各カレッジのバッジが並んでいる。
 

    

        

    
 いろいろな店のウィンドウショッピングを楽しんだり、変化に富む建物などを見ながら
周辺を回った。
        




 17時03分にバス↑は出発してロンドンに向かう。国道A40号線に入って間もなく
の17時28分から40分までトイレ休憩となる(下は休憩したサービスエリアの一角)。


 すぐに高速道M40号線に入ったが、18時前後なので夕方の渋滞となり一般道に回る。
ロンドン市内に入ってヒースロー空港近くのホテルに近いパブ↓に18時37分に着き、
20時05分まで夕食をした。
       

 ヒースロー空港の滑走路が間近に見える今日から連泊のホテル、ルネッサンス ロンドン
ヒースロー(Renaissance London Heathrow)には20時10分過ぎに入る。

                                 (歩数 11,200)




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